好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Singer Songwriter : Japan

1曲ごとの独立した世界観が強いよね - 中島みゆき『夜を往け』

folder 1990年リリース、18枚目のオリジナル・アルバム。オリコン最高3位、17万枚という売り上げは、この時期のみゆきのアベレージに沿っており、本人的にもヤマハ的にも、またファンとしてもほぼ予想通りの成績。固定層をしっかりつかんでいたので、これだけあれば充分なのだ。
 本来なら年末リリースが恒例だったところを、初の試みとなる「夜会」の準備が不慣れなせいもあって順調に捗らず、すべてのスケジュールに大きな影響が出てしまう。ヤマハ的にもポニーキャニオン的にもリリース・スケジュールはすでに組み込まれており、単なるリリース延期では済まされない。この頃から既にみゆきはヤマハの屋台骨を支える役目を担っていたため、「何も出すものがない」というわけにはいかなかったのだ。
 そんなこんなで「とにかく何かリリースしなくちゃ」といった事情によって、苦肉の策として制作されたセルフカバー・アルバム『回帰熱』をリリース、どうにか窮地を凌ぐ。そのプロモーションを行なう余裕もなく、まるで年末進行の勢いで初の夜会公演全20回を完走、普通なら達成感の余韻に浸りたいところだけど、またまたそんな余裕もなくレコーディングを再開、そしてついにリリースされたのが、この『夜を往け』だった、という次第。あぁせわしない。

 一度世に出てしまった作品は、その時点で作者の手を離れ、受け取る人それぞれのものになる―。
 かつて、みゆきはそんな意味合いの言葉を残した。
 どれだけ自分がメッセージや主張を込めようとも、受け止め方というのは人それぞれである。もっと突っ込んで言えば、最初から先入観でガチガチに縛るのは、むしろ作品のためにならず、それは作者の傲慢に過ぎない。それを「作品やファンに対する責任放棄」という見方もあるけれど、そんな意見さえみゆきは真っ向から否定せず、ラジオから流れる奇声で笑い飛ばす。それが彼女の美学なのだろう。ケセラセラ。
 ―とは言ってもどの作品も、一旦は身を削り、奥底から搾り出すように、産みの苦しみを経て創り上げた、いわゆる子供達である。それらを体内から出してしまった途端、「はいサヨナラ」というのも、ちょっと酷だしドライすぎる。
 「過去を振り返らず前だけを見る」というのはカッコいい生き方ではあるけれど、人間、誰でもそこまで割り切れないんじゃないだろうか。そういったモノも全部含めて自分なんだろうし。

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 すっかり時の人になってしまったにもかかわらず、相も変わらずこぢんまりしたバンドを従え、世界中の中規模程度のホールを廻り続けるBob Dylan。もはや永遠に続くんじゃないかと思われるNever Ending Tour、今さら金だ名誉だで浮き足立つようなキャリアや年齢でもない。
 歌いたい歌を唄い、そしてその歌を求める者がいるのなら、どんな小さな場所にでも出向く。
 もはや「伝えたい」事柄があるわけでもない。歌うことがすでに業となり、それは身体の一部となっている。
 緻密な構成で完全パッケージ化された大方のベテラン・アーティストのライブと違って、Dylanの場合、その日によって何の予告もなく大幅にセットリストを変えたりすることで有名である。「Like a Rolling Stone」も「Knockin’ on Heaven’s Door」も、ステージではほぼ原形を止めぬほどアレンジされたりで、気分次第やりたい放題である。
 そういった行為は普通、マンネリ化を防ぐために行なわれるものだけど、Dylanの場合だと、ちょっと事情が違ってくる。彼の場合、レコードに定着した音源を完成形とするのではなく、常に本来の収まるべき形を探しあぐねているのだ。
 「記録として定着したものが完成形である」という考え方自体が偏ったものであって、そもそも何らかの媒体に記録されたものはかりそめのものである。その時は「これで完璧だ」と思ったとしても、時代が変われば解釈も変わる。その時の自分とは、通過点でしかないのだ。
 終わることのない探求と好奇心。
 完成形とはある意味相対的なものであって、決して絶対にはなり得ない。そんなことはDylanもわかっている。
 そしてまた、観客もわかっていることである。変化し続けるDylan、理想のサウンドを追い求めるDylan。
 いや、もうそんな次元も超越してしまっているのかもしれない。ミュージシャンであるということは、常にステージに立って歌い続けること―。
 ただ、それだけなのだろう。

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 Dylanに倣った訳ではないだろうけど、みゆきもコンサートにおいて別アレンジを披露していた時期もあった。まだ知名度も少なくバックバンドを雇い入れることもできず、ギター1本弾き語りでドサ廻りを続けた期間は別として、80年代に入ってからロック志向の強まった、いわゆるご乱心期は結構実験的なサウンドを試したりもしている。いわゆる従来モードの中島みゆきの自己否定、新規巻き直し的モードに突入していたのだけど、それでいながら固定ファン層への配慮も考えなければならなかったため、迷走具合が露わになっていた部分もある。

 大半のリスナーにとってコンサートへ行くのは年に一度か二度くらいであって、よほどの追っかけか政令指定都市在住でもない限り、そう頻繁に行けるものではない。ライブハウス規模のアーティストならまだしも、みゆきクラスになるとチケット争奪が高倍率となって、入手することだけでもひと苦労である。ファンクラブに入ってても、なかなか難しいのだ。
 それでもどうにか、やっとの思いで入手したチケットを握り締めてコンサートに参加したはいいけど、自身にとって思い入れのある楽曲が、まったく別のアレンジで演奏されるのを聴いて、ファンはどう思うだろうか。
 「新たな一面を見れた」と喜ぶ者もいれば、保守的な考えの持ち主なら「なんか違う」感を引きずる者もいるだろう。多分、後者の方が多いんじゃないかと思われる。インプロビゼーションやアドリブを見せ場として演出するバンドならまだしも、特にみゆきのような、思い入れの強いファンが多いソロ・シンガーの場合だと、あまり歓迎されない方が多い。

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 クリエイティヴィティを優先するのなら、ユーザーへの配慮よりクオリティを重視するのだけれど、アーティストとはいえ人気商売、そこまでは割り切れないものである。ご乱心時代でも、シングルは比較的まともな歌謡曲調のサウンドが多かったし、ヤマハを背負って立つ立場にいるからには、そこまで好き勝手もできないのだ。何だかんだ言っても日本的なメンタルのみゆき、何年かに一度、コンサートに参加してきてくれるファンは裏切れない。「中島みゆき」というエンタテインメント人格は、自分独りで勝手にいじれないのだ。
 とは言っても、アーティスティックな自分を押し殺して人気商売に徹すること。それだって、簡単に割り切れるものではない。湧き出てくる楽曲たちを操作することはできないのだ。売れ線であろうとなかろうと、それらは自らが産み落とした子ども達なのだから。
 じゃあどうすれば?

 一般的なリサイタルという形式ではなく、大枠のストーリーの構成要素のひとつとして、各シーンにふさわしい楽曲をはめ込む方式。そうすれば、ステージ進行としては自然だし、楽曲の新たな解釈も可能だ。これまでのマテリアルで足りなければ、そこの部分だけ新曲を入れることもできる。
 「コンサートでもない、演劇でもない、ミュージカルでもない、言葉の実験劇場」。
 そんなコンセプトを掲げて初開催となったのが、1989年の「夜会」である。文章から見てわかるように、ほぼ手探りの状態で立ち上げたプロジェクトのため、よく言えば実験的、意地悪く言えばどっちつかず的なスタイルで、見切り発車で始まったのだった。現在のようなカッチリ構成されたストーリー仕立てではなく、従来コンサートの延長線上、ほぼ既発曲のみせ構成され、曲間をオリジナル寸劇やエピソードで繋ぐという、多分みゆき的には黒歴史と化した仕上がりとなった。なので、この最初の夜会は資料映像以外にはまともな記録が残っておらず、アーカイヴでもあまりお目にかからない。
 コンサート・スタイルが強く出た公演だったため、後年のような演劇的要素は薄い。バンド・メンバーもステージ上に立って、時には寸劇に参加したりもして、ゆる~い演出である。ミュージカルと言えるほどのダンス・シーンもなければ、起承転結が明確な演劇でもない。コンサート臭は強いけど、これまでとは明らかにちょっと違う。
 そう言った既存スタイルからの脱却という点において、初の「夜会」のコンセプトは正解である。まぁみゆき的には恥ずかしいんだろうけど。

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 で、『夜を往け』。
 「夜会」準備と並行してのレコーディング作業だったため、断続的なスケジュールゆえ、曲調の統一感はあまりない。ただ、タッグを組んで今回で3作目となる瀬尾一三とのコラボが馴染んできたせいもあって、サウンドのトーンバランスに違和感は少ない。主題はほぼ全部、見事にバラバラだけどね。古典浄瑠璃から着想を得たモノもあれば、後の「夜会」的メソッドにつながるモノもある。
 ご乱心期のみゆきのアルバム制作は、アルバムのトーンを統一するため、コンセプトほど凝り固まったものではないけれど、絶対的なみゆき視点を通してのネガティヴな描写でまとめられていた。しかし瀬尾と組んでからのみゆき、いやどっちかと言えば「夜会」後のみゆきは、そのような統一感を「夜会」の主題に昇華させ、対してアルバムにおいては各章が独立した世界観を持つ短編集的な趣きで制作に挑んでいる。

 その「夜会」メソッドの方向性がまだ定まっておらず、「コンサートでもなければ演劇でもない、じゃあ何なの?」といった自問に確かな答えが見つかっていなかった時期である。「夜会」のフォーマットが次第に固まってきて、レコーディング作品としてうまくフィードバックされた最初の成果が『East Asia』なのだけど、そこに至るまでの過渡期にあたるのが、ちょうどこの時期である。
 あるのだけれど、アーカイヴの蓄積をチャラにして、新たな表現手段を模索していながらも、どの曲の主題も単体でアルバム1枚作れるほどの情報量と重厚さを有しているため、ちゃんと聴こうとする場合は、きちんとコンディションを整えておかないと返り討ちに逢ってしまうアルバムでもある。なので、正直一見さんにはちょっと敷居が高いアルバムであるのかもしれない。
 まぁあまり肩ひじ張ってると疲れちゃうので、好きな曲だけ選んで聴いてもいいんだけどね。別に頭から律儀に聴かずとも、好きな曲だけシャッフルして聴く方がすんなり入りやすいのが、このアルバムの特徴である。
 あ、でもそれってみゆきのアルバム全般に言えることか。


夜を往け
夜を往け
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中島みゆき
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1. 夜を往け
 アメリカン・ブルースなイントロに続く、大陸系の大味なギターロック。サビで連呼されるタイトル自体が直訳っぽいので、うまくスライドすればSheryl Crowの先取り的な展開もできたかもしれない。まぁ全曲これだったら、さすがに違和感ありまくりだけど。
 ラストのサビ前のシャウトはハードロック的なイディオムから来るものだけど、当たり前だけどこういった発声法は喉を痛めるため、長く続けられるものではない。勢いにまかせた唱法というのはこの時代まで。サウンドに重きを置いてるおかげなのか、言葉の使い方もどこか大味。「夢のかけら」だの「あの日の夢のようだ」だの、練り方がちょっと足りなさげ。でも、「ファイト!!」あたりのイメージが強いライト・リスナーには食いつきいいんだろうな。

2. ふたつの炎
 なので、次に来るこの曲の重厚な世界観が引き立つ、という見方もある。みゆきの場合、アルバム制作ごとに楽曲制作するというスタイルではなく、ほぼ日常的に楽曲の断片やらを紡ぐことが生活の一部となっている。この曲のメロディ・ラインや言葉の使い方など、新たなマテリアルではなく、70~80年代のストックなんじゃないかと思われる。
 都合の良い女と口先だけで体裁の良い男との関係性は、「恨み節」と称された頃の世界観と合致している。ある意味、中島みゆきのパブリック・イメージを象徴しているような楽曲ではある。ヴォーカル・スタイルも未練を引きずった感が強いしね。


3. 3分後に捨ててもいい
 その「恨み節」と並行してのみゆきのパブリックな印象として、「歌謡界との密接なリンク・相性の良さ」が挙げられるのだけれど、これなんかはその典型。古き良き歌謡曲的ヨナ抜きメロディ、テンポの良いサビなど、時代が違えば研ナオコに歌ってもらいたい楽曲でもある。
 
 3分後に捨ててもいいから 今だけ傍にいて

 「恨み節」時代なら、粘着的なタッチで搾り出すように歌い上げていたのだけど、ここでのみゆきはもっとアッケラカンに、それでいて強い女としての凄味さえ感じられる。

 恋と寂しさの違いなんて 誰がわかるのかしら

 これが負け惜しみ的に聴こえないのが、ご乱心期を通過した後のみゆきのしたたかさである。

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4. あした
 シングル・リリースから1年半経ってからのアルバム収録なので、リリース当時は今さら感がちょっとあったけど、90年代みゆきの代表曲のひとつとして、そして俺の中のみゆきのベスト10に常に入る鉄板ナンバー。当時KDDIのCMで流れた際、楽曲と映像とのリンクが絶妙で、しばらくヘビロテ化していたことを思い出す。
 そう思ってるのは俺だけではないらしく、リリースから4半世紀経った今でもカラオケ界隈では根強い人気を誇っており、そう考えると当時のオリコン最高18位はちょっと低すぎるぞと言いたい。
 
 もしも明日 私たちが 何もかも失くして
 ただの心しか持たない やせた猫になっても

 抱きしめれば2人は なお遠くなるみたい
 許し合えば2人は なおわからなくなるみたいだ

 何もかも 愛を追い越してく
 どしゃ降りの 一車線の人生

 説明的な言葉は何もない。「やせた猫」?「一車線の人生」?様々な解釈はあれど、みゆきは決して説明しない。解釈なんて人それぞれだ。ただ、それぞれの言霊の力は強く、そしてズシンと響く。
 こういった曲を時々サラッと歌ってくれるから、我々はみゆきから目を離せないのだ。



5. 新曾根崎心中
 みゆきとしては珍しく、年下の男を諭す成熟した女性の立場から描いた、何かとエロティシィズムを想起させる楽曲。近松門左衛門の曾根崎心中からインスパイアされたのだろうけど、男女の心中を題材としてイマジネーションを膨らませていると思われる。男と女の情念を具現化しているためかサウンドもハードで、こういったネチッこいギター・ソロはやっぱり今剛だよな。

6. 君の昔を
 こちらもアルバム制作時より少し前、ご乱心期の『miss M.』っぽいテイストが漂う楽曲。フックの利いたサビが歌謡曲と相性が良さげなので、この辺も誰かカバーしてくれないかな。近年、みゆきのカバーと言えば工藤静香と相場が決まってるっぽいのだけど、彼女には合わなそう。案外、一青窈あたりが歌ってくれたら合いそうなんだけどね。
 対象を愛しすぎるがあまり、自分と逢う前の昔の彼の姿、そして過去にすら嫉妬を覚える女。口調こそ軽やかで淡々としてるけど、その裏で唇を噛みしめていることを象徴するかのように、ギターの響きはカン高くヒステリックだ。

7. 遠雷
 イントロがまるで永ちゃんの「Somebody’s Night」。と思ったら歌い方も女永ちゃんだった。
 この時期になると「恨み節」「色恋沙汰」的な楽曲は少なくなっており、恋焦がれて狂い悶える女の情念を見せることは稀となっている。以前はこういった曲のオンパレードだったのだけど、旧来のパブリック・イメージはやはりこんなものなのか。
 「このままでいいじゃないか」という男のセリフから始まるように、歌詞世界はどこか第三者的、短編小説のような冷静さを感じ取ってしまう。感情移入が過ぎると情念ばかりが前に出て、肝心の言葉は霞んでしまう。言葉を引き立たせるため、ヴォーカルは少し息を抜いている。
 「ガレージの車には違う口紅がある」。これじゃネガティヴなユーミンみたいじゃないの。もっと違うフレーズがほしかった。

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8. ふたりは
 このアルバムだけではなく、これまでのみゆきの楽曲パターンにはなかった実験作。俺的にはリリース当時、演劇的な空間設定がちょっと苦手で、この曲は飛ばして聴いていた。今も正直、それほど聴きたくなる曲ではない。考えてみればそうだよな、日常的に聴きたくなる、BGMにしたくなるような楽曲ではない。
 リリース当時は20歳前後だったせいもあって、こういった世界観がピンと来ず、なんでこんなテーマなんだろう?と避けていたのだけど、アラフィフになってから久しぶりに聴いてみて、ついでに世良正則とデュエットした『10 Wings』ヴァージョンも合わせて聴いてみて、俺なりに思ったひとつの結論。
「あ、これって「恨み節」の反対の世界観の「その後」じゃね?」

 70~80年代のみゆきが描く恋愛観は、総じてアンハッピーエンド的展開のものが多かったのだけど、ひとつの仮定として、もしその恋愛が実を結んだとしたら?
 例えば、誰にも祝福されず報われない愛を、周囲の反対を押し切って駆け落ち同然に「異国」へ2人旅立ち、そして共に暮らす。力を合わせて苦難を乗り越えた絆を強く、最初のうちはうまく行く。でも、過去の何もかもを捨てて一緒になった2人、その閉じられた世界は、長く続けば続くほど、居心地の良いものではなくなってゆく。
 当初の甘い蜜月はどこへやら、登場人物2名の空間は次第に荒んでゆく―。

 強烈にデフォルメされた悲劇的なフィクションは、突き抜けると寓話的な様相を呈する。重い主題は、軽やかなシャンソン・タッチによって陰鬱さを薄めている。ここでのヴァージョンは習作的な響きとなっており、世良正則のワイルドネスが添加されることによって完成形を見る。

9. 北の国の習い
 で、こちらの寓話はもっと軽やかに、ついつい口ずさんじゃったりしそうな民謡タッチのメロディなのだけど、歌詞は結構毒が散りばめられているので注意。北の国の女はすぐ離婚するだの男を見捨てるだの吹雪の夜に閉じ込められて排気ガスで窒息死するだの、ネガティヴな事象をカラッとした口調で寓話的に紡ぎだしている。こういったのもみゆきの真骨頂である。「キツネ狩りの歌」の続編的な扱いとなっている。

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10. With
 高らかに反戦と掲げているわけではないけれど、大きな母性からの視点をもって、せめて目の前の「君」と一緒にいたいことを表明した、男女の色恋沙汰を超越した地点で描かれた楽曲。8.同様、時代や空間設定が曖昧で寓話的なので、散文的な歌詞ではあるけれど、普遍性を持った言葉の塊が投げ出されている。サウンドもメロディもヴォーカルもすごく優しく丁寧なのだけど、言葉は相変わらず何の説明もなく、ゴロンと投げ出されたままだ。
 程よい距離感の慈愛に満ちあふれた言葉たちはどれも魅力的で、全部は書ききれないけど、

 誰だって 旅くらい ひとりでもできるさ
 でも、 ひとりきり泣けても
 ひとりきり 笑うことはできない

 この言葉に一番心打たれた、当時20歳の俺。その頃の感受性は、たぶん今もそんなに変わらないのだろう。




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よそ行きの服に隠された裸のみゆき - 中島みゆき 『おかえりなさい』

folder 前作『親愛なる者へ』から8ヶ月のインターバルでリリースされた、みゆきにとって初のセルフ・カバー・アルバム。それまではほぼ1年前後の間隔を空けて制作していたので、なんでこんな中途半端な時期にリリースされたのか、何かしら心境の変化かヤマハ的な事情もあったんじゃないかと思われる。
 俺的に考えられるのが、このアルバムの次にリリースされるのが、あの『生きていてもいいですか』。初期のみゆきの代表作であり、またみゆきの剥き出しの部分、ダークサイドを露悪的に描いた傑作である。いくら稼ぎ頭の筆頭とはいえ、あまりにプライベートでダウナーなコンセプトに、ヤマハ的にはリリースに乗り気ではなかった。みゆき的にもこれまでのルーティンとは違って、ある意味自虐的なファクターを深化させてゆく作業のため、制作状況は遅々として進まなかった。
 気分転換に、すでにある程度の認知を得ている楽曲を歌い直すこと。みゆき・ヤマハの双方にとって、利害関係が一致した瞬間である。

 で、「すべて既発表の他人提供曲の逆カバー」というアルバムを最初に作ったのは誰なのか。wikiで調べてみると、どうやらみゆきがこのジャンルの先駆者になるらしい。
 1978年にさだまさしがリリースしたアルバム『私花集』は、純粋なアルバム書き下ろしと、山口百恵提供曲のセルフカバーというスタイルで構成されていたけど、まるまる全曲ではない。そもそも、自作自演がモットーのフォーク系シンガーソングライターが、アルバムとしてまとめることができるほどの楽曲提供を行なっていたことが異例であり、あらゆる面において特異なものだったことは想像できる。

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 そんな楽曲提供に加えて自分用の楽曲制作、さらに恒例となっていた春・秋の全国ツアーも並行して行なっていたのだから、もう何か憑りついていたとしか思えないくらいのワーカホリックぶりである。いやほんと、自分じゃどうしようもない「業」なんだろうな。
 「業」というのは「気分が乗らないから」「どうしても時間が取れないから」でやる・やらないという類のものではなく、ほんと急き立てられる使命感のようなもので、自分の都合がどうしたとか、そんなのは問題ではない。「やらざるを得ない」のだ。
 ただみゆきの場合、楽曲制作という点に絞って言えば、それが「業」であるがゆえ、すでに生活の一部となっている。なので、一般的なアーティストがぶち当たる「産みの苦しみ」とはいささか趣きが違っている。
 もともとオファーを受けてから、一から十まで一気呵成に仕上げるタイプの人ではない。普通のアーティストにとっては非日常的な作業である「曲を書く」といった行為が、みゆきの場合、それはごく普通の生活の一部である。朝起きて歯を磨いたりパスタを茹でたり、印鑑証明を取りに役所へ出向いたりTSUTAYAの会員カードの更新など、そういった何の変哲もない生活の一部に組み込まれている。そうして書き溜めた詞曲の断片やらコード展開をしこたまこさえており、あとはオーダーに応じて組み合わせたり引き延ばしたり、またはバッサリ枝葉を刈り落として、要望通りの作品に仕上げる、といった流れ。
 提供者のメッセージやニュアンスをダイレクトに反映させるのではなく、みゆきが創り上げた「みゆき的宇宙」に、波長が合うアーティストが合わせるといったスタイルなので、親和性は高い。まぁあまりチャラチャラしたアーティストとは反りが合わなさそうだし。

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 多彩なテーマを取り上げている現在と違って、初期のみゆきが創り上げる世界観の彩りは単色で、もっぱら色恋沙汰、基本は1体1の男女間の虚ろな感情と彩とが主題となっている。これは時代性も関係しているのだけど、基本、女性主導で男性をリードする主人公ではない。昭和のメンタリティーに則したマイノリティである女性を取り上げている。それがみゆき自身だったのか、それとも友人知人の恋愛体験をベースとしたものなのかは別として。
 ただ、自分の半径5メートル程度で繰り広げられる体験だけでは限界がある。誰しもそんなに毎日、ドラマティックな体験ばかり遭遇するわけではないのだ。たとえ仮想体験をベースにしたとしても、そもそも人ひとりがゼロから創り上げるキャパには限界がある。作風に広がりと奥行きを出すため、そこには新たな視点が必要になる。
 初期のみゆきが恋愛以外のテーマを取り上げた作品は、ホント数えるくらいしかない。しかもその仕上がりも、無理やりキャパを広げようとしたあげく、習作的なレベルに留まっている。特に「わかれうた」があれだけ売れてしまったため、どうしても同傾向のテーマのオファーが続いてしまう。
 同じ色恋モノでも、自分以外を主人公に、要は歌い手を自分以外に想定すれば、また別のアングルが生まれる。「幅を広げる」という意味で、他シンガーへの楽曲提供は、ソングライター中島みゆきにとって、結果的に大きな転機となった。

 その実験対象として、最初期に大きな成果を上げたのが、研ナオコということになる。もちろん、誰でもいいと言うわけではない。まったく同じ個性だったら意味がないけど、ある程度世界観を共有できて、しかも作者の意図をきちんと理解して表現できるシンガーという面において、研ナオコは最適の存在だった。
 研ナオコを介したマスの大衆とコネクトすることによってみゆき、自分と他者との世界観との擦り合わせを行ない、やがてそれはヒットを記録、大人の歌手として脱皮した研ナオコ同様、みゆきもまた一般性を得ることになる。
 「だから、半分ぐらいは彼女がいたから書けた。彼女があたしの歌をひっぱり出したってことだと思うね。あたしはあたしのこととして書いたつもりだけど、でもそこに彼女がいて、それが引っぱってるって感じね」。

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 そういった側面から、研ナオコへの一連の楽曲提供は、双方にとって得るものが多かった。
 彼女とのコラボが始まった頃、みゆきはインタビューでこう発言している。
 「頼まれたから書いたけどね。でも、彼女に合わせてってのはできないんだよね。作曲法とかきちんと知らないし、音程とかを歌う人に合わせるなんてね。あくまでも乱暴な作り方をしてるから、合わせて作るなんてまで知恵がまわらないのよね」
 デビューしてまだ1年も経っていない新進ソングライターと、コメディエンヌとしての評価が先行していたシンガーとの仲を取り持ったのが、田辺エージェンシーの田邊社長。スパイダースのドラムの人、と言えば古い人には通じるはず。ていうか、俺も現役当時は知らないけど。
 今も芸能界の重鎮としてその名を轟かせる彼の慧眼だったのか、はたまた思いつきだったのかはともかくとして、相反する二面性を持つ二人だったからこそ、この2人は波長が合い、コンビとして成立したのだろう。
 吉田拓郎がキャンディーズに、また、さだまさしや谷村新司が山口百恵に楽曲提供したりなど、シンガー・ソングライターが歌謡曲フィールドへ進出する例は、あるにはあった。あったのだけど、それらは大抵ワンショット契約の単発で終わる場合が多く、みゆきのようにアルバム片面丸ごとを製作するほど深く関与することは極めてまれだった。

 デビュー当初から独自の世界観を有していたみゆき、その個性は同世代のアーティストと比べても抜きん出ていた。何しろデビュー前から「時代」や「傷ついた翼」など、並みのアーティストなら一生かかっても書けるかどうかのクオリティの作品を創ってしまう人である。しかも、それがビギナーズラックではなく、デビュー40年以上経過した現在も安定して高水準の作品を世に送り出しているのだから、そのポテンシャルは尋常ではない。
 ただ、その言葉の鋭さは時に、抽象的かつ内寄りの言葉に偏り過ぎてしまうきらいがある。内輪のフリークの間だけで通ずる言語は、どこか他者の理解を拒む。
 70年代のみゆきのフォロワーに、哲学者や文学関連の人間が多かったのも頷ける。その言葉の礫は、プロの言葉の使い手よりも巧妙で、しかも作為よりリアリティが上回っていたので。
 まぁ知ったかぶりも多かったんだろうけどね。

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 この時期にもうひとつ、特筆することが「オールナイト・ニッポン」月曜一部のパーソナリティ就任。前任者松山千春よりバトンを受けての形で、多分本人もこれだけ長く続くとは思ってなかったんじゃないかと思われる。どちらにせよ、8年の長きに渡って続けられたのは、単純にすごいことである。
 基本、フォーク/ニュー・ミュージック歌手のラジオといえば、トークがずば抜けており、前説レベルの芸人ならとても太刀打ちできないほどのスキルを有している。谷村新司もさだまさしも、歌とはまったく別のキャラクターを演じて、毎週マイクの前に座っていた。
 みゆきもそういったフォークの伝統に則って、ラジオではほんと別人格のようなキャラクターで話題になった。その落差は大きく、一部ではみゆきは一卵性の双子である、というまことしやかな噂も広まった。ただしこれはアンチみゆき派による冗談半分デマ半分で、実際のところはみゆき本人にしかわからないだろう。
 まぁどっちがどっち、ほんとの人格を見分けられること自体ナンセンスで、どっちもほんとのみゆきであることには変わりない。長年のファンだったら誰でも知ってることである。
 番組に寄せられたハガキはネタから心情吐露から幅広いものがあり、そこから普通の人々の普通のライフスタイルに触れることができた。仕事の忙しさのピークの最中だったみゆきにとって、そのささやかなインプット作業は、さらに独自の価値観・人生観を広げ深めていった。
 ただ、そこで触れたエピソードをそのまま作品に転化するような行為はない。よく「ファイト!」がリスナーのハガキを元に作られたものだと噂されており、確かに着想くらいは得ているはずだけど、単体のエピソードをそのまま引き延ばした形にはなっていない。きちんとアーティスト中島みゆきのフィルターを通し、複合エピソードをこねくり回した形で作品に仕上げている。
 そこはアーティストとしての矜持である。


おかえりなさい
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中島みゆき
ヤマハミュージックコミュニケーションズ (2001-03-28)
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1. あばよ
 1976年リリース、研ナオコ12枚目のシングル。彼女にとって最大のヒット曲となり、ソングライター中島みゆきの知名度を上げた記念碑的な楽曲。コメディ円ぬとして出演した彼女のCMを見たみゆき、「あれだけ人を笑わせることができるんだから、泣かせることもできるんじゃないか」と思い立ち、書き上げたとのこと。
 アレンジのタッチはオリジナルに準じており、ヴォーカルも重なり合う部分が多い。
 サビがクローズアップされがちだけど、いつも気に留めてしまうのはこの部分。

 あとで あの人が聞きつけて ここまで来て
 あいつ どんな顔していた と たずねたなら
 わりと 平気そうな顔してて あきれたね と 
 忘れないで 冷たく答えてほしい

 男への負け惜しみを、誰に向かって吐き出しているのか?
 多分、そんな想いをさらけ出せる友も知人もいないのだろう。そう考えると、途轍もなく寂しい歌だというのがわかる。



2. 髪
 アルゼンチン出身の歌手、グラシェラ・スサーナのシングル「さよならの鐘」のB面に収録。Youtubeでオリジナルを聴いてみたところ、オリエンタルに拙い日本語が「なんか違う」感を強く漂わせている。
 「わかれうた」から連なる恨み節仕様の楽曲は、当時のみゆきのステレオタイプ。歌謡曲にパワーがあった頃の産物である。

3. サヨナラを伝えて
 研ナオコのアルバム『かもめのように』収録曲。なぜかアレンジは鈴木茂。この人は器用貧乏的なところがあって、この時代はティンパン関連でギターを弾く他に、歌謡曲畑のアレンジも結構請け負っていた。堀ちえみなんかもやってたよな、確か。
 手慣れたサンバ歌謡チックなアレンジは、ベタな歌謡曲テイストの歌詞とイイ感じにマッチしている。なぜかドスの効いたヴォーカルを響かせるみゆき。

4. しあわせ芝居
 桜田淳子への提供曲で、初期の代表作。彼女にとっても大人の歌手への脱皮を果たせた楽曲であり、いいタイミングで転機となる曲に巡り合えた。同じくアレンジは鈴木茂。
 とっくの昔に切れているはずで、周りもみんなわかっているはずなのに、どこか認めたくない自分がいて、しかも煮え切らない態度でいつも通り接してくれる男につい寄り添ってしまう女…。初期のみゆきは執拗にその女をモチーフとしている。
 時代は前後するけど、このシチュエーションは「怜子」に引き継がれ、「BGM」で取り敢えずの帰結点を迎える。

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5. 雨…
 1978年、小柳ルミ子に提供。アレンジは後藤次利。ここでの後藤はシャンソン・シンガーとしてのみゆきを最大限盛り立てる脇役に徹しており、シンプルなピアノ・アレンジを中心としたウェットなサウンドを展開している。
 こうやって聴いていると、「雨」というワードは便利だよなと思ってしまう。どうしたってもの悲し気になってしまうもの。

6. この空を飛べたら
 加藤登紀子に提供された楽曲で、恐らく初期みゆきレパートリーの3本の指に入るほどの傑作。アレンジ、ヴォーカル、表現力ともすべてがハイスペック。
 「加藤登紀子」という全共闘世代のアイコンという背景から、どうしても「時代」と同じ解釈をされることが多いのだけど、まぁ俺もそんな気はする。深読みすればキリはないけど、音に刻みつけられた言葉たちは、あらゆる視点を受け入れる。

 凍るような声で 別れを言われても
 凝りもせずに信じてる 信じてる

 この最後の「信じてる」の響き、希望と諦念とが入り混じった、何とも言えぬ感情のほつれ。初期のみゆきの儚さがここに凝縮されている。



7. 世迷い言
 1978年、日吉ミミへ提供、みゆきとしては珍しく曲のみの提供。歌詞だけというのはその後もいくつかあるのだけど、曲だけというのは、俺が知ってる範囲では多分これだけなんじゃないかと思う。
 作詞は当時、脂が乗りまくっていた阿久悠。この組み合わせとなった経緯は不明だけど、正直、語呂合わせのような内容なので、別に誰でもよかったんじゃね?とは俺の独断。でもこれ以降、このタッグでの仕事はないので、双方、記憶にあるかどうかも定かではない。

8. ルージュ
 ちあきなおみに提供された、こちらも代表曲となっている。90年代にフェイ・ウォンがカバーしてアジア圏でヒットしたのは記憶に新しい。聴いたことあったっけ?と思ってyoutubeで聴いてみると、やっぱり記憶にあった。こうして聴いてみると、中国語との親和性が高いよな、みゆきのメロディーって。ちなみにオリジナルは比較的淡々と歌っているのだけど、程よい情感がこもって良さげだったのが、藤あや子。

 生まれた時から 渡り鳥もわかる気で
 翼をつくろうことも 知るまいに

 20代半ばでサラッとこんな言葉を書けてしまうところに、みゆきの底深さを痛感してしまう。
 
9. 追いかけてヨコハマ
 後藤次利の洒落っ気とみゆきのお茶目さとがうまくシンクロした、珍しく時代性を思わせてしまう快作。だってインベーダー・ゲームだもの。40代以下にはまったくリアリティのないSEだよな。時流としてYMOが流行っていたから、という注釈をつけておかないと、ちょっとわかりづらい。



10. 強がりはよせヨ
 ラストはやっぱり研ナオコ提供曲。イントロのアレンジがPink Floyd『The Wall』のオープニングっぽく、壮大なメロディック・ハードが始まるかと思いきや、歌に入るとアコギの3フィンガー。その落差を楽しむのもまた一興。
 
 生意気を言うな と 笑ってよ
 「ひとりが好きなの」と 答えたら
 それなら この俺の行く当てあれを
 どうして尋ねると 問い詰めて

 感情の齟齬が露わになった男と女。もはやどこまで行っても入り混じることはない。
 なのに、どこかで重なり合う部分がある、と信じたい2人。
 いや、ほんとは相手が自分以外の他人と交わるのが癪なだけだ。「相手の幸せを願って」なんて、そんなのは嫌われたくないための方便でしかない。




 思えば研ナオコ、シリアスなみゆきの世界を歌いながら、同時期にテレビでは、志村けんとのコントや『カックラキン大放送』でぶっ飛んだキャラクターを演じていた。そのギャップはみゆき以上のものであり、そしてどちらも研ナオコの素顔である。


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二十歳になった尾崎の問題作 - 尾崎豊 『街路樹』

folder 1988年リリース4枚目、3年振りのオリジナル・アルバム。ソニーの思惑以上にセンセーションを巻き起こしたOZAKIシンドロームに乗っかった形で、二十歳の誕生日前日に10代最後のアルバム『壊れた扉から』をリリース、どうにか滑り込みで3部作にひと区切りつけた尾崎。
 さて、これからどうする。
 取り敢えずはやり切ってしまった感が強く残り、すっかり抜け殻になっちゃった尾崎、ツアーを終えると活動休止を宣言し、単身ニューヨークへ向かうことになる。
 特別、計画なんてない。「環境変えれば何とかなるんじゃね?」的な漠然とした動機だったのだけど、まぁそんな安易に答えなんて見つかるわけもない。
 往々にして「自分探し」をする者は、いるはずもない「ほんとの自分」を探し続け、どうしたってしっくりこない自分にウンザリし、そのウンザリ感を抱えたまま、そのうち投げやりになって凡庸な人間になる。もっと足元を見つめればいいのに。

 無為な日々を過ごしたニューヨークから半年ほどで帰国してからも虚脱感は抜けなかったけど、帰って来たら来たでバタバタした日常が彼を迎え入れた。彼の知らぬ間に、周囲の状況は勝手に動いていた。
 事務所の移籍だソニーからの離脱だバックバンド「Heart of Klaxon」のメンバー入れ替えだと、様々な状況の変化は尾崎のストレスをさらに助長させた。いくらなんでもまだ二十歳をちょっと過ぎただけの、言ってしまえば青臭いガキだ。そのガキが放つ金の臭いに目ざとく反応した大人たちが、寄ってたかって彼を食い物にしようとあれこれ目論んでいた。
 「大人なんて信用できない」というのは簡単だ。ただ、その大人たちの日々の生業や営みによって社会は動き、経済は循環している。言葉で罵倒することは誰でもできるけど、でもそんな大人たちの必死の営業努力や企画能力、または泥臭いコネによって、尾崎の芸能活動が支えられていたことも事実である。そんな彼らの姿を目の当たりにして、営業的に「大人や社会への反抗」を口にするのは、どこか割り切れない部分だって出てくる。自分もまた、その経済活動の歯車に組み込まれてしまっているのだから。

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 この『街路樹』というアルバム、新所属事務所が主宰する新興レーベル「マザー & チルドレン」からのリリースで、彼のディスコグラフィー上、唯一ソニー以外での制作アルバムとなっている。そんな事情もあって、リイシュー企画の際も別枠だし、何年かごとに訪れる再発キャンペーンにおいても、なんか扱いづらい感が強い。
 『街路樹』リリース後、尾崎は事務所との意見の対立によって再度マネジメントを移籍、レコード会社もソニーに復帰した。この辺はドラッグによる逮捕も含め、いろいろきな臭いやり取りもあったっぽいけど、真相は闇の中。最終的な受け入れ先が浜田省吾の「ロード&スカイ」に決まったのは、業界内での調整がまとまったおかげもある。それにまつわる政治的な取り引きもあったんじゃないかと思われるけど、これ以上はゲスい週刊誌の領域。この辺もまた、大人たちの掌の上での出来事だ。
 大人たちの暗躍によって話が二転三転し、契約切り替えに伴う調整期間によって、再び活動休止を余儀なくされた尾崎。一連の逮捕劇によってギラついたアクも幾分落ち、新たな創作意欲も沸いてきた頃だったというのに、また足踏みをしてしまうことになる。その溜まりに溜まった鬱憤を創作活動に集中させ、完成したのが2枚組の大作『誕生』に結実した、という次第。10代の疾走感と20代の達観、過去を背負うことへの覚悟と新たな路線へのわずかな希望とが混然一体となった意欲作である。
 なので、この『街路樹』は『誕生』を生み出すための通過点、言ってしまえば過渡期の作品という位置付けになっている。実際、サウンド・プロダクションも地味だしね。

 オーガニックなアメリカン・ロック色の強い初期3部作のサウンドを少年期の通過儀礼と捉えると、それ以降はビート感を抑えたソフト・サウンディングへ向かうのは、まぁ一種の必然ではある。アドレナリン出まくりのハイ・テンポなロック・サウンドから一転、ストリングスやピアノを主体とした柔らかな響き、スロー~ミディアムなリズムを求めるのは、選択肢として間違ってはいない。過去との差別化を図るのなら、プロデューサーとしては当然の舵取りだ。
 ただ、そのサウンドが当時の尾崎の楽曲に対して必然だったのかといえば、そうとも言い切れない。以前から定評のあったバラード系ナンバーでは、『街路樹』サウンドはフィットしているけど、ポップ系ナンバーでは逆にソニー時代サウンドの方に分がある。過度に感情を込め過ぎた尾崎のヴォーカル・スタイルは、時にサウンド全体から浮いてしまい、ミスマッチ感ばかりが印象強い楽曲もある。
 「もっと言葉を大切にして歌えば良いの」「もうちょっと何とかならなかったの?」。ソニー時代との最大の違いはプロデューサーの不在。単なるアレンジャーやエンジニアの延長線上のスタッフではなく、もっと親身になって、時には尾崎と主観をぶつけ合わせることのできるキャラクターが必要なのだ。
 なのでこの『街路樹』、逆説的に須藤晃の存在感の強さを感じさせてしまうアルバムでもある。

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 Bruce Springsteenを彷彿させるバンド・サウンドは、この頃からすでにJポップの基盤を地道に固めていたソニー主導によるものである。尾崎自身はさだまさしを聴いてから音楽に興味を持ち始めたというバックボーンを持ち、実際、当時のデモテープを聴いてみると、その影響の強さが窺える。タイトルからして「弱くてバカげてて」や「酔いどれ」など、70年代フォークからインスパイアされた、またはまんまコピーしたような楽曲で、抒情的な心情吐露のテイストが色濃く表れている。少なくとも、80年代前半のティーンエイジャーに広くアピールできる音楽ではない。
 レーベル・カラーの特性上、「若きフォーク界の旗手」ではなく、佐野元春に続く「新世代ロッカー」を求めていたソニーの意向もあって、素朴な感性が持ち味だったはずの原石は反抗心ややるせなさのエッセンスを加味して「尾崎豊」という一種のフィクション的キャラクターに変貌してゆく。
 後にソニー・サウンドのスタンダードとなるシンセ多用アレンジ、テンション上げまくりのサビ・フレーズに付け加え、社会のルールから少し外れた10代の少年によるリアルな主張とが合わさって、最初は草の根的に口コミで、そして「卒業」のヒットによって、特に年齢の近い10代には爆発的な支持を得るようになった。フォークの文法をベースとした歌詞ながらも、緻密に構築されたサウンド・プロダクションと強い音圧の8ビートは、80年代のティーンエイジャーにとっては受け入れやすく、自己投影も容易だった。
 享楽的なバブル時代を迎える直前の80年代前半は70年代の延長線上だったため、社会情勢を象徴する閉塞した空気が蔓延していた。それを肌で感じていたのは大人だけではなく、まだ社会に出ていない中高校生も同様だった。行き過ぎた管理教育によって、既定のレールからはみ出してしまった、または投げ出してしまいそうになる少年少女たちにとって、初期尾崎の歌や言葉、そして行動や思想は理想であり、そして崇拝の対象にまでなった。
 闇雲に十代を駆け抜けた尾崎。二十歳になった尾崎が何を歌うのか?
 それまで彼の一挙手一投足を見つめていたファン、そして冷笑混じりで遠巻きで傍観していた大人たちもまた、次の動きに注目していた。

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 ここでの尾崎が選んだのは、これまでのロック・バンド・スタイルではなく、きちんとスタジオでアレンジメントされたシックなサウンドである。一部、ロック的なサウンドも選択されているけど、以前の「Heart of Klaxon」らによって生み出されたグルーヴ感はない。スタジオ・ミュージシャンによるプレイが多いため、正確で確実な仕事ではある。けれど、その演奏にかつてのファンが心踊らされることはない。そういった狙いの音ではないのだ。
 前述したように、もともとは兄の影響からさだまさしの作風に憧れて作曲やギターを始めたため、根っこの部分は叙情派フォークの作風が強い。3部作においても、ポップス調のライトな作品は、ソニー特有のアレンジを外すと、フォーク特有のメロディ・ラインや節回しが顔を覗かせている。デビュー前の習作のデモテープなんかを聴くと、日常的なテーマを題材としたものが多い。世間のアジテートとは無縁の作風だ。もともと「十五の夜」だって「十七歳の地図」だって、テーマとしては極めて個人的である。不特定多数のティーンエイジャーへ向けて拳を振り上げる類の歌ではない。それがどこかでねじ曲がって伝えられているけど、彼が歌っているのは自分のためであり、大勢へ向けて歌っているのではない。届けたいのは「誰か」、たった一人の「誰か」なのだ。その「誰か」とは、曲を聴いてくれるファンも含んでいる。

 デビュー作は何も考えず、ただ歌いたいことを歌うだけだった。それを受け止めてくれる人は少なかったけど、確実に何人かは存在した。アーティストにとって、少数ではあるけれど認められるというのは励みになる。それは次回作への原動力へとつながる。2枚目では外部へ向けての歌作りとなる。求められてる尾崎像をなぞり、できるだけ忠実に期待に応えられる「怒り」を「演出」する。ただ、それが3枚目ともなると、辟易してしまう自分がいる。人ひとりが歌いたいことなんて、所詮限られている。そんなにネタが続くはずもないのだ。でも、ファンは尾崎の言葉を待っている。その言葉はできる限り棘をもたなくてはならない。凡庸なメッセージはあってはならない。常に攻撃的な姿勢が求められる。なので、「怒り」の対象を無理やり探さなければならない。大して気にも留めていないことを、さも仰々しく語らなければならない。こんなことを言いたいわけじゃないのに。

 10代の3部作は虚像としての尾崎豊である―、とまでは言わないけど、10代のカリスマとして、「常に何かに怒っていなければならない」というのはプレッシャーである。そのプレッシャーが彼の感性を蝕み、そして擦り減らしていったのは事実である。そんなそんな人は癇癪持ちでいられないし、もともと尾崎自身にそんな特性はない。
 ただ、作品に対してはどこまでも真摯であった尾崎、ファンの期待に応えてゆかねば、という使命感から来るプレッシャーは相当なもので、どこかいびつな構造のアルバムであることは、本人も後に認めている。
 ただ、アーティストの生み出す作品が時代を反映するドキュメントとするのなら、苦悩や試行錯誤の跡が克明に記録されているこのアルバムは、尾崎のマイルストーンともなるべき作品である。
 周囲スタッフに演出された初期の作品、そして20代ですでに老成の域に達したような後期の作品、どちらともリンクはしない。どこか居場所のない、どこにも嵌めるところのないパズルのピースは浮いたままだ。
 でも、尾崎のファンだったら決して通り過ぎることのできないアルバムである。


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1. 核 (CORE)
 1987年に12インチ・シングルの形態でリリースされた、2年ぶりのシングル。オリコン最高2位にチャートインしてるくらいだから、かなり期待値が高かったことが窺える。とは言っても、この頃はまだ方向性を決めかねていたため曲が書けず、3年前のストックをベースにして制作されており、完全な新曲とは言いがたい。
 反核フェスで歌われたのが初お披露目だったこともあって、タイトル通りAtomicとCoreのダブル・ミーニングになっているのだけど、歌詞は初期の色彩を色濃く残している。「愛なら救うかもしれない~」からのくだりは10代の尾崎のストレートな叫びが如実に表れているけど、二十歳になった尾崎に期待される言葉ではない。

 真夜中 盛り場 人ごみを歩いていると
 日常がすり替えた叫びに 誰もが気を失う
 殺意に満ちた視線が 俺を包む
 持たれる心を探す人は 誰も自分を語れない

 むしろこういった日常観察・人間観察的な部分に尾崎の本質が強く表れている。
 もう少し落ち着いたアレンジ、ハードなロック・サウンド以外で聴いてみたかった。ピアノ・バラードとブルース・ハープを合わせた導入部は新機軸と期待しちゃったのだけど。押しの強いサウンドに負けじと、尾崎も声を枯らしながらシャウトしており、言葉のニュアンスが伝わりづらくなっている。
 と思ったけど、その言葉に自信がなくなっていたから、敢えてこういったサウンドにしたのだろうか?疑問の尽きないナンバーである。



2. ・ISM
 ソニー時代のバック・バンド「Heart Of Klaxon」との共同アレンジとなっているけど、前述したように大幅なメンバー・チェンジが行なわれており、ギターとサックス以外は新メンバーとなっている。なので、ほぼ別バンドと言っても良い。WANDSみたいだな。
 シンセを排したダルなロック・ナンバーはアダルト・サウンドへ向かうひとつのバリエーションと思われるけど、肝心の尾崎の声が出ていない。伸びが悪く、シャウトとコーラスで乗り切っているけど、どこか流して聴いてしまう印象が拭えない。

3. LIFE
 なので、こういったポップなミディアム・バラードの方がしっくり来る。こちらの方が尾崎も丁寧に歌っている。もはやノリ一発のロックンロールにシンパシーを感じられなくなった尾崎の素顔が垣間見えてくる。

 君を信じてみた 夢を見るために
 耳を澄ましていた 嘘を消すために
 不安の上に 君を重ねて抱いた
 意味を無くした僕の思い かき消し
 僕に背負わせる愛 その罪を
 裁くのが 君という神ならば
 何を捨て 何のため愛すのが 生きること

 「君」という存在にあらゆる意味を込めており、迷いや不信感などネガティヴな感情を吐き出すように紡ぐ尾崎。かつては全面的に信頼していた「君」とただ過ごしたいだけだったのに、その「君」との距離を感じ、そしてわからなくなる。
 それは「大人」へ向かう過程のひとつなのだけど、それをわかっていながらすべてを受け止める域に達するのは『誕生』から。そこに至るまでは、まだ尚早だ。

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4. 時
 レコードではA面ラスト。1.が8分を超える大作だったせいもあるけど、どの曲も長尺であるのが特徴と言えば特徴。この曲も5分弱と、当時の基準で言えば長い方。
 ヴォーカルとしては、これが一番声の伸びも良く、無理なシャウトもない。今後の方向性としてはこの路線が良かったと思われる。こうして聴いてみると、彼のヴォーカルとディストーション・ギターとの相性はあまり良くなかった、というのがわかる。過剰なエモーションが2つ並ぶとクドイんだな、やっぱり。

 何を話せばいい 僕はあの頃より
 少し大人に 憧れているだけさ

 当時まだ二十歳を超えたばかり。すぐに大人として扱うには、まだ若すぎる。大人になるというのは「決意」だけではなく、「経験」も必要だ。成人になってすぐに大人扱いしてしまう周囲も悪いけど、変に分別ぶった二十歳もなんかイヤだ。
 
5. COLD WIND
 『回帰線』期のサウンドを彷彿とさせる、Heart Of Klaxonとのロック・ナンバー。ニューヨーク滞在時に着想を得た歌詞は疾走感あふれ、バンドとのアンサンブルもしっくり来ている。変にメッセージ性を込めるより、こういったノリ一発のシンプルな歌詞の方が、サウンドにはフィットしている。情景描写の卓越さは衰えていない。

6. 紙切れとバイブル
 なので、こちらもオールド・スタイルのロックンロール、あんまり深い意味は込められていない。アルバム構成的には、こういったアップテンポもありだし、そこに過剰なメッセージを織り込まない方が流れ的にも良い。
 ちょっと上から目線的になってしまったけど、やっぱA面の流れだよな、これって。

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7. 遠い空
 「街の風景」の続編的な、日常の他愛ない心象風景を自分なりの視点で切り取った、ライト・テイストのポップ・ナンバー。攻撃的だった10代と比べて、二十歳を迎えた尾崎の視点はどこか優し気。
 シングル「太陽の破片」B面曲としてが初出だけど、ここでは別ヴァージョン。俺的にはアルバムの方が好み。

8. 理由 (わけ)
 当時の尾崎が、そして周囲のスタッフも志向していたサウンドがこれ。壮大なストリングスと控えめなピアノ。オーケストレーションをメインとしたアダルトなサウンドが、果たして尾崎の特性を存分に活かしたものだったのかといえば、「う~ん…」といった印象。

 僕は 君を守るのに
 僕は君の 理由を奪う

 この一節だけで、尾崎の健在ぶりは充分窺える。言葉の礫はなまっちゃいない。ほんとは全部書き出したいくらいだけど、実際聴いて読んでもらいたい。3分程度の小品だけど、ここにこれまでの尾崎が凝縮されている。

9. 街路樹
 ラストはタイトル・ナンバー。シンプルなピアノ・バラードは、徐々にストリングスが入り、最後は大編成コーラスによる大団円。これまでのロック・サウンドとは一線を画した、スケール感あふれる響きはラストに相応しい。
 キャリアをとおしてもヴォーカライズは絶品で、時にシャウトしながら、そして時に言葉を噛みしめるように、強弱がついていてストーリー性を感じさせる。

 足音に降り注ぐ心もよう
 つかめて 街路樹たちの歌を
 見えるだろ 降りそそぐ雨たちは
 ずぶ濡れで 夢抱きしめている君さ

 同世代でここまで書けるアーティストがいただろうか?多分いないはず。どんな苦境であろうと、それが漏れ出てしまうのが尾崎であり、生来の詩人でもあったのだ。






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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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