好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Singer Songwriter : Japan

ご乱心突入前に獲得した、女神の視点 - 中島みゆき『臨月』

20121123213306 本来『生きていてもいいですか』は、いつも通りの恨み節を連ねた、それをちょっと深く掘り下げたアルバムになるはずだった。
 キャリアを重ねるにつれ、ヤマハお仕着せのフォーク歌謡的なアレンジに疑問を呈するようになっていたみゆき。スタジオに入ってただ歌うだけしかしなかった初期とは違い、レコーディングにおけるアレンジやバンド・アンサンブルの重要性を実感するようになっていた。
 同じフォーク/ニュー・ミュージック村のオフコースや松山千春は、いち早くロック的サウンドやアレンジを導入していた。インパクトの強いロック・サウンドと抒情的なフォーク・メロディとの融合が不慣れなせいもあって、曲によっては取って付け足したようなアレンジの曲もなくはなかったけど、世間的には概ね好評を期していた。
 そういった世間の流れをみゆきも無視することができず、『親愛なる者へ』あたりから、レコーディング・メンバーの刷新を図っている。きちんと手をかけて作り上げた歌と言葉を、より多くの人に届けるためには、ある程度のデコレーション、耳触りの良いアレンジは必要である。間違ってはいない。

 ただ、そんな細やかな配慮や戦略をすべて吹っ飛ばしてしまったのが、「うらみ・ます」や「エレーン」、「異国」などのダウナー系の楽曲だった。周りのものを片っぱしから傷つけまくる言葉は鋭く尖り、前述の聴きやすいアレンジをことごとく拒絶した。
 みゆきのダークサイドから吐き出された、絶望的な袋小路と諦念の円環構造は、彼女自身さえも振り回した。中途半端な技巧や小技を使うことを拒み、簡素なアレンジとむき出しの絶唱以外は受け付けなかった。
 楽曲の世界観が憑依したみゆきに為す術はなく、ただただ振り回され続けた。強烈なネガティブの磁場を持つ楽曲群は、みゆきをとことんまで追い詰め、後には何も残らないくらい、あらゆるものを搾取しまくった。
 その後しばらく、みゆきは虚脱状態に陥る。定例の全国ツアーをキャンセルしたのも、この頃である。

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 そんな事情もあったので、ここでしばらく立ち止まっても良かったのだ。
 これまでの音楽的成長を全部すっ飛ばしてしまう、そんな強烈な破壊力を持つ楽曲たち。「世に出てしまった楽曲は、もう自分だけのものではない。聴き手それぞれのものだ」とかつてみゆきは言っていたけれど、それらはあまりに生々しく、プライベートの痕跡が露わになっていた。とても共有できる内容ではない。それらはみゆきの内面に、あまりに迫り過ぎる。
 これ以上は先にも後にも進むことのできない、絶望の袋小路。光はあったとしてもほんの僅か、そしてその光は、決してこちらに届くことはないのだ。

 人前に立つことから一旦離れ、クールダウンすること。まったくの別キャラクターでラジオのマイクの前に座り、とことん無内容におちゃらけること。正反対でありながら、どちらも素顔のみゆきである。健康な精神状態を回復するためには、どちらの作業も必要だったのだ。
 この時期のみゆきは、主に恋愛を中心としたプライベート面でもいろいろあったようで、当時の週刊誌があることないことを書き飛ばしている。いわゆる関係者の証言、事情通が匿名で憶測を語るばかりで、ほとんど裏付けが取れていない記事ばかりだけど、噂に上るような色恋沙汰は、ちょくちょくあったと思われる。まだ20代のうら若き乙女だもの、そりゃ、いろいろあったって不思議はない。
 過密スケジュールによる多忙が要因となって、すれ違いが生じる。そうなると、どの恋愛も長くは続かず、孤独な日常を過ごすことが多くなる。
 ただ、どれだけ満たされた日々が続こうと、表現者とは基本、孤独だ。
 そんなことは、みゆきが一番わかっていたわけで。

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 『臨月』のレコーディングは『生きていてもいいですか』セッション終了からそれほど間を置かず、比較的早い段階から進められた。もともとストックやテーマは山ほどある人なので、素材には事欠かない。ある意味、厄落とし的にチャチャッと済ませたかったのだろう。
 ただ、レコーディングは難航する。のちに「制作に10ヶ月かかったから、『臨月』ってタイトルにした」とコメントを残しており、当時の苦心惨憺ぶりが窺える。
 ツアーの合間を縫って断続的にスタジオに入る、というのが、当時のみゆきのレコーディング・スタイルだった。今でこそ、瀬尾一三が一括してレコーディングを取り仕切っているけど、この頃は曲調やスケジュールに応じて、複数のアレンジャーを使い分けることも珍しくなかった。
 ただ長期ツアーもなく、レコーディングに集中できる環境にありながら、納得ゆくテイクが作れず、作業はたびたび中断する。『臨月』では総勢4人のアレンジャーが参加しており、単純に考えて、最低4回のセッションが行なわれている。いるのだけれど、多分、満足な形になっていないセッションや、世に出ていない没テイクなんかも相当数あったんじゃなかと思われる。
 一気呵成に吐き出した『生きていてもいいですか』とは対照的に、一聴してまとまっており、肩の力を抜いてサラッと作りました的に思われている『臨月』だけど、いやいや産みの苦しみはこちらの方が大きい。

 先行シングル扱いだった「ひとり上手」のリリースが80年10月、で、アルバムが発売されたのはそこからほぼ半年後の81年3月、大きくブランクが開いている。ヤマハからのリリース要請もあって、当時のみゆきは一定のスパンでシングルを切らなければならない立場にあった。従来の歌謡フォークの延長線上にあるサウンドは手慣れたものだったので、この曲を軸に構成していけば、アルバム制作もスムーズに行けたはずなのだけど、そうはうまく事は運ばなかった。
 本来の自分のペースに戻すためには、机上であれこれ考えててもしょうがない。実際に音を出し、合わせてみるのが最も効果的である。アイドリング期間が長く続くレコーディングは、みゆきにとってはある意味苦行ではあったけれど、独りで試行錯誤するよりは、精神衛生的にも気が楽だった。
 「歌」と「言葉」を支えるサウンド、それは互いにせめぎ合うのではなく、どちらも対等のスタンスで引き立て合うことが、最も望ましい。みゆきはセッションを通して、そのメソッドを探しあぐねていた。単に素材をポンと投げ出すのではなく、もう少し距離を置いた、「商品」としての完成度を追い求めて。

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 アーティストが直情的に想いのたけを無造作に吐き出すことによって、「生の叫び」は強い求心力を発し、時に熱狂的な信者を生み出す。しかし、そのさらけ出す熱量は、信者だけに作用するのではなく、アーティスト自身をも焼き尽くし、次第に疲弊させてゆく。そして感動に打ち震える信者は、その次を期待する。さらに強い刺激、もっと赤裸々な内面を求めて。
 習慣性の強いドラッグと同じで、強い刺激への欲求は次第にエスカレートしてゆく。刺激のインフレ度合いは留まるところを知らず、遂には自我をも侵食し、そして燃え尽きる。後には何も残らないことを確認した信者は、次の刺激を求めてその場を去る。その割り切りぶりは、とてもドライなものだ。
 燃え尽きる一歩手前でみゆきは踏みとどまり、そして別の道を歩むことを選んだ。いちアーティストとして、作品の完成度を高める目的なら、完全燃焼しても悔いはなかったかもしれないけど、『生きていてもいいですか』で繰り広げられる世界観は、シンガーソングライターのものではない。ごく普通のアラサー女性「中島美雪」の極私的な叫びは、作品というにはあまりに普遍性に欠けている。そこを追い込んでいっても、作品としては破綻の道しか残されていない。

 『臨月』でのみゆきの作家性は、冷静な観察者としての視点を獲得しようとする過程にある。虚実ない交ぜの体験談を連綿と綴るのではなく、もっと引いた目線に立って、まとまりのある短編小説的な作風に変化しようとしている。
 「中島美雪」の心情吐露が『生きていてもいいですか』だったとすると、ここからのみゆきはプロのソングライター「中島みゆき」としてのメソッド獲得のドキュメンタリーとして見ることができる。
 言葉のナイフの鋭利さは、今までと変わらない。ただ、これまでは直裁的な憎悪や恨みを、皮肉や自虐を交えて叩きつけていただけだったのが、ここでは作家的視点、対象との距離を明らかにしている。
 平易な言葉で綴られた、日常風景の狭間に覗く言葉のあや、または心情の行き違い。ナイフの切っ先はそっと静かに、微笑を交えながら、深く身体に沈む。
 刺されたことさえ、気づかないかもしれない。一聴して、その歌たちは耳触りが良い。でも確実に、そこに込められた言葉たちは、胸中の琴線を震わせる。



臨月
臨月
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中島みゆき
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1. あした天気になれ
 オリコン最高25位を記録したシングル。当時、主に井上陽水を手掛けていた星勝によるロック・アレンジはビート感が強く、ギター・リフも重厚。言葉とうまく拮抗している。トーキング・モジュレーターっぽいヴォーカルのエフェクト処理が、隠し味的なアクセントとして機能している。
 全編的に自虐的な歌詞はネガティヴに取られがちだけど、最後を「あした天気になれ」で締めることによって、『生きていてもいいですか』ショックからの脱却を図ろうとしている。絶望だけを弄んでいたって、ソングライターとしての幅は広がらないのだ。
 そんな絶望の向こうへ進もうとするみゆきの声は、ここでは終始震えがち。それは先へ向かうことへの恐れ、そして気負いだ。

2. あなたが海を見ているうちに
 抒情フォーク調サウンドによる、短編小説的にまとめられた小品。散文的なイメージを羅列するのではなく、緩やかな起承転結を軸にして、映像的な試みが見られる。一歩間違えれば演歌になってしまいそうな様式美的空間を、土着的恨み節にならないギリギリのラインを攻めている。

3. あわせ鏡
 ストイックに抑制されたリズム・メインのアレンジは、松任谷正隆によるもの。リリース当時はユーミン・みゆきの派閥争いが盛り上がっていた頃で、よくオファーを受けたよな、いわば敵陣だもの。頼んだみゆきもみゆきだし。
 
 グラスの中に 自分の背中が ふいに見える夜は
 あわせ鏡を両手で砕く 夢が血を流す

 つくり笑いとつくり言葉で あたいドレスを飾るのよ
 袖のほつれたシャツはイヤなの あたい似合うから

 鈴木茂によるブルース系の泣きのギターとは対照的に、ヴォーカルは乾き、あっけらかんとしている。そりゃそうだ、こんな救いのない歌、鬱々とした表情で歌われたら、こっちの気が滅入ってしまう。
 1.同様、自虐的な内容だけど、ここには前向きな意思や希望はない。むしろ、破滅に向かう過程を自嘲しており、浮かび上がることは求めていない。
 研ナオコっぽいヴォーカルのタッチだし、メロディも歌謡曲だよなぁ、と思ってググってみたら、やっぱり彼女にカバーされていた。ちなみに後年、セルフ・カバー集『いまのきもち』で再演されているけど、そこではもっと研ナオコに寄ったヴォーカル・スタイルになっている。

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4. ひとり上手
 オリコン最高6位を記録した、軽いフォーク・ポップ・スタイルの親しみやすいナンバー。「ベスト・テン」のラインナップの中でも違和感ない、口ずさみやすいメロディは、初期の代表作となる。さり気なく使われているダブル・ヴォーカルは、通底音として流れるアコギのカウンター・メロディと程よく呼応している。

 雨のように素直に あの人と私は流れて
 雨のように愛して サヨナラの海へ流れ着いた

 なんだ?このフレーズ。サラッと書いておきながら、あらゆる解釈を可能とするストーリー性が凝縮されている。自虐的な「ひとり上手」というコピー・ライティングが先行しているけど、ストーリーテリングの卓越さにこそ、この曲の凄味がある。

5. 雪
 早逝した実父を悼んで書かれた、プライベートな側面の強いピアノ・バラード。薄くかぶせられたストリングスが控えめに奏でられ、やや感情的に声を震わすみゆき。これが前作のテンションで歌われたら、もっと過剰な絶唱になるのだろうけど、感情の昂ぶりはその一歩手前で抑えられている。
 
6. バス通り
 ここからレコードではB面。軽いシティ・ポップなアレンジをバックに、流暢なメロディが奏でられる。いつもよりキーが高めに設定され、サビの部分なんかはちょっと高音が苦しそう。肩も凝らないライト&メロウは、オープニングにも最適。

 昔の女を 誰かと噂するのなら
 辺りの景色に 気をつけてからするものよ
 まさか すぐ後ろのウィンドウの陰で
 いま 言われている私が
 涙を流して 座っていることなんて
 あなたは 夢にも思ってないみたいね

 まるでストーカーめいた話をサラッと歌っており、ここだけ抜き出すと怖い歌かと思われてしまうけど、実際は、たまたまバス待ちで喫茶店に入ったところ、昔の男と居合わせてしまう。向こうが気づかないうちに店を出たいけど、外は雨だしバスも来ない。
 みゆきに気づかないまま、男は店を出る。今の彼女と雨の中、肩を並べて駆け抜ける姿を見て、一方的な恋の終わりに気づく。叶わぬ恋心を象徴したガラスの指輪とは、もともと壊れやすいもの。決して成就することはない。そんなことは、最初からわかっていたはずなのに。
 ストーリーテラーとしてのみゆきの側面が強く出ている。

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7. 友情
 『臨月』収録曲の中で、最も鋭い切れ味を持つ、救いのない厭世観が綴られている。
 裏切られた友情から始まる、限りない人間不信、そして自己嫌悪。すべてを投げ出して世間から隔絶してしまうほど、強く開き直れない自分。どこかで人の温もりをもとめてしまう、そして信じたい自分。
 ただ、それを認められる自分も、またここにいる。やけっぱちな自暴自棄に走るのではなく、そういった弱さが自分の中にあることを認め、どうにか折り合いをつけながらやっていこうとする自分=みゆき。以前なら見せなかった側面である。

 救われない魂は 傷ついた自分のことじゃなく
 救われない魂は 傷つけ返そうとしている自分だ

 達観するほど悟っているわけではない。でも、言葉として発することによって、少しだけ前向きにはなれる。そんなみゆきの決意表明が、ここでに刻まれている。

8. 成人世代
 時代風俗の批評眼とライトな皮肉が交差する、シティ・ポップ調アレンジのライトなナンバー。
『生きていてもいいですか』で描かれた厭世観を一歩引いた視点で描き、ライト&メロウ・サウンドで聴きやすくコーティングするのが、『臨月』の初期サウンド・コンセプトだったと推察すると、この曲を含むB面楽曲中心に、アルバムは構成されたのだと思う。とっ散らかってバラエティ色豊かなA面に対し、B面の方がまとまりがあるし。
 
9. 夜曲
 感傷的なハーモニカで幕を開ける、しっとりしたバラード。ラストという配置や曲調、歌うたいとして生きてゆく決意のあらわれから、次作『寒水魚』収録「歌姫」とのリンクを連想させる。
 感情の爆発やねじれた厭世観を刻み込む歌もあるけど、ほんとに歌いたいのは、聴き手の感情の琴線を震わせる歌。誰かを傷つけたり傷つけられるのではなく、そういった想いもすべて包み込んで受け入れる、女神の視点。
 そのメソッドを獲得するため、ここに至るためには、一度、情念の澱を吐き出さなければならなかった。不完全なアルバムではあるけれど、この境地に至ることができたことで、みゆきのソングライティングはパーソナルな視点からの脱却を果たす。






相聞
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中島みゆき
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21世紀のみゆきと夜会の収支バランスについて - 中島みゆき 『短篇集』

51Q3dp9+CUL 2000年リリース、みゆき28枚目のオリジナルアルバム。オリコン最高7位、トータル売り上げは188,000枚。80年代は常時30万枚以上がアベレージとなっていたみゆきだけど、90年代に入ってからはほぼこの辺のインシャルで落ち着いており、大きなアップダウンもない安定したセールスになっている。
 「地上の星」収録アルバムなので、そりゃバカ売れしたんだろうなと思われがちだけど、案外そうでもない。もはやその程度の話題では動ずることもない、逆に言えば、特に話題がなくても指名買いが多い、安定した売り上げを見込めるポジションにうまく移行した、という方が正解だろう。同世代でここまでコンスタントに、そして安定したセールスを保ってるアーティストは、そうはいない。
 デビューから長らく所属したポニーキャニオンを離れ、新たに設立されたレコード会社ヤマハ移籍の第1弾となっているけど、要はキャニオン内のフォーク/ニューミュージック部門アードバーグが業務移管した形であり、要は丸ごと買い取った、ということ。これまでマネジメント業務のみ行なっていたヤマハが、さらなる収益効率化のため、せっかくだから出版もまとめちゃおう、という大人の事情が絡んでいる。

 後世で例えられる「ご乱心期」の80年代を通過、90年代を迎えた「円熟期」のみゆきの活動は、ほぼ夜会を中心にスケジューリングされており、その間にアルバム制作と小規模ツアーを挟むことで成り立っていた。あ、あとラジオと。
 「通常のコンサートとは違う表現手段」を模索してゆくことでスタートした夜会は、公演のたびスタイルが変わっていた。既発表曲で描かれたテーマをいくつか抽出し、緩やかな散文スタイルのストーリーに沿って、シーンごとにフィットする楽曲を散りばめたひとり芝居が、初期夜会の基本コンセプトだった。
 これまで慣れ親しんできたヒット曲を違う解釈で、また長くアルバムに埋もれたままだった隠れ名曲にスポットライトを当てたりなど、ルーティンの新譜プロモーション・ツアーでは難しいことにもチャレンジできるのが、夜会のメリットだった。まさか「キツネ狩りの歌」や「わかれうた」をあんな風に演じるだなんて、作者であるみゆきしか許されないことだった。
 「コンサート」と「演劇」との融合を目指していた初期スタイルから、回を重ねるにつれて「演劇」の比重が大きくなり、明快な起承転結が形作られてゆくようになった。自然とこれまでのストックだけでは足りなくなり、ストーリーが新たな楽曲を希求し、またその逆もあって、という無限増殖のループ。ストーリーの骨子が強固になるのと比例して、次第に舞台装置も大掛かりになっていった。
 当然、ひとり芝居では追いつかなくなり、必要最小限ながら共演者も増えてゆく。最新の夜会『橋の下のアルカディア』なんて、ほぼ 中村中とのダブル主演だったし。

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 初期は既存曲のリアレンジや新解釈が多かった夜会だったけれど、通算7作目となる『2/2』からは書き下ろし楽曲がメインとなり、以後、その状態が続いている。
 それまで手持ちのカードを組み合わせてストーリーを作っていたのが、『2/2』では通用せず、まっさらな状態から創り上げなければならなくなった。それは創作者としてはひとつの成長であり、乗り越えなければならない堅牢な壁だったのだ。
 舞台で演じられるストーリーの構成要素として作られた楽曲なので、基本、ライブで演じられ味わうものである。演者やスタッフの汗と熱意、会場のリアルタイムの空気感が相まってこそ、最高の効果が得られる類の作品なのだ。
 なので、テープに記録され、アルバムにまとめるために作られたものではない。どれだけ良い楽曲だったとしても、ストーリーの脈絡を無視してそこだけフィーチャーして単体で聴いたとしても、魅力は大きく目減りしてしまうのだ。基本、劇中歌を前提として作られたモノなので、一曲単体では本意が伝わらないモノも多い。
 それでも単体で成立しそうな楽曲は、新たなアレンジでレコーディングされたり、90年代夜会の集大成と言える『日-WINGS』『月-WINGS』によって音源化されている。いるのだけれど、それらは夜会を生で見れなかった大多数のファンが補完作業的な意味合いで聴くものであって、当初から音源化を前提として制作されるオリジナルアルバムとは、ベクトルが大きく違っている。
 DVDや企画ライブ『夜会工場』にて、ビジュアルによるパッケージ化が行なわれているので、そっちを観た方がずっとわかりやすい。多分、夜会のサウンドトラックも誰かが企画しているんだろうけど、やっぱ音だけじゃ伝わらない面が多い。それにCDだったら軽く2枚組になっちゃうし、とても映像ソフトより枚数が捌けるとは思えない。

 当初、「3年でひと区切りつけるつもりだった」はずの夜会は、公演ごとにクオリティは向上し、比例してプロジェクト・スケールも大きくなっているのだけれど、立ち上げ当初から課題となっているのが、その収益性である。
 ひとつの夜会プロジェクトが終わった時点から、次のプロジェクトの準備は始まっている。アバウトな構想だけなら、もっと前から思いついていたのかもしれない。ストーリーの立ち上げと並行して、楽曲も新たに書き下ろしてアレンジとリハーサル、並行して必要な舞台装置・キャスティングの発注も行なう。さらに同時進行で会場も押さえなければならない。以前ならシアター・コクーン、近年は東京と大阪の2ヶ所だ。
 あらすじが決まって脚本も大方できあがり、何ヶ月も前から稽古が始まる。当然、演じてるうちに変更は生じるし、新たなアイディアだってどんどん取り入れる。サウンドトラックもリハーサルのたび、またプロットの変更によってアレンジやら歌詞やらも変わってくるし、まるまる差し替えのケースだってある。舞台初日が近づくにつれ、アップデートの頻度も次第に増えてゆく。
 悲鳴と怒号が飛び交うドタバタを経て、どうにか幕は上がる。毎回1ヶ月程度、それ以上は行なわない。収益を考えれば、「キャッツ」や「ライオン・キング」ばりの長期公演をやった方が得策だし、実際、それだけの集客力を持つコンテンツではあるけれど、そうなるとみゆきを始め、演者・スタッフの気力体力精神力が持たない。マンパワーへの依存度が大きい舞台公演は、劇団四季のような専業じゃないと、ロングランは難しい。

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 ジャニーズ並みにチケット入手が困難な夜会は、どの会場も共通して収容人数1000人強である。基本、演劇的要素の多い舞台のため、必然的に小規模ホールでの開催になるのは、やむを得ないところではある。
 あるのだけれど、ドームやアリーナ・クラスなど、大規模公演が可能な音楽コンサートに比べれば、コスパは非常に悪い。収益性の低さの要因のひとつである。まぁもともとみゆき、武道館クラスの会場でやったことはほとんどない。
 赤字補填策のひとつとして、ライブ会場での関連グッズ販売は大きな収益の柱となっており、みゆきも夜会も例外ではない。通常のコンサートと違って、チケット価格も比較的高額設定となっている。DVDやブルーレイ販売、近年は映画上映も行なわれていたり、あらゆる手段を講じてはいるけれど、それでも収支的には厳しいものがある。
 おそらく、みゆき/ヤマハからの持ち出しも相応にあるんじゃないかと思われる。

 ヤマハにとってみゆきは筆頭アーティストであり、一種の象徴、そしてもはや「生きる伝説」的な存在でもある。
 デビューのきっかけとなったポプコン以来、操を守るかのように、他のプロダクション移籍や独立に色目を使うこともなく、ヤマハ一筋にやってきた。コンスタントなリリーススケジュールを守ることによって、毎年確実な収益をもたらし、赤字は出さないようにやってきた。確かに夜会単体では赤字だろうけれど、CD売り上げを含めた連結決算では、充分利益貢献になっている。
 まぁ、みゆき単体で見ればの話。ただこれがもっと広い目線、ヤマハという企業全体で見れば、話は違ってくる。

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 80年代に入ってからのヤマハは、基盤事業である楽器販売が徐々に下降線をたどっていた。積極的な購買層である中~上流層家庭にほぼピアノが行き渡ってしまい、需要は頭打ちとなった。90年代前後から、収益の柱になるはずだったエレクトロニクス部門は、先見の明こそあったけれど、肝心の販売戦略での出遅れが後発他社のリードを許し、経営不振が長らく続いていた。バイクブームも終わってたしね。
 21世紀に入ってからは、経営合理化策として、多岐に渡っていた事業内容を一旦整理、事業内容のスリム化によって、収益構造の改善を図った。音楽部門もその例外でなく、従来の著作権管理とマネジメントに加え、出版事業をも内製することによって、利益率向上を図った。ヤマハ・レーベルの誕生の経緯である。

 レーベル立ち上げを機に、みゆきは取締役として名を連ねることになる。論功行賞的な意味合いももちろんあるだろうけど、社内では強烈な存在感を放つみゆきである。恩師である川上源一以外、誰も逆らうことはできない。
 みゆきが銀行団や弁護士と折衝したり、バランスシートと首っ引きになってる姿はあんまり想像できないし、またあんまりしたくもない。まぁそこまでガッツリ経営に関わっているわけではないだろうけど、経営陣としては率先垂範、単なる一所属アーティストではないのだから、これまでより予算の使用明細やコスト圧縮に関心が向かわざるを得ない。
 少なくとも、運営的にマイナスになるものは作れない。ポイントゲッターとしては、それなりの結果を残さないと、後進たちに示しがつかないし。

 経営判断として悪く言っちゃえば、夜会プロジェクトは金食い虫的存在であり、マイナス要因である。公演単体では完全に赤字、関連グッズ販売でリクープしなければ、収支が合わせられないのだから。
 ヤマハの企業風土として、文化事業への積極的な投資は賞賛されるところではあるけど、経営側の立場に立ってしまうと、見なければよかった面も見えてしまう。クリエィティヴな作業の遂行に雑多な要素はいらない。パトロンは金だけ出して芸術作品の完成を待つだけ、口を出してはいけないのだ。
 ブルジョアジーとプロレタリアート両面を併せ持つ途を選んだ21世紀のみゆきは、その両立を図るべく労を執ることになる。

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 ヤマハの立ち上げスタッフの一員として、「ここらでいっちょ、デカい花火を打ち上げとかないと」と思っていたかどうかは不明だけど、NHK新番組のテーマ曲のオファーは特大サイズの花火だった。「NHKが求めるみゆき像」を念頭に置きながらも、そこには収まりきれないスケール感と普遍性を内包しているのが「地上の星」である。並みのアーティストなら、一生に一度か二度、書けるかどうかのレベルの楽曲を、クライアントの意向を遥かに超えて、しかも「狙って」作っちゃうのだから、底なしのバケモノだよな、やっぱり。
 静かに、そして同時に強烈なカロリーを放つ熱に触発されたNHK側も、やたら気合いの入ったオープニング・タイトルを製作している。双方の世界観とニーズが一致して、番組も楽曲も大ヒットとなった幸運な事例である。

 90年代のみゆきのアルバムは、コンセプチュアルなものが多かった。みゆきの意識/無意識がそうさせていたのか、どのアルバムにも夜会的なメソッドが持ち込まれ、戯曲的な構成、一種の組曲的な楽曲のセレクト・配置が行なわれている。どの楽曲もみゆきの厳しい自己ジャッジを経ての産物ではあるけれど、前述したように、アルバム総体の流れをつかまないと感情移入できないものが多いのも、また事実。好きな曲だけシャッフルして聴くというスタイルには馴染まないのだ。
 ライフワークとなっている夜会ゆえ、完全に切り離して考えることはできないけど、ヤマハ移籍以降のアルバムは夜会とのリンクが少し弱まっており、楽曲単体で充分完結しているものが多くなる。
 『短編集』というタイトル通り、どこから聴いても違和感なく、あまり肩の凝らないラインナップが揃えられている。なので、逆に「地上の星」だけ妙に浮いているというパラドックス。冒頭からついついかしこまってしまう構成になっているけど、あとは結構サラッと作りましたよ的な楽曲が並んでいる。
 でも、ラストを締めくくる「ヘッドライト・テールライト」。これはここにしかハマらないよな、やっぱ。


短篇集
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中島みゆき
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1. 地上の星
 先行シングルとしてリリースされた、言わずと知れた21世紀みゆきの代表曲。恐らく30歳以下の世代にとってのみゆきとはこの曲であり、または「糸」か「ファイト!」ということになるのだろう。
 「プロジェクトX」のプロデューサーの初期構想は、高度経済成長期の日本を支えた名もなき功労者へスポットライトを当てること、輝かしい歴史ではなく、挫折や失敗をも含めた地道な積み重ねのプロセスを、極力演出を介せず活写することだった。代表者やリーダー独りの力で成し遂げられることなど、たかが知れている。エジソンだって山中教授だって、突き詰めていけばチームの一員でしかないのだ。
 この曲のハイライトとして語り継がれているのが、古川昌義による間奏のドライヴィング・ギターソロ。荘厳なサウンド・デザインにアクセントをつけるが如く、まったりまとめ過ぎてしまった調和を突き破るかのような、派手に力強いエモーショナルなプレイを披露している。終始朗々としたヴォーカルのみゆきに拮抗するためには、このくらいの力技が必要だった。
 先日、「関ジャム」に出演した古川によると、プロデューサー瀬尾一三が数名のギタリストに個別に弾かせ、彼のプレイが最もフィットしていたため、収録に至った、とのこと。それだけ、この曲が周到に作り込まれていたことを現わすエピソードである。瀬尾一三恐るべし。

 名立たるものを追って 輝くものを追って 人は氷ばかり掴む

 どんな形にせよ、誰もが何がしかの成功をつかむため、人は汗を流し、考えを巡らせる。もしつかめたとしても、それは必ずしも永遠のものではない。
 それが本当に望むべくものだったのかどうか。もし違っていたとしても、それが本物だと信じたいのだ。
 築き上げたものが、実は別モノだったとしたら―。
 アイデンティティは、いとも簡単に崩れ去ってしまう。
 聴くたび、いつも引っかかる言葉。いつもそこで立ち止まる。



2. 帰省
 名もなき民たちへの視点は続く。企業戦士たちは、人のひしめく都会でサヴァイブしてゆくため、「機械」になることを自らに課する。前を向いて進む者にとって、感傷とは歩みを止めるものである。一度立ち止まると、次の一歩を踏み出すに、相応の努力を要する。それなら何も考えず、周りも機械だと開き直ってしまった方が楽だ。
 そんな彼らにみゆきは語りかける。サラッと押しつけがましくなく。
 
 つかの間 人を信じたら
 もう半年 がんばれる

 かつて20代のみゆきは「異国」の中で、「あたしはふるさとの中に入れない」と露悪的に歌った。もう少し感傷的な「ホームにて」で描かれた「ふるさと」は、夢破れて都会を去る者にとっての避難場所だった。
 ここでの「ふるさと」もまた、一種の逃げ場所ではあるけれど、その期間は決まっている。帰省が終わると、再びホームグラウンドに戻って戦わなければならないのだ。
 20年前は「帰る場所」だったのが、今では「ちょっと休む場所」となった。もう帰る場所は「ふるさと」ではなく、「今ここ」なのだ。
 オリジナルは由紀さおり・安田祥子姉妹に提供したもの。

3. 夢の通り道を僕は歩いている
 カントリー・フォーク調の隙間の多いサウンドは、古くからのファンにとっては聴いてても疲れないので、心地よく聴ける。みゆきのヴォーカルもサラッと脱力感が漂っており、それでいて内に秘めた説得力が前面に出ている。変にがなり立てる歌い方より、こっちの方が好きなファンも多いはずだ。
 1番では夢の通り道を「歩いている」のだけど、2番の終盤リフレインでは「追っている」に変わっている。はっきりしたビジョンが見えず、ひたすら前へ進むだけだったのが、夢の実像を捉えたことによって、目的は具体的となり、逡巡していた想いは前向きになった。
 決して「がんばれ」など鼓舞させる言葉も口調も使っていないのだけど、この力の抜けようによって前向きになってしまう、奇妙な味わいの曲。

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4. 後悔
 トップ3曲はいわば1.を主題とした連作短編といった味わいだったけれど、ここで一転して、パーソナルな男女関係を描いている。ここではいわゆる紋切型、ステレオタイプの中島みゆきが描かれている。「真夜中のフライト」や「窓のサフラン」からレトリックを推理するのはそれぞれの解釈だけれど、正直、使い古されたテクニックでもある。昔ながらのみゆき像を求めるのなら、まぁ古いファンにとっては懐かしいだろうし、「恨み節」のイメージしかない新規ファンにとってはわかりやすいんだろうけど。
 ラストの絶叫が話題となったけど、まぁそれもあんまり。
 俺的にはピンと来ないのだ。何で今さら?って感じで。

5. MERRY-GO-ROUND
 タイトル通り、メリーゴーラウンドのSEから始まる、おとぎ話っぽさの漂うワルツ。大抵こういった曲調の場合、ソフトには聴こえるけど歌詞は結構辛辣だと相場が決まってる。「キツネ狩りの歌」なんて典型的だし。
 いつまで経っても距離が縮まることのない、堂々巡りの恋愛を、わかりやすい「恨み節」で表現していた頃のみゆきはもういない。サラッと歌い流せてしまうくらい強くなったのか、それとも超越してしまったのか。

6. 天使の階段
 「さよならの鐘」を彷彿させる鐘の音のSEから始まる、讃美歌のパロディ的なナンバー。深い深いエコーに彩られた重厚な音の塊は、まさしくウォール・オブ・サウンド。あそこまでリズミカルなわけじゃないけど、神々しさは感じられる。
 単純な言葉を組み合わせた、シンプルに歌われている曲だけど、シンプルな分だけ思わせぶりな、あらゆる解釈を許容してしまう歌詞が印象的。深く掘ったら切りがなさそうだな。
 夜会Vol.11「ウィンター・ガーデン」で使用された楽曲だけど、どんなシーン設定だったのかは不明。ていうか、これって単品発売されてなかったんだ。どうして?

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7. 過ぎゆく夏
 コード進行もヴォーカルも、もちろん歌詞もまるっきり拓郎そのもの。リスペクトなんてレベルじゃない、本人がそのまま憑依した仕上がりになっている。しかもそれが単にモノマネやコピーじゃなくって。

 過ぎゆく夏のたわむれに 君を惜しんでしまおうか

 帰らぬ者よ 袖振る者よ 熟さぬ酒を酌み交わせ

 いずれも、いつものみゆきのセンテンスにはない言い回しである。1行目こそみゆき的ロジックで、拓郎視点を通して描いているけど、2行目なんてもう、みゆき視点すら消え失せて、拓郎そのまんま。「酒を酌み交わす」なんてワードは聴いたことがない。
 この瞬間、みゆきは拓郎を自家薬籠中のものとしている。先達である拓郎さえも取り込んでしまう女の恐ろしさよ。

8. 結婚
 みゆきとしては珍しく直球勝負のタイトルだなと思ってたら、全然違ってた。世界文学全集の、例えばサマセット・モームあたりが書いた珠玉の短編と言った味わいが残る。アルバムタイトル通り、ほんとうまくできた短編といったシメ。オチを書くと面白くないので、あとは自分で聴いてみて。

9. 粉雪は忘れ薬
 5.で書き忘れたけど、こちらもリズムセクションがRuss Kunkel (D)とLee Sklar (B)という豪華メンバー。全盛期のCarole Kingを支えた2人である。そんな思い入れもあったのか、みゆきのヴォーカルも情感たっぷり、しかもベタベタになる少し手前で抑えている。終盤のフィルインから、この2人の名人芸を堪能するのもまた一興。ストリングスもドラマティックで圧倒的。ここだけ聴くだけでも価値がある。
 
 粉雪は忘れ薬 すべての心の上に積もるよ
 粉雪は忘れ薬 些細なことほど 効き目が悪い

 「深い雪がすべてを掻き消してくれる」というのは、古い歌で多用されるレトリックだけど、「雪をなめるな」という北国の格言どおり、雪かきしてる間は必死そのもので、余計なことなんて考えられるものではない。些細な粉雪だと、除雪の心配もないので、つい余計なことを考えがちである。で、気づいたころには手遅れなくらい降り積もってたりして。
 北海道の中途半端な田舎にいると、それがよくわかる。雪がロマンチックだなんてのは、南の国の寝言なのだ。

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10. Tell Me, Sister
 ちょっとゴスペル入ったアメリカン・ロックだな、と思ってたらドラムがVinnie Colautaだったという衝撃。Frank Zappaのバンドがキャリアのスタートだったことから察せられるように、バケモノのような人である。
  
 自分が嫌いだった 何もかも イヤだった

 近年のみゆきにしては珍しく、自虐的でネガティヴな独白から始まるこの歌、あっけらかんとした口調なので、最初はあまり気にならないけど、やはりこういった時の彼女の言葉は次第に重みを増してくる。
 姉的存在の年上の友人は、自分にないものすべてを持っている。持ってはいるけど「何もない」と微笑むばかり。その彼女も今はもういない。
 すべてを持ってはいても、それが彼女にとって価値のあるものだったのか。キレイだとか人に好かれるという要素は、確かに持っていれば生きやすいけれど、そこからどこへ行けばいいのか。
 彼女はもういないけど、みゆきはまだ生きている。彼女ほど持ち合わせはないかもしれないけど、生きていればいつかは持てるだろうし、それを励みに生きていける。死んでしまえばそこで終わりなのだ。
 最後にちょっとした含みを持たせるあたり、ほんとモームの短編といったところ。

11. ヘッドライト・テールライト
 ラストを飾るにふさわしい、締めの曲として有無を言わせない存在感を放っている。

 ヘッドライト・テールライト 旅はまだ 終わらない

 淡々と、でも力強く繰り返されるリフレイン。前で照らされているのは、茫漠とした夢。はるか後ろで揺蕩うのは、遠すぎる分、希望にあふれた夢。
 前向きの光は自分が前に進むために、そして後ろへ向かう光は、まだ視ぬ後進への道標として。
 その光は、前を向いて進む者に、分け隔てなく照らされる。
 英雄にも、そして名もなき民にも。




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20代尾崎の中間報告 - 尾崎豊 『誕生』

folder 1991年リリース、前作『街路樹』より2年ぶり、5枚目のオリジナル・アルバム。今どき2年くらいなら普通のリリース間隔だけど、この時期の尾崎は表舞台に出ることが極端に少なかったため、「待望の」「久々の」という形容詞付きで紹介されることが多かった。
 その2年の間、覚せい剤所持・逮捕による謹慎と、何かとトラブルの多かった前事務所からの移籍に絡んだブランクもあって、「尾崎っていま、何やってんの?」といった扱いだった。かつて尾崎は時代を先導していたはずだったけど、ちょっといない間に時代はずっと先に行っていたのだ。
 そういった事情もあってか、楽曲のクオリティ・詳細云々より、まずは久々の現場復帰ということで騒がれ、次にまさかの大作2枚組というインフォメーションなどが先行して報ぜられた。なので、言ってしまえば音楽的には二の次、これまでまともに論ぜられたことが少ない、何だか不遇なスタンスの作品である。
 待望していた古巣ソニーへの復帰が叶ったこと、加えて契約更改にまつわるブランク期間を持て余していた尾崎であった。まぁそんなこんなで外出できる時間も減っていたため、必然的に創作活動に向かわざるを得ず、張りきり過ぎちゃったがあまりの、まさかまさかの2枚組になってしまった次第。

 古株のファンだけじゃなく、スタッフも含めた業界内にとっても待望の復活だったのだけど、それもあって一種の祝祭的ムードもあったのだろう。いくら満を持しての復活だったとはいえ、普通の営業サイド的な対応だったら、曲数を絞ってコンパクトに1枚にまとめるよう進言するはず。普通だったらね。ただ、通常の年間計画に沿ったリリースではなかったし、せっかくならサプライズ的な演出や話題を欲していた部分もあったのだろう。
 「2枚組?イヤ〜最高っす大丈夫っすよっ」ってな感じで、ゴーサイン出しちゃったんだろうな。
 そんな前評判が盛り上がっていたおかげもあって、2枚組だというのに軽々とチャート1位を獲得しちゃっている。もちろん、営業サイドによるプロモーション攻勢、それに基づくメディア挙げてのプッシュの結果ではあるけれど、それを単なるルーティンで終わらせるのではなく、関係者各位をその気にさせてしまう熱量は、やはり時代のカリスマたる所以である。

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 チャート1位は獲得したけれど、肝心の内容・詳細を深く掘り下げたメディアはごく少数だった。
 前述の覚せい剤使用は業界内に大きな波紋を呼び、特に音楽雑誌のほとんどは、尾崎に関するニュースや記事の掲載を、まるで申し合わせたかのように取りやめていた。本来なら、音楽雑誌こそが先陣を切って、批判なり擁護なりを取り上げるべきなのに、メジャー雑誌のほとんどは沈黙を守っていた。まるで「尾崎豊」という存在を抹消するかのように。尾崎の話題を積極的に取り上げるのは、スキャンダラス性を優先した女性週刊誌や写真週刊誌ばかりだった。
 そんな中で唯一、尾崎の特集を緊急掲載したのが、邦楽メディアに本格進出して間もないロキノンだった。当時、編集長だった渋谷陽一は、声高々に「ジャーナリズムの責任放棄」云々を説き、既存メディアの不甲斐なさを痛烈かつロジカルに批判した。
 当時の渋谷陽一は尾崎の件だけじゃなく、「ミュージック・マガジン」や「パチパチ」に何かと噛みついて誌上論争を繰り広げ、相乗効果で発行部数を伸ばしていた。まぁ今にして思えば、新規事業に食い込んでゆくため、ちょっと強引な政策も必要だったのだろう。
 当時は純粋なロキノン信者だった俺は、そんな丁々発止を毎月固唾を飲んで見守っていたのだけれど。まぁ今にしてみればプロレスだよな、要するに。正直、10代だった俺から見ても、半分イチャモン的なバトルもあったわけだし。

 で、謹慎中の尾崎。同じソニー・グループであるはずの「パチパチ」が口を閉ざしちゃったのだから、その影響は計り知れず。『誕生』リリース頃にはその規制も解かれていたけれど、不倫だ独立だ契約トラブルだで、スキャンダラスな面ばかりが喧伝され、せっかく長い時間をかけて築き上げてきたカリスマ性は、大きくダダすべりしていた。
 今にして思えば、「居場所を求めて彷徨い、迷走し続ける姿」もまた、尾崎にとってのリアルな姿であったはずなのだけど、まぁ金がらみや犯罪がらみなど、何かにつけ生臭い話題ばかりが先行してしまったせいもあって、リスペクトしづらい雰囲気があった。
 いっそ開き直って私小説的に、「答えなんてない/永遠に探し続ける」とか何とか言い切ってしまえば、二流のシンガー・ソングライターとして、もう少し長く生きられたのかもしれない。でも、尾崎自身がそういった方向性を良しとしなかったし、一部のメディアや熱烈なファンもまた、そんな赤裸々な姿を潔いと崇めていたフシがある。
 カリスマゆえの悲劇だよな。

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 「尾崎信者」と揶揄された熱狂的なファンは、彼と同世代かちょっと下、いまのアラフィフ世代が中心だった。言っちゃえば俺のこと。だって、中3の春に「卒業」に出会っちゃったんだもの。多かれ少なかれ、この世代は尾崎のライフスタイルの影響下にある。就職や進学の節目を迎え、大人の階段をのぼるかのぼらないか、そこへ足を踏み出すのに躊躇したり、または踏み出さざるを得なかったりして。
 80年代後半は、尾崎だけじゃなくBOOWYやブルーハーツなど、その後の日本のロックの礎となるカリスマが次々に生まれた時代である。もちろん彼らだけが絶対的存在ではなく、カリスマ性はなくともアクが強い・押しが強い・個性が強い・クドいなど、百花繚乱である。当然、どのアーティストも一家言持っていたり持っていなかったりで、思想やコンセプト、メッセージ性も違ってくる。
 なので、この世代をたったひとつの価値観、OZAKI的視点だけで括ってしまうのは、相当無理がある。あるのだけれど、ある固有の年齢層に向けて発せられたメッセージ性・人生観の転換という点に絞れば、「尾崎豊」という現象は強い影響力を有していたのだ。
 まだ知恵も経験も少なく、何かにつけ未熟で青臭いティーンエイジャーにとって、同世代の彼の一挙手一投足は、理想像の自己投影であって反面教師であり、一部の人にとっては生きる指針でもあった。尾崎によって人生観を定義づけられた人、またレールを外れてしまった人は相当多い。
 以前もちょっと書いたけど、俺世代のオラオラ系・「昔ヤンチャしてました」系の人たちのカーステでの尾崎率・ブルハ率は相当高い。これがもうちょっと枯れちゃったりすると浜省に行き、変に日和っちゃったりするとEXILE系に行っちゃうのだけど、まぁそれは別の話。

 「10代3部作」なんて総括してしまったのは後づけであって、ソニーが最初から綿密に成長ストーリーを描いていたわけでは勿論ない。さだまさしをリスペクトしていた新進フォーク・シンガーにちょっとロック風味のサウンドの意匠をかぶせたところ、思惑以上に盛り上がっちゃったので、スタッフサイドが泥縄でくっつけた方便である。もともとは尾崎の本意とは別のところで形作られたものであって、クリエイティブ面での必然性はまったくない。
 本来なら、「尾崎豊」という将来あるアーティストにとって、「10代特有の苦悩」とは単なる通過儀礼だったはずだ。それが周囲の思惑を超える反響で「現象」化してしまい、それをまたメディアが煽るものだから、業界内外に狂信的なファンを産み出してしまう。そうなると尾崎もそんな期待に応えざるをえず、通過儀礼がいつの間にかライフワークになってしまったわけで。
 いっそビジネスと開き直って、「永遠のティーンエイジャー」を演ずるのもよし、それかもっと肩の力を抜いて、年齢相応のテーマを歌うシンガー・ソングライターへと移行してゆくのもよし。アーティストとしての寿命を考えるのなら、そんな選択肢もあったはずだ。まぁ前者だったら、多分時代の徒花として消費され、とっくの昔に消えていただろうけどね。

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 ただ二十歳を迎えた尾崎、そんな安易な自己模倣を繰り返すことは望まなかった。馴染みのファンが快く歓迎してくれる、生暖かい世界。それはそれで居心地が良かっただろうけど、でもそこは長く留まるところではないのだ。
 彼は10代の自分を清算し、決別して前へ進む途を選んだ。そしてまた、これまで着いてきてくれたファン達と共に、次のステップへ進んで行くことを目指そうとした。
 尾崎は同世代のオピニオン・リーダーとして、「共に成長しよう」と呼びかけようとした。かつて批判し乗り越える壁であったはずの「社会」や「大人」とも、闘い抗うのではなく、対等の立場でコミットしてゆく途を選ぼうとした。
 ただ、ここでひとつの疑問。
 -「人間は常に成長し続けなければならない」って、一体誰が決めた?

 で、もうひとつ。
 - 成長し続けたとして、それが一体、何だというの?
 どちらも正解のない問いである。むしろ、そこに至るためのプロセスが重要である種類の設問である。冷静に考えればこういうのって、「結局は人それぞれ」という結果に落ち着いてしまうのだけど、きちんとした模範解答を探しあぐねていたのが、当時の尾崎である。そんな模範解答の中間報告として、持って回った言い回しやめんどくさい思想を並べ立てて、相対的な価値観を提示したのが、この『誕生』という作品集である。
 哲学・思想用語からインスパイアされた言葉は抽象的で、ごく平凡な日常を送る大多数の10代にとっては、縁のないものばかりである。シンプルな事象を複雑に描写することが、当時の尾崎が思うところの「成長」だったのだろうか。そして、それを咀嚼し理解することが、信者としての務めである、と思われていたのだ、ごく一部では。
 ただ、誰もがロジカルで完璧な論理を知りたいわけではない。我々は大学教授の講義を聴きたいわけじゃないのだ。
 理性よりまず先に、感情を揺さぶる言葉と歌、そして「あっ、これイイね」という、脊髄反射的に心惹かれてしまうメロディ。ポップ・ミュージックの世界では、それらが最も重要であるはずなのに。
 多分、そんなことは尾崎もわかっていたのだろう。わかってはいたのだけれど、そのメソッドが見つからないでいる。ここで発表されている言葉はすべて、かりそめのものばかりだ。ここで発せられる言葉の多くからは、自信を持って断言できない迷いが浮かび上がっている。
 伝えたい言葉はこれじゃない。次はもっと、伝わりやすい形を目指そう。最高傑作は次回作だ、と誰かが言ってたじゃないか。
 そのつもりだったのだけど。


誕生
誕生
posted with amazlet at 17.06.25
尾崎豊
ソニー・ミュージックレコーズ (1990-11-15)
売り上げランキング: 34,016



1. LOVE WAY
 アルバム・リリース直前、ほぼ前触れもなく発表されたリード・シングル。復帰第一弾ということもあって世間の注目を集め、マイナス・イメージが蔓延していたにもかかわらず、オリコン最高2位をマーク、売上的には復活をアピールした。したのだけれど、正直、戸惑うファンが多かったのも事実。取りあえず久しぶりの音源ということもあって、迷わず購入した人も多かっただろうけど、聴いてみると「何か違う」感が微妙に引っかかっていたのが、俺の私見。
 散文的に吐き出された歌詞の密度は、ひたすら濃い。確かに巷で言われているように、彼の歌の中では最も難解だし、ヘビロテするにはちょっと胃もたれする。後期尾崎にとっての代表曲ということも、うなずけるクオリティ。
 膨大な情報量を一曲に詰め込んだ、という見方もできるけど、実のところはどのセンテンスも示唆が優先し、文脈的にはかなり破綻していることに気づかされる。サウンドのハードさ、ヴォーカルの熱量によって、つい勢いで「深い言葉」と納得してしまいそうだけど、次々生まれ出てくるイメージの断片を具体化できず、乱雑にまとめてしまったが故の産物がここにある。
 フレーズひとつひとつ、言葉の刃の切れ味は凄まじい。ただ、それらの言葉はバラバラに作用してまとまったベクトルにはならず、それを自覚して苦悶にあえぐ尾崎の姿が刻み込まれている。
 そんな言葉の求心力の不足は、晩年まで尾を引くことになる。



2. KISS
 『回帰線』あたりに収録されててもおかしくない、ステレオタイプのアメリカン・ロック。そろそろグランジが台頭し始めた90年代初頭には古くさく聴こえたけど、いま聴くとその大らかさによって、時代に侵食されることを防いでいる。シンプルなものほど耐用年数が長い、という好例。
 シンプルなロックンロールにおいて、言葉の重みはあまり重要なファクターではないため、ここではむしろ「カバン抱えた企業戦士」「子供たちはイヤフォンで耳をふさいで漫画を読む」など、90年代時事風俗の空気感を味わうのも、楽しみ方のひとつ。

3. 黄昏ゆく街で
 Eddie Martinezのメロウなガット・ギターが印象的な、後期尾崎の代表的バラード。リリース当時は地味な印象としか思えなかったけど、その後のサウンド・コンセプトの軸となるシックなアンサンブルは、この年になるとしっくり馴染む。
 不倫と結婚を通過して得た、青春期とは違う恋愛観は、倦怠感と希望とがシームレスに交差する。
 かつて「I Love You」において、「何度も愛してるって聞くお前は この愛なしでは生きてさえゆけないと」と、直情的な愛をネガティヴに語った。
 しかしここでの彼女は「髪をなでると ぼんやりと僕を見つめてこう聞く ねぇ これでいいの…?」
 熱情の時間を終わりを告げ、恋愛感情よりむしろ、将来の生活を意識しなければならないことを、できるだけ第三者的な視点で活写している。
 一応シングル・カットされており、オリコン最高32位。今だったら映画やドラマの主題歌に使われて、もっと上位も狙えるのかもしれない。いやないか、今どきメディアにそんな力なんてないよな。

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4. ロザーナ
 導入部が「路地裏の少年」っぽく聴こえるけど、考えてみりゃ元をたどればBruce Springsteenか。CCR「雨を見たかい」もこんな感じだよな。どっちにしろ、8ビートにアコギ・ストロークを乗せちゃうと、どれも似たようなテイストになってしまう。なので、リスペクトということにしよう。
 歌詞の内容からいって、時期的に「不倫」というキーワードが浮かんでくるのは致し方ないとしても、でも『誕生』って主題のアルバムにこんな後ろ向きなテーマをぶち込んでしまうとは。
 偏見かもしれないけど、商売的なゲスさが浮かび上がってくる。楽曲そのものはきちんと作り込まれているので、そこがちょっと惜しい。

5. RED SHOES STORY
 再びストレートなロックンロール。オールド・タイプのロックンロールといえば、「金と女とドラッグ」と相場が決まっているけど、ここでは前事務所マザーを皮肉った、金がらみのモンキー・ビジネスを悲喜劇交えて歌っている。まぁこういった題材を取り上げること自体、取りあえず手打ちが行なわれているわけで。ほんとにシリアスに訴えるのなら、それこそ「Love Way」みたいなテイストになっちゃうし。

6. 銃声の証明
 基本、完全な主観か半径5メートル以内の知人友人の体験談を題材に歌を書いてきた尾崎だけど、ここでは自身から最も遠い立場に身を置いて、可能な限り客観的なフィクションとして完成させている。何しろ題材がテロリスト。客観を超えて荒唐無稽とでも表現すべきか。
 そのテロリストの描写があまりにステレオタイプだ、という見方もできるけど、「架空の人物を自身に憑依させる」というメソッドは、ある意味、尾崎の新境地である。こういった制作手法を発展させることができれば、アーティストとしての寿命はもう少し永らえたんじゃないかと思われ。

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7. LONELY ROSE
 フィクションの主観化と並んで、流麗なメロディ・ラインと何気ない情景描写の妙を丹念に織り上げること。後期尾崎の可能性として、ひとつの資金的存在となったバラード。初期アルバムにもこういったタイプの楽曲は収録されていたのだけど、一本調子なヴォーカライズがニュアンスを掻き消してしまっていたのは事実。
 ここでは緩急取り混ぜた、情感的なヴォーカル・テクニックを披露している。アクセントとして、Martinezのギターがうまくウェットな情感を演出している。

8. 置き去りの愛
 で、そのヴォーカル・テクニックが最も如何なく発揮されているのが、これ。時々、西城秀樹と錯覚してしまいそうなほどエモーショナルな歌声は、全キャリアの中でも屈指のクオリティ。歌詞においても複雑な言い回しや言葉は使用されず、非常に歌謡ロック的。前曲に続き、ギターの咽びが感情の揺れを誘発している。

9. COOKIE
 バンド・サウンドを前面に押し出したカントリー・ロックは、へヴィーなテーマが並ぶアルバムの中では小休止的なアクセントとして機能している。いるのだけれど、視点がティーンエイジャーの高さであることが、ちょっとだけ気になる。「俺のためにクッキーを焼いてくれる」彼女への想いと、大人の社会への警句めいた皮肉との対比を狙っているのだろうけど、敢えてこの時期にやることじゃない。その皮肉もかつての手法をなぞった感じだし。

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10. 永遠の胸
 CD1枚目ラストを飾るのは、スケール感あふれる王道ロック。当初、アルバム・タイトルをこれにする案も出ていたらしく、「誕生」と並ぶ「もうひとつの主題」と言い切っちゃっても良い。
 尾崎としては、これまでの紆余曲折の総括としてこの曲を書いたのだろうけど、皮肉にも人生の幕を下ろすには最適の、高いクオリティのセンテンスで埋められている。
 強烈な磁場を持つメッセージ性を内包したタイプの楽曲は、一旦ここで打ち切り、もっとフィクションや情景描写的な楽曲が多くなるはずだったのだろうけど、人間、そこまで割り切れることはできないもの。十代には十代の、そして二十代には二十代の苦悩が終始付きまとう。



11. FIRE
 CD2枚目冒頭を飾る、疾走感あふれるロック・チューン。トップのつかみとして、これでこれでOKなんだけど、「体制に逆らいながら振りかざす 俺が手にもっているのはサーベル」なんて一節が入ってるくらいなので、ちょっと陳腐さが否めない。リリース当時はこうした景気の良いサウンドが好きだったけど、いまの俺にはあまり響かない。年食ったせいだろうな、きっと。

12. レガリテート
 歌謡曲テイストの濃い旋律が、タイトなリズムによってメリハリがつけられている。プロフェッショナルなサウンドで構成されている、二十代の尾崎が目指すところの「大人の音楽」。個人的には好きなサウンド・プロダクションではある。あるのだけれど、歌詞もまた大人テイストを志向したのか、ちょっと抽象的。ドラマティックな恋愛観を直情的に表現するのではなく、ある種の規範をもって抽象的に語るのが大人だというのなら、「それはちょっと」となってしまう。言葉に足腰が入っていないのだ、要するに。

13. 虹
 なので、こういった抒情的な心象風景を淡々と綴っている姿の方が、尾崎の志向・適性には沿っている。確かに新境地的な部分はないけどね。でも、こういった曲もあった方が既存ファンはホッとするし、第一、そこまで難解なセンテンスは求めるコア・ユーザーは少数だ。一体誰だ?「進歩しなくちゃならない」って思い込ませたのは。

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14. 禁猟区
 ダルなブルースに載せて歌われるのは、自らのドラッグ体験。よくこんな歌詞がメジャーの審査に通ったもんだ、と余計な心配さえしてしまいそうになるけど、まだこういった挑発的なスタイルが許された時代だったのだ。
 ちなみに尾崎、罪は罪として受け入れて罰は受けたけど、ここでは特別、ドラッグ使用について否定的ではない。まぁ表だって肯定したり擁護したりするようなことはないけど、ドラッグ使用によって開けた新たな価値観は、それほど強烈なものだったのか、それとも継続的に使用していたのか。

15. COLD JAIL NIGHT
 重厚なメタル調リフのイントロと歌い出しが「愛の消えた街」にそっくり。拘置所での体験がベースとなった歌詞は、まぁやさぐれていること。
 しかし、釈放されて間もなくこんなテーマを歌っちゃうのだから、アウトロー精神ハンパない。「獲得した経験はもれなく使い切る」という創作姿勢は、ある意味潔い。

16. 音のない部屋
 ハードなタッチの楽曲が続いてたので、続けてこれを聴くとホッとしてしまう。「いい曲だなぁ」と思ってしまうのは、ソニー・スタッフの思惑通りなのか。うまい構成だよな。
 「二人の心はひとつ」で締めくくっているけど、ここでの二人の心は終始すれ違いが多く、どちらもあさっての方を向いている。「ひとつである」と思いたいのだ。思いたいのだけれど、でもそんな自分をまだ信じ切れずにいる尾崎がいる。



17. 風の迷路
 黄金パターンで作り込まれたメロディは、はっきり言ってベタ。ベタだけれどやっぱり、日本人にとってはばしばしツボにはまる旋律である。またいい感じに力を抜いたヴォーカル、これも上手いんだよな。
 こういった曲を聴くと、ほんとこの人、歌がうまかったんだな、と改めて思い知らされる。またメロディ・メイカーとして、もっと評価されてもよかったんじゃないかと、今さらになって思う。
 歌詞?ちょっと青臭いけど、いいじゃんわかりやすくって。

18. きっと忘れない
 オールディーズ調コーラスを使用した、サビが印象的なナンバー。このアルバムの中ではもっともポップでハッピーでファニーなムードに満ちている。
 奥さんに捧げたのか、果たして幼い息子に捧げたのか。ネットでは意見が分かれているけど、俺的に正解は両方。「家族」という単位総体に向けて尾崎は歌っており、そして自分にも言い聞かせるように「きっと」と念を押している。

19. MARRIAGE
 素直な結婚賛歌として受け止めるのが、作者の意図であるという俺の私見。素直な口調で素直な言葉を紡ぐ、そういった尾崎がここにいる。
 時代に警笛を鳴らすアジテーターとしての尾崎ももちろん真実だけど、こっちの側面ももちろん真実。ロマンティックな見方だけど、俺はこの歌、「I Love You」の続編だと思っている。

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20. 誕生
 ラストは10分を超える壮大なロック・チューン。前半はビートを強調してリズミカル、終盤の長い長いエピローグでの独白後、ドラマティックなフェード・アウト。
 息子に出会うまでの回想が、走馬灯の如くゆっくりと、それでいて強力な磁場を放ちながら物語を紡ぐ。
 荒れた生活から立ち直る希望として、新たな命への賛歌は、とても力強い。


ALL TIME BEST
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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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