#Rock

好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、目をつぶれ- David Bowie 『Let's Dance』

folder 2016年はいわゆる俺世代、45歳以上の音楽好きにとって、思い入れの深いミュージシャンの訃報が相次いだ一年だった。これまでは、ロックの爛熟期である60~70年代に活動していたミュージシャンが主だったけど、近年になってからは、80年代に活動したアーティストらの名も目に付くようになった。
 波乱万丈な生き方や破天荒な言動を良しとされた昔と違って、アルコールやドラッグに溺れて早逝する者は少なくなったのは、まぁいい傾向ではあると思う。もっとライトな薬物が広く浅く蔓延してはいるけれど、出来上がった音楽に大きな影響があるかといえば、そんなのはごく僅かだ。ほんとに好きなアーティストには、できるだけ長く生きててもらいたいしね。
 とは言っても、ほんとかどうかは定かじゃないけど、合法ドラッグの過剰摂取が未だ取り沙汰されているPrinceみたいな人もいるわけだし、公私の区別が曖昧な立場で活動してゆくためには、何かしら依存する対象が必要になるのだろう。それがセックスだったり宗教だったりの場合もあるけど、ファンはただ応援し、見守るしかないというのが正直なところ。
 そんなプレッシャーに晒されているのは、何も彼らだけじゃない。生きていれば、誰だってそんな壁にぶち当たるのだ。

 年頭のBowieに始まり、俺個人的には最も衝撃的だったPrince、この歳になって改めてE,W & Fの魅力を再発見した矢先のMaurice Whiteの訃報。そこまで強い思い入れはなかったけど、Glenn Frey やLeon Russell 、ELPのKeith Emarson とGreg Lakeの相次ぐ死。鉄腕アトムの印象が強い冨田勲に Bernie Worrell、ちょっと色モノ枠のPete Burnes もこの世を去った。
 そして、まるで年末進行に滑り込んだかのような、George Michael とLeonard Cohen、Pierre Barouhの死。
 思い入れの強弱はあるけれど、今後も逝去するアーティストは増えるだろう。世代交代は確実に進んでいる。

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 だからと言って、その彼らが築き上げてきたかつての音楽業界の隆盛を、新たな世代がそのまま引き継げるかといったら、それもちょっと微妙。かつての爛熟期とは状況がまったく違っている。潤沢な予算と時間をかけてアルバムを作り、それを引っさげてツアーに出て認知を広め、多額の販促費をばら撒いてセールスを伸ばす、といったビジネス・モデルは20世紀で終わってしまったのだ。
 音楽業界が活況の時代は、シングル向けのいわゆるキラー・チューンに加えて、あまり出来の良くない曲で埋め合わせ、販売単価の高いアルバムもバンバン売れてたけど、ダウンロード販売がメインに取って代わってからは、そういった抱き合わせ商法も通用しづらくなった。今の抱き合わせは駄曲ではなく、握手券になってしまっている。ましてやメインの曲さえ聴かれることもなく、握手券さえ手に入れてしまったら、大量にブックオフに売られてるし。

 で、Bowie 。
 彼が亡くなってから、一年が経った。正直、訃報を聞くまでは俺、Bowieの作品とはご無沙汰だった。当時の俺のマイブームは、60~70年代のジャズ・ファンクだったのだ。
 年季の入った音楽好きならよくある話だけど、若い頃から聴いてきたロックに飽きが生じるようになって、これまでとは全然別のジャンルにのめり込んでしまう時期が時々訪れる。これまで聴いてきたジャンルから、なるべく遠ざかったモノを求めて聴くようになる。で、また何んかのきっかけによって引き戻され、昔聴いたモノを引っ張り出して聴き直す。違ったジャンルを通過した耳で聴くと、昔よく聴いてた音も、また違った視点で捉えられるようになる。ここ10年は、それの繰り返しだな。
 そんな無限サイクルのギアの入れ替わりのきっかけとなったのが、彼の死だった。

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 10代を80年代ど真ん中で過ごしてきた俺にとって、 Bowieとのファースト・コンタクトは『Let’s Dance』、もっと正確に言えば『戦メリ』である。45歳以上の洋楽好きなら、誰でも通ってきた道である。なので、俺世代共通のBowie像といえば、「美形のマルチ・アーティスト」が最大公約数となる。
 異論はあると思うよ。でも、大ヒットしたタイトル曲と、坂本龍一とのキスシーンのインパクトの前では、すべてが霞んでしまう。

 その異論を唱える側の意見。一般的にアーティスト・パワーのピークとされる70年代を後追いで知った俺達世代、その中でも特にロキノン読者だった者にとってはこのアルバム、ある種の踏み絵的存在でもあった。
 今では面影のかけらもなくなってしまったけど、ベルリン3部作やグラム時代を含む、70年代ロック原理主義を貫いていた80年代のロキノンにおいて、『Let's Dance』は商業主義、無知な大衆に魂を売ったかのような扱いを受けていた。
 俳優活動にも積極的に首を突っ込んでいた時代だったから、そこらのニューロマ系アーティストよりも圧倒的に見映えは良かったし、ネーム・バリューも絶大だったので、表紙やグラビアに起用されることも多かった。ロキノンにとってDavid Bowieは超VIP待遇であり、投稿記事やレビューでも大絶賛されることが多かった。
 しかしこのアルバムを境として、ロキノン内でのBowieの扱いは一変する。ヒット・チャートの音楽を、斜め上の視線から貶すことが良しとされていた、いわゆるオタク文化のハシリ的な時代だったのだ。
 -ロキノンがそう言ってるんだから、やっぱ80年代のBowieはダメなんだナ、と疑いもせず信じ込んでいた10代の俺。
 あぁ、ムダな回り道だったよな、今にして思えば。

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 当時はビジュアル的に同系列、ていうかBowieの表層面だけをリーズナブルに移植した、ニューロマ系の安易なヒット曲と十把一からげにされていたけれど、リリースから四半世紀を過ぎたあたりから、評価は逆転しつつある。時間を置いて先入観抜きで聴いてみると、「Let’s Dance」のイビツさ、時代に消費されることを拒む深層が見えてくる。
 新進気鋭のプロデューサーとしてブイブイ言わしていた鬼才Nile Rogers は、メロディアスな作風とは言い難かった彼の楽曲を、ダンス/ディスコに対応した現在進行形のビートで彩ることによって、ヒット・チャート仕様のモダン・サウンドに翻訳した。Bowieのブラック・ミュージックへの接近は、『Young Americans』でも行なわれたアプローチだったけど、意味合いが微妙に違っている。

 ドラッグで頭のイカれたグラム・ロッカーDavid Bowieが、あくまでロックの文脈で解釈した「まがい物のソウル」、歪んだ主観に基づくキッチュな仕上がりとなった『Young Americans』に対し、『Let’s Dance』ではBowie、あまりサウンド・プロデュース的なことには口を出さず、ほぼNileに投げっぱなし、まな板の鯉である。
 素材としてのDavid Bowieをどこまでコンサバティヴな商品、コンテンポラリーな加工品に仕上げられるのか。当時はすでにヒット請負人的なポジションにあったNileにとって、Bowieとは極上の素材ではあったけれど、これまでの実績を鑑みれば、これまでのオファーとは比較にならないほどの案件であったはず。そこらのポッと出のポップスターとはスケールが違うのだ。

 70年代のBowieは、時代の趨勢を完全に無視するのではなく、横目でメインストリームの動向を伺いながら、常に半歩先・一歩先を読んでリードし、結果的にオピニオン・リーダーとして次世代への道筋をあちこちつけていった。出来不出来はあれど、彼が切り開いていった道筋のあとからは、多くのフォロワーやエピゴーネンが出現した。そこからまた枝分けれや分裂を続け、今もまだBowieの遺伝子は増殖を繰り返している。そのサイクルは無限に続くのだろう。
 70年代に彼が創り出してきたアルバム群は、どれひとつを取っても強力なインパクトを放ち、アルバム単体それぞれがひとつのジャンルと言えるほどのものである。そしてまた、自己複製を潔しとせず、アルバム制作ごとに前回のコンセプトをチャラにして、また新たなコンセプト/キャラクターを創り出し続けた。後ろを振り返らずに走り続けることを自らに課し、周りの空気が澱むその前に、身を翻すことを繰り返したのだ。

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 ただ、そんなトリックスター的な振る舞いにも限界がある。
 彼が主戦場としていた「ロック」というジャンル自体が、80年代に入る頃から自家中毒を起こし、「スタイルとしてのロック」、「取り敢えずロックのサウンドを使ってみました」的な音楽が多くなってきた。コンセプトやらイデオロギーなんかは取り敢えず置いといて、既存のロック・サウンドのフォーマットだけ借用、聴きやすくノリの良い楽曲が売れるようになってきた。
 特にMTVでのヘビロテがヒットのファクターとなった80年代、そんなお手軽なヒット曲のエッセンスとして、Bowieのビジュアル・イメージは格好の素材だった。決して彼のサウンドではない。あくまで、表層的な上澄みの部分だけだ。
 70年代のBowieから漂うアングラなイメージを希釈し、エキセントリックなビジュアルを薄めてスタイリッシュに整えることによって、ニューロマ系のアーティスト達は、Bowieより大きな商業的成功を収めた。

 Bowie自身、前作『Scary Monsters』を区切りとして、「実験」やら「変容」やらに行き詰まりを感じていたのも事実である。本国UKで台頭しつつあったニューウェイブのBowie流解釈として、『Scary Monsters』はそこそこの評価は得たけれど、新旧どっちの世代にも八方美人的にアピールしながらも焦点が定まらない、どこか微妙な仕上がりとなってしまった。それはセールスの行き詰まりとも比例している。
 時代を先読みする独特の視点。そこに衰えはなかったはずである。時代のトレンドの潮流を読みつつ、そのど真ん中に身を置くのではなく、本流よりやや外れたところを先導することが、70年代の彼の美学だったと言える。
 でも、「実験」の「反復」という行為は、イコール「本意」の「実験」ではない。「実験」のネタを探し回るという行為、それは「非」実験的である。

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 ここでシンクロニシティとして挙げられるのが、日本のYMOという存在である。
 活動期間こそBowie より短かったけど、彼らもまた『BGM』『テクノデリック』という、80年代UKニューウェイブのマイルストーン的作品を生み出した後、長い休養に入った。ていうかメンバー3人とも、この時点で散開の意思を固めていた。
 YMOというブランドの中では、もはやカタルシスを得られるほどの音楽的実験/冒険はやり尽くしてしまっていた。後に残るのは過去作の拡大再生産、商業的要請に応じたビジネスライクなバンド運営だけである。
 もはや、何をやってもYMO。
 いくらYMO的なベクトルから外れたことをやろうとしても、それなりに受け入れられてしまい、そして大衆に消費される。歓迎され消費されること、それはもう「実験」ではない。
 じゃあ、要望に応える実験ではなく、もっと斜め上に裏の裏をかいた行為。
 -思いっきり世論に迎合してしまうこと。
 それこそが最大最後の実験であり、批評的な行為である。

 ベストテンに出るYMO。カジュアルなカラー・セーターに身を包み、PVでアイドルを模した振り付けを披露するYMO。ひょうきん族に出演して、不器用な漫才を自虐的に演じるYMO。
 その振る舞いのどれもがちぐはぐで、どこかこっ恥ずかしくぎこちないものではあったけれど、それまで築き上げてきたYMO像を破壊するためには、これくらいの方向転換が必要だった。自ら望んだはずではないのに、勝手に象牙の塔のてっぺんに祭り上げられたYMOを破壊するため、いつの間に自らで築き上げていたカリスマ・イメージをチャラにするためには、荒療治が必要だったのだ。
 彼らもまた、「実験のための実験」という袋小路から抜け出すため、敢えて大衆への迎合というプロセスを通過し、斜め上の音楽ユーザーへ向けて、アッカンベーして強引に幕を引いたのだった。

 YMOとBowie、彼らの大衆迎合路線は、ほぼ時期を共にしている。両者とも、レコード会社からの要請も多少はあっただろうけど、「実験」的な音楽や所作が大好きな音楽ファン、ていうかマニア向けの音楽を演じることに飽きが来ていたことも事実である。
 そんな彼らがこれまで手をつけていなかったのが、敢えて「売れてやる」といった行為であった。
 ほぼ時を同じくして、偶然なのか必然なのか、そんな路線を選んだ両名。
 その自虐的かつコンセプチャルな行動は、自らへ、そして全音楽ファンへ向けた強烈な批評でである。


Let's Dance
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1. Modern Love
 3枚目のシングル・カットで、US14位UK2位。Bowie曰く、Little Richardを意識して書かれた曲ということだけど、サビのリフからして軽快なタッチで、ストレートなロックンロールにパワー・ステーション謹製ドラム・サウンドがうまく融合している。いまリリースしても、そこそこ売れるんじゃないかというパワーを秘めたオープニング・ナンバー。『Born in the U.S.A.』がリリースされたのはこの2年後だけど、Bruce Springsteenからのインスパイアも感じ取れる一曲。



2. China Girl
 2枚目のシングル・カット。UK2位US10位。一躍ギター・ヒーローとして躍り出たStevie Ray Vaughanがここで登場。ポップな曲調を引き締めるように、簡潔ではあるけれど印象的なソロを披露している。
 昔はこのコントラストが絶妙だよなと思ってたけど、今にして思えばお膳立てしていたのはNileだったわけで。全編で心地よくアクセントをつけているカッティングは、ファンキー過ぎずポップ過ぎず、ちょうどいい頃合い。この辺がバランス感覚だよな。
 もともとはIggy Popのために書き下ろした曲で、そのヴァージョンも『The Idiot』で聴くことができるけど、アレンジの違いで曲調はまったく違って印象。メロディも同じだし、Iggyのヴォーカルも当時のBowieを意識した仕上がりだけど、ダークでパンキッシュなテイスト満載。でもメロディがポップだから、それほどおどろおどろしくは聴こえない。こっちはこっちで良い。



3. Let's Dance
 80年代のダンス・ヒットとしても、そしてBowieの代表曲としても真っ先に挙げられるのがコレ。誰も文句が言えない実績と仕上がりになっている。リリース当時はUS・UKとも1位、そして去年、日本でもラジオでオンエアされまくったため、30年以上経ってからラジオ・チャートで53位にランクインしている。
 印象的なリフとStevieのソロがクローズアップされがちだけど、ここはやはりNileのプロデュース能力の高さの賜物。サックスが入るアウトロ後半の構成はかなりぶっ飛んでるし、アレンジの上物を取り外すと、そこに残るのは何とも地味なメロディ・ライン。そもそもデモ段階ではアシッド・フォークのようだったらしいし。それをここまでブラッシュ・アップしてしまったNileのプロデューシング、そしてサウンドに負けないBowieの力の入ったヴォーカライズ。
 そりゃ売れるよな、パワーが違うもの。



4. Without You
 知らなかったけど、これもシングル・カットされてたんだ。一応、US73位。データを見るとこの『Let’s Dance』、この4.までで4枚のシングルを切っているのだけれど、その間、なんと1年足らず。ほぼアイドル並みのリリース・ペースである。
 80年代のセールス・プロモーションとして、アルバム・セールスの起爆剤として、間髪を入れずシングルを切りまくることが常態化しており、特に80年代前半はその傾向が強い。『Thriller』だって『Synchronicity』だって『Purple Rain』だって、みんな複数枚のシングルを切ることが常識となっていた。それだけシングル・チャートが活気づいていた、すなわちラジオ局がキャスティング・ボードを握っていたことの証でもある。
 
5. Ricochet
 レコードで言えばB面トップ。ちょっと変わった手触りの、逆に言えばBowieらしい変てこなコード進行の変な曲。ある意味、Bowie的には通常運転。後に、同名タイトルの中国公演を収録したビデオもあったけど、未見。そのうち出るのかな

6. Criminal World
 70年代のUKバンドMetro、1977年のデビュー・シングルのカバー。グラム・ロックにカテゴライズされているけれど、サウンドといいアルバム・ジャケットといい、どちらかといえばSparksっぽいイメージの方が伝わりやすい。実際、「盛り上がりに欠けるポップ」といった感じだし。
 BowieヴァージョンはMetroから甘さを抜いてビター感を足し、メランコリックなポップよりソリッドなダンス・チューンに仕上げている。俺はBowieヴァージョンの方が好きかな。

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7. Cat People (Putting Out Fire) 
 『Let’s Dance』とほぼ同時期に公開された映画『Cat People』の主題歌が初出。前年にレコーディングされた映画ヴァージョンは御大Giorgio Moroderがプロデュースを手掛けており、メリハリのある構成は映像映えする。
 対してアルバム・ヴァージョンはStevieのギターも大々的にフィーチャーしてビートを効かし、ロック的な仕上がり。こちらもシアトリカルなテイストに聴こえるのは、生来のBowieが放つアクター性によるものか。

8. Shake It
 ラストはBowieにしては珍しくシンプルな、悪く言えば印象に残らないポップ・ソング。まるで穴埋め的な曲だよな、安直だし。
 考えてみればこのアルバム、バラードらしいバラードがひとっつもない。これまでのBowieの一連のアルバムには、ほぼ必ず名バラードが収録されていたものだけど、ここではウェットなスロー・チューンは排除され、すべてダンス・チューンのみ。潔いほどまでに徹底してるよな。ていうかNile、そんなにバラードって苦手だったっけ?




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17年ぶり、ノスタルジーじゃないロック - Sting 『57th & 9th』

folder 一般的に粗野なイメージが強いとされるパンク・ミュージシャンの中では、知性派と思われているのがStingである。世代的に見てロートルの部類に入るキャリアながら、敢えてその技を封印して直情的なパンク・ビートを戦略的に演じきったデビュー当初を経て、確固たるポジションを確立してからは、IRA紛争だユングの同時性だ熱帯雨林の保護だ、と考えてみれば享楽的とされている80年代ポピュラーの中では異彩を放つメッセージ性を露わにしていた。そう考えれば、やはりこの人は70年代の感性を持つアーティスト、既存の体制に向けてしっかりnonを表明できるキャラクターである。

 難解な専門用語をさも当然のように語り連ねることでインタビュアーを煙に巻いたり、何かと弁が立つ人なので、それゆえ誤解されることも多い。本人としては、アマゾンの自然破壊もアムネスティ活動も真摯に受け止め、本気で何とかしようとして熱弁を奮ったり作品に反映させたりしているのだけど、常に冷静さを感じさせるクレバーな印象は、地位も名声も手に入れてしまったロック・セレブの余技として映ってしまう。
 もっとBonoみたいに、下世話に押しを強く打ち出せば、必死さが伝わって共鳴する者も多いのだろうけど、その辺は本人のプライドの問題なのか、口角泡を飛ばす雰囲気は出さない。彼はあくまで代弁者、「世界ではこんな悲劇が連日起こっていて、僕はそんな現状があることをみんなに訴えたい」というスタンスを崩さない。これがBonoだと、本気で世界を変えようとしているのか、世界中のVIPと会談したり声高に訴えたり、何かと忙しそう。まぁ本気でそう思ってるのかは別として。

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 21世紀に入ってからはSting、クラシック方面での活動も多くなる。Paul McCartneyやKeith Emarsonのようにポップ/ロックのバリエーションのうちのひとつといった選択肢ではなく、名門ドイツ・グラモフォンと契約したりなど、わりとガチな活動ぶりである。
 一応、「これまでの既発曲をクラシック・アレンジで再解釈を試みる」といったコンセプトであり、まぁ彼のことだからそつなくこなしてるんだろうな、とは思っていた。でもタイトルが『Symphonicities』。こりゃないんじゃない?どう深読みしたって過去のセルフ・パロディとしか思えないネーミングである。そういえばSting、以前も書いたけどジャケット・センスも良くなかったもんな、Police の時代から。

 これがまっさら状態で挑むのなら、そういったタイトルもアリなんだろうけど、考えてみればコアなファン向けのアイテムであるがゆえ、これまでStingの作品をまったく聴いたことがありません的なユーザーが、このアルバムを進んで聴くとは思えない。どうしても従来のStingファンが聴く方が圧倒的に多いわけであって、前述のセルフ・パロディを連想して失笑してしまう情景が思い浮かぶ。ほんとのコア・ユーザー向けのアイテムだよね、これって。なので俺、これはまったく聴いたことがない。

 という事情もあって、今後も多分聴くことはないと思う。こうなったら意地でも聴くもんか。クラシック・アレンジ?興味ねぇよそんなの。
 なので、『Symphonicities』のリリース・インフォメーションを読んだ俺の印象は、非常にネガティヴなものだった。
 「あぁ、もうキャリアとしては上がりなんだな」「あとはゆっくりとリタイアしてゆくのだな」とも。
 今さら新境地なんて必要ない。ロックのフィールドでやれることはやってしまったし、ていうかロックに革新性を求める風潮はなくなってしまったし。ロック・セレブとしてのスタンスはよほどのことがない限り盤石だし、あくせく働く必要もない。5年に1度、今でもメイン・ユーザーである40代以上のミドル・エイジに合わせた「大人のロック」を演じればよい。
 グラミー賞のセレモニーやNBAのハーフタイム・ショーで、クライアントの要望に合わせたサイズのステージ・パフォーマンスを演じるStingを見ていると、そう思う。誰も損しない世界。多くを望まなければ、そこではほどほどの充足感が得られる。このペースを崩さず、ゆっくりとフェードアウトしてゆけば、晩節を汚さずに済む。
 と思っていた矢先、ここに来てのロック・フィールドへの前線復帰である。どうしちゃったの?覚醒?

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 Stingと言う人は、コメントやインタビューでの弁が立つおかげで、緻密なロジックを行動規範としていると思われがちだけど、案外その時その時の感情をストレートに作品へと昇華してしまう、根は素直な人である。
 これまで培ったロックのスキルを一旦脇に置いて、若き無名のジャズ・ミュージシャンとコラボして独自の世界観を確立した『The Dream of the Blue Turtles』『Nothing Like the Sun』の時期は、Stingの創作意欲がピークに達していた頃である。ジャズともロックともカテゴライズできない、正しくSting’s Musicと形容されるサウンドは、その後のアシッド・ジャズともコミットしない独自のものである。
 このままこの路線で行ってたら、エスニック・ビートの導入からPeter Gabriel的なサウンドのシンクロニシティもあり得たのだろうけど、前後して実父の死を始めとしたプライベートでのトラブルが重なり、ソングライターとしてのStingに内的変化が生じてくる。センチメンタリズムを排除したこれまでのドライな音楽性に、内的なヒューマニズムの影が差しこむようになる。

 プライベートな感情吐露を自伝的に綴ったシンガー・ソングライター的作品『Soul Cage』は、前作の勢いもあってセールス的にはアベレージ・クリア、これまでにないStingの人間的な側面が垣間見られた作品だったけど、当時の俺的には内省的な干渉がウェットに思え、1、2回聞いた程度ですぐ売っぱらってしまった。
 普通、鉄面皮だったアーティストがこれまで見せなかった心情面をさらけ出す作風の変化は、ファンにとって喜ばしい行為であるはずなのに、彼の場合、そういった風には取られなかった。こう思っていたのは俺だけじゃないはずで、実際、『Soul Cage』以降の作品はセールス的には成功を収めているけど、クリエイティヴな面で評価されることはほとんどない。以前より多くのユーザーに、「普通の大物ロッカーの新譜」として消費されていったのだ。なので、後に残るものは少ない。
 真の意味でプログレッシブな存在だったStingは、一旦ここで終わってしまったのだ。

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 なので、『Soul Cage』以降のStingとは、俺の私観で言えば長い長い余生、引き伸ばされたエピローグのようなものである。そういうわけで俺、『Mercury Falling』も『Last Ship』も聴いてない。俺の中でのStingは、『Nothing Like the Sun』までの人だったのだ。
 この間にPoliceの再結成があったけど、現在進行形を捉えたサウンドの提示はなかった。それはあくまでデビュー30周年というお題目で集まったセレモニー的なイベントであり、継続する活動ではなかった。契約的に新曲制作ができなかったこともあるしね。

 その後のStingのキャリアは、総決算的な活動に収束して行く。新境地開拓として、クラシックへのアプローチは果敢なチャレンジなのだろうけど、あくまでロックのフィールドに踏みとどまっている彼を支持していた多くのファンからすれば、「そうじゃないんだけど」感が強かったはず。ていうか、ファンが求めるSting像とは円熟や深化であって、今さら別に新しいものを求めてるわけじゃないのだ。
 その時々の感情の揺らぎがコンセプトに反映するStingだけど、それなりに優秀なブレーンも揃っているだろうし、また自身も常に第三者的な視線を持ち合わせているので、ファンのニーズは常に気にしているはず。
 そういう人だからこそ、何かとリスクの多いPolice再結成にも同意したわけで。

 思えば、前回レビューでも取り上げたPeter Gabrielとのジョイント・ツアーが、今回のポップ・フィールドへの回帰のきっかけになったんじゃないかと思われる。
 近年のこの手のジョイント・ツアーは、主に北米を中心に行なわれるため、映像で見ただけだけど、2人とも良い意味で伝統芸能の域に達していた。StingもGabrielも、自分のパートを全盛期にも勝るテンションでプレイしながらも、パート・チェンジに差し掛かるとスッと身を引き、メインのサポートに徹する。その間、アーティスト・エゴのコントロールが絶妙なのだ。
 これが80年代だったら、お互いエゴのぶつかり合いで俺が俺がになっていただろうし、そもそもタッグを組むことなどあり得なかった。一応は現役だけど、第一線からはセミリタイア気味の両名、年月を経てキャリアも確立したゆえの、いわゆる大人の余裕である。
 入念なリハーサルとシミュレーションによって、緻密にコントロールされたステージ構成には破綻がない。多少のサプライズがあっても即時対応できる、熟練のバンド・メンバー、ベテラン・スタッフが後ろに控えている。メイン・キャスト2名は思うがまま、真摯なエンタテインメントとしてプレイするだけ。でも、安心して聴くことができる。危機管理が徹底しているのだ。

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 Genesis時代のGabrielは、自己陶酔と自虐の入り混じったシアトリカルなステージング、ソロ以降のStingは、カッチリ構成されたジャジーな大人向けのサウンドを展開していた。その2人のアーティスト・エゴは高く評価されたけれど、その完成度の高さゆえもあって、息苦しささえ感じられたことは事実。ある意味、ユーザーへの課題提示、「この世界観を理解できなきゃダメだ」的な圧迫感を漂わせていた。一見さんはお断りなんだよな、昔の2人って。
 で、今ではすっかり角の取れた2人である。もはや先へ進む冒険は必要ない。彼らに求められているのは、共感できるノスタルジーだ。事前リサーチによってセレクトされた、観客のニーズを的確に捉えたヒット曲を、可能な限り往年のテンションで、きちんとアリーナ・サイズに収めてプレイする。
 そこには、音楽的挑戦やアクシデントはないけれど、確実にwin-winの関係が築かれている。

 そのツアーに入る前に作られた、「ポップ・フィールドへの前線復帰」とされているのが、今回の『57th & 9th』。
 先日、スマスマでもプレイしていた、冒頭のシングル曲だけ聴いてると何だか微妙だけど、アルバム後半に進むに従って、ロック的なダイナミズムが復帰しているのがわかる。まぁ戦略上のつかみとして、「オーソドックスな大人のAOR」というのは、一般人が思うところのSting像であり、マーケティング・リサーチに基づいた構成なのだろう。『Nothing Like the Sun』でも、CM曲の「We’ll Be Together」だけ妙に浮いてたけど、アルバムのウリとしては必要不可欠だったし。
 今回、彼がやりたかったのは、もっと初期衝動に基づいた粗野なビート、それでいて65歳の自分の身の丈にあった、回顧モードじゃないロックを演ってみたかった、というのが正直な気持ちだろう。ここ20年くらい、事実上の固定メンバーとなっているDominic Miller (g)、Vinnie Colaiuta (dr)との3名で断続的に行なわれた荒々しいセッションをもとに、ほんの少しのコンテンポラリーな味付けを施されて、このアルバムはリリースされた。

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 年末の慌ただしいプロモーション来日を経て、2月のバンクーバーから始まる世界ツアーが始まるわけだけど、インフォメーションを見ても日本公演の予定は入っていない。スケジュール的なものなのかギャラ的なものなのか、その辺はちょっとわかりかねるけど、夏フェスあたりに照準を合わせているのか。
 今年いっぱいはロック・モードのStingだけど、その後もロック・サウンドの深化を図るのか、それとも再度クラシック方面へ回帰してしまうのか。まぁ好きでやることだろうから、こちらからは何も言えないけど、飽きたらまた戻ってきてよ、としか言いようがない。
 それよりさ、もう一回、Policeやってみれば?今度はソロ作品持ち寄って、「せーの」で3人でセッションするみたいな。Stingがすっごく身を引けばできるんじゃないかと思うんだけど。
 まぁ無理か。Stewartが暴君になるのを耐えられないよな。


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1. I Can't Stop Thinking About You
 アルバムからのファースト・カット・シングル。リリース前のインフォメーションで紹介されるのはほぼこの曲だったし、前述のスマスマでも選曲されていたので、それほど感心がなくても耳にしたことがある人は多いはず。Stingも現役でガンバッてるんだなぁと感慨に耽りながらカーステレオで聴き流してしまう、そんな曲。FMで流れてると、「おっStingだっ」と反応してしまうけど、でもそれだけ。別に購買意欲を掻き立てられるほどではない。アベレージはクリアしましたよ的な佳曲。



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 アルバムリリース前に配信された、Prince死去を受けて書かれたトーキング・ブルース風バラード。BowieやGlenn Frey、MotörheadのLemmyについても言及しており、ロック全盛期を担ったアーティストらの鎮魂歌となっている。Sting自身も65歳、そろそろ終活的な楽曲がリアルに響いてきた。そんな歳なんだな、アーティストも俺も。

3. Down, Down, Down
 曲調としては1.と似てるけど、キーが低めのヴォーカルとピッチを落とした演奏が90年代アメリカ・オルタナっぽい印象。ギターの音なんてまさにソレ。Police時代ならもっと速いテンポでプレイするのだろうけど、ここではじっくり腰を落とした大人のロック。タイトル通りだな。

4. One Fine Day
 畳み掛けるようなサビがSting節といったところ。メロディからは『Soul Cage』時代のシンガー・ソングライター的なテイストが感じられる。なので、ロックっぽくはない。ただ、メロディ的には収録曲の中では群を抜いている。

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5. Pretty Young Soldier
 出だしのギターの音色がXTCっぽく感じられたけど、考えてみれば同世代だった。ポップ要素を混ぜた変則リズムのロックは、俺世代にとってはツボ。ステレオタイプのロックではないけど、Stingらしさが発揮されたナンバー。屈折してないAndy Partridgeといった風情、俺は好き。

6. Petrol Head
 わかりやすいギター・リフ、そしてここにきて初めてシャウトするSting。コード進行も至ってシンプル、ステレオタイプではあるけれど、ファンからすればテンションが上がる一曲。しかも、たったの3分間。勢いだけじゃなく、きちんと練り上げられたうえでのストレート・アヘッド。Policeでやったらもっと面白いのに、と無いものねだりしてしまう。

7. Heading South on the Great North Road
 ここでいったん休憩、アクセント的にブリティッシュ・トラッド風味のアコースティック・チューン。わかりやすくいえば「Fragile」。
 しかし、どの曲も3分程度で心地よい。CD時代になってから、やたらイントロ・アウトロの長い5~6分サイズの曲ばっかりになったけど、配信時代になってからはその辺も自由になった。

8. If You Can't Love Me
 で、この曲が4分半。ギターのアルペジオはきれいに響いてるけど、それだけの印象。7.との組曲的扱いとなっているらしいけど正直、7.だけでいいかな。

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9. Inshallah
 ある意味、このアルバムのハイライト。これまでリズムやメロディ面でのアプローチとして、第三世界のマテリアルを咀嚼し、活用することはあったけど、アラビア圏のイディオムの使用は初めて。これ見よがしにアラビアン・テイストを使っているわけではない。あくまでコンセプトとしてのInshallah、構成しているのはすべてロックの言語である。
 ボーナス・トラックのベルリン・セッション・ヴァージョンでは、もっと中近東テイスト満載なのだけど、そこをうまく咀嚼して明快なパッケージにしてしまうのが、やはりStingの成せる業。あからさまにアラビックに染めてしまうのは、どこか抵抗があったのだろう。



10. The Empty Chair
 ラストはしんみり、アコギ一本で奏でられるバラード。正直、これってStingじゃなくってもいいんじゃね?的な無難なバラードだけど、2分半といったコンパクト・サイズは好感が持てる。ここでドラマティックなエピローグにしないところが、彼の趣味の良さなのだ。
 でも、相変わらずジャケット・デザインはダサいままだよね。




Best of 25 Years: Double Disc Edition
Sting
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ごめん、やっぱりスミスは大好きだ - Smiths 『The Queen is Dead』

folder 1986年リリース、80年代UKの正義の象徴のひとつだった良心的レーベル、ラフ・トレードからの2枚目。
 この時期のインディペンデントのギター・バンド全般に言えることだけど、彼らのリリース・スケジュールはシングル中心で展開していたため、日本での音源の入手は困難を極めた。これは北海道の片田舎だけに限った話じゃないけど、地方でもちょっと大きめのレコード店ならアルバムくらいはどうにか探せたものの、ただでさえ入荷の少ないシングルに至っては、想像で埋め合わせるしかなかった。
 俺の場合、ちょっと足を延ばせば札幌までは行けたけど、大して裕福でもない高校生にとって、ほんの2~3曲程度しか収録されていない12インチ・シングルに予算を割けるはずもなかった。第一、当時のタワレコなんて小ぢんまりした雑居ビルの2Fワンフロア、ジャズやクラシックも一緒くただったので、イギリスのマイナー・ギター・バンドを揃えるスペースもなかったし。
 いま思えば、New Orderのようなカルト・バンドがアイドル並みのペースでシングルを切り、そしてそのミックス違い・ヴァージョン違いが増殖して大量の12インチが限定プレスされ、そんな入手困難な状況をフォローするかのように、B面のみ収録曲やライブ・テイクなどを丹念に拾い上げたコンピレーション・アルバムが編集され、しかもそれがオリジナル・アルバム並みに売れていた時代。
 今と比べると恐ろしく情報源が限られ、気軽に試聴もままならなかった時代。不便なことも多かったけど、誰もがみな、当時はそれが当然と思っていたので、さして不満も感じなかった。聴けない音は雑誌のレビューを行間まで舐めるように読みつくしながら想像したものだし、その書き手側にも、その音から得た感動をどうにかして伝えたい熱気が封じ込められていた。

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 そんなロキノン信者にとっては「神」のSmiths、Morrisseyの箱庭的自我と、扇動的な歌詞とは対照的に、純音楽主義的なスタンスを崩さなかった演奏陣との方向性とが合致したのがこの時期。2枚目の『Meat is Murder』と並んで代表作と捉えられており、セールス的にもUK2位US70位まで上昇した。
 彼らのような反コマーシャリズムを体現したオルタナ系サウンドが、英米両方で商業的に成功するというのは、今を持ってまれである。特に本国イギリスにおいては彼ら、すでにシングル・チャートの常連として堂々と振る舞っており、引きこもった若者だけの音楽ではないという証明にもなっている。
 「女王を殺せ」なんて不謹慎な表題の楽曲が、幅広い年齢層をターゲットとした音楽がチャートで上位に入ってしまうのは、日本では当然ありえないことだし、そもそも音楽だけじゃなく、社会情勢的に陰鬱としたムードが蔓延していたんだな、という時事風俗的な視点で見ることもできる。サッチャー政権と人頭税の悪政については、俺も何となくは理解していたし。
 ちなみに2013年、NMEが発表した歴代ランキング「The 500 Greatest Albums of All Time」 では、堂々の1位に輝いている。リリースから四半世紀を過ぎた未だもって、そのインパクトは失われていないのだ。
 こういったところにElton JohnやQueenがランキング上位に入ってこないところが、さすがNME、英国版ロキノン面目躍如といったところ。むしろ、今のロキノンの方が屈折度合が少ない分、英国人のねじ曲がり具合が引き立っている。何しろBowieで最も上位なのが、『Ziggy Stardust』でも『Low』でも『Heroes』でもなく、『Hunky Dory』というぐらいだから、ほんと「らしい」ランクづけになっている。5位にVelvet Underground?これって、完全に選者の趣味だろ。

square+salford+logo

 これまで他のレビューでも、「英国人は偏屈だ屈折してる性格が悪い陰湿だ」とさんざん書いてきたけど、実際のところ、近しい知り合いに英国人がいるわけではない。かつて英国人に悪徳の限りを尽くされたとか凌辱されたとか、そういったこともない。ただ単に、俺の好きな英国人アーティストにそういった特性が強いだけなのかもしれない。何ごとも先入観だけで判断してはいけないのだ。
 じゃあ、平均的な英国人とは一体どのような特性を持つのか-。
 それを改めてネットや本で調べてみたところ、何となくわかったこと、だいたい共通してることが2点。
 ひとつは、往々にしてプライドが高いという点。自意識過剰とまではいかないけど、英国人であることに愛憎混じった自尊心が高く、特に同じ英語圏であるアメリカへの対抗心が強い。歴史的に見れば、アメリカ=属国という意識が強いのか、何かにつけ格下に見てる感が強い。特に言語においてはそれが顕著で、例えば「Soccer」じゃなくって「Football」だっ、といった具合。あぁめんどくさい。どっちでもいいじゃん。
 もうひとつは、会話並びに感情表現の湾曲具合。イギリスに限らず歴史の長い国にありがちだけど、ストレートな表現を好まず、わかりづらい形でワンクッション置いたり、美辞麗句を超えて過剰な修飾語が多かったり、はたまた反語が多かったりなど、いちいち裏を読まないと真意がわからない表現が良しとされている。めんどクセェ。
 ここまで書いて気づいたのだけど、この習性はそのまんま日本の京都人に当てはまることに気づいた。あそこもよそ者から見れば何かとめんどくさいよね。

 なので、平均的な英国人の資質として捉えれば、Morrisseyの言動というのは決して突飛なものではない。古典文学を愛し伝統的な習慣を愛し、古き良き大英帝国の伝統に則った生活を送る、ごく普通の英国人である。
 王室や政治に対しての痛烈な批判や皮肉も、彼以外の英国人なら普通に共感できる範囲の主張である。ただそれがちょっと極端すぎるだけだ。
 Smithsというバンド名の由来として、イギリスでごく在りきたりの苗字から取られた、という説がある。日本で言えば、「山田さん」や「鈴木さん」といったところ。
 「ごく普通の男がごく普通の英国的日常を歌う」というのが、MorrisseyとJohnny Marrが当初描いていたコンセプトだった。だったのだけど、そのコンセプトの視点が超個人的な範囲に絞られ、ほぼMorrisseyの主観で埋め尽くされたことによって、Smithsの世界観=あらゆる対象への憎悪、という図式で固定された。それとMarr、自分で誘ったはいいけど、まさかこんなヘロヘロなヴォーカルだとは思ってなかったんだろうな。全然ロックの図式に当てはまる歌唱じゃないし。
 ここで確立された図式は当初から揺らぐことなく、解散に至るまで、その矛先は鈍ることはなかった。解散から四半世紀、Morrisseyの斜め上な視点はまったく揺るがない。その頑固さは、ある意味賞賛に値する。

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 いまはすっかりフェス屋になっちゃったロキノンだけど、80年代は意識高い系洋楽ロック・リスナー御用達の雑誌だった。あれ、それじゃ今と変わんないか。
 当時のポジションで言えば、「ミュージック・ライフ」ほどミーハーではなく、「ミュージック・マガジン」ほどアカデミックっぽくもない、スクール・カーストで例えると中の下くらい、公立高校の帰宅部連中にアピールする雑誌だった。なんだ、俺のことか。
 「ヤング・ギター」読者のように楽器に目覚めるのでもなく、さりとて「フールズ・メイト」読者のように外界から孤立するわけでもない、中庸でありながらどこか優位性を求めてしまう者が手に取るのが、ロキノンという雑誌だった。うん、まるっきり俺のことだ。

 かつてロックを演奏する、バンドを組むというのは能動的な行為だった。
 「女の子にもてたいから」「社会に対して警笛を鳴らすために歌いたい」、はたまた「単に騒ぎたいから」、人それぞれ理由はあるけど、SmithsやCureを筆頭とした80年代ロキノン系アーティスト、彼らの登場によって、社会性や恋愛だけでなく、もっと個人的、内省的なコンプレックスを発露としたロックが台頭しつつあったのが、この時代。Rick AstleyやPaula Abdulだけじゃない、傷口に塩を塗りこめる音楽が大衆性を得るようになったのだ。
 さらにSmiths、大方のゴシック系インディー・バンドとは一線を画すように、極めて普通の出で立ちでパフォーマンスを行なっていた。奇をてらったコスチュームに身を包むこともなければ、一際派手なステージ・アクションをぶち上げるわけでもない。履き古したジーンズと花柄のシャツに身を包んだ神経質な大男は、後ろポケットにグラジオラスの花束を挿しながら、狭いステージをクルクル回り、稚拙ながらも様々な種類の呪詛を説いた。
 バックを支えるメンバーらも、ごく普通の労働者階級定番のワーク・シャツかTシャツ姿、地味ながらも堅実な演奏に集中し、それでいてトップ40常連にも比肩するポップなメロディを奏でた。
 一介の泡沫ギターバンドでは終わらない、邪悪なエッセンスを放つMorrisseyという異物。これまでのロックの文脈からは大きく外れる存在でありながら、確実に英国ロック史に深い爪痕を残した。その爪痕はいまだ残っている。

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 70年代の残党がパンクの誕生によって一旦沈静化したけど、その新勢力が一過性のもので終わってしまったため、新陳代謝が進まずに自家中毒を起こしつつあったのが、80年代欧米の音楽シーンである。旧来の体育会系/運命共同体的な幻想が疲弊し、インドア的な文化系タイプ、放課後直帰の帰宅部系の連中が楽器を手に取るようになった。
 アメリカで代表的なのが初期のREM。陰鬱さを助長するダウナーなネオサイケ・サウンド、意味性を拒否するようにくぐもったヴォーカルは、カレッジ・チャートにおいて熱狂的に迎え入れられた。
 イギリスにおいても、前述のCureが先陣を切って、アメリカよりも湿度の高いゴシック/オルタナ・サウンドを、さらにダークかつヘヴィに展開していた。
  拳を振り上げるだけがロックじゃない。
ポジティブなハッピー・エンドだけじゃないカタルシスの方向もあることを、身をもって体現していたのが、この時期のロキノン系アーティストである。Jesus and Mary Chain もそうだったけど、救いのないネガティヴ・パワー全開の楽曲が、チャラいポップ・ソングより格上だと思われていた時代だったのだ。まぁ、それは今もあまり変わんないけど。


Queen Is Dead
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Smiths
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1. The Queen Is Dead
 暴力的に美しい6分間。60年代のイギリス映画からサンプリングされた団欒を思わせるオープニング、それを打ち砕くようなMike Joyceのドラム・ロール。Marr曰く、Stoogesへのリスペクトを露わにした激しいギター。「女王は死んだんだ!」と朗々とか細い声でわめくMorrissey。その礫は当時皇太子だったCharlesにも及ぶ。
 バンドの性質上、歌詞ばかりが先行して語られているけど、普遍的なポップ・ソングとしても風化せずに残るサウンドは、もっと評価されてもいい。こうして聴いていると、英国人ってほんと古典的なブギが好きなんだな、と改めて思う。こういった点は伝統的だよな。
 ラスト、「Life is very long, when you're lonely~」に被さるように奏でられる、ハープシコード・タッチのシンセに、凡庸なガレージ・ロックで終わらせない気概が感ぜられる。
 シングルとしてはリリースされていないのだけど、リード・トラックとして、PVは作られた。監督はカルト映画監督として名高かったDerek Jarman。その独特かつ耽美的な映像センスは様々な方面にパクられた。よく見たよね、このタッチのPV。



2. Frankly, Mr. Shankly
 
 「はっきり申し上げます ミスター・シャンクリー
 お陰様で僕が任せてもらってる仕事ですけども
 食べるには困らないんですがね魂が腐りそうで
 辞めようと思ってるんですが引き止めやしませんね
 僕は音楽史にでも名前を残そうかと思ってるんです」

 ラフ・トレードのオーナーGeoff Travisへの揶揄を歌うMorrissey。一応加盟を使っているとはいえ、公衆の面前で社長を小バカにするのは、いくら英国人でも腰が引けてしまうんじゃないか、と思ってしまうけど、1.で国のトップをコケにしてるくらいだから、怖いものなんかないか。
 どちらかといえばコミカルな曲調、パブの幕間で歌われるようなシンプルなサウンドのため、どこかバンド自体も楽しそう。息抜きも必要だわな。

3. I Know It's Over
 「聴いていると、スピーカーからそっと手を差し伸べてくれそうな曲」部門で1位に輝いたという、まぁ言い得て妙的なバラード。

 「ああ母さん、僕の頭の上に土が降ってくるんだ
 それは、空のベッドに潜り込むとき・・・
 これでもう察して欲しい
 終わったんだと分かってる でもまだ僕はしがみついてる
 だって他にどこに行けばいいんだ」

 思いつめた表情で高層ビルの屋上に佇む者の背中をそっと押してあげる曲、とは俺の命名。

 「笑うのはたやすい
 憎むのもたやすい
 でも、優しく穏やかであるには強さが必要だ
 常に、いつ何時も」

 どこかに希望を持っていたいのだけど、そんなものはどこにもない。自分の中にあることはわかっているのに。でも、それは決して手をつけることはできないのだ。

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4. Never Had No One Ever
 学生時代は同じようにイケてない2人だったけど、すっかり一人前の大人になった友人に比べ、まともな職に就いたこともない自分。恋人も友人もいらないけど、君の車の後部座席にいることができれば、僕は幸せさ。
 長い年月を経て、何があって何が足りなかったのか。古いタイプの短編小説的な歌詞を淡々と紡ぐMorrissey。バンドはオーソドックスなギターバンド・スタイル。
 彼らのレパートリーの中では埋もれてしまいがちだけど、楽曲としてはきちんとまとまっている。だからアクが弱いのか。

5. Cemetry Gates
 アコギから始まるオープニングと言い、レコードで言えばB面収録7.と近いアプローチの牧歌的なナンバー。曲調だけ見ればのどかなムードの穏やかなムードだけど、内容は辛辣。以前書いた歌詞が古典文学からの引用だと指摘した評論家への痛烈な皮肉になっている。

 君はいう
 「太陽が夜明けの空に挨拶を三度する前に」
 君自身の言葉だって言い張るけど
 僕は読書家なんだよ
 それなら百回も聞いたことがある
 (もしかしたら実際はそれよりちょっと少なかったかもしれないし、
 多かったかもしれないけど)
 散文や詩を書くのなら
 自分自身の言葉を使わなけりゃ駄目だ
 どこかから拝借したり盗んだりしては駄目だ

 言われてみれば確かにその通り、完全にオリジナルを創り上げるアーティストなど、そうはいない。ほとんどすべては過去の引用とサジ加減によるもので、それをさも得意気に揚げ足を取るのは大人げない。それを真に受けて、わざわざそいつ1人を皮肉るためにこんな曲を書いてしまうMorrisseyもMorrisseyだけど。
 あ、それもまたいいのか。どっちも英国人だし。

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6. Bigmouth Strikes Again
 このアルバムもうひとつのキラー・チューンであり、実質Smithsの最終作だったライブ・アルバム『Rank』の最後を飾ったロック・チューン。この曲で彼らの歴史は終わりを遂げたのだった。シングル最高26位はちょっと不発だったけど、でも確実に80年代UKインディー・ロックファンの道標となった。普通にカッコいいんだもの。
 Mike Joyce曰く、「タイトルが素晴らしい」とのこと。もうこれだけで、この曲の魅力をすべて言い表している。
 
「僕なんか、人間の仲間入りすらさせてもらう資格もないんだ」
 
 キャリアのピークにありながら、ここまで自虐的なフレーズを口にしてしまうMorrissey、そしてそれを許してしまうMarr。
 他者への強烈な口撃の勢いを緩めず、やたらめったら鉄槌を振りかざす大男。しかし最後に振り下ろすのは凡庸な自分の頭だ。



7. The Boy with the Thorn in His Side
 UK最高23位にランクインしたネオアコ・テイストの軽快なポップ・ナンバー。微妙に違訳の邦題「心に茨を持つ少年」は、当時のSmithsの中二病的な少年性をうまく言い表している。
 
 腹にトゲを抱えた少年
 憎しみの裏にあるのは
 殺意すら感じてしまうほどの愛への渇望

 屈折した愛情表現は、表に出せる相手もなく、ただ忘却の彼方に消えゆく。
 Morrisseyが本当に愛するのは、当時の分身だったJohnny Marrだったのかもしれないけど、多分察してはいたんだろうけど、うまくかわしてたんだろうな、きっと。
 ちなみにシングルのジャケットの写真は、作家Truman Capote。なんでこんな写真持ってんだ、と思ったけど、この人もなかなか奇矯な人だった。今で言うパーリーピーポーのハシリだから、こんなショットもあるのだろう。



8. Vicar in a Tutu
 「チュチュを着た牧師」を主題とした、インチキ・カントリーソング。Morrisseyのヴォーカルは相変わらずのヘロヘロなので、悪意あるパロディにさえ聴こえてしまう。歌詞の内容も小噺的な取るに足らないものなので、まぁ余興的なもの。
 なのだけど、この曲は突然、スパッと終わる。そのエンディングの潔さはSmithsの生真面目なスタンスを感じさせる。

9. There Is a Light That Never Goes Out
 シングルにはなってないけど、こちらもリリース当時から何かと物議を醸したキラー・チューンのひとつ。しかしひとつのアルバムにこれだけ必殺ソングがあるのだから、Smiths恐るべし。彼らの曲を聴くと、なぜかしら友人と語りたくなってしまいたくなるのだけれど、Smithsについて語れる友人というのはあまりいない。パーティでみんなで盛り上がるタッチのアーティストじゃないしね。どれだけ人気があろうとも、Smithsを聴く時はみな独りだ。
 
 「たとえ二階建てバスに
 突っ込まれても
 あなたの隣で死ねるなら
 なんて神聖な死に方だろう」

 この辺がよく取り上げられるのだけど、これと対を成すように、肝心なのは次の一節。

 「今夜 僕を連れ出して
 どこへ連れて行かれても構わない
 構わないから 構わないから」

 この上から目線振り、実は恋の対象からは相当軽んじられていることがわかってしまう。その物悲しさは、もはや様式美に昇華する。



10. Some Girls Are Bigger Than Others
 ラストはポップな正統ネオアコ。サウンドとしては、これが一番完成されていると思う。ラストに持ってくるには相応しい。だけど、他の曲がアクが強い分だけ、小さくまとまり過ぎてる部分は否めない。二流のギター・バンドなら、確実にアルバムの柱となる曲なのだけど、あいにくここでは埋もれてしまっている。
 Marr自身も気に入ってるのがわかる、演奏陣主導で作られたグルーヴ・チューン。




 ホントはJohnny Marrについても言いたいことはいっぱいあるのだけれど、取りとめなく長くなっちゃったので、それはまた次回。



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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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