好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Rock

なんとなく忘れられてるアルバムをちゃんと聴いてみる その2 – Jeff Beck 『Flash』


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  -On behalf of his family, it is with deep and profound sadness that we share the news of Jeff Beck’s passing. After suddenly contracting bacterial meningitis, he peacefully passed away yesterday. His family ask for privacy while they process this tremendous loss.

 「家族を代表して、ジェフ・ベックの訃報を深く深く悲しみます。突然、細菌性髄膜炎に感染し、昨日、静かに息を引き取りました。彼の家族は、この大きな喪失を処理する間、プライバシーを守ることを求めます」。

 ほぼ70年代あたりから、見た目が変わってなかったため、いくつか知らなかったけど、78歳だったんだ。ロックミュージシャンにつきものの、酒やドラッグや女関係のトラブルもそれほど聞かず、比較的ヘルシーな生活ぶりだったはずだけど、寿命ばかりは避けられない。
 もう何十年も、イギリスの片田舎で車いじりとギターいじりのルーティンを満喫していたジェフ、ストレスを溜め込まず、比較的節制した生活のおかげで、同世代のミュージシャンと比べて老いは感じられなかった。染めてたのかズラだったのかは不明だけど、あの豊かな黒髪は年齢を感じさせない。
 「この機会に」っていうのは適当じゃないかもしれないけど、日本で言えば喜寿、1944年生まれで存命のアーティストを調べてみた。

 ロッド・スチュワート (1/10)
 ロジャー・ダルトリー (3/1)
 ボズ・スキャッグス (6/8)
 レイ・デイヴィス (6/21)
 ピーター・セテラ (9/13)
 ジョン・アンダーソン (10/25)

 一時はアメリカン・スタンダードばっかり歌ってラウンジ歌手みたいになっていたロッド、ここ数年はロックに回帰して、ジェフとは2019年、一夜限りのライブで共演したばかりだった。まとまった作品を残せなかったのが惜しまれる。
 去年亡くなったウィルコ・ジョンソンとのコラボがまだ記憶に新しいロジャー、今のところはザ・フーの稼働待ち。要はピート・タウンゼントのやる気とメンタル次第なんだけど、もう彼もアーカイブいじる気力すら残ってなさそう。どれだけ作ったんだろうか、『トミー』や『Live at Leeds』のエディション違い。
 ここ数年のAOR再評価の流れで、ちょっとだけ話題になったボズ、もともとグローバル展開の野心を持った人ではなく、もっぱらアメリカ国内で、ジャズ/R&B/ブルースをベースとしたマイペースな音楽活動を続けている。そう考えると、全盛期70年代の音楽性と何ら変わっていないわけで、ブレずに初志貫徹している。
 80年代に解散以降、弟デイブとの兄弟ゲンカでしか話題にならなかったデイヴィス兄弟、近年は和解して、目下キンクス再編に向けて鋭意準備中らしい。とはいえ2人とも70オーバーのため、何をやるにも遅々と進んでおらず、それもいつになることやら。だから若いうちに仲直りしておけって、ギャラガー兄弟。草葉の陰で母ちゃん泣いてるぞ。
 全然興味なかったので知らなかったけど、ずいぶん昔にシカゴを脱退していたピーター・セテラ。2020年、シカゴがロックの殿堂入りした時も、頑なに出席を固辞、ライブも行なっておらず、いまはどうやら引退したらしい。過去の栄光に囚われないって言ったらカッコいいけど、偏屈なジジイになっちゃったのかね。
 同じく啖呵を切ってイエス脱退後、同世代プログレ系界隈をフラフラしながら、「ほぼイエス」関連でしのぎを削っているジョン・アンダーソンは、どうやら健在。いまも黄金期イエスの名曲をメインに、精力的にライブも行なっている。本家を挑発するように「正調」イエス・サウンドを主張するジョン、あんまり調子に乗りすぎてスティーヴ・ハウを本気で怒らせたら、法的手段に訴えられて楽曲差し止めにもなりかねないのだけど、今のところそんな雰囲気もない。多分、プロレスなんだろうな、あの界隈の仲違いって。
 ちなみに日本に目を移すと、該当するアーティストはグッと少なくなり、せいぜい小椋佳くらい。この世代は坂田明や日野皓正・元彦兄弟などジャズ系が多く、ロック系となるとGS残党で故人が多くを占めている。内田裕也ももういないしね。

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 ヤードバーズでデビュー以降、半世紀に渡る活動歴を誇るため、ファン層も多種多様である。多くのベテランアーティスト同様、キャリア全体を網羅しているユーザーは少なく、各期・各時代に嗜好が点在している。
 最も人気が集中しているのが70年代のジャズ・フュージョン期で、多分、そこに異論はないと思われる。ギターを「メインとした」ロックサウンドを追求した結果、ギターを「主役にする」ため、ヴォーカルを取っ払ってしまった一連のインスト作品は、ロック/フュージョンファン双方に好評を得た。テクニック至上主義ではあるけど、根っこにあるロックテイストは、程よいポピュラリティを生み出した。
 ロックバンドのギターアンサンブルが好きな層には、ジェフ・ベック・グループの人気が高い。ロッドとロン・ウッドという花形プレイヤー2名を擁したブルースベースの1枚目と、メンバーチェンジによってR&Bに路線変更した2枚目とでは、まるで別のサウンドではあるけど、どちらも根強い人気がある。別バンドだけど、ベック・ボガート&アピスもほぼ同じ括りで、こちらも日本では人気が高い。ここまでが70年代。
 その後、時代は大きく飛んで21世紀、すっかり過去の人、またはセミリタイアを満喫中と思われていたベックは突如復活する。あまり積極的ではなかったライブ活動も活発となり、加えて1999年の『Who Else!』以降、5枚のスタジオアルバムをリリースしている。
 ほぼ5年に1枚だから、このキャリアにしてはかなりのハイペースである。この他にもライブアルバムも8枚リリースしてるし。
 ほぼ孫世代の若手ミュージシャンを積極的に起用し、ライブで鍛え上げてアンサンブルを固め、頃合いを見てスタジオ入りしてアルバム制作という、理想的なロックバンドのルーティンが展開されていた。普通の70代なら手元もおぼつかず、難易度高いプレイはイキのいい若手に任せるものだけど、ギタープレイは以前にも増して手数は増えるわトリッキーな奏法に磨きはかかるわ、むしろ進化している。
 図らずも遺作となった最新作は、なんとジョニー・デップとの共演で、ここでも俺様節が炸裂している。ロウソクの最後の輝きなんてものじゃない、アイディアと奇想のぶつかり合い。
 なんでこの年齢で、こんなアクティヴなの?ちょっとは見習えよ、3大ギタリストの残り2人。

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 そんな毀誉褒貶の激しい波乱万丈なキャリアを築いてきたジェフだけど、80年代から90年代はパッとしない。フュージョン期最後となる80年『There & Back』以降から99年『Who Else!』 直前までは、あまり話題にのぼることがない。
 まだ70年代のフットワークの軽さが残っていた80年代はまだしも、90年代となると、まとまった作品と言えるのは、ロカビリーのカバーアルバムと雰囲気重視のモヤっとしたサントラの2つくらいで、いずれも前向きな仕事ぶりとは言いづらい。もしかして表に出ていないだけで、実は中途半端で投げ出されたデモテイクの山が残されているのかもしれない。今後、発掘されるのかね。
 ほぼニートみたいな活動ぶりだった90年代は置いといて、80年代を振り返ってみるとジェフ、結構手広く働いている。オリジナルのアルバムリリースは3枚、当時の同世代アーティストと比べると少なめだけど、ミック・ジャガーやティナ・ターナーのレコーディング参加など、少ないけど強いインパクトを与える仕事を残している。
 で、80年代にリリースされたのは『Flash』と『Guitar Shop』の2作だけど、一般的に後者の評価が高い。リリース当時の反応も、ギターをメインとした全編インスト作品であったことから、「ついに復活!」的なニュアンスで取り上げられることが多かった。
 対して『Flash』、「取ってつけたアーサー・ベイカーとは相性最悪」だの「People Get Ready以外はイマイチ」だの「ていうか、歌ってるの初めて聴いたけど声が微妙」だの、当時からネガティブな意見が多かった。前作から5年ぶり、満を持してのリリースだったにもかかわらず、肩透かし感が強かった。
 名前と存在くらいは知ってた当時の俺も、そんなロキノンレビューを真に受けて、実際に聴いたのはずいぶん後だった。

① 時代に迎合してパワーステーション・サウンドや大味なアメリカンロックを演じてみたけど、ミスマッチ感が失笑を買った『Flash』。
② 時代に迎合し過ぎた反省を活かし、っていうか「そんなの関係ねぇ」と言わんばかりに開き直り、轟音パワーで押しまくるパワートリオの直球ロック『Guitar Shop』。

 おおよそこんな対比と思われるけど、でもちょっと待ってほしい。「時代に迎合」って書いちゃったけど、そもそもベックが時代性を意識しないことなんてなかったか?
 プレイスタイル自体はずっと異端ではあったけれど、70年代のロック期もフュージョン期も、時代の要請に導かれたサウンドである。ベック自身の感性とベクトルは、各時代ごとのトレンドとシンクロしており、類似作はあっても逆行はしていない。
 そういった時系列で見てゆくと、『Guitar Shop』はベック・ボガート&アピスのリベンジマッチであり、93年の『Crazy Legs』もロカビリー懐古のコンセプト作であって、前向きとは言い難い。こんなのは別に気張らなくても、片手間にできてしまうのだジェフ・ベックというアーティストは。
 なので『Flash』、いまだ空気みたいな扱いのアルバムだけど、先入観なく聴いてみると、思ってるほどの駄作ではない。ひとつのプロダクションで一気呵成に作られたのではなく、複数のセッションから構成されているため、ギターサウンドが物足りない楽曲もあるのは事実だけど、ある程度の商業性、メインストリームを視野に入れたサウンドコンセプトは、決して的はずれではない。
 当時、ヒットメイカーとして名を馳せていたナイル・ロジャースとアーサー・ベイカーの2大巨頭を擁しながら、US39位・UK83位とチャートは低迷した。一見すると、この時代のベテランアーティストにありがちな「時流に踊らされて大恥かいちゃった」パターンだけど、少なくとも前向きではある。
 ややオケと噛み合わなってないトラックもあるけど、インスト曲はアベレージを充分満たしている。もっとデジタルっぽさを強調すれば、トリッキーなギタープレイとマッチしていたはずだけど、ちょっと時代を先取りし過ぎた。テクノロジーが追いつくには、世紀を跨がなければならなかった。
 ヴォーカルパートも、いっそ全部ロッドに振っちゃった方がレベル上がったんだろうけど、それじゃどっちが主役かわかんなくなっちゃう。やっぱ、これでよかったんだな。




1. Ambitious
 ナイル・ロジャース作による典型的なパワステ・サウンドで、ジェフのギターを抜けば凡庸なコンテンポラリーロック。こんな風に書いてるけど、ギターソロの存在感が前に出ているため、案外悪くない。
 バンドのヴォーカルオーディションを模したPVは様々な有名人がカメオ出演しており、代わる代わるマイクに立って実際に歌っている。おそらくアフレコだろうけど、みんなそこそこ巧い。この辺が、アメリカのエンタメ界の裾野の広さなんだろうな。
 やたらオーバーアクションで演奏するジェフも笑顔を見せており、そこそこ楽しんでたんじゃないかと思われる。あんまり映ってないけど、フィンガーピッキングも見ることができる。




2. Gets Us All in the End
 デフ・レパードかヨーロッパを連想させる、繊細さも色気も何にもないハードロック。冒頭の気合入ったギタープレイ自体はいいんだけど、ていうかジェフである必要性がまるでない。
 アルバムセールスの好調を見越して、のちのちシングル向けの楽曲として用意して、実際その通りになったんだけど、結果はビルボードのメインストリームチャートで最高20位。あれ、そこそこ評判良かったんだ。大味なサウンドなので、サバイバーあたりと勘違いして聴かれていたのかもしれない。

3. Escape
 以前もコラボしていて、相性の良いヤン・ハマーのプロダクションによるインストチューン。ジェフの、というよりほぼハマーの世界観にゲスト参加したみたいな感じなので、安心して聴ける。他のトラックと比べて、ギターはそれほど暴走していないため、安定感はある。
 従来ファンへの抑えとしては有効。当時のハリウッド映画って、こんなサウンド一色だったよな。「ビバリーヒルズ・コップ」や」「マイアミ・ヴァイス」やら。

4. People Get Ready
 最近も車のCMで起用されて耳にすることが多いけど、昔も何かのCMで使われたよな。すぐに思い出せないけど。
 オーティス・レディングで言うところの「The Dock of the Bay」みたいな、ロッド・ジェフ双方にとってベタな選曲で一般的な人気も高い曲だけど、そういった先入観を抜きにしても、やっぱりいい。当時の2人のいいところが全部詰まっている。
 もともとロッドのソロアルバムにジェフがゲスト参加して、そのお返しで参加した、という流れなのだけど、ここでそのままユニット結成ってわけには行かなかったのが惜しまれる。
 何度も繰り返し見たけど、思いっきりセンチに振ったPVもいい。




5. Stop, Look and Listen
 前述のヤン・ハマーをもっと下品に展開した、これ見よがしなオーケストラヒットから始まるロックチューン。ロックアーティストが不慣れなダンスチャートに食い込むため、いわばエクステンデッド・ミックスしやすいトラックを組んだナイル・ロジャース。考え方は間違っていないのだけど、イヤやっぱヴォーカルがきついわ大味すぎて。
 ジェフのギターソロもトラックに準じたプレイで独創性が少ない。もうちょっと自由にエキセントリックに、リズム無視するくらいで弾かせてあげればよかったのに。

6. Get Workin'
 ジェフ自身のヴォーカルによる「エレクトリック・ダンス・ポップ」って形容したらいいのか、まぁとにかくそんな曲。「あぁこんな声してるんだ」っていう印象。
 くり返すようだけど、デジタルビートと予測不能なジェフのギタープレイとの相性は、決して悪くない。ドラムンベースやテクノみたいなアプローチがまだなかった時代ゆえ、ここまでが限界だったのだ。おそらくジェフの中では、曖昧ではあるけれどビジョンは見えていたはずで、ただ前例がなかったしシンセ使いでもなかったから、そんな意図をナイル・ロジャースには伝えきれなかった、ってわけであって。

7. Ecstasy
 普通にビートの効いたエレポップとしても出来が良い、このアルバムの中では比較的成功しているんじゃね?と思わせてしまうトラック。クレジットを見ると、作曲クレジットにサイモン・クライミーの名が。
 日本でもCMに起用されたりで、やや名の知れていたエレポップユニット:クライミー・フィッシャーの人だった。キャッチーでツボを心得たメロディは、前述のジミー・ホールが歌っても大味に聴こえない。やっぱプロダクションって大事なんだな。

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8. Night After Night
 再びジェフ・ヴォーカルによるエレポップチューン。おそらく「Let’s Dance」みたいにしたかったんだろうけどハマらなかった、そんなミスマッチ感が惜しい。スカしたヴォーカル・スタイルは大目に見るとして、曲芸的なアクロバット・ギタープレイは悪くない。
 要は当時のシンクラヴィアやDX7では、ジェフのギターサウンドに対してマシンスペックが足りなかった、っていう結論。

9. You Know, We Know
 この次の『Guitar Shop』で組むことになるトニー・ハイマスのプロダクション。適度なセンチメンタリズムを織り交ぜたプレイは、クラプトンっぽく聴こえるため、「らしくない」んだけど、でも弾いてるジェフは楽しそう。
 後半からシンセの音圧が高くなって、ギターとのバトルみたいな展開になるのが面白い。フュージョンとはまた違う、ロックの文法を使ったインスト作品は、ひとつの可能性を見出したんじゃなかろうか。
 ここまで書いてきてなんだけど、『Guitar Shop』聴きたくなってきちゃったな。続けて聴いて、また次回に書こう。





 

シニカルとおちょくりの間を反復横跳び - They Might Be Giants 『John Henry』

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 1996年リリース、5枚目のスタジオ・アルバム。バイオレンスと殺伐と魑魅魍魎が跋扈していた90年代アメリカ・オルタナ・シーンの中、ユルいハンドメイド風味な彼らのガレージ・ポップは、異端かつ新鮮だった。
 メガセールスとはまるで無縁の人たちだったはずけど、2005年、ディズニーからリリースした幼児向け教育アルバム・シリーズがヒットしてから、状況は一変した。ディズニーといえば著作権管理も含め、ポリコレ関連で何かと縛りも多そうで、皮肉屋のゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツとは相性が悪そうだけど、セールス推移も好調なため、シリーズは絶賛継続中である。
 シニカルが売りの彼らも、今度ばかりはさすがにわかりやすい構成を目指したのか、音のパーツは入念に吟味され、最小限の4〜5トラックに抑えられている。大げさに書いちゃったけど、要はいつもと同じ、歌詞とテーマさえ変えれば、いつものTMBQサウンドである。
 ディズニーの強力なバックアップを受け、安定した収入を確保したことで、シニカルとおちょくりの間を反復横跳びする彼らの活動方針は、ますます堅牢なものになった。普通のアーティストなら、大資本と組んだことで日和ったと批判されるものだけど、彼らの場合、そんな声も聞かない。
 ファンの目を気にしてディズニーへのアンチを表明するわけでもないし、それはそれ、あくまでビジネス・パートナーとして良好な関係を築いている。懐の深いパトロンぶりだな。
 最初のシリーズから15年ほど経過して、幼少時に自然とTMBGの音楽を刷り込まれてしまった世代が、そろそろスマホを手にいる頃である。単純なノスタルジーで、彼らがそのままTMBGファンになる確率はおそらく少ないだろうけど、もう10年くらい経てば、何かしらのきっかけでリバイバルが盛り上がっちゃうかもしれない。
 そんなことを真剣に危惧してしまう俺は、多分疲れてるんだな、きっと。

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 そんな杞憂はさておき、90年代オルタナを象徴する、耳をつん裂くラウドな音や、救いのない暴力的なテーマには馴染めない、または胸焼けしてしまったユーザーにとって、ライナスの毛布的な役割を担っていたTMBG。ニルヴァーナやパール・ジャムのようなメインストリームではなく、その裏道でコソコソ活動していた人たちであり、チャートでブイブイ言わせてたわけではない。ただ、そんなニッチで細かいニーズも、アメリカ全土からかき集めれば結構な数となり、このアルバムもUS最高61位と、そこそこの成績を残している。
 日本では輸入盤ショップや雑誌メディアからのウケが良く、90年代ロキノンやクロスビート界隈では、新作リリースごとにインタビューが掲載されていた。「ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツ」。ついフルネームで口にしてしまいたくなるユニット名のおかげもあって、この時期の彼らは、そこそこ知名度があった。
 グラミーやアリーナ・ツアーとは縁遠い存在ではあったけど、メジャーで4枚もアルバム・リリースできれば大したもので、この『John Henry』の頃には、そこそこ固定ファンもついてたし、小ホールくらいなら充分ソールドアウトできる程度のポジションにあった。正直、スタジアムを埋め尽くすような芸風でもないし、フェスでメインを張るほどの威厳はまるでない人たちなので、この辺をピークと位置づけて、あとはダラっと低め安定志向でやってく心づもりだったんじゃないかと思われる。

 ただ配給するレーベル側としては、現状維持ではなく、「もう少し欲持ってほしい」希望もあったのだろう。ドアーズを始めとして、古いカタログは充実しているけど、現役の目ぼしい稼ぎ頭がメタリカくらいしかいなかったエレクトラにとって、ドル箱アーティストの育成は通年の課題だった。
 80年代にピークを迎えたモトリー・クルーやアニタ・ベイカーは、90年代に入ってからセミリタイアしてしまったし、手堅く安定したカーズも失速の上、解散してしまった。ようやくアメリカでブレイクし始めたキュアーも、この頃から解散するする詐欺で不安定だったし、ディー・ライトはキワモノオーラ満載の上、一発屋感が否めなかった。
 ようやくWindows95が広まりつつあったご時世ゆえ、ネット配信なんて夢のまた夢、CDセールスが絶対基準だった90年代は、メジャー・レーベルの傍若無人ぶりがまかり通っていた時代でもある。他社のヒットメイカーを引き抜く営業力に欠けていたエレクトラは、地味だけどチマチマ売り上げを伸ばしているTMBGに「伸びしろがある」と勝手に決めつけ、有無を云わせず育成枠に入れたのだった。
 ひねくれたウィットとねじれたペーソスがクロスオーバーする彼らの音楽性は、薄く広く万人に指向するタイプではない。CMJやピッチフォーク、または前述雑誌メディアを情報源とする、ニッチなシェアを対象にしたものであり、どうがんばったってマスに訴求するタイプではない。
 言っちゃ悪いけど、メガセールスをバンバン叩き出すタイプの音楽性じゃないことは、アーティスト自身が一番わかってるはずだし、そもそも本人たちにその気がないことくらい、現場ディレクターだったら察せられるはず。ただ、それを判断するのは現場クラスよりもっと上、きちんとTMBGを聴いてるとは思えない上層部の見当違いが、そもそものトラブルの発端だった。

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 長らく「アウトローと山師とどんぶり勘定の無法地帯」とされていた音楽ビジネスも、90年代に入ってからは積極的にビジネス・スキームが導入されるようになる。収益性を高めた企業としての体裁を整えるため、経営陣に会計士や弁護士が加わるようになった/デカい顔をするようになったのが、この頃だった。
 音楽業界はおろか、青年期にまともに音楽を聴いてこなかった彼らゆえ、自社の作品やアーティストに思い入れがあるはずもなかった。彼らにとっては、ゴールド/プラチナ獲得する楽曲が「いい商品」であり、それを量産できるアーティストが「最良」とされた。中身はどうであれ、収益性の高さが唯一の判断基準だった。
 エルトン・ジョンとカーペンターズとビートルズくらいしか聴いたことがない彼らにとって、絶妙なアンサンブルや迫真のパフォーマンスは重要ではなかった。彼らの関心はもっぱら、制作コストや株価推移に向けられていた。
 デモテープにもアーティスト・ビジュアルにも関心を示さず、売り上げ推移グラフと上辺だけのマーケティング・リサーチを判断材料に、机上の統計で「伸びしろありそう」と判断されたのが、当時のTMBGだった。当時のラインナップから察して、「まぁステレオラブよりはまだ成長株なんじゃね?」といった消極的な後押しもあったんじゃないかと思われる。
 マイナー志向ではあるけれど長いものには巻かれる、アングリー精神はなくはないけど、あんまり波風は立てたくない。
 あんまり人の意見は入れたくないけど、まぁエレクトラで3作目だし、あんまり意固地にならず、たまにはディレクターの次元も取り入れてやってもいいんじゃね?と2人で話し合ったのかもしれない。あんまり自分たちから進んではやりたくないけど、これも何かのきっかけとして、ちょっと型にはまってみようか、という経緯で行き着いたのが、ドラム&ベースを加えたバンド・スタイルのTMBQだった。

 それともうひとつ、前作『Apollo 18』がスマッシュ・ヒットしたことで、ライブのオファーが多くなったことも、心境の変化の一因だったと考えられる。基本、ライブでの再現を考慮してなかったTMBGではあったけれど、たった2人で全トラック演奏するのは、さすがにちょっと無理がある。だからといって、再現度を高めるためにテープ音源ばかり使うのも、ホール・クラスだと興覚めだし。
 小さなライブハウスから小ホールにグレードアップしたこともあって、サウンドもまたスケールにふさわしい、ライブ映え仕様にするのは、これまた自然の流れでもあった。
 まぁ、そんな風に自分たちに言い聞かせたのかもしれないけど、様々な思惑と大人の事情と成り行きを経て、『John Henry』は制作された。多くの楽曲制作はTMBG:フランスバーグ&リンネル2人によるものなので、大枠はそれほど変化はない。
 20曲も収録されているのに、トータルタイムは1時間を超えず、ほとんどの曲が2〜3分サイズなのは相変わらず。人生の深みや渋みなんてのはまったく考慮せず、どうでもいいくっだらねぇ主題やテーマばかりなのも、結局変わってねぇじゃねぇかといった次第。
 そんなユニットの本質は変わらないけど、上乗せするサウンドにはこだわったのか、なかなかの手練れが名を連ねている。ベースのTony Maimoneは、いにしえのポストパンク・バンドPere Ubuのオリジナル・メンバー。調べてみて初めて気づいたけど、もう1人のベースGraham Mabyは、あのジョー・ジャクソンの片腕的存在の人。デビューからずっとこの2人、腐れ縁みたいなものだけど、TMBGにも参加してたんだな。
 ギターで参加しているのが、こちらもルー・リードとのコラボが長かったRobert Quine。Maimoneはまだわかるとして、あと3人、どこで接点あったんだろうか。

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 ヒット作を作りたいという煩悩はちょっと足りないけど、今までよりも広い空間を想定したこともあって、ギターのエフェクトも重低音が強調され、リズムもまたラウドかつシンプルに変化している。グランジやメロコアというにはまだまだ牧歌的だけど、それでも充分、これまでより荒ぶった感は伝わってくる。
 演奏者が多くなった分、ピーク・レベルも広くなり、サウンドに重みが加わった。いわば外に開かれたサウンド・プロダクトで、グランジ系には見劣りするけど、音の厚みはそこそこ改善されている。
 エレクトラもそれに応じて、多分、メタリカの100分の1程度の経費をプロモーションにぶっ込んだはずなのだけど、肝心のチャート・アクションはほぼ前作並みという結果に終わった。とりあえずアベレージはクリアしたけど、結局、従来ファンが購入しただけで、新規ユーザーの取り込みは不発だった。
 エレクトラ経営陣としては、目論見が外れて不満だったけど、そもそも高望みしていないTMBGサイドからすれば、「そんなうまく行くはずないって」と肩をすくめるだけだった。サウンドはちょっと派手になったけど、基本姿勢は変わらないんだもの。そんなのは、本人たちもファンにも周知の事実であって。
 経営側としては、投下した資本は回収しなければならず、TMBGは引き続きスタメンの端っこあたりに位置づけられ、次作での挽回を期待される。ただ彼らがしくじったのは、TMBGにどれだけプレッシャーかけたって、右から左へ聞き流されてしまうことだった。だってTMBGだもの。
 その次作『Factory Showroom』は、引き続きバンド・スタイルで制作されたけど、『John Henry』で培ったオルタナ風味はきれいに拭い取られ、スカスカの作り込みポップに回帰していた。シャレで一回付き合ってみて、バンド・スタイルによるアレンジの可能性の広がりには理解を示した2人だけど、「やっぱガラじゃないよな」と悟ったのだろう。
 なんか思ってたのと違うカラーに染められそうになる危機感を覚えたTMBGの2人は、レーベルから要請されたプロモーション・ツアーを拒否し、その後、契約解消してインディーに戻ってしまう。拡大資本主義にとらわれたエレクトラの度量が狭かったということなのだろう。
 思えば、今も友好的な関係が続くディズニーのような懐の深さで、金だけ出して好き放題やらせてたら、また違った展開になってたんじゃないか、と思う。
 いや、そんな変わんねぇか、この2人じゃ。




1. Subliminal
 ピアニカによるイントロこそTMBGらしいけど、歌に入ると真っ当なギター・ロックなので、最も普通っぽく、同時に最も彼ららしくない、きちんとしたオープニング。年季の入ったファンなら、当時のムーヴメントへの痛烈な模倣/アンチテーゼと受け取れるけど、何も知らないウブなユーザーなら、つい正面から受け止めてしまいそう。
 多分、これ聴いて遡ってみて、期待はずれと思ったファンも多かったと思われる。

2. Snail Shell
 シングルカットされた、こちらもまともなギターロック。TMBGのくせにスラップベースまで入っていたりして、全体的にストイックかつソリッドなサウンドに仕上がっているけど、タイトルは「カタツムリの殻」。何かしらのハプニングで、殻からはずれてしまったカタツムリが困ってるところを、多分、親切な人間が元通りにしてくれて、その感謝の意を伝えている、といったくっだらねぇ内容。
 無理やりこじつければ、ヒューマニティな比喩が仕込まれているのだろうけど、そんなのをわざわざ探さず、鼻で笑って聴き流してしまうのが、年季の入ったファンのマナーであって。

3. Sleeping In the Flowers
 彼らの全レパートリーの中でも長尺の方に入る、なんと4分を超えるナンバー。多くの曲が2分台で終わってしまう彼らだけど、『John Henry』にはなんと2曲も収録されている。大方の曲のテーマが、わざわざ書き記さなくても済むような、くっだらねぇ内容ばかりなので、3分以上は間が持たないはずなのだけど、もしかするとこの時期は、マジでゴールド・プラチナを狙っていたのかもしれない。
 似合わねぇのにね。

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4. Unrelated Thing
 R.E.M.のパロディを真剣にやってみたような、牧歌的なポップ・フォーク。「いつもはフザけてるけど、その気になれば、これくらいできるんだよ」とでも言いたげな、なんかくやしいけどいい曲。

5. AKA Driver
 こちらはブリット・ポップの意匠を借りた、ちょっと懐かしい風味のパワー・ポップ。ヤダ、これも普通にカッコいい。予備知識なしで聴いたら虜になって、で、他のアルバム聴いて幻滅しちゃいそう。
 全体的にスミスのパロディっぽさが如実に出ており、彼らのファンなら血相変えて怒りそう。でもモリッシーなら、口元歪めるだけで許してくれるんじゃないかと思う。

6. I Should Be Allowed to Think
 中期ビートルズのテイストを90年代仕様にビルドアップした、軽快な8ビート・ロック。ポップでそこそこ粗野で、アバウトなユニゾン・コーラスで彩られ、よくできている。よくできているからこそ、なんかちょっと腹が立つ。
 やればできるじゃねぇか。

7. Extra Savoir-Faire
 やっと通常運転の彼ららしい、気の抜けたオープニング。まじめそうに歌ってるけど、これって「When I'm 64」じゃね?ヴォーカルもポール・マッカートニーに寄せてるし。

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8. Why Must I Be Sad?
 もうひとつの4分台、こちらはややサイケなグランジ風。ただ根がポップなので、どこか生真面目な姿勢の正しさは見え隠れする。強力で引き出しの多いリズム・セクションが加入したからこそ成立した曲であり、2人でチマチマやってたんじゃ仕上がらなかった、そんな曲。

9. Spy
 こちらもリズム・パートが大活躍のセクシーなロックンロール。クラッシュが解散してなかったら、こんな感じの切れ味鋭いナンバー連発してたんだろうな、と思うとちょっと惜しい。普通にレベル高い曲なのだけど、彼らに求められてるのはコッチじゃないのが、この曲の不幸だった。
 先入観なかったらともかく、従来ファンにとってはパロディに聴こえちゃうもの。

10. O, Do Not Forsake Me
 彼らのレパートリーの中では、また『John Hnery』の中でもひと際異彩を放つゴスペルタッチのアカペラ。ていうかヴォーカルを取ってるのは彼ら自身じゃなく、5人組のコメディアンらによるコーラス・グループ:Hudson Shad。
 彼らがクソ真面目に歌ってること自体がオチになっているのだろうけど、アメリカ以外じゃ伝わりづらいよな。まぁ「わかる人にだけわかりゃいい」っていう彼らのスタンスなんだろうけど。

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11. No One Knows My Plan
 一転して、陽気なスカ・パンク。王道オルタナ・ロックっぽさが薄いので、こっちの方が本来のTMBGっぽい。リズムがフィジカルになった分、躍動感が出ている。でもアクティヴなTMBGって、書いててなんか違和感だな。

12. Dirt Bike
 ジョン・リンネルのホーン・ソロから始まる、ルーズなタッチのロッカバラード。サウンドの質感はザックリしてるけど、歌メロがポップなので、親しみやすい。ねじれたギター・ソロも程よいアクセントとなっており、TMBGってクレジットしなければ、CMJチャートでもそこそこ健闘したんじゃないかと思う。






13. Destination Moon
 こっちはもう少しシンプルな、ステレオタイプなパワー・ポップ。そこまで凝った楽曲じゃないけど、市場ウケを考えるのなら、十分シングル候補。当時少しだけ流行っていたネオ・サイケ風味もあったりして、本気で売れるつもりだったんじゃないかと思えてしまう。やればこれだけできちゃうんだから、エレクトラも本腰入れちゃうよな。

14. A Self Called Nowhere
 続いて同系統の、もう少し荒ぶったパワー・ポップ。メロディや構成から見て、こちらの方が本来のTMBGサウンドで、バンド・スタイルでボトムアップした感が強い。でもやっぱ、ヴォーカルがムリしてるっぽいんだよな。どこかでハズして舌出すくらいでちょうどいいのに。

15. Meet James Ensor
 20世紀初頭に活動していたベルギーの画家:ジェームズ・アンソールに捧げた、という体のビート・ポップ。語呂がいいので歌詞に織り込んでみた感が強いけど、そういった軽いノリは彼らの真骨頂でもある。
 で、ジェームズ・アンソール、名前は聞いたことなかったけど、検索してみて記憶に残ってた絵があったので、さらにググってみると、やっぱ当たってた。
 ガブリエル・ガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』の文庫本表紙。昔読んだけど、この人の場合、短編よりも『百年の孤独』『族長の秋』など、ズッシリ重厚感のある長編の方が読みごたえがある。また再読してみたいけど、相当の気力と体力が必要だな。

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16. Thermostat
 「寒かったら上げろ、暑かったら下げろ」と、タイトル通りサーモスタットについて歌ったナンバー。リズムが立ってることもあって、普通だったらヨレヨレになってしまうところを、真っ当なロックチューンに仕上がってしまっている。隙がない分だけ、ビギナーなら引っかかってしまうかもしれない。

17. Window
 1分程度のサイケ・ポップなふざけた小品。本人たちもかしこまったロックばかり続いて居心地が悪いのか飽きたのか、箸休めでこういうのもあっていい。ていうか他のアルバムって、ほぼ箸休めばっかだけど。

18. Out of Jail
 気を取り直して、疾走感のあるロック・チューン。女性にそそのかされて冤罪で刑務所に入れられた男の独白とのアンバランスさは、彼らならでは。ラス前の目だたない所に入れるあたりが、彼らなりの営業面への配慮だったのか。





19. Stomp Box
 彼らにしては、やたらBPM走りまくりのスカ・パンク。デスメタルのパロディ的な歌詞も絶妙だけど、それよりも何よりも、2分弱で終わってしまうところが彼ららしい。これ以上引っ張ると息切れしちゃいそうだし。

20. The End of the Tour
 でも最後はしっとり、というのも彼ららしい。『Flood』の世界観が好きな従来ファンならたまらない、フォーキーなポップ・バラード。くだらなさは少ないけど、最後にこういった素顔をのぞかせてしまうのもまた、シニカルなウィットとのギャップ萌えとして成立してしまう。







還暦でも病み上がりでもコロナ禍でも、相変わらずのフットワークの軽さ。 - Elvis Costello 『Hey Clockface』

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 デビューからほぼずっと、年一ペースで何かしら作品を発表していたコステロだったけど、The Rootsとのコラボ・アルバム『Wise Up Ghost』リリース以降、その勢いは急速に衰えてゆく。完全にリタイアしたわけではなく、その後もコンスタントにツアーを回っており、なぜかTVショーのホストを引き受けちゃったり、決して悠々自適にふんぞり返っていたわけではないのだけれど、なぜかアルバムだけは制作する気配がなかった。
 83年にスマッシュ・ヒットした「Everyday I Write the Book」なんて、ものの10分程度で書き上げられたように、基本、スランプとは縁のない人である。プリンスやスプリングスティーン同様、デモや未発表曲のストックは膨大にあると思われる。
 ただアルバム制作となると、選曲や曲順を調整しなければならず、手持ちの楽曲を漫然と並べるわけにもいかない。ファンからすると、楽曲の当たりはずれが少ないため、それはそれで面白い試みだとは思うのだけど、さすがにプロだもの、そうはいかない。
 こだわるところは、とことんこだわり抜く。おそらく近しいスタッフでも見分けられない、ちっちゃい細かなディテールにも気を配っていたからこそ、長くやって来られた所以なのだろう。あぁめんどくさい。
 なので、アルバム制作は多くの気力・体力を必要とする。ぶっちゃけ、よほどの天才でもない限り、才能やスキルなんてのは、みんなそれほど大差はない。結局は泥くさい根気と執着がものを言うのだけど、そこが欠けていたのが、この時期のコステロだった。
 2018年、「コステロが悪性腫瘍の手術を受けた」というニュースが、世界中を駆け巡った。「全世界」って言ったらちょっと大げさだから、ちょっと遠慮して言ってみた。
 手術自体はスムーズに行なわれ、術後の経過も良好だった。おそらくブランクの辺りから、体力的な不安を薄々感じていたのだろう。
 還暦過ぎてあれだけアクティブに動き回れるのは、世界広しといえど、コステロとミック・ジャガーとデヴィ夫人くらい、多くのまともなベテラン・アーティストは、何がしかの持病や体調不良に悩まされている。活動ペースが緩やかになるのは自然の流れで、そうやってなし崩し的に、彼もまた徐々にフェードアウトしてゆくのかしら、と思っていた。
 キャリアの早い段階からナッシュビルに出向いて、全編カントリーのカバー・アルバム『Almost Blue』を作ったり、すでに達観した若年寄っぽかったコステロ、事あるごとに原点回帰するのは、今に始まったことではない。なので、カクテル・ジャズ風味漂う『Painted from Memory』スタイル、または、近年お気に入りのオルタナ・カントリー路線へ傾倒してゆくのも、まぁ納得できる。理解はしたくないけど、まぁ取り敢えず納得。
 多分、思うところはみんな一緒だったのだろう。5年ぶりにリリースされた『Look Now』は、いわば「置き」にいったサウンドだった。いつもだったら「またロック路線じゃねぇのかよ」と毒づくところだけど、手術の報を聞いた後だっただけに、それもはばかられる雰囲気があった。とにかく、遺作にならなくてよかった。そんなムードだった覚えがある。
 そんな『Look Now』、一応インポスターズ名義ではあったけれど、ロック・コンボ特有の前のめりなアッパー・チューンは少ない。バート・バカラックやキャロル・キングらベテラン勢との珠玉のナンバーも併録もされているのだけど、それがメインというわけでもない。
 それぞれのレベルは高いんだけど、レコーディングの時期も場所もバラバラなため、どうにもまとまりがない。「バラエティに富んだ作り」といえばそれまでだけど、フワッとした寄せ集め感は否めない。
 漫然とした作品群も面白いんじゃね?と無責任に前述しちゃったけど、やっぱもう少しでも統一感は欲しい。せめてどっちかのコンセプトに寄せればよかったのに。

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 そんな『Look Now』のレビューを、以前書いていたのを思い出した。何か書いたという事実は覚えてるけど、何を書いたかはさっぱり思い出せない。いつものことだ。
 なので、改めて読み返してみた。「大人になったコステロ」って書いてある。なるほど。
 ワーナー離脱以降、コステロの音楽遍歴はさらに混迷を増していた。普通、彼くらいのキャリアになると、腰を落ち着けてルーツ路線一本に絞ることが多いのだけど、そんな気配はさらさらない。むしろ、クラシックからヒップホップまで縦横無尽、加齢とは反比例して、そのフッ軽具合は増長している。
 もはや腐れ縁のインポスターズとも、始終一緒にいるわけではなく、短期でソロ弾き語りツアーを行なったり、レコーディング・セッションも多種多様なメンツが入れ替わったりしている。クラシック方面でも活動しているスティーヴ・ニーヴのスケジュールの兼ね合いもあるのだろうけど、ちょっとした隙間にも仕事を入れてしまうワーカホリック振りは、一体何なのか。回遊マグロみたく、止まったら死んじゃうと思っているのだろうか。
 で、一旦止まっちゃうと、なんか気が抜けちゃったのか、フットワークも重くなった。今どきアルバム作ったって、それほど売れるわけじゃなし、近年はさらにサブスクが追い打ちをかけて、著作権収入も期待できなくなったし。
 いま思えば、体力的な不安があってのブランクだったのだけど、でも普通に考えると、そろそろ歩みを止めてもいい頃合いであり、そういった世代だ。この時期に自伝をまとめていたのは、そういった感情も相まっていたんじゃないか、と今にして想ったりもする。
 家でくつろぐことが多くなり、これまで触れることのなかった媒体・メディアにも、自然と関心を寄せるようになる。まさか『映像研には手を出すな!』までチェックしていたのは予想外だった。あの作品のどこが彼のツボだったのか、その後の作品に影響があったかどうかは別にして、少なくとも、日本での知名度はちょっぴり上がった。

 術後の経過も良好だったらしく、2018年初夏からコステロ、欧米中心に怒涛のライブ本数をこなしている。普通ならリハビリがてら、ニーヴと2人でコンパクトなアコースティック・スタイルで始めそうなものだけど、初っ端からインポスターズが同行しており、ハイテンションぶりは相変わらずだった。
 2019年に入ってもそのペースは落ちなかったため、おそらくワールド・ツアーに向けての肩慣らしという意識もあったのだろう。その前にスタジオに入り、インポスターズ名義のアルバム制作も考えていたのかもしれない。
 体調的には何の問題もなかった。ただ、自分の力だけではどうにもならないことは、たくさんある。コステロだけじゃなく、全世界がそう痛感せざるを得なかった。
 大規模なコロナ禍の煽りを喰らい、ほぼすべてのライブは中止、または無期延期となった。当然、まともなスタジオ・レコーディングはできず、インポスターズは開店休業となった。
 これまで様々なスタイルでのレコーディングを行なってきたコステロなので、ギターやピアノ一本だけでねじ伏せるのは可能なのだけど、ライブならともかく、スタジオ・テイクでそれをやられちゃうと、実はあまり面白くない。意外とかしこまっちゃうんだよな。

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 一応、ご時勢に合わせてWebキャストもやっていたコステロ。そんなに本腰入れてたわけではなく、ヒマつぶしがてらのファンサービスといった程度だったけど。無観客だと調子が出ないこともあって、臨場感が伝わりづらい配信ライブだと、彼の良さがあまり出てこない。
 とはいえ、黙ってもいられない。やはり人は、いや彼は走り続けてこそ、エルヴィス・コステロなのだ。立ち止まったままでいると、沸き上がる自分の熱で茹だってしまう。
 あれもこれも縛りや自粛ムードで抑えつけられた状況の中、コステロは2020年、ソロ名義で『Hey Clockface』をリリースした。彼クラスのベテランだと、リリース・スパンが10年を超えるのも珍しくないのだけど、たった2年のブランクで新曲ばかりのアルバムを出すのは、かなり奇特な存在だ。いや、ファンとしてはありがたいんだけど。
 まず彼が向かったのがフィンランド、ヘルシンキのスタジオだった。これまでレコーディングでは縁が薄かったはずだけど、まさにそんな環境を求めたのか、ここでの3曲は、ほぼすべての楽器を自分で演奏している。
 続いてパリに向かい、ニーヴを中心に編まれたアンサンブルで、9曲。さらにそこからニューヨークへ飛び、旧知のビル・フリーゼルらとリモート・セッションを行なっている。
 病み上がりの上、コロナ禍真っただ中だったはずなのに、やたらアクティヴだな。体力的な制約もあって、独りマイペースで作業を進めたかった気持ちは、わからないでもない。こんなご時勢ゆえ、リモートでの実験的なレコーディングというのも、興味半分でやってみたかったんだろうし。
 何かと制約の多い逆境をひとつのステップと捉え、ミックス作業も敢えて立ち会わず、大方をリモートで済ませたのは、懐の深いベテランの余裕だったのか。もともと戦略的に考えてる風じゃないし、いわば出逢った人の縁に流されるまま、行き当たりばったり。そんな縁を引き寄せる、または感じる嗅覚に秀でてるんだよな。
 製作手法としては番外編的なもの、ちょっと試しにやってみた的なアプローチなので、おそらく今後、同様のスタイルで作ることは、多分ないと思われる。「同じことを2度も繰り返さない」なんて前向きなモノじゃなく、いわば限定された条件下での気まぐれみたいなものだから。
 そういえばポール・マッカートニーも、ほぼ時を同じく、全編ホーム・レコーディングによるフル・アルバム『McCartney 3』を作り上げた。年齢から鑑みて、状況が好転するのをただ待つほど、残された時間は少ない。限定された環境の中、押しも押されぬレジェンドである彼が取った選択は、ひとつの答えだったと思う。




1. Revolution #49
 中近東の不穏なドキュメンタリーのサントラ的な、あまりなかったタイプの曲。コステロはモノローグのみで、なんか怖い。出だしの音は尺八っぽいけど、多分ホーンだろうな。エレクトロなインド風味もあるし、どちらにせよ西欧のセオリーとはかなりずれている。
 今回コラボしているビル・フリーゼルとのライブ・アルバム『Deep Dead Blue』もそうだったけど、時々、こういったアンチ・コマーシャルなアプローチに走るんだよな、この人。
 
2. No Flag
 そんな不穏なプロローグに続くのは、ヘルシンキでのほぼソロ・レコーディング・トラック。いつもならインポスターズで成立してしまう、オルタナ風味のガレージ・ロックだけど、この機会とばかりにコステロ、DTMを多用している。
 そりゃリズム・ループって言ったって、プリセットをほぼいじらないで使っているんだろうけど、まぁあんまり使いこなしていてもガラじゃない。素材のデモテープっぽさを損なわず、レアなテイストを残すことでソリッドさを引き立てるプロデュース・ワークが光っている。

3. They're Not Laughing at Me Now
 『King of America』時代のアウトテイクのリメイク。って言われたらしんじてしまいそうな、正調カントリー・バラード。終盤に向かうにつれて、ドラム(っていうかデカい打楽器)の存在感が増してゆくことで、凡庸さにヒネりを加えている。ヴォーカル・スタイルはいつものコステロ節なんだけど、インポスターズとはアプローチの違うパリ勢が、ちょっぴりインダストリアル風味を添加。

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4. Newspaper Pane
 メジャー時代以前のR.E.M.風味も漂う、ミステリアさを醸し出したバラード。ビル・フリーゼル参加のニューヨーク・セッションのうちの一曲。クセの強いメンツのわりに、仕上がりは案外聴きやすく、このメンツにしてはかなりポップ。直接顔を合わせないリモート・セッションだけど、変なぎこちなさもないので、距離感が逆にまとまり良く作用したのか。
 コステロのリーダー作というより、ゲスト参加セッションっぽい雰囲気もあり、これはこれで面白い。

5. I Do (Zula's Song)
 再びパリ・セッション。コステロのヴォーカルは情緒たっぷりなんだけど、ニーヴが仕切るバッキングのサウンドは対してドライで、そのコントラストが絶妙。もともと声質的にロマンティックさはないので、どれだけウェットに寄ろうとしても湿っぽくならないのが、この人の特質であって、でも本人的には多分、コンプレックスだったんじゃなかろうか、と。まぁ芸歴40年過ぎちゃうと、そんなのも取るに足らないことなんだろうけど。

6. We Are All Cowards Now
 ほぼソロ・ワークのヘルシンキ・セッションより、マイナー調のガレージ・ロック。ヴァーチャルなバンド・セッションなので、良く言えば浮遊感、穿った言い方では不安定とも言えるアンサンブルは、逆に今の時代ならアリか。

7. Hey Clockface / How Can You Face Me?
 能天気なスキャット、っていうかフェイクから始まるミュージカル風味あふれるジャズ・ナンバー。もしかして序盤で油断させといて、終盤に入ってカオスな展開になるパターンなのかも、と思って聴いていたら、結局ほんわかしたまま終わってしまった。何でも斜に構えてみるのは良くないな。素直に楽しもうよ、俺。

8. The Whirlwind
 バカラックからの影響色濃い、流麗なピアノ・バラード。こういった曲の時のコステロ&ニーヴは最強。
 バラード中心のアルバムと言えば『North』だけど、そういえばちゃんと聴いたことなかったよな。この人の場合ジャズに寄ると、とことん地味になり過ぎちゃうので、メロディ主導のバカラック・テイストからのアプローチがしっくり来る。




9. Hetty O'Hara Confidential
 甘口になり過ぎないようバランスを取ったのか、独りでやりたい放題のヘルシンキ・セッション。その中でも異彩を放つEDMチューン。コステロ流トラップとでも言うか、まぁ踊れないけどビート感の強いナンバー。
 ベテランが独りでスタジオに籠ると、お遊びで一曲くらい、こういうのができちゃうものだけど、片手間じゃなくきちんと形に仕上げてしまうのがこの人の常であって。そういえば、ヴォイス・パーカッションをフィーチャーした曲ってなかったよな。

10. The Last Confession of Vivian Whip
 ガシャガシャ騒々しい「Hetty O'Hara Confidential」を挟んで、8曲目「The Whirlwind」に続く正調ピアノ・バラード。インターミッションと言うにはキャラが強すぎるよ「Hetty O'Hara Confidential」。
 通常のロック・コンボ・スタイルでは表現しづらい、こういったピアノ・バラード、またはストリングスをフィーチャーすることで成立する楽曲をプレイするためには、時にインポスターズという存在が足かせとなってしまう場合もある。あらゆる可能性を志向するコステロにとって、インポスターズ以外と言うチャンネルを持つことは必然なのだな、ということに、今さらながら気づかされる。こういう曲聴くと、特に。

11. What Is It That I Need That I Don't Already Have?
 『King of America』というより『Mighty Like a Rose』、アーシーなAORバラード。垢抜けたワーナー時代のコステロのアウトテイクっぽさがチラホラ。同じバラードでも、ギターがメインとなるとエモーショナルさが増し、いい意味での粗さが際立ってくる。かしこまり過ぎるのもガラじゃない人だし。

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12. Radio Is Everything
 硬めのモノローグから察せられるように、ニューヨーク・セッションより。今回収録されているのは2曲だけど、アウトテイクはあるのだろうか。リモートとはいえ、ちょっとした外出さえままならない、最もシビアな時期のセッションなので、そんなに時間はかけられなかったとは思うのだけど、ポエトリー・リーディングという可能性はまだ未知数なので、仕切り直してまたやってほしいな。

13. I Can't Say Her Name
 タイトル・チューンと連作って言っちゃってもよい、のどかなミュージカル・ジャズ。このパリ・セッションの中では最もフレンチ感が漂い、ラフさが伝わってくる。アブストラクトなニューヨーク&ヘルシンキと比べると、相対的にパリは肩が凝らない。多分、本人的にはユル過ぎじゃね?と判断したんだろうけど。

14. Byline
 エモーショナルなヴォーカルと、それを下支えするピアノの響き。適度にアクセントをつけるゲスト・ミュージシャンの面々。それらのトライアングルがうまく嚙み合わさったことで生まれたバラードがラスト。コステロの楽曲でこういう言葉はあんまり使いたくないんだけど、「珠玉」って言葉がふさわしい。そんな陳腐な言葉を浴びせられても動じない、短いけど地力の強い楽曲。








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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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