好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Rock : Japan

「この5人が集まればバービーになる」。 - バービーボーイズ 『MasterBee』

folder まさかまさかの30年越し、ほんの数年前までは誰も予想していなかった、バービーボーイズ、フル・ラインナップでのオリジナル・アルバム。大抵の再結成バンドが、満を辞してのアルバム・リリースしたはいいけど、セールス的に大爆死しちゃうこのご時世、なかなかの英断である。
 ほぼ全員が「再結成なんてダセェ」と言い放ってしまう人たちなので、パーマネントな再結成はあり得ないと思っていた。フェスや企画での期間限定・ワンショットの再結成はあったけど、だらだら長く続けるのは、彼らの美学に反するんじゃないか、と。
 そんな風に思っていたのは周囲やファンだけであって、当の本人たちはといえば、すでにそんな段階を越えて達観していた。走り続けていたキャリアもひと段落つき、一周回って「かたくなに拒否るのも、逆にカッコ悪くね?」といった心境にたどり着いたのだろう。
 ただみんなそれぞれ、今は自分のキャリアがあり、置かれている環境も違っている。なので、メンバーそれぞれのソロ活動を優先し、全員のモチベーションが高まった頃合いを見てスケジュール調整、短期集中型の活動スタイルとなっている。
 こういった活動形式は、近年の再結成バンド、例えば米米やユニコーンにも共通している。レコード会社主導によるリリース・スケジュールやツアー日程に縛られず、ゆるい連携をとりながら、長いスパンでマイペースに活動することが、良い結果を生んでいる。
 かつてのように、ヒットチャートを席巻するようなセールスはもう見込めないけど、80年代に活動していたバンド/アーティストは、単純にファン人口も多いため、そこそこの売り上げを確保することができる。コア・ユーザーがアラフィフということもあって、ライブでの物販単価や関連グッズ価格も、若手バンドよりも少し高めに設定できる。
 よほど欲の皮を突っ張らせない限り、古参ファンは簡単には離れない。ただ、そのポジションにたどり着くまでには、地道な努力が必要となる。
 そう考えると、そんなシステムの先駆者となった浜省って、すごいよな。まぁ長いスパンでの活動ペースを続けるため、結果的にこうなっちゃった的な部分はあるけど。

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 後になって、メンバーそれぞれが語っているように、バービーの解散劇は外部的な要因が多くを占めており、深刻な内部分裂が起因ではない。そりゃ始終顔を合わせていたわけだから、多少の衝突は出てくるのは致し方ないけど、そんな内輪の小競り合いが解散に直結したわけではない。
 もともと学校などのコミュニティの延長線上で結成されたバンドではなく、基本的には互いの人格を尊重しつつ、ほどほどの距離感を保つ関係性が、バンド内では終始保たれていた。
 プライベートも常に一緒というわけではなかったため、ドライな距離感という見方もできるけど、そこまでビジネスライクに徹していたわけではない。顔を合わせれば、言葉が少なくても意思疎通はできるし、多愛ないバカ話だってできる、そんなほどほど具合が、バンド内の均衡を保っていた。
 いたのだけれど、知名度もセールスものぼり調子で忙しくなると、それが逆に仇となる。関係者やらブレーンやら取り巻きやら事情通、何やら正体不明の輩がわらわら集い、5人のバンドは5人じゃなくなってくる。
 イマサが何をして杏子が何を考えているのか、コンタがそれを知るには、何人もの人を介さなければならない。ブレイクしたバンドは、そんな風に大プロジェクト化してゆく。
 それが続くと、次第に誰が何をどうしようが気にならなくなる。互いが互いへの関心を持たなくなり、バンドである必然性はフェードアウトしてゆく。
 そして、ジ・エンド―。
 プロジェクトは解体し、みな「元・バービー」という肩書きの個人に戻った。時々横目で互いをチラ見しながら、彼らはそれぞれ自分なりに、バービー「じゃない」ことを始めた。
 過去の栄光は、決して恥じるものではなかったけど、それに執着したり利用するには、みんなまだ若かった。「じゃない」キャリアを築く時間はたっぷりあった。

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 それぞれが時間をかけて、自分なりに納得のゆくキャリアを築いていった。そりゃ紆余曲折や妥協する場面もあっただろうけど、自分にもかつてのメンバーたちにも、誇れるポジションを作ることはできた。
 -ここまでで、ほぼ四半世紀。それくらいの歳月が必要だったのだ。
 再び、互いのキャリアを尊重できるようになり、メンバーと接する時間も少しずつ増えていった。
 かつてのように、ほどほどに。ただ前よりも、相手の気持ちを慮って。
 リハーサルで顔を合わせ、音を出した瞬間から、それまでの空白はすぐに埋まった。仲違いで袂をわかったわけではないので、距離はグッと近くなった。
 ただ、かつて何度も繰り返し演奏してきたし、感覚も戻ってきたはずなのに、アラフィフの身体は思うように動かなかった。かつての声やプレイはあの時代のもので、同じような音を出す方が、そもそも無理ゲーだったのだ。
 リハを重ねるにつれ、「別に過去の自分達のコピーをやる必要ないんじゃね?」という結論に行き着いた。酸いも甘いも噛み分けた、熟成された俺たちの今のプレイを見せる方が、ファンにとってはむしろ誠実なのでは―。
 まぁ、物は言いようだ。でも、変な気負いが抜けたことで、アンサンブルはまとまりを見せ始め、結局、かつてと同じクオリティを取り戻すことができた。何だそりゃ。
 アイドリングを兼ねたテレビ企画やフェスで存在を小出しにし、オーディエンスの反応をつぶさに観察した。5人で出す音に自信はあったけど、果たして21世紀のミュージック・シーンにおいて、そんなニーズがあるのかどうか。
 一過性の懐メロバンドとしてなら、そこそこの需要はありそうだけど、現役バンドとしてのニーズとしては、はたして。

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 多少の不安はあったけど、どうにかいくつかのライブを乗り切ることができた。最初っからレコーディング前提で話を進めるのではなく、客前で音を出すことから始めたのが、結果オーライとなった。やはり彼らはライブが身上のバンドなのだ。
 手応えを感じたことで、事は徐々に動き始める。ファンのニーズやマーケティングなど、そんなのは小さいこと。
 要は、「俺たちが、やりたいか・やりたくないか」。
 「結果がどう」とかより、まず、やってみっか。
 そんなこんなでバービー再結成が本決まりとなり、関係各所への調整やら根回しやら、段取りが進められた。事務所はバラバラだし、それぞれ断れない仕事があったりで、周辺スタッフの苦労といったら計り知れないものがあったと想像できる。
 往年のバンドのリユニオンといえば、なにかと大規模なプロジェクトになりがちである。当事者の預かり知らぬうちに、あれよあれよと事が進められがちなのだけど、バービー再結成は、極めてコンパクトな形で進められた。
 最低限必要なスタッフのフォロー以外は、ほぼ5人で進めていった。とはいっても、事務折衝のほとんどは、現役を退いてオーガスタの社長業に勤しんでいたコイソに丸投げされていたと思われるけど。 
 まぁ他の4人が、「そんなめんどくせぇ」ことに首突っ込むはずもないし。ただ、様々な収受選択は、5人の総意で進めていったことは確かである。

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 ほとんどのメンバーが大きなブランクもなく、ほぼ現役で活動していたこともあって、最初のヴァージョン『PlanBee』は現場感覚の強い音で構成されている。リリース時のインタビューを読むと、レコーディングにあたって、「ほぼ40年ぶりにイマサとコンタが合宿してみたはいいけど、やっぱみんな揃って音出した方がいいや」ってことで段取りが変わったり、「なんか知らないけど、5人で音出したら何となく合っちゃう」など、エピソードのひとつひとつがいちいち面白い。


 まぁみんな腐れ縁というか、互いが互いを好きで仕方ないんだろうな。で、そんな破天荒で野放図なオッサン男子たちを、時々たしなめる杏子の立ち位置だったり、往年のファンとしては、そんなシチュエーションが想像できたりして、いちいち面白くてしょうがない。
 冒頭でも書いたように、今どき再結成バンドが新譜を出すのは、なかなかの英断もしくは暴挙である。あれだけ盛り上がったプリプリ再結成も、頑なに新音源には手を出さなかった。X JAPANなんて、「出す出す」って言いながら、ずいぶん前にタイミングを逸してしまって、多分もう「なかったこと」にされてるのかな。それくらい、再結成バンドの新録音源はリスキーなのだ。
 あぁ、それなのに。バービーは「やりたかったから」の一念で作ってしまった。それでも、当初はこっそり配信のみでリリースする予定だったのだけど、何やらおだてられたり持ち上げられたりして、アナログ盤『PlayBee』は作っちゃうわ、曲追加してCD『MasterBee』まで作っちゃうわ。
 で、その『MasterBee』の追加曲というのが、今年1月に行なわれた代々木ライブの特典として、入場者全員に配ったCD音源という大盤振る舞いというか破天荒ぶり。ライブのCDって、プリンスも同じことやってたよな。まぁ、あれはメジャー・レーベルへの嫌がらせみたいなものだけど。
 で、今のところ、バービー本体の活動はお休み、めいめいのソロ活動中といったところ。具体的な活動再開はいまのところなさそうだけど、とりあえず解散することはなさそうなので、また気長に待とう。
 「2度も解散するなんて、再結成よりダセェよな」。
 多分、そんな風に言い放つ人たちだし。




1. ぼくらのバックナンバー
 豪快なザックリしたリフがリードする、バービーらしいオープニング・ナンバー。歌詞で描かれる男女の距離感や関係性も、30年の時空を超えて、そのまんま。
 ライブ映えするアッパーなテンポは、強引に往年のファンらを総立ちにさせ、若いファンも惹きつける魅力を発散している。「イヤ30年ぶりにここまでできるとは」と思ってしまうのは、まだ早い。この後も、スゴいナンバーが目白押しだから。

2. 無敵のヴァレリー
 先行シングルを1.と争った末、「青臭いかもしれない」「若者ぶってると思われるのはいやだ」というメンバーの意向を汲んで、結局これになった。俺的にはどっちもアリだけど、「ぼくらの」で始まるのが、さすがに気恥ずかしかったのかね。やはりそこは、最低限の分別は持った大人の主張である。
 奔放な街の女王:ヴァレリーに振り回され、翻弄される男どもとの対比は、考えてみればあまりなかった関係性。自由を愛する女性は成長し歳を取り、ここで母性を獲得するに至った。所詮、男たちはいつまで経っても、17歳のまんまなのだ。



3. CRAZY BLUE
 原型は10年前のライブで発表済だったらしく、厳密に言えばリメイク・ヴァージョンということになるらしい。ギターのパターンがちょっと古めで懐かし気で、現役当時の未発表曲と言われても、なんか信じてしまいそう。
 ソプラノ・サックスが大きくフィーチャーされており、昔はもっと綺麗な音色や旋律を意識していたと思うのだけど、ここではアンサンブルに引っ張られて、アバウトだけどガッツのある響きになっている。これも成長なんだな。

4. カリビアンライフ
 曲調自体は抒情的な、生活感があってほのぼのしたカントリー・ロックなのだけど、イマサ自身が歌っており、ヴォーカリストとはまた違った味が出ている。言葉遊びや言い回しが従来のバービーっぽさじゃない曲調・テーマなので、自分で歌ったのかね。
 レコーディング・スケジュール完了し、撤収する日の朝、突然イマサが「昨日曲ができた」とスタジオに入り、ほぼ仮歌同然だったけど、結局ノリで仕上げてしまった、というエピソードがある。そういった行き当たりばったり感が通用するのも、メンバーの意思疎通が捗っていた、ということなのだろう。

5. あいさつはいつでも
 初出は1986年リリース『3rd Break』のカセット版のみに収録、34年を経てのセルフ・カバーということになるけど、リズムが立ってること以外はほぼ完コピ。
 確かに勢いはこっちの方があるんだけど、わざわざ収録した理由はちょっと不明。ライブ用に跳ねてる曲を選んだんだろうけど、まぁやりたかったんだろうね。細けぇことはいいじゃん。

6. 翔んでみせろ
 最初期からライブの定番曲だったため、スタジオ・レコーディングする機会を今まで逸してきて、やっと収録の運びとなった。スタジオ用にアレンジするにも、あまりにできあがり過ぎてていじることもできず、かといってストレートに演っちゃうのもどうか…、と若き日のイマサが躊躇していたらしい。若いうちは、何かとメンドクサイことを考えたりする。
 そうやって一周回って、音を出した瞬間から、「これでイイじゃん」となって、結局まんまになっちゃった、という経緯。コンタの「翔んでみせろぉー!!!」のかけ声一発で、メンバー含め会場全員のアドレナリンが全開となってしまう、絵に描いたようなパワー・チューン。こういった曲がひとつふたつあると、ライブ・バンドとしては使い勝手が良い。



7. まかせてTonight
 バッキングは相変わらずの豪快さなのだけど、メロディがすごくメロウなパワー・ポップ。2人のユニゾンも懐かしいテイストだし、コール&レスポンスのタイミングも完璧。
 こういったのって、すごく考え抜いて練り上げたものじゃなくて、チャチャっと合わせられちゃうんだろうな。「まかせてTonight」ってフレーズが、もうアラフィフ世代にとっては、心のどこかがキュンとなってしまう。
 …書いててちょっと恥ずかしいけど、いいんだよっ80年代をリアルタイムで通過してきたアラフィフ世代の特権だこういう世界観は。

8. キッズアーオーライ
 ラストは「カリビアンライフ」のコンタ・ヴォーカル・ヴァージョン。リズム隊が入ったことで、イマサのヴァージョンより、もうちょっと作り込んでいる。ただザックリした不器用な少年っぽさは残しているので、どっちの優劣とかはない。
 もうみんな還暦近いんだけど、中身は17歳だもの。育ってきた環境や聴いてきた音楽も近いので、そりゃテイストは似てくるわな。






「いくつになったとしても、人は成長できるんだ」という、当たり前のことを伝えたいんだ。- 佐野元春 『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』

folder 1989年リリース、6枚目のオリジナル・アルバム。ユーミン無双まっただ中に加え、バンド・ブームによる若手台頭の中、オリコン最高2位をマーク、アルバム・アーティストとして安定したセールスを上げている。
 キャリア的にミュージック・シーンの中堅どころとなっていたこの時期の元春は、スマッシュ・ヒット『Someday』で定着しつつあった「ライトなポップ・ロック」というイメージを振り払うかのように、シングルごとに装い新たなサウンドを提示している。ジャズからレゲエ、ファンクのエッセンスをこれでもかとぶち込んだ、『Cafe Bohemia』収録のシングル群は、コア・ユーザーをも翻弄させる変幻自在ぶりだった。
 日増しにラジカルな傾向を強めてゆく元春は、その後、単なる表面的なサウンド・アプローチの変化にとどまらず、チェルノブイリの原発事故に触発されて書いた「警告どおり 計画どおり」を、初のピクチャー・7インチ・シングルとして緊急リリースする。すでにこの時点で、「強い信念とこだわりを持つアーティスト」というイメージは確立していたけれど、当時の佐野元春が時事性の強いメッセージを打ち出したことは、業界内外に衝撃を与えた。
 ブルーハーツ(シングル「チェルノブイリ」)やRCサクセション(アルバム『Covers』)など、体制へのアンチ表明がひとつのアイデンティティであったロック・バンドとは違い、いわばファンにとって、物分かりのいい兄貴的な存在だった元春が、明確な社会批判を口にしたのは予想外だった。逆に言えば、そういった立場であることを自覚していた元春が、そう口にせざるを得なかったほど、「原発問題というのは深刻なんだ」という問題提起のきっかけになった。
 炭鉱のカナリアよろしく、硬直化した世論へ警笛を鳴らした元春の行動は、潔いものではあるけれど、正直、メインストリームのアーティストにとっては、デメリットの方が多い。当然、エピックとしては前向きではなかったはずなのだけど、元春の強い意向に押し切られる形で、リリースは敢行された。
 RCやブルーハーツと違い、元春のシングルが発売中止や放送禁止に追い込まれなかったのは、エピック内における彼のポジション、また、バービーボーイズ:いまみちともたかの客演というセールス・ポイントの高さが前提にあるのだけれど、それとはまた別に、親会社:ソニーの企業体質も大きく起因していると思われる。
 ちょっと穿った見方だけど、RCが所属していた東芝=東芝EMIもそうだけど、ブルーハーツが所属していたメルダックは、三菱が親会社である。東芝・三菱ともいわゆる重電系、電力設備や工場施設が収益の柱となっている。そうなると当然、原発施設にも大きく関わっているため、子会社の暴走にはめっぽう厳しくなる。多少のおいたは聞き流すことができるけど、基幹事業に影響がある発言となると、受注や入札に影響してくるので、看過することはできない。思わぬところで、企業の論理というのは発動されるものだ。
 対してソニーはといえば、AV機器や家電を主力とした、いわば弱電系、原発関連への関与は極めて薄い。お上の意向に沿わないテーマのため、決して手放しで認めたわけじゃなかったはずだけど、アーティストの表現の自由や創作意欲を重んじる80年代ソニー独特の社風が、そんな主張を後押ししていた。少なくとも、現場では盛り上がっていたはずだし。

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 以前のレビューで、「元春の音楽遍歴では『Visitors』のみポッカリ浮いており、前後とのリンクがなくて突出している」とかなんとか、そんな内容のことを書いた。サウンド・プロダクションのプロットに日本側スタッフの関与が薄いこと、コミュニケーションの齟齬もあって、アメリカ側スタッフの意向が強く働いているため、結果的に異質かつストレンジなサウンドとなった、というのが俺の私見。



 日常会話ならともかく、技術面での意思の疎通は、専門用語に明るくない通訳を介してでは、限界がある。当時の状況では、細かなアンサンブルの修正やミックス・ダウンのニュアンスを伝えきれず、現場スタッフの判断に委ねる部分も、多かれ少なかれあったんじゃないかと思われる。
 「80年代初頭のニューヨーク・カルチャーの空気を余すところなく詰め込んだ」という意味合いでは、『Visitors』という作品は歴史的な名盤であるけれど、一方で、「元春のビジョンが完全に反映されたわけではない」という意味で言えば、過渡期の作品だった、という見方もできる。
 動向を見守り続けていたファン目線で言えば、初期元春サウンドの完成形となったシングル「Someday」を経て、基本構造はそのままに、ニューヨークの荒々しい空気感が際立った「Tonight」。これまでと一転して、無骨で愛想もない、勢いにあふれたサウンドだけど、メロディ・ラインはこれまでの延長線上のポップ・テイストが基調となっている。まぁこれはわかる。
 ただそこから、人力ヒップホップ・リズムとスクラッチ・ノイズが飛び交う「Complication Shakedown」となると、そのギャップはかなり大きい。『No Damage』からファンになった俺のようなビギナーでは、その振り幅に翻弄されてしまう。
 とはいえ、そこは北海道の中途半端な田舎の中学生、「なんかよぉわからんけど、新しくてナウい」といった風に、順応性もまた高い。「ラップってカッケー」と、すぐマネしてみたりする。

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 ニューヨークの狂騒的なカルチャー・ムーヴメントに触発された元春の熱はその後も冷めやらず、雑誌「this」の出版やポエトリー・リーディングなど、多岐に渡った活動を繰り広げている。単なるポップ・ミュージックの供給にとどまらず、当時の先鋭的なアングラ・カルチャーの紹介にも積極的に取り組んでいた。
 よく言及されるように、この時期の元春の一挙一動は、同時代のイギリス熱血代表:ポール・ウェラーとの相似点が多い。現状に満足せず、新たな音楽の創造という点において、当時の彼らは似たような道程をたどっている。
 自己模倣と様式美に染まりつつあった80年代パンク/ニュー・ウェイヴ・シーンに辟易していたウェラーは、人気絶頂の最中にあったジャムを解散し、いち早く既存のロック・サウンドからの脱却を図る。モッズ・スーツからDCブランドのサマー・セーターに衣替えした彼は、新ユニット:スタイル・カウンシルで、ジャズやボサノバ、ファンクやソウルまで、「とにかく、ロックじゃなければ何でもいい」と言いたげに、それこそシングルごとに新たなアプローチを提示し続けた。
 スタカンの『Our Favorite Shop』と元春の『Cafe Bohemia』とのコンセプトの相似や、「Shout to the Top」と「ヤングブラッズ」のサウンドの酷似など、心ない人による意見も多い。ただ、ひいき目を抜きにして、同時代を生きた真摯なアーティスト同士によるシンクロニシティというのが、リアルな見方なんじゃないか、というのが俺の私見。
 単純に考えて、ロックのスピリットを持ったアーティストが、既存のロックの文法を用いずに、新たなロックのスタイルを模索すると、行き着くところはどうしても似通ってしまう。どちらかが意識して寄せてきたのではなく、あくまで同時多発的なものだった、と。
 そういうことにしとこうよ。

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 で、新たなロック・サウンドの追求という行為において、異ジャンルとのミクスチャーとはあくまで手段であり、それ自体が目的ではない。ロックにヒップホップのエッセンスを取り込むことは、着眼点として新鮮だけど、だからといってそれ一辺倒のアルバムになると、そりゃまた話が違ってくる。
 『Visitors』のその先にある音が何だったのか、さらにラップ/ヒップホップに特化したサウンドの可能性とは―。
 秒進分歩で刻々と変化してゆく80年代のミュージック・シーンは、「深化」より「進化」が善しとされていた。ていうか、アーティストもユーザーも、ついてゆくことだけで必死だった。
 ニッチなジャンルを深く掘り下げてゆくより、あらゆるジャンルとの異業種交流、予測不能の化学反応を期待し、期待されてもいた。ヒップホップ一辺倒になるのではなく、新たな可能性を模索してゆくメソッドは、何も元春だけではなかったし。
 あらゆる音楽ジャンルの見本市となった「Cafe Bohemia」プロジェクト終了に伴い、ある種の達成感を得た元春が次に志向したのが、原点回帰とも言うべき、バンド・アンサンブルによるロックンロール・サウンドだった。
 渡米以降に得た自信と確信のもと、熟成されたサウンドとミュージシャン・スキルを求め、元春は単身、海外レコーディングへ出向く。

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 『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』というアルバムは、ミッシング・リンクである『Visitors』と『Cafe Bohemia』をすっ飛ばし、初期3部作に直結した作品、といった位置づけである。あるのだけれど、元春がデビュー前に影響を受けた音楽の蓄積で作られたのが『Someday』以前とすると、それ以降の能動的なインプットの成果が『Visitors』以降であり、『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』にもその影響は確実に及んでいる。
 「ふたりの理由」のような曲調は、以前のボキャブラリーでは書かれなかったはずだし、また表層的なサウンド面だけではなく、「おれは最低」とシャウトするアプローチもまた然り。かつての元春なら、同じシチュエーションならもっとウェットに、もっとナルシシズムの色彩が濃いピアノ・バラードに仕上げていたはずである。
 『Visitors』『Cafe Bohemia』とのリンクは少ない『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』だけど、曲ごとのコンセプトやアプローチは、初期とは確実に違っている。『Someday』リリース後に、同じ環境でレコーディングしたとしても、おそらくこのような形にはならなかっただろうし。
 同じ道筋をたどりながら、その足取りはかつてとは違う。履いてる靴も違えば、茫漠としていた目標も、少しずつ見えてきている。どうであれ、確実に前へ進む一歩であることに変わりはないのだ。
 人は、それを成長と呼ぶ。




1. ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
 1948年に上梓されたアメリカの作家サリンジャーの短編「バナナフィッシュにうってつけの日」からインスパイアされた、オープニングを飾るタイトル・チューン。「ナポレオンフィッシュって、どんな魚?」と画像検索してみると、多くの人はガッカリする。そのサリンジャーの短編とタイトルがまったくリンクしていない様に、元春もまた、何となく字面とフィーリングで選んだじゃないかと思われる。
 不条理な結末を迎えるサリンジャーの短編とは違い、ここでの元春はUKレコーディングというブーストを得てか、どの音にも強い確信と自信があふれ返っている。歌詞はどこか危うげでメランコリックな言い回しが多いのだけど、「そんなニュアンスわかんねぇ」と言いたげに、UKパブ・ロック勢の出す音の濃さと言ったらもう。
 驚いたことに、この曲のプレイ・タイムは、ほんの3分程度。良い曲は、時間軸を超えたスケール感を自然と有している。



2. 陽気にいこうぜ
 考えてみれば、これまでの元春の歌詞は「君」という言葉を使うことが多かった。一人称を好んで使わず、第三者としての観察者目線での情景描写・心情吐露が多かった。
 それは表現者として、どこかで照れ、または自信の弱さがあったのかもしれない。「健全な精神は健全な身体に宿る」とは言うけど、この場合、健全なサウンドを求めていた、ということか。
 確信の強いアンサンブルに支えられ、ここに来てやっと「俺はくたばりはしない」と言い放つことができた。また違う目線で見れば、そんな風に自分に言い聞かせることで、均衡を保っているのか。俺は前者と思いたいけどね。

3. 雨の日のバタフライ
 サウンド自体はメロウでシックなのだけど、テンポの速い8ビートによって、ウェットさをだいぶ抑えている。これがもっとスローになれば、大滝詠一「雨のウェンズディ」みたいになるのだけど、その境地に達するには元春、そこまで達観していない。
 リフレインされる「いつか新しい日が」と歌うその声は、どこか憂いに満ちている。決して100%前向きではない。ただ、後ろを振り向いてはいない。そんなヴォーカルだ。

4. ボリビア―野性的で冴えてる連中
 「99ブルース」からリズム・トラックのみ抜き出したようなイントロで始まる、攻撃的なファンク・ロック。「ボリビア」という語感からインスパイアされて一気呵成に書かれたような、勢いを優先して書かれたと思われる。
 ゴチャゴチャ理屈は抜きにして、ギターとリズムのコンビネーションにクローズアップした演奏が、ソリッドでカッコいい。こういったベーシック・トラックを創り上げるまで、元春は多くの試練を乗り越え、また克服してきたのだ。

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5. おれは最低
 イラつきを抑えきれない、焦燥感と渇望があふれ返った演奏とヴォーカル。東京でハートランドと行なったセッションは、ザラついた触感をむき出しにしている。

 仲のいいわかりあえる  友達のふりしてただけさ
 途方も無くくだらない街の聖者  気取っていただけさ

 ある意味、盟友とも言えるメンバーとのセッションで、ここまで自身を露呈する表現は、一聴すると何かしらのフラストレーションが溜まっていた、と思われがちだけど、歌ってる内容をそのまんま正面から受け取る必要はない。これまでのフォーマット化した「佐野元春」からの脱皮として、別の形の表現として見た方がいい。

6. ブルーの見解
 疲れた声色のポエトリー・リーディング。ここまで創り上げてきたパブリック・イメージの打開は、ここでもあらわれている。
 リフレインされる「俺は君からはみ出している」という言葉からは、トリックスターとしての「佐野元春」を背負ってゆくことへの疲弊、そして誤解を解くための徒労。
 吐き出したことで、ちょっとは楽になれたのだろうか。

7. ジュジュ
 カントリー・テイストの入ったフォーク・ロック。歌詞は元春流のプロテスト・ソング。曲調はすごく柔らかなのだけど、世界からの疎外感と諦念が、少し枯れた風情で歌われている。
 中堅アーティストとしてのポジションを築いたはいいけど、明確な目標が失われて、ペシミストに寄ってしまった30代中盤のリアルな男の叫びが、ここには刻まれている。それは、若い時よりむしろ、ちょうどこの世代になった時に聴き返した方が、むしろ染みる。
 もうちょっと前に聴いときゃよかったな。アラフィフになると、また意味合いが違ってくるし。

8. 約束の橋
 前曲の終盤で、バタンッとドアを閉めるSEの後、バンド・メンバーと息を合わせ、「約束の橋」はスタートする。ちょっとひねた感情から一新して、ポジティヴ感あふれる感覚は、アルバムを通して聴かないと味わえない。やはり、この曲はこのヴァージョンに限る。
 まさかリリースから3年も経ってから、月9主題歌に抜擢され、最大のヒット曲になるだなんて、誰が予想しただろうか。
 


9. 愛のシステム
 「システム」というワードを詞に取り込めるのは、この当時は元春くらいしかいなかっただろうな。ストリングス・シンセのフレーズが当時のUKポップを象徴しているのと、UKのわりにリズムが重くてアメリカっぽいアンサンブルだよな、というのは昔から思っていたのだけど、まぁポエトリー・リーディングにも転用できそうな恣意的な内容なので、ここまで大味な演奏の方がいいのかな、とは今になって思ったこと。

10. 雪―あぁ世界は美しい
 サウンドもそうだけど、この時期の元春は日本語の響きに強くこだわりを見せており、シンプルなワードの組み合わせによって、これまでのボキャブラリーとは違うアングルを試行錯誤している。
 この曲が特にそれを象徴しているのだけど、異言語コミュニケーションを重ねると、やはりこういったシンプルなテーマの方が伝わりやすいのかな、とも思ったり。
 ただそんな中でも、「今夜は俺は王になる  ただ一日だけの  今夜は俺は王になる」という一節に、表現者としての「ここだけは譲れない」エゴが表出したりしている。

11. 新しい航海
 E.ストリート・バンド・スタイルのおおらかな演奏は、従来ファンにとってはやはり聴いてて心地よかったりする。抽象的な単語の羅列も、ポップでチャラい頃の元春像が見えてくるのだけど、「こういうのもできるけど、もうこういうのだけじゃないんだ」という元春の強い意志表明とも取れる。
 求められているアーティスト像として、そして進むべきラジカルな作風との狭間。どちらかに大きく傾くのではなく、テーマによってどちらかの作風を使い分けるまでは、もう少しの時間が必要となる。

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12. シティチャイルド
 で、そんなアッパーなナンバーの続き。アナログで言えばB面に相当する流れだけど、11~12をA面に持ってこなかったことに、これまでの元春像との決別が感じられる。
 
13. ふたりの理由
 大抵、元春のアルバムはハッピーエンド的なアッパーなチューンがラスト曲だったのだけど、これは肩の力の抜けたミドル・バラード。ポエトリー・リーディングと歌とが交差する、独自の元春ワールドが展開されている。
 ちょっと「Heartbeat」っぽさもあるよなと思ってたけど、いまになって思えば、これが「Heartbeat」の発展形、ていうか、当時の元春は「Heartbeat」をこんな構成にしたかったんじゃないか、とも。





甲斐バンドのライブ・アルバムについて、いろいろ思うこと。 - 甲斐バンド 『流民の歌』

Folder 1981年リリース、甲斐バンド3枚目のライブ・アルバム。1枚目の『サーカス&サーカス』が1枚もの、次の『100万ドルナイト』が2枚組で、「3枚目だから3枚組か」と揶揄されたりもしたけど、レコード1枚2,800円・2枚組4,000円が相場の時代、3枚組としては破格の4,920円という特価でリリースされたこともあって、オリコン最高9位と健闘している。
 『Hero』と『安奈』のシングル・ヒットによって、お茶の間への認知も充分広まり、甲斐バンドの活動基盤は安定した。ストーンズやキンクスへのリスペクトが色濃いフォーク・ロックからスタートして、力強さと繊細さとを併せ持つに至った歌謡ロック路線は、時代の趨勢とうまくリンクした。
 セールス効果によるライブ動員も増えてゆく中、バンドはさらにその先を見据えていた。この後、甲斐バンドはシングル・ヒットを狙う戦略から、アルバム制作に重点を置く方針にシフトチェンジする。
 『流民の歌』は、結成からのベーシスト:長岡和弘が脱退して初のアルバム『地下鉄のメロディー』リリース後に行なわれたツアー音源を、主な素材としている。いわゆる『安奈』以降~『破れたハートを売り物に』以前、アルバム主義へ本格移行する直前の記録である。

 『流民の歌』に先立つこと1年ちょっと前、初の武道館公演を収録した『100万ドルナイト』がリリースされている。今の感覚で見れば、「かなり短いスパンでライブ・アルバムがリリースされてるな」と思ってしまうけど、当時のレコード・リリース状況からすれば、案外これが普通だったりする。
 西城秀樹も岩崎宏美も山口百恵も、全盛期の70年代には、ほぼ毎年のようにライブ・アルバムをリリースしている。日本のロックと歌謡曲とを同列に捉えるのは、ちょっと無理があるけど、当時の彼らのポジション=歌謡ロックという位置づけで考えれば、それもちょっと納得がゆく。サザンや中島みゆきだって、本人公認・未公認のベスト・アルバムが乱発されていた時代だったしね。
 「初武道館」という明確な達成目標の克明な記録という意味合いもあってか、アマゾン・レビューでの『100万ドルナイト』の評価は、おおむね好意的である。対して『流民の歌』だけど、こちらは複数公演からの抜粋という弱点もあって、微妙な評価が多い。
 多くのレビューで書かれているように『流民の歌』、歓声と演奏パートとのバランスや繋ぎが悪いため、擬似ライブっぽい感触がある。あるのだけれど、これって実はちょっとだけ誤解がある。
 『流民の歌』の録音はちょっと特殊で、NHKが開発した当時の最新技術「スペースサイザー360コンポーザー」を使用して行なわれた。すごく簡単に言うと、特別なシステムや複数スピーカーを用いなくても、サラウンド効果が得られる、という謳い文句のアイテムだった。
 一応、「四方八方からサウンドや歓声が飛び交い、絶妙な臨場感を味わえる」ということだけど、CDやサブスク音源ではあんまり効果は実感できなかった。もしかして、初版レコードならそのポテンシャルを引き出せるのかもしれないけど、俺もレコードは持ってないし、またほとんどの人がそんな環境を持っているとは思えない。
 CDは2枚組のため、レコード3枚組時代のようなディスク・チェンジの煩わしさはだいぶ解消されたけど、返して言えば、1.5枚分を無理やり1枚にまとめちゃっているため、昔から聴き込んでいるユーザーであればあるほど、居心地の悪い違和感が残る。
 とはいえ、時代に応じて価値観は変わってくる。PC・スマホ主流となった現在は、ディスク交換自体がなくなったため、どんな長尺のアルバムも一気に聴くことができるようになった。
 そうなると、そつなくまとめられた『100万ドルナイト』もいいんだけど、ラフで無骨な肌触りの『流民の歌』の良さが見えてくる。ライブ録音には不向きな武道館で、あれだけの高音質を実現させた『100万ドルナイト』も見事だけど、まるで録って出しのように荒々しい、良質のブートレグみたいな響きの『流民の歌』にこそ、当時のバンドのスタンスが反映されているんじゃないか、と思われる。

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 時節柄、休日といっても家に引きこもることが多いため、古いアルバムを聴き直す機会が多い。新しい音楽を遠ざけているわけじゃないけど、メンタルが求めているのかね、最近は10代・20代に夢中になったジャンルを掘り返している。
 そんな流れで甲斐バンド、『英雄と悪漢』から『シークレット・ギグ』まで、一気に通しで聴いてみた。ちなみに『シークレット・ギグ』以降の甲斐バンドは、俺的には思い入れも薄く、ちょっと別モノである。歯切れの悪い言い方だけど、まぁそういうこと。

 ライブ活動主体だった甲斐バンドがスタジオ・ワークへのこだわりを強めていったのが、『流民の歌』リリース前後とされている。年間100本以上のライブを敢行してきたバンドはこれ以降、レコーディングに力を入れるようになり、相対的にライブの回数は少なくなってゆく。
 スタジオ・ワークにこだわる=従来のレコーディングに不満を感じていた、ということである。ライブ演奏のテンションを、レコーディングでも再現したい―。ライブで本領を発揮するバンドであるほど、高くなる障壁である。
 初のライブ・アルバムとなる『サーカス&サーカス』は、録音自体そこまで分離の良いものではないため、歓声も演奏もダンゴになっちゃってる部分もあるけど、それを覆すテンションの高さが伝わってくる。重厚さや安定感には欠けているけど、「そんなのいいから勢いでねじ伏せちまえ」的な若気の至りが、むしろ潔ささえ感じてしまう。
 そんな無鉄砲さに惹かれて、「じゃあオリジナルはどうなの?」とスタジオ・アルバムを聴いてみると―、ライブと比べてまったくショボい。ライブで練り上げたアンサンブルをそのままスタジオに移植しているので、サウンドの差異はそれほどないはずなのに、なんか違う。デモテープ聴きながら忠実になぞっている、そんな拙さばかりが印象に残る。
 ―何でこんなに違ってしまうのか。
 恐らく本人たちも、そう自問自答していたんじゃないかと思われる。

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 甲斐バンド一気聴き一巡目は、俺の中でそんな結論となった。まだボブ・クリアマウンテンと会う前だったし、国内スタジオの技術的な遅れという問題もあった。針飛びを恐れるがあまり、ピーク・レベルがかなり低めに設定されていたことから、当時の日本のレコードは総じてダイナミズムに欠けていた。
 「甲斐バンドはやはりライブなのだ」という確信を持って二巡目、今度はライブ・アルバムに絞って聴いてみた。NY3部作以降はともかく、それ以前のスタジオ音源はまた別の機会に。
 初ライブ・アルバム『サーカス&サーカス』が放つ勢いは、観衆とバンドとの一体感によって成立している。熟練には程遠いバンドを支える観衆の熱狂、それに呼応して、普段以上のアドレナリンを放出するバンド、それらの相互作用によって。
 初期甲斐バンド楽曲の多くは、甲斐が影響を受けたアーティストへのオマージュやリスペクトが強く反映されている。ライブを重ねることでアンサンブルを整え、オーディエンスの反応を見ながらアップデートしているため、詞曲のクオリティは高い。
 高いのだけど、そのままスタジオ・セッションに移植しても、その通りにはならない。無観客ではアドレナリンも十分ではなく、その中途半端さがパフォーマンスにモロに影響する。
 ピーク・レベルを遵守したクリアなサウンドは、鮮明である分、ボトムの貧相さが露呈してしまう。あとでエフェクトなりコンプレッサーをかけたとしても、素材の状態が良くなければ、どうしたって一緒である。
 拙いながらも試行錯誤を重ね、スタジオ・テイクは発展途上としても、長年ライブで育ててきた楽曲については、ある程度満足ゆくクオリティに仕上げることができた。『サーカス&サーカス』とは、そんな位置づけのアルバムである。

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 で、次の『100万ドルナイト』になると、またちょっと違ってくる。前作との間はまる2年なのだけど、『Hero』以降にリリースされたこと、キャリア初の武道館公演ということもあって、スターダムを全速力で駆け上がる勢いが克明に記録されている。
 短いスパンでのリリースのため、『サーカス&サーカス』とかぶる曲も多いし、アンサンブルも大きな変化はないのだけど、下世話な話、バジェットが大きくなったことによる余裕と達成感が、出てくる音にも影響を与えている。勢い余って力み過ぎな印象もあったバラード・ナンバーも、ここでは硬軟使い分けてドラマティックな表情を見せている。
 ライブ・バンドとしてはひとつの到達点であり、事実、このアルバムをベストに推すファンも多い。ライブで起こり得る偶発性や奇跡という点において、やはりこの時期が甲斐バンドとしてのピークだった、というのは俺も同意。

 『流民の歌』は一旦置いといて、次は『Big Gig』以降。『シークレット・ギグ』は余興というかアンコールみたいなものなので別枠として、『Big Gig』と『Party』は、もう以前とは別のバンドである。
 ライブ音源とも十分拮抗できる、ボトムの太いスタジオ・レコーディング実現のため、甲斐は多くのサポート・ミュージシャンを大量起用した。さらに磨きをかけるため、多くの予算を割いて、ニューヨーク:パワー・ステーションのミックス・ダウン技術を導入した。妥協なきスタジオ・ワークによって、後期甲斐バンドのサウンドは緻密な肉体性を獲得するに至った。
 ライブの肉体性をスタジオで具現化することが、後期甲斐バンドが追求したテーマであった。あらゆる手段を講じることによって、そのクオリティは極限まで研ぎ澄まされた。
 ただサポート・メンバーへの依存度が高すぎたため、ステージでの再現が困難な楽曲が増えたことも、また事実。スタジオ・テイクを再現するため、ライブではテープやシーケンス使用も多くなっていった。
 『Party』は特にその傾向が強く、サポートの助力もあって、スタジオ音源と負けず劣らぬサウンド・クオリティとなった。なったのだけど、初期ライブで見られた偶発性は、そこでは失われていた。
 「それが進歩だ/完成形だ」と言われてしまえばそれまでだけど、「いや、そこ求めていたわけじゃないし」という声もあったりして。

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 で、『流民の歌』。『100万ドルナイト』で頂点に達したライブ・パフォーマンスがどう変化してゆくのか。東芝の要請もあって短いスパンで出すことになったライブ・アルバムだけど、人と同じこと/以前やったことを繰り返さないのが、当時の甲斐バンドの美学だった。
 モノクロで統一されたアートワーク、荒々しいミックスが象徴するように、この時期の甲斐は焦燥感とプレッシャーとが相まって、近寄りがたい殺気を放っている。かつてはコール&レスポンスから生ずる相乗効果によって、カタルシスを得ていた観衆に対しても、強い対抗心を剥き出しにしている。
 共感を誘う一体感を拒む、そんなザラついた空気は強い違和感を放つ。
 「俺たちの居場所はここじゃない」。
 この時すでに、彼らはずっと先を見据えていたのだ。
 一度作り上げたものを壊すことでしか、前に進むことができない―。そんな性を、当時の甲斐バンドは背負っていた。誰がそれを強いたわけではないのに、でも彼らは、それを受け入れた。他にも道はあったはずなのに、彼らは新たな道を切り開いて行くことを、自ら選んだのだった。
 ライブ・パフォーマンスの偶発性に頼らず、スタジオ・レコーディングのクオリティを上げてゆくことが、『流民の歌』以降の彼らの課題だった。そして、その試みは大きな成果となり、『Love Minus Zero』でやり切った彼らは一旦、活動に終止符を打つこととなる。
 ただ、安定を拒み、前のめりにぶっ倒れることも辞さない、そんな模索する甲斐バンドもまた、強烈な求心力を放っていたりする。洗練という言葉が最も似合わない。それがこの頃の彼らだ。
 ―とにかく仰向けに倒れなければ、今より確実に前へ進む。そんな姿勢や生き様が克明に刻まれているのが、この『流民の歌』なんじゃないかと思う。





1. 翼あるもの
 当時としては珍しい、パーカッションによるオープニング。当時、甲斐はリズム・アプローチで暗中模索しており、これまでのロック・アレンジに効果的なプラスアルファを加えるため、やたらパーカッションを多用していた。
 オリジナルは稚拙なレゲエ・ビートだったのだけど、ここではギターとのユニゾン、キーボードも効果的に使われているため、ギアが確実に一段上がっている。

2. 地下室のメロディー
 そういえば、これもオリジナルはスカ・ビートだったよな。オリエンタルなギターの音色が印象的な、これまでとはテイストの違うナンバーだった。パーカッションの連打以外は、スタジオ・テイクとそれほど大差はないのだけど、演奏が前に出たミックスによって、オリジナルの歌謡曲っぽさが薄まっている。
 
3. 一世紀前のセックス・シンボル
 70年代ストーンズのサウンドをオマージュし、歌詞もまるで直訳のようなリスペクトに溢れたバッド・ボーイズ・ロック。一聴ではラフなホンキートンクだけど、乱れ飛ぶパーカッションの響きが、祝祭感を演出している。

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4. カーテン
 スタジオ・テイクでは、淫靡なムード演出が稚拙で、歌謡曲とシティ・ポップのどっちつかずだったのが、ここでは骨太なリズムとギターが、強く背中を押している。「さぁおいで ここに来て」というフレーズも、オリジナルは囁き程度だったのが、ここでは強引に手を引いている印象。
 それよりも何よりも、この曲のハイライトはやはり後半のギター・バトル。「ギター・バトル」という言葉自体、すでに死語になっているけど、そそり立つテンションとカタルシスの放射は、問答無用のナルシシズム。

5. 嵐の季節
 先日、リモート・セッションでも配信されていたけど、あらゆる困難な状況において存在感を発揮する、ある意味、彼らのキラー・チューン。ここぞという時、この曲を聴いて背筋を正すヘヴィ・ユーザーは多い。
 「そうさ コートの襟を立て じっと風をやり過ごせ」
 無謀に立ち向かうのではない。かといって、背を向けるわけでもなく。
 拳は、これ見よがしに振り上げるものではない。ポケットの中で握りしめ、時が過ぎるのをじっと待つ。それが大人の男である、と甲斐は訴え続ける。



6. ポップコーンをほおばって
 言わずと知れた彼らの代表曲であり、ライブの定番。ライブ・アルバムの収録率も高く、よって、発表されただけでもいろいろヴァージョンはあるのだけど、まぁアンサンブルはほぼ不変。崩せないんだろうな、きっと。
 起承転結もはっきりして、英語のフレーズはひとつも使ってないのに、それでもちゃんとロックに聴こえてしまう、非常に完成度の高い楽曲である、と気づいたのはつい最近。持ち上げすぎかもしれないけど、デビュー時からこんなの作っちゃうと、後が大変だったことが察せられる。

7. 氷のくちびる
 「Hotel California」にそっくりだなんだ、というのは昔から言われてたけど、まぁ今さら蒸し返すのは野暮なのでスルーして、それより気になるのは録音の悪さ。ここまで比較的クリアな音質だったのだけど、マイクが声拾ってなかったり音割れしたり、評判の悪い歓声のアンバランスなんかが、ここで全部露呈している。
 もうちょっと何とかならなかったのかね、と思うのだけど、演奏のテンションはこれが一番だったのか。その辺はちょっと謎。

8. 最後の夜汽車
 スタジオ・テイクとあまり変わらない構成で演奏される、ファン以外にも人気の高いバラード。明石家さんまがフェイバリットに挙げ、近年ではMISIAがカバーしたことによって、知名度は案外高い。
 ライブならではの臨場感、そして感極まる甲斐のヴォーカルを堪能するには、最適のナンバー。ツボを押さえる感傷的なメロディーでありながら、ベタつく印象がしないのは、甲斐の声質に依るところが大きい。

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9. 安奈
 逆に、ライブによって無骨な印象となるこの曲は、むしろスタジオ・テイクの方が良かったりする。リズムが前に出過ぎてるせいもあるけど、この曲はいい意味で歌謡曲なので、むしろ淡々としたバッキングでメロディーを強調した方が、しっくり来る。
 そう考えると、スタジオでもライブでもあまりブレることのない、安定した甲斐のヴォーカルが光っている。テレビで歌われる「安奈」は力み過ぎなところがあるけど、こんな感じでサラッと歌う方がフィットしている。

10. 二色の灯
 スタジオ・テイクはメロウなフォーク歌謡といった風情。あんまりよく知らないけど、ガロのアルバム曲っぽい。対してライブはちょっとテンポを落とした弾き語り。悲し気に響くブルース・ハープ、強くつま弾かれるアコースティック・ギターが、無骨に吐き出される。
 決して間口の広い曲ではないけど、甲斐バンドのダークな側面を最も反映していることは確か。きちんと対峙して聴き入ってしまう魅力がある。

11. きんぽうげ
 アフロティックなリズムの乱舞に続き、最高潮に達した観衆の声援。言わずと知れたライブの定番であり、名曲であるけど、あんまりコンガが似合う曲ではないよね。
 映像を喚起させる情景描写を20代そこそこで書き上げてしまった甲斐の文才も然ることながら、幾度も演奏しているおかげで安定したアンサンブルも絶品。ただ、安定し過ぎというか、破綻もないのでそんなに面白くはない。

12. 涙の十番街
 なので、当時のレイテスト・アルバム『地下鉄のメロディー』収録曲である、演奏回数の少ない楽曲の方が、逆に面白かったりする。正直、スタジオ・テイクはどのパートもコントラストが強くて、ミックス的には単にクリアなだけで失敗しているのだけど、ライブではうまく改善されている。
 中途半端な歌謡ロックを、ライブのテンションによって、ソリッドなロックに転換できる。そんな地力が、当時の甲斐バンドにはあった。

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13. HERO(ヒーローになる時、それは今)
 言わずと知れた大ヒット・チューン。多分、イベンター側もファン側としても、いつ演ってくれるか待ち望んでいただろうけど、ここはギター中心のライブ・アレンジですっきりまとめている。まぁこの曲だけのために、ストリングス配置するのも現実的じゃないし。
 今じゃテレビ出演の際も気軽に応じてくれるこの曲だけど、解散前までは敢えてセットリストから外されることも多く、いわばレア曲であった。そう考えると、貴重なテイクではある。

14. LADY(レディー)
 オリコン首位を獲得した「Hero」の直前にリリースされたシングルであり、当時最高94位だったことで、そのギャップの大きさだけで語られることが多い重厚なバラード。スタジオ・テイクの甲斐の声は少し甘さが勝って、未練を引きずった男の純情が表現されていたけど、ここでは激情的かつ傷心を跳ね返そうとする男のマッチョイズムが浮き上がっている。
 甘くメロウな甲斐のヴォーカルも魅力的だけど、時に暴力的でさえあるライブの顔は、その後のハードボイルド路線への伏線とも取れる。

15. ビューティフル・エネルギー
 ただマッチョだ豪快だ、とばかりでは肩が凝る。一本調子にならぬよう、ここで思いっきりポップな松藤登場。ドラムスでありながらメロディアスな特性を持つ松藤が奏でるシティ・ポップは、ちょうどいいブレイクとなっている。
 
16. 汽笛の響き
 ヴォーカルは甲斐だけど、これも松藤作の軽快なカントリー・ロック。当時はシングル「感触」のB面としてリリースされ、それほど認知度は広くなかったはずなのだけど、コア・ユーザーには人気だったのかね。
 まるでオーヴァーダブしたように、歓声がフェード・インしてくるあたり、ポップなメロディーが親しみやすかったんじゃないか、と勝手に想像。

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17. 荒馬
 ニール・ヤングへのオマージュのような、荒々しいストローク、そして情緒的なスライドの響き。これも初出は「ビューティフル・エナジー」のB面と地味な扱いだったのだけど、ライブ映えする無骨さとダンディズムは、強い存在感を醸し出している。

18. 天使(エンジェル)
 ツアー中にシングル・リリースされたアルバム未収録曲。ポップな味わいのフォーク・ロックなバッキングと、ロック・テイストの甲斐のヴォーカルとのギャップが気になるけど、当時はコレで充分ウケが良かったんだろうな。
 この数年後、甲斐はこの曲をマッチョにブーストしてリメイクするのだけど、正直、俺はそっちの方が好き。まぁでも、歌詞とフィットするのはオリジナルのアレンジなんだけど。

19. 漂泊者(アウトロー)
 スタジオ・テイクと遜色ない、いやライブにも負けないスタジオ・テイクといった方がいいのか、とにかく刹那な疾走感とグルーヴが支配する、猪突猛進タイプのハードなロック・チューン。とにかくカッコいいの一言。
 こんな破壊的な曲がオリコン最高14位まで行ってしまったのは、時代状況から考えてもすごいこと。



20. 100万$ナイト
 アンコールに応えて歌われた、当時の定番となっていたラスト・ナンバー。直前に飛び込んできたジョン・レノンの訃報を聞き、彼に捧げられている。そんな事情もあってか、感極まった前回『100万ドルナイト』ヴァージョンより、さらに情緒的になっている感がある。
 もともとセンチメンタルな曲なので、古いファンには馴染みが深いのだろうけど、ちょっと遅れてファンになった俺的には、それほど思い入れは薄い。まぁそれは人それぞれ。
 ただ一節、
 「真夜中にふと襲う やりきれなさに どこで二人が間違えたのか 考えてみるさ」。
 甲斐が何を描写し、書きたかったのかー。
 それがずっと気になっている。






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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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