好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Rock : Japan

もう何をやってもYMO。 - YMO 『増殖』

folder YMOというユニットは約5年、実質的な活動期間は3年程度という短いものだったのだけど、その間にオリジナル・アルバムを6枚、ライブ1枚に『増殖』1枚と、思っていた以上に多作である。そんなタイトなスケジュールの中、2度のワールド・ツアーやTVへの露出、当時のマルチメディアを駆使した活動を展開している。それに加えて各自のソロ活動、アルバム・リリースや楽曲提供、他アーティストとのコラボも積極的に行なっているのだから、そのバイタリティーは尋常なものではない。
 近年のバンドやユニットも、かつてのような運命共同体的に常に行動を共にしてるわけではなく、民主的なバンド運営からこぼれ落ちたマテリアルをソロ活動にフィードバックしているけど、ソロ活動へ向かう芸術的衝動がちょっと弱い。全部が全部じゃないけれど、民主主義では括れない、独善的なオリジナリティが弱いのだ。
 どうせ独りでやるんだから、もっとはっちゃけてもいいんじゃね?と余計な心配をしてしまうくらい、どうにもお行儀が良いものが多い。Jポップのフォーマットにのっかったロックなんて、本人たちもやってたって面白くないだろうに。
 とは言っても、そのソロ活動の余技的な心持ちで歌謡界に進出したことによって、今も連綿と生き残り続けているJポップのフォーマットが80年代に形作られ、彼らYMOもその辺で一枚噛んでいるのは皮肉。

 フュージョン・テイストの特性が強い最初の2枚の印象が強いため、いまだYMOといえば、「テクノポップのハシリ」といったイメージを持っている人も多い。70年代末~80年代初頭の社会風俗が紹介される際、彼らがフィーチャーされるのは大抵、「ライディーン」や「テクノポリス」、今じゃCGと呼ぶにはあまりに原始的なファミコン・テイスト満載のPVと相場が決まっている。こうした見解は、たぶん今後も変わらないと思われる。当時のわかりやすい「ナウ」の象徴として、音楽に興味のない者にとっては、結局その程度の印象でしかない。
 いわゆる「シンセをメインとした音楽」といえば、冨田勲やELPなど、クラシックをベースとしたアンサンブルが主流だったのが、Kraftwerkがそこにミニマリズムを導入したことによってリズムの概念が生まれ、さらに加えて、当時隆盛のディスコ/ソウルのファンキー・テイストを持ち込んだのが、YMOの音楽的発明だとされている。DEVOもいたけど、日本じゃそこまで一般的じゃなかったし。

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 で、業界人的な盛り上がりのまま、大衆的な広がりを見せぬままくすぶってしまったDEVOに対し、YMOが独自のキャラクター・デザインとして押し出していったのが、東洋的なオリエンタリズム。英米中心だった当時のポピュラー音楽情勢において、極東の島国とは未知の部分が多く、そんな日本から発信された彼らの音楽は、一部で熱狂的なファンを得た。今にして思えば奇抜な戦略ではあるけれど、そのおかげで今も続くYMOチルドレンの萌芽は定着化したので、それはそれで結果オーライだったわけで。

 大まかに分けると、デビュー作と『Solid State Survivor』までが「前期」。パブリック・イメージとしてのYMO像がストレートに反映されたのが、この時期である。
 普通なら、ここからさらに突っ込んだ世界戦略を想定して、同コンセプトのアルバムをもう1~2枚くらい制作するもの。実際、アルファ側もA&M側もそういった心づもりでいたはずなのだけど、メンバーの疲労は解消される暇もなく、日に日に蓄積するばかりだった。思いのほか大衆レベルにまで浸透してしまったYMOシンドロームによって、当時の下世話な芸能マスコミに揶揄されることも多かった。「テクノポリス」や「東風」の二番煎じ三番煎じばかりを求めてくるレーベル側との折衝もまた、彼らのストレスを増大させていった要因のひとつである。
 もし彼らが鉄のメンタルを持って、ヒット曲量産マシンとしてビジネスライクに割り切った活動を続けていたとしたら…。まぁ続かなかったよな、きっと。エレクトロ・ディスコの泡沫バンドとして、歴史の一ページには刻まれていただろうけど、後年まで語り継がれるようなモノにはなってなかったと思われる。

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 なので、『Solid State Survivor』の続編的なアルバムではなく、俗に「中期」と称される2枚のアルバム、『BGM』と『テクノデリック』を生み出したことによって、時代風俗的側面だけでなく、きちんとした音楽的実績の爪痕を深く残すに至った。
 特にUK、ポスト・パンク~ニュー・ロマンティックスに連なる一連のニューウェイヴ現象に大きな影響を与えたその実験は、「自らが生み出したテクノ的メソッドのさらなる純化」である。耳触りの良いメロディも流麗なシンセの調べもダンサブルなビートも一旦チャラにして、YMO個々の実験性や芸術性、単なる好奇心を無邪気かつシビアに突き詰めていったのが、この味も素っ気もない2作である。
 ある意味「何でもアリ」だった80年代初頭においても、その先鋭性は突出し過ぎていたこと、また「従来」のYMOを期待していたライト・ユーザーの理解をあまりに超えていたため、セールスは思いっきり激減する。過剰に売れてしまったことで逆に危機感を持つようになった彼らにとって、ユーザーを選別するという作業は必然だったのだ。

 で、初期と中期との狭間、ある意味中途半端な位置づけとなるのが、この『増殖』。長い長い世界ツアーを終えてひと段落ついた頃、次のアルバムについてのミーティングが行なわれたのだけど、正直3人ともYMOに飽きちゃっていたので、具体策がなかなか固まらなかった。ずっと顔を突き合わせていたおかげもあって不仲が強まっていたし、そもそも3人ともソロ・アーティストとして十分やっていけるスキルがあったので、各自好きなことを行なうため一旦ブランクを置きたい、との考えもあった。
 ユーミンが抜けた後のアルファ邦楽部門は、主にカシオペア & YMOの双頭体制となっていた。当初から欧米でも通用する音楽、海外進出を前提とした独自の活動プランでレーベル運営を行なっていた。そういった事情もあって、英語発音での苦労の少ないインストゥルメンタル部門には特に力を入れており、YMO同様、カシオペアもアルファ時代は頻繁に世界を回っていた。それが本人たちの意に沿うものだったかどうかは別として、新興レーベルが放つ強力な熱意、それに感化されたアーティストの使命感によって、どうにかこうにか自転車操業はうまく続いていた。

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 せっかく盛り上がりの機運を見せたブームの熱気を冷やしたくないため、レーベルとしては何がしかのニュー・アイテムを制作して欲しかったのだけど、基本、アーティストの自主性を重んじる方針のアルファとしては無理強いもできずにいた。せめてもの代案として、前回リリースしたライブ盤『公的抑圧』の続編的なモノを制作するようオファーしたのだけど、メンバー側はかたくなに拒否を貫いた。レーベル側の都合でギター・パートをオミットされてのリリース形態は、彼らに不審を抱かせてもおかしくはなかった。
 まぁそんなこんなや大人的な政治の駆け引きもあったりなかったりして、微妙な折衷案としてまとまったのが、この『増殖』である。幸宏提案によるスネークマン・ショーとのコラボ、コントと曲とを交互に挟んだミニアルバム。曲数も少なく、いわゆる企画盤なのでさほどプレッシャーもないし、言ってしまえば片手間でチャチャッと作ってしまった感が強い。
 いわゆるやっつけ仕事でリリースされたアルバムのため、通常のリリース・パターンとは形態を変え、当初は初回10万枚の限定盤の予定だった。だったのだけど、その予約オーダーが予定を大きく上回ってしまったため、結局通常リリースとなってしまう。それだけすごかったんだよな、当時の勢いが。

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 で、ここからが本題。
 あくまで仮説としてだけど、今で言うサブカル系とのコネクションがうまいこと時代風俗とリンクしたため、初期を上回る社会現象を巻き起こしたこの『増殖』がなかったら、YMOのスタンスはどうなっていたのか-。
 純粋に音楽的な変遷から見ると、プレ=テクノ期とされる初期から中期へのニューウェーヴ的作風への移行は、『増殖』がなくても行われたはず。OMDやUltravox、Gary NumanらUKテクノ/エレクトロ・ポップの台頭は時代的に避けられなかったし、互いに刺激し合うことによる相乗効果は、彼らをより実験的な方向性へと導くことになる。
 ただ、それらの変遷も音楽的な側面だけで見れば華やかなものではあるけれど、ただそれだけでは「ライディーン」「テクノポリス」だけの泡沫インスト・バンド、言ってしまえば二流のフュージョン・グループ程度で終わっていた可能性もある。
 音楽的に新しいものは何もないけど、確実に時代のニーズにマッチしたという点において、『増殖』の存在意義は想像以上にデカい。得体の知れない無国籍フュージョン・バンドから、ハードなインダストリアル・テクノから、お手軽なお茶の間コントまで、あらゆるファクターを包括するユニット「YMO」誕生の瞬間を切り取った作品である。

 YMOというワードさえ知らなかった北海道の片田舎の小学生と彼らとのファースト・コンタクトは、音楽ではなく幕間のコントだった。いま聴けば放送コードに抵触しまくりの下世話なコントは、そろそろドリフを卒業しかかっていた小学校高学年の少年にとっては強く惹きつけられるものだった。意味不明な面も多々ありながら、怪しげで淫靡なムードは背伸びしたがりの小学生のイカ臭い欲望を掻き立てた。
 正直、彼らの音楽は二の次だった。俺がYMOをきちんと聴くようになったのはもう少し後の話である。だけど、そこに無造作に詰め込まれた音楽は数年後、時限爆弾のタイマーの如く炸裂する。それが「君に、胸キュン。」

 当時は関東限定でニッチな人気を擁していたスネークマンだったのだけど、このアルバムに参加してからは爆発的な人気を集めることになる。コントやお笑いの人間が余技的に歌のレコードを出すことはこの時代でもあったけれど、純粋なコントのアルバムを、しかも複数枚出してどれもそこそこのヒットを記録した、というのは、その後もほとんど例がない。いま思えばパワープレイ的にラジオで流すこともできなかったはずだし、ヒットしたことがほんと不思議でならない。
 なぜか俺も『海賊版』のカセット持ってたし。


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1. JINGLE "YMO"
 ラジオDJ風に畳みかける小林克也のナレーションからスタート。これまでと同じインストで、これまでと同じシンセ・サウンドでも、明らかにこれまでと違う。これまでよりフェイクな香り、これまでより3割増しなファンキー・テイスト。たった20秒の中に詰め込まれた近未来感。

2. NICE AGE
 シームレスで続くのは、インチキ臭さ満載のファンキー・ポップ・チューン。何げにバック・ヴォーカルで参加しているサンディーのエキゾチカ、中盤でいろんな隠喩を含んだナレーションを無機的に読み上げるのは、ミカバンド解散後、久しぶりに存在が確認された福井ミカ。大村憲司のギター・リフもニューウェイヴ臭漂ういびつなエフェクトがかけられて、作り物っぽさが漂っている。
 でも、歌詞はやたら前向きでポジティヴ。病んだ80年代初頭を象徴する、自虐的な偏愛に満ちた楽曲。狭義のテクノとはすでに見切りをつけている。



3. SNAKEMAN SHOW
 「KDD」と称される、スノッブで流暢な英語での会話が延々と続く。当時の社会風俗を知らないと完全には理解できないし、正直今でも全部わかってるわけではないけど、いわゆる「外人」が身近な存在ではなかった田舎の小学生にとって、なんとなくこれが「アメリカン・ジョーク」というものなのだな、と独り勝手に理解していた。

4. TIGHTEN UP (JAPANESE GENTLEMEN STAND UP PLEASE)
 そんなインチキなアメリカ人もどきと東洋の演奏家とが集まって、妙なテンションのままレコーディングに突入、何となくできあがっちゃったのが、YMO楽曲の中でも人気の高いコレ。最近もCMで使われていたし、多分カバー曲であることを知らない人の方が大部分なんじゃないかと思われる。
 これもよく知られているけれど、ここでの細野さんのベースは長いキャリアの中でも3本の指に入るほどの名プレイ。通常なら決してメインとはなり得ないベースという楽器が、ここでは完全に主役となっている。



5. SNAKEMAN SHOW
 3.のコントの続き。基本、中学生でもわかる単語とヒアリングしやすい発音で構成されているため、後半になればなるほどブラック臭が強くなっていくのがわかる。

6. HERE WE GO AGAIN ‾TIGHTEN UP
 日本で初めてラップを導入したのが誰なのかは不明だけど、DJとしてのマシンガン・トークをリズムに乗せ、まがい物テイストながらそれをきちんと商品化してしまったのが、YMOとスネークマン・ショーとの奇跡的な融合による成果だったんじゃないか、と今にして思う。
 ただ使用言語が英語だったため、全世代に浸透することはなく、日本語ラップは一時雌伏の時を長く過ごすことになる。大衆化するまでにはあと数年後、吉幾三の登場を待たねばならなかった。

7. SNAKEMAN SHOW
 彼らの中では最も有名な警察コント「ここは警察じゃないよ」。俺世代にとって最もインパクトが強かったのがコレだった。友達の兄経由でこれが友達の間で知れ渡り、一時は誰もがあいさつ代わりに「警察だ、開けろ!」「だ~れ~?」、これの延々ループが止まらなかった。
コントというのは基本、時代と共に風化しやすいものだけれど、俺的には今でもそれなりに面白く聴けてしまう。時事的ではない彼らのコントは普遍性が高いと思うのだけど、若い世代はどうなんだろうか?まぁ伝わりづらいか。

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8. CITIZENS OF SCIENCE
 比較的、初期のシンセの使い方に則った、それでいてファンク・テイストを増量したナンバー。でも出来上がったサウンドは完全にバタ臭い。とても日本のミュージシャンの香りはない。もうこの頃から、彼らの興味はUKニューウェイヴやインダストリアル/後のハードコア・テクノへと向いていたのだ。

9. SNAKEMAN SHOW
 コント「林家万平」。当然、林家三平のパロディなのだけど、もしも彼が同時通訳を介しての中国公演を行なったら…、といった体のシチュエーション。これもよくマネしたな。

10. MULTIPLIES
 YMOがYMOとしてのアイデンティティを一旦封印し、敢えてシンセを捨てて生演奏を主体としたスカ・インスト。ギターの音色やフレーズなどに、Ventures系のサーフィン/ホットロッドのパロディ要素も認められる。
 このアルバムに挿入したコントもそうだけど、とにかく何でもアリ、シンセじゃなくてもYMOであり、コントをやってもYMOである。ましてやコント・パートのほとんどに彼らは参加していないのだから。
 『増殖』というのが徹底的なYMOの解体作業である、というのが垣間見える秀作。

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11. SNAKEMAN SHOW
 コント名「若い山彦」。別名「いいものもある、悪いものもある」。スネークマンの2人の丁々発止振りに、どうにか割り込もうとスノッブなスタンスで挑むけれど勢いに負けてしまう、そんなYMOらが微笑ましい。

12. THE END OF ASIA
 元ネタは教授ソロ『千のナイフ』収録曲。オリジナルは初期YMO的なヒリヒリしたフュージョン風味が強いけど、ここでのヴァージョンはもっとのどか、教授言うところの浮世絵的、のどかな珍道中的なアレンジが施されている。
 最後の伊武雅刀のセリフは逆説的に日本の音楽市場を揶揄している。こういった楽曲ならいくらでも書けるはずなのに、どうにもインテリ的に見られたいがため、妙に難解な方へ傾倒してしまう教授の偏屈さ。企画盤だからこそ、遊び的なアレンジ、牧歌的なメロディで遊んでしまった、奇跡的な秀作。



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文句を言わせるスキを与えない音楽 - 布袋寅泰 『Guitarhythm』

Folder 「問答無用の音楽」というものがある。
 「好き」か「嫌い」か、良い・悪いの問題ではない。
 出来・不出来も関係なく、そのアーティストのビジョンが100%具現化された作品というのは、もはや批評の対象でさえない。他者の言葉など無意味なのだ。
 その結果は計算された作為なのか、それとも偶然の産物なのか、それも別として、濃密なエゴは鈍く光を放つ。
 それは万人向けのものではないかもしれない。過剰に強烈な個性は、時に大衆を拒絶する。ただ、そのエゴを徹底的に無視することは不可能だ。
 暗闇に鈍く光るウラン鉱石の如く、それは嫌でも目についてしまう。聴き手の意思を問わず、それは認めざるを得ないのだ。

 1988年10月にリリースされた布袋のデビュー・アルバム『Guitarythm』、BOØWYの解散がその年の4月だったのだけど、1987年末に解散宣言をして4か月後の『Last Gigs』で正式解散だったため、実質的な創作活動は87年前半で終了している。9月に発売されたラスト・オリジナル・アルバム『Psychopath』のレコーディング終了と前後する形で、プロジェクトは進行していたのだろう。氷室京介も布袋よりいち早くソロ・デビューしてるしね。
 今も何かと話題に上る解散の原因は、結局のところ本人たちにしかわかり得ないのだけど、よく言われる氷室と布袋との衝突というのはあくまでファクターの一部であって、それが主たる要因ではないことは、ファンの間では広く知られていることである。もともと気心の知れあった仲間たちのサークル活動の延長線上で活動していたわけではないし、かといって冷徹なビジネスライクな関係でもない、微妙なバランスの上で成り立っていたのが、BOØWYというバンドである。氷室の70年代ロックスター的カリスマ性と、グラム~ゴシックを源流としたアングラ性を内に秘めた布袋との相反する個性を繋ぐ、歌謡曲的な下世話なポップ成分を融合したことで、彼らは強烈な求心力を手に入れた。
 日本独特の発展を遂げたビジュアル系ロックの様式美を決定づけたバンドとして、その評価は今も揺るがない。下手に再結成して無様な姿を晒していない分、その普遍性は鮮やかな記憶として残されている。
 
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 80年代のパンク系バンドの系譜に連なる、ニューウェイヴ・ムーヴメントの流れでメジャー・デビューを果たしたBOØWY、レーベルから定義づけられたアーティスト・イメージをなぞるように、初期のサウンドは直情的なハードコア・パンクで統一されている。よく言えばストレートでノリのいいビート主体、悪く言ってしまえば大多数のパンク・バンドとの差別化が図り切れていない、ステレオタイプのサウンドになってしまっている。
 後期はセクシャルな面を強調していた氷室のヴォーカルも、当時のチープなサウンドに合わせるように、テクニカルなニュアンスを封印している。まだスタジオ・ワークも不得手で、時流に乗ることばかり優先した所属事務所の戦略に縛りつけられている以上、オリジナリティを出す手立ては限られていたのだ。
 で、事務所とレコード会社を一新したことを契機として、前述のバックボーンを持つ布袋がサウンド・プロデューサーとして頭角を現すようになる。フロント2人の共通項であるポップなメロディ・ラインと、変幻自在なリズム・セクションとが織りなす唯一無二のBOØWYサウンドは、俺世代を中心とした当時のティーンエイジャーから爆発的な支持を得た。
 ロキノンやミュージック・マガジン界隈では「歌謡ロック」だ「西城秀樹がロックを歌ってる」だと揶揄されていたけど、まだそれほど欧米のロックの知識がない高校生にとっては、彼らの存在=ロックだった。
 ロック・スターに「カリスマ性」という概念を持ち込んだのはDavid Bowieだけど、俺世代のBowieは『Let’s Dance』で「大衆に魂を売った」とされていた頃で、70年代のような絶対的存在ではなくなっていた。80年代後半のロックスター的アイコンは、確実にBOØWYがその座を占めていた。いやいま聴くと『Let’s Dance』、これはこれでいいんだけど。

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 BOØWY時代、ほぼすべてのサウンド・デザインを手掛けていた布袋。もし「暴威」時代のサウンドのまま突き進んで行ったなら、せいぜい「ちょっと見栄えの良いソフト・ハードコア」としてのポジションしか得られなかっただろうし、そうなると後に控える未曽有のバンド・ブームも盛り上がらなかったはずである。キャリアの転換点でうまく立ち回ったことで、彼らは独自のポジションを築くに至った。
 そのBOØWYの功績とは、従来パンクの堅牢かつシンプルなリズム・セクションをベースとしながらも、最新のUKニューウェイヴのエッセンスをアレンジの柱としたことにある。洋楽上級者も一目置いてしまうサウンドをバックに、西城秀樹メソッドを前面に押し出した氷室のヴォーカライズとキャッチーな歌詞。これらがうまく相乗効果を生み出すことによって、広範な大衆性を獲得した。
 解散から四半世紀以上経った現在、BOØWYのポジションは「ビジュアル系の元祖」と位置付けられることが多い。いや確かに間違ってはいないのだけど、彼らと同じステイタスを有するにまで至ったバンドというのは、案外これがいないのだ。
 単純に売り上げだけだと、後のビジュアル系ブームでデビューした連中には遠く及ばない。ラルクだってGLAYだってルナシーだって、累計売上だけ見ればBOØWYの何倍も売れている。でも、言いたいことはそういうことじゃないのだ。
 多分、ビジュアル系バンドの誰もが、「俺たちの方がミリオンセラーを連発してるから、BOØWYに勝った!」とは思っていないだろう。彼らはあくまでBOØWYの背を見てから楽器を手に取ったに過ぎない。考えるより先に、とにかくバンドを組んでギターを弾きたい、フロントで歌ってみたい、と思わせてしまうような、そんな初期衝動を掻き立てるような存在であるだろうか。
 カリスマ性というのは、そういうことだ。
 理屈より先に、体が動いてしまう。そんな気持ちにさせてしまうバンドなんて、そうはいやしない。

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 BOØWY解散が本決まりとなり、ソロになることを決意した布袋が描いていたビジョンは、とにかく自分がフロントに立つことだった。細かなニュアンスは後回しで、まずそこだけ決めてプロジェクトを進行させた。これまでのように、氷室京介というフィルターを通して表現するのではなく、ダイレクトにオーディエンスと向き合うことが、アーティスト布袋寅泰としてのスタートラインだった。
 ブレイク前までは、氷室がフロントであることを前提としてのサウンド・メイキングだった。メロディと声とが引き立つように。実際、そのコンセプト・デザインはバンドにも時代にも、うまい具合にシンクロした。バンドの知名度は上がり、セールスもそれに見合う売り上げとなった。もともとのフィールドだったパンク界隈の連中からは、大衆に魂を売っただの決まり文句が飛び交ったけど、バンドからすれば、ただやりたい事を突き詰めていったら、たまたま大衆のニーズと合致しただけであり、特別媚びを売った結果ではなかった。
 普通なら、ここで確立した必勝パターンをさらに強固なものに仕上げるため、敢えて二番煎じと揶揄されようが、反復してゆくことがビジネス的にも得策だった。だったのだけど。
 次第に布袋のアーティスト・エゴの覚醒が暴走し、メロディとサウンドとの乖離が目につくようになる。スタジオ・ワークの多様性を提示した『Psychopath』は緻密に構成された秀作だったけど、フロント2人のベクトルは見事に別な方向を向いている。パーツひとつひとつの完成度は高いのだけど、それらをひとつにまとめようとすると、どこか歪さが垣間見える。特に布袋のバッキングは、氷室のキャラクターと相反するものになっている瞬間がある。
 思えば、大ブレイクとなった『Beat Emotion』までが彼らの蜜月だったのだと、今にして思う。大衆性とアーティスティックな感性との奇跡的な邂逅、臨界点がこのアルバムだったのだ。
 もはや互いが互いを取り込んでしまい、さりとて相容れる要素はほぼない。
 そのことに気づいた彼らは、解散を決意する。すべては起こるべくして起こってしまったことなのだ。

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 そんな経緯を得て解散を決意した布袋。独りでやっていくことは決めた。次に考えるのは、具体的なサウンド・コンセプトだ。少なくとも、これまでとは別のアプローチが必要になる。
 まず布袋が選んだのは、これまでの手練れのリズム・セクションではなく、ハウス・サウンドから由来する無機質なデジタル・ビートだった。人力による偶然性によるリズムの揺れではなく、丹念にシミュレートされた複合的なリズムから生まれるグルーヴ感こそが、BOØWYとの差別化だった。そのリズムから希求されるサウンドは布袋のビジョンを完全に具現化しており、よって旧来のノウハウは途端に古びたものとなった。そんな新たなサウンドに溶け込ませるため、彼はこれまで多くのギター・キッズをも魅了したBOØWYメソッドのギター・プレイをもガラリと変えてしまった。
 そこまで徹底した「BOØWY以後」に至る布袋の変節が、並々ならぬ覚悟のもとに行なわれたことは、想像に難くない。単なる人力→プログラミングの置き換えではなく、以前とはまるで別のベクトルを持つそのサウンドは、マスに受け入れられることを拒否していた。氷室のソロ・プロジェクトが後期BOØWYの延長線上にあった分、同路線を歩むわけには行かなかった事情もあるのだろうけど、明快なシングル・ヒットや大衆性をことごとく排除した布袋の路線はリスキーなものだった。

 もともとUKサウンドを基調としていた布袋、最先端のデジタル・ビートとロック・ギターの融合はあまりに新機軸であったため、当時、きちんとした評価が為されていたかといえば、それはちょっと疑問。正直、BOØWYの余波でミリオンまで到達した感が強い。逆に言えば、ヒット要素を内包したサウンドではない。その感触はザラッとして親しみやすいものではない。
 まだ本格的なヴォーカル・トレーニングを行なっていなかったヴォーカルは、決してテクニカルなものではない。いち早くソロ・デビューを果たした氷室と比べると、その差は歴然としている。日本語で歌うことが気恥ずかしかったこともあって、布袋はこのアルバムでは全編英語で通している。当然、意味合いは伝わりずらくなり、売れ線からはさらに遠ざかる。
 ナチュラルでシャウト気味になるその声質から、細かなニュアンスを表現できるタイプではない。そのスタイルは朴訥で、しかもぶっきらぼうだ。これもまた、ビギナーを遠ざける要因となっている。なんだ、優しいところがほとんどないや。
 ただ、このサウンドに流麗なヴォーカルは合わない。「氷室以外」イコール「布袋自身」が歌うことを前提に組み立てられたサウンドは、ある意味、きちんとリンクしている。バンド末期の乖離具合とは違い、すべてのピースがうまく組み合わさっている。
 共同制作者として、ホッピー神山と藤井丈司の名がクレジットされているけど、彼らはプログラミングなどのテクニカル面のサポートを行なっただけで、キャラクターが強く出ていることはない。なので、ほぼ100パーセント布袋寅泰によって構築された音で埋められている。その濃密さに触れると、誰もが「スゲェ」とうなってしまう。
 だから、「問答無用」なのだ。

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 デビュー・アルバムとは、その後の方向性を占うショーケース的なものと言われている。今後示す方向性は、すべてこのアルバムの中に入っている。
 ソロ・デビューから30年近く経過し、時々思い出したように『Guitarhythm』シリーズは続いているけど、正直、これ以上のクオリティのアルバムを、布袋はいまだ作れずにいる。もちろん、経験に基づく熟練度・完成度は年を経ることに高まっている。
 ここで得たノウハウを基にして、90年代に入ってからの布袋はシングル・ヒットを狙ったキャッチー路線にシフトしてゆく。どの曲もいまだ多くのファンに愛されており、当然レベルは高い。セールスだってBOØWY時代を凌駕している。
 でもしかし。
 ここで提示された新たなサウンドの萌芽の落とし前、凛とした切実さは出ていない。
 いつかは生まれるのだろうか。


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1. LEGEND OF FUTURE
 重厚なストリングスを基調としたアルバムのファンファーレ。当時、こんな構成のアルバムを作る邦楽アーティストは皆無だった。アルバムというものがヒット曲の寄せ集めではなく、入念に練り上げられたコンセプトに基づく組曲であることを改めて気づかせてくれた。当時の布袋の美学が顕在化している。

2. C'MON EVERYBODY
  いにしえのロックンローラーEddie Cochran、1958年のヒット・ナンバー。デモ・テープはこの曲からすたーとした、ということなので、もう随分昔から温め続けていたアイディアだったのだろう。
 過去の遺産と未来の可能性とのハイブリットは、このアルバム最大のハイライト。チープなデジタル・ビートとロックンロール・マナーに基づくギター・プレイ。ほぼ思い付きの産物を初期衝動の勢いのまま、うまく真空パックして普遍性を持たせてしまった奇跡のトラック。オリジナルを凌駕してしまうというのは稀有なことだけど、それを実現してしまったレア・ケース。



3. GLORIOUS DAYS
 前曲から続く、ややキャッチーめの疾走感あふれるナンバー。ロックンロール・クラシックをそのまんま未来へスライドすると、こんな風な仕上がりになってしまう見本。スタイルとしてはデジタルなBOØWYといった趣きだけど、やはりこれは氷室より布袋のヴォーカルの方がフィットしている。

4. MATERIALS
 本人曰く、ややへヴィ・メタル・タッチに仕上げたギターの音色は、タイトル通り無機質な響き。これはCMでもよく流れていたので、馴染みが深い人も多いはず。結構アバンギャルドな質感だけど、根本はすごくシンプルなロックンロール。やっぱり未来志向のロックンロールだよな、これって。
 いびつなエフェクトをこれでもかとぶち込んでくる、ホッピー神山の技が光るトラック。

5. DANCING WITH THE MOONLIGHT
 イギリスのみでほんの一瞬リリースされた、このアルバム唯一のシングル・カット。とは言っても速攻廃盤になってしまったので、チャートインすることもなく、幻のシングルとして名高い。
 ヴォーカル以外は完全にUK仕様、ほんと世界進出を視野に入れていたことが想像できるナンバー。キャッチーさと先進性を融合させたのはいいけど、こういうのって結局、現地でのプロモーション体制が大きいんだろうな。もし本気でUKでブレイクするのなら、移住してどっしり腰を据えて長いスパンで活動しないと、本腰入れてくれないんだろうし。
 男臭いPet Shop Boys的な打ち込みサウンドは、キッチュさが強くいま聴いても新鮮。



6. WIND BLOWS INSIDE OF EYES
 ベルリン3部作期のBowieを彷彿とさせる、ほぼドイツ語のポエトリー・リーディングで埋め尽くされた実験的なナンバー。リーディング担当はドイツ出身の友人によるもの。ギターもほとんど聴こえないし、曲の配置から言って、幕間的な要素が強い。

7. WAITING FOR YOU
 このアルバムの中ではギミックも少なめの、ストレートなロックンロール。前述のEddie Cochranに代表される、いわゆるレジェンド枠のロックンローラーが世紀末に最新機材でレコーディングしたら…、というシミュレートのもと、布袋は普遍的なロックンロールを創り上げた。考えてみれば、当時だってエレキ・ギターは最先端のアイテムだったのだから、こういった方法論は正しい。

8. STRANGE VOICE
 ニューウェイヴを通過した肉体による、ロックンロール・リバイバル。UKエレポップさえも取り込んだ「何でもアリ」感は、ロックの歴史が凝縮されている。上澄みの余分な脂を丁寧に掬い取った、ピュアな形のモダン・スタイルが残った。

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9. CLIMB
 疾走感あふれるロックンロールは耳ざわりが良いのだけど、これってBOØWYの進化形だよな、要するに。氷室が歌っても良かったんじゃね?と思ってしまう。ていうか氷室のキーの方が合ってる。間奏のインダストリアルな展開、そこから続くフリーキーなギター・ソロは好きだけど。

10. GUITARHYTHM
 後に『Kill Bill』によって世界的に有名になった『新・仁義なき戦い』テーマ曲「Battle Without Honor or Humanity」がリリースされるまでは、これが布袋の代名詞的な楽曲だった。印象的なイントロのリフ、アクティヴなダンス・ビートを導入したリズム・トラック、縦横無尽に飛び交うギター・プレイ。2.と並び、布袋がやりたかったことのすべてが詰まっている。
 ロックンロールとはカッコよくあらねばならない、ということを体現した傑作。

11. A DAY IN AUTUMN
 エピローグ的なストリングスは感傷的に、ドラマティックな大団円を演出する。
 これ以前も、そしてこれ以降もない、歌詞から作り始められた楽曲のため、布袋の度の楽曲とも似ていない。荘厳なオーケストラをバックにすることを前提に書き上げられたスコアは、これまで影響を受けてきたアーティスト・音楽たちのエッセンスが詰まっている。



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やっぱカワイイって強いよな。 - 椎名林檎 『無罪モラトリアム』

75d1e96b 1999年にリリースされた、椎名林檎のデビュー・アルバム。チャート的には最高2位だったけど、恐ろしくロング・テールな売れ方をしたため、最終的にはミリオンに到達した。
 したのだけど、正直、そんなのはどうでもいい。
 そんなのは、ただの結果だ。

 俺の個人的な感覚では、70年代から台頭してきた、恋愛を絡めた身辺雑記的シンガーソングライターというのが、一般的なフィメール・シンガーのポジションだった。乱暴な言い方になるけど、ユーミンもみゆきも太田裕美も大貫妙子も、デビュー当時はこのジャンルでひと括りにされている。地道にキャリアを積み上げることによって、今ではそれぞれ、オンリーワンのジャンルとして確立してはいるけど、レコード会社の販売戦略に則ったスタート地点といった見方では、どれも大差はない。
 それが時代を経て、「男女の恋愛」を軸とした従来の世界観だけでは、情報過多となったユーザーを惹きつけることが苦しくなってきため、それに代わる新たな展開として登場したのが、渡辺美里から始まるガールズ・ポップの流れ。
 「愛だの恋だの語るのもいいけど、女の子同士の友情も大事だよねっ♡」といった、同性へ向けて「フレンドリーな共感」を喚起する「プレ応援ソング」が席巻するようになる。男女雇用機会均等法成立に伴う男女差解消の流れによって、相対的に男性の立場が弱くなっちゃったことも一因だと思われるのだけど、「ライトな恋愛観」や「男女間の友情」など、「何がなんでもラブソング至上主義」といった流れに区切りをつけたのが、美里の登場だった。
 このポジションもしばらくは彼女の独占市場だったのだけど、90年代突入後のドリカムの登場によって多様化が進行し、林檎と同時代に出てきたaiko、同じ世界観ながら、汎用性を高めた西野カナやmiwaなど、一連の流れはいまも続いている。

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 その90年代に入ってからの女性アーティスト市場は、前半がビーイング、後半は小室サウンドが主流となって、日本の音楽チャートを牽引していた。流行りものとは言っても、手練れの職人らによって周到にプロデュースされたトラックは、正直、オートチューン主流の現在のサウンドよりも質が高い。欧米のトレンドをそのまんまパクったり、往年の歌謡メロディによってベタな箇所も見受けられるけど、クオリティの高さは今でも充分通用するものだ。
 ただ、ここでの主役はプロデューサー、またはそのブレーンであって、アーティスト個人のパーソナリティは二の次に追いやられている。要するに、「誰が歌ってもいい」ということ。緻密に構築されたサウンドは、それだけで充分記名性を発揮する。ヴォーカルはいくらでも互換可能だった。

 で、長らくシンガー・ソングライターかガールズ・ポップくらいしか選択肢のなかったフィメール・シーンにおいて、これまでとは別の方向性を提示したのが、UAから始まるR&B勢の台頭だった。
 これまで女性シンガーにはあまり重視されていなかった、ソウルフルなヴォーカルやアシッド・ジャズ的サウンドへの志向が、当時のクラブ文化とのシンクロを果たしたことも、ひとつの要因だったんじゃないかと思われる。misiaやbirdなんかも、彼女が道を切り開いてくれたからこそ、道筋がついた部分もある。
 そういったフィメールR&Bサウンドの大衆化は、宇多田ヒカルの登場によって、爆発的な普及を果たすことになる。

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 で、前置きが長くなったけど、宇多田とほぼ同時期に登場したのが、林檎。
 当時の彼女もまた、既存ジャンルに当てはまらない可能性を有してはいたはずなのだけど、何の実績もないド新人をプロモートしてゆくためには、どうしても何がしかのカテゴライズが必要になる。ただ、それはあくまでレコード会社の都合によるものであって、この場合、アーティストの本意は反映されづらい。
 林檎もまた、安易なジャンル付けに反旗を翻し、EMIと一悶着の末、イギリスへ退避している。当時のフィメール・シーンにおいて、Radioheadやブランキーにインスパイアされた女の子に見合うポジションがなかったのも一因だろうけど、だからといって、安直に「オルタナ・ガール」的ポジションを作ってもらったとしても、それはそれでブーたれてたんじゃないかと思われる。年頃の女の子って、そういうもんだし。

 EMIとの軋轢が露骨に現れているのが、デビュー曲であり、このアルバムにも収録されている「幸福論」。シングルとアルバムで、ミックスやエディットが違っているのはよくあることだけど、この曲においては、アレンジのアプローチ自体がまるで違った、全然別の曲に仕上げられている。
 先行リリースされたシングル・ヴァージョンは、不思議ちゃん系のガーリー・ポップでまとめられている。ノホホンとした牧歌調のメロディにもマッチしているので、違和感もない。
 不満を含んだ鋭い眼光で前方を睨み、ミント・グリーンのギターを抱える、不揃いな前髪パッツンの林檎。あからさまに「無理やりやらされてる感」を見せるその表情から伝わってくるのは、頑なな拒絶だ。
 サブカル=メンヘラ系のステレオタイプ。
 レコード会社としては、明快でわかりやすいキャラ付けのため、何かと販促展開しやすい。
 でも売れねぇよな、これじゃ。
 あまりにありきたりすぎて、彼女の本質は見えてこない。

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 対して、アルバム・ヴァージョンの「悦楽編」。
 ここでのオルタナ調オイパンク・アレンジによって、当時の林檎の本質が生々しく表現されている。骨格となる歌詞やメロディはそのままだけど、轟音ディストーション・ギターとコンプで潰れまくったヴォーカルとバスドラが、牧歌的で和やかな世界観を完膚なきまでぶち壊している。モッシュやダイブに最適化された音の渦は、聴く者のダークな感情を逆撫でし、猟奇的なカタルシスへと導く。
 そこにあるのはガーリーな「共感」ではない。あるのは、生のまま投げ出された「混沌」だ。

 前述したように、従来のJポップの流れから出てきたサウンドではない。ていうか、そのJポップの定石からは、ことごとく外れまくっている。
 「ここでキスして」は比較的正統な激情ロッカバラードになっているけど、他のトラックはどれもゴツゴツした仕上がりで、耳ざわりの良い感触ではない。
 多感な十代少女の言葉の礫は、従来ガールズ・ポップや歌謡曲のような均整の取れたものではなく、文法は破綻している。詩情的なフレーズがあったかと思えば、そこに被さるように、他愛ない言葉遊び、語感を優先したゴロ合わせが続いたりする。
 その言葉たちの塊はいびつだけど、他者の修正が入るのを頑なに拒絶している。すべては選ばれるべくして選ばれた言葉たちなのだ。
 爛熟期に入った世紀末だったからこそ、世に出れた音楽だったとも思う。プラマイ10年違ってたら、もっと体裁よくプロデュースされたか、時代の徒花で終わってたんじゃないか、とは俺の独断。いずれにせよ、このままの形で作られることはなかっただろう。
 決して多くのリスナーにアピールできる、間口の広いアルバムではない。ないのだけれど、従来Jポップだけじゃ満足できなかった層、また野外フェスの勃興に伴ってオルタナ・サウンドが一般リスナーの耳に届きやすくなったことも含め、林檎を受け入れる土壌が出来上がってたんじゃないのかな、と思う。
 じゃないと、普通に考えてミリオン行くようなアルバムじゃないし。

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 「ちょっとメンヘラ入ったエキセントリックな文学少女的アーティスト」というスタイルは、何も林檎が初めてというわけではない。遡ればNicoやKate Bushらがここに該当するし、日本でも森田童子や戸川純など、決してマスに遡求するほどではないけど、どの時代でも少数のニーズがあるポジションである。
 なので、林檎も戸川純と同じくくりで捉えられがちだけど、ちゃんと聴いてみると、各々の世界観のベクトルはまるで違っていることに気づかされる。
 奇矯なパフォーマンスや言動が特徴的な戸川純のインスピレーションの原点は、青春期までの抑圧やコンプレックスに端を発する。彼女が吐き出す言葉から浮かび上がってくるのは、従来の文学少女的な心情吐露、「私を見て、いやそんな見ないで」という承認欲求と被害妄想とがグチャグチャに入り交じった昭和の女の情念だ。
 社会のルールや慣習に従わされ、抑圧を溜め込んだ昭和の少年少女たち。その抑圧は常にリミットぎりぎり、今にも爆発しそうなほど肥大しているけど、悲しいことに、そのリミッターの力はあまりに強い。もしかすると、ただ強いと思い込んでいるだけなのかもしれないけど。
 今で言うリア充たちの青春を斜め上から蔑みながら、それでいて、彼らのような生き方を求める自分も確かにいる。
 かといって、そんな環境には絶対馴染めないこともわかっている。結局、いるべき場所はここしかないのだ。別にここが居心地いいわけじゃないのに―。
 そんな少年少女たちの虚ろな想いの反動、昭和的情念のビッグバンを体現していたのが、当時の戸川純だった。
 引きつった微笑を浮かべながら、時に金切声でシャウトし、時に不器用によじれたダンスを見せる彼女の一挙一動は、最初こそ物珍しさで注目を浴びていたけれど、次第に老若男女を問わず自然と受け入れられるようになった。
 その頂点と言えるのが、『釣りバカ日誌』のレギュラー獲得。芸能界的ポジションで言えば、スゴロクの上がり的なポジションである。
 彼女が受け入れられた理由は明白だ。
 誰しもが多かれ少なかれ、戸川純的な要素を持っていたから。心のどこかにみな、戸川純が潜んでいるのだ。
 でも、それは誰にも見られたくない。

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 対して林檎。
 この人もまた、大正~昭和のエログロ・ナンセンスに惹かれて、いまだビジュアル・イメージはその系譜をたどっているけど、その歌詞からは、戸川純のような情念はあまり感じられない。戸川純からにじみ出ていた生理的な雌の臭いも、林檎からは漂ってこない。その質感は極めてドライだ。
 前述したように、突発的な言葉遊びとゴロ合わせ、多感な十代の目線から活写された風景描写から見えてくるのは、オーソドックスなひとりの女の子の素直な雑感だ。その作風はむしろ、桑田佳祐との親和性の方が高い。
 ただそれが、十代少女によくありがちな、ちょっとだけ目線がひねているだけで。
 そのねじれ具合は、世紀末の少年少女たちの「共感」を喚起する。誰もが林檎的な部分を心の奥に、大切にしまい込んでいるから。

 なので林檎、戸川純の系譜を辿っているのわけではない。
 むしろ、戸川純へのリスペクトが強いのは、鳥居みゆきだろう。


無罪モラトリアム
無罪モラトリアム
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1. 正しい街
 デビュー直前に制作された、記念すべき1曲目。彼女のこれまで、そしてこれからを形成した故郷福岡の情景、恋人との別離を詩情あふれるタッチで描いている。思えば、これが一番正統な文学的歌詞なのかもしれない。他の歌詞は結構やりたい放題だし。
 プロデューサー亀田誠二のディレクションが良く取り沙汰されており、実際、ここでの奔放かつ計算されたベースラインは、今を持ってグルーヴ感たっぷり。
ただ最も驚くべきなのは、完パケテイクとデモテープとが、ほとんど変わっていないこと。ちょっとしたオカズ以外、曲も歌詞もそのまんま、すでに完成されている。
 安易に手をつけようがなかった、というのが改めてわかる名曲。


2. 歌舞伎町の女王
 当時のインタビューで自ら「新宿系」と揶揄するきっかけとなった、レトロ歌謡曲チックなシングル曲。この当時の林檎は歌舞伎町に足を踏み入れたことがなく、ほぼ想像で描かれたフィクションなのだけど、まぁ歌詞聴いてりゃわかるか、そんなの。
 あまりに荒唐無稽だし。ベタな寓話的なストーリー展開を、これまたべらんめぇ調で歌ってるのが、アバズレ感を強調している。
 ベースの亀田の名演は定評があるけど、ここでの主役はやっぱり林檎。自らドラムも叩いているのだけれど、これがまぁヤケクソ半分のドッスンバッタンな轟音ビート。そこから一転、間奏ののん気な口笛。
 ここでそう来たか、と当時は思ったもの。



3. 丸の内サディスティック
 とっ散らかった言語感覚が最もとんがった形で現れた、これも初期の名曲。率直な感想として、ギターが入ってないのに、ここまでカッコよくロックができる、グルーヴできるんだ、ということに驚いた。ここから俺の林檎熱が始まった。
 ランニング・ベースと叩きつけながらも流麗な鍵盤。そこに絡んでくるファンキーなピアニカ。これ以降、林檎自身、様々な形でリアレンジを挑んでいるけど、初期型ほどの完成度はまだ見られない。それだけすごすぎるのだ。
 歌詞?まぁゴロ合わせだから、真剣に取らなくてもよい。



4. 幸福論 (悦楽編)
 本文参照。言いたいことは言っちゃったし。
 ちなみにライブでは、トラメガを使ってがなり立てることが多い。アジテーションを思わせるそのスタイルは、まさに批評的。


5. 茜さす 帰路照らされど・・・
 ここで正統派バラード。「こういうのもできちゃうんだよね」といった軽いタッチでサラッと作ってしまったけど、メチャメチャ名曲に仕上がっちゃった、って感じが伝わってくる。当時の彼女なら、きっとこんな曲はいくらでもできたんじゃないかと思われる。神がかっているとも言えるし、一時のPrince的なオーラすら感じる。タイプはまったく違うけど。
 秋の夕暮れの田舎道を連想させる、それでいて、遥か彼方のアイルランドの少女のささやきも同時に聴こえてくる、「切なさ」というのをどこまでもリアルに描いた名曲。十代の女の子ってすごいよな、こういったのを気負いなく作れちゃうんだから。

6. シドと白昼夢
 実はリアルタイムでは、ほぼ飛ばしていた曲。なんかしっくり来ない。EDMを使うのは世紀末のアーティストとしてはもちろんアリだけど、どうもピンと来なかった。「尽くす女」が主人公だからだろうか?ライブでは楽しそうだけどね。

7. 積木遊び
 なので、5.から直でつなげて聴いていたのが、これ。こちらも言葉遊びから曲に発展したような、ていうかお前、「ジャクソン夫人」って言いたいだけだろっ、と突っ込みたくなってしまう、でも好きな曲。
 そうだよな、何となくシンセのプリセットで琴の音で遊んでて、しばらく遊んでたらパッと「ジャクソン夫人」って思いついただけだよな。



8. ここでキスして。
 オリコン・チャートは最高10位だったけど、息の長い売れ方をしたため、最終的には30万枚の大ヒットとなった、椎名林檎の名を世に知らしめたシングル・カット曲。
 俺的にはここでの林檎は「よそ行き」であり、一般リスナーにもわかりやすい形で提示された佳曲だと思っているのだけど、ストレートな感情を効果的に表現するために、ロッカバラードに仕上げた亀田誠治の尽力は大きい。
彼のキャリアの中でも、ベスト・ワークに入る名曲。名曲ばっかりだな。

9. 同じ夜
 その後もたびたびコラボすることになる斉藤ネコのバイオリンが叙情を誘う、椎名林檎のセンチメンタルな一面を活写した、こちらもファンの間では人気の高いバラード。中二病的な歌詞はメンヘラ臭がほのかに漂うけど、ある意味、これも林檎の本質だと思えば、ついつい聴き入ってしまう。
 不安定なメロディは聴きやすくはないけど、どこか親しみを感じてしまうのは、誰もが心の中に破綻した部分を持っているから。

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10. 警告
 Nirvana系のステレオタイプなオルタナ・サウンドは、このアルバムの中で最もロック的なサウンドで埋め尽くされている。
 いや実は俺、これも当時は飛ばして聴いていた。個人的な意見として、俺が求める林檎は類型的なロック・サウンドではなかったのだ。こういったステレオタイプを茶化しながら、飄々とした感じでオリジナリティを追求してゆく姿勢が好きだったんで。
 
11. モルヒネ
 なので、9.に続いて聴いてたのが、これ。
 ラストはポップなアコースティック・ナンバー。後半になって音が増えてくけど、前半のとぼけた感じがいい。
 タイトルから察せられるように、言葉遊びを遊び尽くしたラリってるような歌詞は、まぁこれも深読みする必要もなく。この辺が戸川純との大きな違い。戸川純だったら、ここに「意味」が入ってしまうだろうし、特別なかったとしても、マニアは強引に「解釈」しちゃうんだろうな。




私と放電
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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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