好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Rock : Japan

「日本のロック」という文脈ではくくり切れない人たち - ローザ・ルクセンブルグ 『ぷりぷり』

61B1qwXLzAL 日本のオルタナティブ/インディーズで活動するミュージシャンがメイン・カルチャーのメディアで紹介されるようになったのは、70年代前後からである。GS〜フォークの時代にも音源化されていないアーティストは山ほどいただろうし、一部はマニア有志による発掘作業が今でも進められているのだけど、どれも歴史的資料、時事風俗の記録的意味合いを超えるものではない。B級GSや新宿西口フォークに純粋な音楽性を求めて聴く者はあまりいない。そこには好事家的なノスタルジーの香り、音楽を取り巻く時代状況を考察する視点の方が強い。
 ファンクラブ限定で配布されたジャックスの私家盤や、現役時代からすでに幻の存在とされていた裸のラリーズ、頭脳警察や村八分あたりからやっと、アルバムというまとまった形で提示できるアーティストが出現する。ステージ上の露出行為や発売禁止処分にあったりなど、まだまだスキャンダラスな側面が強い人たちばっかだけど。

 フラワー・トラベリン・バンドや外道など、欧米のハード・ロックにも引けを取らない、「ある程度」きちんとしたロック・バンドの登場によって、メジャー・リリースの活路がちょっとだけ開けるようになる。それでもまだ、エキゾチックなステージ衣装や挑発的な発言ばかりがクローズアップされて、いまだ純粋な音楽的評価を得るには至っていない。
 次なるムーヴメントがUKパンクの勃興、長髪と冗長なインプロビゼーションを捨てたバンドマンたちは我先にと髪を立て、3コードで放送禁止用語をがなり立てるようになる。東京ロッカーズの台頭をきっかけとして、自主製作のレコードやテープが地下流通するようになった。
 その流れを汲んだまま80年代に突入し、何でもアリのニューウェーブ時代、そこでメジャーとインディーズとの垣根が一気に低くなった―、といったところまでが、俺の私観。すごくザックリ書き連ねてみたけど、概ねこんな感じじゃないかと思う。細かいところは各自補足して。

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 いま挙げたアーティスト以外、自主製作はおろか音源さえ残さなかったバンドの方が当然多かったわけで、そんな泡沫連中の動向まで逐一カバーできるはずもない。70年代アングラ・シーンの最大の情報源とされていた「ぴあ」でさえ完全なデータとは言えないし、第一チェックできたとしても、すべてのライブを観れるわけではないのだ。
 80年代をリアルタイムで生きてきた俺の時代になると、インディーズの市場がメジャー予備群的に拡大しつつあった頃とリンクしていたため、雑誌メディアでの情報も多少は増えていた。北海道の中途半端な田舎ではあったけど、品揃えにこだわりの強いレコード店には、数少ないけどインディーズ・コーナーも設けてあって、そこで初めてブルーハーツの「人にやさしく」のドーナツ盤を発見した。近所に伝説のライブハウスもあったしね。

 で、ローザ。
 彼らもまたブルーハーツとほぼ同時代に活動していたバンドである。調べてみると、ローザのメジャー・デビューが85年で、ブルーハーツが87年だった。彼らの方が早かったんだな。
 当時はメジャー・デビューに至るまでのハードルが高かった、また前述のスキャンダラスな面が強いバンドに対する規制が強かったため、受け皿としてのインディーズ・シーンの隆盛がよく語られている。いるのだけれど。
 リアルタイムで80年代を生きてきた俺の、これまた私観だけど、刹那的な時代風俗の側面も強かった80年代中盤からのオルタナ・シーンでは、メジャーへのステップはそこまで高くなかったんじゃないか、という印象。セールス動向が読みづらかったせいで継続的な複数契約は難しかったけど、ワンショット契約での単発リリースは各メーカー、試験的に行なっていた。

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 考えてみれば、以前と比べて壊滅的にCDが売れない現代の方が、メジャー・リリースへの障壁は高いんじゃないかと思うのだ。損益分岐や販売計画など、レコード会社の社員ディレクターのデスク・ワークは、以前にも増して膨大となり、新たなアーティストをチェックする時間も余裕もない。収益見込みの確実な根拠がない限り、リスクを被ることもできなくなっているのだ。
 世界的な物理メディアの販売不振やらダウンロード販売の隆盛やら、ストリーミング・サービスの台頭やらインディーズ・シーンのシステム化やら、理由はいくらでも挙げられるけど、結局のところ、80年代当時は景気が良かったのだ、ということに尽きる。プラザ合意間もない頃の日本経済は、1億総中流社会と形容されており、誰も飛び抜けて贅沢はできないけど、まじめに勤めていれば誰でも平均的な生活レベルを手に入れることができる程度の社会基盤が整っていた。みんなが同じ生活レベルだったため、自然と趣味嗜好も似たようなものになり、みんなが同じ流行のものに飛びついた。

 音楽業界も同様で、ヒット曲とは老若男女、誰でも気軽に口ずさめるものだった。最大公約数的に万人向けのものではあったけれど、時間と金をかけてプロの手でしっかり作り込まれた楽曲は、時代を経ても古びないものだったことは歴史が証明している。
 中には流行狙いの安易な作りの楽曲もあったけど、手間ヒマかけて送り出された多くの楽曲は会社にアーティストに収益をもたらし、その一部をまた新たな楽曲・新たなアーティストに投資した。そういった循環がうまく回っていたのが80年代である。90年代に入ると、シェアはさらに拡大したけど、マーケティング理論が介入し始めて、音楽が商品になっちゃって、ニュアンスがちょっと違ってくる。

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 実は80年代中盤というのはCDバブルのちょっと前、レコードの出荷枚数が微減していた時期である。ミリオン・ヒットも出てないしね。
 それにもかかわらず、当時の社員ディレクターは骨のある人物が多く、自ら現場に赴いて情報収集、まだ他社との契約に至っていない新進バンドの面倒を見、見込みがあれば二人三脚でデビューにこぎ着けられるよう尽力していた。今ならデスク上でYouTube やtwitter をチェックする程度で済ませてしまうけど、ビジネスを超えて音楽産業に携わる者としての気概に満ちていた、そんな時代である。

 なので、セールス的に苦戦することは目に見えてるけど、利益追求と並行して文化事業でもあるレコード会社の役割として、先行投資的に新興ジャンルの育成を強化するメーカーも多かった。昔から1つの大ヒットで100のアーティストを養う業界構造は今も変わらないけど、70年代的理想主義の最後の砦として、ニューウェーブ系のアーティストを抱えているメーカーは多かった。

 メジャー・レーベルRVCから派生、YMO散開後の坂本龍一を中心として設立されたミディからデビューしたのが、ローザである。当時のラインナップとしては、坂本の他に矢野顕子と大貫妙子、EPOや鈴木さえ子といった面々。こうやって並べてみると、ローザだけ明らかに異色である。多分、ファントムギフトと同じカテゴリーだったのかな。
 教授周辺のアーティストが一種のインテリジェンス、選民的なイメージ戦略だったのに対し、ローザはアングラ上り特有の粗野なイメージをそのまま持ち込んでデビューした。もともとミディというレーベルの社風から、アーティスト・マネジメントには不干渉だったため、彼らの存在は特に浮きだって見えた。そのバックボーンには京都のアングラ・シーンの不穏な妖気が立ち込めており、笑顔の裏側に貼りついた狂気は隠しきれなかった。
 バンド全体のイメージとしては異彩さをはなってはいたけど、ヴォーカルどんとの天衣無縫なキャラクターは、隣りの兄ちゃん的な親近感さえ漂わせていた。
 そういえば矢野顕子とかぶるよな、キャラクター的に。

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 無邪気な笑顔で虫やカエルを踏み潰す、天真爛漫と残虐性とを併せ持った子供のようなキャラクターは、案外お茶の間への好感度アップへと寄与した。本格デビュー前にもかかわらず、なぜか無名の彼らがセブン・イレブンのCMキャラクターに抜擢されたのは、いまを持って謎。
 考えてみれば、セブンも一貫して変わった企業だよな。長いことCMでタイマーズ使ってるし。俺的には全然オッケーだけど。

 ローザ解散後もどんと、「平成教育委員会」のレギュラーとして、特異な回答やリアクションを連発している。ライブの時とは違ってちょっと照れ臭そうに、どこか憎めなくって頼りないけど何だかみんなに愛されてしまうキャラクターは、終生変わることはなかった。こういった振る舞いは演じてできるものではないので、やはり生来の人柄に依るものなのだろう。

 余計な美辞麗句や賛辞、形容を取り払って彼らの音を聴くと、基本はオーソドックスなロックンロールであることに気づかされる。その奇抜なメイクやコスチューム、デビュー前に帯同した欧州ツアーから由来するアングラ演劇からの影響、また当時からジャンルに捉われないどんとのキャラクターも相まって、プラスアルファのオリジナリティは満載なのだけど、基本はシンプルな8ビートである。それらはすべて、初期ローザ・サウンドのイニシアチブを握っていた玉城宏志の志向を中心として構成されている。
 基本のバンド・アンサンブルがしっかり構築されていたおかげもあって、どんとの自由奔放さが活きた、という見方もできる。メンバー全員がどんとみたいだったら、ただの下手くそなアバンギャルドになってしまう。収拾つかないだろうな、多分。

 どんともその辺は自覚していたのか、終生、バンドのメンツは気心が知れていて、しかもテクニック的に申し分ない者ばかりだった。フラフラ飛び回る自分をしっかり繋ぎとめる基盤=プロミスト・ランドが必要であることを自覚していたのだ。
 でも、メンバー全員がどんとのバンドも、怖いもの見たさで面白そうなのだけど。


ぷりぷり
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ローザ・ルクセンブルグ
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1. おもちゃの血
 かなりファンクに接近したロックンロール。なので、それぞれの音のパートをもっと太くミックスすると、Rage Against the Machineのようにも聴こえる。あそこまでの仰々しいメッセージ性はないく、歌詞はほぼノリ、セッション中に「おもちゃのチャチャチャ」をなんとなく口ずさんだら、語感とリズムがうまくマッチングしていつの間にかできあがっちゃった、てな感じ。

2. 在中国的少年
 オリエンタルなギター・リフが耳に残る、ローザ代表曲のひとつ。ギターばかりがどうしてもピックアップされがちだけど、通底音として切れ目なく地を這いまわるベース・ラインが無国籍性をさらに引き立たせている。

 うんばぱっぱ、うんばぱっぱ、よいよいよ~い。うんばぱっぱ、うんばぱっぱ、あらえっさっさあ

 歌詞はさらに意味性を超越している。ていうか音頭のかけ声だよな、これって。民族的舞踊の原初に立ち返ってリズムを強調した、本能に基づいた剥き出しの野生が云々-。
 まぁそんな小難しいとこは抜きにして、この時代にこんなサウンドを創り出していたことを素直に受け止めよう。



3. 原宿エブリデイ~ブルーライトヨコハマ~
 再びスカ・テイストの入ったファンク。この辺はリズム・セクションの力が絶大。こういった曲を聴いてると、ローザというのはほんと、バンドとしてのポテンシャルが高かった、というのが露わになる。当時のアングラ・シーンで「ブルーライト・ヨコハマ」のような40年代歌謡曲を題材に曲を作ろうとしたバンドはいなかった。しかも懐メロとしてではなく、素材をきちんと活かし、それでいてオリジナリティでねじ伏せてしまうこの力技といったら。
 
4. イヨマンテ
 アナログ時代は未収録、シングル・カットされた2.のB面としてリリースされたのが初出。初リリース時はまだアナログとCDの出荷量がほぼ同等程度だったため、知ってる人知らない人半々だった。
 三味線風のギター、SEを交えた間奏の寸劇。語源であるアイヌの儀式とどこに関連があるのかはあまり考えないとして、ストレートなロックをここまでシアトリカルな構成に仕立ててしまう、玉城宏志の才覚があふれまくった快作。

5. 北京犬
 リズムだけはレゲエだけど、全然快楽的に聴こえず、かといって陰鬱でもない。まさしくどんと、ローザ・ワールド。最後にただ「ペキン・ドッグ」って言いたかっただけじゃねぇか、とまで思ってしまう。

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6. 大きなたまご
 アナログA面最後はベース永井利充による、UKニューウェーヴの香りを漂わせるアンビエントなスロー・ナンバー。玉城主導による重厚感あふれるロックと、無国籍かつ抒情的などんとのメランコリックな感性がローザの柱とされているけど、多彩な音楽性を持つメンバーそれぞれの個性が有機的に絡み合って成立していたのがローザ・ルクセンブルグというバンドだったわけで、ここではそのパーソナルな部分がクローズアップされて、独特の世界観を築いている。ていうか、こんな浮遊感あふれるサウンドもできますよ的なロック・バンドが、当時、日本にいたか?
 どんとのハーモニカと玉城のギターも、ツボを心得たように引きの美学を見せている。

7. アイスクリン
 ZEPをこよなく愛する玉城のテイストがかなり濃い、これまでよりBPMも早めの疾走感あふれるロック・チューン。でも歌ってるのはどんと、相変わらず意味解釈を否定するような歌詞で突っ走ってるので、いつものローザ。ライブ映えしたんだろうな、やっぱり。
 間奏はもろZEPへのリスペクト。凝りに凝りまくったエフェクトが次作『Ⅱ』への布石とも読める。

8. バカボンの国のポンパラスの種
 これもバカボンってただ言いたかったんだろうな、と読めてしまう、同じくライブ映えするハイパー・ロック・チューン。7.と同じく間奏はZEP的。
 Jimmy Pageはこれを聴いてどう思うだろうか。当時は確かPaul Rodgersと組んでFirmを結成、いま聴けば微妙な産業ブルース・ロックでお茶を濁していた。誰かこれを聴かせてケツを叩いてやればよかったのに。

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9. だけどジュリー
 沢田研二のことではなく、京都時代のホームレスのおっさんを題材とした、これまでよりお遊び心満載のロック・チューン。ギターがいきなり「Get it on」だし、間奏のホーンはまんまJB。ギター・ソロもメロディアスで歌謡曲チックだし、肩の力は抜けまくり。ほぼトラックはいじられてないため、セッションのゆる~い熱気がそのまんま収録されており、当時のバンドの雰囲気が感じられる。

10. ぶらぶら
 4.同様、こちらも当時はCDのみ収録、最初に入手したのがレンタル・レコードだった俺がこの曲に出会ったのは10数年後の再発CDだった。ちょっとロックっぽくしてみた感じのサウンドは、一般的に思われてる破天荒なイメージとはちょっと外れている。まぁこんなのもできるんだよ的な受け止め方かな、俺は。

11. ニカラグアの星
 正統ファンク・ロック。普通なら派手にホーンを入れたりエレピを絡ませたりするところを、あくまで3ピースの音で表現しようとしたところがローザの潔さであり、そしてまた限界でもあったんじゃないかと思う。まぁ玉城の目指すところは70年代ハード・ロックだったわけだから、その辺は仕方ないとして。実際、これも後半はスペーシーなギター・ソロとカッティングのコントラストで埋め尽くされてるし。
 ニカラグア?意味を求めちゃいけない。単に言ってみたかっただけだよ。

12. 毬絵
 6.同様、80年代中~後半、ロキノンやフールズ・メイト界隈でのみで人気を博した4ADレーベルのサウンドが憑依したアンビエント風バラード。リズム・セクションという地味なポジションゆえ、こういった永井の感性は目立ちづらいけど、濃すぎる2人のフロントマンのアクセントとして、または緩衝材としての役割は十分果たしている。

13. 少女の夢
 最後はこちらも代表曲、ストレートなロック・サウンド、メンバー全員でシャウト。ライブでも定番のアッパー・チューン。歌詞は…、まぁ聴いてもらえればいいかな?書き出すのはちょっと憚れる。でも、ロック・チューンとしてはローザの中でも1、2を争うクオリティ。





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もう何をやってもYMO。 - YMO 『増殖』

folder YMOというユニットは約5年、実質的な活動期間は3年程度という短いものだったのだけど、その間にオリジナル・アルバムを6枚、ライブ1枚に『増殖』1枚と、思っていた以上に多作である。そんなタイトなスケジュールの中、2度のワールド・ツアーやTVへの露出、当時のマルチメディアを駆使した活動を展開している。それに加えて各自のソロ活動、アルバム・リリースや楽曲提供、他アーティストとのコラボも積極的に行なっているのだから、そのバイタリティーは尋常なものではない。
 近年のバンドやユニットも、かつてのような運命共同体的に常に行動を共にしてるわけではなく、民主的なバンド運営からこぼれ落ちたマテリアルをソロ活動にフィードバックしているけど、ソロ活動へ向かう芸術的衝動がちょっと弱い。全部が全部じゃないけれど、民主主義では括れない、独善的なオリジナリティが弱いのだ。
 どうせ独りでやるんだから、もっとはっちゃけてもいいんじゃね?と余計な心配をしてしまうくらい、どうにもお行儀が良いものが多い。Jポップのフォーマットにのっかったロックなんて、本人たちもやってたって面白くないだろうに。
 とは言っても、そのソロ活動の余技的な心持ちで歌謡界に進出したことによって、今も連綿と生き残り続けているJポップのフォーマットが80年代に形作られ、彼らYMOもその辺で一枚噛んでいるのは皮肉。

 フュージョン・テイストの特性が強い最初の2枚の印象が強いため、いまだYMOといえば、「テクノポップのハシリ」といったイメージを持っている人も多い。70年代末~80年代初頭の社会風俗が紹介される際、彼らがフィーチャーされるのは大抵、「ライディーン」や「テクノポリス」、今じゃCGと呼ぶにはあまりに原始的なファミコン・テイスト満載のPVと相場が決まっている。こうした見解は、たぶん今後も変わらないと思われる。当時のわかりやすい「ナウ」の象徴として、音楽に興味のない者にとっては、結局その程度の印象でしかない。
 いわゆる「シンセをメインとした音楽」といえば、冨田勲やELPなど、クラシックをベースとしたアンサンブルが主流だったのが、Kraftwerkがそこにミニマリズムを導入したことによってリズムの概念が生まれ、さらに加えて、当時隆盛のディスコ/ソウルのファンキー・テイストを持ち込んだのが、YMOの音楽的発明だとされている。DEVOもいたけど、日本じゃそこまで一般的じゃなかったし。

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 で、業界人的な盛り上がりのまま、大衆的な広がりを見せぬままくすぶってしまったDEVOに対し、YMOが独自のキャラクター・デザインとして押し出していったのが、東洋的なオリエンタリズム。英米中心だった当時のポピュラー音楽情勢において、極東の島国とは未知の部分が多く、そんな日本から発信された彼らの音楽は、一部で熱狂的なファンを得た。今にして思えば奇抜な戦略ではあるけれど、そのおかげで今も続くYMOチルドレンの萌芽は定着化したので、それはそれで結果オーライだったわけで。

 大まかに分けると、デビュー作と『Solid State Survivor』までが「前期」。パブリック・イメージとしてのYMO像がストレートに反映されたのが、この時期である。
 普通なら、ここからさらに突っ込んだ世界戦略を想定して、同コンセプトのアルバムをもう1~2枚くらい制作するもの。実際、アルファ側もA&M側もそういった心づもりでいたはずなのだけど、メンバーの疲労は解消される暇もなく、日に日に蓄積するばかりだった。思いのほか大衆レベルにまで浸透してしまったYMOシンドロームによって、当時の下世話な芸能マスコミに揶揄されることも多かった。「テクノポリス」や「東風」の二番煎じ三番煎じばかりを求めてくるレーベル側との折衝もまた、彼らのストレスを増大させていった要因のひとつである。
 もし彼らが鉄のメンタルを持って、ヒット曲量産マシンとしてビジネスライクに割り切った活動を続けていたとしたら…。まぁ続かなかったよな、きっと。エレクトロ・ディスコの泡沫バンドとして、歴史の一ページには刻まれていただろうけど、後年まで語り継がれるようなモノにはなってなかったと思われる。

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 なので、『Solid State Survivor』の続編的なアルバムではなく、俗に「中期」と称される2枚のアルバム、『BGM』と『テクノデリック』を生み出したことによって、時代風俗的側面だけでなく、きちんとした音楽的実績の爪痕を深く残すに至った。
 特にUK、ポスト・パンク~ニュー・ロマンティックスに連なる一連のニューウェイヴ現象に大きな影響を与えたその実験は、「自らが生み出したテクノ的メソッドのさらなる純化」である。耳触りの良いメロディも流麗なシンセの調べもダンサブルなビートも一旦チャラにして、YMO個々の実験性や芸術性、単なる好奇心を無邪気かつシビアに突き詰めていったのが、この味も素っ気もない2作である。
 ある意味「何でもアリ」だった80年代初頭においても、その先鋭性は突出し過ぎていたこと、また「従来」のYMOを期待していたライト・ユーザーの理解をあまりに超えていたため、セールスは思いっきり激減する。過剰に売れてしまったことで逆に危機感を持つようになった彼らにとって、ユーザーを選別するという作業は必然だったのだ。

 で、初期と中期との狭間、ある意味中途半端な位置づけとなるのが、この『増殖』。長い長い世界ツアーを終えてひと段落ついた頃、次のアルバムについてのミーティングが行なわれたのだけど、正直3人ともYMOに飽きちゃっていたので、具体策がなかなか固まらなかった。ずっと顔を突き合わせていたおかげもあって不仲が強まっていたし、そもそも3人ともソロ・アーティストとして十分やっていけるスキルがあったので、各自好きなことを行なうため一旦ブランクを置きたい、との考えもあった。
 ユーミンが抜けた後のアルファ邦楽部門は、主にカシオペア & YMOの双頭体制となっていた。当初から欧米でも通用する音楽、海外進出を前提とした独自の活動プランでレーベル運営を行なっていた。そういった事情もあって、英語発音での苦労の少ないインストゥルメンタル部門には特に力を入れており、YMO同様、カシオペアもアルファ時代は頻繁に世界を回っていた。それが本人たちの意に沿うものだったかどうかは別として、新興レーベルが放つ強力な熱意、それに感化されたアーティストの使命感によって、どうにかこうにか自転車操業はうまく続いていた。

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 せっかく盛り上がりの機運を見せたブームの熱気を冷やしたくないため、レーベルとしては何がしかのニュー・アイテムを制作して欲しかったのだけど、基本、アーティストの自主性を重んじる方針のアルファとしては無理強いもできずにいた。せめてもの代案として、前回リリースしたライブ盤『公的抑圧』の続編的なモノを制作するようオファーしたのだけど、メンバー側はかたくなに拒否を貫いた。レーベル側の都合でギター・パートをオミットされてのリリース形態は、彼らに不審を抱かせてもおかしくはなかった。
 まぁそんなこんなや大人的な政治の駆け引きもあったりなかったりして、微妙な折衷案としてまとまったのが、この『増殖』である。幸宏提案によるスネークマン・ショーとのコラボ、コントと曲とを交互に挟んだミニアルバム。曲数も少なく、いわゆる企画盤なのでさほどプレッシャーもないし、言ってしまえば片手間でチャチャッと作ってしまった感が強い。
 いわゆるやっつけ仕事でリリースされたアルバムのため、通常のリリース・パターンとは形態を変え、当初は初回10万枚の限定盤の予定だった。だったのだけど、その予約オーダーが予定を大きく上回ってしまったため、結局通常リリースとなってしまう。それだけすごかったんだよな、当時の勢いが。

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 で、ここからが本題。
 あくまで仮説としてだけど、今で言うサブカル系とのコネクションがうまいこと時代風俗とリンクしたため、初期を上回る社会現象を巻き起こしたこの『増殖』がなかったら、YMOのスタンスはどうなっていたのか-。
 純粋に音楽的な変遷から見ると、プレ=テクノ期とされる初期から中期へのニューウェーヴ的作風への移行は、『増殖』がなくても行われたはず。OMDやUltravox、Gary NumanらUKテクノ/エレクトロ・ポップの台頭は時代的に避けられなかったし、互いに刺激し合うことによる相乗効果は、彼らをより実験的な方向性へと導くことになる。
 ただ、それらの変遷も音楽的な側面だけで見れば華やかなものではあるけれど、ただそれだけでは「ライディーン」「テクノポリス」だけの泡沫インスト・バンド、言ってしまえば二流のフュージョン・グループ程度で終わっていた可能性もある。
 音楽的に新しいものは何もないけど、確実に時代のニーズにマッチしたという点において、『増殖』の存在意義は想像以上にデカい。得体の知れない無国籍フュージョン・バンドから、ハードなインダストリアル・テクノから、お手軽なお茶の間コントまで、あらゆるファクターを包括するユニット「YMO」誕生の瞬間を切り取った作品である。

 YMOというワードさえ知らなかった北海道の片田舎の小学生と彼らとのファースト・コンタクトは、音楽ではなく幕間のコントだった。いま聴けば放送コードに抵触しまくりの下世話なコントは、そろそろドリフを卒業しかかっていた小学校高学年の少年にとっては強く惹きつけられるものだった。意味不明な面も多々ありながら、怪しげで淫靡なムードは背伸びしたがりの小学生のイカ臭い欲望を掻き立てた。
 正直、彼らの音楽は二の次だった。俺がYMOをきちんと聴くようになったのはもう少し後の話である。だけど、そこに無造作に詰め込まれた音楽は数年後、時限爆弾のタイマーの如く炸裂する。それが「君に、胸キュン。」

 当時は関東限定でニッチな人気を擁していたスネークマンだったのだけど、このアルバムに参加してからは爆発的な人気を集めることになる。コントやお笑いの人間が余技的に歌のレコードを出すことはこの時代でもあったけれど、純粋なコントのアルバムを、しかも複数枚出してどれもそこそこのヒットを記録した、というのは、その後もほとんど例がない。いま思えばパワープレイ的にラジオで流すこともできなかったはずだし、ヒットしたことがほんと不思議でならない。
 なぜか俺も『海賊版』のカセット持ってたし。


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1. JINGLE "YMO"
 ラジオDJ風に畳みかける小林克也のナレーションからスタート。これまでと同じインストで、これまでと同じシンセ・サウンドでも、明らかにこれまでと違う。これまでよりフェイクな香り、これまでより3割増しなファンキー・テイスト。たった20秒の中に詰め込まれた近未来感。

2. NICE AGE
 シームレスで続くのは、インチキ臭さ満載のファンキー・ポップ・チューン。何げにバック・ヴォーカルで参加しているサンディーのエキゾチカ、中盤でいろんな隠喩を含んだナレーションを無機的に読み上げるのは、ミカバンド解散後、久しぶりに存在が確認された福井ミカ。大村憲司のギター・リフもニューウェイヴ臭漂ういびつなエフェクトがかけられて、作り物っぽさが漂っている。
 でも、歌詞はやたら前向きでポジティヴ。病んだ80年代初頭を象徴する、自虐的な偏愛に満ちた楽曲。狭義のテクノとはすでに見切りをつけている。



3. SNAKEMAN SHOW
 「KDD」と称される、スノッブで流暢な英語での会話が延々と続く。当時の社会風俗を知らないと完全には理解できないし、正直今でも全部わかってるわけではないけど、いわゆる「外人」が身近な存在ではなかった田舎の小学生にとって、なんとなくこれが「アメリカン・ジョーク」というものなのだな、と独り勝手に理解していた。

4. TIGHTEN UP (JAPANESE GENTLEMEN STAND UP PLEASE)
 そんなインチキなアメリカ人もどきと東洋の演奏家とが集まって、妙なテンションのままレコーディングに突入、何となくできあがっちゃったのが、YMO楽曲の中でも人気の高いコレ。最近もCMで使われていたし、多分カバー曲であることを知らない人の方が大部分なんじゃないかと思われる。
 これもよく知られているけれど、ここでの細野さんのベースは長いキャリアの中でも3本の指に入るほどの名プレイ。通常なら決してメインとはなり得ないベースという楽器が、ここでは完全に主役となっている。



5. SNAKEMAN SHOW
 3.のコントの続き。基本、中学生でもわかる単語とヒアリングしやすい発音で構成されているため、後半になればなるほどブラック臭が強くなっていくのがわかる。

6. HERE WE GO AGAIN ‾TIGHTEN UP
 日本で初めてラップを導入したのが誰なのかは不明だけど、DJとしてのマシンガン・トークをリズムに乗せ、まがい物テイストながらそれをきちんと商品化してしまったのが、YMOとスネークマン・ショーとの奇跡的な融合による成果だったんじゃないか、と今にして思う。
 ただ使用言語が英語だったため、全世代に浸透することはなく、日本語ラップは一時雌伏の時を長く過ごすことになる。大衆化するまでにはあと数年後、吉幾三の登場を待たねばならなかった。

7. SNAKEMAN SHOW
 彼らの中では最も有名な警察コント「ここは警察じゃないよ」。俺世代にとって最もインパクトが強かったのがコレだった。友達の兄経由でこれが友達の間で知れ渡り、一時は誰もがあいさつ代わりに「警察だ、開けろ!」「だ~れ~?」、これの延々ループが止まらなかった。
コントというのは基本、時代と共に風化しやすいものだけれど、俺的には今でもそれなりに面白く聴けてしまう。時事的ではない彼らのコントは普遍性が高いと思うのだけど、若い世代はどうなんだろうか?まぁ伝わりづらいか。

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8. CITIZENS OF SCIENCE
 比較的、初期のシンセの使い方に則った、それでいてファンク・テイストを増量したナンバー。でも出来上がったサウンドは完全にバタ臭い。とても日本のミュージシャンの香りはない。もうこの頃から、彼らの興味はUKニューウェイヴやインダストリアル/後のハードコア・テクノへと向いていたのだ。

9. SNAKEMAN SHOW
 コント「林家万平」。当然、林家三平のパロディなのだけど、もしも彼が同時通訳を介しての中国公演を行なったら…、といった体のシチュエーション。これもよくマネしたな。

10. MULTIPLIES
 YMOがYMOとしてのアイデンティティを一旦封印し、敢えてシンセを捨てて生演奏を主体としたスカ・インスト。ギターの音色やフレーズなどに、Ventures系のサーフィン/ホットロッドのパロディ要素も認められる。
 このアルバムに挿入したコントもそうだけど、とにかく何でもアリ、シンセじゃなくてもYMOであり、コントをやってもYMOである。ましてやコント・パートのほとんどに彼らは参加していないのだから。
 『増殖』というのが徹底的なYMOの解体作業である、というのが垣間見える秀作。

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11. SNAKEMAN SHOW
 コント名「若い山彦」。別名「いいものもある、悪いものもある」。スネークマンの2人の丁々発止振りに、どうにか割り込もうとスノッブなスタンスで挑むけれど勢いに負けてしまう、そんなYMOらが微笑ましい。

12. THE END OF ASIA
 元ネタは教授ソロ『千のナイフ』収録曲。オリジナルは初期YMO的なヒリヒリしたフュージョン風味が強いけど、ここでのヴァージョンはもっとのどか、教授言うところの浮世絵的、のどかな珍道中的なアレンジが施されている。
 最後の伊武雅刀のセリフは逆説的に日本の音楽市場を揶揄している。こういった楽曲ならいくらでも書けるはずなのに、どうにもインテリ的に見られたいがため、妙に難解な方へ傾倒してしまう教授の偏屈さ。企画盤だからこそ、遊び的なアレンジ、牧歌的なメロディで遊んでしまった、奇跡的な秀作。



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スネークマンショー (急いで口で吸え!)
スネークマンショー Dr.ケスラー クラウス・ノミ ユー・アンド・ミー・オルガスムス・オーケストラ YMO シーナ&ザ・ロケッツ ザ・ロカッツ 伊武雅刀とTHE SPOILとお友だち サンディー
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文句を言わせるスキを与えない音楽 - 布袋寅泰 『Guitarhythm』

Folder 「問答無用の音楽」というものがある。
 「好き」か「嫌い」か、良い・悪いの問題ではない。
 出来・不出来も関係なく、そのアーティストのビジョンが100%具現化された作品というのは、もはや批評の対象でさえない。他者の言葉など無意味なのだ。
 その結果は計算された作為なのか、それとも偶然の産物なのか、それも別として、濃密なエゴは鈍く光を放つ。
 それは万人向けのものではないかもしれない。過剰に強烈な個性は、時に大衆を拒絶する。ただ、そのエゴを徹底的に無視することは不可能だ。
 暗闇に鈍く光るウラン鉱石の如く、それは嫌でも目についてしまう。聴き手の意思を問わず、それは認めざるを得ないのだ。

 1988年10月にリリースされた布袋のデビュー・アルバム『Guitarythm』、BOØWYの解散がその年の4月だったのだけど、1987年末に解散宣言をして4か月後の『Last Gigs』で正式解散だったため、実質的な創作活動は87年前半で終了している。9月に発売されたラスト・オリジナル・アルバム『Psychopath』のレコーディング終了と前後する形で、プロジェクトは進行していたのだろう。氷室京介も布袋よりいち早くソロ・デビューしてるしね。
 今も何かと話題に上る解散の原因は、結局のところ本人たちにしかわかり得ないのだけど、よく言われる氷室と布袋との衝突というのはあくまでファクターの一部であって、それが主たる要因ではないことは、ファンの間では広く知られていることである。もともと気心の知れあった仲間たちのサークル活動の延長線上で活動していたわけではないし、かといって冷徹なビジネスライクな関係でもない、微妙なバランスの上で成り立っていたのが、BOØWYというバンドである。氷室の70年代ロックスター的カリスマ性と、グラム~ゴシックを源流としたアングラ性を内に秘めた布袋との相反する個性を繋ぐ、歌謡曲的な下世話なポップ成分を融合したことで、彼らは強烈な求心力を手に入れた。
 日本独特の発展を遂げたビジュアル系ロックの様式美を決定づけたバンドとして、その評価は今も揺るがない。下手に再結成して無様な姿を晒していない分、その普遍性は鮮やかな記憶として残されている。
 
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 80年代のパンク系バンドの系譜に連なる、ニューウェイヴ・ムーヴメントの流れでメジャー・デビューを果たしたBOØWY、レーベルから定義づけられたアーティスト・イメージをなぞるように、初期のサウンドは直情的なハードコア・パンクで統一されている。よく言えばストレートでノリのいいビート主体、悪く言ってしまえば大多数のパンク・バンドとの差別化が図り切れていない、ステレオタイプのサウンドになってしまっている。
 後期はセクシャルな面を強調していた氷室のヴォーカルも、当時のチープなサウンドに合わせるように、テクニカルなニュアンスを封印している。まだスタジオ・ワークも不得手で、時流に乗ることばかり優先した所属事務所の戦略に縛りつけられている以上、オリジナリティを出す手立ては限られていたのだ。
 で、事務所とレコード会社を一新したことを契機として、前述のバックボーンを持つ布袋がサウンド・プロデューサーとして頭角を現すようになる。フロント2人の共通項であるポップなメロディ・ラインと、変幻自在なリズム・セクションとが織りなす唯一無二のBOØWYサウンドは、俺世代を中心とした当時のティーンエイジャーから爆発的な支持を得た。
 ロキノンやミュージック・マガジン界隈では「歌謡ロック」だ「西城秀樹がロックを歌ってる」だと揶揄されていたけど、まだそれほど欧米のロックの知識がない高校生にとっては、彼らの存在=ロックだった。
 ロック・スターに「カリスマ性」という概念を持ち込んだのはDavid Bowieだけど、俺世代のBowieは『Let’s Dance』で「大衆に魂を売った」とされていた頃で、70年代のような絶対的存在ではなくなっていた。80年代後半のロックスター的アイコンは、確実にBOØWYがその座を占めていた。いやいま聴くと『Let’s Dance』、これはこれでいいんだけど。

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 BOØWY時代、ほぼすべてのサウンド・デザインを手掛けていた布袋。もし「暴威」時代のサウンドのまま突き進んで行ったなら、せいぜい「ちょっと見栄えの良いソフト・ハードコア」としてのポジションしか得られなかっただろうし、そうなると後に控える未曽有のバンド・ブームも盛り上がらなかったはずである。キャリアの転換点でうまく立ち回ったことで、彼らは独自のポジションを築くに至った。
 そのBOØWYの功績とは、従来パンクの堅牢かつシンプルなリズム・セクションをベースとしながらも、最新のUKニューウェイヴのエッセンスをアレンジの柱としたことにある。洋楽上級者も一目置いてしまうサウンドをバックに、西城秀樹メソッドを前面に押し出した氷室のヴォーカライズとキャッチーな歌詞。これらがうまく相乗効果を生み出すことによって、広範な大衆性を獲得した。
 解散から四半世紀以上経った現在、BOØWYのポジションは「ビジュアル系の元祖」と位置付けられることが多い。いや確かに間違ってはいないのだけど、彼らと同じステイタスを有するにまで至ったバンドというのは、案外これがいないのだ。
 単純に売り上げだけだと、後のビジュアル系ブームでデビューした連中には遠く及ばない。ラルクだってGLAYだってルナシーだって、累計売上だけ見ればBOØWYの何倍も売れている。でも、言いたいことはそういうことじゃないのだ。
 多分、ビジュアル系バンドの誰もが、「俺たちの方がミリオンセラーを連発してるから、BOØWYに勝った!」とは思っていないだろう。彼らはあくまでBOØWYの背を見てから楽器を手に取ったに過ぎない。考えるより先に、とにかくバンドを組んでギターを弾きたい、フロントで歌ってみたい、と思わせてしまうような、そんな初期衝動を掻き立てるような存在であるだろうか。
 カリスマ性というのは、そういうことだ。
 理屈より先に、体が動いてしまう。そんな気持ちにさせてしまうバンドなんて、そうはいやしない。

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 BOØWY解散が本決まりとなり、ソロになることを決意した布袋が描いていたビジョンは、とにかく自分がフロントに立つことだった。細かなニュアンスは後回しで、まずそこだけ決めてプロジェクトを進行させた。これまでのように、氷室京介というフィルターを通して表現するのではなく、ダイレクトにオーディエンスと向き合うことが、アーティスト布袋寅泰としてのスタートラインだった。
 ブレイク前までは、氷室がフロントであることを前提としてのサウンド・メイキングだった。メロディと声とが引き立つように。実際、そのコンセプト・デザインはバンドにも時代にも、うまい具合にシンクロした。バンドの知名度は上がり、セールスもそれに見合う売り上げとなった。もともとのフィールドだったパンク界隈の連中からは、大衆に魂を売っただの決まり文句が飛び交ったけど、バンドからすれば、ただやりたい事を突き詰めていったら、たまたま大衆のニーズと合致しただけであり、特別媚びを売った結果ではなかった。
 普通なら、ここで確立した必勝パターンをさらに強固なものに仕上げるため、敢えて二番煎じと揶揄されようが、反復してゆくことがビジネス的にも得策だった。だったのだけど。
 次第に布袋のアーティスト・エゴの覚醒が暴走し、メロディとサウンドとの乖離が目につくようになる。スタジオ・ワークの多様性を提示した『Psychopath』は緻密に構成された秀作だったけど、フロント2人のベクトルは見事に別な方向を向いている。パーツひとつひとつの完成度は高いのだけど、それらをひとつにまとめようとすると、どこか歪さが垣間見える。特に布袋のバッキングは、氷室のキャラクターと相反するものになっている瞬間がある。
 思えば、大ブレイクとなった『Beat Emotion』までが彼らの蜜月だったのだと、今にして思う。大衆性とアーティスティックな感性との奇跡的な邂逅、臨界点がこのアルバムだったのだ。
 もはや互いが互いを取り込んでしまい、さりとて相容れる要素はほぼない。
 そのことに気づいた彼らは、解散を決意する。すべては起こるべくして起こってしまったことなのだ。

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 そんな経緯を得て解散を決意した布袋。独りでやっていくことは決めた。次に考えるのは、具体的なサウンド・コンセプトだ。少なくとも、これまでとは別のアプローチが必要になる。
 まず布袋が選んだのは、これまでの手練れのリズム・セクションではなく、ハウス・サウンドから由来する無機質なデジタル・ビートだった。人力による偶然性によるリズムの揺れではなく、丹念にシミュレートされた複合的なリズムから生まれるグルーヴ感こそが、BOØWYとの差別化だった。そのリズムから希求されるサウンドは布袋のビジョンを完全に具現化しており、よって旧来のノウハウは途端に古びたものとなった。そんな新たなサウンドに溶け込ませるため、彼はこれまで多くのギター・キッズをも魅了したBOØWYメソッドのギター・プレイをもガラリと変えてしまった。
 そこまで徹底した「BOØWY以後」に至る布袋の変節が、並々ならぬ覚悟のもとに行なわれたことは、想像に難くない。単なる人力→プログラミングの置き換えではなく、以前とはまるで別のベクトルを持つそのサウンドは、マスに受け入れられることを拒否していた。氷室のソロ・プロジェクトが後期BOØWYの延長線上にあった分、同路線を歩むわけには行かなかった事情もあるのだろうけど、明快なシングル・ヒットや大衆性をことごとく排除した布袋の路線はリスキーなものだった。

 もともとUKサウンドを基調としていた布袋、最先端のデジタル・ビートとロック・ギターの融合はあまりに新機軸であったため、当時、きちんとした評価が為されていたかといえば、それはちょっと疑問。正直、BOØWYの余波でミリオンまで到達した感が強い。逆に言えば、ヒット要素を内包したサウンドではない。その感触はザラッとして親しみやすいものではない。
 まだ本格的なヴォーカル・トレーニングを行なっていなかったヴォーカルは、決してテクニカルなものではない。いち早くソロ・デビューを果たした氷室と比べると、その差は歴然としている。日本語で歌うことが気恥ずかしかったこともあって、布袋はこのアルバムでは全編英語で通している。当然、意味合いは伝わりずらくなり、売れ線からはさらに遠ざかる。
 ナチュラルでシャウト気味になるその声質から、細かなニュアンスを表現できるタイプではない。そのスタイルは朴訥で、しかもぶっきらぼうだ。これもまた、ビギナーを遠ざける要因となっている。なんだ、優しいところがほとんどないや。
 ただ、このサウンドに流麗なヴォーカルは合わない。「氷室以外」イコール「布袋自身」が歌うことを前提に組み立てられたサウンドは、ある意味、きちんとリンクしている。バンド末期の乖離具合とは違い、すべてのピースがうまく組み合わさっている。
 共同制作者として、ホッピー神山と藤井丈司の名がクレジットされているけど、彼らはプログラミングなどのテクニカル面のサポートを行なっただけで、キャラクターが強く出ていることはない。なので、ほぼ100パーセント布袋寅泰によって構築された音で埋められている。その濃密さに触れると、誰もが「スゲェ」とうなってしまう。
 だから、「問答無用」なのだ。

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 デビュー・アルバムとは、その後の方向性を占うショーケース的なものと言われている。今後示す方向性は、すべてこのアルバムの中に入っている。
 ソロ・デビューから30年近く経過し、時々思い出したように『Guitarhythm』シリーズは続いているけど、正直、これ以上のクオリティのアルバムを、布袋はいまだ作れずにいる。もちろん、経験に基づく熟練度・完成度は年を経ることに高まっている。
 ここで得たノウハウを基にして、90年代に入ってからの布袋はシングル・ヒットを狙ったキャッチー路線にシフトしてゆく。どの曲もいまだ多くのファンに愛されており、当然レベルは高い。セールスだってBOØWY時代を凌駕している。
 でもしかし。
 ここで提示された新たなサウンドの萌芽の落とし前、凛とした切実さは出ていない。
 いつかは生まれるのだろうか。


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布袋寅泰
EMIミュージック・ジャパン (1988-10-05)
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1. LEGEND OF FUTURE
 重厚なストリングスを基調としたアルバムのファンファーレ。当時、こんな構成のアルバムを作る邦楽アーティストは皆無だった。アルバムというものがヒット曲の寄せ集めではなく、入念に練り上げられたコンセプトに基づく組曲であることを改めて気づかせてくれた。当時の布袋の美学が顕在化している。

2. C'MON EVERYBODY
  いにしえのロックンローラーEddie Cochran、1958年のヒット・ナンバー。デモ・テープはこの曲からすたーとした、ということなので、もう随分昔から温め続けていたアイディアだったのだろう。
 過去の遺産と未来の可能性とのハイブリットは、このアルバム最大のハイライト。チープなデジタル・ビートとロックンロール・マナーに基づくギター・プレイ。ほぼ思い付きの産物を初期衝動の勢いのまま、うまく真空パックして普遍性を持たせてしまった奇跡のトラック。オリジナルを凌駕してしまうというのは稀有なことだけど、それを実現してしまったレア・ケース。



3. GLORIOUS DAYS
 前曲から続く、ややキャッチーめの疾走感あふれるナンバー。ロックンロール・クラシックをそのまんま未来へスライドすると、こんな風な仕上がりになってしまう見本。スタイルとしてはデジタルなBOØWYといった趣きだけど、やはりこれは氷室より布袋のヴォーカルの方がフィットしている。

4. MATERIALS
 本人曰く、ややへヴィ・メタル・タッチに仕上げたギターの音色は、タイトル通り無機質な響き。これはCMでもよく流れていたので、馴染みが深い人も多いはず。結構アバンギャルドな質感だけど、根本はすごくシンプルなロックンロール。やっぱり未来志向のロックンロールだよな、これって。
 いびつなエフェクトをこれでもかとぶち込んでくる、ホッピー神山の技が光るトラック。

5. DANCING WITH THE MOONLIGHT
 イギリスのみでほんの一瞬リリースされた、このアルバム唯一のシングル・カット。とは言っても速攻廃盤になってしまったので、チャートインすることもなく、幻のシングルとして名高い。
 ヴォーカル以外は完全にUK仕様、ほんと世界進出を視野に入れていたことが想像できるナンバー。キャッチーさと先進性を融合させたのはいいけど、こういうのって結局、現地でのプロモーション体制が大きいんだろうな。もし本気でUKでブレイクするのなら、移住してどっしり腰を据えて長いスパンで活動しないと、本腰入れてくれないんだろうし。
 男臭いPet Shop Boys的な打ち込みサウンドは、キッチュさが強くいま聴いても新鮮。



6. WIND BLOWS INSIDE OF EYES
 ベルリン3部作期のBowieを彷彿とさせる、ほぼドイツ語のポエトリー・リーディングで埋め尽くされた実験的なナンバー。リーディング担当はドイツ出身の友人によるもの。ギターもほとんど聴こえないし、曲の配置から言って、幕間的な要素が強い。

7. WAITING FOR YOU
 このアルバムの中ではギミックも少なめの、ストレートなロックンロール。前述のEddie Cochranに代表される、いわゆるレジェンド枠のロックンローラーが世紀末に最新機材でレコーディングしたら…、というシミュレートのもと、布袋は普遍的なロックンロールを創り上げた。考えてみれば、当時だってエレキ・ギターは最先端のアイテムだったのだから、こういった方法論は正しい。

8. STRANGE VOICE
 ニューウェイヴを通過した肉体による、ロックンロール・リバイバル。UKエレポップさえも取り込んだ「何でもアリ」感は、ロックの歴史が凝縮されている。上澄みの余分な脂を丁寧に掬い取った、ピュアな形のモダン・スタイルが残った。

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9. CLIMB
 疾走感あふれるロックンロールは耳ざわりが良いのだけど、これってBOØWYの進化形だよな、要するに。氷室が歌っても良かったんじゃね?と思ってしまう。ていうか氷室のキーの方が合ってる。間奏のインダストリアルな展開、そこから続くフリーキーなギター・ソロは好きだけど。

10. GUITARHYTHM
 後に『Kill Bill』によって世界的に有名になった『新・仁義なき戦い』テーマ曲「Battle Without Honor or Humanity」がリリースされるまでは、これが布袋の代名詞的な楽曲だった。印象的なイントロのリフ、アクティヴなダンス・ビートを導入したリズム・トラック、縦横無尽に飛び交うギター・プレイ。2.と並び、布袋がやりたかったことのすべてが詰まっている。
 ロックンロールとはカッコよくあらねばならない、ということを体現した傑作。

11. A DAY IN AUTUMN
 エピローグ的なストリングスは感傷的に、ドラマティックな大団円を演出する。
 これ以前も、そしてこれ以降もない、歌詞から作り始められた楽曲のため、布袋の度の楽曲とも似ていない。荘厳なオーケストラをバックにすることを前提に書き上げられたスコアは、これまで影響を受けてきたアーティスト・音楽たちのエッセンスが詰まっている。



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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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