#Rock : Japan

好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

必要な音を、必要な分だけ。 - 甲斐バンド 『Love Minus Zero』

folder 1985年リリース、11枚目のアルバム。この後、最終作と銘打たれてリリースされた『Repeat & Fade』が、各メンバーのソロ・プロジェクトを集めた変則的なスタイルだったため、実質的な最終作はこの『Love Minus Zero』になる。のちに、15年のブランクを経た再結成作『夏の轍』がリリースされることになるのだけど、この時点では甲斐バンドは封印、「永遠の過去」になるはずだった。それまでの甲斐の発言やライフスタイルからして、同じことを二度も繰り返すことはありえない、というのが衆目の一致するところだった。
 オリコン・シングルチャート最高4位をマークした「安奈」を最後に、甲斐バンドのセールスのピークは過ぎていたので、この時点でのアルバム・チャート最高3位という成績は、まぁ妥当なところ。
 すでにアルバムを主体としたバンド運営に移行していたし、特にこの時期の彼らは、セールスよりもむしろサウンドのクオリティを上げることにウェイトを置いていた。バタ臭いハードボイルド・タッチのサウンドは、おニャン子旋風真っ只中のオリコン・ヒットチャートとは相いれなくなっていたのだ。

 ニューヨーク3部作の2作目に当たる『Gold』製作中、甲斐バンドが深刻な解散の危機を迎えていたことは、後年、甲斐自身を含め関係者の口から明らかにされている。
 どんなにテイクを重ねても、従来メンバーの演奏スキルではサウンドに比類するクオリティには達せず、自暴自棄になるほど追い込まれていた甲斐は、いつ「解散」のひとことを切り出そうか思い悩むことになる。それをもう一歩のところで踏みとどまったのは、バンドを含めスタッフにも家族がいること、それらのしがらみをすべて無責任に放り出してしまうことは、情に厚い九州男児である甲斐にはできなかった。
 そんなギリギリの精神状態の中で『Gold』は完成した。

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 「ニューヨーク3部作」と称されているこの時代の作品だけど、素材のトラック自体は日本でレコーディングされたものであり、セッション・ミュージシャンもほぼ日本人で構成されている。ニューヨークでの作業はあくまで最終調整、ミックス・ダウンやマスタリングのみなのだけど、この辺は案外サラッと流されがちである。
 旧譜のリマスターを行なう際、現在のスタジオワークの主流であるDAWでは当時のニュアンスが再現しきれず、いまだヴィンテージ機材が主流である海外でのマスタリングは珍しくなくなったけど、稀代のエンジニアBob Clearmountainのスキルのみを求めてニューヨークへ向かう、というのは、当時としてもレアケースだった。
 好景気と円高傾向の恩恵もあって、80年代はちょっと名前が売れれば、猫も杓子も海外レコーディングを行なっていた。所属事務所に財力があれば、案外そのハードルは低かった。デビュー前の少女隊が、一流のメンツをそろえてロスでレコーディングできちゃったくらいである。「海外発」という箔づけが有効な時代だったのだ。
 単純にスタジオ経費が抑えられるというメリットの他に、女性アイドルならレコーディングのついでにグラビア写真集やイメージ・ビデオの撮影までできてしまう。ていうか、こっちの方がメインだったのかな。ギリギリまで睡眠時間を削った過密スケジュールをこなしてきたアイドルにとっても、ちょっぴりビジネス/ほとんどバカンス気分でリフレッシュでき、事務所的にも適度なガス抜きと節税対策でコスパはいいし。
 なんだ、みんなが喜ぶことじゃん、これって。

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 で、甲斐バンド。当然のことながら彼らがマンハッタンでヌード・グラビアを撮影することはなく、純粋にスタジオ作業で渡米したのだけど、考えてみれば本格的な海外レコーディングを行わなかったというのは、ひとつの疑問である。
 初期メンだったベースの長岡が抜けてからの甲斐バンドは、その後は欠員補充することもなく、ギター大森・ドラム松藤との3名体制で運営していた。PoliceやJamなど、世界的にトリオ編成のバンドは珍しいものではなかったけれど、フォーク・ロック的な色彩が濃かった初期ならいざ知らず、ニューヨーク3部作期のサウンド・メイキングは、とても3人でまかなえるものではなくなっていた。
 シビアで繊細な音づくりを信条とするBobのスタジオ・ワークに耐えうるサウンドを作り出すには、どうしても他者の手助けが必要となる。甲斐の要求するクオリティはアルバムを追うごとに高くなり、相対的に大森・松藤の出番は少なくなる。代わって外部ミュージシャンの起用は多くなっていった。

 最盛期には年300本前後のライブをこなしていた彼らだったけど、ニューヨーク3部作に突入する頃は「創作活動に専念する」という理由で、ライブの本数を極力抑えていた。都有5号地(のちの都庁建設地)や両国国技館など、これまで音楽イベントに使用されていなかった会場を使って世間に大きなインパクトを与えたのもこの時期だけど、そんな理由で実質的な本数は激減している。
 そういった状況だったので、何かと雑音の多い国内にこだわらず、まとまった時間を取って当時のBobの所属スタジオPower Stationでのレコーディングも可能だったはず。まぁ世界中からオファーが集中していたスタジオなので、長期間スタジオをキープすることが、物理的にも予算的にも難しかったんじゃないかとは思う。
 もし長期のレコーディングが可能だったとしても、必然的に在米のミュージシャンを起用することになり、メンバーとのポテンシャルの差が大きすぎる。当時の甲斐のことだから、メンバーがプレイしたトラックを冷酷に差し替えまくることもあり得る話である。
 そこまで行っちゃうと単なる甲斐のソロ・アルバムになってしまい、バンドとは呼べなくなってしまう。

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 『Gold』リリース後に行なわれた大規模ライブ「Big Gig」を終え、彼らは暫しの沈黙期間に入る。その間、甲斐バンドはデビューから所属していた東芝EMIと契約終了、新興レーベル・ファンハウスに移籍する。
 EMI内で日本のロック/ポップス部門のリリースを担っていたエキスプレス・レーベルを母体として始まったファンハウス、初代社長として就任したのが、そのエキスプレスを管轄していた新田和長である。甲斐バンドの担当ディレクターでもあった新田が独立した流れで、彼らも半ば引きずられる形で移籍することになる。
 アーティストがレーベル移籍するというのはよほどのことで、大抵は契約が切られたか、または好条件を求めて、そのどちらかである。特にデビューから何かと世話になった会社から抜けるとなると、それなりの覚悟が必要になる。
 EMI自体に取り立てて不満のなかった甲斐だったが、会社:アーティストの関係を越えて恩義を感じていた新田への義理を果たすため、ファンハウス行きを決断する。あくまで信頼関係に基づいての成り行きであって、ビジネス上での合意とは微妙にニュアンスが違ってくる。

 初期ファンハウスのアーティスト・ラインナップは、オフコースとチューリップが中心だった。他で目につくのは、「あみん」を解散して間もなかった岡村孝子。レーベル・カラーとしては、旧EMIのニューミュージック勢が多くを占めている。
 そんな中に甲斐バンドも名を連ねているのだけれど、正直、このメンツでは明らかに浮いた存在である。「キャリア的に前者2組と肩を並べている」という理由だけでキャスティングされている印象が強い。
 ファンハウスのメインとして新田が位置付けていたのは、オフコースである。その後の彼のインタビューでの発言も、小田和正のエピソードこそ多いけれど、甲斐について語ることはほとんどない。ビジネスマンの視点から見て、今後の収益面の期待値が大きかったのが小田だったのだろう。まぁ当時のポジションから見てもそうなるわな。

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 取り敢えず新レーベル設立にあたって頭数をそろえるため、他のアーティストとカラーは違うけれど、ネームバリューのある甲斐バンドにも声をかけた、というのが真相だったんじゃないかと思われる。事実、『Love Minus Zero』リリース後、甲斐バンドは解散宣言と共にEMIに復帰、しかも甲斐よしひろのソロ契約というおまけまでついている。
 結果的にこの移籍劇は、ファンハウス立ち上げのための名義貸し、ワンショットの契約だったのだろう。甲斐サイドから見れば、何のメリットもない移籍だったし。

 そんなゴタゴタした経緯の中、断続的かつ長期間に渡ってレコーディングは進められた。この時点で解散に関するミーティングは続けられていたし、甲斐のソロ・プロジェクトも水面下で進行していた。
 正直、他メンバーのテンションはダダ滑りだったんじゃないかと思われる。何度プレイしてもリテイクの連続、レコーディングは空転状態である。クオリティを高めるため、メンバーがプレイしたテイクは破棄され、外部ミュージシャンのプレイに差し替えられる。それでまた不協和音が生じ、レコーディングはさらなる遅延のループとなる。テンションも下がるよな、こんなんじゃ。
 そんな悶々としたバンド内不和の緩衝役として、以前からサポートで参加していた田中一郎が正式加入するのだけど、中立的な立場である彼を持ってしても、積年に渡ってこじれた歪みを解消することはできなかった。
 やりづらかっただろうな、どちらにとっても。

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 で、できあがった音というのは最高傑作と呼ぶに値する、恐ろしく高いクオリティで統一されている。「甲斐バンド」というドメスティックな先入観を抜きにすれば、世界レベルで充分戦えるレベルにまで到達している。
 前述したように、おニャン子旋風が吹き荒れていた当時のオリコン・ヒットチャートとはリンクしていないサウンドなので、バカ売れしたアルバムではない。DX7にまみれた同時代の音楽と違って、時代の風化にも耐えうる音ではあるけれど、多くの人を惹きつける魅力には薄いのだ。キャッチーなメロディーという点においては、ひとつ前の『Gold』が頂点だったし。

 『Love Minus Zero』は日本のミュージック・シーンの文脈で語るより、むしろ末期のSteely Dan、『Aja』や『Gaucho』と並べて語る方がわかりやすい。Donald FagenもWalter Becker も甲斐同様、サウンドにこだわり過ぎるあまり、初期のバンド・スタイルを徐々に解体、オリメンである司令塔2人を残して、外部ミュージシャンの組み換えで傑作を産み落とした。
 特に最終作『Gaucho』では、司令塔2人(とプロデューサーGary Katz)が完璧なサウンドを追求するがあまり、セッション・ミュージシャンらに対し、冷酷無比に膨大なリテイクを要求する。妥協なきスタジオ・ワークは、後世にまで語り継がれる作品として昇華したけれど、長きに渡る編集作業は2人の精神をすり減らし、完成と共にSteely Danに終止符を打った。

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 Dan同様、甲斐バンドもまた、完パケと共に解散を決定、リリース後は終焉に向けて動き出すことになる。
 気の進まない移籍騒動やら、思うように捗らないレコーディングやらで、バンドを取り巻く環境は決して良いものではなかった。逆に言えば、人間関係がこじれればこじれるほど、各々自身の作業に集中せざるを得なくなり、音楽的には高いクオリティを持つアルバムに仕上がった。
 バンド内のピリピリした緊張感を象徴するかのように、どの音も念入りに研ぎ澄まされ、ひとつひとつの音の粒立ちは良い。曖昧な響きがことごとく排除されているのだ。
 必要な音を必要な分だけ。足しもせず、引きもしない。
 そんな音が、『Love Minus Zero』には収められている。


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甲斐バンド
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1. 野獣
 1984年リリース、『Love Minus Zero』からは2枚目の先行シングル。前述したように、この時代になるとシングル・ヒットは眼中になかったため、オリコン最高53位という成績には何の関心もなかったと思われる。
 ボクシングを題材とした曲といえば、アリスの「チャンピオン」が真っ先に思い浮かぶけど、谷村新司が引退間近のロートル・ボクサーのペシミズムを主題にしていたのに比べ、ここでの甲斐は脂の乗った現役ボクサー、ギラついた渇望と暴力的な肉体性を取り上げている。
 70年代ブリティッシュ・ハード・ロック的なギター・リフを基調としたシングル・ヴァージョンでは、ライト・ユーザーへの配慮も窺える「ロック」な仕上がりだったけど、ほぼ同時にリリースされた12インチ・シングル並びにアルバム・ヴァージョンでは、歌詞世界とリンクした、バイオレンスな質感となっている。
 シングルでの各パートが横並び・等間隔に配置されているのに比べ、冒頭のスラップ・ベースやギター、そのどれもがコントラスト鮮やかな音像に仕上がっている。イントロだけ聴くと、まったく別の曲のようである。
 「ミックスダウンとは何ぞや?」という問いかけに対する模範解答とも言えるナンバー。



2. 冷血(コールド・ブラッド)
 『Love Minus Zero』発売1か月前にリリースされた、本来の意味合いに最も近い先行シングル。そんな何枚も出すモノじゃないよな、先行発売って。オリコン最高43位は1.よりちょっと上がってるけど、まぁこの結果にもさして関心はなかったと思われる。
 Truman Capoteの同名ノンフィクション・ノベルからインスパイアされたタイトルだけど、クライム・ノベル的な短編小説的世界観の意匠だけ使って、内容はまったく別モノ。Capoteは死刑囚への緻密な取材に基づく人格解剖だったしね。
 抑制されたドライなサウンドをバックに、甲斐のヴォーカルは少し引き気味にミックスされている。サウンドと言葉とが等価で配置され、凄惨な世界観はギリギリのところでポップの側に踏みとどまっている。これまで甲斐の書いた楽曲の中でも、ハードボイルド・テイストが最も高い曲。



3. フェアリー(完全犯罪)
 「Big Gig」終了間もなくリリースされた、『Love Minus Zero』プロジェクトの最初を飾る「先行シングル」。もう何枚目だよ。
 1.2.のハードボイルド・タッチから一転、シングル・チャート意識したポップ・ロック的なサウンドは、案外ファンの間でも人気が高い。この曲のみミックスを、Bobと同じパワーステーションのエンジニア、Neil Dorfsmanが手掛けている。多分、Bobのスケジュールが合わなかったため、代役として彼が指名されたのだろうけど、いやいや彼もなかなかの実績を持っている。Sting 『Nothing Like the Sun』、Dire Straits 『Brothers In Arms』、Paul McCartney 『Flowers In The Dirt』と、80年代の重要アルバムを数々手がけており、Bobと比肩するポテンシャルの持ち主である。
 「最初は遊びで付き合ってたつもりが、いつの間にかこっちが本気になってしまった挙句、捨てられて呆然としている」といったシチュエーションは、甲斐にしては珍しく受け身の設定。ハードボイルドを謳ったアルバムの中では異彩を放っているけど、サウンドのトーンはアルバム全体と調和しているので、違和感は感じられない。こうやって全体像を見据えた処理能力は、やはり世界のパワーステーション。



4. キラー・ストリート
 バンドっぽさを感じさせる、ファンキーなリズムのロック・チューン。レコードではA面ラスト、シングル・カットされた冒頭3曲のインパクトが強かったおかげで損なポジションだけど、年を経てから聴いてみて、最も甲斐バンドらしさが残っているのがこれ。「ハードボイルド」と銘打ってちょっとよそ行きっぽかった甲斐のヴォーカルも、ここでは変な気取りを捨ててきちんとロックしている。
 しかし、無国籍感ぱねぇな。リアル北斗の拳的な歌詞もそうだけど、この曲に限らず、サウンド自体も同時代のアーティストとのリンクがない。やっぱオンリーワンだったんだな。

5. ラヴ・マイナス・ゼロ
 もともとは甲斐がソロ用にストックしてあった曲をバンド・アレンジして制作されたミディアム・ナンバー。解散ライブを収録したアルバム『Party』ではラストに収録され、「君から 愛を取れば…」と歌い残してステージを去った。アルバム・リリースから半年経ってからシングル・カットされたため、オリコン最高88位と振るわなかったけど、ファンの間ではヒット曲よりもむしろこちらの方が人気が高い。歌詞・メロディ・アレンジとも、最も時代におもねることなく、風化せず生き残っている。
 4.同様、サウンドは無国籍感が支配する。俺がイメージするのは、なぜか東南アジアの喧騒に満ちた夜のマーケット。行ったこともないのに、想うのはいつもそこ。多分、聴く者それぞれの「Love Minus Zero」的世界観を想起させるのだろう。



6. デッド・ライン
 アメリカン・ハードロック的な大味のポップ・ロック。時折隠し味的に響くシモンズが時代を感じさせ、軽やかなサックスは心地よく響く。でも面白みにはちょっと欠ける。『Gold』のアウトテイク的な親しみやすさはあるけどね。

7. Try
 で、こちらはサウンド的にCarsを思わせるシンセ・ポップ。歌詞はステレオタイプのロックンロール。まぁこんなのもできちゃったんで的な、アルバム・コンセプトとはちょっとズレてる感がハンパない。要するに、ちゃんと聴いてなかったんだよね。改めて聴いてみても、歌詞がちょっと書割りっぽくて馴染めないな

8. 悪夢
 作曲:田中一郎、作詞甲斐による共作。ここでのヴォーカルは甲斐が取っているけど、シングルでは田中が歌っている。両方を聴き比べてみると、田中のヴォーカルはニュアンスの表現が甘く、やはり手練れの甲斐のヴァージョンに軍配が上がる。色艶が違うんだよな、表現力の差というか。
 初参加ということもあって、ここでの田中は実力をまだ十分に発揮しきれないでいるけれど、次作『Repeat & Fade』ではストレートなロックンロールだけに収まらないバイタリティが開花する。するのだけれど、そこでバンドは終止符を打っちゃったのが惜しい。

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9. 夜のスワニー
 このラスト曲と8.のみが、バンド全員でのセッションによって制作されている。他の楽曲はトラックごと個別にレコーディングされているのだけれど、寄りによってバンド・マジックが生まれづらそうなこの曲を選んでしまうところに、バンド内の軋轢を感じさせる。
 以前も書いたのだけど、アレンジがElvis Costello 「Inch by Inch」そのまんま。Costelloがリリースしたのが1984年なので、シンクロニシティだインスパイアだオマージュだとは恥ずかしくて言えないくらい、それほどそっくり。聴いた当時はカバーだと思っちゃったくらい。
 透徹としたアーバンな世界観が巧みに表現されているだけに、ちょっともったいない。



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「日本のロック」という文脈ではくくり切れない人たち - ローザ・ルクセンブルグ 『ぷりぷり』

61B1qwXLzAL 日本のオルタナティブ/インディーズで活動するミュージシャンがメイン・カルチャーのメディアで紹介されるようになったのは、70年代前後からである。GS〜フォークの時代にも音源化されていないアーティストは山ほどいただろうし、一部はマニア有志による発掘作業が今でも進められているのだけど、どれも歴史的資料、時事風俗の記録的意味合いを超えるものではない。B級GSや新宿西口フォークに純粋な音楽性を求めて聴く者はあまりいない。そこには好事家的なノスタルジーの香り、音楽を取り巻く時代状況を考察する視点の方が強い。
 ファンクラブ限定で配布されたジャックスの私家盤や、現役時代からすでに幻の存在とされていた裸のラリーズ、頭脳警察や村八分あたりからやっと、アルバムというまとまった形で提示できるアーティストが出現する。ステージ上の露出行為や発売禁止処分にあったりなど、まだまだスキャンダラスな側面が強い人たちばっかだけど。

 フラワー・トラベリン・バンドや外道など、欧米のハード・ロックにも引けを取らない、「ある程度」きちんとしたロック・バンドの登場によって、メジャー・リリースの活路がちょっとだけ開けるようになる。それでもまだ、エキゾチックなステージ衣装や挑発的な発言ばかりがクローズアップされて、いまだ純粋な音楽的評価を得るには至っていない。
 次なるムーヴメントがUKパンクの勃興、長髪と冗長なインプロビゼーションを捨てたバンドマンたちは我先にと髪を立て、3コードで放送禁止用語をがなり立てるようになる。東京ロッカーズの台頭をきっかけとして、自主製作のレコードやテープが地下流通するようになった。
 その流れを汲んだまま80年代に突入し、何でもアリのニューウェーブ時代、そこでメジャーとインディーズとの垣根が一気に低くなった―、といったところまでが、俺の私観。すごくザックリ書き連ねてみたけど、概ねこんな感じじゃないかと思う。細かいところは各自補足して。

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 いま挙げたアーティスト以外、自主製作はおろか音源さえ残さなかったバンドの方が当然多かったわけで、そんな泡沫連中の動向まで逐一カバーできるはずもない。70年代アングラ・シーンの最大の情報源とされていた「ぴあ」でさえ完全なデータとは言えないし、第一チェックできたとしても、すべてのライブを観れるわけではないのだ。
 80年代をリアルタイムで生きてきた俺の時代になると、インディーズの市場がメジャー予備群的に拡大しつつあった頃とリンクしていたため、雑誌メディアでの情報も多少は増えていた。北海道の中途半端な田舎ではあったけど、品揃えにこだわりの強いレコード店には、数少ないけどインディーズ・コーナーも設けてあって、そこで初めてブルーハーツの「人にやさしく」のドーナツ盤を発見した。近所に伝説のライブハウスもあったしね。

 で、ローザ。
 彼らもまたブルーハーツとほぼ同時代に活動していたバンドである。調べてみると、ローザのメジャー・デビューが85年で、ブルーハーツが87年だった。彼らの方が早かったんだな。
 当時はメジャー・デビューに至るまでのハードルが高かった、また前述のスキャンダラスな面が強いバンドに対する規制が強かったため、受け皿としてのインディーズ・シーンの隆盛がよく語られている。いるのだけれど。
 リアルタイムで80年代を生きてきた俺の、これまた私観だけど、刹那的な時代風俗の側面も強かった80年代中盤からのオルタナ・シーンでは、メジャーへのステップはそこまで高くなかったんじゃないか、という印象。セールス動向が読みづらかったせいで継続的な複数契約は難しかったけど、ワンショット契約での単発リリースは各メーカー、試験的に行なっていた。

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 考えてみれば、以前と比べて壊滅的にCDが売れない現代の方が、メジャー・リリースへの障壁は高いんじゃないかと思うのだ。損益分岐や販売計画など、レコード会社の社員ディレクターのデスク・ワークは、以前にも増して膨大となり、新たなアーティストをチェックする時間も余裕もない。収益見込みの確実な根拠がない限り、リスクを被ることもできなくなっているのだ。
 世界的な物理メディアの販売不振やらダウンロード販売の隆盛やら、ストリーミング・サービスの台頭やらインディーズ・シーンのシステム化やら、理由はいくらでも挙げられるけど、結局のところ、80年代当時は景気が良かったのだ、ということに尽きる。プラザ合意間もない頃の日本経済は、1億総中流社会と形容されており、誰も飛び抜けて贅沢はできないけど、まじめに勤めていれば誰でも平均的な生活レベルを手に入れることができる程度の社会基盤が整っていた。みんなが同じ生活レベルだったため、自然と趣味嗜好も似たようなものになり、みんなが同じ流行のものに飛びついた。

 音楽業界も同様で、ヒット曲とは老若男女、誰でも気軽に口ずさめるものだった。最大公約数的に万人向けのものではあったけれど、時間と金をかけてプロの手でしっかり作り込まれた楽曲は、時代を経ても古びないものだったことは歴史が証明している。
 中には流行狙いの安易な作りの楽曲もあったけど、手間ヒマかけて送り出された多くの楽曲は会社にアーティストに収益をもたらし、その一部をまた新たな楽曲・新たなアーティストに投資した。そういった循環がうまく回っていたのが80年代である。90年代に入ると、シェアはさらに拡大したけど、マーケティング理論が介入し始めて、音楽が商品になっちゃって、ニュアンスがちょっと違ってくる。

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 実は80年代中盤というのはCDバブルのちょっと前、レコードの出荷枚数が微減していた時期である。ミリオン・ヒットも出てないしね。
 それにもかかわらず、当時の社員ディレクターは骨のある人物が多く、自ら現場に赴いて情報収集、まだ他社との契約に至っていない新進バンドの面倒を見、見込みがあれば二人三脚でデビューにこぎ着けられるよう尽力していた。今ならデスク上でYouTube やtwitter をチェックする程度で済ませてしまうけど、ビジネスを超えて音楽産業に携わる者としての気概に満ちていた、そんな時代である。

 なので、セールス的に苦戦することは目に見えてるけど、利益追求と並行して文化事業でもあるレコード会社の役割として、先行投資的に新興ジャンルの育成を強化するメーカーも多かった。昔から1つの大ヒットで100のアーティストを養う業界構造は今も変わらないけど、70年代的理想主義の最後の砦として、ニューウェーブ系のアーティストを抱えているメーカーは多かった。

 メジャー・レーベルRVCから派生、YMO散開後の坂本龍一を中心として設立されたミディからデビューしたのが、ローザである。当時のラインナップとしては、坂本の他に矢野顕子と大貫妙子、EPOや鈴木さえ子といった面々。こうやって並べてみると、ローザだけ明らかに異色である。多分、ファントムギフトと同じカテゴリーだったのかな。
 教授周辺のアーティストが一種のインテリジェンス、選民的なイメージ戦略だったのに対し、ローザはアングラ上り特有の粗野なイメージをそのまま持ち込んでデビューした。もともとミディというレーベルの社風から、アーティスト・マネジメントには不干渉だったため、彼らの存在は特に浮きだって見えた。そのバックボーンには京都のアングラ・シーンの不穏な妖気が立ち込めており、笑顔の裏側に貼りついた狂気は隠しきれなかった。
 バンド全体のイメージとしては異彩さをはなってはいたけど、ヴォーカルどんとの天衣無縫なキャラクターは、隣りの兄ちゃん的な親近感さえ漂わせていた。
 そういえば矢野顕子とかぶるよな、キャラクター的に。

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 無邪気な笑顔で虫やカエルを踏み潰す、天真爛漫と残虐性とを併せ持った子供のようなキャラクターは、案外お茶の間への好感度アップへと寄与した。本格デビュー前にもかかわらず、なぜか無名の彼らがセブン・イレブンのCMキャラクターに抜擢されたのは、いまを持って謎。
 考えてみれば、セブンも一貫して変わった企業だよな。長いことCMでタイマーズ使ってるし。俺的には全然オッケーだけど。

 ローザ解散後もどんと、「平成教育委員会」のレギュラーとして、特異な回答やリアクションを連発している。ライブの時とは違ってちょっと照れ臭そうに、どこか憎めなくって頼りないけど何だかみんなに愛されてしまうキャラクターは、終生変わることはなかった。こういった振る舞いは演じてできるものではないので、やはり生来の人柄に依るものなのだろう。

 余計な美辞麗句や賛辞、形容を取り払って彼らの音を聴くと、基本はオーソドックスなロックンロールであることに気づかされる。その奇抜なメイクやコスチューム、デビュー前に帯同した欧州ツアーから由来するアングラ演劇からの影響、また当時からジャンルに捉われないどんとのキャラクターも相まって、プラスアルファのオリジナリティは満載なのだけど、基本はシンプルな8ビートである。それらはすべて、初期ローザ・サウンドのイニシアチブを握っていた玉城宏志の志向を中心として構成されている。
 基本のバンド・アンサンブルがしっかり構築されていたおかげもあって、どんとの自由奔放さが活きた、という見方もできる。メンバー全員がどんとみたいだったら、ただの下手くそなアバンギャルドになってしまう。収拾つかないだろうな、多分。

 どんともその辺は自覚していたのか、終生、バンドのメンツは気心が知れていて、しかもテクニック的に申し分ない者ばかりだった。フラフラ飛び回る自分をしっかり繋ぎとめる基盤=プロミスト・ランドが必要であることを自覚していたのだ。
 でも、メンバー全員がどんとのバンドも、怖いもの見たさで面白そうなのだけど。


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1. おもちゃの血
 かなりファンクに接近したロックンロール。なので、それぞれの音のパートをもっと太くミックスすると、Rage Against the Machineのようにも聴こえる。あそこまでの仰々しいメッセージ性はないく、歌詞はほぼノリ、セッション中に「おもちゃのチャチャチャ」をなんとなく口ずさんだら、語感とリズムがうまくマッチングしていつの間にかできあがっちゃった、てな感じ。

2. 在中国的少年
 オリエンタルなギター・リフが耳に残る、ローザ代表曲のひとつ。ギターばかりがどうしてもピックアップされがちだけど、通底音として切れ目なく地を這いまわるベース・ラインが無国籍性をさらに引き立たせている。

 うんばぱっぱ、うんばぱっぱ、よいよいよ~い。うんばぱっぱ、うんばぱっぱ、あらえっさっさあ

 歌詞はさらに意味性を超越している。ていうか音頭のかけ声だよな、これって。民族的舞踊の原初に立ち返ってリズムを強調した、本能に基づいた剥き出しの野生が云々-。
 まぁそんな小難しいとこは抜きにして、この時代にこんなサウンドを創り出していたことを素直に受け止めよう。



3. 原宿エブリデイ~ブルーライトヨコハマ~
 再びスカ・テイストの入ったファンク。この辺はリズム・セクションの力が絶大。こういった曲を聴いてると、ローザというのはほんと、バンドとしてのポテンシャルが高かった、というのが露わになる。当時のアングラ・シーンで「ブルーライト・ヨコハマ」のような40年代歌謡曲を題材に曲を作ろうとしたバンドはいなかった。しかも懐メロとしてではなく、素材をきちんと活かし、それでいてオリジナリティでねじ伏せてしまうこの力技といったら。
 
4. イヨマンテ
 アナログ時代は未収録、シングル・カットされた2.のB面としてリリースされたのが初出。初リリース時はまだアナログとCDの出荷量がほぼ同等程度だったため、知ってる人知らない人半々だった。
 三味線風のギター、SEを交えた間奏の寸劇。語源であるアイヌの儀式とどこに関連があるのかはあまり考えないとして、ストレートなロックをここまでシアトリカルな構成に仕立ててしまう、玉城宏志の才覚があふれまくった快作。

5. 北京犬
 リズムだけはレゲエだけど、全然快楽的に聴こえず、かといって陰鬱でもない。まさしくどんと、ローザ・ワールド。最後にただ「ペキン・ドッグ」って言いたかっただけじゃねぇか、とまで思ってしまう。

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6. 大きなたまご
 アナログA面最後はベース永井利充による、UKニューウェーヴの香りを漂わせるアンビエントなスロー・ナンバー。玉城主導による重厚感あふれるロックと、無国籍かつ抒情的などんとのメランコリックな感性がローザの柱とされているけど、多彩な音楽性を持つメンバーそれぞれの個性が有機的に絡み合って成立していたのがローザ・ルクセンブルグというバンドだったわけで、ここではそのパーソナルな部分がクローズアップされて、独特の世界観を築いている。ていうか、こんな浮遊感あふれるサウンドもできますよ的なロック・バンドが、当時、日本にいたか?
 どんとのハーモニカと玉城のギターも、ツボを心得たように引きの美学を見せている。

7. アイスクリン
 ZEPをこよなく愛する玉城のテイストがかなり濃い、これまでよりBPMも早めの疾走感あふれるロック・チューン。でも歌ってるのはどんと、相変わらず意味解釈を否定するような歌詞で突っ走ってるので、いつものローザ。ライブ映えしたんだろうな、やっぱり。
 間奏はもろZEPへのリスペクト。凝りに凝りまくったエフェクトが次作『Ⅱ』への布石とも読める。

8. バカボンの国のポンパラスの種
 これもバカボンってただ言いたかったんだろうな、と読めてしまう、同じくライブ映えするハイパー・ロック・チューン。7.と同じく間奏はZEP的。
 Jimmy Pageはこれを聴いてどう思うだろうか。当時は確かPaul Rodgersと組んでFirmを結成、いま聴けば微妙な産業ブルース・ロックでお茶を濁していた。誰かこれを聴かせてケツを叩いてやればよかったのに。

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9. だけどジュリー
 沢田研二のことではなく、京都時代のホームレスのおっさんを題材とした、これまでよりお遊び心満載のロック・チューン。ギターがいきなり「Get it on」だし、間奏のホーンはまんまJB。ギター・ソロもメロディアスで歌謡曲チックだし、肩の力は抜けまくり。ほぼトラックはいじられてないため、セッションのゆる~い熱気がそのまんま収録されており、当時のバンドの雰囲気が感じられる。

10. ぶらぶら
 4.同様、こちらも当時はCDのみ収録、最初に入手したのがレンタル・レコードだった俺がこの曲に出会ったのは10数年後の再発CDだった。ちょっとロックっぽくしてみた感じのサウンドは、一般的に思われてる破天荒なイメージとはちょっと外れている。まぁこんなのもできるんだよ的な受け止め方かな、俺は。

11. ニカラグアの星
 正統ファンク・ロック。普通なら派手にホーンを入れたりエレピを絡ませたりするところを、あくまで3ピースの音で表現しようとしたところがローザの潔さであり、そしてまた限界でもあったんじゃないかと思う。まぁ玉城の目指すところは70年代ハード・ロックだったわけだから、その辺は仕方ないとして。実際、これも後半はスペーシーなギター・ソロとカッティングのコントラストで埋め尽くされてるし。
 ニカラグア?意味を求めちゃいけない。単に言ってみたかっただけだよ。

12. 毬絵
 6.同様、80年代中~後半、ロキノンやフールズ・メイト界隈でのみで人気を博した4ADレーベルのサウンドが憑依したアンビエント風バラード。リズム・セクションという地味なポジションゆえ、こういった永井の感性は目立ちづらいけど、濃すぎる2人のフロントマンのアクセントとして、または緩衝材としての役割は十分果たしている。

13. 少女の夢
 最後はこちらも代表曲、ストレートなロック・サウンド、メンバー全員でシャウト。ライブでも定番のアッパー・チューン。歌詞は…、まぁ聴いてもらえればいいかな?書き出すのはちょっと憚れる。でも、ロック・チューンとしてはローザの中でも1、2を争うクオリティ。





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もう何をやってもYMO。 - YMO 『増殖』

folder YMOというユニットは約5年、実質的な活動期間は3年程度という短いものだったのだけど、その間にオリジナル・アルバムを6枚、ライブ1枚に『増殖』1枚と、思っていた以上に多作である。そんなタイトなスケジュールの中、2度のワールド・ツアーやTVへの露出、当時のマルチメディアを駆使した活動を展開している。それに加えて各自のソロ活動、アルバム・リリースや楽曲提供、他アーティストとのコラボも積極的に行なっているのだから、そのバイタリティーは尋常なものではない。
 近年のバンドやユニットも、かつてのような運命共同体的に常に行動を共にしてるわけではなく、民主的なバンド運営からこぼれ落ちたマテリアルをソロ活動にフィードバックしているけど、ソロ活動へ向かう芸術的衝動がちょっと弱い。全部が全部じゃないけれど、民主主義では括れない、独善的なオリジナリティが弱いのだ。
 どうせ独りでやるんだから、もっとはっちゃけてもいいんじゃね?と余計な心配をしてしまうくらい、どうにもお行儀が良いものが多い。Jポップのフォーマットにのっかったロックなんて、本人たちもやってたって面白くないだろうに。
 とは言っても、そのソロ活動の余技的な心持ちで歌謡界に進出したことによって、今も連綿と生き残り続けているJポップのフォーマットが80年代に形作られ、彼らYMOもその辺で一枚噛んでいるのは皮肉。

 フュージョン・テイストの特性が強い最初の2枚の印象が強いため、いまだYMOといえば、「テクノポップのハシリ」といったイメージを持っている人も多い。70年代末~80年代初頭の社会風俗が紹介される際、彼らがフィーチャーされるのは大抵、「ライディーン」や「テクノポリス」、今じゃCGと呼ぶにはあまりに原始的なファミコン・テイスト満載のPVと相場が決まっている。こうした見解は、たぶん今後も変わらないと思われる。当時のわかりやすい「ナウ」の象徴として、音楽に興味のない者にとっては、結局その程度の印象でしかない。
 いわゆる「シンセをメインとした音楽」といえば、冨田勲やELPなど、クラシックをベースとしたアンサンブルが主流だったのが、Kraftwerkがそこにミニマリズムを導入したことによってリズムの概念が生まれ、さらに加えて、当時隆盛のディスコ/ソウルのファンキー・テイストを持ち込んだのが、YMOの音楽的発明だとされている。DEVOもいたけど、日本じゃそこまで一般的じゃなかったし。

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 で、業界人的な盛り上がりのまま、大衆的な広がりを見せぬままくすぶってしまったDEVOに対し、YMOが独自のキャラクター・デザインとして押し出していったのが、東洋的なオリエンタリズム。英米中心だった当時のポピュラー音楽情勢において、極東の島国とは未知の部分が多く、そんな日本から発信された彼らの音楽は、一部で熱狂的なファンを得た。今にして思えば奇抜な戦略ではあるけれど、そのおかげで今も続くYMOチルドレンの萌芽は定着化したので、それはそれで結果オーライだったわけで。

 大まかに分けると、デビュー作と『Solid State Survivor』までが「前期」。パブリック・イメージとしてのYMO像がストレートに反映されたのが、この時期である。
 普通なら、ここからさらに突っ込んだ世界戦略を想定して、同コンセプトのアルバムをもう1~2枚くらい制作するもの。実際、アルファ側もA&M側もそういった心づもりでいたはずなのだけど、メンバーの疲労は解消される暇もなく、日に日に蓄積するばかりだった。思いのほか大衆レベルにまで浸透してしまったYMOシンドロームによって、当時の下世話な芸能マスコミに揶揄されることも多かった。「テクノポリス」や「東風」の二番煎じ三番煎じばかりを求めてくるレーベル側との折衝もまた、彼らのストレスを増大させていった要因のひとつである。
 もし彼らが鉄のメンタルを持って、ヒット曲量産マシンとしてビジネスライクに割り切った活動を続けていたとしたら…。まぁ続かなかったよな、きっと。エレクトロ・ディスコの泡沫バンドとして、歴史の一ページには刻まれていただろうけど、後年まで語り継がれるようなモノにはなってなかったと思われる。

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 なので、『Solid State Survivor』の続編的なアルバムではなく、俗に「中期」と称される2枚のアルバム、『BGM』と『テクノデリック』を生み出したことによって、時代風俗的側面だけでなく、きちんとした音楽的実績の爪痕を深く残すに至った。
 特にUK、ポスト・パンク~ニュー・ロマンティックスに連なる一連のニューウェイヴ現象に大きな影響を与えたその実験は、「自らが生み出したテクノ的メソッドのさらなる純化」である。耳触りの良いメロディも流麗なシンセの調べもダンサブルなビートも一旦チャラにして、YMO個々の実験性や芸術性、単なる好奇心を無邪気かつシビアに突き詰めていったのが、この味も素っ気もない2作である。
 ある意味「何でもアリ」だった80年代初頭においても、その先鋭性は突出し過ぎていたこと、また「従来」のYMOを期待していたライト・ユーザーの理解をあまりに超えていたため、セールスは思いっきり激減する。過剰に売れてしまったことで逆に危機感を持つようになった彼らにとって、ユーザーを選別するという作業は必然だったのだ。

 で、初期と中期との狭間、ある意味中途半端な位置づけとなるのが、この『増殖』。長い長い世界ツアーを終えてひと段落ついた頃、次のアルバムについてのミーティングが行なわれたのだけど、正直3人ともYMOに飽きちゃっていたので、具体策がなかなか固まらなかった。ずっと顔を突き合わせていたおかげもあって不仲が強まっていたし、そもそも3人ともソロ・アーティストとして十分やっていけるスキルがあったので、各自好きなことを行なうため一旦ブランクを置きたい、との考えもあった。
 ユーミンが抜けた後のアルファ邦楽部門は、主にカシオペア & YMOの双頭体制となっていた。当初から欧米でも通用する音楽、海外進出を前提とした独自の活動プランでレーベル運営を行なっていた。そういった事情もあって、英語発音での苦労の少ないインストゥルメンタル部門には特に力を入れており、YMO同様、カシオペアもアルファ時代は頻繁に世界を回っていた。それが本人たちの意に沿うものだったかどうかは別として、新興レーベルが放つ強力な熱意、それに感化されたアーティストの使命感によって、どうにかこうにか自転車操業はうまく続いていた。

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 せっかく盛り上がりの機運を見せたブームの熱気を冷やしたくないため、レーベルとしては何がしかのニュー・アイテムを制作して欲しかったのだけど、基本、アーティストの自主性を重んじる方針のアルファとしては無理強いもできずにいた。せめてもの代案として、前回リリースしたライブ盤『公的抑圧』の続編的なモノを制作するようオファーしたのだけど、メンバー側はかたくなに拒否を貫いた。レーベル側の都合でギター・パートをオミットされてのリリース形態は、彼らに不審を抱かせてもおかしくはなかった。
 まぁそんなこんなや大人的な政治の駆け引きもあったりなかったりして、微妙な折衷案としてまとまったのが、この『増殖』である。幸宏提案によるスネークマン・ショーとのコラボ、コントと曲とを交互に挟んだミニアルバム。曲数も少なく、いわゆる企画盤なのでさほどプレッシャーもないし、言ってしまえば片手間でチャチャッと作ってしまった感が強い。
 いわゆるやっつけ仕事でリリースされたアルバムのため、通常のリリース・パターンとは形態を変え、当初は初回10万枚の限定盤の予定だった。だったのだけど、その予約オーダーが予定を大きく上回ってしまったため、結局通常リリースとなってしまう。それだけすごかったんだよな、当時の勢いが。

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 で、ここからが本題。
 あくまで仮説としてだけど、今で言うサブカル系とのコネクションがうまいこと時代風俗とリンクしたため、初期を上回る社会現象を巻き起こしたこの『増殖』がなかったら、YMOのスタンスはどうなっていたのか-。
 純粋に音楽的な変遷から見ると、プレ=テクノ期とされる初期から中期へのニューウェーヴ的作風への移行は、『増殖』がなくても行われたはず。OMDやUltravox、Gary NumanらUKテクノ/エレクトロ・ポップの台頭は時代的に避けられなかったし、互いに刺激し合うことによる相乗効果は、彼らをより実験的な方向性へと導くことになる。
 ただ、それらの変遷も音楽的な側面だけで見れば華やかなものではあるけれど、ただそれだけでは「ライディーン」「テクノポリス」だけの泡沫インスト・バンド、言ってしまえば二流のフュージョン・グループ程度で終わっていた可能性もある。
 音楽的に新しいものは何もないけど、確実に時代のニーズにマッチしたという点において、『増殖』の存在意義は想像以上にデカい。得体の知れない無国籍フュージョン・バンドから、ハードなインダストリアル・テクノから、お手軽なお茶の間コントまで、あらゆるファクターを包括するユニット「YMO」誕生の瞬間を切り取った作品である。

 YMOというワードさえ知らなかった北海道の片田舎の小学生と彼らとのファースト・コンタクトは、音楽ではなく幕間のコントだった。いま聴けば放送コードに抵触しまくりの下世話なコントは、そろそろドリフを卒業しかかっていた小学校高学年の少年にとっては強く惹きつけられるものだった。意味不明な面も多々ありながら、怪しげで淫靡なムードは背伸びしたがりの小学生のイカ臭い欲望を掻き立てた。
 正直、彼らの音楽は二の次だった。俺がYMOをきちんと聴くようになったのはもう少し後の話である。だけど、そこに無造作に詰め込まれた音楽は数年後、時限爆弾のタイマーの如く炸裂する。それが「君に、胸キュン。」

 当時は関東限定でニッチな人気を擁していたスネークマンだったのだけど、このアルバムに参加してからは爆発的な人気を集めることになる。コントやお笑いの人間が余技的に歌のレコードを出すことはこの時代でもあったけれど、純粋なコントのアルバムを、しかも複数枚出してどれもそこそこのヒットを記録した、というのは、その後もほとんど例がない。いま思えばパワープレイ的にラジオで流すこともできなかったはずだし、ヒットしたことがほんと不思議でならない。
 なぜか俺も『海賊版』のカセット持ってたし。


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1. JINGLE "YMO"
 ラジオDJ風に畳みかける小林克也のナレーションからスタート。これまでと同じインストで、これまでと同じシンセ・サウンドでも、明らかにこれまでと違う。これまでよりフェイクな香り、これまでより3割増しなファンキー・テイスト。たった20秒の中に詰め込まれた近未来感。

2. NICE AGE
 シームレスで続くのは、インチキ臭さ満載のファンキー・ポップ・チューン。何げにバック・ヴォーカルで参加しているサンディーのエキゾチカ、中盤でいろんな隠喩を含んだナレーションを無機的に読み上げるのは、ミカバンド解散後、久しぶりに存在が確認された福井ミカ。大村憲司のギター・リフもニューウェイヴ臭漂ういびつなエフェクトがかけられて、作り物っぽさが漂っている。
 でも、歌詞はやたら前向きでポジティヴ。病んだ80年代初頭を象徴する、自虐的な偏愛に満ちた楽曲。狭義のテクノとはすでに見切りをつけている。



3. SNAKEMAN SHOW
 「KDD」と称される、スノッブで流暢な英語での会話が延々と続く。当時の社会風俗を知らないと完全には理解できないし、正直今でも全部わかってるわけではないけど、いわゆる「外人」が身近な存在ではなかった田舎の小学生にとって、なんとなくこれが「アメリカン・ジョーク」というものなのだな、と独り勝手に理解していた。

4. TIGHTEN UP (JAPANESE GENTLEMEN STAND UP PLEASE)
 そんなインチキなアメリカ人もどきと東洋の演奏家とが集まって、妙なテンションのままレコーディングに突入、何となくできあがっちゃったのが、YMO楽曲の中でも人気の高いコレ。最近もCMで使われていたし、多分カバー曲であることを知らない人の方が大部分なんじゃないかと思われる。
 これもよく知られているけれど、ここでの細野さんのベースは長いキャリアの中でも3本の指に入るほどの名プレイ。通常なら決してメインとはなり得ないベースという楽器が、ここでは完全に主役となっている。



5. SNAKEMAN SHOW
 3.のコントの続き。基本、中学生でもわかる単語とヒアリングしやすい発音で構成されているため、後半になればなるほどブラック臭が強くなっていくのがわかる。

6. HERE WE GO AGAIN ‾TIGHTEN UP
 日本で初めてラップを導入したのが誰なのかは不明だけど、DJとしてのマシンガン・トークをリズムに乗せ、まがい物テイストながらそれをきちんと商品化してしまったのが、YMOとスネークマン・ショーとの奇跡的な融合による成果だったんじゃないか、と今にして思う。
 ただ使用言語が英語だったため、全世代に浸透することはなく、日本語ラップは一時雌伏の時を長く過ごすことになる。大衆化するまでにはあと数年後、吉幾三の登場を待たねばならなかった。

7. SNAKEMAN SHOW
 彼らの中では最も有名な警察コント「ここは警察じゃないよ」。俺世代にとって最もインパクトが強かったのがコレだった。友達の兄経由でこれが友達の間で知れ渡り、一時は誰もがあいさつ代わりに「警察だ、開けろ!」「だ~れ~?」、これの延々ループが止まらなかった。
コントというのは基本、時代と共に風化しやすいものだけれど、俺的には今でもそれなりに面白く聴けてしまう。時事的ではない彼らのコントは普遍性が高いと思うのだけど、若い世代はどうなんだろうか?まぁ伝わりづらいか。

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8. CITIZENS OF SCIENCE
 比較的、初期のシンセの使い方に則った、それでいてファンク・テイストを増量したナンバー。でも出来上がったサウンドは完全にバタ臭い。とても日本のミュージシャンの香りはない。もうこの頃から、彼らの興味はUKニューウェイヴやインダストリアル/後のハードコア・テクノへと向いていたのだ。

9. SNAKEMAN SHOW
 コント「林家万平」。当然、林家三平のパロディなのだけど、もしも彼が同時通訳を介しての中国公演を行なったら…、といった体のシチュエーション。これもよくマネしたな。

10. MULTIPLIES
 YMOがYMOとしてのアイデンティティを一旦封印し、敢えてシンセを捨てて生演奏を主体としたスカ・インスト。ギターの音色やフレーズなどに、Ventures系のサーフィン/ホットロッドのパロディ要素も認められる。
 このアルバムに挿入したコントもそうだけど、とにかく何でもアリ、シンセじゃなくてもYMOであり、コントをやってもYMOである。ましてやコント・パートのほとんどに彼らは参加していないのだから。
 『増殖』というのが徹底的なYMOの解体作業である、というのが垣間見える秀作。

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11. SNAKEMAN SHOW
 コント名「若い山彦」。別名「いいものもある、悪いものもある」。スネークマンの2人の丁々発止振りに、どうにか割り込もうとスノッブなスタンスで挑むけれど勢いに負けてしまう、そんなYMOらが微笑ましい。

12. THE END OF ASIA
 元ネタは教授ソロ『千のナイフ』収録曲。オリジナルは初期YMO的なヒリヒリしたフュージョン風味が強いけど、ここでのヴァージョンはもっとのどか、教授言うところの浮世絵的、のどかな珍道中的なアレンジが施されている。
 最後の伊武雅刀のセリフは逆説的に日本の音楽市場を揶揄している。こういった楽曲ならいくらでも書けるはずなのに、どうにもインテリ的に見られたいがため、妙に難解な方へ傾倒してしまう教授の偏屈さ。企画盤だからこそ、遊び的なアレンジ、牧歌的なメロディで遊んでしまった、奇跡的な秀作。



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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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