好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Rock : Japan

ちゃんとお金と手間をかけて作った音楽 - 甲斐よしひろ 『ストレート・ライフ』

41JJVW1M8JL._QL70_ 1987年リリース、甲斐よしひろ初のオリジナル・ソロ・アルバム。甲斐バンド解散プロジェクト終了から5か月、その余韻が冷めぬタイミングでリリースされたこともあって、オリコン最高3位と、セールス的にも成功を収めた。
 当時の日本のバンドとしては珍しく、甲斐バンドはキャリアのピークを保ったまま、終焉を迎えることができた幸福なグループである。まだロック・ビジネスが未整備だった80年代、バンドの解散というのは静かに迎えるものだった。金か女でもめてのケンカ別れか、はたまた人気のピークを過ぎて、ひっそりフェードアウトしてゆくかのどちらかで、いずれにせよ大団円とは言えないものばかりだった。大抵の場合、ちゃんとしたラスト・アルバムやライブが行われることもなく、契約解消で「ハイそれまでよ」といった具合。解散をコンテンツとして捉える視点がまだなかった時代の話だ。
 そんな刹那的な流れに一石を投じたのが、YMOの解散だった。解散を前提としたアルバムとライブ、そのプロセスを記録したドキュメンタリー映像や写真集など、彼らが興したコンテンツは、その後の解散ビジネスのモデル・ケースとなった。

 NY3部作が進行している最中、甲斐は東芝とのソロ契約を結んでいる。当時の甲斐バンドは、新興レーベル「ファンハウス」の所属だった。バンドとソロで所属レーベルが違うという時点で、なんかキナ臭い交渉や取引があったんじゃないか、と邪推してしまう。
 ファンハウスでの甲斐バンドのオリジナル・アルバムは『Love Minus Zero』のみ、実質ワンショット契約で東芝に舞い戻っている。不可解なレーベル移籍劇の詳細は不明だけど、初代社長である新田和長の意向によるものだったことは間違いない。
 レーベル立ち上げにつき、知名度のある目玉アーティストをラインナップしたい。ただどのレーベルだって、そう易々とドル箱アーティストを手放したりはしない。なので、日本的な義理人情に訴えかけ、旧知の仲である甲斐に声をかけた、というのを以前のレビューで書いた。
 もちろん、甲斐の漢気一本で決められるものではなく、東芝とファンハウスとの生臭い交渉や駆け引きが繰り広げられたことは、想像に難くない。いくら真摯なアーティストとはいえ、浪花節的な義理人情に縛られることだってあるし、政治的なしがらみだってある。人はカスミばかりを喰っては生きていけないのだ。
 名義貸しのようなレンタル移籍というミッションを終え、甲斐はソロ・プロジェクトに本腰を入れることになる。

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 末期の甲斐バンドの収支面は、お世辞にも優良と言えるものではなかった。ネーム・バリューこそ磐石となってはいたけれど、かつてのようなヒット・シングルを生み出すことはなくなっていた。
 NY3部作によって、海外のロック・アルバムにも匹敵するクオリティのサウンドを生み出し、硬派なロック・バンドとしてのポジションを獲得した。ただ、冷静と情熱とを併せ持つ歌詞の世界観は、当時のライト志向のユーザーに訴求するには、ちょっとストイック過ぎた。
 最新鋭のレコーディング技術と精鋭スタッフによって、甲斐バンドは孤高のサウンドを獲得し、それは古参ファンやうるさ型の評論家も認めるところだった。ただそんな絶賛も、膨大な経費をリクープするに至らなかった。初動こそ、ベスト10圏内には確実に入ったけど、累計セールスは決して大きなものではなかった。
 ライブ活動を縮小してレコーディングされた『Love Minus Zero』には、3枚の既発シングルが収録されている。このシングル・カットはバンド側の意向ではなく、レコーディング予算計上のため、東芝の要請によるものだった、とされている。あまり語られていないけど、決して順風満帆ではなかった台所事情が窺える。

 いい意味で、素朴で馴れ親しみやすかった初期のフォーク風歌謡ロック路線は、メンバー内で充分賄えるサイズのサウンドでまとめられていた。ライブでの再現性を前提としたアンサンブルは、ギターとベース、ドラムによるシンプルなパーツの組み合わせによって構成されていた。甲斐の歌とメロディを際立たせるため、複雑なアレンジは必要ない。
 ほぼ毎日のようにステージに立ち、バンド演奏を前提とした楽曲制作を行なっていた甲斐よしひろだったけど、キャリアを重ねるにつれ、作風の変化が顕著になってゆく。単純な8ビートやロック・サウンドにはそぐわない、ストリングスやシンセを使う楽曲も多くなり、ベタな歌謡曲メロディは後退してゆく。
 ベース長岡和弘の脱退を機に、ユニット形式と移行した甲斐バンドは、徐々に外部ミュージシャンの起用が多くなってゆく。それが頂点に達したのが『Gold』で、ほぼメンバーが参加していないトラックも収録されている。
 メンバーの演奏スペックと甲斐の理想のビジョンとの開きは大きくなり、それは人間関係にも大きく影響してゆく。それが頂点に達したこの時期、バンドは解散の危機を迎えている。

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 とはいえ、メンバーはみな、熱い血潮のたぎる九州男児である。ミーティング時は怒号も飛び交い、時にはつかみ合いになったりもするけど、もともとは友人・知人関係から始まったバンドなので、単なる音楽性の相違だけで解散には至らない。袂を分かつに至った真相は、結局のところ、第三者がとやかく言ってもしょうがない。
 甲斐バンド・オリジナルのサウンドを追求するがゆえ、次第に独善的な言動が多くなってゆく甲斐。そして、理解はすれど、スタンド・プレイの多さゆえ辟易するメンバーたち。
 どちらが悪いわけではない。単に進むべきベクトルが違ってきただけなのだ。いや、そもそも最初っからスタート地点は違ってた、とでも言うべきか。
 デビューから苦楽を共にしてきたこともあって、一蓮托生、いわば運命共同体的なメンタリティもあった甲斐にとって、解散という選択肢はありなかった。ただ、メンバーの好意に甘えたがゆえのサウンド強化、演奏者のプライドを無視した外部ミュージシャンの積極的な導入は、ちょっと独善的すぎた。

 日増しにストイックなAOR化してゆく甲斐バンド・サウンドの頂点に達したのが、実質的な最終作『Love Minus Zero』である。ここでひとつの区切りがついたと言ってよい。バンド全員でスタジオに入ることは少なくなり、各パートの個別ベスト・テイクを集結する、スティーリー・ダン方式でレコーディングが進められた。
 もはやバンドとしての必然性を感じられないサウンドは、崩壊を予兆するものだった。クオリティは究極を示すものだったけど、バンド・マジックを感じられない『Love Minus Zero』は、評価こそ高かったけど、資本投下に見合うセールスを上げるには至らなかった。
 孤高のスタンスでサウンド・クオリティの向上に腐心している最中、時代は確実に動いていた。BOOWYやレベッカら、次世代・さらに次々世代のアーティストがチャートを席巻していた。それに気づいていたのかいなかったのか、ともかくすでに彼らの場所は失われていた。「甲斐バンド」というブランド・ネームが通用していた時代は、もう過ぎ去っていたのだ。
 真摯に愚直に、オリジナルを追求していた甲斐バンドは、「過去のビッグ・アーティスト」というポジションに収まっていた。
 ―もうこれ以上、どこへも動けない。
 そう悟った甲斐バンドは、解散を決断する。

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 『ストレート・ライフ』は、どれも甲斐バンドで演るにはそぐわない、ソロ傾向の強い楽曲中心に構成されている。バンド時代は、合同演奏から誘発されるグルーヴ感がひとつの柱となっていたけど、ここではそういった制約から解き放たれた自由なアプローチが、結果的にサウンドにバラエティ感を添えている。
 『Gold』制作時からプリプロ作業が行なわれていたため、当然だけどNY3部作との親和性は高い。実際、この時代はひとくくりにされており、数年前にボックス・セットにまとめられている。
 参加ミュージシャンやレコーディング・スタッフもかぶる部分が多いので、バンド時代と地続きと思われがちだけど、実際聴いてみると、バンドとは別の製作意図があちこちで窺える。まぁ当たり前のことだけど。
 ここでの甲斐よしひろは、ソングライター以上に、ヴォーカリストとしての側面を強く打ち出している。過剰に歌詞に感情移入せず、フラットな発声でありながら、単調に陥らないヴォーカライズは、もっと評価されてもいい。ロックっぽくしようと変に巻き舌になったり、カタカナ英語やカタカナ日本語でごまかすことなく、きちんと音節や文脈を意識した甲斐のヴォーカルは、実は稀有なものである。過剰な洋楽かぶれやはっぴいえんど史観とはまったく別の流れなので、なかなかフォロワーがあらわれないのも、再評価されずらい一因なのかね。
 そういえば、矢沢永吉も巻き舌って使わないよな。2人とも方向性は違うけど、老若男女問わず、誰にでもきちんと伝わる日本語で歌いながらロックを感じさせるのは、案外難しい。あとは民生くらいかな、俺が知る限り。
 初期の椎名林檎は思いっきり巻き舌だけど、あれはあれでいい。前にも書いたけど、カワイイは正義だ。


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1. イエロー・キャブ
 度肝を抜かれたサウンド・プロダクション。シンセとシーケンスてんこ盛りなのに、どの音もボトムが太いので、80年代サウンド特有の腰の軽さがまったくない。ちょっとバランスを崩せばとっ散らかった響きになるはずなのに、きちんとまとまっている。聴かせたい音は大きく、そして引っ込ませる音は小さく。それでいて音割れすることもなく、かき消されることもない。
 当時、ボブ・クリアマウンテンと双璧をなす一流エンジニアだったJason Corsaro最高のミックスがここにある。甲斐がミックスにこだわった結果が、この曲にぜんぶ込められている、と言っても過言ではない。
 なので、当時の最先端だよとこれ見よがしにインサートされたスクラッチ・ビートをとやかく言うのはやめよう。



2. ブルー・シティ
 たった今まで知らなかったのだけど、もともとは近藤真彦に提供した楽曲のセルフ・カバー。甲斐ヴァージョンはさんざん聴いてたけど、せっかくなのでマッチさんヴァージョンも聴いてみたのだけど、オケは『Love Minus Zero』テイストのソリッドなロックなのだけど、まぁヴォーカルがちょっと…。
 マジで調子悪くなってきたので、再度甲斐ヴァージョンへ。アイドル向けなので歌詞はちょっと甘めだけど、シンセの圧の強いロック・テイストは、マッチとはまた違ったアプローチでこっちの方が好き。

3. 電光石火BABY
 「破れたハートを売り物に」をもっとメロディアスにしたシンセ・ビートから始まる、このアルバムのリード・シングル。リリース当時からリック・オケイセックとの関連性が囁かれていたけど、まぁオマージュと受け取れば全然オッケー。ていうか当時はこの程度のリスペクトは当たり前だったし。
 ワールドワイド仕様のサウンドを追及していた当時の甲斐だっただけに、世界進出の可能性を模索していたことが窺えるサウンド・プロダクションになっている。質の追求だけでなく、アメリカ市場を視野に入れたコンテンポラリー・サウンドがこのアルバムのテーマであり、それを最も象徴しているのが、この曲。
 なので、ちょっとバタ臭い風のPVも日活アクション映画みたいな歌詞も、意気込みのあらわれだった、ということで温かく見守ろう。

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4. クール・イブニング
 リリース前からみんな知ってた、ご存じ「サウンドストリート」のオープニング・テーマ。ていうかリアルタイム世代しか知らねぇか、まぁいいや。
 このアルバムの中では最もシンプルなアンサンブルで、すごく密室的、それでいながら親密さが漂う不思議な曲。淡々と歌いながら、サビやラストでは声を張ってしまうパターンはよくあるけど、メロディの浮遊感もあってか、最後まで淡々としたテンションを保っている。バンド時代にはなかった一面である。
 
5. レイン
 そりゃGodley & Crèmeまんまのアレンジだけど、一歩間違えれば演歌スレスレのベタなメロディをボトムアップさせるには、このサウンドしかなかったわけで。歌謡ロック調のデモ・ヴァージョンは、まぁお蔵入りして納得だな。
 「夜ヒット」出演時にこの曲が披露されたのだけど、ギターにストリート・スライダーズの蘭丸が抜擢されて、ファンの間で一時騒然となったことを覚えている。どう辿っても接点のなかった2人がどうして出逢ったのか。ストイックなロッカバラードと蘭丸の小技たっぷりのブルース・フィーリングとの相性は良く、ちょっとした伝説になっている。
 当初、話題性を目的にメンバー入りさせたのかと思ってたけど、その後も断続的にこの2人はコラボしているので、相性は良かったのだろう。久しぶりにまたやらないかな。



6. 夜にもつれて
 歌詞もコード進行もブルース・タッチだけど、バック・トラックはほぼシンセで構成されている、ある意味チャレンジャーな楽曲。コンボ・スタイルで演ったらもっと泥臭くなっていただろうけど、敢えてモダン・スタイルでやってみたところに、今後の可能性を予見させる。

7. モダン・ラブ
 OMDあたりのUKシンセ・ポップに、ピーター・ガブリエルのエキセントリック性を付加したソフト・ファンク。こういうサウンドって流行ったよな。流行りのサウンドを貪欲に取り入れているのが当時の甲斐のコンセプトであり、その後の雰囲気AOR化につながってゆくのだけど、まぁあんまり面白くない。16ビートは合わんよな、甲斐のヴォーカルって。

8. 441 WEST 53rd ST. - エキセントリック・アベニュー
 ハードボイルドな世界観とサウンドのボトムアップをテーマとしたのがNY3部作とすれば、厳選されたアウトソーシングによるヴォーカル&インストゥルメントのコンテンポラリー化を目指したのが、『ストレート・ライフ』である。外部の血の積極的な導入は、バンド神話とは一線を画したサウンドの純化につながった。
 ドラム:青山純、ベース:伊藤広規、シンセ:難波弘之という参加ミュージシャンからわかるように、これって当時の山下達郎バンド。ドラムの音は思いっきりパワステ仕様でコンプがかけられており、シンセもちょっと時代に寄り添い過ぎてて、もうちょっと何とかならなかったの、と余計なツッコミを入れたくなってしまう。この頃はどんなベテラン・ミュージシャンも迷走していた時代なので、致し方ない部分も多々ある。


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「売れたら好きなことができる」はウソじゃない。 - レベッカ 『Time』

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 1986年リリース、オリジナルのフル・アルバムとしては2枚目。大ブレイクした前作『Maybe Tomorrow』のおかげでセールスも高め安定、オリコン最高1位、年間総合でも14位をマークしている。10月発売だったため、次の年にも年間30位にチャートインしているのだけど、考えてみれば、ほんの2ヶ月足らずの売り上げで上位に食い込んじゃうのだから、当時の彼らの勢いが窺い知れるデータである。

 当時のCBSソニー邦楽部門は、彼らと松田聖子とハウンド・ドッグが稼ぎ頭だった。すでに10代のカリスマだった尾崎豊のインパクトは鮮烈だったけど、セールス面では3者には及ばなかった。
 のちのクリエイターやミュージシャン志望者に大きな影響を与えた尾崎ゆえ、死後も論じられることが多いけど、広範な層に満遍なく売れていたのは、むしろレベッカの方だ。衝撃的だった幕引きによって過剰に伝説化されているけど、当時の尾崎の評価は、リアルタイム世代である俺の周りでも、結構好き嫌いが分かれていた。
 いい意味での選民思想があった尾崎のファン層に対し、当時のレベッカには、ファン層自体が存在しなかった。特定の層というより、みんな持ってるんだもの。
 以前のレビューでも書いたけど、当時、俺はレベッカのアルバムを買ったこともレンタルしたこともない。ないのだけれど、この時期のアルバムは、今でもほぼ全曲、鼻歌でそらんじることができる。
 レベッカのアルバムは、当時の音楽好きな少年少女のマスト・アイテムだった。なので、友達の家に行けば、高確率で彼らのレコードがあった。わざわざ自分で買わなくても、レベッカやTM、ハウンド・ドッグやBOOWYは、勝手に耳に入ってきた。俺の中で彼らのサウンドとは、麻雀のBGMとして刷り込まれている。

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 結成当初はラウドなギター・ロック主体だったレベッカは、デビュー直前でコンセプトの変更を余儀なくされる。ライトなシンセ・ポップ路線を提唱するソニーの提案を、リーダーのシャケが一蹴、デビュー直前に脱退してしまう。
 窮余の策として、キーボード土橋安騎夫がバンマスに就き、その後もバンド運営の要となる。ただ、突然の無茶ぶりだったせいもあって、急にリーダーシップを発揮できるはずもない。しかも当時のソニーだから、何かとバンドに干渉したがる。リーダー交代とデビュー間際のせわしなさで混乱中のバンドと、手っ取り早く売れ線サウンドを押し付けたがるソニー。対ソニーどころか、バンド内部でも思惑が噛み合っていなかったのが、初期のレベッカである。
 ソニーとしてはぶっちゃけると、キャラの強いNOKKOさえいれば、演奏陣はいくらでもすげ替えが効くと思ってた節がある。もし当時のNOKKOがソニーにうまく丸め込まれていたら、ZARDみたいになっていた可能性もある。
 彼らが所属していたソニー内レーベル「フィッツビート」は、創設者である後藤次利のポリシーが反映されて、アーティストの意向を尊重する方針が貫かれていた。いたのだけれど、その意向、バンド自体のポリシーがあやふやだったとしたら、事情はちょっと違ってくる。
 ヴォーカルがいてギターがいて、ベース、ドラム、キーボードがいる。一応、体裁は整っている。でも、彼らが何をしたいのか、何を表現したいのか、ある程度のビジョンがないと、サウンドはまとまらない。「せーの」で最初の音を出せたとしても、方向が定まっていなければ、次の音は出せないのだ。

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 バンドのベクトルが定まらないまま、ほぼ見切り発車のような状態で、レベッカはメジャー・デビューする。初期の3枚は、スタジオ作業に慣れていなかったせいもあって、ディレクターの意向に沿った形で制作が進められている。デビュー以前のギター・ロックと、ソニー推奨のシンセ・ポップとが混在した、よく言えば80年代UKニュー・ウェイブ的なサウンドが展開されている。言ってしまえば、「とっ散らかってまとまりがない」っていうか。
 セールス的な盛り上がりを見せず、手探り状態が続いた中、ちょっと手応えを感じたのが、3枚目のシングル「ラブ・イズ・キャッシュ」だった。あまりに露骨すぎるパクリゆえ、元ネタを書くのもめんどくさいのではしょるけど、初めてオリコンにチャート・イン、知名度爆上げのきっかけとなった。いま調べて知ったんだけど、最高30位だったんだな。イヤイヤ、もっと売れてるでしょ。
 「ラブ・イズ・キャッシュ」は、アンサンブルこそチープだったけど、NOKKOのアグレッシブなヴォーカルが全体を引っ張り、レベッカ・オリジナルの一体感を生み出していた。もちろんマドンナ様々(言っちゃった)ではあるけれど、マーケットの反応は正直だった。ニーズはやっぱり、NOKKOにあったのだ。
 ここで演奏陣がネガティブに受け取ってしまったら、そのままいじけたZARD状態になったのだろうけど、彼らはもっと前向きに捉えた。
 -じゃあ、NOKKOのヴォーカルがもっと映えるように、アンサンブルの中心をNOKKOに据えたとしたら?彼女の存在をもっとフィーチャーして、それをしっかり支えるサウンドを構築したら、もっと良くなるんじゃね?
 類型的な従来ロック・バンドのテイストを薄め、NOKKOが歌ってて気持ちよくなるよう、歌謡曲のメロディ構造を持ったロッカバラード。それが「フレンズ」だった。
 さらにさらに、その勢いで制作されたのが、大ヒット作『Maybe Tomorrow』である。

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 さらに畳みかけるように、突っ走る勢いのまま製作されたのが『Time』なのだけど、レベッカ・ディスコグラフィーの中では、過渡期的な作品として捉えられている。レベッカ・サウンドの頂点とされているのは、次作『Poison』という評価が一般的である。
 シックなパープルを基調とした、アーティスティックなジャケット・デザインの『Poison』と違って、『Time』は地味。地味やシンプルを通り越して、素っ気ないくらいである。段ボールみたいなクリーム地にシャレオツなロゴ、というデザインは、なんか100均グッズのよう。ダイソーに売ってたぞ、こんな表紙のノート。
 契約消化的な『Blond Saurus』の手抜き具合は仕方ないとして、ミリオン超えのアルバムのあとなんだから、もうちょっと気合い入れても良かったんじゃないの、と余計なお世話を焼きたくなってしまう。コンピレーションの『Olive』だって、もうちょっとやる気ありそうなデザインなのに。

 ただ逆に考えると、敢えて無記名性を感じさせるアートワークも、NOKKOのキャラやビジュアルのインパクトに頼らず、バンド・アイデンティティの確立があったからなのでは、と今にして思う。
 当時、ロック・バンドの要と言えば、断然ギターだった。シャケ主導だった初期レベッカも、ギター中心のアンサンブルが多かった。ただ肝心のシャケがいなくなり、シンセ主体のバンド・サウンドに方針転換するのだけれど、「フレンズ」までは消化不良気味だった。
 ディレクターの意向に沿ってシンセ・ポップをやってはみるものの、それまでのギター・バンドの地が出てしまって、うまく混ざり合わない状態が長く続いた。圧倒的なポテンシャルを有するNOKKO主体の体制になるまで、演奏陣の踏ん切りがつかなかったことも、一因ではある。この辺はミュージシャンのプライドに関わる問題なので、致し方ない部分でもある。
 バンドの商業的な成功が、メンバー個々の自信に繋がり、その後のレベッカの成長に繋がった。このままZARDスタイルに移行していたら、多分、後年までリスペクトされることはなかっただろう。
 リーダー土橋の自信は、バンド・サウンドの確信に繋がった。単純な8ビートには収まらない重厚なリズム・セクションを基盤に、多彩な音色のシンセをメロディ楽器のメインに据えた。それまでフロントだったギターは後退させ、ファンク要素のリズム・カッティングが主体となった。
 ユーリズミックスやマドンナによるダンス・ビート主体のエレ・ポップがチャートを賑わせていた欧米の音楽トレンドを鑑みると、それらも歴史的な必然だったと言える。


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1. WHEN A WOMAN LOVES A MAN
 大ヒット・アルバムの次作ということで、プレッシャーもそれなりにあったはずだけど、圧倒的な自信を身につけたレベッカは、挑戦的だった。
 60年代ソウルをMIDI機材でアップ・コンバートしたミドル・テンポ。ポップだけれど、キャッチ―ではない。疾走感あふれるシンセ・ベースと、歌うようにメロディックな小田原豊のドラミング。NOKKOだけがウリじゃないんだぞ、と自己主張の強い演奏陣。そのせめぎ合いとつばぜり合いが、余裕の表情の裏で行なわれている。

2. LONELY BUTTERFLY
 6枚目のシングルで、オリコン最高6位。当時はあまり気づいてなかったけど、実はこれが最高傑作だと知ったのは、ずっと後になってからだった。あくまで歌を引き立たせる役目に徹した、演奏陣の手堅いプレイもさることながら、NOKKOのヴォーカルの表現力、緩急のつけ方と言ったらもう。

 愛がすべてを変えてくれたら
 迷わずにいれたのに

 さしてひねりもないけど、いろいろ詰まっている。10代・20代の女の子の頭の中で思ってること・感じてること。この言葉を伝えたいがために、ここにたどり着くために、NOKKOは歌ってるような気がするのだ、男の俺から見れば。
 女の子の気持ちは結局のところ、こういった部分でしか垣間見ることができないのだな。そう気づかされるもうすぐ50歳。



3. TIME 
 アイドル・バンド的な側面も持ち合わせていたはずのレベッカだったけど、こんなアフロ・ビートのインストをぶち込む荒業をかましたりもする。いや10代だったら絶対ピンと来ないって。
 ヴォーカル録りが間に合わなかったからインストになった、という感じでもなく、明らかな確信犯。ある程度売れることが見込めるから、こういったマニアックなインストを入れても許されちゃったりする。

4. (it's just a) SMILE
 「Be My Baby」のリズム・パターンで始まる、オールディーズ風バラード。高めのキーに果敢に挑むNOKKO。ちょっと気の抜けたコーラスは、聴く方も肩の力が抜ける。でも間奏でソウルフルなハモンドぶっ込んだりするのが、土橋の技。

5. GIRL SCHOOL
 前作のアウトテイクっぽさも感じられる、気合の入ったファンク・チューン。スタジオ・セッションのようなグルーヴ感がビンビン伝わってくる。
 こうして聴いていると、ほんとNOKKOだけのバンドじゃなかったことを改めて感じさせるアンサンブル。逆に言えば、この演奏に対抗できるのがNOKKOしかいなかった、という事実。

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6. BOSS IS ALWAYS BOSSING
 Herbie HancockやBill Laswellの影響が、っていうより素直にインスパイアされたエレクトロ・ファンク。ほとんどインストみたいな楽曲で、NOKKOのヴォーカルもほぼエフェクト的な使い方。ほんとソニー系のバンドって、リズム隊はすごくいいんだよな。なので、この曲もギター・ソロの部分だけ途端に古臭く聴こえてしまう。どうせなら、ハモンド・ソロを延々入れてほしかった、とは贅沢な願い。

7. CHEAP HIPPIES
 低めのエレピ・リフがカッコいいロッカバラード。その後の「Olive」や「Moon」っとも地続きな、NOKKOのネガティブな内面がのぞく歌詞とのコントラストが絶品。多分、後にも先にも「失業保険」なんてフレーズを使うポップ・ロック・バンドなんて、彼ら以外にいない。

8. WHITE SUNDAY
 彼らの中では余り少ない正統バラード。「Maybe Tomorrow」ほどのスケール感はなく、歌詞もパーソナルな内容。なんとなく「フレンズ」のその後、といった感じがするのは、俺だけかな。

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9. NEVER TOLD YOU BUT I LOVE YOU
 ギターがUKニュー・ウェイブ風味なのと、ドラムのミックスがバカでかい印象が強い、ある意味実験的な楽曲がラスト。挑戦的というよりは、アンバランス感が強い。歌が聴こえないじゃないの、これじゃ。俺のCDだけ?



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俺が歌えば、何でもロック。 - 忌野清志郎 『Razor Sharp』

folder 1987年リリース、清志郎初のソロ・アルバム。チャート・アクションは不明だけど、当時のRCのアルバム・チャートが大体20位前後だったので、多分そのあたりだったんじゃないかと思われる。
 日本のロックの礎を築いたアーティストの1人として、後進に残した影響力は計り知れないけど、データ面だけで見ると、実はそれほど大きなセールスを上げていたわけではない。日本のロックの名盤として取り上げられることも多い、彼らの代表作『ラプソディー』や『カバーズ』も、バカ売れしていたかといえば、そうでもなかったりする。
 その後、完全版が発掘されたりして、累計枚数ではペイしている『ラプソディー』も、最初は宝島周辺の斜め上なサブカル村が騒ぎ立て、次にテレビ出演でのやりたい放題なパフォーマンスでお茶の間に浸透したけど、実際の売り上げには結びつかなかった。発売中止騒動が新聞の社会経済面で取り上げられた『カバーズ』も、話題先行型で瞬間最大風速的に売れたけど、純粋な音楽的評価での結果ではなかったし。

 テレビ出演を拒否することがロックバンドのアイデンティティだった80年代初期、RCはテレビ出演を厭わない、それでいて大衆に媚びたりもしない、独自のポジションをすでに築いていた。演奏する時こそ傍若無人な態度を貫きながら、翻ってトークの場面になると、居心地悪そうに言葉少なくなり、明らかな場違い感を醸し出していた。そんな異質な存在だったからこそ、過剰に芸能界寄りになることもなく、かといって斜に構えてマニアックに走ることもなかった。
 小学生からお年寄りまで、誰もがうっすらその存在を知っており、有名曲もしこたまある。素人に毛が生えた程度の新人から、超絶テクニックを誇る大御所まで、どんなバンドも歌うことができるのが「雨上がりの夜空に」、フェスのエンディングの定番だ。
 誰も知ってるはずなのに、みんなが買った気になっていたため、案外セールス的にはパッとしなかったバンド、それがRCサクセションである。

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 全キャリアを追っている古株のファンは別として、これだけ活動期間が長いと、時代によって嗜好もバラけてくる。単にRCファンといっても、ひと括りにはできない。
 多分、最も多いのは80年代以降、チャボ加入後のファン層だと思われる。いま現在も続く彼らのパブリック・イメージ、派手なステージ・アクションとストーンズ・タイプのロックンロールは、ここで確立された。いまも歌い継がれている名曲も多く、80年代初頭という時代の趨勢とシンクロしたバンドの勢いが詰め込まれている。
 次に多いのが、その前の『シングル・マン』時代前後。いわゆる暗黒期だけど、ここでも「スローバラード」という一世一代の名曲を残している。加えてこの時代、清志郎は井上陽水と「帰れない2人」を共作、『氷の世界』に収録されたおかげで、一瞬だけ印税成金の生活を享受したりしている。
 そこまでのインパクトはないけど、デビュー間もないフォーク時代が至高というマニアも、少なからず存在する。地味だけど味わい深いデビュー曲「僕の好きな先生」は、ちょっとだけヒットしたらしい。当時からフォークの常道を外したステージは、まだ素人だった泉谷しげるに大きな影響を与えている。
 さらにずっと時代は下って、過激さに拍車がかかった『カバーズ』時代が好きなファンも多い。笑ってしまうほどの怒りと焦燥が表面化した、一連の言動やパフォーマンスは、ロックな生き方が生活に根ざしたものであることを、多くの人たちに再認識させた。

 で、俺が好きなRCは、この中には当てはまらない。レーベルで言えば東芝EMI時代、『Feel so Bad』から『カバーズ』以前までという、自分で言うのも何だけど、ちょっと変わった嗜好である。あんまりいないんだよな、この辺を語る人って。
 個人事務所設立で心機一転、新レーベルに移籍したにもかかわらず、セールス的には頭打ち、バンド活動もマンネリ化してまとまりのなかった時代である。知名度の高まりと共に、メンバー以外のスタッフが関わることが多くなり、バンド内の意思疎通がままならなくなるのは、和洋問わず、どのバンドでも起こりうる事態である。
 当時、バンド内のムードは決して良いとは言えなかった。極度の人見知りで知られていたチャボが先行してソロ・アルバムをリリースするくらいだったから、よほどバンドの居心地が悪かったんじゃないかと察せられる。かく言う清志郎もまた、単発的なゲストや客演を積極的に行なっていた。これじゃ人のことを、とやかく言えない。

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 いまと違って80年代の音楽情報収集は、もっぱら雑誌メディア主体だった。たまに出る歌番組でのトークは適当すぎたため、深く掘り下げたい音楽ファンは、音楽雑誌の批評やインタビューを隅から隅まで熟読していた。そんなニーズに応えるように、雑誌編集の方も熱気を放ち、主観と客観おり混ぜた記事を発信していた。名物編集者やライターなんてのもいたし、いい時代だったよな。
 そんなメディアの活況を盛り立てていたのが、ロキノンの渋谷陽一、80〜90年代の洋楽バブルの立役者である。トップ40だけにとどまらない、ニッチなジャンルにもスポットライトを当て、洋楽マーケットの裾野を広げたのは、彼の功績である。
 「ジミー・ペイジこそ至高」といった自身の趣味嗜好とは別に、経営者判断として雑誌拡販のため、シーン全体の活性化を図った。80年代のニュー・ウェイブ、90年代のオルタナ・シーンが日本に根付いたのは、ロキノンを入り口とするユーザーが多かったから他ならない。なんかちょっと持ち上げすぎだな。
 80年代中盤の渋谷は、ロキノン・ジャパンの創刊によって、裾野を日本のロックにまで広げている。ロキノン時代から長きに渡って、渋谷がインタビューを行なっていた1人が清志郎だった。

 俺世代にとって、RCのインタビューといえば渋谷陽一、というのが決定的に刷り込まれている。他メディアのインタビューなら、ロックンロール的なアバウトさで挑んでいる清志郎も、ある意味、断定的かつ緩急使い分けた渋谷の話術に引き込まれ、ペースが乱れているのが紙面を通しても伝わってくる。
 掛け合い漫才のような導入部から、次第に渋谷の独断ありきのトーク運び、それをおちゃらけてはぐらかす清志郎。あらゆる角度から深堀りして本音を引き出そうとする渋谷に対し、ほんの少し言葉少なげに本音を口にしてしまう清志郎。
 他のインタビュアーとはひと味違う掛け合いは、ひとつの芸として昇華していた。なので、北海道の中途半端な田舎の高校生は、新譜がリリースされるたび、そのページを繰り返し読んだのだった。
 日本語のロックでは、主に歌詞の言及にこだわりを持っていた渋谷であったため、RCに対しては、特に言葉使いや世界観を深く突っ込んでいた。セックス&ドラッグ&ロックンロールのセオリーをなぞりながら、半歩はずれたセンテンスやストーリー性、そして垣間見えるロック少年の叙情性は、渋谷がクローズアップしたからこそ、広まったイメージだと思うのだけど、なんか渋谷ばっかり持ち上げすぎだな。

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 ロキノンだったかジャパンだったか、それともブリッジのインタビューだったか記憶に定かではないのだけど、歌詞に重きを置いて進行する渋谷の手法に、清志郎が不満を呈したことがあった。実際のインタビューでは、サウンドやアレンジのことだって喋ってるのに、誌面ではいつもカットされている。歌詞もそりゃ大事だけど、バンドマンなんだから、もっと音楽面のことも書いてほしい、と。
 それに対して渋谷、「だって、みんな関心があるのはそっちだから」と、流してしまう。で、またいつもの掛け合いが始まる。
 インタビュアーであると同時に、編集長であり経営者である渋谷からすれば、読者のニーズは歌詞の背景、そして作者のキャラクターにある、といった主張である。活字では、サウンドのニュアンスを伝えるにも限界があるので、編集者判断としては間違っていない。
 粗野でワイルドなビジュアルとは対照的に、少年の目線を通した心象風景を描く清志郎、といったアーティスト・イメージは、戦略的には間違っていなかったと思う。渋谷を含むメディア側もまた、彼の存在を広く知らしめるため、それが良策と判断したわけだし。

 初期のフォーク・トリオ・スタイルは、清志郎が能動的に選択したものではない。日本のフォークのセオリーである、叙情的でもなければ高らかなメッセージを唱えるわけでもない。フォーク村の中において、彼の書く曲は明らかに異質だった。
 長いことかけてどうにか口説き落としたチャボの加入によって、やっと理想のロックコンボ・スタイルが整うことになる。ギター一本の弾き語りでも、充分間を持たせることが可能な清志郎だけど、やっぱり彼は派手な演出が似合う。
 いくら理想形とはいえ、バンド運営も安定してくると、表現者としては何かと欲が出てくる。せっかくなら、もっといい音でレコーディングしたいし、バンド以外の音も入れてみたい。ストーンズ・ベースのバンド・サウンドも悪かないけど、たまには違うベクトル、アバンギャルド・ジャズや歌謡曲だってやってみたい。
 ソロでどくとる梅津バンドやピンククラウドに客演したり、RC本体でもハワイ・レコーディングを敢行したり、スタジオ・ライブ一発録りを行なったり、実は様々な試行錯誤を繰り返しているのが、80年代のRCである。ただ、セールスに結びついたのは話題先行型の坂本龍一とのコラボくらいで、そのほとんどはあまり話題にならなかった。
 バンドマンとしての成長を目指しながら、その姿勢が世間のニーズと重なることは少なかった。そんな世間とのギャップが、のちに解散を招く遠因となる。

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 で、『Razor Sharp』。やっとたどり着いた。
 ソロ・デビュー作となるこのアルバム、もともとソロ製作ありきで作られたものではなく、ある意味、成り行きでこうなっちゃった、という経緯がある。
 当初、ロンドンで行なったミニ・アルバムのミックス・ダウンの仕上がりが気に入った清志郎、次回はレコーディングもロンドンで行なうことをメンバーに打診する。ただチャボを含め、他のメンバーがそれを拒否、痺れを切らした清志郎が単身ロンドンへ向かうことになる。渡英ギリギリまで折衝が続いたので、バンドは現地調達、顔合わせしてすぐレコーディングという、何とも泥縄なスケジュール。
 なので、レコーディングにあたって召集されたブロックヘッズのメンバーは、清志郎の希望でも何でもなく、向こうで勝手にコーディネートされたものである。準備期間もほとんどなかったため、取り敢えず手の空いてるバンドに片っ端から声をかけ、どうにかスケジュールを抑えたスタッフの苦労と言ったらもう。
 ブロックヘッズからすれば、東洋の得体の知れぬバンドマンが、ジャパン・マネーを振りかざしてやって来るわけだから、なめてかかっていたことは明白である。どうせ暇を持て余していたし、適当に合わせておけば、いい小遣い稼ぎになるんじゃないか、と。
 当時、フロントマンのIan Dury は、俳優業ばかりで音楽活動に本腰を入れていなかった。要は開店休業状態が長く続いていたため、まとまった期間のまとまった収入は、彼らにとってもありがたいものだった。
 対して清志郎、RCを連れて来れなかったからオファーしたのであって、ブロックヘッズには何のリスペクトもない。バンドの存在はおろか、Ianのことさえ知ってたかどうか、それすら怪しい。事前に彼らのアルバムくらいは聴いてたと思うけど、実際にスタジオに入ってみないと、ほんとのところはわからない。
 言葉も通じなければ音楽性だって微妙に違う、ましてや手合わせしたことのないバンドマンらの思惑が同期するまでには、ある程度の時間が必要になる。もともと饒舌とは言えない清志郎、ただでさえ言葉の壁があるため、意思疎通もままならない。
 バンド側もまた、怪しげな扮装の寡黙な東洋人が何を考えているのか、何を求められているのかイメージがつかめず、演奏はどうしたって探り探りになる。微妙な忖度が交差するおかげで作業は綱渡り、残された時間はどんどん少なくなる。

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 もともと能動的に製作したソロ・アルバムではない。準備期間も少なかった。ホワイト・ファンク色の強いブロックヘッズの演奏と、80年代UK特有の硬質なサウンド・プロダクションは、スタックス・ソウルをバックボーンとした清志郎との相性は、決して良いわけではなかった。
 ただ、円熟という名の予定調和にまとまりつつあったRCのサウンドに最も危機感を抱いていたのが、清志郎である。できあがってしまったものを崩すためには、相応のエネルギーが必要となる。そのエネルギーが足りない場合は、別方向からの衝撃、外部からの刺激が効果的となる。
 いわばRCを仮想敵として、清志郎はこのアルバムを作った。疲弊した既存のロックを打ち壊すため、ミック・ジョーンズとジョー・ストラマーは、粗くラウドなパンク・ロックを世に問うた。歴史は何度も繰り返す。
 まとめることを目指していないため、ヴォーカルとバンドとのギャップは、違和感としてそのまま投げ出されている。でも、それこそが清志郎の求めたビジョンだったのかもしれない。


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1. WATTATA (河を渡った)
 基本は変則リズムを交えたベーシックなブルースだけど、異質なギターの音色がインダストリアル感を演出している。弾いているのはSteve Hillageというプログレ畑の人。フランスの大御所プログレ・バンドGongに参加していたり、カンタベリー畑のKevin Ayersとコラボしたりしている。俺もよく知らないけど、ひと言でまとめると、「レココレ読者が好きそうなアーティスト」。これで何となくわかってもらえるんじゃないかと思う。
 サウンドに100%満足してるわけではなさそな清志郎、ブロックヘッズのプレイ自体は至極オーソドックスなものだけど、スタジオ・ブースでの作業ウェイトが大きいので、ニューウェイブ感が強い。G2との共作なので、渡英前から準備していた曲なのだろうけど、RCでやってたらどうなっていたのか。多分、テンポの速い8ビートだろうな。



2. 90 DAYS - 免停90日
 アクの強いオープニングから一転して、RCタイプの王道ロックンロール。官憲批判と下ネタとの絶妙なブレンドは、清志郎のお手のものだけど、バンドにそれが通じていたのかどうか。多分、雰囲気でわかっちゃうんだろうな、こういうのって。
  このアルバム、ほとんどのドラムを叩いているのは、元クラッシュのトッパー・ヒードン。80年代を象徴する、極端に加工されたドラム・サウンドとは相性が悪いんじゃないかと思っていたけど、案外違和感ない。考えてみれば、パンクの源流のひとつがパブ・ロックであったため、ブロックヘッズとの相性が悪いはずがない。
 
3. AROUND THE CORNER / 曲がり角のところで
 シングルとしてもリリースされ、夜ヒットでも披露された軽快なポップ・チューン。当時、TV出演の際は英国からの来日アーティストといった設定で、清志郎のトークはすべて英語、通訳を介して行われていた。まぁいつも通り設定は甘いので、すぐボロが出ちゃうんだけど。
 話は飛ぶけど、サザンが「チャコの海岸物語」をリリースした際、大衆のニーズをつかむため、敢えてヘタウマにトシちゃん(田原俊彦)の歌い方を参考にした、と発言していた。ここでの清志郎もまた、敢えてポップ性を強調したかったのか、トシちゃんっぽいヴォーカルで通している。
 ブロックヘッズの面々による、拙い日本語コーラス「アイタイ」「アブナイ」が味わい深い。ちなみにドラムは、ブロックヘッズのチャーリー・チャールズにチェンジ。軽いグルーヴ感は、清志郎との相性も良い。ほんとなら、レコーディング・メンバーはほぼブロックヘッズなので、彼がメインで叩くのが当然なのだけど、チャーリーの体はガンに侵されており、無理の効く状態ではなかった。その後、一時快方に向かったけど、1990年9月、彼はこの世を去る。



4. ワザト FEEL SO SAD (CANADA SEVEN)
 穏やかな16ビートに導かれる、ファニーなポップ・バラード。柔らかなアコギを軸に、肩の力を抜いたヴォーカルの清志郎。でも、これってブロックヘッズじゃなくても良かったんじゃね?と、ふと冷静になって思う。RCとのレコーディングを前提としての曲作りだったため、新たに書き下ろすには時間が足りなかったのだろう。ブロックヘッズのキャラクターは生きていないけど、これは仕方がない。

5. MELODY MAKER / メロディーメーカー
 いくらRC向けだったとはいえ、このようにソウル・ベースの楽曲なら、むしろブロックヘッズの方に分がある。ここでの主役はギターのJohnny Turnbull。手クセっぽいオブリガードをたっぷり聴かせてくれる。この泥臭さはやはりパブ・ロックならでは。サウンドのエフェクトも控えめなので、バンドの素の姿が浮き上がっている。

6. RAZOR SHARP・キレル奴
 CureやJesus & Mary Chain辺りのUKゴシック的なテイストの響きでありながら、演奏自体は至極まっとうなパンク・ロック。ミックスやエフェクトが時代性を感じさせるのは、各楽器の分離が変に良すぎるから。これが支持された時代だったのだ。
 終盤のオーティス張りの清志郎のフェイクは、すでに唯一無二。演奏自体も熱がこもっている。良い音楽は万国共通という事実を象徴する楽曲。

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7. SEMETE (GOING ON THE ROAD)
 この曲だけ、RCのホーン・セクション、梅津和時と片山弘明が参加している。山下洋輔(P)も参加しているため、変拍子で乱れまくりのジャズ・セッションがベースとなっている。アクの強い3人が参加していることもあってか、全体的に演奏はまとまりがない。まとまることを求めていないのが、このセッションのテーマでもある。でも、こうして聴いてみると、ブロックヘッズの方がきちんとしてるよな。

8.  CHILDREN'S FACE
 コンソールでの調整は最低限に抑えられているため、このアルバムの中では比較的素のバンド・アンサンブルを聴くことができる。しかもブルース・タッチのファンク。清志郎・ブロックヘッズとも、最もオイシイ展開の楽曲でもある。俺的に一番好きなトラックは、実はこの曲でもある。

 子供の顔したアイツより 信頼できるぜ大人の方が
 子供はすぐに 気が変わる
 約束なんかは 破られた方だけが 覚えてるのさ

 少年の心や視点なんて評価を笑い飛ばすような、中身が子供な頭でっかちの連中への痛烈なメッセージ。いっぱしの大人を気取りながら、ガキみたいな所作の連中は、いつの時代も一定数存在する。そんな連中とも、折り合いをつけたりつけなかったり。あぁ世の中ってめんどくさい。

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9. あそび
 もともとは1971年頃に書かれており、そのまま忘れられていたけど、今回復活して収録された。多分、制作中に曲が足りなくなって、ストックから引っ張り出してきたんじゃないかと思われる。わざわざこの曲をやるために準備していたとは思えないし。
 かなり初期の曲なので、ボキャブラリーも少なく、コード進行も近年の作風とは違って浮遊感がある。いわゆるロック・バンドとしてのRCとはまったく違うテイスト。でもブロックヘッズに合う曲じゃないよな。

10. IDEA / アイディア
 この時期の清志郎の楽曲の中では、最も破綻なくまとまっており、構成もしっかりしたロック・バラード。俺的には「スローバラード」と双璧をなす傑作と思っているのだけど、RC名義じゃなかったため、埋もれてしまっている。G2が絡んでいるため、もともとRCでもある程度、デモテイクは作られていたんじゃないかと思われるけど、それを凌駕する演奏のブロックヘッズ、一世一代の演奏。言っちゃ悪いけど、彼らがこんなロック的な演奏ができるだなんて、思いもしなかった。

11. BOO-BOO-BOO
 ラストはシンプルなパーティ・ロックンロール。完全に清志郎のフィールドで演奏は進む。ファンクもロックも関係ない、単にノリの良いロックンロール。これがRCなら、もう少しザラッとした肌触りのソリッドな演奏でまとめたんだろうけど、ブロックヘッズの連中も、こういったプレイはお手の物。しかもここで大きくフィーチャーされているのが、Ian Dury。ダミ声で入る「アラヨ」とか「ホラネ」といった合いの手は、時に攻撃的になりがちな清志郎のヴォーカルをほどよく和らげている。



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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。ただでさえ時間ないのに、また新しい音楽ブログ『80年代の歌謡曲のアルバムをちゃんと聴いてみる』を始めてしまい、どうしようかと思案中。
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