好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Rock : Japan

俺が歌えば、何でもロック。 - 忌野清志郎 『Razor Sharp』

folder 1987年リリース、清志郎初のソロ・アルバム。チャート・アクションは不明だけど、当時のRCのアルバム・チャートが大体20位前後だったので、多分そのあたりだったんじゃないかと思われる。
 日本のロックの礎を築いたアーティストの1人として、後進に残した影響力は計り知れないけど、データ面だけで見ると、実はそれほど大きなセールスを上げていたわけではない。日本のロックの名盤として取り上げられることも多い、彼らの代表作『ラプソディー』や『カバーズ』も、バカ売れしていたかといえば、そうでもなかったりする。
 その後、完全版が発掘されたりして、累計枚数ではペイしている『ラプソディー』も、最初は宝島周辺の斜め上なサブカル村が騒ぎ立て、次にテレビ出演でのやりたい放題なパフォーマンスでお茶の間に浸透したけど、実際の売り上げには結びつかなかった。発売中止騒動が新聞の社会経済面で取り上げられた『カバーズ』も、話題先行型で瞬間最大風速的に売れたけど、純粋な音楽的評価での結果ではなかったし。

 テレビ出演を拒否することがロックバンドのアイデンティティだった80年代初期、RCはテレビ出演を厭わない、それでいて大衆に媚びたりもしない、独自のポジションをすでに築いていた。演奏する時こそ傍若無人な態度を貫きながら、翻ってトークの場面になると、居心地悪そうに言葉少なくなり、明らかな場違い感を醸し出していた。そんな異質な存在だったからこそ、過剰に芸能界寄りになることもなく、かといって斜に構えてマニアックに走ることもなかった。
 小学生からお年寄りまで、誰もがうっすらその存在を知っており、有名曲もしこたまある。素人に毛が生えた程度の新人から、超絶テクニックを誇る大御所まで、どんなバンドも歌うことができるのが「雨上がりの夜空に」、フェスのエンディングの定番だ。
 誰も知ってるはずなのに、みんなが買った気になっていたため、案外セールス的にはパッとしなかったバンド、それがRCサクセションである。

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 全キャリアを追っている古株のファンは別として、これだけ活動期間が長いと、時代によって嗜好もバラけてくる。単にRCファンといっても、ひと括りにはできない。
 多分、最も多いのは80年代以降、チャボ加入後のファン層だと思われる。いま現在も続く彼らのパブリック・イメージ、派手なステージ・アクションとストーンズ・タイプのロックンロールは、ここで確立された。いまも歌い継がれている名曲も多く、80年代初頭という時代の趨勢とシンクロしたバンドの勢いが詰め込まれている。
 次に多いのが、その前の『シングル・マン』時代前後。いわゆる暗黒期だけど、ここでも「スローバラード」という一世一代の名曲を残している。加えてこの時代、清志郎は井上陽水と「帰れない2人」を共作、『氷の世界』に収録されたおかげで、一瞬だけ印税成金の生活を享受したりしている。
 そこまでのインパクトはないけど、デビュー間もないフォーク時代が至高というマニアも、少なからず存在する。地味だけど味わい深いデビュー曲「僕の好きな先生」は、ちょっとだけヒットしたらしい。当時からフォークの常道を外したステージは、まだ素人だった泉谷しげるに大きな影響を与えている。
 さらにずっと時代は下って、過激さに拍車がかかった『カバーズ』時代が好きなファンも多い。笑ってしまうほどの怒りと焦燥が表面化した、一連の言動やパフォーマンスは、ロックな生き方が生活に根ざしたものであることを、多くの人たちに再認識させた。

 で、俺が好きなRCは、この中には当てはまらない。レーベルで言えば東芝EMI時代、『Feel so Bad』から『カバーズ』以前までという、自分で言うのも何だけど、ちょっと変わった嗜好である。あんまりいないんだよな、この辺を語る人って。
 個人事務所設立で心機一転、新レーベルに移籍したにもかかわらず、セールス的には頭打ち、バンド活動もマンネリ化してまとまりのなかった時代である。知名度の高まりと共に、メンバー以外のスタッフが関わることが多くなり、バンド内の意思疎通がままならなくなるのは、和洋問わず、どのバンドでも起こりうる事態である。
 当時、バンド内のムードは決して良いとは言えなかった。極度の人見知りで知られていたチャボが先行してソロ・アルバムをリリースするくらいだったから、よほどバンドの居心地が悪かったんじゃないかと察せられる。かく言う清志郎もまた、単発的なゲストや客演を積極的に行なっていた。これじゃ人のことを、とやかく言えない。

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 いまと違って80年代の音楽情報収集は、もっぱら雑誌メディア主体だった。たまに出る歌番組でのトークは適当すぎたため、深く掘り下げたい音楽ファンは、音楽雑誌の批評やインタビューを隅から隅まで熟読していた。そんなニーズに応えるように、雑誌編集の方も熱気を放ち、主観と客観おり混ぜた記事を発信していた。名物編集者やライターなんてのもいたし、いい時代だったよな。
 そんなメディアの活況を盛り立てていたのが、ロキノンの渋谷陽一、80〜90年代の洋楽バブルの立役者である。トップ40だけにとどまらない、ニッチなジャンルにもスポットライトを当て、洋楽マーケットの裾野を広げたのは、彼の功績である。
 「ジミー・ペイジこそ至高」といった自身の趣味嗜好とは別に、経営者判断として雑誌拡販のため、シーン全体の活性化を図った。80年代のニュー・ウェイブ、90年代のオルタナ・シーンが日本に根付いたのは、ロキノンを入り口とするユーザーが多かったから他ならない。なんかちょっと持ち上げすぎだな。
 80年代中盤の渋谷は、ロキノン・ジャパンの創刊によって、裾野を日本のロックにまで広げている。ロキノン時代から長きに渡って、渋谷がインタビューを行なっていた1人が清志郎だった。

 俺世代にとって、RCのインタビューといえば渋谷陽一、というのが決定的に刷り込まれている。他メディアのインタビューなら、ロックンロール的なアバウトさで挑んでいる清志郎も、ある意味、断定的かつ緩急使い分けた渋谷の話術に引き込まれ、ペースが乱れているのが紙面を通しても伝わってくる。
 掛け合い漫才のような導入部から、次第に渋谷の独断ありきのトーク運び、それをおちゃらけてはぐらかす清志郎。あらゆる角度から深堀りして本音を引き出そうとする渋谷に対し、ほんの少し言葉少なげに本音を口にしてしまう清志郎。
 他のインタビュアーとはひと味違う掛け合いは、ひとつの芸として昇華していた。なので、北海道の中途半端な田舎の高校生は、新譜がリリースされるたび、そのページを繰り返し読んだのだった。
 日本語のロックでは、主に歌詞の言及にこだわりを持っていた渋谷であったため、RCに対しては、特に言葉使いや世界観を深く突っ込んでいた。セックス&ドラッグ&ロックンロールのセオリーをなぞりながら、半歩はずれたセンテンスやストーリー性、そして垣間見えるロック少年の叙情性は、渋谷がクローズアップしたからこそ、広まったイメージだと思うのだけど、なんか渋谷ばっかり持ち上げすぎだな。

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 ロキノンだったかジャパンだったか、それともブリッジのインタビューだったか記憶に定かではないのだけど、歌詞に重きを置いて進行する渋谷の手法に、清志郎が不満を呈したことがあった。実際のインタビューでは、サウンドやアレンジのことだって喋ってるのに、誌面ではいつもカットされている。歌詞もそりゃ大事だけど、バンドマンなんだから、もっと音楽面のことも書いてほしい、と。
 それに対して渋谷、「だって、みんな関心があるのはそっちだから」と、流してしまう。で、またいつもの掛け合いが始まる。
 インタビュアーであると同時に、編集長であり経営者である渋谷からすれば、読者のニーズは歌詞の背景、そして作者のキャラクターにある、といった主張である。活字では、サウンドのニュアンスを伝えるにも限界があるので、編集者判断としては間違っていない。
 粗野でワイルドなビジュアルとは対照的に、少年の目線を通した心象風景を描く清志郎、といったアーティスト・イメージは、戦略的には間違っていなかったと思う。渋谷を含むメディア側もまた、彼の存在を広く知らしめるため、それが良策と判断したわけだし。

 初期のフォーク・トリオ・スタイルは、清志郎が能動的に選択したものではない。日本のフォークのセオリーである、叙情的でもなければ高らかなメッセージを唱えるわけでもない。フォーク村の中において、彼の書く曲は明らかに異質だった。
 長いことかけてどうにか口説き落としたチャボの加入によって、やっと理想のロックコンボ・スタイルが整うことになる。ギター一本の弾き語りでも、充分間を持たせることが可能な清志郎だけど、やっぱり彼は派手な演出が似合う。
 いくら理想形とはいえ、バンド運営も安定してくると、表現者としては何かと欲が出てくる。せっかくなら、もっといい音でレコーディングしたいし、バンド以外の音も入れてみたい。ストーンズ・ベースのバンド・サウンドも悪かないけど、たまには違うベクトル、アバンギャルド・ジャズや歌謡曲だってやってみたい。
 ソロでどくとる梅津バンドやピンククラウドに客演したり、RC本体でもハワイ・レコーディングを敢行したり、スタジオ・ライブ一発録りを行なったり、実は様々な試行錯誤を繰り返しているのが、80年代のRCである。ただ、セールスに結びついたのは話題先行型の坂本龍一とのコラボくらいで、そのほとんどはあまり話題にならなかった。
 バンドマンとしての成長を目指しながら、その姿勢が世間のニーズと重なることは少なかった。そんな世間とのギャップが、のちに解散を招く遠因となる。

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 で、『Razor Sharp』。やっとたどり着いた。
 ソロ・デビュー作となるこのアルバム、もともとソロ製作ありきで作られたものではなく、ある意味、成り行きでこうなっちゃった、という経緯がある。
 当初、ロンドンで行なったミニ・アルバムのミックス・ダウンの仕上がりが気に入った清志郎、次回はレコーディングもロンドンで行なうことをメンバーに打診する。ただチャボを含め、他のメンバーがそれを拒否、痺れを切らした清志郎が単身ロンドンへ向かうことになる。渡英ギリギリまで折衝が続いたので、バンドは現地調達、顔合わせしてすぐレコーディングという、何とも泥縄なスケジュール。
 なので、レコーディングにあたって召集されたブロックヘッズのメンバーは、清志郎の希望でも何でもなく、向こうで勝手にコーディネートされたものである。準備期間もほとんどなかったため、取り敢えず手の空いてるバンドに片っ端から声をかけ、どうにかスケジュールを抑えたスタッフの苦労と言ったらもう。
 ブロックヘッズからすれば、東洋の得体の知れぬバンドマンが、ジャパン・マネーを振りかざしてやって来るわけだから、なめてかかっていたことは明白である。どうせ暇を持て余していたし、適当に合わせておけば、いい小遣い稼ぎになるんじゃないか、と。
 当時、フロントマンのIan Dury は、俳優業ばかりで音楽活動に本腰を入れていなかった。要は開店休業状態が長く続いていたため、まとまった期間のまとまった収入は、彼らにとってもありがたいものだった。
 対して清志郎、RCを連れて来れなかったからオファーしたのであって、ブロックヘッズには何のリスペクトもない。バンドの存在はおろか、Ianのことさえ知ってたかどうか、それすら怪しい。事前に彼らのアルバムくらいは聴いてたと思うけど、実際にスタジオに入ってみないと、ほんとのところはわからない。
 言葉も通じなければ音楽性だって微妙に違う、ましてや手合わせしたことのないバンドマンらの思惑が同期するまでには、ある程度の時間が必要になる。もともと饒舌とは言えない清志郎、ただでさえ言葉の壁があるため、意思疎通もままならない。
 バンド側もまた、怪しげな扮装の寡黙な東洋人が何を考えているのか、何を求められているのかイメージがつかめず、演奏はどうしたって探り探りになる。微妙な忖度が交差するおかげで作業は綱渡り、残された時間はどんどん少なくなる。

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 もともと能動的に製作したソロ・アルバムではない。準備期間も少なかった。ホワイト・ファンク色の強いブロックヘッズの演奏と、80年代UK特有の硬質なサウンド・プロダクションは、スタックス・ソウルをバックボーンとした清志郎との相性は、決して良いわけではなかった。
 ただ、円熟という名の予定調和にまとまりつつあったRCのサウンドに最も危機感を抱いていたのが、清志郎である。できあがってしまったものを崩すためには、相応のエネルギーが必要となる。そのエネルギーが足りない場合は、別方向からの衝撃、外部からの刺激が効果的となる。
 いわばRCを仮想敵として、清志郎はこのアルバムを作った。疲弊した既存のロックを打ち壊すため、ミック・ジョーンズとジョー・ストラマーは、粗くラウドなパンク・ロックを世に問うた。歴史は何度も繰り返す。
 まとめることを目指していないため、ヴォーカルとバンドとのギャップは、違和感としてそのまま投げ出されている。でも、それこそが清志郎の求めたビジョンだったのかもしれない。


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1. WATTATA (河を渡った)
 基本は変則リズムを交えたベーシックなブルースだけど、異質なギターの音色がインダストリアル感を演出している。弾いているのはSteve Hillageというプログレ畑の人。フランスの大御所プログレ・バンドGongに参加していたり、カンタベリー畑のKevin Ayersとコラボしたりしている。俺もよく知らないけど、ひと言でまとめると、「レココレ読者が好きそうなアーティスト」。これで何となくわかってもらえるんじゃないかと思う。
 サウンドに100%満足してるわけではなさそな清志郎、ブロックヘッズのプレイ自体は至極オーソドックスなものだけど、スタジオ・ブースでの作業ウェイトが大きいので、ニューウェイブ感が強い。G2との共作なので、渡英前から準備していた曲なのだろうけど、RCでやってたらどうなっていたのか。多分、テンポの速い8ビートだろうな。



2. 90 DAYS - 免停90日
 アクの強いオープニングから一転して、RCタイプの王道ロックンロール。官憲批判と下ネタとの絶妙なブレンドは、清志郎のお手のものだけど、バンドにそれが通じていたのかどうか。多分、雰囲気でわかっちゃうんだろうな、こういうのって。
  このアルバム、ほとんどのドラムを叩いているのは、元クラッシュのトッパー・ヒードン。80年代を象徴する、極端に加工されたドラム・サウンドとは相性が悪いんじゃないかと思っていたけど、案外違和感ない。考えてみれば、パンクの源流のひとつがパブ・ロックであったため、ブロックヘッズとの相性が悪いはずがない。
 
3. AROUND THE CORNER / 曲がり角のところで
 シングルとしてもリリースされ、夜ヒットでも披露された軽快なポップ・チューン。当時、TV出演の際は英国からの来日アーティストといった設定で、清志郎のトークはすべて英語、通訳を介して行われていた。まぁいつも通り設定は甘いので、すぐボロが出ちゃうんだけど。
 話は飛ぶけど、サザンが「チャコの海岸物語」をリリースした際、大衆のニーズをつかむため、敢えてヘタウマにトシちゃん(田原俊彦)の歌い方を参考にした、と発言していた。ここでの清志郎もまた、敢えてポップ性を強調したかったのか、トシちゃんっぽいヴォーカルで通している。
 ブロックヘッズの面々による、拙い日本語コーラス「アイタイ」「アブナイ」が味わい深い。ちなみにドラムは、ブロックヘッズのチャーリー・チャールズにチェンジ。軽いグルーヴ感は、清志郎との相性も良い。ほんとなら、レコーディング・メンバーはほぼブロックヘッズなので、彼がメインで叩くのが当然なのだけど、チャーリーの体はガンに侵されており、無理の効く状態ではなかった。その後、一時快方に向かったけど、1990年9月、彼はこの世を去る。



4. ワザト FEEL SO SAD (CANADA SEVEN)
 穏やかな16ビートに導かれる、ファニーなポップ・バラード。柔らかなアコギを軸に、肩の力を抜いたヴォーカルの清志郎。でも、これってブロックヘッズじゃなくても良かったんじゃね?と、ふと冷静になって思う。RCとのレコーディングを前提としての曲作りだったため、新たに書き下ろすには時間が足りなかったのだろう。ブロックヘッズのキャラクターは生きていないけど、これは仕方がない。

5. MELODY MAKER / メロディーメーカー
 いくらRC向けだったとはいえ、このようにソウル・ベースの楽曲なら、むしろブロックヘッズの方に分がある。ここでの主役はギターのJohnny Turnbull。手クセっぽいオブリガードをたっぷり聴かせてくれる。この泥臭さはやはりパブ・ロックならでは。サウンドのエフェクトも控えめなので、バンドの素の姿が浮き上がっている。

6. RAZOR SHARP・キレル奴
 CureやJesus & Mary Chain辺りのUKゴシック的なテイストの響きでありながら、演奏自体は至極まっとうなパンク・ロック。ミックスやエフェクトが時代性を感じさせるのは、各楽器の分離が変に良すぎるから。これが支持された時代だったのだ。
 終盤のオーティス張りの清志郎のフェイクは、すでに唯一無二。演奏自体も熱がこもっている。良い音楽は万国共通という事実を象徴する楽曲。

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7. SEMETE (GOING ON THE ROAD)
 この曲だけ、RCのホーン・セクション、梅津和時と片山弘明が参加している。山下洋輔(P)も参加しているため、変拍子で乱れまくりのジャズ・セッションがベースとなっている。アクの強い3人が参加していることもあってか、全体的に演奏はまとまりがない。まとまることを求めていないのが、このセッションのテーマでもある。でも、こうして聴いてみると、ブロックヘッズの方がきちんとしてるよな。

8.  CHILDREN'S FACE
 コンソールでの調整は最低限に抑えられているため、このアルバムの中では比較的素のバンド・アンサンブルを聴くことができる。しかもブルース・タッチのファンク。清志郎・ブロックヘッズとも、最もオイシイ展開の楽曲でもある。俺的に一番好きなトラックは、実はこの曲でもある。

 子供の顔したアイツより 信頼できるぜ大人の方が
 子供はすぐに 気が変わる
 約束なんかは 破られた方だけが 覚えてるのさ

 少年の心や視点なんて評価を笑い飛ばすような、中身が子供な頭でっかちの連中への痛烈なメッセージ。いっぱしの大人を気取りながら、ガキみたいな所作の連中は、いつの時代も一定数存在する。そんな連中とも、折り合いをつけたりつけなかったり。あぁ世の中ってめんどくさい。

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9. あそび
 もともとは1971年頃に書かれており、そのまま忘れられていたけど、今回復活して収録された。多分、制作中に曲が足りなくなって、ストックから引っ張り出してきたんじゃないかと思われる。わざわざこの曲をやるために準備していたとは思えないし。
 かなり初期の曲なので、ボキャブラリーも少なく、コード進行も近年の作風とは違って浮遊感がある。いわゆるロック・バンドとしてのRCとはまったく違うテイスト。でもブロックヘッズに合う曲じゃないよな。

10. IDEA / アイディア
 この時期の清志郎の楽曲の中では、最も破綻なくまとまっており、構成もしっかりしたロック・バラード。俺的には「スローバラード」と双璧をなす傑作と思っているのだけど、RC名義じゃなかったため、埋もれてしまっている。G2が絡んでいるため、もともとRCでもある程度、デモテイクは作られていたんじゃないかと思われるけど、それを凌駕する演奏のブロックヘッズ、一世一代の演奏。言っちゃ悪いけど、彼らがこんなロック的な演奏ができるだなんて、思いもしなかった。

11. BOO-BOO-BOO
 ラストはシンプルなパーティ・ロックンロール。完全に清志郎のフィールドで演奏は進む。ファンクもロックも関係ない、単にノリの良いロックンロール。これがRCなら、もう少しザラッとした肌触りのソリッドな演奏でまとめたんだろうけど、ブロックヘッズの連中も、こういったプレイはお手の物。しかもここで大きくフィーチャーされているのが、Ian Dury。ダミ声で入る「アラヨ」とか「ホラネ」といった合いの手は、時に攻撃的になりがちな清志郎のヴォーカルをほどよく和らげている。



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物議をかもした最終作(最後とは言ってない) - 甲斐バンド 『Repeat & Fade』

100_UPC00600406772572 1986年にリリースされた、甲斐バンドとしては最後のオリジナル・アルバム。オリジナルと名うってはいるけど、実際のところはメンバー全員がそろってレコーディングしたものはなく、4人それぞれ個別のプロジェクトで制作した、4枚の12インチ・シングルを集めたものなので、一般的なオリジナルとはカウントしづらい。シブがき隊やELPでもあったよな、このスタイルって。
 全編オーソドックスなバンド・スタイルで製作されたのは、前作『Love Minus Zero』が最後である。Beatles で例えれば、『Abbey Road』的な完成度を極めた後、残務処理的な『Let It Be』を出した、と考えれば、ちょっとはわかりやすくなる。厳密な順番はちょっと違ってるけど、ざっくり言えばそんな感じ。
 まぁ、『Let It Be』ほどやっつけ仕事じゃないけど。

 メンバー全員の英知を結集して、ひとつのベクトルに沿って作られたアルバムではないので、いまだに位置づけがはっきりしない。正直、企画盤的な扱いとなっている、微妙なスタンスのアルバムである。
 当時の甲斐バンドのサウンド・メイキング力は、国内でもトップ・クラスだったため、収録されている内容・サウンドのクオリティはかなり高レベルではある。それなのに鬼っ子扱いされているのは、パッケージングも含め、イレギュラーなスタイルによる部分が大きい。
 東芝サイドも、そして甲斐バンドとしても、世間のそんな微妙な反応を無視できなかったのか、リリースからから1年半ほど経ってから、全曲甲斐よしひろヴォーカルに差し替えたコンプリート盤をリリースし直している。なんだコンプリートって、じゃあ未完成品を見切り発車で出したのかよっ、と突っ込みたくなってしまう。
 時期的に、解散プロジェクト終了の余韻が残っていた頃だったため、営業サイドからの要請もあったのだろう、と思ったのは、もうずっと大人になってから。当時の俺はまだ若かったため、「こんなに早く出し直すんだったら、もっと練り直してから出せよ」と思うばかりだった。業界の内情なんて知らなかったものね、当時は。

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 膨大なレコーディング期間をかけて制作された『Love Minus Zero』のプロモーション・ツアーを終え、甲斐よしひろはソロ・アルバムの制作に入る。ニューヨーク3部作を経て、ソングライター甲斐の成長が著しかったこと、それと同時に、バンドという枠組みに窮屈さを感じ始めていたことも、ソロ活動へ向かった動機のひとつである。
 甲斐バンドとしては発表しづらい楽曲、もっと言ってしまえば、これまで暗黙の了解で合わせてきた、大森・松藤の演奏レベルを想定した楽曲やアレンジに、もどかしさを感じていたと思われる。それはアーティストの成長過程として、避けられない事態だった。
 すでに『Gold』制作時点で、バンド内の衝突は燻りの段階を超えており、一触即発の状態が続いていた。理想とするサウンド構築のため、演奏レベルの要求が高くなる甲斐と、高邁な理想論に辟易する他メンバーたち。
 そもそも、ソングライターとミュージシャンとでは立ち位置が違うのだから、そのギャップは広がる一方。甲斐と甲斐以外、1対2の対立構造になっちゃうのは避けられない。

 そんな緊張状態を長く放置しておくわけにもいかず、甲斐が打開策として行なったのが、新たなメンバーの補充だった。従来メンバー間の緩衝材として、旧知の仲である田中一郎がARBから移籍してきたのだけど、まぁ根本的な解決にはならない。
 甲斐としては、バンド内で孤立してしまった自分の理解者として、彼を招聘したはずだったのだけど、考えてみりゃ、そんな状況下に急に放り込まれたって、やれる事は限られるよな。あくまでミュージシャンとして加入したのであって、調整役はメインの仕事ではない。Ron Woodの役割は、誰にでもこなせるわけではないのだ。

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 甲斐とは幼なじみであり、松藤とはアマチュア時代にバンドを組んでいたこともあって、決して知らぬ仲ではなかった、甲斐バンドと田中一郎。ARBと並行して、断続的にサポート・ギタリストとしてバンド・アンサンブルにも深く介入していたため、彼の加入は比較的スムーズに行なわれた。
 ただ疑問としてひとつ。彼の加入について、異論はまったくなかったのかどうか。
 普通に考えて、甲斐バンドのリード・ギターの多くは大森さんが弾いていたため、この時点でツイン・リードにする必然性は感じられない。そこまでギター・オリエンテッドな音楽性ではなかったし、第一、バンド・アンサンブル的に補充すべきなのは、長らく不在だったベース、それかキーボード系でしょ普通。
 この時点での甲斐の音楽性は、初期にリスペクトしていたStonesタイプのロックンロールではなく、もっと円熟味を増したAORテイストのコンテンポラリー・サウンドに移行していた。その過程で、相対的に薄くなったロック的初期衝動・ダイナミズムの補填として、古き良きギター・キッズ的なキャラの田中一郎が抜擢された、と考えれば、丸く収まる。甲斐側から見て。
 俺的には、田中一郎に対してそんなに強い思い入れはないし、また彼の存在が甲斐バンドに不可欠だったとも思えない。悪く言うつもりはないけど、でもタイミングが悪かったよな。音楽的に大きな貢献があったとは言い難いし、また、そこまでエゴを出せるほどの時間は残されていなかったし。
 田中一郎にとっても大森さんにとっても、得策とは言えなかったのが、この不可解な経緯をたどったメンバー補充である。

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 そんな大森さんが耳の不調を訴えたことによって、甲斐バンドの解散が決定する。
 事実上、レコーディングにおいても外部ミュージシャンの起用が多くなっており、極端な話、甲斐独りで甲斐バンドを名乗って継続することも可能だったのだろうけど、そうはならなかった。甲斐自身、バンドが修復不可能であることは薄々感じていたはずだったし、無理やり延命させる気力も失っていた。
 バンドの終焉、寿命を迎えつつあったことは、誰もが周知の上だった。大森さんの訴えはきっかけに過ぎず、遅かれ早かれ何らかの理由で、甲斐バンドのリタイアは必然だった。
 当時は、バンド内の衝突や不仲は公表されていなかったため、解散プロジェクトはあくまで前向きな姿勢で行なわなければならなかった。
 -どうやれば、キレイに終わることができるか。風呂敷のたたみ具合で、印象はガラリと変わってしまう。
 最終アルバムをどんな方向性にするのか、バンド内でも論議が重ねられた。

 とはいえ、ニューヨーク3部作終了時点で、甲斐バンドのサウンドは完成の域に達しており、現状のバンドのポテンシャルでは、それ以上のキャリア・アップは望めなかった。だからこそ、甲斐もソロの方向性を模索していたわけで、クール・ダウンしないと先に進めなかったのだ。
 バンドの結束力がおぼつかない状態では、スタジオに入ったとしても、ロクな仕上がりにならないことは明白だった。特に後期に顕著だった、甲斐よしひろ+バック・バンドというスタイルは、もう使えない。そのスタイルで押し切っちゃうと、コンポーザー甲斐のジャッジによって、スタジオ・ミュージシャンの演奏と差し替え、メンバーの痕跡はほとんど残らない結果となる。
 それじゃ、今までと何も変わらない。フェアウェル・アルバムとしては、あまりにも遺恨が残るし、第一ショボい。

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 様々な角度からの折衷案としての結果が、日本のバンドとしては前代未聞、個別プロジェクトによる幕の内弁当方式のアルバムだった。
 無理やりスタジオに入って顔を合わせたって、どうせ最大公約数的な無難な仕上がりになっちゃうんだから、それなら各自が責任を持って、それぞれ「俺が思うところの甲斐バンド」をやろうじゃないか―。誰が言い出しっぺだったのかは不明だけど、まぁこういったこと言い出すのは、だいたい甲斐だ。
 それぞれが4曲を持ち分として、甲斐バンドとして発表できるクオリティのものを作る。あとはすべて自由。
 4人もいれば、1人くらいはアバンギャルドを拗らせたり、変にスカしたモノを作っちゃったりするものだけど、全員、商業ベースに乗せられる作品に仕上げられたのは、さすがキャリアの長いミュージシャンたちである。まぁ自分名義で出すわけだから、そんなマニアックなモノは誰も作らないだろうけど。
 わざわざ言わずとも、ちゃんと甲斐バンド的なサウンドになるのは、長年培われた信頼関係によるものだろう。

 甲斐との緊張関係が最もシビアだったのが大森さんで、それは完成した作品にも如実に表れている。
 できるだけ、既存の甲斐よしひろサウンドとは距離を置きたかったのか、ほぼ全編ギター・インストでまとめている。もともとメイン・ヴォーカルを取ったことがない大森さんゆえ、下手にヴォーカル・トラックを入れると、甲斐との比較で分が悪いことは察していたのだろう。愛憎半ばとはいえ、彼のヴォーカルにはリスペクトしていたんだろうし。
 結果、フュージョン・テイストをベースとしながら歌心もある、ロックな高中正義的なサウンドを軸としている。シンセの使い方もうまいしね。

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 ヤンチャなロック小僧だった頃の甲斐よしひろをなぞる役割を担っていた、また担おうとしていたのが田中一郎だったのだけど、まだバンドに馴染む前に終焉を迎えてしまったのだから、持ち味を発揮するも何もない。AORに移行してからは、ちょっと落ち着き過ぎた感もあった後期甲斐バンドの起爆剤として、ここでは期待に応えるようなギター・キッズ的サウンドを展開しているのだけど、ロックとしては整理整頓され過ぎかな。
 ヴォーカリストとしては絶対的な存在である、甲斐が同じバンドにいるわけだから、同じ方向性を狙ったら見劣りしてしまうのは、これはもうしょうがない。どちらかといえばこの人、バンド・アンサンブルから誘発されるグルーヴ感が持ち味の人なので、きっちりまとめられたレコーディングには向かない人なのだ。
 もっと荒々しいライブ・テイクだったら、面白かったのに。

 で、その後期甲斐バンドに象徴される、非ロック的なAORサウンドとの相性が良かったのが、松藤の書くメロディである。この人のコード進行はルーティンから外れたところで鳴っており、カラオケでも歌いこなすのが難しい。ドラマーゆえの独特のリズム感覚なのか、シンコペーション多用による妙な譜割りが、アクセントとなって強い印象を残す。
 場合によっては、甲斐よりも引き出しの多いメロディ・メーカーなのかもしれない。

 で、甲斐。なんとここでは書き下ろし曲なし。過去のリメイクや提供曲のセルフ・カバーで構成されている。ラストとしては、なかなかの冒険だよな。穿った見方をすれば、将来リリース予定のソロ曲は温存しておいた、という風にも取れるけど、まぁそこまでゲスい真似はしなかったと思いたい。
 ―甲斐バンドというのは、甲斐よしひろのワンマン・バンドではない。メンバーそれぞれの英知を結集した、それぞれ切磋琢磨してきた集団である。
 フロントマンではあるけれど、独裁ではない。
 後期は勇み足が過ぎて、独断専行で動くことも多かったけれど、ここでは甲斐、各メンバーのショーケース的アルバムの狂言回しとして、敢えて一歩引いた役割を演じた。そういう意味でいえば、ここでの甲斐のポジションは正解だったと思う。

 だからこそ、余韻も醒めぬうちのコンプリート版リリースは、ちょっと失敗だった、としつこく思ってしまう俺。
 まぁ、オトナの事情なんだろうな。



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-PROJECTⅠ(N.OMORI)
1. 25時の追跡(instrumental)
 ロック・バンドのアルバムのオープニングをインストで飾るのは、当時でもあまり例がないことだった。大森さんはこのプロジェクトにあたり久石譲をアレンジャーに起用、全編フェアライトCMIをフィーチャーしたシーケンス・サウンドをバックにギターを弾きまくっている。ある意味、『Repeat & Fade』のメイン・テーマとなったこの曲、後期甲斐バンドに象徴されるハードボイルド・タッチの硬質なサウンドが展開されている。
 曲間のSEが、当時流行っていたPaul Hardcastle 「19」を連想させ、時代を感じさせる。

2. エコーズ・オブ・ラヴ
 大森さんの特性であるSantana的情緒あふれるソロが大きくフィーチャーされている。この辺はちょっと高中っぽいかな。あそこまで軽くはないけど。
 大森さん楽曲での甲斐ヴォーカルは1.が選曲されているけど、正直、こっちに歌詞を載せてもらった方がはまったんじゃないかと思われる。

3. JOUJOUKA(ジョジョカ)
 当時はあまり知られていなかったけど、27歳の若さで夭折した、Rolling Stonesの元リーダー、Brian Jonesが生前、唯一残したソロ・アルバム『Joujouka』へのリスペクトして制作されたナンバー。
 とは言ってもStones風味もモロッコ風味もそれほど感じられず、どちらかといえばロックな喜太郎的なニューエイジな仕上がり。ちょっと刺激的なBGMとしては全然アリ。

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4. ロマン・ホリデー
 唯一アコースティック・ギターで全編押し通した、こちらも抒情的なナンバー。ギタリストのアルバムとしては、超絶プレイや早弾きをひけらかさず、あくまでトータル・サウンド+メロディというオーソドックスなスタイルを貫いている。
 ヴォーカルに自信があれば、Claptonくらいはイケたんじゃないかと思われるけど、まぁJeff Beck止まりだったんだろうな、きっと。

-PROJECTⅡ(H.MATSUFUJI)
5. O'l Night Long Cruising
 ここから松藤サイド。松藤のアプローチは、作曲はすべて自分、楽曲に応じた作詞家とそれぞれコラボしている。で、改めてクレジットを見ると、なんと作詞辻仁成。エコーズとしてはまだデビューしたてで、一般的にはほとんど知られていない頃。
 尾崎豊と同じカテゴリーで「若者の代弁者」的ポジションだったエコーズ=辻だったにもかかわらず、ここではやたら歌謡曲的なライト・ポップな無難な歌詞になっている。まぁ松藤がこんなサウンドでやりたかったんだろうけど、別に辻仁成じゃなくても、当時だったら売れっ子の康珍化あたりにオファーした方がよかったんじゃね?と余計な助言をしたくなってしまう。

6. サタニック・ウーマン
 ちょっとチャイナ・テイストの入ったエスニック風アレンジは、YMOでの客演でも有名なギタリスト大村憲司によるもの。ファンキーなカッティングにその片鱗が見られ、アンサンブルに勢いをつけるカンフル剤的役割の人だったんだな、と改めて思う。
 こうして聴いてみると、後期甲斐バンドのAORサウンドと親和性が深いのが松藤だったんだな、と改めて思う。甲斐のキャラクターが強すぎたため、どうしても目立たないけど、この時期にもう少し作品を残していれば、後年のシティ・ポップ・ブームにも乗ずることができたんじゃないかと思われる。

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7. レイニー・ドライヴ
 そんな松藤のシティ・ポップ性が最も発揮されたのが、このトラック。前曲に続き、松尾清憲作詞のナンバーで、俺的には松尾にとっての最高傑作だと思っている。とはいってもこれと「愛しのロージー」くらいしか聴いたことがないけど、歌詞のクオリティ、ここで描かれる世界観がたまらない。

 スピード上げ すべって行く 僕らの車 ハイウェイ
 煙る雨を 突き抜けたら 君は 自由になる
 僕にくれた やわらかな どんな優しさも
 アスファルトに こぼれてゆく みんな嘘になる

 最後のレイニー・ドライブ
 青ざめた過去の イルミネーション
 抱きしめた夜に もう 引き戻せない

 何げなく気だるい夜のドライブ・デート。別れる前のカップルなのか、それとも誰かと別れようとしている女とドライブしているのか、どちらとも取れる歌詞。危うげなバランスを平易な言葉で表すのは、相当なテクニックを要する。
 ちなみにシングルでは甲斐がヴォーカルを取っているのだけど、正直この曲については、甲斐の表現力の方が勝っている。松藤には悪いけど、ちょっと声質が甘いかな。



8. メガロポリス・ノクターン
 なぜか作詞は松山猛。業界フィクサー的な立場の人とどんなコネがあったのかは不明だけど、まぁプロの作詞家っぽい仕上がり。当時の稲垣潤一や安部恭弘辺りを連想させるシティ・ポップ的なアプローチは、今だからこそ再評価されてもいいくらい、古びていない。
 これもシングルでは甲斐ヴォーカルに差し替えられているけど、この曲は松藤ヴァージョンの方がいいかな。程よいサウンドの軽さとうまくマッチしている。

-PROJECTⅢ(I.TANAKA)
9. Funky New Year
 近年、一連の松田聖子ワークスと渡辺美里「My Revolution」でのアレンジで再評価の機運が高まっている、大村雅朗アレンジによるナンバー。シンセ・エフェクトの音色によって、大村アレンジということがわかる。でもこの人、やっぱり女性アーティストの方が合ってるのかな。ギターのハードさとシーケンスとの相性って、ちょっとミスマッチだな。

10. ジェシー(摩天楼パッション)
 ということで、ここで甲斐がヴォーカルとして参加。何か安心してしまう。ちゃんとした甲斐バンドだよな、やっぱり。
 作詞を担当したちあき哲也は当時、矢沢永吉との仕事で評価されており、男っぽい硬派な世界は甲斐のヴォーカルとも相性が良かった。他の人の言葉でもうまく咀嚼して、自分の歌にしてしまうところは、この人の得難い才能である。

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11. Run To Zero
 前曲と同じチト河内によるアレンジだけど、まさに静と動。この人も引き出しが多い。ロック・サウンドの経験値が多い分だけあって、ここでは無理なく自然にドライブ感あふれる演奏とヴォーカル。やっぱり田中一郎、バンド・スタイルが合ってるな。シーケンスとの相性はあんまり良くないことがわかる。

12. 悪魔と踊れ
 サックスもフィーチャーしたパワー・ポップ。あんまり相性の良くない大村雅朗アレンジながら、ドラムの音圧が強くなっている分、ギターに頼らずともバランスの取れたサウンドになっている。こんな方向性もアリだったかもしれないな、田中一郎。

-PROJECTⅣ(Y.KAI)
13. ハート
 もともとは1983年、女優高樹澪に楽曲提供したシングル曲のカバー。一応、初出ヴァージョンがYouTubeにあったので聴いてみたのだけど、まぁ歌謡曲的な仕上がり。考えてみれば彼女、その前年に「ダンスはうまく踊れない」が大ヒットしており、その勢いでリリースされたのがこの曲なのだけど、みんな知らないよね。俺も初めて聴いたし。
 ここでのヴァージョンはほぼオリジナル通り、肩の力を抜いたヴォーカルでまとめている。松藤同様、シティ・ポップ的な仕上がりを指向しているのだろうけど、やっぱり甲斐のヴォーカルは記名性が強く、ていうかアクが強い。無難なサウンドじゃキャラクターに太刀打ちできない。

14. オクトーバー・ムーン
 こちらも高樹澪提供曲のセルフ・カバー。基本アレンジはどちらも一緒だけど、リズムを強調したサウンドになると、やっぱりヴォーカル力の強い甲斐が勝る。そりゃ当たり前か。
 後期甲斐バンドを彷彿させるハードボイルドな世界感の歌詞と、歌謡曲を思わせるメロディ・ラインは、ニューヨーク3部作に入ってても違和感ないクオリティ。久石譲によるアレンジも抑制が効いており、ストイックかつポップな仕上がりになっている。ちょうどプロデュースを手掛けていた、中島みゆき『36.5℃』ともリンクしている。



15. 天使(エンジェル)
 オリジナルは1980年、「漂泊者(アウトロー)」の後にリリースされたアルバム未収録シングル。当時のテイクはなんか気の抜けた懐メロ調アレンジだったのだけど、ここでは力強くビルドアップされたロック・アレンジに補強されている。
 歌詞自体はほのぼのしたフォーク・ロック的な抒情さが漂っており、確かにオリジナル・ヴァージョンとの相性は良いのだけど、いややっぱりショボイな、オリジナル。ニュー・アレンジにして正解だった好例。

16. ALL DOWN THE LINE-25時の追跡
 ラストは一巡して、1.の大森さんギターを甲斐ヴォーカルに差し替えたヴァージョン。サウンドに基づいたハードボイルド・タッチの歌詞は、サウンドとの親和性が良い、とほんとは言いたいのだけど、いやミスマッチだな、これって。ヴォーカルが変に力入り過ぎ。最後を飾る曲ということは事前に決まっていたのだろうから、それを見据えたレコーディングだったのだろうけど、変にヴォーカル入れない方が良かったんじゃないかと思われる。
 ある意味、大森さんとしては「してやったり」って思っていたりして。どうだ、歌いこなせねぇだろ、って。






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80年代日本のロックのマスターピース - 泉谷しげる 『吠えるバラッド』

_SL500_ 1988年リリース、ビクター移籍第1弾となった12枚目のオリジナル・アルバム。副業だったはずのバラエティ出演や俳優業が忙しくなり、本業であるはずの音楽に集中できていなかった泉谷が一念発起、本腰を入れて「ちゃんとした『ロック』をやるんだ!」という強い意志を持って作り上げた。
 それまで模索してきたニューウェイヴ的なサウンドをチャラにして、言い訳無用の重厚さを追求するため、泉谷自ら足を使い、「これは!」と目をつけた様々なバンドのライブを物色、時には脅し、はたまた時にはおだてたりしながら、理想のメンバーを集めていった。
 そんな経緯で結成された最強のロック・バンド「ルーザー」を率い、泉谷はその後、3枚のオリジナル・アルバムを製作、「春夏秋冬」以上の成功と評価を得ることになる。
 破天荒な言動とは裏腹に、アルバムごとにサウンド・コンセプトが定まらず、紆余曲折と七転八倒、トライ&エラーの繰り返しだった作風は、生半かな若手バンドなど鼻息で蹴散らしてしまう、ヘビー級チャンプが寄ってたかって好き放題に暴れ回るサウンドとなった。
 ドラムは、数々の伝説的セッションをくぐり抜けてきた、天衣無縫の村上“ポンタ”秀一。ルーザーのバンマスとして、泉谷が深く信頼を寄せていた、こちらも有名セッションで存在感を見せていた、ベース吉田健。若手ギタリストとして、そしてアレンジャーとしても頭角をあらわしつつあった、ルースターズ解散後、動向が注目されていた、ギター下山淳。そして、もう1人のギタリスト、説明も何もいらねぇな、仲井戸麗一・通称チャボ。
 みんなフロントを張れる連中ばかりなので、単なる金やコネだけでまとまるものではない。スケジュール調整だって大変だし、みんな好き勝手言うだろうし。よくやろうとしたよな、こんなアクの強いメンツで。

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 「春夏秋冬」のヒットによって、フォーク歌手としての印象が強い泉谷だけど、実際のところ、フォークというジャンルにこだわっていたわけではない。時代的にフォークが流行していたこと、また、吉田拓郎が移籍してしまい、稼ぎ頭がいなくなってしまったエレックの思惑によって、フォークの成長株として売り出されてしまった、という事情もある。
 「ギター1本で抒情的な心象風景を切々と歌う」、四畳半フォークの定番フォーマットが彼に馴染むはずもなく、当初から、観客とケンカ寸前の、喧々囂々丁々発止のライブを展開していたらしい。この辺は、当時、よく対バンしていたRCや古井戸からの影響も強かったんじゃないかと思われる。
 そんな破天荒スタイルだったので、当然、フォークの連中、フォークを愛する観衆からはウケが悪い。対バンや共演だって、フォーク系からのオファーは少ないので、さらに意固地になって、抒情性とはかけ離れてゆく。
 フォーライフ設立を機に、拓郎・陽水がニューミュージック路線へ転換したように、泉谷もまた、ロック・サウンドへの傾倒を強めていった。ただ、ロックに強いブレーンやスタッフに恵まれなかったのか、ロックっぽいけどロックじゃない、消化不良な過渡期的な作品が多かったのも事実である。
 例えば、Neil Youngに対するCrazy Horseというのが、理想的なモデルケースだと思うのだけど、何故だか泉谷、ルーザー以前のバック・バンドは微妙にベクトルがズレている連中ばかりである。

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 初期のプロデューサー加藤和彦のツテで組んだミカバンド、またはイエローやバナナ。決して悪いバンドではない。ただ、破天荒な作風と背中合わせの繊細さをも表現できたかといえば、それはちょっとタイプが違ってたんじゃないかと思われる。
 楽曲によっては、うまくハマってるものもあったけど、トータルで見ればマッチングの度合いがバラバラで、永続的な関係に至ることはなかった。例えばミカバンドなんて、演奏テクニックも音楽センスにおいても、とんでもなく優れた逸材が揃ってはいたけど、泉谷との相性が良かったかといえば、それはまた別の話で。
 バンド・サウンドが欲しくなったので、たまたま空いているバンドに声をかけてみた。レコーディングしてみると、演奏はきっちりまとまってる。でも、アンサンブルは流麗だけど、前述の泉谷の個性が活かされているとは言えない。単に8ビートでガシャガシャやってもダメなのだ。
 なので、今度は違うバンドを紹介してもらう。同じく、演奏はまとまってる。まぁまぁロックっぽくなってきている。でも、どこかまとまりがない。ヴォーカル&インストゥルメンタル。カッコつけて言っちゃってるけど、歌と演奏がバラバラだ。
 泉谷と組む以前から、そこそこの経験を積んできているバンドなので、ある程度の約束事、バンド内でしか通じない共通言語ができあがってしまっている。後になって、そこに張り込んで言語を覚える、または新たな言語を作るのは、至難の業だ。なので、泉谷:バンドという構図ができあがる。イコールには決してなりえない。
 アーティストによっては、そんな緊張関係を逆手に取り、思わぬ化学反応によって傑作をモノにすることもあるけど、あいにく泉谷そこまで器用なタイプではない。
 思い通りに行かず、ジレンマばかりが溜まる。
 そして、それが作品にも如実に現れる。

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 まともなバンド経験がないまま、ソロ歌手としてスタートしたため、泉谷の歌は、基本、ギター1本で演奏できるものが多い。早くからバンド・セットでのレコーディングを経験してはいたけど、セッションやリハーサルを重ねて楽曲を作る人ではない。書くのはいつも独りだ。
 泉谷の個性である、記名性の高いヴォーカル・スタイルと、時に「哲学的」と曲解されてしまう言葉の礫。その重みは、強いキャラクターとして作用する。その剥き出しの個性は、単体で充分なパワーを発するため、それだけで成立してしまう。
 泉谷ががなり立てギターを叩き、そして時に朗々と語りかける。そこに余計な音は必要ない。中途半端なアレンジは、むしろジャマになる。
 なので、変にオリジナリティを出してジャマ者扱いされるくらいなら、むしろ開き直り、シンプルな伴奏に徹した方が良い。歌をジャマせず前に出過ぎず。カタルシスやグルーヴ感、そんな余計なことは考えずに。
 でもそれって、「ロックっぽい」サウンドではあるけれど、「ロック」じゃない。アイドルのバック・バンドと、なんら大差ない。
 何やってるの?俺。

 これまで「出来合い」のバンドとのコラボで「ロックっぽさ」を演出していた泉谷、一旦、活動をリセットし、新たなメソッドを模索することになる。目指すは、ゼロから作り上げる新バンドの結成だ。
 前線復帰へのリハビリ的な実験作やライブを敢行して、少しずつ現場感覚を取り戻してゆく。ちょうど世はバンド・ブーム前夜、ティーンエイジャーがこぞって楽器を抱えて好き勝手に歌い始めた頃だった。
 キャリアからすれば、当然、相手にするほどではない。でも、世代交代は確実に行なわれている。「ロックで勝負する」ということは、彼らと肩を並べて走らなければならない。ブルーハーツやプリプリと、同じ土俵で戦わなければならないのだ。
 無様な姿は見せられない。だからといって、若者に媚びたり、売れ線に走るつもりもない。ひたすら直球ストレートの豪速球を、プレイボールからゲームセットまで、100%の力で投げ込むだけだ。
 ジジイの集まりだから、時々息切れして笑われることもあるけど、「うるせぇ若造っ」と一喝すればそれで済む。それがベテランの特権だ。

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 今じゃすっかり性格俳優として重用され、またバラエティでは「じぃじ」といじられる泉谷である。台本通りに「乱入」や「暴言」なんかを繰り出しているけど、まぁそんなポジションも必要なんだし、それはそれで良しとしよう。
 どんなに「孫好き」な側面を見せようとも、またコメンテーター気取りで時事問題をしたり顔で語ろうとも、ルーザー時代をリアルタイムで見てきた俺世代にとって、泉谷はロックの人である。この時代があったからこそ、俺世代は泉谷を信用できる。
 再び、ルーザーをやってくれ、とは言わない。あれはあの時代、あのタイミングであのメンツがそろったからできたことであって、再現は不可能だ。
 メンバーはまだみんな現役だけど、また集まってたとしても、あの時代のあの熱までは再現できないのだ。

 下山淳が在籍していたルースターズ、ヴォーカルの花田裕之は、最後のアルバム『Four Pieces』でこう歌った。
 「再現できないジグソウ・パズル」。
 壊れたピースは戻らないのだ。



吠えるバラッド
吠えるバラッド
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泉谷しげる
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1. 長い友との始まりに
 泉谷がこのプロジェクトを始めるにあたり、モチーフとしていたのがU2であり、そしてそのビジョンを具現化するためには、これまでの文脈になかった若い才能が必要だった。繊細なディレイを利かせた下山と、闇夜を切り裂くようなチャボのディストーションとのコラボレーションは、贅沢そのもの。そして、そんなアンサンブルを土台からどっしり支える、もはや主役と言ってもいいほどの存在感を醸し出す、ポンタの重厚なリズム。なんでスネアで、こんなデカい音出せるんだよ。

 長い友との始まりに 男が怒りのキズ口 舐めてる
 長い長い友との終わりに 女が泣くように 切ない 



2. のけものじみて
 やたらと攻撃的なスカ・ビートで塗り潰された、野生まる出しのトラック。泉谷のヴォーカルも絶好調だけど、ここで一番スゴいのは、ポンタのプレイ。多分、彼の中でもベスト・バウトと思われる怒涛の迫力で、ドラムヘッドが破れるほどの轟音マシンガン・ビート。泉谷・ポンタ、双方の限界が引き出された名プレイ。



3. TATTOO
 地を這うような、漆黒のレゲエ・ビート。Steely Danもそうだったけど、熟練のプレイヤーがレゲエをやると、どうしてこんなにネガティヴな音像になってしまうのか。もともとプロテスト・ソング的な側面が出自であるレゲエに対する敬意なのだろうか。
 享楽さとは真逆の、官能ささえ漂わせるサウンドと言葉。吉田健のベース・プレイが、バンドを支配する。

4. あいまいな夜
 再びレゲエ。この辺はちょっと小休止、ブルース色が強くヴォーカル自体も脱力気味。とはいえ、歌ってる内容は物騒である。

 あいまいな こんな日々には 俺とお前だけの
 肉のかけら 切り刻んで食べてやれ

 ルーザー・プロジェクトと同時進行で制作していた自主製作映画(?)『デスパウダー』の影響なのか、ゴシックホラー要素が盛り込まれた歌詞は、ちょっと厨二病チック。

5. 果てしなき欲望
 ここまでルーザーに焦点を当てたバンド・サウンドが多かったけど、ここでは泉谷節とも言える真骨頂が発揮されている。

 今からでも 遅くはないかい
 今からでも 間に合うのなら 走るぜ
 チャンスをくれた分の絶望が
 体をさするように まとわりつく

 バンド・グルーヴに振り回されっぱなし感もあった泉谷だったけど、ここでは完全にルーザーを抑え込んでいる。チャボのスライドとヴォーカルも、イイ感じの枯れっぷり。効果的に挿入されるリズミカルなストリングスも、豪快なアンサンブルとうまく対比を成している。
 クレジットでは、桑田佳祐がギターを弾いてるらしいけど、正直、わからん。

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6. 美人は頭脳から生まれる
 リリース当時はCDのみ収録だった、いわばボーナス・トラック。小鳥の鳴き声のエフェクトと、ピアノを弾くのは忌野清志郎。「黒いカバン」タイプの風刺ソングで、泉谷のヴォーカルも肩の力が抜けた感じ。まぁ小休止、幕間の曲といったところ。

7. 野性のバラッド
 聞けば、ルーザーにバッキングを拒否されたため、新宿アルタ前でゲリラ・ライブ、叫び語りバージョンとして収録されている。新宿のリアルな雑踏をバックに、演奏はギターのみ。アカペラというには粗野すぎるので、「叫び」。ちなみにシングルでのバッキングは、元アナーキーだったTHE ROCK BANDが担当。
 そこまで頑なに拒否ったにもかかわらず、ライブでは普通にルーザーと演ってるので、何が何だか。スマッシュ・ヒットしてから泉谷の発言力が強まったせいなのか、それともゴネるとめんどくさいから、大人の対応でイヤイヤ演奏していただけなのか。でもね、そこまで拒否するほど悪い曲じゃないと思うんだよ、むしろ名曲だと思うし。

 Oh なんてお前に伝えよう ひとりの鏡の中で
 誰かを傷つけてきた日々の その時の顔つきで 吠える

 恐らく泉谷の歌ってきた中で、最もストレートなラブ・ソング。きちんと整理されたバンド・ヴァージョンも悪くないけど、泉谷の意図する「剥き出しの愛」として捉えるのなら、やはり混じり気なしの無骨なアルバム・ヴァージョンにこそ、本質が込められている。

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8. LOSER
 前のめりなビートが多い楽曲の中では、比較的ゆったりしたテンポのブルース・ナンバー。チャボのギターが前面に発揮されている、ある意味タイトル・チューン的なポジション。
 「探さないで 近づかないで」と朗々と語る泉谷を、骨太なリズムで支えるルーザー。しかしポンタ、音デカいよな。録音エンジニアの苦心惨憺が窺える。

9. 終点
 アメリカン・ロックの大味な部分をうまく消化しながら、そこにギター・ロックの繊細さを添加、さらに、リズムに乗せるには引っかかりの強い日本語のアクで束ねると、こんなカッコいい日本のロックができあがる。RCの活動が停滞し、ルースターズ解散後、若手バンドが目指すべき方向性を示したのが、ルーザーによって練り上げられたグルーヴだった。
 鉄壁のリズムと変幻自在のギター・アンサンブル、そして強烈な個性を放つヴォーカル。瞬発力だけでもテクニックだけでもたどり着けない、底なしの爆発力を内包したプロジェクトだったのだ。

10. あらゆる場面で
 ラストは泉谷が主役、散文的かつ暗示的な言葉の羅列は、言霊として強いオーラを放つ。意味なんて深く突っ込まない方がいい。原初、部族のシャーマンは、偉大なる詐欺師として御託を並べ、多くの信者と陶酔者とを生み出した。そんなカタルシスを効果的に演出する、強いビートとリズム。そして盟友清志郎のコーラス。
 素敵な夢と素敵な時間を見せてくれるのなら、他は何もいらない。
 ただ、騙すのなら、うまくずっと騙し続けてくれ。
 ハッタリでも嘘でもいいから、素敵な歌と音、そして言葉を。
 少なくともルーザーでの数年間、泉谷はうまく騙して続けてくれた。
 でも、上手い嘘って難しい。そんなに長くは続かないんだよな。






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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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