好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Pop : Japan

音楽の女神は誰にでも見えるものではない。 - PSY・S 『Two Spirits』

folder で、前回の続き。ほんとはこっちが本題だったんだけど、思いのほか前置きが長くなっちゃったので、2つに分けちゃった。

 2枚目の『Pic-Nic』までは、フェアライト・マスター松浦によるジャストなリズムと、ピーク・クライマックスの薄いサウンド、そこにナチュラル・コンプの声質を持つチャカが、童謡歌手のようなフラットなヴォーカルを乗せるという、-何かこうして書いてると、味も素っ気もない、コンセプチュアルなサウンドを展開していたのだった。
 そのくせ、楽理とテクノロジーで理論武装した頭でっかちと思いきや、松浦の手から編み出されるシンプルで口ずさみやすいメロディは、当初からごく一部のポップ・マニアの注目を集めていた。過剰にマシンスペックにこだわった「キーボード・マガジン」読者より、サブカル寄りな「テッチー」読者に人気があったのは、そんな理由が大きい。

 典型的な理系脳の松浦と、アクティブなバンドマン系列のチャカとのチグハグなコンビネーションのズレは、単発的に見れば面白いものだけど、継続して活動するユニットとなると、普通はあっという間にネタ切れになる。当時はシンセ周りの技術革新が、ハイパーインフレ状態だったおかげもあって、当初のウリだったフェアライトも物珍しさが薄れつつあった。
 ここで松浦が、当初のコンセプトを頑固に貫いて、マシンのアップデートを主軸としたサウンドを続けたとしても、新型マシンの品評会になるだけだし、それだってキリがない。CDとして発表すると同時に新たなアップデートが告知され、途端に過去の遺物となる繰り返しだ。
 もう5年くらい遅くデビューしていたら、テクノポップの「ポップ」を取って、テクノ〜ニュージャック・スウィング~ハウス方面へ向かっていたのかもしれないけど、まぁ踊れない松浦なら無理か。「レーベル・カラーと合わない」とか言って、ソニーも止めてただろうし。

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 そんなディープな方向へ向かわなかったのは、デビュー時同様、これまたラジオの企画、当時松浦がDJを務めていたNHK –FM「サウンド・ストリート」内の企画がきっかけだった。既発表曲のリアレンジや、ソニー系アーティストを中心としたコラボから交流が生まれ、以前レビューしたコンピレーション・アルバム『Collection』として結実することになる。そんな共同作業を介してから、松浦の音楽制作への姿勢が微妙に変化してゆく。
 長時間スタジオに篭り、すべてのベーシック・トラックをほぼ独りで作るというのは、想像以上に孤独な作業である。ほんの少しのドラム・リヴァーブの長短や、ストリングスのピッチ調整など、こだわればキリがない。
 頭の中で鳴っている音が確実なわけではない。あぁだこうだとCRT画面とにらめっこしながら延々、「これかな?」という音を探すのだ。ただ、そこまでこだわり抜いた音だって、完成テイクというわけではない。時間に追われ締め切りに追われ、「まぁこれなら大体満足できるかな」程度のレベルであって、ほんとなら、時間さえ許せば永遠に終わることはない。しかも、それらの細部へのこだわりとは、多くのリスナーに理解できるものではなく、報われることはほんのわずかなのだ。
 バービーいまみちやゼルダらとスタジオを共にすることによって、何もかもフェアライトでまかなってしまっていた従来のサウンドは、『Collection』を境に大きく変化する。基本のシンセ・サウンドは変わらないけど、バンド演奏によるアンサンブル・マジックを目の当たりにしたことによって、少しずつそのエッセンスを導入するようになる。
 もちろん、そこは理系脳の松浦であるからして、レコーディングの段階でいろいろ加工はしているけど。

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 その後のPSY・Sは、本来のレコーディング・ユニットとは別に、ライブ演奏用に結成された流動的ユニット「Live PSY・S」を始動、それぞれ独自の進化を遂げてゆくことになる。
 テクノポップのライブといえば、YMOを端とするシンセ機材の山積み、メーカー協賛による品評会的な物々しさを想像しがちだけど、Live PSY・Sはそのセオリーから大きく外れている。もともと本格的なライブ活動を開始したのが、オーソドックスなバンド・アンサンブルを前面に出した3枚目『Mint-Electric』リリース後からだったこともあって、アルバム音源をベースとしたバンド・サウンドを、可能な限り忠実に再現することに力を注いでいた。
 共同作業によるスタジオ・マジックには、ある程度の理解は示したけど、だからといって、冗長なアドリブやインプロビゼーション、それにまつわるバンド・マジックを盲信する松浦ではない。隅々までシミュレートし、破綻のないアンサンブルをかっちり作り込んだ。そして、チャカには敢えて縛りを課さず、ステージ上では自由奔放に歌わせた。
 ただこれも計算のうち、もともと松浦が書く楽曲は、突発的な転調や不協和音を使わず、案外オーソドックスなコード進行で構成されており、譜割りを崩したりフェイクを入れたりの小技が使いづらいのだ。カラオケで歌ってみればわかるよ、譜面通りに歌うだけで精いっぱいだから。

 そんな理路整然さを推し進め過ぎることが、逆にライブ感を損なってしまうことを危惧したのか、ステージ演出はやたらエンタメ性が爆発している。80年代特有のサブカル系が調子に乗った、やたらデコボコ立体的な機能性無視のコスチュームに身をまとうチャカを中心に、ポップ系アーティストのステージ・パフォーマンスの走りとなった、南流石による振り付けは、当時のソニー系アーティストでも目立って注目を引くものだった。バンマスである松浦は、一歩引いて機材の山に埋もれるのが定位置だったけど、時々ハンディ・キーボードやギターを抱えて前に出たりして、裏方に徹するストレスをほんの少し解消したりしていた。
 次第にシーケンスの割合が少なくなって、キーボードのベンダーを小刻みに動かしたり手弾きが多くなったり、次第に普通のバンド化してゆくことになるLive PSY・S=松浦だったけど、果たしてそれは進化だったのか、はたまた試行錯誤だったのか。

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 で、『Two Spirits』。
 ライブ・アルバムという体裁でリリースされている。いるのだけれど、正直、臨場感はかなり薄い。普通は収録されているMCや歓声がばっさりカットされているため、「ちょっとエコーが多めの演奏かな?」と意識してからやっと、「そういえばライブだったんだ」と気づくくらいである。
 ライブ録音したテープ音源を加工・手直しするという発想は、何もPSY・Sが始めてではない。ライブ時の偶発的なインプロビゼーションを素材として、Frank Zappa やKing Crimsonは、数々のアルバムを量産した。レコーディングしていない新曲を試したり、また既発表曲でも、その日によって全然違うアドリブやオブリガードが繰り出されたりなど、演奏のたび違うテイクがボコボコ生み出された70年代。そりゃ未だにブートやアーカイブも売れ続けるわけだよな。
 ただ松浦の場合だと、ちょっと事情が違ってくる。彼の中で、ライブ録音されたテープ素材とスタジオ・テイクとは、同列のものである。ちょっとしたタッチ・ミスやピッチのズレは、ライブならではの醍醐味ではない。それらはファンが聴きやすい商品として、また、自身の納得ゆく形に整えられなければならないのだ。

 アンサンブルを整えるためにテイクの差し替えを行ない、歓声やMCをノイズと捉え、ばっさりカットしてしまう。複数のライブ音源をひとつにまとめるため、ピークレベルは均等にそろえる。
 大幅に編集されたトラックは、精密部品のごとくきれいに研磨され、スタジオ・テイクと遜色ないオーディオ・クオリティとなった。
 -え?CDと変わんないの?
 理系脳ゆえの細部へのこだわりと潔癖さが過剰にフル回転したあげく、トータリティは増して、収録時期の違いは目立たなくなった。多分最初こそ、先にリリースされたベスト・アルバム『Two Hearts』から漏れた人気曲の補完として、スタジオ・テイクとは別の側面を見せる思惑だったのだろう。ただ松浦のアーティスティックな暴走によって、次第にコンセプトが変容してゆくのを、ソニー側は誰も止めようとしなかったのか。
 サウンド的にも円熟期に入り、セールスもそこそこのポジションで落ち着いてしまったし、今のところ新局面も見当たらないしで、ちょっとした閉塞感を見せつつあったのが、この時期にあたる。もともとシンセを中心としたサウンド作りゆえ、長期的活動のビジョンが見えづらい形態なのだ。なので、10年も続いただけで、それはもう奇跡と言ってもよい。

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 かつてJoe Jackson は、全曲書き下ろしの新曲で構成したライブ・アルバム『Big World』をリリースした。開演前/公開レコーディング前の注意として、「観客は一切の物音や歓声を上げてはならない」。「これはレコーディングを優先したものであり、いわば観客であるあなたもレコーディング・メンバーの一員なのだ」と。
 やたら上から目線で常識破りな指示だったけど、ほとんどの観客はみな固唾を飲んでステージを見守った。参加ミュージシャンらも、通常のライブとは違う緊張感の中、ひたすら演奏に集中した。異様なテンションによる相乗効果は、尋常じゃないクオリティの完成品として昇華した。
 『Big World』も『Two Spirits』同様、余計な音は刻まれていない。ただ明らかに違うのは、『Two Spirits』の曲間が無音であるのに対し、『Big World』の曲間、音と音の隙間に込められているのは、ミュージシャンらの高潔なプライドと、信頼関係で結ばれた観客、それらがステージ上で一体となった連帯感である。そして、そんな空気感を余すところなく記録しようと奮闘するエンジニアらの献身ぶりである。
 すべては音楽のミューズのもと、単純に良い音楽を作るためのプロセスなのだ。

 イコライジング前のライブ音源を聴きまくった松浦は、編集作業時、何を思ったのか。
 ミューズの囁きを耳にした上で、ライブ感をフォーマットしたのか、それともミューズの存在に気づけなかったのか。
 それは松浦自身にしかわからないことだ。


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1. Parachute Limit
 5枚目のアルバム『Non-Fiction』収録、こちらでもオープニング・ナンバー。スタジオ・ヴァージョンはリズム・セクションが強く、バンド・サウンド的なミックスでチャカの存在感もちょっと薄めだけど、ここではヴォーカルが大きくミックスされ、女性コーラスもフィーチャーされて臨場感がある。

2. Teenage
 デビュー・アルバム『Different View』のオープングを飾った曲。ほぼフェアライト一台で作られたオリジナルより、当然サウンドの厚みは段違い。頭でっかちなテクノポップが、ステージではドライブ感あふれるハイパー・ポップに生まれ変わっている。しかしチャカ、ライブでも安定した歌唱力をキープしているのはさすが。

3. Kisses
 6枚目『Signal』収録、またまたオープニング・ナンバーの3連発。なんかこだわりでもあるのかそれとも偶然か。Supremesを思わせるモータウン・ビートを持ってくるとは裏をかかれたな、と感心した思い出がある俺。だって、松浦にそんな素養があるとは思わなかったんだもの。アルバム自体がLive PSY・Sによって制作されているので、スタジオ・ライブともあまり違和感が少ないのが、この時期の曲。

 女のコ あれもしたいし これもしたいの
 キス したい スキよ
 男のコ 迷わないでね 遊ばないでよ
 キス してね

 単純だけどきちんと練られたポップな歌詞、それに一体感のあるサウンド。この辺がユニットとしてのピークだったんだろうな。



4. Christmas in the air
 オリジナルは1986年リリース、杉真理主導でソニー系アーティスト中心に企画されたクリスマス・アルバム『Winter Lounge』に収録。当然、入手困難な時期が長かったため、この時点ではいわゆる「幻の曲」扱い、ここでのライブ・ヴァージョンでしか聴く機会がなかった。なので、こっちがオリジナル的な感覚を持つファンも多い。
 時期的に2枚目『Pic-Nic』のアウトテイクと思われ、ガジェット的な使い方のギターやベースがテクノポップさを演出していたのだけど、ここではアコギもナチュラルな響きで、むしろオーガニックな味わい。でもクリスマスのワクワク感はちょっと足りないかな。

5. Paper Love (English Version)
 『Different View』収録、なんとここではスローなレゲエ、これはこれでまたクール。オリジナルは日本語だったけど、ここでは全編英語で通しており、前身プレイテックス時代の痕跡を見ることができる。

6. 青空は天気雨
 3枚目『Mint-Electric』収録、ここではベースのボトムが効いたクール・ファンクなテイスト。ファンの間でもオリジナル以上に人気が高く、またよほどアレンジが気に入ったのか、ライブ・アルバムとしては珍しくシングル・カットもされている。



7. TOYHOLIC
 続いて『Mint-Electric』収録曲。タイトルからわかるように、当時、絶大な人気を誇ったロックバンド漫画『TO-Y』のオリジナル・ビデオ・アニメの主要テーマとなったナンバー。印象的なコマの空白と細い線描のイメージに合致した、浮遊感のあるサウンドは、映像にマッチしていた。その世界観は変わらない。

8. Everyday
 『Pic-Nic』収録。ギターのフレーズが結構ファンクしているのだけど、奥に引っ込んだ配列となっているので、アンサンブルを損なわず切れ味の鋭いポップ・チューンに生まれ変わっている。オリジナルは、ベースがやたらブーストされたテクノポップといった味わいだけど、俺的にはライブ・ヴァージョンの方が好みかな。

9. Friends or Lovers
 そういえばそうか、これってアルバム未収録曲だったんだ、たった今気がついた。PSY・Sの中では最も高いセールスを記録した、人気としてもクオリティとしても、文句なしの代表曲なのに、そうか入ってなかったんだ。ドラマの主題歌にもなったしPVもよく深夜テレビで流れてたしで、よく聴いたよな。
 
 友達と 恋人と
 決めるから こじれるのかな
 クラッシュしてる みんな
 宝石も 香水も
 好きだけど 満たされないね
 (ねぇもっと) リラックスして

 この時代になると主に松尾由紀夫が作詞を手掛けており、コンセプトにもブレがないため、普通にオリコン・シングルとも渡り合えるクオリティになっている。やっぱりあれだな、抽象的な歌詞もある程度、ターゲットやテーマを絞り込まないと散漫なだけなんだな。

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10. 冬の街は
 今となってはPSY・Sにとっても、そしてシオンにとっても代表曲のひとつになっている、これまたアルバム未収録曲。この曲が生まれる発端となった『Collection』がソニー系アーティストで固められていたため、他のレコード会社所属だったシオンのこの曲は、リリースが見送られてしまった、という大人の事情が絡んでいる。
 ただ楽曲の力はあまりに強い。PSY・S、シオンとしてだけでなく、80年代を代表する裏名曲としての座をずっと保持し、ここに収録となった。
 暗喩の多い抽象的な歌詞は、Led Zeppelin 「Stairway to Heaven」からインスパイアされてると思うのだけど、それって俺だけかな。



11. EARTH~木の上の方舟~
 『Non-Fiction』収録、大味なアメリカン・ロックをベースに、MIDI混入率を多めにしてみました的な仕上がり。前の曲と比べるとちょっと地味かな。ここでひと休みといった印象。

12. Silent Song
 『Collection』収録、当時から人気の高かったパワー・ポップ。バービーいまみち参加によって楽曲の完成度は約束されたようなもので、時代を思い起こさせるギターのディレイもリフも、適度にからむ松浦のソロも、何もかも完璧。でもね、いまみちの音はもうちょっと大きめにしても良かったんじゃないかと思う。

13. 私は流行、あなたは世間
 ラストを飾るにふさわしい、PSY・Sの出発点。シンセドラムの音やリズムは時代によって微妙に変化していくけど、チャカの声は不変だ。特にこの曲ではビブラートもコブシもシャウトも何もない、小手先の技を使わずストレートな、正弦波ヴォイスで朗々と言葉を紡ぐ。松浦が奏でるサウンドも、敢えて最先端ではなく、原初のテクノ的メソッドの音をあえて探して使っている。

 しっかし、名曲ばっかりだな、こうやって聴き通すと。




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私は流行、あなたは世間 - PSY・S 『Different View』

folder 3年ほど前、松浦雅也のサウンドクラウドにて、PSY・Sの前身ユニット「プレイテックス」のデモ音源が公開され、往年のファンの間ではちょっと話題になった。今はもう公開終了してしまったけど、YouTube で検索すれば、一部はまだ聴くことができる。
 それまでヴォーカルの入った音楽をほとんど手がけていなかった松浦が、何やかやの成り行きでチャカと出会ってユニット結成、当然、発売を前提とした音源ではないので、音質的にはブート並み、決して聴きやすいレベルではないのだけど、容易に手を抜けない松浦の気質が昔からだったことは窺い知れる。

 FM大阪の番組企画をきっかけとして、即席ユニット「プレイテックス」は結成された。いわゆる企画モノである。当時、チャカはジャズ・ファンク・バンド「アフリカ」のヴォーカルとして、松浦もソロで各方面に渡るスタジオワークを請け負っていた頃であり、いわば余技で始めたものである。お互い、付き合いやらしがらみやらで、断りづらかったんだろうな。
 主にライブシーンを主体に活動していたチャカと、理系シンセおたくの松浦では、接点より相違点の方が多そうで、よくこんなコラボ思いついたよな、と当時の担当ディレクターの慧眼ぶりを讃えてしまいそうだけど、いや違うよな、たまたま思いついてくっつけただけだろうな、きっと。
 まぁ男女関係の秘訣として、「好きなモノより、嫌いなモノの共通項が多い方が長く続く」っていうものだし、案外相性は良かったのかもしれない。ユニット結成から解消に至るまで、プライベートでの接点はほとんどなかった2人だったけど、スタジオの中では「これはイヤ」「あれはダサい」という点で一致することが多かったのだろう。

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 整然としたシーケンスとエフェクトをベースに、ピークレベルぎりぎりまでボリュームを上げたドラムは、クレバーなリズムを刻む。坂本龍一「サウンド・ストリート」のデモテープ特集の応募作品的なサウンドと言えば通じるだろうか。わかんねぇか。
 チャカのヴォーカルはあまり変化はないけれど、それでもアップテンポのナンバーではライブ仕様のファンクネスが顔を出し、サウンドとの解離が時に見られる。それを抑制しようと極端に無表情な声色になったり。
 どちらも相手に合わせようとして、それでいながらミュージシャン・エゴの痕跡は残そうとしている。要するにビシッと噛み合うことが少ないのだ。
 発表から30年以上経ってから聴いてみると、これはこれで悪くない。Soul II Soulのグラウンド・ビート的な楽曲もあるし、ドラムサウンドさえアップデートすれば今でもチープ・テクノとして通用しそうだけど、早すぎたサウンド・コンセプトである。あの時代のミュージック・シーン、80年代ソニーのラインナップからすれば、この音はかなり浮いている。CBSじゃ受け入れてくれないよな。
 もしかして、エピックなら受け入れてくれたかもしれないけど。

 ライブの現場で鍛えられたチャカのアクティヴなヴォーカライズと、バックトラックの大半をシンセで賄うメソッドというのは、何も松浦が発明したわけではなく、YazooやEurythmicsなど、UKポップデュオでは広く用いられた方法論である。ほぼシンセ1台あればサウンド的に成立してしまうので、小回りが利く最小限のユニットとして、作業効率も良ければコスパも良い。バンド的なカタルシスさえ求めなければ、良いことづくめではある。
 ただ、ダンサブルな要素を後退させたヘッド・ミュージック的なテクノポップは、ダンスフロアとの親和性も薄ければ、当時の日本において最もポピュラーだった歌謡曲~ニューミュージックともリンクしづらい。あまりにドライでシステマティックなプレイテックスのコンセプトは、日本では馴染みにくいものだった。

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 90年代に入ってからのFavorites BlueやJungle Smileに見受けられるように、日本における男女2人ユニットとは、「線の細いシンセおたくのトラックメイカーと、歌はまぁそこそこだけどジャケット映えするモデル上がりの女性シンガー」というのがセオリーとなっている。
 松浦はそのセオリー通りとしても、やたら歌はうまいけどセクシャリティのかけらもない、見た目も声質も中性的なヴォーカルのチャカは、どう見たって合致しない。後年になってから、同じ属性を持つEGO-WRAPPIN'のようなユニットも出てきたけど、前者2組も含めて大ブレイクしたとはとても言いづらい。やっぱル・クプルのように、男女間のLove>Like的なムードを醸し出さないと、日本ではブレイクしづらいのだろうか。

 単発企画で終わったはずのプレイテックスは、思わぬ好評からインディーズでアルバム発売、これまた業界内では好評につき、あれよあれよとメジャー・デビューが決定してしまう。それでも2人とも、この時点では松浦もチャカもPSY・Sは単発モノ、メインの音楽活動あってのサイド・プロジェクトという心持ちだった。サウンドの性質上、永続的なユニットとしては見ていなかったようである。
 当時から、バックトラックやアレンジを取り仕切るのは主に松浦で、チャカは歌入れのみ、と役割分担ははっきりしていた。後期になってからは、チャカの意向も反映されるようになってきたけど、解散するまで基本的な位置関係は変わらなかった。
 適材適所の役割分担がしっかりできていたこと、そしてチャカがあまりアーティスト・エゴを強く主張しなかったことが、ユニットが10年続いた要因であり、また後期のパワーバランスの乱れこそが、巡り巡ってのユニット解消に至る。

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 で、『Different View』。デビューするにあたって、当時、新人プロデュースで定評があったムーンライダーズ岡田徹を招聘、若干の軌道修正を図ることになる。
 購買ターゲットを明快にするため、ある意味付け焼き刃だったファンク・ビートを大幅に薄め、松浦の特性であるメロディ・タイプの楽曲を主体としたテクノポップを、全体のトーンとした。ただ、これだけじゃインパクトに欠けるので、日本での個人所有はまだ少なかった「フェアライトCMIを操る天才クリエイター」を謳い文句として、プロモーションの柱とした。
 サンプリング・レートが8ビット、最大周波数が30.2kHzと、今から見ればファミコン程度のマシンをひとつの売りとしていたのだから、まぁ何と牧歌的な時代だったのやら。
 ただ、そんな低スペック・マシンをポップ・ミュージックのフィールドで展開していたのは、日本ではまだ松浦くらいしかいなかったし、そこから繰り出されるサウンドを上回るほどのメロディ・センスがあったことも、また事実である。
 クラシックの模倣か、シーケンス・リズム主体の無味乾燥なサウンドにまみれた、実質プリセット音に頼りきりの「名ばかりシンセ・プレイヤー」の中で、松浦の才能は一歩も二歩も抜きん出ていた。

 初顔合わせということもあって、プレイテックス時代はチャカに歩み寄ったサウンド・メイキングだった松浦も、PSY・Sになってからはコンセプトも一新、主導権を完全に握っている。
 テクノポップを第一義とするため、ファンクネスなビートやグルーヴ感は一掃された。出力的には貧弱なフェアライトCMIをサウンドの軸とするため、もともとナチュラルにコンプがかったチャカのヴォーカルは、さらにピークレベルが落とされた。あくまでバックトラックが主体、ヴォーカルもまたサウンド・パーツの一部である、という考えに基づくものである。調和したアンサンブルに重きを置く理系男子の松浦の判断として、全体バランスを考慮するためには、ヴォーカルはサウンドに埋没させなければならなかった。

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 本来ならメインであるべきはずのヴォーカルをサウンドと同列化させるのだから、歌詞はプレイテックス同様、雰囲気英語でよかったはずなのだけど、歌謡曲と同じ棚に並ぶメジャー・デビューともなると、それもちょっと問題である。ソニー的にも良い顔しないだろうし、岡田徹的にもちょっとまずい。
 「取り敢えず外部発注して辻褄合わせましたよ」的な歌詞は、どことなくフラフラして曖昧な表現が多い。そりゃそうだ、言葉で訴えたいことなんてもともとないし、請け負った方だって、どんなコンセプトのユニットだか見当つかないんだから。
 大事なことはひとつ。取り敢えず、サウンドの一部としてチャカが歌っていればよい。下手な主張やストーリー性を持たせると、緻密なアンサンブルにはむしろ邪魔なので、それだったらいっそ徹底的に無意味な方がいい。

 ちょっと極論になってしまったけど、もともとサウンドで勝負するタイプだった松浦ゆえ、言葉というものをどう取り扱ってよいのかわからなかった面がある。松浦的には、チャカが歌いやすい言葉なら、歌詞なんて何でもよかったし、ずっと英語ばかり歌っていたチャカにしても、慣れない日本語の節回しについてくのが精いっぱいだったと思われる。
 その後はチャカも松浦も、言葉やストーリー性に関心を抱くようになるのだけど、それは2枚目以降の話。ここでのPSYSはまだ、実験的テクノポップ・ユニットのひとつでしかない。『Collection』での他アーティストのコラボ交流によって、2人の視野は広がることになる。

 長くなりそうなので、一旦、ここでおしまい。
 PSY・Sについて、今回はもう少し書いたので、続きはまた次回。


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1. Teenage
 アルバムと同時発売されたデビュー・シングル。デジタル臭の強いスネアが印象に残る、ていうかほぼそれを中心に構成されたナンバー。一分の狂いもないシーケンスに合わせて、どうにか無味無臭であろうとするチャカの葛藤が窺い知れる。これを人力でやろうとすると、もっとユルいパワー・ポップになってしまい、ウェットさばかり目立ってしまう。再現不可能のハイパー高速スネア連打は、中途半端な田舎の高校生の度肝を抜いたことでも有名(?)

2. From The Planet With Love
 全曲英語詞のため、プレイテックス的な感触が最も残っている、クールなテクノ・ファンク。熱くならないヴォーカルと冷静沈着なバックトラックという路線は、和製Annie Lenoxとして、結構面白い展開だったと思うのだけど。中盤のラップ・パートはその後のPSY・Sでは見られないものので、貴重なトラックでもある。



3. I・E・S・P(アイ・エスパー)
 そんなファンクネスを活かすのではなく、チャカのもうひとつの特性、チャイルディッシュな声質をマルチ・ヴォーカルによって空間的に演出、浮遊感あふれるサウンドに仕上げている。松浦のディレクションによるものなのか、ヴォーカルの響きの陰影は薄い。あくまでサウンドが主であって、感情を出すのを嫌ったのだろう。

4. Big Kitchen
 50年代アメリカのコメディドラマのリメイクと言ったら信じてしまいそうな、チープな音色のエレピとエフェクトで構成された小品。途中、ダブっぽいブリッジがあるのがちょっと新しい。

5. 景色
 ハルメンズ解散後・パール兄弟結成前のサエキケンゾウ作詞によるポップ・チューン。後に『Two Hearts』でもリメイクされているくらいなので、ファンの間でも当初から人気が高かった。松浦のメロディ・センスの良い面がうまく強調されており、チャカも比較的抑揚をつけて歌っており、抒情派テクノ・ポップとしてのひとつの完成形。

6. 星空のハートエイク
 リズム・パターンが目まぐるしく変わり、歌いずらそうな曲だけど、難なくこなしてしまうチャカのキャパの広さが印象的。シャッフル気味なスネアの音は当時先進的だったのだけど、いま聴くとちょっとうるさいな。後にリメイクしたのも納得できる。

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7. Paper Love
 これもチャカのもうひとつの側面である、スウィング・ジャズと歌謡曲とのハイブリット的なポップ・ナンバー。キーもちょっと高めなので、今のアイドルかアニソン歌手あたりがうまくリメイクしてくれれば、再評価につながりそう。

8. Desert
 オリエンタルなエフェクトや、ラクダの歩みに合わせたリズムなど、タイトル通り、砂漠を連想させるナンバー。親しみやすく異国情緒あふれるメロディが心地よい。

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9. 私は流行、あなたは世間
 唯一、本名の安則まみ名義でチャカが書き下ろした、スケール感の大きいバラード。平易な言葉をフラットなヴォーカルで、リズムはやたら凝ってるけど、歌を邪魔するほどではない。

 くり返し くり返し 重ねた言葉 
 いつまでも いつまでも 確かめてみる

 書き記すと他愛もない、メロディだってそれほど起伏もない。無愛想な曲なのにでも、こんなに愛おしく、多くのファンの心に残るのはなぜなのか。
 最後のピアノ・ソロのコーダが「Layla」っぽいとは昔から思ってたけど、そんな些末もチャラにしてしまう、得体のしれない「うたの力」が込められている。
 ある意味、これを世に出した時点で、初期PSY・Sの役目は終わっていた、と言ってもいい。それくらい強い求心力を持つ楽曲である。



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キョンキョンは趣味に走ってる時がおもしろい - 小泉今日子 『ナツメロ』

Folder 1988年リリース、キョンキョンにとって13枚目のオリジナル・アルバム。オリコンでは最高10位をマーク。…10位?それなりに話題になったし、もうちょっと売れてた印象があったのだけど、時代的にベストテンなどの音楽番組が下火になって、アイドルにとっては逆風になりつつある頃だったので、まぁ健闘した方なのか。
 キョンキョンがデビューしたのは1982年で、この年は女性アイドルが豊作だった事でよく知られている。つい先日、お騒がせとなった松本伊代や早見優、堀ちえみもそうだけど、何かにつけテレビでしょっちゅう目にする芸能人が、この時期に集中してデビューしている。
 なぜなのか?

 いろいろと要因はあるのだろうけど、多分に1980年デビュー組の松田聖子のブレイクがひとつの引き金になったんじゃないかと思われる。それまでは、ほぼ男性ファンをターゲットにしたプロモーション戦略だったのが、彼女のデビューによって、これまでほぼ未着手だった女性ファンの新規開拓の可能性が見えてきたため、方針が大きく変わっている。
 芸能プロダクションによって、ルックスからライフスタイルまで細部まで作り込まれたのが、70年代までの女性アイドル像である。趣味といえばお菓子作り、好きな色はピンク、男の子とは手も繋いだことがない、というのが理想的な設定である。ひと昔前の少女マンガの設定と共通点は多い。どっちが先なんだか。
 そういったガチガチのフォーマットでプロテクトされている麻丘めぐみや南沙織や天地真理がどれだけ売れたとしても、基本、疑似恋愛の対象である男性層が反応するだけで、女性層が食指を伸ばすはずもなかった。いつの時代も男は理想を夢見がちだし、女はそんな仕掛けをすぐに見抜いて鼻にもかけない。
 で、70年代までの女性アイドルとは、絶世の美少女がなれるものだった。近所のミスコンレベルのお姉さんくらいでは、とても歯が立たない。あまりに世間と隔絶された存在であったため、同性とはいえ憧れの対象にすらならなかったのだ。

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 70年代の地続きでデビューした松田聖子もまた、美少女レベルは高かった。少なくとも、いまの坂道系やらその大勢の有象無象らを軽く蹴散らすほどのポテンシャルを有している。いまと違って、思い立ったらすぐ次の日にステージに上がれる時代じゃなかったのだ。
 なかったのだけれど、彼女の場合、「聖子ちゃんカット」というマネしやすい記号を発明したことによって、その後のアイドル戦略に大きなターニング・ポイントを残すことになる。
 松田聖子に比肩するルックスを後天的に獲得するには、そりゃもう多大な時間と費用が必要だしそもそもの初期スペックが必要になるけど、「聖子ちゃんカット」なら簡単にマネできる。
 「もしかして、あたしでもアイドルになれるんじゃない?」
 雲の上なら最初から諦めてしまいがちだけど、手を伸ばせば届くのなら、ちょっとは努力する気にもなる。実際は乗り越えるべき壁は恐ろしく高く、トップ・クラスに這い上がれる確率は変わらないのだけど、それでも以前よりはずっと身近な存在となった。そんな女性アイドル戦略の転換点となったのが、松田聖子であり、「聖子ちゃんカット」の登場である。
 誰でも「そこそこ」のレベル・アップが期待できる「聖子ちゃんカット」は多くの女性によってコピーされ、街には多くの聖子ちゃんモドキが出現した。その成功体験の共有として、芸能界においても松田聖子コピーのようなアイドルが量産されるようになる。同時進行で、松田聖子に憧れるティーンエイジャーが手っ取り早くレベル上げするため、「聖子ちゃんカット」にしてもらうために雑誌片手に美容院へ走る。
 そんな多方面の思惑が世に出てきたのが、1982年という時代である。ふぅ。

 当初はこの後、1982年のアイドル戦国図を途中まで書いたのだけど、なんかダラダラ取り止めがなくなってしまったので、一旦ボツにして書き直しした。また次回にでも使おうかな。

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 で、キョンキョンもまた、デビュー当初は松田聖子メソッドの影響下にあった。朝ドラ「あまちゃん」を見てた人ならわかるだろうけど、若き日ののんママは、デビュー時のキョンキョンと虚実ないまぜでシンクロしており、ほんとあんな「聖子ちゃんカット」でアイドルスマイルをキメ、ヒラヒラドレスとピンヒールで歌番組に出演していたのだ。
 1982年デビュー組は、所属事務所のコントロールに縛られない、自己プロデュース能力に長けた人材を多数輩出していることは、歴史が証明している。ただ、事務所の力関係や周辺スタッフの方針によって、売り出しの方針やプッシュのされ方も様々だった。
 デビュー曲ひとつとっても、例えば中森明菜は来生えつこ・来生たかお書き下ろしによる「スローモーション」、伊藤つかさは南こうせつが「少女人形」を提供している。そこまでビッグネームじゃなくても、大方のアイドルがデビュー曲においては、筒美京平や小田裕一郎や馬飼野康二など、歌謡曲御用達作家による書き下ろし楽曲を与えられている。やはりスタートダッシュは大事だし、事務所的にもそれなりに力を入れるはずなのだ。はずなのだけれど。

 キョンキョンの記念すべきデビュー曲「私の16歳」は、1979年リリース森まどかのカバーである。多分、オリジナルは、よほどのマニアじゃないと知らないはず。俺も知らない。で、2枚目の「素敵なラブリーボーイ」、これもカバー。これは知ってる人も多いかな、以前は黒澤一族にいた林寛子1975年のシングル。往年のコアなファン向けのスナックを経営してるって、以前「バイキング」で見たな。まぁそれは余談。
 どちらのオリジナルも、リリース当時は22位・31位とショボい成績に終わっており、なんでわざわざそんな中途半端に売れなかった楽曲しかなかったのか、どうにも疑問が残る。正直、「隠れた名曲」と言えるほどのクオリティでもないし、取り敢えず権利関係がスムーズな楽曲を適当に振り当てた感が強い。
 すごくポジティヴに捉えれば、楽曲的には正統派70年代アイドルの要点は押さえられており、オーソドックスな10代の女の子が歌うには適している。音域もそれほど広いものでもないので、歌唱力が至らなくてもそれなりに歌いこなせるメロディ・ラインではある。でもね。
 音楽活動にはあまり重きを置いていなかったはずの三田寛子でさえ、デビュー曲「駈けてきた処女」はなんと井上陽水制作である。こういった事実関係から察するに、事務所サイドとしてはキョンキョンに力を入れていなかった、または販促方針が迷走していた感が浮かび上がってくる。

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 歌手にとって、自分の持ち歌は大事なものであり、特にデビュー曲に抱く思いは特別である。いわゆる自己紹介的な役割も果たすため、一生使う名刺と形容しても差し支えない。その点、伊代ちゃんはうまい戦略だったよな。あれだとネタ的に一生使えるもの。
 キョンキョンの場合、事務所サイドが女性アイドルの営業ノウハウが不足していたせいもあって、取り敢えずデビューした、という形になってしまったのは不幸だった。その後、3曲目からはようやくオリジナル楽曲を与えられるようになったけど、どうにも70年代的な古くさい「可愛子ちゃんアイドル」の枠を抜け出せずにいた。要するにイモ臭かったのだ。
 旧態依然としたアイドル像にはめ込もうとする事務所と、そんな枠組みにどうもしっくり来なくてふて腐れながら芸能仕事に勤しむ厚木の元ヤン。70年代的「みんなのマスコット」像を求められても演じ切ることができず、フラストレーションは溜まってゆく。ブッキングされるのは主にバラエティ、「ヤンヤン歌うスタジオ」や「パリンコ学園」での賑やかし要員か、それともその他大勢的な壁の花。
 「これだったら、あたしじゃなくってもいいんじゃね?」
 そう思っちゃってもしょうがない。

 そう言った現状を打破するため、キョンキョンは事務所にも無断で、これまでイヤイヤやっていた「聖子ちゃんカット」をバッサリ切ってしまった。
 今となっては「髪を切る」という行為はずいぶんカジュアルになったけど、この頃までの女性が長い髪を切るというのは、結構な覚悟が必要だった。髪を切ることで、過去やしがらみとの決別を図る、独立した人格として独り立ちするため、「髪を切る」というのはシリアスなものだった。
 松田聖子メソッドからの決別、そして旧態依然のコンセプトしか提示できない事務所方針をリセットし、その後の彼女は自己プロデュースによる独自路線を歩むようになる。
 松田聖子のようにソニーや松本隆が綿密にディレクションしてくれるわけでなければ、明菜のように天性の歌唱力を持っているわけでもない。特別な能力は何もない。だけど「これはイケてる」「これはダサい」という美学はしっかり備えていた。それだけで十分だ。
 「小泉今日子」というプロデューサー視点でもって、自らを素材としてアイドル「キョンキョン」を創り上げてゆくプロセスの提示。なにも全部を全部、自分でやらなくたっていい。あたしはただの言いだしっぺ。実際の作業は、得意な人にやってもらえればいい。でもね、誰でもいいわけじゃないよ。いくらスキルがすごくたって、ダメな人はダメ。あたしと遊べるかどうか、あたしのビジョンを面白がってくれるかどうか。それが大事だから。単なるお仕事だと、楽しくないじゃん―。
 その後のサブカル人脈を巻き込んだ快進撃は、ご存知の通り。

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 で、『ナツメロ』。ここにきて、全曲カバーである。しかも近々の80年代の楽曲はセレクトされず、ほぼ70年代の歌謡曲ばかり。誰でも知ってる大ヒット曲もあれば、同世代でなければちょっとわかりづらい楽曲まで、幅広く選曲されている。要するに、完全にキョンキョンの好みである。
 1988年と言えば、前年までオリコン・チャートを席巻したおニャン子クラブが解散し、女性アイドル市場が急速に収縮した頃である。今のAKBや坂道系の先駆けと言える、ほぼ持ち回りでチャート1位を獲得することによって、歌謡曲のマーケットは完膚なきまで終止符を打たれた。当然、82年組を含めたソロ・アイドルは息の根を止められ、シングル・リリースさえままならない状況に追いやられていた。3か月に一度は新曲リリースのローテーションが組まれていた彼女らも、この時期は年に1枚出せるか出せないか。歌手活動をやめてしまった者も少なくなかった。
 そんな中でキョンキョンは別格的にシングル・リリースを続けており、並行して女優業やCM出演など、多方面に及ぶ活動を続けていた。おニャン子旋風の頃になると、むしろ旬のクリエイターが彼女とのコラボを求めるようになり、よって80年代歌謡史を代表する楽曲が続々誕生している。たかみー作「木枯らしに抱かれて」を始めとして、筒美京平円熟期の傑作「魔女」や「水のルージュ」、大瀧詠一も「快盗ルビイ」を提供しているし。

 押しつけのカバーではない。すべてキョンキョンが、そして盟友である野村のヨッちゃんと頭を突き合わせて選曲し、そのヨッちゃん率いる「最強アマチュアバンド」三喜屋・野村モーター'S BANDと共にアレンジして創り上げた。ヨッちゃんとはデビューもほぼ一緒の同世代、バンド・メンバーもまた、大体似たような年齢層である。大体似た空気を吸って、大体同じような音楽を聴き、大体同じテレビ番組を見て育ってきた。そんな彼らが寄ってたかって「あ・うん」の呼吸でトラックを組み立てた。悪くなるはずがない。
 バブル時代ゆえ大盤振る舞いが当たり前だったレコード会社の金をふんだんに使い、豪華なスタジオを長期間押さえ、半分遊び感覚でも本気でもってあれこれアンサンブルを練り、「せっかくだから」とデーモン小暮などのゲストというか友達もどんどん呼び入れ、出来上がっちゃったのが、このアルバムである。

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 高校の放課後、軽音楽部の部室の隅っこで、別にプロになるつもりもないけど、何となく寄り集まって、くっだらねぇバカ話で盛り上がってる先輩たち。あんまり演奏する姿を見たことはないけど、ごくたまに見せる本気度MAXの演奏は、バカテクでエモーショナルで、それでいてめちゃめちゃ楽しそうで。
 本気で目指せばプロにもなれそうなのに、そういった必死さを見せることはない。
 大事なのは演奏することじゃない。たまたまみんなの共通言語が音楽だったからで、ほんとはダラダラ楽器をいじりながら、ダベってるだけで幸せなんだ。
 そんな情景を思い浮かべてしまうアルバムである。

ナツメロ
ナツメロ
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小泉今日子
ビクターエンタテインメント (1988-12-17)
売り上げランキング: 30,867



1. 学園天国
 1974年リリース、沖縄出身の兄弟姉妹ヴォーカル・グループ、フィンガー5の5枚目のシングル。オリコン最高2位でありながら、累計売上枚数はなんとミリオン超え。阿久悠による甘酸っぱいティーンポップな歌詞世界は、スクールカーストとは無縁のコミュニティを形成している。番長も秀才も、あの娘の前ではみんな純情だ。作曲の井上忠夫とは、自らも歌手としてガンダム映画版の主題歌「哀・戦士」をヒットさせた、あの井上大輔。「め組の人」もそうだったけど、こういったシンコペーションを多用した曲を作るのが、めちゃめちゃうまい。
 キョンキョン・ヴァージョンはもともとシングル・カットの予定はなかったのだけど、のちの主演ドラマ『愛しあってるかい!』の主題歌に採用されることになって、オリコン最高3位のヒットを記録した。



2. S・O・S
 1976年リリース、ピンク・レディー2枚目のシングル。オリコン最高1位、65万枚の大ヒットとなった。基本、リズム・アレンジなどはオリジナルと一緒なのだけど、分厚いシンセを噛ませることによってサウンドに奥行きが生まれ、JourneyやVan Halenのようなアメリカン・ハードのテイストが加えられた。キョンキョンのヴォーカルも比較的ナチュラルな発声で、抑えるようなウィスパー・ヴォイスが楽曲を洗練させている。原曲はもっとバタくさかったよな。

3. お出かけコンセプト
 1980年リリース、近田春夫プロデュースによるテクノポップバンド、ジューシィ・フルーツのデビュー曲「ジェニーはご機嫌斜め」のB面曲。ニューウェイヴ~テクノ・ポップの楽曲の中では一般的な認知度も高く、オリコン最高5位。こちらも2.同様、大味なアメリカン・メロディック・ハード風味の味付け。まぁこの辺はヨッちゃんの好みだし。

4. 赤頭巾ちゃん御用心
 1978年リリース、のちに発展的解消を経てラウドネスに衣替えするアイドル・バンド、レイジー3枚目のシングル。オリコンでは最高32位だけど、ロング・ヒットしたようで最終的には20万枚以上の売り上げとなった。本来なら記念すべき初ヒット、と言いたいところだけど、現在のメンバーにとっては黒歴史的な扱いとなっており、オリジナル・ラインナップでの再演がかなうことはしばらくなさそう。
 テープ逆回転コーラスから始まるサイケデリックなオープニング以外は、至ってオーソドックスなプレイのヨッちゃんバンド。そりゃそうだ、主役はキョンキョン、彼女が可愛く目立つことが重要なのだ。

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5. レディ・セブンティーン
 1973年リリース、矢沢永吉が在籍していたロックンロール・バンド、キャロル3枚目のシングル。この機会に初めてオリジナル聴いてみたけど、ヴォーカル、ジョニー大倉だったんだな。甘い声質がオールディーズ調のマイナー・コードにフィットしている。
 キョンキョンのヴァージョンもオールディーズ的なリズムとコーラスを基本としているけど、その上にキラキラしたシンセや重いギター・リフを乗せたりしている。楽曲のボトムがしっかりしてるから、どんなエフェクト入れても揺るがないんだな。
 世代的に言って、キョンキョンはキャロルのひとつ下に当たるため、リアルタイムでは聴いていないはずなのだけど、まぁヨッちゃんが持ってきたのか、それとも地元の先輩あたりが聴いてたのかも。この辺はヤンキーのコネクションだよな。

6. 尻取りRock'Roll
 1980年リリース、ある意味、伝説のバンド横浜銀蠅のデビュー・アルバム『ぶっちぎり』収録曲。まぁくっだらねぇ曲なので、深く考えることはない。オリジナルももっとくっだらねぇし。いわゆるステレオタイプの「不良」を演じながら、敢えてハズすようなコミック・ソング路線も併せ持っていたことが彼らの魅力であり、ずいぶん長い間、大衆性を保持していた証でもある。ピーク時の人気は凄まじく、宮内庁主催の園遊会にも招かれて、あのコスチュームのまんまで昭和天皇と言葉を交わしたくらい、といえば、今の人にもわかってもらえると思う。
 キョンキョン・ヴァージョンもまぁオリジナルもなんもないけど、くっだらねぇ歌を全力で歌っているところは可愛らしくもある。最後は自分で笑っちゃってるけどね。
 ここでキョンキョンがカバーしたのも驚いたけど、もっと驚いたのはその20年後、安田成美がトヨタ・シエンタのCMでカバーするだなんて,一体誰が想像しただろうか。

7. 恋はベンチシート
 1980年リリースまたまたジューシィ・フルーツ、2枚目のシングル「なみだ涙のカフェテラス」のB面収録曲。またディープなところ狙ってきたな。ちなみに作曲の柴矢俊彦は、あの大ヒット曲「おさかな天国」を書いた人。時代が巡ると、ここまで変わっちゃうものか。
 オリジナルはもっとガレージっぽいラフな演奏で、曲中のセリフもセクシーにこなしてたけど、もともと楽曲的にはオールディーズを下敷きにしているので、キョンキョンは敢えてアイドルっぽくファニーなテイストに仕上げている。コンセプト的には、ここまで開き直っちゃった方が曲が映えている。最後のデーモン小暮との掛け合いはご愛嬌。

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8. やさしい悪魔
 その掛け合いに続いてシームレスで始まるメロディック・ハード・メタル。オリジナルはキャンディーズ、1977年リリース13枚目のシングル。当時の勢いからして、オリコン4位はむしろ低すぎるように思えるけど、ちょうどこの頃からピンク・レディーが台頭してきたんだよな。この頃のキャンディーズは「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」やドリフ番組でのコメディエンヌ的な役割が多かった覚えがある。
 キョンキョン・ヴァージョンもいいのだけど、オリジナルのアレンジがモダン・ソウル・テイストなので、あまり知らない人には聴いてほしい逸品。レアグル―ヴや70年代メロウソウルが好きな人ならハマるはず。

9. Soppo
 1979年リリース、今じゃほぼ俳優業がメインの世良公則が在籍していたロック・バンド、ツイスト6枚目のシングル。人気のピークが過ぎた後期のシングルとはいえ、どうにかオリコン6位に滑り込みしている。この頃は、初期の歌謡ロックっぽさが薄れてバタ臭い本格的なロック・バンドへと移行している時期にあたる。
 やっぱヨッちゃんはメロディック・ハードが好きなんだな。原曲はホンキートンク・ブルースなのだけど、彼にかかればどんな曲も、ギターがメインの大味なサウンドに様変わりしてしまう。ヨッちゃんはギターが好きなんだから、それでいいのか。キョンキョンも決して上手いシンガーではないけど、世良さんとはまったく別のアプローチで歌いこなしている。

10. 夢みる16才
 1981年リリース、シャネルズ(現ラッツ&スター)2枚目のアルバム『Heart & Soul』収録曲。これまたいい選曲だな。オリジナルは珍しく桑マンがリードを取るオールディーズ風ドゥーワップなのだけど、そのポップなテイストを残しつつ、7.同様キュートな女の子になりきって、時には無邪気に時には切なく歌声を使い分けている。

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11. バンプ天国
 またまたフィンガー5、1975年リリース11枚目のシングル。彼らの全盛期は前年でピークを迎え、この頃は緩やかな衰退へ向かっている。俺はリアルタイムでは知らないので、その辺は詳しくないけど。
 ジャジーなスキャットに続くグラウンド・ビートが弾けるオープニングは、オリジナルの意図をうまく掬い取って、しかも当時のトレンドもきちんと押さえている。

12. アクビ娘
 ご存じTVアニメ「ハクション大魔王」のエンディング・テーマ。ハード・ロックとドゥーワップのハイブリット・サウンドをバックに、一番楽しそうに歌うキョンキョン。70年代テレビアニメのテーマ曲の中でも3本の指に入る大名曲。逆に、これを陰鬱に歌う方が無理というもの。「キューティーハニー」同様、「女の子がカラオケで歌うと盛り上がると同時に、自身の思わぬ「女の子」成分に気づいてしまいドキッとしてしまう」曲のひとつ。



13. みかん色の恋
 ラストは1974年リリース、「笑点」の座布団運び山田隆夫が在籍していた歌謡ロック・バンド、ずうとるび3枚目のシングル。チャート記録は見つからなかったけど、記録よりも「記憶」に残る名曲として、ナツメロ番組での彼らが紹介される際には、大抵この曲が使用されている。
 オリジナルはストリングスを多用した、さわやかなフォーク・ロックといった風情だけど、ここではもっとリズムを効かせた軽快なロック・チューンとして解釈している。




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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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