好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Pop : Japan

私は流行、あなたは世間 - PSY・S 『Different View』

folder 3年ほど前、松浦雅也のサウンドクラウドにて、PSY・Sの前身ユニット「プレイテックス」のデモ音源が公開され、往年のファンの間ではちょっと話題になった。今はもう公開終了してしまったけど、YouTube で検索すれば、一部はまだ聴くことができる。
 それまでヴォーカルの入った音楽をほとんど手がけていなかった松浦が、何やかやの成り行きでチャカと出会ってユニット結成、当然、発売を前提とした音源ではないので、音質的にはブート並み、決して聴きやすいレベルではないのだけど、容易に手を抜けない松浦の気質が昔からだったことは窺い知れる。

 FM大阪の番組企画をきっかけとして、即席ユニット「プレイテックス」は結成された。いわゆる企画モノである。当時、チャカはジャズ・ファンク・バンド「アフリカ」のヴォーカルとして、松浦もソロで各方面に渡るスタジオワークを請け負っていた頃であり、いわば余技で始めたものである。お互い、付き合いやらしがらみやらで、断りづらかったんだろうな。
 主にライブシーンを主体に活動していたチャカと、理系シンセおたくの松浦では、接点より相違点の方が多そうで、よくこんなコラボ思いついたよな、と当時の担当ディレクターの慧眼ぶりを讃えてしまいそうだけど、いや違うよな、たまたま思いついてくっつけただけだろうな、きっと。
 まぁ男女関係の秘訣として、「好きなモノより、嫌いなモノの共通項が多い方が長く続く」っていうものだし、案外相性は良かったのかもしれない。ユニット結成から解消に至るまで、プライベートでの接点はほとんどなかった2人だったけど、スタジオの中では「これはイヤ」「あれはダサい」という点で一致することが多かったのだろう。

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 整然としたシーケンスとエフェクトをベースに、ピークレベルぎりぎりまでボリュームを上げたドラムは、クレバーなリズムを刻む。坂本龍一「サウンド・ストリート」のデモテープ特集の応募作品的なサウンドと言えば通じるだろうか。わかんねぇか。
 チャカのヴォーカルはあまり変化はないけれど、それでもアップテンポのナンバーではライブ仕様のファンクネスが顔を出し、サウンドとの解離が時に見られる。それを抑制しようと極端に無表情な声色になったり。
 どちらも相手に合わせようとして、それでいながらミュージシャン・エゴの痕跡は残そうとしている。要するにビシッと噛み合うことが少ないのだ。
 発表から30年以上経ってから聴いてみると、これはこれで悪くない。Soul II Soulのグラウンド・ビート的な楽曲もあるし、ドラムサウンドさえアップデートすれば今でもチープ・テクノとして通用しそうだけど、早すぎたサウンド・コンセプトである。あの時代のミュージック・シーン、80年代ソニーのラインナップからすれば、この音はかなり浮いている。CBSじゃ受け入れてくれないよな。
 もしかして、エピックなら受け入れてくれたかもしれないけど。

 ライブの現場で鍛えられたチャカのアクティヴなヴォーカライズと、バックトラックの大半をシンセで賄うメソッドというのは、何も松浦が発明したわけではなく、YazooやEurythmicsなど、UKポップデュオでは広く用いられた方法論である。ほぼシンセ1台あればサウンド的に成立してしまうので、小回りが利く最小限のユニットとして、作業効率も良ければコスパも良い。バンド的なカタルシスさえ求めなければ、良いことづくめではある。
 ただ、ダンサブルな要素を後退させたヘッド・ミュージック的なテクノポップは、ダンスフロアとの親和性も薄ければ、当時の日本において最もポピュラーだった歌謡曲~ニューミュージックともリンクしづらい。あまりにドライでシステマティックなプレイテックスのコンセプトは、日本では馴染みにくいものだった。

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 90年代に入ってからのFavorites BlueやJungle Smileに見受けられるように、日本における男女2人ユニットとは、「線の細いシンセおたくのトラックメイカーと、歌はまぁそこそこだけどジャケット映えするモデル上がりの女性シンガー」というのがセオリーとなっている。
 松浦はそのセオリー通りとしても、やたら歌はうまいけどセクシャリティのかけらもない、見た目も声質も中性的なヴォーカルのチャカは、どう見たって合致しない。後年になってから、同じ属性を持つEGO-WRAPPIN'のようなユニットも出てきたけど、前者2組も含めて大ブレイクしたとはとても言いづらい。やっぱル・クプルのように、男女間のLove>Like的なムードを醸し出さないと、日本ではブレイクしづらいのだろうか。

 単発企画で終わったはずのプレイテックスは、思わぬ好評からインディーズでアルバム発売、これまた業界内では好評につき、あれよあれよとメジャー・デビューが決定してしまう。それでも2人とも、この時点では松浦もチャカもPSY・Sは単発モノ、メインの音楽活動あってのサイド・プロジェクトという心持ちだった。サウンドの性質上、永続的なユニットとしては見ていなかったようである。
 当時から、バックトラックやアレンジを取り仕切るのは主に松浦で、チャカは歌入れのみ、と役割分担ははっきりしていた。後期になってからは、チャカの意向も反映されるようになってきたけど、解散するまで基本的な位置関係は変わらなかった。
 適材適所の役割分担がしっかりできていたこと、そしてチャカがあまりアーティスト・エゴを強く主張しなかったことが、ユニットが10年続いた要因であり、また後期のパワーバランスの乱れこそが、巡り巡ってのユニット解消に至る。

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 で、『Different View』。デビューするにあたって、当時、新人プロデュースで定評があったムーンライダーズ岡田徹を招聘、若干の軌道修正を図ることになる。
 購買ターゲットを明快にするため、ある意味付け焼き刃だったファンク・ビートを大幅に薄め、松浦の特性であるメロディ・タイプの楽曲を主体としたテクノポップを、全体のトーンとした。ただ、これだけじゃインパクトに欠けるので、日本での個人所有はまだ少なかった「フェアライトCMIを操る天才クリエイター」を謳い文句として、プロモーションの柱とした。
 サンプリング・レートが8ビット、最大周波数が30.2kHzと、今から見ればファミコン程度のマシンをひとつの売りとしていたのだから、まぁ何と牧歌的な時代だったのやら。
 ただ、そんな低スペック・マシンをポップ・ミュージックのフィールドで展開していたのは、日本ではまだ松浦くらいしかいなかったし、そこから繰り出されるサウンドを上回るほどのメロディ・センスがあったことも、また事実である。
 クラシックの模倣か、シーケンス・リズム主体の無味乾燥なサウンドにまみれた、実質プリセット音に頼りきりの「名ばかりシンセ・プレイヤー」の中で、松浦の才能は一歩も二歩も抜きん出ていた。

 初顔合わせということもあって、プレイテックス時代はチャカに歩み寄ったサウンド・メイキングだった松浦も、PSY・Sになってからはコンセプトも一新、主導権を完全に握っている。
 テクノポップを第一義とするため、ファンクネスなビートやグルーヴ感は一掃された。出力的には貧弱なフェアライトCMIをサウンドの軸とするため、もともとナチュラルにコンプがかったチャカのヴォーカルは、さらにピークレベルが落とされた。あくまでバックトラックが主体、ヴォーカルもまたサウンド・パーツの一部である、という考えに基づくものである。調和したアンサンブルに重きを置く理系男子の松浦の判断として、全体バランスを考慮するためには、ヴォーカルはサウンドに埋没させなければならなかった。

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 本来ならメインであるべきはずのヴォーカルをサウンドと同列化させるのだから、歌詞はプレイテックス同様、雰囲気英語でよかったはずなのだけど、歌謡曲と同じ棚に並ぶメジャー・デビューともなると、それもちょっと問題である。ソニー的にも良い顔しないだろうし、岡田徹的にもちょっとまずい。
 「取り敢えず外部発注して辻褄合わせましたよ」的な歌詞は、どことなくフラフラして曖昧な表現が多い。そりゃそうだ、言葉で訴えたいことなんてもともとないし、請け負った方だって、どんなコンセプトのユニットだか見当つかないんだから。
 大事なことはひとつ。取り敢えず、サウンドの一部としてチャカが歌っていればよい。下手な主張やストーリー性を持たせると、緻密なアンサンブルにはむしろ邪魔なので、それだったらいっそ徹底的に無意味な方がいい。

 ちょっと極論になってしまったけど、もともとサウンドで勝負するタイプだった松浦ゆえ、言葉というものをどう取り扱ってよいのかわからなかった面がある。松浦的には、チャカが歌いやすい言葉なら、歌詞なんて何でもよかったし、ずっと英語ばかり歌っていたチャカにしても、慣れない日本語の節回しについてくのが精いっぱいだったと思われる。
 その後はチャカも松浦も、言葉やストーリー性に関心を抱くようになるのだけど、それは2枚目以降の話。ここでのPSYSはまだ、実験的テクノポップ・ユニットのひとつでしかない。『Collection』での他アーティストのコラボ交流によって、2人の視野は広がることになる。

 長くなりそうなので、一旦、ここでおしまい。
 PSY・Sについて、今回はもう少し書いたので、続きはまた次回。


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PSY・S
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1. Teenage
 アルバムと同時発売されたデビュー・シングル。デジタル臭の強いスネアが印象に残る、ていうかほぼそれを中心に構成されたナンバー。一分の狂いもないシーケンスに合わせて、どうにか無味無臭であろうとするチャカの葛藤が窺い知れる。これを人力でやろうとすると、もっとユルいパワー・ポップになってしまい、ウェットさばかり目立ってしまう。再現不可能のハイパー高速スネア連打は、中途半端な田舎の高校生の度肝を抜いたことでも有名(?)

2. From The Planet With Love
 全曲英語詞のため、プレイテックス的な感触が最も残っている、クールなテクノ・ファンク。熱くならないヴォーカルと冷静沈着なバックトラックという路線は、和製Annie Lenoxとして、結構面白い展開だったと思うのだけど。中盤のラップ・パートはその後のPSY・Sでは見られないものので、貴重なトラックでもある。



3. I・E・S・P(アイ・エスパー)
 そんなファンクネスを活かすのではなく、チャカのもうひとつの特性、チャイルディッシュな声質をマルチ・ヴォーカルによって空間的に演出、浮遊感あふれるサウンドに仕上げている。松浦のディレクションによるものなのか、ヴォーカルの響きの陰影は薄い。あくまでサウンドが主であって、感情を出すのを嫌ったのだろう。

4. Big Kitchen
 50年代アメリカのコメディドラマのリメイクと言ったら信じてしまいそうな、チープな音色のエレピとエフェクトで構成された小品。途中、ダブっぽいブリッジがあるのがちょっと新しい。

5. 景色
 ハルメンズ解散後・パール兄弟結成前のサエキケンゾウ作詞によるポップ・チューン。後に『Two Hearts』でもリメイクされているくらいなので、ファンの間でも当初から人気が高かった。松浦のメロディ・センスの良い面がうまく強調されており、チャカも比較的抑揚をつけて歌っており、抒情派テクノ・ポップとしてのひとつの完成形。

6. 星空のハートエイク
 リズム・パターンが目まぐるしく変わり、歌いずらそうな曲だけど、難なくこなしてしまうチャカのキャパの広さが印象的。シャッフル気味なスネアの音は当時先進的だったのだけど、いま聴くとちょっとうるさいな。後にリメイクしたのも納得できる。

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7. Paper Love
 これもチャカのもうひとつの側面である、スウィング・ジャズと歌謡曲とのハイブリット的なポップ・ナンバー。キーもちょっと高めなので、今のアイドルかアニソン歌手あたりがうまくリメイクしてくれれば、再評価につながりそう。

8. Desert
 オリエンタルなエフェクトや、ラクダの歩みに合わせたリズムなど、タイトル通り、砂漠を連想させるナンバー。親しみやすく異国情緒あふれるメロディが心地よい。

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9. 私は流行、あなたは世間
 唯一、本名の安則まみ名義でチャカが書き下ろした、スケール感の大きいバラード。平易な言葉をフラットなヴォーカルで、リズムはやたら凝ってるけど、歌を邪魔するほどではない。

 くり返し くり返し 重ねた言葉 
 いつまでも いつまでも 確かめてみる

 書き記すと他愛もない、メロディだってそれほど起伏もない。無愛想な曲なのにでも、こんなに愛おしく、多くのファンの心に残るのはなぜなのか。
 最後のピアノ・ソロのコーダが「Layla」っぽいとは昔から思ってたけど、そんな些末もチャラにしてしまう、得体のしれない「うたの力」が込められている。
 ある意味、これを世に出した時点で、初期PSY・Sの役目は終わっていた、と言ってもいい。それくらい強い求心力を持つ楽曲である。



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キョンキョンは趣味に走ってる時がおもしろい - 小泉今日子 『ナツメロ』

Folder 1988年リリース、キョンキョンにとって13枚目のオリジナル・アルバム。オリコンでは最高10位をマーク。…10位?それなりに話題になったし、もうちょっと売れてた印象があったのだけど、時代的にベストテンなどの音楽番組が下火になって、アイドルにとっては逆風になりつつある頃だったので、まぁ健闘した方なのか。
 キョンキョンがデビューしたのは1982年で、この年は女性アイドルが豊作だった事でよく知られている。つい先日、お騒がせとなった松本伊代や早見優、堀ちえみもそうだけど、何かにつけテレビでしょっちゅう目にする芸能人が、この時期に集中してデビューしている。
 なぜなのか?

 いろいろと要因はあるのだろうけど、多分に1980年デビュー組の松田聖子のブレイクがひとつの引き金になったんじゃないかと思われる。それまでは、ほぼ男性ファンをターゲットにしたプロモーション戦略だったのが、彼女のデビューによって、これまでほぼ未着手だった女性ファンの新規開拓の可能性が見えてきたため、方針が大きく変わっている。
 芸能プロダクションによって、ルックスからライフスタイルまで細部まで作り込まれたのが、70年代までの女性アイドル像である。趣味といえばお菓子作り、好きな色はピンク、男の子とは手も繋いだことがない、というのが理想的な設定である。ひと昔前の少女マンガの設定と共通点は多い。どっちが先なんだか。
 そういったガチガチのフォーマットでプロテクトされている麻丘めぐみや南沙織や天地真理がどれだけ売れたとしても、基本、疑似恋愛の対象である男性層が反応するだけで、女性層が食指を伸ばすはずもなかった。いつの時代も男は理想を夢見がちだし、女はそんな仕掛けをすぐに見抜いて鼻にもかけない。
 で、70年代までの女性アイドルとは、絶世の美少女がなれるものだった。近所のミスコンレベルのお姉さんくらいでは、とても歯が立たない。あまりに世間と隔絶された存在であったため、同性とはいえ憧れの対象にすらならなかったのだ。

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 70年代の地続きでデビューした松田聖子もまた、美少女レベルは高かった。少なくとも、いまの坂道系やらその大勢の有象無象らを軽く蹴散らすほどのポテンシャルを有している。いまと違って、思い立ったらすぐ次の日にステージに上がれる時代じゃなかったのだ。
 なかったのだけれど、彼女の場合、「聖子ちゃんカット」というマネしやすい記号を発明したことによって、その後のアイドル戦略に大きなターニング・ポイントを残すことになる。
 松田聖子に比肩するルックスを後天的に獲得するには、そりゃもう多大な時間と費用が必要だしそもそもの初期スペックが必要になるけど、「聖子ちゃんカット」なら簡単にマネできる。
 「もしかして、あたしでもアイドルになれるんじゃない?」
 雲の上なら最初から諦めてしまいがちだけど、手を伸ばせば届くのなら、ちょっとは努力する気にもなる。実際は乗り越えるべき壁は恐ろしく高く、トップ・クラスに這い上がれる確率は変わらないのだけど、それでも以前よりはずっと身近な存在となった。そんな女性アイドル戦略の転換点となったのが、松田聖子であり、「聖子ちゃんカット」の登場である。
 誰でも「そこそこ」のレベル・アップが期待できる「聖子ちゃんカット」は多くの女性によってコピーされ、街には多くの聖子ちゃんモドキが出現した。その成功体験の共有として、芸能界においても松田聖子コピーのようなアイドルが量産されるようになる。同時進行で、松田聖子に憧れるティーンエイジャーが手っ取り早くレベル上げするため、「聖子ちゃんカット」にしてもらうために雑誌片手に美容院へ走る。
 そんな多方面の思惑が世に出てきたのが、1982年という時代である。ふぅ。

 当初はこの後、1982年のアイドル戦国図を途中まで書いたのだけど、なんかダラダラ取り止めがなくなってしまったので、一旦ボツにして書き直しした。また次回にでも使おうかな。

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 で、キョンキョンもまた、デビュー当初は松田聖子メソッドの影響下にあった。朝ドラ「あまちゃん」を見てた人ならわかるだろうけど、若き日ののんママは、デビュー時のキョンキョンと虚実ないまぜでシンクロしており、ほんとあんな「聖子ちゃんカット」でアイドルスマイルをキメ、ヒラヒラドレスとピンヒールで歌番組に出演していたのだ。
 1982年デビュー組は、所属事務所のコントロールに縛られない、自己プロデュース能力に長けた人材を多数輩出していることは、歴史が証明している。ただ、事務所の力関係や周辺スタッフの方針によって、売り出しの方針やプッシュのされ方も様々だった。
 デビュー曲ひとつとっても、例えば中森明菜は来生えつこ・来生たかお書き下ろしによる「スローモーション」、伊藤つかさは南こうせつが「少女人形」を提供している。そこまでビッグネームじゃなくても、大方のアイドルがデビュー曲においては、筒美京平や小田裕一郎や馬飼野康二など、歌謡曲御用達作家による書き下ろし楽曲を与えられている。やはりスタートダッシュは大事だし、事務所的にもそれなりに力を入れるはずなのだ。はずなのだけれど。

 キョンキョンの記念すべきデビュー曲「私の16歳」は、1979年リリース森まどかのカバーである。多分、オリジナルは、よほどのマニアじゃないと知らないはず。俺も知らない。で、2枚目の「素敵なラブリーボーイ」、これもカバー。これは知ってる人も多いかな、以前は黒澤一族にいた林寛子1975年のシングル。往年のコアなファン向けのスナックを経営してるって、以前「バイキング」で見たな。まぁそれは余談。
 どちらのオリジナルも、リリース当時は22位・31位とショボい成績に終わっており、なんでわざわざそんな中途半端に売れなかった楽曲しかなかったのか、どうにも疑問が残る。正直、「隠れた名曲」と言えるほどのクオリティでもないし、取り敢えず権利関係がスムーズな楽曲を適当に振り当てた感が強い。
 すごくポジティヴに捉えれば、楽曲的には正統派70年代アイドルの要点は押さえられており、オーソドックスな10代の女の子が歌うには適している。音域もそれほど広いものでもないので、歌唱力が至らなくてもそれなりに歌いこなせるメロディ・ラインではある。でもね。
 音楽活動にはあまり重きを置いていなかったはずの三田寛子でさえ、デビュー曲「駈けてきた処女」はなんと井上陽水制作である。こういった事実関係から察するに、事務所サイドとしてはキョンキョンに力を入れていなかった、または販促方針が迷走していた感が浮かび上がってくる。

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 歌手にとって、自分の持ち歌は大事なものであり、特にデビュー曲に抱く思いは特別である。いわゆる自己紹介的な役割も果たすため、一生使う名刺と形容しても差し支えない。その点、伊代ちゃんはうまい戦略だったよな。あれだとネタ的に一生使えるもの。
 キョンキョンの場合、事務所サイドが女性アイドルの営業ノウハウが不足していたせいもあって、取り敢えずデビューした、という形になってしまったのは不幸だった。その後、3曲目からはようやくオリジナル楽曲を与えられるようになったけど、どうにも70年代的な古くさい「可愛子ちゃんアイドル」の枠を抜け出せずにいた。要するにイモ臭かったのだ。
 旧態依然としたアイドル像にはめ込もうとする事務所と、そんな枠組みにどうもしっくり来なくてふて腐れながら芸能仕事に勤しむ厚木の元ヤン。70年代的「みんなのマスコット」像を求められても演じ切ることができず、フラストレーションは溜まってゆく。ブッキングされるのは主にバラエティ、「ヤンヤン歌うスタジオ」や「パリンコ学園」での賑やかし要員か、それともその他大勢的な壁の花。
 「これだったら、あたしじゃなくってもいいんじゃね?」
 そう思っちゃってもしょうがない。

 そう言った現状を打破するため、キョンキョンは事務所にも無断で、これまでイヤイヤやっていた「聖子ちゃんカット」をバッサリ切ってしまった。
 今となっては「髪を切る」という行為はずいぶんカジュアルになったけど、この頃までの女性が長い髪を切るというのは、結構な覚悟が必要だった。髪を切ることで、過去やしがらみとの決別を図る、独立した人格として独り立ちするため、「髪を切る」というのはシリアスなものだった。
 松田聖子メソッドからの決別、そして旧態依然のコンセプトしか提示できない事務所方針をリセットし、その後の彼女は自己プロデュースによる独自路線を歩むようになる。
 松田聖子のようにソニーや松本隆が綿密にディレクションしてくれるわけでなければ、明菜のように天性の歌唱力を持っているわけでもない。特別な能力は何もない。だけど「これはイケてる」「これはダサい」という美学はしっかり備えていた。それだけで十分だ。
 「小泉今日子」というプロデューサー視点でもって、自らを素材としてアイドル「キョンキョン」を創り上げてゆくプロセスの提示。なにも全部を全部、自分でやらなくたっていい。あたしはただの言いだしっぺ。実際の作業は、得意な人にやってもらえればいい。でもね、誰でもいいわけじゃないよ。いくらスキルがすごくたって、ダメな人はダメ。あたしと遊べるかどうか、あたしのビジョンを面白がってくれるかどうか。それが大事だから。単なるお仕事だと、楽しくないじゃん―。
 その後のサブカル人脈を巻き込んだ快進撃は、ご存知の通り。

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 で、『ナツメロ』。ここにきて、全曲カバーである。しかも近々の80年代の楽曲はセレクトされず、ほぼ70年代の歌謡曲ばかり。誰でも知ってる大ヒット曲もあれば、同世代でなければちょっとわかりづらい楽曲まで、幅広く選曲されている。要するに、完全にキョンキョンの好みである。
 1988年と言えば、前年までオリコン・チャートを席巻したおニャン子クラブが解散し、女性アイドル市場が急速に収縮した頃である。今のAKBや坂道系の先駆けと言える、ほぼ持ち回りでチャート1位を獲得することによって、歌謡曲のマーケットは完膚なきまで終止符を打たれた。当然、82年組を含めたソロ・アイドルは息の根を止められ、シングル・リリースさえままならない状況に追いやられていた。3か月に一度は新曲リリースのローテーションが組まれていた彼女らも、この時期は年に1枚出せるか出せないか。歌手活動をやめてしまった者も少なくなかった。
 そんな中でキョンキョンは別格的にシングル・リリースを続けており、並行して女優業やCM出演など、多方面に及ぶ活動を続けていた。おニャン子旋風の頃になると、むしろ旬のクリエイターが彼女とのコラボを求めるようになり、よって80年代歌謡史を代表する楽曲が続々誕生している。たかみー作「木枯らしに抱かれて」を始めとして、筒美京平円熟期の傑作「魔女」や「水のルージュ」、大瀧詠一も「快盗ルビイ」を提供しているし。

 押しつけのカバーではない。すべてキョンキョンが、そして盟友である野村のヨッちゃんと頭を突き合わせて選曲し、そのヨッちゃん率いる「最強アマチュアバンド」三喜屋・野村モーター'S BANDと共にアレンジして創り上げた。ヨッちゃんとはデビューもほぼ一緒の同世代、バンド・メンバーもまた、大体似たような年齢層である。大体似た空気を吸って、大体同じような音楽を聴き、大体同じテレビ番組を見て育ってきた。そんな彼らが寄ってたかって「あ・うん」の呼吸でトラックを組み立てた。悪くなるはずがない。
 バブル時代ゆえ大盤振る舞いが当たり前だったレコード会社の金をふんだんに使い、豪華なスタジオを長期間押さえ、半分遊び感覚でも本気でもってあれこれアンサンブルを練り、「せっかくだから」とデーモン小暮などのゲストというか友達もどんどん呼び入れ、出来上がっちゃったのが、このアルバムである。

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 高校の放課後、軽音楽部の部室の隅っこで、別にプロになるつもりもないけど、何となく寄り集まって、くっだらねぇバカ話で盛り上がってる先輩たち。あんまり演奏する姿を見たことはないけど、ごくたまに見せる本気度MAXの演奏は、バカテクでエモーショナルで、それでいてめちゃめちゃ楽しそうで。
 本気で目指せばプロにもなれそうなのに、そういった必死さを見せることはない。
 大事なのは演奏することじゃない。たまたまみんなの共通言語が音楽だったからで、ほんとはダラダラ楽器をいじりながら、ダベってるだけで幸せなんだ。
 そんな情景を思い浮かべてしまうアルバムである。

ナツメロ
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1. 学園天国
 1974年リリース、沖縄出身の兄弟姉妹ヴォーカル・グループ、フィンガー5の5枚目のシングル。オリコン最高2位でありながら、累計売上枚数はなんとミリオン超え。阿久悠による甘酸っぱいティーンポップな歌詞世界は、スクールカーストとは無縁のコミュニティを形成している。番長も秀才も、あの娘の前ではみんな純情だ。作曲の井上忠夫とは、自らも歌手としてガンダム映画版の主題歌「哀・戦士」をヒットさせた、あの井上大輔。「め組の人」もそうだったけど、こういったシンコペーションを多用した曲を作るのが、めちゃめちゃうまい。
 キョンキョン・ヴァージョンはもともとシングル・カットの予定はなかったのだけど、のちの主演ドラマ『愛しあってるかい!』の主題歌に採用されることになって、オリコン最高3位のヒットを記録した。



2. S・O・S
 1976年リリース、ピンク・レディー2枚目のシングル。オリコン最高1位、65万枚の大ヒットとなった。基本、リズム・アレンジなどはオリジナルと一緒なのだけど、分厚いシンセを噛ませることによってサウンドに奥行きが生まれ、JourneyやVan Halenのようなアメリカン・ハードのテイストが加えられた。キョンキョンのヴォーカルも比較的ナチュラルな発声で、抑えるようなウィスパー・ヴォイスが楽曲を洗練させている。原曲はもっとバタくさかったよな。

3. お出かけコンセプト
 1980年リリース、近田春夫プロデュースによるテクノポップバンド、ジューシィ・フルーツのデビュー曲「ジェニーはご機嫌斜め」のB面曲。ニューウェイヴ~テクノ・ポップの楽曲の中では一般的な認知度も高く、オリコン最高5位。こちらも2.同様、大味なアメリカン・メロディック・ハード風味の味付け。まぁこの辺はヨッちゃんの好みだし。

4. 赤頭巾ちゃん御用心
 1978年リリース、のちに発展的解消を経てラウドネスに衣替えするアイドル・バンド、レイジー3枚目のシングル。オリコンでは最高32位だけど、ロング・ヒットしたようで最終的には20万枚以上の売り上げとなった。本来なら記念すべき初ヒット、と言いたいところだけど、現在のメンバーにとっては黒歴史的な扱いとなっており、オリジナル・ラインナップでの再演がかなうことはしばらくなさそう。
 テープ逆回転コーラスから始まるサイケデリックなオープニング以外は、至ってオーソドックスなプレイのヨッちゃんバンド。そりゃそうだ、主役はキョンキョン、彼女が可愛く目立つことが重要なのだ。

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5. レディ・セブンティーン
 1973年リリース、矢沢永吉が在籍していたロックンロール・バンド、キャロル3枚目のシングル。この機会に初めてオリジナル聴いてみたけど、ヴォーカル、ジョニー大倉だったんだな。甘い声質がオールディーズ調のマイナー・コードにフィットしている。
 キョンキョンのヴァージョンもオールディーズ的なリズムとコーラスを基本としているけど、その上にキラキラしたシンセや重いギター・リフを乗せたりしている。楽曲のボトムがしっかりしてるから、どんなエフェクト入れても揺るがないんだな。
 世代的に言って、キョンキョンはキャロルのひとつ下に当たるため、リアルタイムでは聴いていないはずなのだけど、まぁヨッちゃんが持ってきたのか、それとも地元の先輩あたりが聴いてたのかも。この辺はヤンキーのコネクションだよな。

6. 尻取りRock'Roll
 1980年リリース、ある意味、伝説のバンド横浜銀蠅のデビュー・アルバム『ぶっちぎり』収録曲。まぁくっだらねぇ曲なので、深く考えることはない。オリジナルももっとくっだらねぇし。いわゆるステレオタイプの「不良」を演じながら、敢えてハズすようなコミック・ソング路線も併せ持っていたことが彼らの魅力であり、ずいぶん長い間、大衆性を保持していた証でもある。ピーク時の人気は凄まじく、宮内庁主催の園遊会にも招かれて、あのコスチュームのまんまで昭和天皇と言葉を交わしたくらい、といえば、今の人にもわかってもらえると思う。
 キョンキョン・ヴァージョンもまぁオリジナルもなんもないけど、くっだらねぇ歌を全力で歌っているところは可愛らしくもある。最後は自分で笑っちゃってるけどね。
 ここでキョンキョンがカバーしたのも驚いたけど、もっと驚いたのはその20年後、安田成美がトヨタ・シエンタのCMでカバーするだなんて,一体誰が想像しただろうか。

7. 恋はベンチシート
 1980年リリースまたまたジューシィ・フルーツ、2枚目のシングル「なみだ涙のカフェテラス」のB面収録曲。またディープなところ狙ってきたな。ちなみに作曲の柴矢俊彦は、あの大ヒット曲「おさかな天国」を書いた人。時代が巡ると、ここまで変わっちゃうものか。
 オリジナルはもっとガレージっぽいラフな演奏で、曲中のセリフもセクシーにこなしてたけど、もともと楽曲的にはオールディーズを下敷きにしているので、キョンキョンは敢えてアイドルっぽくファニーなテイストに仕上げている。コンセプト的には、ここまで開き直っちゃった方が曲が映えている。最後のデーモン小暮との掛け合いはご愛嬌。

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8. やさしい悪魔
 その掛け合いに続いてシームレスで始まるメロディック・ハード・メタル。オリジナルはキャンディーズ、1977年リリース13枚目のシングル。当時の勢いからして、オリコン4位はむしろ低すぎるように思えるけど、ちょうどこの頃からピンク・レディーが台頭してきたんだよな。この頃のキャンディーズは「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」やドリフ番組でのコメディエンヌ的な役割が多かった覚えがある。
 キョンキョン・ヴァージョンもいいのだけど、オリジナルのアレンジがモダン・ソウル・テイストなので、あまり知らない人には聴いてほしい逸品。レアグル―ヴや70年代メロウソウルが好きな人ならハマるはず。

9. Soppo
 1979年リリース、今じゃほぼ俳優業がメインの世良公則が在籍していたロック・バンド、ツイスト6枚目のシングル。人気のピークが過ぎた後期のシングルとはいえ、どうにかオリコン6位に滑り込みしている。この頃は、初期の歌謡ロックっぽさが薄れてバタ臭い本格的なロック・バンドへと移行している時期にあたる。
 やっぱヨッちゃんはメロディック・ハードが好きなんだな。原曲はホンキートンク・ブルースなのだけど、彼にかかればどんな曲も、ギターがメインの大味なサウンドに様変わりしてしまう。ヨッちゃんはギターが好きなんだから、それでいいのか。キョンキョンも決して上手いシンガーではないけど、世良さんとはまったく別のアプローチで歌いこなしている。

10. 夢みる16才
 1981年リリース、シャネルズ(現ラッツ&スター)2枚目のアルバム『Heart & Soul』収録曲。これまたいい選曲だな。オリジナルは珍しく桑マンがリードを取るオールディーズ風ドゥーワップなのだけど、そのポップなテイストを残しつつ、7.同様キュートな女の子になりきって、時には無邪気に時には切なく歌声を使い分けている。

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11. バンプ天国
 またまたフィンガー5、1975年リリース11枚目のシングル。彼らの全盛期は前年でピークを迎え、この頃は緩やかな衰退へ向かっている。俺はリアルタイムでは知らないので、その辺は詳しくないけど。
 ジャジーなスキャットに続くグラウンド・ビートが弾けるオープニングは、オリジナルの意図をうまく掬い取って、しかも当時のトレンドもきちんと押さえている。

12. アクビ娘
 ご存じTVアニメ「ハクション大魔王」のエンディング・テーマ。ハード・ロックとドゥーワップのハイブリット・サウンドをバックに、一番楽しそうに歌うキョンキョン。70年代テレビアニメのテーマ曲の中でも3本の指に入る大名曲。逆に、これを陰鬱に歌う方が無理というもの。「キューティーハニー」同様、「女の子がカラオケで歌うと盛り上がると同時に、自身の思わぬ「女の子」成分に気づいてしまいドキッとしてしまう」曲のひとつ。



13. みかん色の恋
 ラストは1974年リリース、「笑点」の座布団運び山田隆夫が在籍していた歌謡ロック・バンド、ずうとるび3枚目のシングル。チャート記録は見つからなかったけど、記録よりも「記憶」に残る名曲として、ナツメロ番組での彼らが紹介される際には、大抵この曲が使用されている。
 オリジナルはストリングスを多用した、さわやかなフォーク・ロックといった風情だけど、ここではもっとリズムを効かせた軽快なロック・チューンとして解釈している。




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「くっだらねぇ」のその先は。 - 米米クラブ 『Go Funk』

Folder 米米クラブというユニットは、実質フロントマンであるカールスモーキー石井のインパクトが強いせいもあって、一般的に彼のワンマン・バンドに見られがちである。実際のところ彼はリーダーではなく、単に表立っためんどくさい事柄を一手に引き受けているだけである。こいつなら、ちょっとおだててやれば汚れ仕事も引き受けてくれるだろう、といった体で。

 出自こそ今でいうパリピ=パーティ・バンド的なモノの発展形が米米結成のベースとなっているのだけど、ライブで頭角を現してきたこともあって演奏チームのスキルが高いことは、昔から語り継がれている。ディレクターやレコード会社からの介入や要請は多かったけれど、デビュー・アルバムはほぼ演奏差し替えもなく、それは解散するまで一貫して自分たちでサウンド・メイキングを行なっていた。ポッと出の新人で、しかも当時のソニーにおいてでは、なかなかなし得ないことである。
 もともと進駐軍相手のジャズ・バンドが母体だったクレイジー・キャッツからの例に漏れず、パロディやリズムネタをレパートリーとするコミック・バンドというスタイルは、もともとの音楽的素養がなければ成立しないものだ。有象無象と魑魅魍魎が織りなす80年代初頭の混迷したライブハウス・シーンという現場で培った、どんな有事でも動じない鉄壁のアンサンブルは、基盤のサウンドをしっかり構築し、おかげでヴォーカル陣を奔放に遊ばせることができる空間を提供した。
 あくまで「笑わせる」というスタンスであり、「笑われる」立場ではない。まともな演奏ができずに笑いを取るだけじゃ、客にボコボコにもされかねない時代だったのだ。

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 時は流れ、「じゃあ逆にぃ、演奏するフリだけやって、笑われるだけでもいいんじゃね?」というコペルニクス的発想の転換を実践したのが、金爆というバンドである。ある意味、彼らのコンセプトは潔い。でも、バンドなのかな?まぁ既存スタイルのアンチという見解だと、彼らの姿勢はパンクだな。

 職人気質的にグルーヴ感あふれるインスト・パートをベースに、伝統的なJBスタイルのステージングを披露するジェームス小野田と、典型的な昭和の二の線、バブルそのものといった軽薄ジゴロ的な狂言回しの石井、ステージに華を添えるどころか自ら幕間コントにも参加して積極的に前に出てゆくシュークリームシュの三つ巴が、ステージ上で展開されていた。文章で読んでも伝わってしまうくらい、異様な空間である。いや実際に見たらもっとエグいんだから。
 ドロドロのファンクとレトロ歌謡とムード・コーラスとニューロマ・ディスコが波状攻撃のようにステージを飲み込み、そんなグルーヴィーな空間を引き裂くかのように延々行なわれる「くっだたねぇ寸劇」との猛烈なギャップは、先物買いを求めて暗躍する各レコード会社ディレクターらの注目を集めた。
 アングラ・シーンでの流動的な活動を経てソニーと契約、特にヴォーカル・パートのキャラの強さはビジュアル的にも映え、それが当時のソニー戦略ともシンクロして大々的にプッシュされることになる。なるのだけれど。

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 解散前の米米は、初期の段階からライブとレコーディングとで、制作プロセスをきっちり分けていた。芸術肌の石井がパフォーマンス・アーティストとしての側面を見せていたのに倣って、ライブ活動に重点を置いていた。「ライブを演るために曲を作り、記録としてレコーディングする」というスタイルは、当時でも今でも日本ではあまり見当たらないスタイルである。強いて挙げれば「夜会」を続けている中島みゆきくらいか。
 ライブでは、舞台美術やコスチュームに潤沢な予算をかけ、同時代では抜きん出たエンタテインメント・ショウを構築した。対してレコードでは、ソニー戦略に則った「お行儀の良い」ライトなシティ・ポップを多めに収録する、というのが長らく彼らのダブル・スタンダードだった。初期のニューロマ・シティ・ポップ路線は耳触りも良くてラジオでもオンエアされやすく、実際、この時期の彼らを懐かしむファンも多い。

 本来なら、レコードでは最大公約数的にファン獲得率の多いポップ路線で収益を支え、その利潤をライブ制作に投資する、というのが理想のスタイルだったのだろうけど、そうはうまくいかないものである。
 石井と小野田のインパクトの強さによって、知名度こそ上がってはいたけれど、セールス的には大きなブレイクもなく、微妙な中堅どころに甘んずる期間が長かった。80年代ソニーの方針に則って、イヤイヤながらも売れ線スタイルに合わせているはずなのに、ファンのニーズはどうもそこにはなさそうである。
 ていうか、バンドとソニー双方のベクトルが合わず、それぞれあさっての方を向いていたことが、彼らの本格的なブレイクを遅らせた要因である。

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 1987年にシングル・リリースされた初期シティ・ポップ期の代表曲のひとつ「paradise」は、大ブレイク時にリリースされたリメイク・ベスト・アルバム『K2C』に収録された際、アレンジも歌詞も大幅に改変が加えられている。初回シングルでは、「元気で明るくてオシャレな」80年代ソニーのポリシーに則った、ライトなラブ・ソング的なシーン設定だったのが、『K2C』ヴァージョンでは、シャレオツ感こそグレードアップしているけど、石井演ずる主人公は女ったらしのジゴロ、世界を股にかけて縦横無尽に女のケツを追いかけ回す軽薄野郎に豹変している。
 シンセ中心に組み立てられた前者と比べ、ホーン・セクションを前面に出したバンド・アンサンブルはゴージャス化しており、口八丁手八丁の石井のチャラさが引き立っている。あ、これって地か。

 本来のコンセプトとして、爽やかでポップなメロディとライトなサウンドに乗せて、サウンドこそ既成のシティ・ポップだけど、そこにくっだらねぇ歌詞を乗せて自己陶酔しながら歌い上げる、というのが初期米米の真骨頂だった。ステージにおいて、そういったスタイルはほぼ一貫して変わらなかったのだけど、ディレクター側のジャッジによって、サウンドと調和した無難な歌詞に改変せざるを得なかった、というのが当時の彼らの置かれた状況である。で、できあがったのは、単なる無難なシティ・ポップ。これならオメガトライブと変わんないし。

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 セールス的にはまだ発展途上だった初期米米、ヒット・シングルを出すために、耳触りの良い万人向けのシティ・ポップ楽曲を優先的にフィーチャーしてゆくという戦略は、ある意味間違いではない。しかし、そういったライト路線というのは、あくまで彼らの様々な側面のほんの一部でしかなく、大勢を占めるのは盤石のバンド・アンサンブルに支えられたおバカな世界だ。
 軽めのニューロマ風味ポップやミディアム・バラードを絡めてこそ、ライブにおいても落差としてのおちゃらけナンバーも活きてくるし、セットリスト的にも構成のメリハリがつく。どっちかひとつには絞れないバンドなのだ。
 そのバランス均衡の配分、方向性の迷いこそが、彼らが長らく中途半端なメジャー、永遠の6番打者に甘んじていた要因でもある。

 「Paradise」「sûre danse」に代表されるメロディ・タイプの楽曲の対極として、「ホテルくちびる」や「東京 Bay Side Club」などのノベルティ・タイプ楽曲が位置するわけだけど、その後者タイプの曲のみを集めたアルバムも存在する。主にライブのみでプレイされていた楽曲を中心としてしており、コアなファンにとっては待望の音源化!!といったところなのだけど、まぁ正直、何度も聴き返すようなモノではない。
 本人たちも半ば冗談で、「君がいるだけで」がバカ売れしてしまったため、その勢いでリリースしたようなものであって、売る気なんてサラサラないのがミエミエだった。ライト・ユーザーにとっては拷問のようなアルバムである。内輪受けのジョークや音遊びがアルバム1枚延々と続くんだから。ただ、そんなコンセプトのアルバムを2枚(『米米CLUB』『SORRY MUSIC ENTERTAINMENT』)もリリースできてしまうのが、当時の彼らのセールスの勢いであり、またユニットとしてのレパートリーの広さでもある。

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 ほぼメロディ・タイプでまとめた小品集的な3枚目のアルバム『Komeguny』が中途半端なセールスで終わったため、米米クラブは大幅な路線変更を敢行する。
 ブレイクを見込んでソニー側の意向に沿って、ライトなシティ・ポップてんこ盛りで売れ線を目指したはずなのに、従来セールスと大して変わらなかったんだから、バンド側としては方向性が見えなくなってしまう。まぁ既定のソニー路線フォーマットには収まる器ではなかった、というところなのだけど。
 -もともとライブで地力をつけ、奇矯なパフォーマンスでネームバリューを上げてきたのだから、ライブの進行通り、テッペイちゃんばっかりフィーチャーするんじゃなくて、ジェームスやシュークリ-ムシュ、演奏陣にも大きくスポットを当てた方がいいんじゃね?
 「石井+バンド」じゃなくって、全部飲み込んでこその「米米クラブ」なんだし。

 そんなライブの方法論をそのまんまレコーディングにスライドして、さらにコラージュしてヴァージョン・アップしてできあがったのが、「KOME KOME WAR」である。どうでもいい単語の羅列で構成された歌詞は、ほんと適当。でも、そんな言葉がチャラさ全開のテッペイちゃんから発せられると、スケコマシの戯言的な説得力を生む。
 バブルの象徴とも称されるダボダボなソフトスーツでキメ、汗だくになりながらスタイリッシュを演じるテッペイちゃん。P-Funkの亜流後継者として、奇矯なメイクとコスチュームで狂言回し的に、でもここぞという時には、ファンク・マナーに則ったグルーヴィーなヴォーカルを披露するジェームス。単なるステージの華に収まらず、積極的にコントに寸劇に、ついでにコーラスも聴かせるシュークリームシュ。そして、そんなバラバラのベクトルを持つ三者三様をひとつにまとめてしまう、リーダー兼バンマスBonによって支えられた、多ジャンルから寄り集まったバンド・アンサンブル。

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 これはライブ、これはレコーディングとキッチリ分けるのではなく、ライブのセットリストを想定して、それぞれのキャラを引き立てた曲を書き、ステージの流れ的に並べてみたらアラ不思議、これまでにないくらい生き生きした「米米クラブ」というオリジナリティが確立されちゃった、という次第。
 最初から、答えは彼らの手のうちにあった。でも、それを具現化できるほどのスキルが足りなかったこと、ソニー主導の方針を覆すほどの根拠を説明しきれなかったことが、彼らのブレイクを遅らせた要因である。


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1. Introduction
 
2. 美熱少年
 JBのソウル・レビューのようなオープニング。ライブ演出と同じく、石井によるMCのあとに登場するのは、もちろんGrand Funk Master ジェームス小野田。ここでの主役は、小野田とホーン・セクションのビッグ・ホーンズ・ビー。スカパラが登場するまでは、日本のポップ・シーンにおけるホーン・セクションの代表は彼が担っていた。
 この頃はほぼ日本では紹介されてなかったけど、この猥雑さ・ゴチャマゼ感はまさしくParliament/Funkadelic。
 ちなみにタイトルは、アルバム・リリースの少し前に発刊された、作詞家松本隆の半自叙伝小説『微熱少年』からインスパイアされたもの。でも、松本の歌詞世界に漂う儚さとか繊細さは微塵もなく、単にゴロが良いから採用したようなもの。松本ファンが勘違いしてこれを聴くと、かなり失望すると思われる。

3. KOME KOME WAR
 アルバムより先行リリースされた、彼らにとって7枚目のシングルであり、オリコン最高5位にチャートイン、この時点では過去最高の売り上げと共に爆発的な知名度を広げるきっかけとなった、彼らにとってのターニング・ポイント。
 隠れ名曲として「浪漫飛行」が一部で取り上げられたり、ディスコで「Shake Hip!」がヘビロテされたりなど、10~20代への認知はすでに広まっていた彼らだったけど、お茶の間レベルにまで顔が知られるようになったのは、やはりあのインパクトの強いPVがきっかけである。恐ろしく細切れのカットアップはサウンドとシンクロするよう、緻密に計算されており、思いっきり手間ヒマかけて一生懸命、くっだらねぇことをやっている。

 オー グーテンダーク アトランダムショー
 ロック インデリジェンス アメーバ
 War ビューティフォー

 …ダメだ、あんまりにくだらな過ぎて、書き起こす気にもなれん。しかし、このくだらなさがPVとセットでうまくマッチングして、サブリミナル的な中毒性を引き起こす。ある意味、80年代ソニーの生ぬるい空気を粉砕するほどの破壊力を持つ楽曲でもある。



4. SEXY POWER
 一転して、初期シティポップ路線の楽曲なのだけど、これまでよりサビメロが引き立っているのはリズム面の強化から来るもの。シーケンスに丸投げしない手作りバンド・サウンドは、チャラさ全開で腰の定まらないテッペイちゃんをしっかり繋ぎとめ、ボトムの効いたナンバーに仕上げている。

5. BEE BE BEAT
 ここでのリードはバンド主導で、ヴォーカルはほとんど添え物。スカをベースにちょっぴりテンポの速いカリプソ、一瞬ヨーデルも飛び出したりなど、ライブ仕様の楽曲。これまでならこういったタイプは真っ先にオミットされていたのだけど、変にスタジオ・ヴァージョンにはせず、ほぼライブ・アレンジそのまんまでやり切っちゃうのは、バンドとしての自信だろう。

6. あ! あぶない!
 ギター・カッティングとホーン・セクションがメインのため、純正ファンクと思われがちだけど、ドラムは案外8ビートをもとに叩いており、その辺のフェイク加減こそが、米米が唯一無二のおちゃらけファンク・バンドとして君臨する所以だろう。まんまJBフォロワーの小野田のヴォーカル、太鼓持ちの如くカウンターをぶち込んでくるテッペイちゃんとの掛け合いは、笑いを超えた真剣勝負である。

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7. OH! 米 GOD!
 引き続き、ほぼ笑いもフェイクもない、純正凝縮インスト・ファンク。あまりにも濃縮されすぎてしまったため、ほんのわずか30秒程度の間にエッセンスが凝縮されている。

8. TIME STOP
 『Go Funk』リリース後、わずかひと月でシングル・カットされた、彼らのバラードの中でも確実にベスト3にはランクインするキラー・チューン。3.がリリースされたのがこの2か月前なので、よほどこの曲が突然変異的に強く受け入れられたことがわかる。
 メロディ・タイプの中でも、ここまでスタンダード・ナンバー的にベッタベタな楽曲はなかったため、長らくライブでも重要な位置を占めるに至った。ドロドロ・ファンクをベースとしながら、こういったウェットなメロディも料理してしまうバンド・メンバーも脂が乗り切っている。
 冒頭のBon(b)のグリッサンドから心を持ってかれ、ムード歌謡の如く切ない響きのビッグ・ホーンズ・ビー、幅広い素養を持つジョプリン得能(g)によるジャジーなソロ。メンバーの英知を結集して、ある意味スタンダードのパロディ的なモノを狙ったところ、案外出来が良くなりそうだったので、ついついみんなあらゆる引き出しを開けちゃった、といった仕上がり。まぁ結果オーライといったところで。



9. なんですか これは
 ニューウェイブ・テイストがかなり濃い、ミニマルなビートに社会風刺がちょっぴり。ライブで見るとハマりそうなノリの良さは後半ブリッジで急激にアフロが入り、再びスカ。リズムだけで出来上がったような曲なので、深く考えることはなし。踊れや踊れ。

10. FLANKIE, GET AWAY!
 彼らにしては珍しい、まっとうなロック・タイプの楽曲。「Honky Tonk Woman」をニューウェイヴ風にカバーしようと試行錯誤してたら、いつの間にかこんな風になってしまった、といった感じの仕上がり。シュークのコーラスがカワイイ。それが一番印象に残る。一生懸命ダルな感じを出してるけど、やっぱテッペイちゃんにロックは似合わない。もっとインチキな、ロック「っぽい」方が彼には合ってる。

11. 僕らのスーパーヒーロー
 なので、同じロック・ナンバーでも、ワイルドさを薄めたポップ・ロックの方が彼には合ってる。ドラムの音は完全にロックなので、逆にシンセの割合を増やした方が曲調には合っていそうなものだけど。

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12. いつのまにか
 で、どれだけおちゃらけようとロマンチストであるのがテッペイちゃんの本質であり、それはメンバー全員に共通することである。ていうか80年代を通過してきたアーティストというのは、ほぼ全員メロウな感性を持っているものである。歌謡曲で培ったドメスティックなウェット感は消せないのだ。
 メロディ・タイプの楽曲としては、キャリアの中でも1,2を争うクオリティを有している。このギャップの大きさこそが米米最大の魅力であり、それを最も素直に二面性を演出できていたのが、この時期である。

 あの日見ていた夢は 今もこの胸にあるけれど
 大人たちが言う 「見せちゃいけない」と

 時々、こういったフレーズをサラッと書けてしまうから、俺はテッペイちゃんを信じてしまうのだ。

13. 宴(MOONLIGHT MARCH)
 で、シリアスに振れ過ぎてしまったところでバランスを取るため、こういったふざけたブリッジを入れてしまうのも、彼らの美意識のあらわれ。後にアルバム全編、二の線で通してしまうようになってしまうけれど、それは大人の事情やらテッペイちゃんの勘違いやらによって脱線してしまっただけで、基本、バンドマンはナイーブな人が多い。
 スカしたポーズばっかりじゃ、それはそれでカッコ悪いじゃん。そんなのはたまに見せるだけでいいんだよ。
 それが大人の態度だよ。


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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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