#Pop : Japan

好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

キョンキョンは趣味に走ってる時がおもしろい - 小泉今日子 『ナツメロ』

Folder 1988年リリース、キョンキョンにとって13枚目のオリジナル・アルバム。オリコンでは最高10位をマーク。…10位?それなりに話題になったし、もうちょっと売れてた印象があったのだけど、時代的にベストテンなどの音楽番組が下火になって、アイドルにとっては逆風になりつつある頃だったので、まぁ健闘した方なのか。
 キョンキョンがデビューしたのは1982年で、この年は女性アイドルが豊作だった事でよく知られている。つい先日、お騒がせとなった松本伊代や早見優、堀ちえみもそうだけど、何かにつけテレビでしょっちゅう目にする芸能人が、この時期に集中してデビューしている。
 なぜなのか?

 いろいろと要因はあるのだろうけど、多分に1980年デビュー組の松田聖子のブレイクがひとつの引き金になったんじゃないかと思われる。それまでは、ほぼ男性ファンをターゲットにしたプロモーション戦略だったのが、彼女のデビューによって、これまでほぼ未着手だった女性ファンの新規開拓の可能性が見えてきたため、方針が大きく変わっている。
 芸能プロダクションによって、ルックスからライフスタイルまで細部まで作り込まれたのが、70年代までの女性アイドル像である。趣味といえばお菓子作り、好きな色はピンク、男の子とは手も繋いだことがない、というのが理想的な設定である。ひと昔前の少女マンガの設定と共通点は多い。どっちが先なんだか。
 そういったガチガチのフォーマットでプロテクトされている麻丘めぐみや南沙織や天地真理がどれだけ売れたとしても、基本、疑似恋愛の対象である男性層が反応するだけで、女性層が食指を伸ばすはずもなかった。いつの時代も男は理想を夢見がちだし、女はそんな仕掛けをすぐに見抜いて鼻にもかけない。
 で、70年代までの女性アイドルとは、絶世の美少女がなれるものだった。近所のミスコンレベルのお姉さんくらいでは、とても歯が立たない。あまりに世間と隔絶された存在であったため、同性とはいえ憧れの対象にすらならなかったのだ。

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 70年代の地続きでデビューした松田聖子もまた、美少女レベルは高かった。少なくとも、いまの坂道系やらその大勢の有象無象らを軽く蹴散らすほどのポテンシャルを有している。いまと違って、思い立ったらすぐ次の日にステージに上がれる時代じゃなかったのだ。
 なかったのだけれど、彼女の場合、「聖子ちゃんカット」というマネしやすい記号を発明したことによって、その後のアイドル戦略に大きなターニング・ポイントを残すことになる。
 松田聖子に比肩するルックスを後天的に獲得するには、そりゃもう多大な時間と費用が必要だしそもそもの初期スペックが必要になるけど、「聖子ちゃんカット」なら簡単にマネできる。
 「もしかして、あたしでもアイドルになれるんじゃない?」
 雲の上なら最初から諦めてしまいがちだけど、手を伸ばせば届くのなら、ちょっとは努力する気にもなる。実際は乗り越えるべき壁は恐ろしく高く、トップ・クラスに這い上がれる確率は変わらないのだけど、それでも以前よりはずっと身近な存在となった。そんな女性アイドル戦略の転換点となったのが、松田聖子であり、「聖子ちゃんカット」の登場である。
 誰でも「そこそこ」のレベル・アップが期待できる「聖子ちゃんカット」は多くの女性によってコピーされ、街には多くの聖子ちゃんモドキが出現した。その成功体験の共有として、芸能界においても松田聖子コピーのようなアイドルが量産されるようになる。同時進行で、松田聖子に憧れるティーンエイジャーが手っ取り早くレベル上げするため、「聖子ちゃんカット」にしてもらうために雑誌片手に美容院へ走る。
 そんな多方面の思惑が世に出てきたのが、1982年という時代である。ふぅ。

 当初はこの後、1982年のアイドル戦国図を途中まで書いたのだけど、なんかダラダラ取り止めがなくなってしまったので、一旦ボツにして書き直しした。また次回にでも使おうかな。

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 で、キョンキョンもまた、デビュー当初は松田聖子メソッドの影響下にあった。朝ドラ「あまちゃん」を見てた人ならわかるだろうけど、若き日ののんママは、デビュー時のキョンキョンと虚実ないまぜでシンクロしており、ほんとあんな「聖子ちゃんカット」でアイドルスマイルをキメ、ヒラヒラドレスとピンヒールで歌番組に出演していたのだ。
 1982年デビュー組は、所属事務所のコントロールに縛られない、自己プロデュース能力に長けた人材を多数輩出していることは、歴史が証明している。ただ、事務所の力関係や周辺スタッフの方針によって、売り出しの方針やプッシュのされ方も様々だった。
 デビュー曲ひとつとっても、例えば中森明菜は来生えつこ・来生たかお書き下ろしによる「スローモーション」、伊藤つかさは南こうせつが「少女人形」を提供している。そこまでビッグネームじゃなくても、大方のアイドルがデビュー曲においては、筒美京平や小田裕一郎や馬飼野康二など、歌謡曲御用達作家による書き下ろし楽曲を与えられている。やはりスタートダッシュは大事だし、事務所的にもそれなりに力を入れるはずなのだ。はずなのだけれど。

 キョンキョンの記念すべきデビュー曲「私の16歳」は、1979年リリース森まどかのカバーである。多分、オリジナルは、よほどのマニアじゃないと知らないはず。俺も知らない。で、2枚目の「素敵なラブリーボーイ」、これもカバー。これは知ってる人も多いかな、以前は黒澤一族にいた林寛子1975年のシングル。往年のコアなファン向けのスナックを経営してるって、以前「バイキング」で見たな。まぁそれは余談。
 どちらのオリジナルも、リリース当時は22位・31位とショボい成績に終わっており、なんでわざわざそんな中途半端に売れなかった楽曲しかなかったのか、どうにも疑問が残る。正直、「隠れた名曲」と言えるほどのクオリティでもないし、取り敢えず権利関係がスムーズな楽曲を適当に振り当てた感が強い。
 すごくポジティヴに捉えれば、楽曲的には正統派70年代アイドルの要点は押さえられており、オーソドックスな10代の女の子が歌うには適している。音域もそれほど広いものでもないので、歌唱力が至らなくてもそれなりに歌いこなせるメロディ・ラインではある。でもね。
 音楽活動にはあまり重きを置いていなかったはずの三田寛子でさえ、デビュー曲「駈けてきた処女」はなんと井上陽水制作である。こういった事実関係から察するに、事務所サイドとしてはキョンキョンに力を入れていなかった、または販促方針が迷走していた感が浮かび上がってくる。

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 歌手にとって、自分の持ち歌は大事なものであり、特にデビュー曲に抱く思いは特別である。いわゆる自己紹介的な役割も果たすため、一生使う名刺と形容しても差し支えない。その点、伊代ちゃんはうまい戦略だったよな。あれだとネタ的に一生使えるもの。
 キョンキョンの場合、事務所サイドが女性アイドルの営業ノウハウが不足していたせいもあって、取り敢えずデビューした、という形になってしまったのは不幸だった。その後、3曲目からはようやくオリジナル楽曲を与えられるようになったけど、どうにも70年代的な古くさい「可愛子ちゃんアイドル」の枠を抜け出せずにいた。要するにイモ臭かったのだ。
 旧態依然としたアイドル像にはめ込もうとする事務所と、そんな枠組みにどうもしっくり来なくてふて腐れながら芸能仕事に勤しむ厚木の元ヤン。70年代的「みんなのマスコット」像を求められても演じ切ることができず、フラストレーションは溜まってゆく。ブッキングされるのは主にバラエティ、「ヤンヤン歌うスタジオ」や「パリンコ学園」での賑やかし要員か、それともその他大勢的な壁の花。
 「これだったら、あたしじゃなくってもいいんじゃね?」
 そう思っちゃってもしょうがない。

 そう言った現状を打破するため、キョンキョンは事務所にも無断で、これまでイヤイヤやっていた「聖子ちゃんカット」をバッサリ切ってしまった。
 今となっては「髪を切る」という行為はずいぶんカジュアルになったけど、この頃までの女性が長い髪を切るというのは、結構な覚悟が必要だった。髪を切ることで、過去やしがらみとの決別を図る、独立した人格として独り立ちするため、「髪を切る」というのはシリアスなものだった。
 松田聖子メソッドからの決別、そして旧態依然のコンセプトしか提示できない事務所方針をリセットし、その後の彼女は自己プロデュースによる独自路線を歩むようになる。
 松田聖子のようにソニーや松本隆が綿密にディレクションしてくれるわけでなければ、明菜のように天性の歌唱力を持っているわけでもない。特別な能力は何もない。だけど「これはイケてる」「これはダサい」という美学はしっかり備えていた。それだけで十分だ。
 「小泉今日子」というプロデューサー視点でもって、自らを素材としてアイドル「キョンキョン」を創り上げてゆくプロセスの提示。なにも全部を全部、自分でやらなくたっていい。あたしはただの言いだしっぺ。実際の作業は、得意な人にやってもらえればいい。でもね、誰でもいいわけじゃないよ。いくらスキルがすごくたって、ダメな人はダメ。あたしと遊べるかどうか、あたしのビジョンを面白がってくれるかどうか。それが大事だから。単なるお仕事だと、楽しくないじゃん―。
 その後のサブカル人脈を巻き込んだ快進撃は、ご存知の通り。

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 で、『ナツメロ』。ここにきて、全曲カバーである。しかも近々の80年代の楽曲はセレクトされず、ほぼ70年代の歌謡曲ばかり。誰でも知ってる大ヒット曲もあれば、同世代でなければちょっとわかりづらい楽曲まで、幅広く選曲されている。要するに、完全にキョンキョンの好みである。
 1988年と言えば、前年までオリコン・チャートを席巻したおニャン子クラブが解散し、女性アイドル市場が急速に収縮した頃である。今のAKBや坂道系の先駆けと言える、ほぼ持ち回りでチャート1位を獲得することによって、歌謡曲のマーケットは完膚なきまで終止符を打たれた。当然、82年組を含めたソロ・アイドルは息の根を止められ、シングル・リリースさえままならない状況に追いやられていた。3か月に一度は新曲リリースのローテーションが組まれていた彼女らも、この時期は年に1枚出せるか出せないか。歌手活動をやめてしまった者も少なくなかった。
 そんな中でキョンキョンは別格的にシングル・リリースを続けており、並行して女優業やCM出演など、多方面に及ぶ活動を続けていた。おニャン子旋風の頃になると、むしろ旬のクリエイターが彼女とのコラボを求めるようになり、よって80年代歌謡史を代表する楽曲が続々誕生している。たかみー作「木枯らしに抱かれて」を始めとして、筒美京平円熟期の傑作「魔女」や「水のルージュ」、大瀧詠一も「快盗ルビイ」を提供しているし。

 押しつけのカバーではない。すべてキョンキョンが、そして盟友である野村のヨッちゃんと頭を突き合わせて選曲し、そのヨッちゃん率いる「最強アマチュアバンド」三喜屋・野村モーター'S BANDと共にアレンジして創り上げた。ヨッちゃんとはデビューもほぼ一緒の同世代、バンド・メンバーもまた、大体似たような年齢層である。大体似た空気を吸って、大体同じような音楽を聴き、大体同じテレビ番組を見て育ってきた。そんな彼らが寄ってたかって「あ・うん」の呼吸でトラックを組み立てた。悪くなるはずがない。
 バブル時代ゆえ大盤振る舞いが当たり前だったレコード会社の金をふんだんに使い、豪華なスタジオを長期間押さえ、半分遊び感覚でも本気でもってあれこれアンサンブルを練り、「せっかくだから」とデーモン小暮などのゲストというか友達もどんどん呼び入れ、出来上がっちゃったのが、このアルバムである。

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 高校の放課後、軽音楽部の部室の隅っこで、別にプロになるつもりもないけど、何となく寄り集まって、くっだらねぇバカ話で盛り上がってる先輩たち。あんまり演奏する姿を見たことはないけど、ごくたまに見せる本気度MAXの演奏は、バカテクでエモーショナルで、それでいてめちゃめちゃ楽しそうで。
 本気で目指せばプロにもなれそうなのに、そういった必死さを見せることはない。
 大事なのは演奏することじゃない。たまたまみんなの共通言語が音楽だったからで、ほんとはダラダラ楽器をいじりながら、ダベってるだけで幸せなんだ。
 そんな情景を思い浮かべてしまうアルバムである。

ナツメロ
ナツメロ
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小泉今日子
ビクターエンタテインメント (1988-12-17)
売り上げランキング: 30,867



1. 学園天国
 1974年リリース、沖縄出身の兄弟姉妹ヴォーカル・グループ、フィンガー5の5枚目のシングル。オリコン最高2位でありながら、累計売上枚数はなんとミリオン超え。阿久悠による甘酸っぱいティーンポップな歌詞世界は、スクールカーストとは無縁のコミュニティを形成している。番長も秀才も、あの娘の前ではみんな純情だ。作曲の井上忠夫とは、自らも歌手としてガンダム映画版の主題歌「哀・戦士」をヒットさせた、あの井上大輔。「め組の人」もそうだったけど、こういったシンコペーションを多用した曲を作るのが、めちゃめちゃうまい。
 キョンキョン・ヴァージョンはもともとシングル・カットの予定はなかったのだけど、のちの主演ドラマ『愛しあってるかい!』の主題歌に採用されることになって、オリコン最高3位のヒットを記録した。



2. S・O・S
 1976年リリース、ピンク・レディー2枚目のシングル。オリコン最高1位、65万枚の大ヒットとなった。基本、リズム・アレンジなどはオリジナルと一緒なのだけど、分厚いシンセを噛ませることによってサウンドに奥行きが生まれ、JourneyやVan Halenのようなアメリカン・ハードのテイストが加えられた。キョンキョンのヴォーカルも比較的ナチュラルな発声で、抑えるようなウィスパー・ヴォイスが楽曲を洗練させている。原曲はもっとバタくさかったよな。

3. お出かけコンセプト
 1980年リリース、近田春夫プロデュースによるテクノポップバンド、ジューシィ・フルーツのデビュー曲「ジェニーはご機嫌斜め」のB面曲。ニューウェイヴ~テクノ・ポップの楽曲の中では一般的な認知度も高く、オリコン最高5位。こちらも2.同様、大味なアメリカン・メロディック・ハード風味の味付け。まぁこの辺はヨッちゃんの好みだし。

4. 赤頭巾ちゃん御用心
 1978年リリース、のちに発展的解消を経てラウドネスに衣替えするアイドル・バンド、レイジー3枚目のシングル。オリコンでは最高32位だけど、ロング・ヒットしたようで最終的には20万枚以上の売り上げとなった。本来なら記念すべき初ヒット、と言いたいところだけど、現在のメンバーにとっては黒歴史的な扱いとなっており、オリジナル・ラインナップでの再演がかなうことはしばらくなさそう。
 テープ逆回転コーラスから始まるサイケデリックなオープニング以外は、至ってオーソドックスなプレイのヨッちゃんバンド。そりゃそうだ、主役はキョンキョン、彼女が可愛く目立つことが重要なのだ。

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5. レディ・セブンティーン
 1973年リリース、矢沢永吉が在籍していたロックンロール・バンド、キャロル3枚目のシングル。この機会に初めてオリジナル聴いてみたけど、ヴォーカル、ジョニー大倉だったんだな。甘い声質がオールディーズ調のマイナー・コードにフィットしている。
 キョンキョンのヴァージョンもオールディーズ的なリズムとコーラスを基本としているけど、その上にキラキラしたシンセや重いギター・リフを乗せたりしている。楽曲のボトムがしっかりしてるから、どんなエフェクト入れても揺るがないんだな。
 世代的に言って、キョンキョンはキャロルのひとつ下に当たるため、リアルタイムでは聴いていないはずなのだけど、まぁヨッちゃんが持ってきたのか、それとも地元の先輩あたりが聴いてたのかも。この辺はヤンキーのコネクションだよな。

6. 尻取りRock'Roll
 1980年リリース、ある意味、伝説のバンド横浜銀蠅のデビュー・アルバム『ぶっちぎり』収録曲。まぁくっだらねぇ曲なので、深く考えることはない。オリジナルももっとくっだらねぇし。いわゆるステレオタイプの「不良」を演じながら、敢えてハズすようなコミック・ソング路線も併せ持っていたことが彼らの魅力であり、ずいぶん長い間、大衆性を保持していた証でもある。ピーク時の人気は凄まじく、宮内庁主催の園遊会にも招かれて、あのコスチュームのまんまで昭和天皇と言葉を交わしたくらい、といえば、今の人にもわかってもらえると思う。
 キョンキョン・ヴァージョンもまぁオリジナルもなんもないけど、くっだらねぇ歌を全力で歌っているところは可愛らしくもある。最後は自分で笑っちゃってるけどね。
 ここでキョンキョンがカバーしたのも驚いたけど、もっと驚いたのはその20年後、安田成美がトヨタ・シエンタのCMでカバーするだなんて,一体誰が想像しただろうか。

7. 恋はベンチシート
 1980年リリースまたまたジューシィ・フルーツ、2枚目のシングル「なみだ涙のカフェテラス」のB面収録曲。またディープなところ狙ってきたな。ちなみに作曲の柴矢俊彦は、あの大ヒット曲「おさかな天国」を書いた人。時代が巡ると、ここまで変わっちゃうものか。
 オリジナルはもっとガレージっぽいラフな演奏で、曲中のセリフもセクシーにこなしてたけど、もともと楽曲的にはオールディーズを下敷きにしているので、キョンキョンは敢えてアイドルっぽくファニーなテイストに仕上げている。コンセプト的には、ここまで開き直っちゃった方が曲が映えている。最後のデーモン小暮との掛け合いはご愛嬌。

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8. やさしい悪魔
 その掛け合いに続いてシームレスで始まるメロディック・ハード・メタル。オリジナルはキャンディーズ、1977年リリース13枚目のシングル。当時の勢いからして、オリコン4位はむしろ低すぎるように思えるけど、ちょうどこの頃からピンク・レディーが台頭してきたんだよな。この頃のキャンディーズは「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」やドリフ番組でのコメディエンヌ的な役割が多かった覚えがある。
 キョンキョン・ヴァージョンもいいのだけど、オリジナルのアレンジがモダン・ソウル・テイストなので、あまり知らない人には聴いてほしい逸品。レアグル―ヴや70年代メロウソウルが好きな人ならハマるはず。

9. Soppo
 1979年リリース、今じゃほぼ俳優業がメインの世良公則が在籍していたロック・バンド、ツイスト6枚目のシングル。人気のピークが過ぎた後期のシングルとはいえ、どうにかオリコン6位に滑り込みしている。この頃は、初期の歌謡ロックっぽさが薄れてバタ臭い本格的なロック・バンドへと移行している時期にあたる。
 やっぱヨッちゃんはメロディック・ハードが好きなんだな。原曲はホンキートンク・ブルースなのだけど、彼にかかればどんな曲も、ギターがメインの大味なサウンドに様変わりしてしまう。ヨッちゃんはギターが好きなんだから、それでいいのか。キョンキョンも決して上手いシンガーではないけど、世良さんとはまったく別のアプローチで歌いこなしている。

10. 夢みる16才
 1981年リリース、シャネルズ(現ラッツ&スター)2枚目のアルバム『Heart & Soul』収録曲。これまたいい選曲だな。オリジナルは珍しく桑マンがリードを取るオールディーズ風ドゥーワップなのだけど、そのポップなテイストを残しつつ、7.同様キュートな女の子になりきって、時には無邪気に時には切なく歌声を使い分けている。

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11. バンプ天国
 またまたフィンガー5、1975年リリース11枚目のシングル。彼らの全盛期は前年でピークを迎え、この頃は緩やかな衰退へ向かっている。俺はリアルタイムでは知らないので、その辺は詳しくないけど。
 ジャジーなスキャットに続くグラウンド・ビートが弾けるオープニングは、オリジナルの意図をうまく掬い取って、しかも当時のトレンドもきちんと押さえている。

12. アクビ娘
 ご存じTVアニメ「ハクション大魔王」のエンディング・テーマ。ハード・ロックとドゥーワップのハイブリット・サウンドをバックに、一番楽しそうに歌うキョンキョン。70年代テレビアニメのテーマ曲の中でも3本の指に入る大名曲。逆に、これを陰鬱に歌う方が無理というもの。「キューティーハニー」同様、「女の子がカラオケで歌うと盛り上がると同時に、自身の思わぬ「女の子」成分に気づいてしまいドキッとしてしまう」曲のひとつ。



13. みかん色の恋
 ラストは1974年リリース、「笑点」の座布団運び山田隆夫が在籍していた歌謡ロック・バンド、ずうとるび3枚目のシングル。チャート記録は見つからなかったけど、記録よりも「記憶」に残る名曲として、ナツメロ番組での彼らが紹介される際には、大抵この曲が使用されている。
 オリジナルはストリングスを多用した、さわやかなフォーク・ロックといった風情だけど、ここではもっとリズムを効かせた軽快なロック・チューンとして解釈している。




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「くっだらねぇ」のその先は。 - 米米クラブ 『Go Funk』

Folder 米米クラブというユニットは、実質フロントマンであるカールスモーキー石井のインパクトが強いせいもあって、一般的に彼のワンマン・バンドに見られがちである。実際のところ彼はリーダーではなく、単に表立っためんどくさい事柄を一手に引き受けているだけである。こいつなら、ちょっとおだててやれば汚れ仕事も引き受けてくれるだろう、といった体で。

 出自こそ今でいうパリピ=パーティ・バンド的なモノの発展形が米米結成のベースとなっているのだけど、ライブで頭角を現してきたこともあって演奏チームのスキルが高いことは、昔から語り継がれている。ディレクターやレコード会社からの介入や要請は多かったけれど、デビュー・アルバムはほぼ演奏差し替えもなく、それは解散するまで一貫して自分たちでサウンド・メイキングを行なっていた。ポッと出の新人で、しかも当時のソニーにおいてでは、なかなかなし得ないことである。
 もともと進駐軍相手のジャズ・バンドが母体だったクレイジー・キャッツからの例に漏れず、パロディやリズムネタをレパートリーとするコミック・バンドというスタイルは、もともとの音楽的素養がなければ成立しないものだ。有象無象と魑魅魍魎が織りなす80年代初頭の混迷したライブハウス・シーンという現場で培った、どんな有事でも動じない鉄壁のアンサンブルは、基盤のサウンドをしっかり構築し、おかげでヴォーカル陣を奔放に遊ばせることができる空間を提供した。
 あくまで「笑わせる」というスタンスであり、「笑われる」立場ではない。まともな演奏ができずに笑いを取るだけじゃ、客にボコボコにもされかねない時代だったのだ。

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 時は流れ、「じゃあ逆にぃ、演奏するフリだけやって、笑われるだけでもいいんじゃね?」というコペルニクス的発想の転換を実践したのが、金爆というバンドである。ある意味、彼らのコンセプトは潔い。でも、バンドなのかな?まぁ既存スタイルのアンチという見解だと、彼らの姿勢はパンクだな。

 職人気質的にグルーヴ感あふれるインスト・パートをベースに、伝統的なJBスタイルのステージングを披露するジェームス小野田と、典型的な昭和の二の線、バブルそのものといった軽薄ジゴロ的な狂言回しの石井、ステージに華を添えるどころか自ら幕間コントにも参加して積極的に前に出てゆくシュークリームシュの三つ巴が、ステージ上で展開されていた。文章で読んでも伝わってしまうくらい、異様な空間である。いや実際に見たらもっとエグいんだから。
 ドロドロのファンクとレトロ歌謡とムード・コーラスとニューロマ・ディスコが波状攻撃のようにステージを飲み込み、そんなグルーヴィーな空間を引き裂くかのように延々行なわれる「くっだたねぇ寸劇」との猛烈なギャップは、先物買いを求めて暗躍する各レコード会社ディレクターらの注目を集めた。
 アングラ・シーンでの流動的な活動を経てソニーと契約、特にヴォーカル・パートのキャラの強さはビジュアル的にも映え、それが当時のソニー戦略ともシンクロして大々的にプッシュされることになる。なるのだけれど。

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 解散前の米米は、初期の段階からライブとレコーディングとで、制作プロセスをきっちり分けていた。芸術肌の石井がパフォーマンス・アーティストとしての側面を見せていたのに倣って、ライブ活動に重点を置いていた。「ライブを演るために曲を作り、記録としてレコーディングする」というスタイルは、当時でも今でも日本ではあまり見当たらないスタイルである。強いて挙げれば「夜会」を続けている中島みゆきくらいか。
 ライブでは、舞台美術やコスチュームに潤沢な予算をかけ、同時代では抜きん出たエンタテインメント・ショウを構築した。対してレコードでは、ソニー戦略に則った「お行儀の良い」ライトなシティ・ポップを多めに収録する、というのが長らく彼らのダブル・スタンダードだった。初期のニューロマ・シティ・ポップ路線は耳触りも良くてラジオでもオンエアされやすく、実際、この時期の彼らを懐かしむファンも多い。

 本来なら、レコードでは最大公約数的にファン獲得率の多いポップ路線で収益を支え、その利潤をライブ制作に投資する、というのが理想のスタイルだったのだろうけど、そうはうまくいかないものである。
 石井と小野田のインパクトの強さによって、知名度こそ上がってはいたけれど、セールス的には大きなブレイクもなく、微妙な中堅どころに甘んずる期間が長かった。80年代ソニーの方針に則って、イヤイヤながらも売れ線スタイルに合わせているはずなのに、ファンのニーズはどうもそこにはなさそうである。
 ていうか、バンドとソニー双方のベクトルが合わず、それぞれあさっての方を向いていたことが、彼らの本格的なブレイクを遅らせた要因である。

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 1987年にシングル・リリースされた初期シティ・ポップ期の代表曲のひとつ「paradise」は、大ブレイク時にリリースされたリメイク・ベスト・アルバム『K2C』に収録された際、アレンジも歌詞も大幅に改変が加えられている。初回シングルでは、「元気で明るくてオシャレな」80年代ソニーのポリシーに則った、ライトなラブ・ソング的なシーン設定だったのが、『K2C』ヴァージョンでは、シャレオツ感こそグレードアップしているけど、石井演ずる主人公は女ったらしのジゴロ、世界を股にかけて縦横無尽に女のケツを追いかけ回す軽薄野郎に豹変している。
 シンセ中心に組み立てられた前者と比べ、ホーン・セクションを前面に出したバンド・アンサンブルはゴージャス化しており、口八丁手八丁の石井のチャラさが引き立っている。あ、これって地か。

 本来のコンセプトとして、爽やかでポップなメロディとライトなサウンドに乗せて、サウンドこそ既成のシティ・ポップだけど、そこにくっだらねぇ歌詞を乗せて自己陶酔しながら歌い上げる、というのが初期米米の真骨頂だった。ステージにおいて、そういったスタイルはほぼ一貫して変わらなかったのだけど、ディレクター側のジャッジによって、サウンドと調和した無難な歌詞に改変せざるを得なかった、というのが当時の彼らの置かれた状況である。で、できあがったのは、単なる無難なシティ・ポップ。これならオメガトライブと変わんないし。

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 セールス的にはまだ発展途上だった初期米米、ヒット・シングルを出すために、耳触りの良い万人向けのシティ・ポップ楽曲を優先的にフィーチャーしてゆくという戦略は、ある意味間違いではない。しかし、そういったライト路線というのは、あくまで彼らの様々な側面のほんの一部でしかなく、大勢を占めるのは盤石のバンド・アンサンブルに支えられたおバカな世界だ。
 軽めのニューロマ風味ポップやミディアム・バラードを絡めてこそ、ライブにおいても落差としてのおちゃらけナンバーも活きてくるし、セットリスト的にも構成のメリハリがつく。どっちかひとつには絞れないバンドなのだ。
 そのバランス均衡の配分、方向性の迷いこそが、彼らが長らく中途半端なメジャー、永遠の6番打者に甘んじていた要因でもある。

 「Paradise」「sûre danse」に代表されるメロディ・タイプの楽曲の対極として、「ホテルくちびる」や「東京 Bay Side Club」などのノベルティ・タイプ楽曲が位置するわけだけど、その後者タイプの曲のみを集めたアルバムも存在する。主にライブのみでプレイされていた楽曲を中心としてしており、コアなファンにとっては待望の音源化!!といったところなのだけど、まぁ正直、何度も聴き返すようなモノではない。
 本人たちも半ば冗談で、「君がいるだけで」がバカ売れしてしまったため、その勢いでリリースしたようなものであって、売る気なんてサラサラないのがミエミエだった。ライト・ユーザーにとっては拷問のようなアルバムである。内輪受けのジョークや音遊びがアルバム1枚延々と続くんだから。ただ、そんなコンセプトのアルバムを2枚(『米米CLUB』『SORRY MUSIC ENTERTAINMENT』)もリリースできてしまうのが、当時の彼らのセールスの勢いであり、またユニットとしてのレパートリーの広さでもある。

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 ほぼメロディ・タイプでまとめた小品集的な3枚目のアルバム『Komeguny』が中途半端なセールスで終わったため、米米クラブは大幅な路線変更を敢行する。
 ブレイクを見込んでソニー側の意向に沿って、ライトなシティ・ポップてんこ盛りで売れ線を目指したはずなのに、従来セールスと大して変わらなかったんだから、バンド側としては方向性が見えなくなってしまう。まぁ既定のソニー路線フォーマットには収まる器ではなかった、というところなのだけど。
 -もともとライブで地力をつけ、奇矯なパフォーマンスでネームバリューを上げてきたのだから、ライブの進行通り、テッペイちゃんばっかりフィーチャーするんじゃなくて、ジェームスやシュークリ-ムシュ、演奏陣にも大きくスポットを当てた方がいいんじゃね?
 「石井+バンド」じゃなくって、全部飲み込んでこその「米米クラブ」なんだし。

 そんなライブの方法論をそのまんまレコーディングにスライドして、さらにコラージュしてヴァージョン・アップしてできあがったのが、「KOME KOME WAR」である。どうでもいい単語の羅列で構成された歌詞は、ほんと適当。でも、そんな言葉がチャラさ全開のテッペイちゃんから発せられると、スケコマシの戯言的な説得力を生む。
 バブルの象徴とも称されるダボダボなソフトスーツでキメ、汗だくになりながらスタイリッシュを演じるテッペイちゃん。P-Funkの亜流後継者として、奇矯なメイクとコスチュームで狂言回し的に、でもここぞという時には、ファンク・マナーに則ったグルーヴィーなヴォーカルを披露するジェームス。単なるステージの華に収まらず、積極的にコントに寸劇に、ついでにコーラスも聴かせるシュークリームシュ。そして、そんなバラバラのベクトルを持つ三者三様をひとつにまとめてしまう、リーダー兼バンマスBonによって支えられた、多ジャンルから寄り集まったバンド・アンサンブル。

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 これはライブ、これはレコーディングとキッチリ分けるのではなく、ライブのセットリストを想定して、それぞれのキャラを引き立てた曲を書き、ステージの流れ的に並べてみたらアラ不思議、これまでにないくらい生き生きした「米米クラブ」というオリジナリティが確立されちゃった、という次第。
 最初から、答えは彼らの手のうちにあった。でも、それを具現化できるほどのスキルが足りなかったこと、ソニー主導の方針を覆すほどの根拠を説明しきれなかったことが、彼らのブレイクを遅らせた要因である。


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1. Introduction
 
2. 美熱少年
 JBのソウル・レビューのようなオープニング。ライブ演出と同じく、石井によるMCのあとに登場するのは、もちろんGrand Funk Master ジェームス小野田。ここでの主役は、小野田とホーン・セクションのビッグ・ホーンズ・ビー。スカパラが登場するまでは、日本のポップ・シーンにおけるホーン・セクションの代表は彼が担っていた。
 この頃はほぼ日本では紹介されてなかったけど、この猥雑さ・ゴチャマゼ感はまさしくParliament/Funkadelic。
 ちなみにタイトルは、アルバム・リリースの少し前に発刊された、作詞家松本隆の半自叙伝小説『微熱少年』からインスパイアされたもの。でも、松本の歌詞世界に漂う儚さとか繊細さは微塵もなく、単にゴロが良いから採用したようなもの。松本ファンが勘違いしてこれを聴くと、かなり失望すると思われる。

3. KOME KOME WAR
 アルバムより先行リリースされた、彼らにとって7枚目のシングルであり、オリコン最高5位にチャートイン、この時点では過去最高の売り上げと共に爆発的な知名度を広げるきっかけとなった、彼らにとってのターニング・ポイント。
 隠れ名曲として「浪漫飛行」が一部で取り上げられたり、ディスコで「Shake Hip!」がヘビロテされたりなど、10~20代への認知はすでに広まっていた彼らだったけど、お茶の間レベルにまで顔が知られるようになったのは、やはりあのインパクトの強いPVがきっかけである。恐ろしく細切れのカットアップはサウンドとシンクロするよう、緻密に計算されており、思いっきり手間ヒマかけて一生懸命、くっだらねぇことをやっている。

 オー グーテンダーク アトランダムショー
 ロック インデリジェンス アメーバ
 War ビューティフォー

 …ダメだ、あんまりにくだらな過ぎて、書き起こす気にもなれん。しかし、このくだらなさがPVとセットでうまくマッチングして、サブリミナル的な中毒性を引き起こす。ある意味、80年代ソニーの生ぬるい空気を粉砕するほどの破壊力を持つ楽曲でもある。



4. SEXY POWER
 一転して、初期シティポップ路線の楽曲なのだけど、これまでよりサビメロが引き立っているのはリズム面の強化から来るもの。シーケンスに丸投げしない手作りバンド・サウンドは、チャラさ全開で腰の定まらないテッペイちゃんをしっかり繋ぎとめ、ボトムの効いたナンバーに仕上げている。

5. BEE BE BEAT
 ここでのリードはバンド主導で、ヴォーカルはほとんど添え物。スカをベースにちょっぴりテンポの速いカリプソ、一瞬ヨーデルも飛び出したりなど、ライブ仕様の楽曲。これまでならこういったタイプは真っ先にオミットされていたのだけど、変にスタジオ・ヴァージョンにはせず、ほぼライブ・アレンジそのまんまでやり切っちゃうのは、バンドとしての自信だろう。

6. あ! あぶない!
 ギター・カッティングとホーン・セクションがメインのため、純正ファンクと思われがちだけど、ドラムは案外8ビートをもとに叩いており、その辺のフェイク加減こそが、米米が唯一無二のおちゃらけファンク・バンドとして君臨する所以だろう。まんまJBフォロワーの小野田のヴォーカル、太鼓持ちの如くカウンターをぶち込んでくるテッペイちゃんとの掛け合いは、笑いを超えた真剣勝負である。

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7. OH! 米 GOD!
 引き続き、ほぼ笑いもフェイクもない、純正凝縮インスト・ファンク。あまりにも濃縮されすぎてしまったため、ほんのわずか30秒程度の間にエッセンスが凝縮されている。

8. TIME STOP
 『Go Funk』リリース後、わずかひと月でシングル・カットされた、彼らのバラードの中でも確実にベスト3にはランクインするキラー・チューン。3.がリリースされたのがこの2か月前なので、よほどこの曲が突然変異的に強く受け入れられたことがわかる。
 メロディ・タイプの中でも、ここまでスタンダード・ナンバー的にベッタベタな楽曲はなかったため、長らくライブでも重要な位置を占めるに至った。ドロドロ・ファンクをベースとしながら、こういったウェットなメロディも料理してしまうバンド・メンバーも脂が乗り切っている。
 冒頭のBon(b)のグリッサンドから心を持ってかれ、ムード歌謡の如く切ない響きのビッグ・ホーンズ・ビー、幅広い素養を持つジョプリン得能(g)によるジャジーなソロ。メンバーの英知を結集して、ある意味スタンダードのパロディ的なモノを狙ったところ、案外出来が良くなりそうだったので、ついついみんなあらゆる引き出しを開けちゃった、といった仕上がり。まぁ結果オーライといったところで。



9. なんですか これは
 ニューウェイブ・テイストがかなり濃い、ミニマルなビートに社会風刺がちょっぴり。ライブで見るとハマりそうなノリの良さは後半ブリッジで急激にアフロが入り、再びスカ。リズムだけで出来上がったような曲なので、深く考えることはなし。踊れや踊れ。

10. FLANKIE, GET AWAY!
 彼らにしては珍しい、まっとうなロック・タイプの楽曲。「Honky Tonk Woman」をニューウェイヴ風にカバーしようと試行錯誤してたら、いつの間にかこんな風になってしまった、といった感じの仕上がり。シュークのコーラスがカワイイ。それが一番印象に残る。一生懸命ダルな感じを出してるけど、やっぱテッペイちゃんにロックは似合わない。もっとインチキな、ロック「っぽい」方が彼には合ってる。

11. 僕らのスーパーヒーロー
 なので、同じロック・ナンバーでも、ワイルドさを薄めたポップ・ロックの方が彼には合ってる。ドラムの音は完全にロックなので、逆にシンセの割合を増やした方が曲調には合っていそうなものだけど。

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12. いつのまにか
 で、どれだけおちゃらけようとロマンチストであるのがテッペイちゃんの本質であり、それはメンバー全員に共通することである。ていうか80年代を通過してきたアーティストというのは、ほぼ全員メロウな感性を持っているものである。歌謡曲で培ったドメスティックなウェット感は消せないのだ。
 メロディ・タイプの楽曲としては、キャリアの中でも1,2を争うクオリティを有している。このギャップの大きさこそが米米最大の魅力であり、それを最も素直に二面性を演出できていたのが、この時期である。

 あの日見ていた夢は 今もこの胸にあるけれど
 大人たちが言う 「見せちゃいけない」と

 時々、こういったフレーズをサラッと書けてしまうから、俺はテッペイちゃんを信じてしまうのだ。

13. 宴(MOONLIGHT MARCH)
 で、シリアスに振れ過ぎてしまったところでバランスを取るため、こういったふざけたブリッジを入れてしまうのも、彼らの美意識のあらわれ。後にアルバム全編、二の線で通してしまうようになってしまうけれど、それは大人の事情やらテッペイちゃんの勘違いやらによって脱線してしまっただけで、基本、バンドマンはナイーブな人が多い。
 スカしたポーズばっかりじゃ、それはそれでカッコ悪いじゃん。そんなのはたまに見せるだけでいいんだよ。
 それが大人の態度だよ。


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やっつけで作ったわりには、うまくまとまっちゃた。 - 大滝詠一 『デビュー・スペシャル』

_SL500_ 初出は1978年リリース、「第一期ナイアガラ」と称される、コロンビア時代にリリースされた大滝詠一のベスト・アルバム。「ベスト」と称してはいるけれど、この時期はナイアガラにとってセールス的には暗黒時代とされており、まともに採算が取れた作品がなかったため、本人曰く、「セレクション・アルバム」という体裁となっている。
 ヒット曲もないのにベスト・アルバムなんて…、という自虐的なところもあるのか、本人的にリリースにはあまり前向きではなく、当時の音楽雑誌「ヤング・ギター」で収録曲を公募、人気投票で選ばれた曲を入れる、という、ある意味丸投げ的な構成となっている。

 で、今回取り上げるのは、このオリジナル『デビュー』ではなく、ソニー移籍後に再編集された『デビュー・スペシャル』の方。こちらは1987年リリースとなっており、俺世代としては多分、こちらのヴァージョンの方が馴染みがあるはず。オリジナルも一応、『Niagara Black Vox』での入手は可能だったけど、当時の10代に5枚組ボックス・セットは高根の花だったし、北海道の中途半端な田舎では、現物すら目にすることもできなかった。今も数年ごとに改訂が行われている書籍『All About Niagara』において、カバー・ジャケットや解説を読むことによって、何となく内容を掴んだ気にはなっていたけど、肝心の音については想像上の産物であることが長く続いていた。
 『Each Time』プロジェクトもひと段落つき、オリジナル・アルバムをまとめた『Niagara CD Book I』に続き、企画色の強いアルバムをまとめた5枚組『Niagara Black Book』に収録されたのが、この『デビュー・スペシャル』。『Vox』と違ってこちらは単品での発売も行なわれたので、予算の乏しい若きナイアガラーは、やっと幻の音源にありつくことができたのだった。

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 オリジナルからの収録は4曲のみで、あと5曲が未発表のライブ・テイクという構成は、オリジナル至上主義のユーザーだったら許しがたいスタイルだけど、そもそも当時のオリジナルの売り上げが数千枚程度だったため、比較のしようがない、というのが現実だった。それよりも何よりも、どんな形であれ一部だけでも復刻されたことは歓迎されるべきことだった。少なくとも、これでオリジナル復刻を待望することはできる。

 そんな事情もあったため、俺の『デビュー』とのファースト・インプレッションはこの87年版だったため、今でも俺の中の『デビュー』といえばこちらになる。
 その後、『デビュー』は2011年に『Niagara CD Book I』リイッシューにて、オリジナル・フォーマットでの復刻が実現、しかも2014年にはiTunesでの配信も開始され、より身近に入手しやすくなった。ほぼ封印状態だったにもかかわらず、大滝自身、何かしら思うところがあったのか、近年になってから公私にわたって清算モードに入っている。『Each Time』の30周年エディション完成を見て鬼籍に入ったのは、見事な締めくくりだったんじゃないかと思われる。

 というわけで、永遠に続くんじゃないかと思われたナイアガラ・アーカイブの更新作業は、大滝の死をもって終わりを見る。残された音源がいわゆる最終稿として、今後は語り継がれてゆくのだろう。だろうけど。
 いい意味でも悪い意味でも、長く活動してきたアーティストほど、黒歴史、なかったことにしておきたい作品というのは生まれてくるものだ。当時のポテンシャルでは実現できなかったけど、今のスキルならもっとうまく表現できる-、そう思い立ってリミックス・リマスターに手を付けるアーティストも少なくない。
 一度、日の目を見た音源は、記録に残り、また記憶に残る。アヒルの雛が初めて白鳥を見て「お母さん」と認識するように、初めて聴いたヴァージョンがオリジナルなのだ。
 なので、俺的に『デビュー』といえば、今も『デビュー・スペシャル』がオリジナルである。中古レコード店の目立つ場所にディスプレイされていた初版『デビュー』のアナログ盤は、とても手が届かない価格に設定されており、気軽に購入できるものではなかった。今ならダウンロードなりオークションなりで入手は可能だけど、正直今さら感の方が強い。多分、手に入れただけで満足してそれほど聴きこまないと思うし、実際、ダウンロードすらしていない。やはりファースト・インプレッションの衝撃は大きいのだ。

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 ただ今後、このヴァージョンが復刻されるかといえば、それはちょっと怪しいところ。これまでの20周年リマスターなどで蔵出し公開された未発表音源も、すっかり置いてきぼりにされてるし、正史じゃないものは上書きアップデート、淘汰されていくものかと思われる。
 各アルバムの既発・未発表アーカイブを時系列にまとめたボックスが、全ナイアガラーの望みなのだろうけど、まぁいつになることやら。

 この第1期ナイアガラをリアルタイムで聴いていたユーザーというのは、かなりごく少数だったため、今をもって初期ナイアガラーとしてデカい顔をしている者も少なくない。まぁ当時の出荷イニシャルはせいぜい4ケタ行けばいい方だったため、先物買いとしてはかなりの目利きがそろっていたことは間違いない。俺だってリアルタイムで接していれば、多分今でも筋金入りのナイアガラーとして巷説垂れていたかもしれないし。
 妄信的なナイアガラーによって、この時期の作品は崇め奉られており、ソニー時代よりも評価が高い場合が多い。特にレココレなんて読んでいると、コロンビア時代の作品はどれも傑作揃いのような紹介がなされている。
 マニアの間では聖典とされてはいても、外部の人間からすると大した価値もなく見えてしまうのはよくあることで、実際、第1期ナイアガラの作品がどれも傑作揃いというわけではなく、むしろ玉石混合、ていうか当たり外れが多い。多羅尾伴内楽団?あんなのただのエレキ・インストじゃねぇか。本人だって参加してるわけじゃないし。確かにコロンビア時代の作品もきちんと作られているモノもあるし、実際、俺も好きな作品は多いけど、少なくとも多羅尾伴内楽団を礼賛する人間は、どうにも信用できない。何でも手放しで礼賛するのはいかがなものかと。

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 なにゆえにコロンビア時代の作品クオリティに波があるのかといえば、そもそものレーベル契約の時点で問題がある。大滝の考えとして、ナイアガラを単なる個人レーベルではなく、自らのプロデュース作品をメインとしたリリース形態、その中にはもちろん大滝ソロも含まれるけど、あくまでワン・オブ・ゼムというのが当初の構想だった。レーベル第1弾が自身のソロではなく、シュガー・ベイブというところに、それが顕著に表れている。
 自宅スタジオに設置するための16チャンネル・テープレコーダーを譲り受けることを条件にコロンビアと契約、その際の包括事項として、3年で12枚のアルバム制作を請け負うことになる。普通の個人レーベルだと、正直レーベルとは名ばかり、単にジャケットの隅っこに印刷されているトレードマーク以上の意味合いはないのだけれど、本格的な独立レーベルとして始動したナイアガラにとって、この包括契約はビジネスであり、何が何でも遵守しなければならないものだった。

 設立当初はシュガー・ベイブもいるしココナツ・バンクだっているし、ナイアガラ・トライアングルの3者でローテーションしていけばうまく行くんじゃね?と軽く考えていた大滝だったけど、肝心の2バンドが相次いで解散してしまったことによって、ほぼ独りで企画を回さなければならなくなり、早い段階で初期構想は瓦解する。その後のやっつけ仕事、自転車操業の始まりである。
 どうにかリリースされた12枚のアルバムのうち、大滝名義のオリジナル・アルバムはわずか3枚。オリジナルじゃない大滝名義のアルバムが、『デビュー』と『CM Special』という企画盤である。1年に1枚のペースで新作オリジナルを制作するのは、この時代においては珍しいことではないのだけれど、そういったアーティスト活動よりはむしろ、プロデューサー業、アルバム量産のためのネタを絞り出すことが、当時の彼の中では最も大きなウェイトを占めていた。
 前述の多羅尾伴内楽団や『Let’s Ondo Again』などはPeter Barakanが絶賛したことによって伝説の作品扱いされているけど、正直、それほど楽しんで聴けるものではない。外人からの視点だと、エキゾチックな趣味に先見性を見出した、というところなのだろうけど、ライト・ユーザーを惹きつけるようなものはそんなにない。ていうかネタじゃねぇかこんなの。

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 すっごくひいき目に見て、Beatles誕生以前のポップスやロックンロールをバックボーンとしたモダンな視線でのオマージュという、自らの音楽的ルーツと対峙した楽曲、特にメロディ・タイプのものは今も古びることもなく、愛聴できるものも多い。無から有を創り出すのではなく、過去のレジェンドの遺産に敬意を払い、そこに歌謡曲や音頭など、日本独自のエッセンスを付加してオリジナリティを産み出したことは、もっと評価されてもいい。
 ただ問題だったのは時間的な余裕。アーティスト大滝詠一の創作環境・プロセスは、優先順位からすればかなり後回しにされ、プロデューサー多羅尾伴内として、完パケ品納入を第一義として考えなければならなかった。作品のクオリティは後回しにされ、常にケツカッチンのスケジュールの帳尻合わせとして、とにかく録って出しの突貫作業が日常化していた。

 で、この『デビュー』製作の経緯だけど、かなり気合を入れて作られたコロンビア時代最後のソロ『Niagara Calender』のセールス不振によって契約延長が事実上なくなり、契約消化のために作られたものである。ナイアガラ・レーベルも閉鎖が決まり、今さらアーティスト・エゴをごり押しするほどの気力もないので、だったらみんなに決めてもらった方がいいんじゃね?的な投げやりな選曲となっている。
 当時の「ヤング・ギター」の発行部数がどのくらいだったのかは不明だけど、読者の中の大滝ファンの総数がどれだけいたのか、またその中でどれだけ応募があったのかも不明だけど、どちらにしろ多くの人数ではなかったと思われる。なので、ファンの要望がどれだけ反映されているのかといえば、それはもう真相は闇の中。

 『デビュー』『デビュー・スペシャル』両方の収録曲を見ると、前者がほぼ3分の2、後者の半分がアップテンポのリズム・タイプで占められている。もともとコロンビア時代の大滝、メロディ・タイプの楽曲はそれほど多くない。当時の志向がリズムであったこと、また単純にスタジオ経費を抑えるため、メリハリのあるリズム主体のセッションの方が、時間も短縮できるところにあったのだろう。ソニー時代のようなメロディメーカーで売ってたわけじゃないし。
 「もし」というのは無粋だけど、『デビュー』のメロディ・タイプがもう少し多かったら、「もし」ミックスやセッションの過程で時間的余裕があったとしたら、もっと違う可能性もあったのかもしれない。ただ、ここでメロディ・タイプを使い切ってしまうと、後のロンバケには至らなかったかもしれないわけで。
 将来的に、両アルバムをまとめた完全版が作られればよいのだけれど、それにはまだ時間が必要なのかな。


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大滝詠一
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1. 空飛ぶくじら
 ここから4曲目までが、最初で最後の「ファースト・ナイアガラ・ツアー」1977年6月20日渋谷公会堂の音源。10日間で大阪・東京・仙台・名古屋・福岡を回るというハード・スケジュール。レコーディングもあったから、時間がそれしか取れなかったんだろうな、きっと。たまにyoutubeで上がってるけど、このツアーは映像が残されており、一般発売が熱望されているのだけれど、さていつになることやら。
 ソロ・シングル2枚目としてリリースされたのが初。作詞の江戸門弾鉄は松本隆のペンネーム。第1期ナイアガラとは、イコール松本隆の不在とも称されるのだけど、この曲はもともとはっぴいえんどのソロ・プロジェクトの流れで制作されたので、長いブランク前の貴重なコラボという位置づけにある。
 これまで泥臭いロック/時々フォークをサウンドのコアとしていたはっぴいえんど時代から一転、ここではクラリネットという非ロック的楽器を大きくフィーチャーしており、もともとのバックボーンであるポップスへの傾倒、リスペクトと覚悟とが窺える。

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2. 空色のくれよん
 『風街ろまん』収録、こちらも松本との共作。オリジナル同様、カントリー・テイストのゆったりしたサウンドなのだけど、大きく違うのはやはり大きくフィーチャーされた細野のベース。基本はルート音をなぞったシンプルなプレイなのだけど、音が太い。大滝自身のヴォーカルにさほど変化はないのだけれど、ボトムの効いたベース・サウンドは十分オルタナティヴ。
 ここで聴けるヴァージョンはもっとまったりした風合いが強いため、むしろこちらが大滝の意図だったんじゃないかと思われる。ヨーデルの部分も気持ち良さそうだし。

3. 田舎道
 こちらも初出ははっぴいえんど、3枚目の『Happy End』より。こちらもオリジナルと比較すると、はっぴいえんどヴァージョンが「ロックンロールをなぞろうとしたけど噛み合わなくて、なんか不思議なオルタナ」に仕上がっちゃってるのに対し、ここでは大滝の意図にうまくはまった正調ロックンロール。Little Richard 「Tutti Frutti」のワンフレーズを挟む余裕すら見せている。
 Keith Richardsも言ってたけど、ロールしてないとダメなんだな、やっぱりロックは。

4. ウララカ〜はいから〜ロン・ロン〜サイダー
 『大瀧詠一』『風街ろまん』、元ネタのPhil Spector「Da Doo Ron Ron」を挟み、ある意味、当時もっともよく知られたいた「サイダー」で締めるメドレー。基本リズムはすべて同じなので、アレンジしやすかったんだろうしライブにおいてもキラー・チューン的なポジションだった。

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5. Sheila〜シャックリママさん〜Love's Made A Fool Of You
 この曲のみ、1981年6月1日新宿厚生年金会館、ロンバケ発売記念コンサートでの音源。こちらも昔から完全版がネットで回っていたし、今も多分丁寧に探せば入手はたやすいと思われる。正規発売が待たれている音源のひとつ。多分、ロンバケ40周年かな、オフィシャルは。
 3.4.同様、こちらもオールディーズ/ロックンロールから『Niagara Moon』、Buddy Hollyのメドレー構成なのだけど、長期ブランクを挟んで晩年まで大滝組としてリズムを担った上原裕がドラムをプレイしており、バンドのグルーヴ感が違っている。盟友鈴木茂、松任谷正隆も参戦して、一時引退状態だった大滝のバックアップに力を貸している。

6. 指切り
 この音源も1曲のみ、1981年12月3日渋谷公会堂、前代未聞かつ後年も例がない、伝説のヘッドフォン・コンサートからの1曲。
 『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』発売に先駆けて行なわれた、佐野元春・杉真理を従えたジョイント・コンサートなのだけど、普通のライブと大きく違う点があった。PA、スピーカーなど音響増幅の機材がステージ上に配置されてなかったこと、ヘッドフォン持参で集まった観客は会場入り口でFMウォークマンを渡され、ラジオ音声でライブ音源を聴くという、かなり画期的なスタイルのライブだった。親会社ソニーのバックアップがあったからこそ生まれた企画であり、販促の一環だったと思うのだけど、そこに物好きな大滝がうまく乗っかった形である。
 オリジナル・ラブやシュガー・ベイブがカバーしているように、一般リスナーだけじゃなく同業者からも人気の高い曲。大滝曰く、Al Green的なヴォーカルを模倣しようとしてファルセットも多様したりしたのだけど、できあがったのはソウルともポップスとも言えぬ奇妙な質感のサウンドに仕上がった。国籍不明・ジャンル分け不能なその楽曲は、プロから素人まで、あらゆる者を惹きつける吸引力を持つ。

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7. 水彩画の町
 ラスト3曲はオリジナル『デビュー』より。1978年5月、大滝のハウス・スタジオ「Fussa 45」で行なわれたセッションを中心に構成されている。セッション・メンバーを見ると注目なのは、ソロ初期から交流のあったムーンライダーズ勢の多さ。彼らもまた、メインのバンド活動ではなかなか芽が出ず、セッションや歌謡曲のバック・バンド、CMソング製作で息を繋いでいた点は、大滝と共通している。
 参加メンバーの中でも特筆すべきなのは、同じように本業ではなかなか注目されていなかった山下達郎のストリングス・アレンジの絶妙さ。カントリー・テイストのアレンジに彩りを添えるが如く、大滝のソフト・サウンディングを引き立てるような柔らかな調べは、楽曲のグレードを確実に上げている。オリジナルの『大瀧詠一』では流麗なフォークでしかなかったのに、ここでは華麗なカントリー・ポップに仕上げている。

8. 乱れ髪
 こちらも『大瀧詠一』が初出。アレンジもほぼ一緒、ヴォーカルスタイルもオリジナルをほぼなぞっている。ていうか下手にリアレンジできないほど、この曲は完成されている。前述の山下ソリーナ、軽いエコーが彩りを添えている以外は、ほぼそのまんまである。
 大滝が書いた楽曲の中でも1、2を争うクオリティであり、ヴォーカルもこれ以上はないという解釈でまとめられている。

 割れた 鏡の中
 畳の青が 震える
 何を そんなに
 見てるんだい

 外は 乱れ髪のような 雨
 ごらん 君の 髪が降る
 ごらん 君の 髪が降る

 西野カナやいきものがかりに慣れた感性では処理しきれない、あまりに斬新な歌詞世界が、大滝のクルーナー・ヴォイスを求め、そして見事に応えている。

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9. 外はいい天気だよ
 ラストは『Happy End』より。オリジナルには「だよ」がついていない。「だよ」をつけたことによって、特に駒沢裕城が奏でるスチール・ギターの響きが、ほのかなカントリー・テイストを漂わせている。この曲を聴くたび、俺は春ののどかな陽気の午後を連想してしまう。
 はっぴいえんどヴァージョンもまた、大滝の意図通りにカントリー・アレンジをなぞっているのだけれど、やはり強く印象に残るのはクセの強いリズム。大滝自身のヴォーカルはそれほど後年と変わらないのだけど、ドラムとベースの自己主張が強く、いびつな響きとなっている。
 ポップス/カントリーとしては歪んだ仕上がりではあるけれど、オルタナ・バンドとしてのはっぴいえんどであるのなら、これはこれで正しい。変に丸く収まらず、ただのフォークでさえストレートに聴こえない、バンド・マジックというのを体現した集団。
 同じ演奏・アレンジながら、はっぴいえんどヴァージョンと違って角が取れてマイルドになったサウンドが、ここでは展開されている。
 こうして比較してみると、はっぴいえんどという存在が、日本のポピュラー・ミュージックにおいて「静かなる異端」だったことが証明されている。やっぱり変わってるよな、この人たちって。



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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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