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#Pop : Japan

ナイアガラに学ぶ原盤権の話 - 大滝詠一 『大瀧詠一』


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 去年くらいから、自らの著作権・音楽出版権を、メジャー・レーベルや投資ファンドに売却する海外の大物アーティストが増えている。ディランに始まり、ニール・ヤングやスティーヴィー・ニックス、新しめのところではリル・ウェイン、ついさっき聞いた話だと、あのポール・サイモンも全著作権をソニーに売却した、とのこと。
 そこそこでも名を知られたアーティストにとって、著作権は絶対手放さない打ち出の小槌のはずだった。何しろ寝っ転がってても金を生み出してくれるので、ヘタな投資や利殖に手を出すより、ずっと堅実である。
 小室哲哉みたいに、それを担保に手を広げすぎちゃうと、大抵あんな風になってしまう。一発屋程度の歌手なら変に欲をかかず、ただ持ってるだけで食ってく分には困らないので、大事に手元に置いといた方が無難とされている。
 ただこれが、ヒット曲をいくつも持ってたり、加えてキャリアが長いとなると、ちょっとめんどくさくなる。単に売り上げ枚数だけなら、まだシンプルだけど、TV・ラジオで使用されたり、有線・カラオケ再生数、はたまた自作曲をカバーされたりなんかすると、それはそれで権利が発生するので、その都度契約や確認が必要になったりする。
 極端な話、「20年前に書いた曲をカバーしたい」というボリビアのローカル・バンドのオファーや、インドネシアのラッパーからのサンプリング許諾やら、そんなのいちいちチェックできるわけがない。
 クリエイティブ面に長けたアーティストであればあるほど、そんな煩雑なデスク・ワークとは相性が悪い。なので、そんな面倒なこと一切合切を引き受けてくれる版権管理会社、さらにその上のJASRACという組織が存在している。ある程度のマージンを払ってそっちに丸投げしちゃう方が、全部自分で管理するより効率もいいし、ストレスも軽減される。
 また極端な例えだけど、20年前にリリースしたアルバムがコートジボワールでリバイバル・ヒットして再プレスされても、知らなければそのままだし、申請しないと一銭も入ってこない。煩雑な手続きを第三者に委ねることで、取り分はちょっぴり減るけど、全部自分でやるより、圧倒的にコスパは良い。
 アーカイブの管理を委託されていることが多いレーベル側としても、新たにレコーディングするよりも製作コストは抑えられので、旧譜カタログの再発には積極的である。特に減価償却が済んだ古い大ヒットアルバムは、毎年安定した売り上げが見込めるので、多少値下げしても充分ペイできる。
 一時、往年の名盤にボーナス・ディスクを同梱したデラックス・エディションが乱発されたことがあった。丁寧なリマスタリングやサウンドボード音源のライブ・テイクを収録したり、良質なモノも多かったけど、あからさまな水増しのモノも多かった。単なる音合わせみたいなセッションをアウトテイクと称したり、明らかにブートレグをそのままコピーしたような低音質のライブ盤だったり。
 手を替え品を替え、パッケージに凝ったりボーナス・トラックをくっつけたりして、大手レーベルは旧譜カタログのブランド化に懸命だった。アーティスト側もまた、手持ちのデモ・テープやサウンドチェック用のカセットを引っ張り出して、レーベルの片棒を担いだりした。
 ディープなファンにとっても、新たな意匠が買い替えの後押しとなり、いわば誰も損しない一石三鳥の優良ビジネスが成立していた。
 ここまでが20世紀。

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 ただ21世紀に入り、世界的にCD売上が落ち込みを見せ始めたことで、音楽ビジネスの様相は変わってくる。高速ネット回線とデジタル圧縮技術の劇的進化によって、ダウンロード音源がCDのシェアを圧迫するようになってきた。
 年を追うごとに市場の右肩下がりはさらに加速、経営不振による吸収合併の末、メジャーはおおよそ3社に集約された。競合は減ったけど、パイは大幅に縮小されたため、シェア争いはさらにシビアになった。
 各社とも切り詰めた経営を強いられるため、かつてのように湯水のような販促費や製作費をかけることもなくなった。音楽雑誌の広告もずいぶん減ったし、新譜の予約特典だって、ペラッペラのクリアファイルばっかだもの。80年代は、各メーカー趣向を凝らしたノベルティグッズで溢れてたのにね。
 売れないから販促費をカット→充分な宣伝をしないので、リリースしても気づかれない→さらにコストカット↩︎。そんな悪循環の無限ループによって、ただでさえ小さなパイはさらに縮小、遂にはメジャーの存在自体が危うくなってゆく。
 なかなかチャンスを与えられない若手としては、どうせまともにリリースされないんだから、それならいっそメジャー流通にこだわらず、自分たちで仕切った方がいいんじゃね?って考えるようになる。メジャーの宣伝力に頼れないんだったら、自分たちでTwitterやYouTubeで宣伝してゆく方が効率いいし、中間搾取排除したライブ物販の利益率高いし。
 近年はそんな按配で音楽業界のパラダイムシフトが形成されつつあったのだけど、昨年の新型コロナ禍ですべてが吹っ飛んだ。感染リスクを最小限に抑えるため、多人数が集まるライブ開催だけじゃなく、密室空間でのレコーディングも困難になった。
 さらに追い討ちをかけたのが、サブスクの急速な普及。アニソンからノイバウンテンまで、あらゆるジャンルが一律聴き放題になったことで、音楽ユーザーの裾野は確実に広がったけど、アーティストの手元に入る収益は劇的に低下した。
 今後、このまま版権持ってたって、状況が好転する見通しも立たないだろうから、それならいっそ、高く売れるうちに売っちゃった方が得じゃね?って考えたのかね、ディラン。彼クラスなら、自前の版権管理エージェントくらい持っていそうなものだけど、今後はそっちの維持費の方が高くつくって判断したのだろう。
 一方、日本では今のところ、海外のような動きはなさそうである。世界レベルのアーティストがいないため、投資側のメリットが少ないこと、CD販売がまだギリギリビジネスとして成立していることも理由なんじゃないかと。

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 ここまで主に著作権中心で書いてきたけど、続いて原盤権。すごくざっくり言えば、マスター・テープの所有権である。
 一般的に知られているアーティスト印税は、販売価格の1〜5%くらい。活動年数やヒット実績に応じて率は変動するけど、おおむねこんな感じ。
 で、原盤権所有者の取り分は、なんと10〜15%。さらにシンガーソングライターだったら作詞作曲印税がプラスされるので、さらに収益増となる。
 ただこの原盤権、アーティスト本人が持っている例は少なく、製作費を出したレーベルが所持しているケースが多い。いわゆるエグゼクティブ・プロデューサー=出資した人だけど、大抵はそこの社員だったりする。
 レーベルとアーティスト双方が納得の上なら、そんなに問題もないのだけれど、例えば会社が倒産したりアーティストが移籍したりすると、ちょっと面倒なことになる。マスター・テープが行方不明になったり、杜撰な管理状態のおかげで破損したり、というのはわりとよくある話。権利者との折衝がまとまらず、リミックスやリマスターが進まなかったりなど、いろいろとややこしや。
 近年だと、テイラー・スウィフトの初期アルバムの原盤権が第三者に売却されてしまい、変に悪用されるのを防ぐため、該当アルバム6枚の再レコーディング計画を発表した。オリジナルと寸分違わぬ新たなマスターを正規版とすることで、旧マスターの価値を暴落させることが目的という、何とも手の込んだ対抗策である。
 これと似たケースで、プリンスこと殿下、ワーナーと泥沼の訴訟合戦を繰り返したあげく、まるで売り言葉に買い言葉みたいな勢いで、全アルバムの再レコーディングを宣言した。したのだけれど、宣言して満足しちゃったのか、結局やったのは「1999」のみだった、ってオチ。
 ワーナー・カタログの中では売れ筋であるはずの殿下のアルバムが、長い間リマスターもデラックス・エディションも発売されなかったのは、そんな事情がある。あの『Purple Rain』ですら、つい最近まで初リリース時のショボい音質でしか聴けなかったし。

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 で、ここまでが長い長い前置き、やっとたどり着いたよナイアガラ。原盤権にちょこっと触れるだけのつもりだったのが、こんなに長くなっちゃった。
 デビュー・アルバム『大瀧詠一』製作時、2チャンネル・マスターに落とす前のマルチ・テープ素材を、当時のレコード会社に廃棄処分されたことが、ナイアガラ・レーベル設立のきっかけだった。せっかく心血注いで作り上げた渾身の力作であり、その過程でこぼれ落ちた断片もまた作品の一部である、と考えたのだろう。
 この時代から大滝、スタジオ使用時間は長いわミックス作業にこだわるわで、当時の基準からしても、異例の製作費となった。もともとバンドでもプレイヤーとしての貢献度は少なく、録音ブースよりミキサー卓の前にいることが多かったため、次第にそっち方面への興味が強まっていったんじゃないかと思われる。正直、歌入れ以外はやることなかったし。
 音楽にまつわる雑学や知識量は当時からずば抜けてはいたけど、コード理論や楽理に通じてたわけではなかった。エンジニアリングに興味を持ったと言っても、そこからアカデミックな音響工学を学んだりしていたわけではないので、ミキサーへの指示も抽象的なものだった。
 ミキサー卓の前に座る吉野金次の隣りで、「ここのギターはバッファローっぽいファズ」でとかなんとか、「こんな風にこだわる俺って、アーティストっぽいよな」ってスカしてたんじゃないかと思われる。こうやって書いてみると、単なる意識高い系のめんどくさい奴だな。
 アーティストとしての様々なスキルや商業的な実績はともかく、志だけは高かった若者の常として、自分なりのコンセプトなりビジョンはしっかり持ってはいた。いたのだけれど、まだそれを伝える言語も技術も拙かったことは察せられる。
 めんどくさいところも含めてアーティストたる所以だし、その辺は吉野金次も若者のたわごととして多くは聞き流していたんだろうけど。でも調べてみたら大滝と吉野金次、同い年なんだな。逆にめんどくさい同士で息は合ってたのかもしれない。

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 本気でエンジニアリングを極めたいのなら、きちんとした工学系の大学に入り直すか、スタジオの下働きから始めるのが筋なのだけど、そのどちらもやりたくない。本業になると、演歌や歌謡曲など好きじゃない音楽も受けなければならない。
 そうじゃなくて、作りたいのはあくまで自分の音楽なのだ。まだミュージシャン/アーティストとして、志も高かった大滝だった。
 自分の音楽を全部自分でコントロールしたい。スタジオの予約スケジュールや使用時間を気にせず、自分の納得ゆくまでレコーディングや編集をしたい。
 そんな大滝が考えに考え抜き、行き着いたのが、プライベート・スタジオの設立だった。のちのFUSSA 45 STUDIO、のちのナイアガラ・レーベルの拠点、またナイアガラーにとっての聖地である。
 -おそらく俺は20年後か30年後、この時の素材を使ってリミックスすることになるだろう。それに加え、収録しきれなかった未発表曲を追加収録したりして、10年ごとに再発を繰り返してゆくことだろうー。
 当時からそんな壮大な計画を持っていたとは信じたくないけど、そこまで大げさじゃなくても、いつかまた、別の機会に作り直したいという気持ちは持ち続けていた。多分、最期までそう思っていたはずだ。
 もしベルウッドが完全な形で、パートごとのマルチ・トラックを保管していたら、その後のナイアガラ・レーベル構想もなかったかもしれない。原盤権を持たぬ者に、マスター保管をどうこう言える権利は、当時もそうだけど、今もない。
 別にベルウッドを擁護するわけではないけど、テープの保管には経費がかかるし、いわば有形資産なので、さらに管理費や税金が発生する。そうなると、録音セッションすべてのテープ素材を保管するのはコスパが悪いので、完パケの2トラックマルチだけ残しておく。
 おおよそこんな感じで、担当ディレクターに諭されたんじゃないかと思われる。まぁバカ売れしたわけではないので、引かざるを得ない。モヤッとした気持ちを抱えつつ周囲に愚痴りつつ、大滝はベルウッドを去り、自前のレーベル設立に動くことになる。
 その後、ベルウッドはレーベル活動を休止、カタログ管理は親会社のキングが引き継ぐことになる。ロンバケで大滝が復活すると、わかりやすいくらいの電光石火で便乗商法に乗っかったのは、わりと有名な話。
 多くのナイアガラ・カタログが新たな解釈を加えてヴァージョン・アップしているのに対し、このアルバムだけリマスターが遅れたのは、おおよそこんな理由である。老舗のキングが、大滝クラスのアルバム1枚の売り上げに固執しているとは考えづらいけど、既得権って手放さないんだよな、損得抜きにして。
 多分にキング=ナイアガラの間で、『大瀧詠一』の原盤権=マスター・テープの買い取り交渉は水面下で行なわれていたのだろうけど、力関係もあるし他のしがらみもあるしで、こういうのってなかなか進まない。1995年になって、大滝監修によるボーナス・トラック収録のエディションが発売されたけど、あれもナイアガラではなく、ソニーの傘下レーベル:ダブル・オーからの発売だった。
 とはいえ、ダブル・オーは大滝が経営参加していることもあって、事実上、彼主導でのプロジェクトではあったのだけど、あくまでキング側としては「ソニー(ダブル・オー)へのマスター貸し出し」という体裁にこだわったのだろう。こうなると、腹の探り合い・意地の突っ張り合いは落としどころが見つからない。
 2012年、リリースから40周年を機に、大滝は未公開音源を追加したリマスターを企画するのだけど、キング側より独自で販促展開する旨を伝えられ、プロジェクトは頓挫する。実作業もほぼ済んでいたらしく、良好な関係だったら提携もありえたのだけど、やはり遺恨があったんだな。
 で、来年がリリース50周年。同時に『Niagara Triangle Vol. 2』40周年ではあるけれど、ソニー時代のストックは『Each Time Vox』(仮)で使いそうなので、プッシュするのは『大瀧詠一』の方なんじゃないかと思われる。
 多分、キングとナイアガラ間で何かしらの合意はあるんじゃないかと思われ、そうなるとまた年末あたりに盛り上がるのかな。当事の関係者も多くが高齢だし、どこかで区切りはつけとかないと。





1. おもい 
 「ビーチ・ボーイズっぽいアカペラ」というのがコンセプトでレコーディングされた多重コーラスの曲。まだ『Pet Sounds』の存在を知らなかった中学生にとって、このオープニングは正直オカルトっぽかった。
 ヴォーカル・ダビングや編集に時間をかけ、も少しエコーを効かせたりしたら、幻想的な雰囲気になって聴きやすいんじゃないかと思うのだけど、右チャンネルだけで聴くと、一応ビーチ・ボーイズになってはいる。いるのだけれど、左右にパンした方がよかったんじゃね?

2. それはぼくぢゃないよ
 約1年前にリリースされたデビュー・シングル「恋の汽車ポッポ」B面が初出。ただ、この時の出来に満足できず、ここでリベンジの再録音。1995年版にシングル・ヴァージョンが収録されているのだけど、確かにちょっと未消化でデモ・テープみたいな印象。
 ソロ・ヴォーカル・パートもハーモニーも、かなりこなれて理想通りのテイクに仕上がったと思うのだけど、でもやっぱタイトルはロックじゃないよな。「恋の汽車ポッポ」も、最初タイトルだけ見たら四畳半フォークかと思ったし。

3. 指切り 
 当時19歳の吉田美奈子がフルート、リズム・セクションがはっぴいえんど2名という、いま思えば豪華な顔ぶれのセッションでレコーディングされた、ミステリアスな味わいの曲。主にオールディーズを範とする大滝の中では異端に属する曲で、起承転結感の薄いメロディ・コードの浮遊感は、風化しない構造を持っている。
 そんなわけで田島貴男を含めカバーしているアーティストも多いのだけど、大滝いわく「アル・グリーンっぽくやりたかった」というビジョンに最も近づいていたのが、シュガーベイブ=山下達郎のテイクだったんじゃないかと。当時は未発表だったけど、のちに『Songs』リマスターのボーナス・トラックとして収録されている。

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4. びんぼう
 いま思えばかなりディープなジャパニーズ・ファンク。ディスコやダンス・ビートとは逆のベクトルの、ほぼ骨格だけのスケルトンなファンク。アッパーなスライか、はたまた四畳半で生まれた岡村靖幸か。
 ほぼ40年前、北海道の中途半端な田舎の中学生だった俺が背伸びして買った『大瀧詠一』のなかで、もっとも食いついたのが、このトラックだった。正直、1~3曲目までは何か眠たくて魅力を感じなかったけど、この疾走感だけの四畳半ファンクは何度も聴いた。「びんぼっ!」って言いたかっただけだけど。



5. 五月雨 
 何かギクシャクしたドラムだよな「イーハトヴ・田五三九」、って思ってら、大滝の別名だった。どうりでリズムがもたついてるな、って印象だけど、トータルでは全然優秀なジャパニーズ・ファンク。繰り返すようだけど、スライ『暴動』もリズム・ボックス主体の雑な造りだけど、あれがその後のファンクのマイルストーンになったことを思えば、この異様さこそがファンクなのだろうか。日本では異端すぎて、しかも大滝もそれ以上追及しなかったものだから、結局根付かなかったけど。
 「さみだれ」という純日本的な言葉をリズムに乗せてしまえるほどの先進性、拙いリズム・ワークで異空間ファンクを召喚してしまった当時の力量は、もっと評価されてもいいんじゃないだろうか。ちなみにシングル・ヴァージョンも存在するのだけど、あっちは「ちゃんとやろう」感が漂ってて、ファンクっぽさにチョット無理がある。ていうか、最初に聴いたのがアルバム・ヴァージョンだったから、そのせいもあるのかな。

6. ウララカ 
 フィル・スペクター=クリスタルズの「Da-doo Ron-Ron」をリスペクト、っていうかほぼそのまんまで日本語詞を乗せた、お気楽極楽なポップ・チューン。のちに『Debut』でリメイクしているくらい、本人的にもお気に入りだったと思われる。
 
7. あつさのせい
 当時のウェスト・コースト・ロックをかなり忠実に表現した、「ロック」な大滝のヴォーカルが聴ける貴重なナンバー。特に『Niagara Moon』以降はまじめに歌おうとせず、晩年のプレスリー・カバーも「ロックンロール」テイストなので、粗削りな先走り感を求めるのなら、このアルバムまでなんじゃないかと。

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8. 朝寝坊 
 ジャズ・コンボをバックに、優雅なヴォーカルを披露する大滝。ていうか、既にここでクルーナー・ヴォイスの完成形となっている。若さゆえの色気もあって、このスタイルを活かす路線もあったのか、と今頃になって気づいた。
 中学生の頃はこの歌、眠くて聴き流してたもんな。年を経てから気づくっていうのは、こういうことなのか。

9. 水彩画の町 
 大滝自身のヴォーカルとギター以外はコンガとコーラスのみという、あまり見られない「ほぼ」弾き語りのナンバー。ストローク・プレイはいいんだけど、メロディ・パートになるとなんか危なっかしくて、聴いてるこっちがドキドキする。まぁデビュー作だし、その拙さが当時は評価されたのだろう。でも、これでやり切った感があったのか、その後の大滝はほぼヴォーカル専業となり、プレイヤーとしての側面は薄くなってゆく。

10. 乱れ髪 
 かなり練られたドラマティックなオーケストラによるイントロが印象的なバラードであり、これもその後、カバー曲として人気が高いのだけど、ここで最も注目するべきなのは、大滝のヴォーカル・パフォーマンス。多分、キャリアの中でも1,2を争うクオリティの高さ。何回か歌った末、ファースト・テイクが採用された、とのことだけど、まぁうまい。
 2分ちょっとの小品だけど、その濃密さは下手なアルバムの1枚分を軽く上回る。

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11. 恋の汽車ポッポ第二部 
 2.で四畳半フォークっぽいタイトルって書いたけど、実際聴いてみると、やたらテンション高いサザン・ロックのハードな日本的解釈。鈴木茂のギター・プレイが大きくフィーチャーされており、変にかしこまってない荒さが心地よい。
 しつこいようだけど、もっとスカしてても良かったから、タイトルどうにかしてほしかった。

12. いかすぜ! この恋
 多分、俺だけじゃないだろうけど、スピーカーが壊れちゃったんじゃないかと勘違いしてしまった、左チャンネルだけのモノラル・ヴァージョン。当時はすでにディナー歌手っぽくなっていたプレスリーへのリスペクトをあらわにするのは、ロック界隈ではなかなか異端だったんじゃないか、と。尾藤イサオあたりならまだしも、排他的だった日本のロック界で「プレスリーが好き」って言い切るのは、なかなかの冒険であり、それもあって少々の気恥ずかしさもあって、こんな聴きづらいミックスにしたのかね。
 のちの1995年版でステレオ・ヴァージョンが公開されたのだけど、普通にカッコいい仕上がり。しかしこの音源、キングではなく大滝の個人所有のものであり、現行CDには未収録。50周年エディションでは収録されるのかな。










2021年サブスク解禁となったナイアガラ界隈の話 - 大滝詠一 『NIAGARA CONCERT '83』

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 3/21にサブスク解禁されて、例年以上の盛り上がりを見せているナイアガラ界隈、手軽に聴けるようになったことで、しばらく離れていたファンもわらわら集まっていると思われる。ここ最近まで、俺もプレイリスト無限ループしていた。
 で、どのメディアでも「全楽曲配信」と謳っているのが、ちょっと引っかかる。熱狂的原理主義者「ナイアガラ―」からすれば「それはちょっと誇大表記なんじゃないの?」って思っている者も、少なくないんじゃないかと思われる。ナイアガラーじゃないけど、俺もそう思ってるし。
 リマスター再発時のボーナス・トラックやヴァージョン違いまで網羅するのは、さすがにマニアックすぎるし、「そこ突っ込むんだったらCD買えよ」で済むからまぁいいとして、でもなんで『Niagara Triangle Vol. 1』は入ってないの?多分、達郎がらみとは思うけど、でも2013年にiTunesやmo-raではダウンロード配信が開始されており、その辺の権利関係はクリアされていると思ってたんだけど。期間限定だったのかな。
 『Niagara Triangle Vol. 2』に至っては、佐野元春も杉真理も個々に配信済みなので、なんでこのタイミングで配信しないのか、ちょっとわけがわかんない。当時シングル・ヒットした「A面で恋をして」単体だけでも、入れてよかったんじゃないかと。
 『Best Always』。いわば追悼盤として急遽編纂されたベストなので、微妙な立ち位置のアルバムではあるけれど、入門編としてはベターな選曲だったので、残しといてもよかったんじゃないか、と。それとも今後は、ソニー時代にフォーカスした『B-each Time L-ong』が公式ベストって見解なのかな、ナイアガラ的には。
 一連の『CMスペシャル』音源は、三ツ矢サイダー以外のスポンサー許諾関連だろうな。何しろ多岐に渡るから。
 シュガーベイブ『Songs』は、達郎がそのうちなんとかすると思われるので、割愛。シリア・ポール『夢で逢えたら』は、今回のサブスクの反響待ちかな。
 いまのご時勢なら、『Let’s Ondo Again』もモンド的な観点で、カルトな支持を集めそうなんだけど。まぁ「河原の石川五右衛門」だけはムリだよな。でも『多羅尾伴内楽団』、あれは今後もパスだな。アレこそ、あってもなくても、ディープなナイアガラー以外、誰も困らない。
 インストだと、『ソングブック』関連は「井上鑑ワークス」って観点でアリなんじゃないかと。ただ『Sing a Long Vacation』、今回の『ロンバケVOX』で無修正モノが発掘されたので、もうコレクターズ・アイテム化ってことでお役御免。
 「世界初」のプロモーション・オンリーCD『Snow Time』、唯一の新録ヴォーカル・トラック「夏のリヴィエラ」が『Singles & More』・『Debut Again』にサルベージされちゃったので、他のインスト・パートは…、まぁ需要ねぇか、ナイアガラー以外は。
 -と、徒然なるままに書き連ねてしまったけど、ここら辺の配信は、来たる3年後の『Each Time Vox』まで待つことになるのかな。出るかどうかは知らんけど。


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 筋金入りのナイアガラーとまではいかないけど、『Each Time』をリアルタイムで買った俺のように、年季の入ったファンなら、いま羅列したアルバムのほとんどは持っているんじゃないかと思われる。手元にはないけど、PCに取り込んで手軽に聴く環境にあるユーザーは、それなりにいるんじゃないかと。
 なので今回のサブスク配信、俺のような古参ファンやディープなナイアガラーはお呼びではない。若い世代のライト・ユーザーを取り込んで、ファン層の裾野を広げることが目的と思われるラインナップなので、そんなマニアックな音源は必要ないのだ。
 ここ数ヶ月は、主に「Rolling Stone」の企画や80年代歌謡曲を追っていることが多く、ナイアガラ関連はほぼご無沙汰だった。今回、久しぶりにまとめて集中的に連続ループで聴いてみて、改めて気づかされた。
 -俺にとって大滝詠一とは、人生の何%かを占める大きな存在である。当時、北海道の中途半端な田舎の中学生だった俺は、彼の書く旋律と歌声、そして軽妙なトークに魅了されたのだった。山下達郎や高田文夫くらいしかわからない冗談やギャグも、当時は必死に理解しようと努力したのだった。
 カナリア諸島もディンギーもシベリア鉄道もペチコートも、実生活では見たことも聞いたこともなかったけど、そのキラキラしたフィクショナブルな世界観は、俺を含め、80年代に青春を生きた多くの若者を魅了したのだった。ペパーミントな風ってなんだ?そんなヤボなことは思いもしなかった10代の夏。
 悪く言っちゃえば、アーバンでトレンディな軽薄短小バブル世代ど真ん中なんだけど、でもオシャレっぽいカタカナに弱いんだよな、俺世代って。あと夜露死苦みたいなヤンキー四文字熟語と。

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 新春放談の1回目から「これで終わり」「これが最後だから」と、後ろ向きな発言ばかり繰り返していた大滝詠一。年一の放談はその後四半世紀続いたけど、どの年もお約束とばかり、その常套句でやり過ごしている。
 細々かつ着実に、ロングテールで売れ続けるコンテンツ『ロンバケ』を原盤管理していたため、あくせく働く必要がなかったこと、そもそもアーティスト活動にそんなに執着がなかったことが、理由として挙げられる。ソニー移籍以降のライブは片手で数えられるほどだし、「テレビには絶対出ない」と断言するくらい、とにかく徹底した裏方志向を貫いた。ヒット実績を作ったことで意見できる者がいなくなり、その偏屈度はさらに増してゆくことになる。
 周囲は「復活」って騒いでたけど、本人いわく「復活」なんて一言も言ってないシングル「幸せな結末」が出るまで、彼の動向を知る術は、新春放談か萩原健太のラジオくらいしかなかった。何か話題があってもなくても、取り敢えずここで生存確認することで、ファンは胸を撫で下ろし、年明けながら一年の計とするのだった。
 多分に、大々的に引退宣言するのではなく、ひっそり忘れられるように業界からフェードアウトするのが、彼の美学だったと思われるのだけど、また新春放談、曲かからなくても面白かったんだよな。好評だったこともあって、大滝も悪い気しなかったから、それから延々四半世紀出演し続けちゃったわけで。
 で、あらゆる必然と偶然とが絡み合ったピタゴラスイッチ的な成り行きによって、「幸せな結末」は制作された。長らくレコーディングの現場から離れていたこともあって、事前にリハビリ的なセッションが繰り返され、ドラマ開始にほんと滑り込みで完パケに至った。
 テレビで初めて「幸せな結末」を聴いた俺の印象は、正直、肩透かしのものだった。当時は「新曲!」というだけで狂喜乱舞したものだったけど、少し経って冷静になって聴いてみると、TKサウンド全盛の90年代において、あのもったりしたサウンド・プロダクションは、かなりショボかった。
 初回スタート直前の番宣でも、使われるのは「君は天然色」や「恋するカレン」ばかりで、新曲が公開されたのは、かなりギリギリのタイミングだった、と記憶している。多分、御大のことだから、最後の最後までマスタリングで粘ったり、ミックスにこだわったりしているのだろう、と勝手に思っていた。大方のファンも同じよう思っていたことだろう。
 なので、「初回の音源は多分、ラフ・ミックスなのだろう」と、当時の俺は勝手に分析していた。多分、スタジオ・ワークがこじれにこじれたため、納期を優先して体裁だけ整えたのだろう、と。
 ドラマ終了までまだ10週もあるのだから、多分、この間にヴォーカル・ダビングやアレンジももっと厚くして、最終回くらいにはファイナル・ミックスが仕上がり、それが商品化されるのだろう―。そんなことを、同じくナイアガラ好きだった当時の女友達に対し、拳を握りしめて熱弁していたのだった。あぁ、俺のバカ。
 結局、最終回までその仕様は変わらず、CDにおいても、そのアンサンブルの中途半端さ・ヴォーカルの芯の細さは改善されていなかった。技術的な問題ではなく、サウンド・メイキングへのこだわりが、そしてノウハウが失われていた事実を刻んだ、残酷な記録である。

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 どれだけ卓越した技術や素養であっても、長いブランクを取り戻すには、相応の時間と根気を要する。「幸せな結末」の場合、そのどちらも足りなかったわけで。
 そのリハビリ・セッション期の音源が、『Debut Again』のボーナス・ディスクに収録されている。初回限定だったので、今回のサブスクには入ってない。多分、今後もする気ないのかね。
 まぁ本人が、リハビリって言い切っちゃってるし、それにヴォーカル同録だったこともあって、正規リリースほどの作り込みはない。ヴォーカル・パートの一音一音を切り貼りするほどこだわり抜いた『Each Time』レコーディングとは対極の一発録りだけど、それを差し引いても、声量の弱さは隠しきれない。
 ここから徐々に調子を取り戻しつつ、最終的には再度、松本隆とタッグを組んで、という心づもりがあったのかもしれないけど、まぁ結局叶わなかった。当時の50前後という年齢ゆえ、囁かれていた健康上の不安か、はたまたミドル・クライシスにぶち当たっちゃったか。
 ヴォーカルが本調子でないという点で言えば、この『NIAGARA CONCERT '83』も同様なんだけど、まだアーティストとしては現役だったこともあって、声の伸びは後年の比ではない。経験の少ないライブ、しかも野外球場、さらにサザンやラッツ&スターと共演のイベントゆえ、大滝目当ての客はおそらく3割、いや多く見積もっても2割強、っていったところか。条件としては、かなり不利だ。
 音響もPAも決して万全とは言えない状況の中、俺が言うのもなんだけど、よくやった方だと思う。可能な限り、レコーディング音源とシンクロさせようと、当初は手探りでありながら、後半に近づくにつれて声も張り、違和感が少なくなってゆくのも、アーティストとしてヴォーカリストとしてピークだった証だろう。
 ファンの間では、昔からわりと有名な音源であり、これまでもYouTubeや怪しげな海外サイトによって、非公式で流通してはいた。いたのだけれど、元のソースがAMラジオ音源のため、ステレオ感もなく聴きづらかった。俺も聴いたことがある。大っぴらには言えないけど。
 なので、コアなナイアガラー向けの歴史資料的なアイテムのため、ビギナーに進めるものではない。今回のサブスクに入ってたのが、むしろ不思議である。多分、初ナイアガラでこれを聴いて「ファンになりました」って人って、まずいなさそうだし。
 とはいえ、俺のように「特典DVD目当てでCD買いました」というファンでも、そこまでリピートして聴いてる人がどれだけいたんだろうか。要は歴史資料なので、レアなグッズとして消費され、2~3回聴いた程度で棚にしまいっ放し、ってケースが案外多いんじゃないかと思われる。
 今回の『ロンバケVOX』だって、入手したことで満足しちゃって、ちゃんと聴き通してないケースも多々あるんじゃないか、と。そう、どっちも俺のことだ。
 なので、極端なオーオタじゃない俺にとって、今回のサブスク解禁は歓迎すべき出来事であり、この『NIAGARA CONCERT '83』も、CD購入した時より再生回数が明らかに多い、という事実。でも、5曲目までは飛ばしちゃうけどね。





1. 夢で逢えたら (Niagara Fall of Sound Orchestral)
2. Summer Breeze (Niagara Fall of Sound Orchestral)
3. Water Color (Niagara Fall of Sound Orchestral)
4. 青空のように (Niagara Fall of Sound Orchestral)
5. カナリア諸島にて (Niagara Fall of Sound Orchestral)
 本文でも書いたけど、イージー・リスニング的なストリングス・パート。新日フィル総勢40名による、本格的なアンサンブルは、ラッツやサザン目当てで来た観衆にとっては、いわばコーヒー・ブレイク的な感覚でしかなかっただろう。
 当時、14歳だった俺がこの会場に居合わせたとしても、多分、まともに聴こうとはしなかっただろうし。よほどディープなラッツのファンが、かつてナイアガラ繋がりだったという事実を知っていたら、もしかして耳を澄ませていたかもしれないけど…、ねぇな、そんなの。
 ただ、野外球場という条件下において、この録音の良さ、またアンサンブルの揃い具合は、特筆に値するんじゃないかと思われる。それだけオーケストラのポテンシャルが高かったという証だし、また、主催スポンサーのひとつだったニッポン放送の録音技術も相当高かったんじゃないか、と。
 当時、多くの観客にとっては心地よいBGM程度の認知しかなかったと思われるけど、こういった実績を残すことができたのは、新日フィル・ニッポン放送にとっても財産だったんじゃないか、と、今にして思う。それまでの技術の蓄積だったのか、それとも今後の分水嶺になったのか、双方からの証言をぜひ聴いてみたいところ。

6. オリーブの午后
 長い長い前振りが終わり、やっと大滝の登場。スネークマン・ショーでバカ売れした当時、猫も杓子も小林克也のDJを使うことがトレンドだった。達郎も使ってたしね。
 多分、客入れ前にリハーサルはやってるんだろうけど、ライブ自体久しぶりだし野外初めてだし、しかも観客入ると音の響きや返りも違ってくるしで、三重苦のプレッシャーからか、出だしはちょっとヘロヘロ。ピッチもちょっと不安定だけど、充分じゃないだろうか。

7. ♡じかけのオレンジ
 初っぱなで高いキーの曲を選んだのはウォーミング・アップだったのか、こっちの方が本来のキーには合っている。ストリングスは一旦お休みで、ここから『Each Time』レコーディング・メンバーによる演奏。
 百戦錬磨のミュージシャンだけに、ライブでもスタジオでもお手の物だろうけど、ここでもやはりエンジンをかけるのに苦労している感。まぁグルーヴするような楽曲でもなければ、そんなスタイルでもないし。

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8. 白い港
 第1期ナイアガラ時代なら、適当なリズム・タイプの楽曲でスタート・ダッシュをかけるところだけど、時代が変わればニーズも変わり、ここでは徹底的な二の線、歌い上げるクルーナー・タイプの楽曲・スタイルで通している。ここでいきなり「三文ソング」なんて歌っても、新日フィルが困っちゃいそうだし。
 ちなみに1983年7月24日に開催されたこのライブ、時期的に大滝は『Each Time』レコーディングの真っ最中だった。本来はこのライブで新曲を初お披露目、7月28日にリリースという計画だったのだけど、ライブ出演受諾後にリリース延期が決定、レコーディングの合間を縫っての参加となっている。
 なので、この時点でのレイテスト・アルバムが『Niagara Triangle Vol. 2』であり、そんな事情もあって、ここからの楽曲が多かったのか。まぁソニー的にも、最新アルバムに力入れるよな。ていうか、こういう形のプロモーションって、多分、最初で最後だろうって覚悟してただろうし。

9. 雨のウエンズデイ
 オリジナルのアレンジがシンプルだったこともあって、この曲がスタジオ・テイクと比べて一番近いんじゃないかと思われる。ナイーブな大滝のヴォーカルも程よい「濡れ」感を漂わせ、アンサンブルもしっかりまとまっている。ギターのソロ・フレーズはほぼ完コピ、ピアノの音がちょっと小さいけど、世界観を大事に保っている。
 二番に入ってからのヴォーカルは、会心の出来だったんじゃないか、というのが俺の私見。全般的にウェットな『Each Time』テイストが、ここではうまく作用している。

10. 探偵物語
 『Debut Again』がリリースされるまでは、この音源でしか聴けなかったレア・トラックのひとつ。『Each Time』レコーディングの合間を縫って制作された、ご存じ薬師丸ひろ子提供作のセルフ・カバー。
 映画タイアップだった事情もあって、ダサいタイトルはまぁ仕方ないとして、10代の程よい切なさと無常観を繊細に表現した松本隆の言葉は、俺的にここが頂点だったと思っている。彼の最高傑作である松田聖子をも凌駕する、ひろ子の透明感に触発され、この時期の「薬師丸ひろ子=角川映画=松本隆」のトライアングルは、濃密な詩情と刹那な憂いを見事に描き切っている。
 この三角地帯の時空の中では、大滝すら狂言回しの役割でしかない。

11. すこしだけやさしく
 その「探偵物語」のB面、またセルフ・カバー。本来、こっちをA面にする予定だった、というのはわりと知られた話。
 大滝の声質としては、こっちの方が本来のキーに近く、「濡れ」感のあるオールディーズ・ポップスをサラッと歌い上げている。でも、「探偵物語」とは違って、もろティーンエイジャーの女の子を想定して書かれた歌詞なので、ちょっとキモい。じゃなくてエモい。

12. 夏のリビエラ
 長いことUMA扱いされていたプロモーション・オンリーCD『Snow Time』に初収録、その後、1995年に一般発売されるまで聴くことができなかった、こちらもレア・トラック。もちろん森進一「冬のリヴィエラ」のセルフ・カバー。
 『Each Time』楽曲が確定していなかったこと、またラッツやサザンのファンにもアピールできるよう、わかりやすいヒット曲のセルフ・カバーという策だったのだろうけど、声を張りやすい楽曲なので、いい方向に作用している。なんで英語にしたのか、ていうかオリジナル日本語歌詞のヴァージョンは残っていないのか、など興味は尽きないけど、多分あるかもね。『Each Time Vox』待ちかね、そのあたりも。

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13. 恋するカレン
 演奏のキーはやや低めだけど、大滝のヴォーカルはオリジナルの通り。ちょうど喉もこなれてきたのか、結構高い音もがんばっている。ていうか、スタジオと同じキー、同じピッチで歌えるなんて、しかも決して良いとは言えないこの条件で、すごいな大滝詠一。やればできるじゃん。
 分厚いアンサンブルと凝りに凝ったオーバー・ダビングを重ねたスタジオ・テイクと比べ、ライブでの再現は限界があるのだけれど、そこをカバーするのが新日フィル。ポップス演奏はそんなに経験がないはずだけど、ここでの成功体験は、彼らにとっても自信につながったのでは。

14. FUN×4
 リズムは大きく変えてないけど、ライブ仕様で大胆なアレンジを施したイントロ。コーラスのシンガーズ・スリーがここに来て前に出てきて、大滝のヴォーカルを喰っちゃうくらい。そりゃ3:1だもの、しかも麗しき女性。勝てるわけねぇや。ていうか、紳士的に譲ったのかね。
 多分、ここで観客に手拍子を促しているのだろうけど、コール&レスポンスなんてやったのかな。手くらいは振ってるかもしれないけど。ライブ・ヴァージョンっぽく観客の拍手が収録されているのだけど、掛け声とか奇声とかは収録されていない。そんな雰囲気の楽曲でもないんだけど、その辺が80年代だな、みんな行儀がいい。

15. Cider ’83~君は天然色
 ここもライブっぽく、「サマータイム・ブルース」のイントロから入っている。ここがライブのクライマックスだ。「Cider」はほんのサワリ程度で、すぐに「君天」に突入。まぁオリジナルが30秒程度なので、これでもほぼフル・コーラスか。
 大滝のヴォーカル・パフォーマンスが、ここでピークに達している。いやスタジオ・テイクそのまんまなんだもの。そりゃ何回もできるはずもなく、本人的には「これが最後」と思って挑んだパフォーマンスなんだろうけど、これがソロ最後の曲だった、っていうのは惜しいよな。



16. 夢で逢えたら、もう一度 (Niagara Fall of Sound Orchestral)
 思っていたより良かったのか、大盛況の中で「今日はどうもありがとうございました」と、ボソッと呟いてステージを去る大滝。多分、照れくさかったんだろうけど、ご満悦だったんじゃないかと思われる。
 今のようにアリーナまで観客を入れることはなく、距離が遠かったことも、あまり緊張せず歌うことができたんじゃないか、と思う。ソロのホール・コンサートじゃなくて、いまみたいに野外フェスが一般的だったら、もっと気軽にライブのオファーも受けたんじゃないか、と。







中期以降のPSY・Sについて、いろいろと。 - PSY・S 『Mint-Electric』

folder 前回のPSY・Sの続き。
 初期PSY・Sの2作『Different View』と『PIC-NIC』は、当時の最新鋭マシン:フェアライトCMIの性能に重点を置いたサウンドで構成されていた。今なら一周回ってエモいと言えなくもない、極狭ダイナミック・レンジのチープな音質をベースに、でもそれだけじゃあまりに素っ気なさ過ぎるんで、アクセント的に挿入された最小限のバンド・アンサンブル、そしてチャカのヴォーカル。
 もともと大阪のライブ・シーンをホームグラウンドとし、グルーヴ感あふれる生演奏をバックに、エネルギッシュなジャズやファンクを歌っていた彼女だったからして、松浦雅也謹製による、一部のブレもないシーケンス・ビートに合わせるのは、さぞ至難の業だったと察せられる。有機的なリズムをもねじ伏せてしまうヴォーカライズを敢えて封じ、打ち込みサウンドと同期させるスタイルは、ひとつのチャレンジだった―、とは、振り返ってから言えることで、当時は単にノリで「やってみた・歌ってみた」程度の軽い動機だったと思われる。
 そんな2人が作るサウンド・プロダクトに呼応して、地に足のついた非現実感とも言える世界観を演出していたのが、駆け出しの作詞家兼バンドマン兼歯医者見習いのサエキけんぞうだった。敢えてベタなシチュエーションやストーリー展開を用い、平易な言葉の多用による意味性の排除は、サウンドを主とした松浦のコンセプトと相性が良かった。
 シンプルな言葉のリフレインの揺らぎから生ずるグルーヴ感が秀逸な「9月の海はクラゲの海」から、うしろ髪ひかれ隊や水谷麻里など、小銭稼ぎのアイドル仕事まで易々こなす、振り幅の大きいサエキのバイタリティーは、「言葉への過剰な期待を持たない」という共通項で、松浦と同じベクトルだった。だったのだけど。

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 彼らが所属していたCBSソニー邦楽部門は、80年代に入ってから、長らく主流としていたアイドル・ポップスからの路線拡大を図っていた。ハウンド・ドッグやストリート・スライダーズ、尾崎豊らを輩出したSDオーディションによって期待株を発掘し、時にバンド運営にも介入する担当ディレクターとの二人三脚によって、商品価値を上げていった。
 磨けば光りそうだけど、アラが目立つ金の卵を、地道なキャンペーンとメディア・ミックスの物量構成で認知度を上げてゆくのがセオリーであり、次第に80年代ソニー隆盛の必勝パターンとして確立していった。地道なライブとキャンペーン回りで場数を踏み、決して普段着にはなり得ないアブストラクトなコスチュームと、性急なカット割りが印象的なPVを大量オンエアすることが、手間と時間はかかるけど、ヒットへの近道だった。
 初期PSY・Sはライブ活動を行なっていなかったため、こういった必勝パターンのルーティンとは違うルートを歩んでいた。スタジオで長時間過ごすことを苦に思わない、ガチのシンセオタク:松浦が外に出るのを嫌ったのと、正直、ライブ映えするサウンドではなかったことも、その一因である。
 ていうか、『PIC-NIC』までの彼らに対し、ソニーがどの辺まで期待していたのかと言えば、ちょっと微妙なところである。必勝パターンに当てはめづらい彼らのポジションは、いわば若手育成枠、セールス実績を急かされる・または期待される存在ではなかった。
 当時、同じくCBSソニーに所属していたシンセ・ユニットであり、ジャンル的にかぶる存在として、TMネットワークがいた。松浦同様、生粋のシンセオタクである小室哲哉が描くプログレ・ポップ・サウンド、そして小室みつ子による古典SFファンタジーを主題とした歌詞世界は、デビュー当時、マス・ユーザーに響くものではなかった。
 ただ、制作スタッフとして参加した渡辺美里「My Revolution」のヒットを契機に大きく路線変更、シーケンス・パートを減らしてパワー・ポップ成分を添加、ハードなギター・プレイをフィーチャーした「Get Wild」で一気に注目を浴びることになる。
 リリースされてから35年も経つというのに、最近も「Get Wild退勤」がトレンド入りしたように、いまだ強烈なイマジネーション想起とテンション上げを喚起させるサウンドであり、小室の最高傑作であることに異論はない。
 だって、「アスファルトタイヤ切りつけながら暗闇走り抜け」ちゃうんだよ。こうやって書き出してみると、文脈的にまったく意味不明だけど、それを強引に成立させてしまう世界観の強さ、そして時代や世代を超えて、聴くとアドレナリンを絞り出してしまう魔力を秘めている。聴いてるうち、背後で車が爆発し、銃弾の雨が降り注ぐ。行ったこともないのに、深夜の首都高を爆走した気になってしまう。
 すごいよな小室。ていうか「Get Wild」。

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 リアルタイムで週刊連載を読み、単行本全巻揃えていた、ガチの「シティー・ハンター」ファンだった俺的に、地上波アニメの成功は、「Get Wild」抜きに語れないと思っている。かなりマンガチックにデフォルメされたストーリー/エピソードはともかく、連載初期のハードボイルドな世界観を巧みに活写したタイトルバックは、制作スタッフの強いこだわりと商業性とが。奇跡的なシンクロを見せた好例である。
 80年代、アニメの社会地位は今とは比べものにならないくらい低い時代だった。マンガ・アニメはガキ向けの娯楽といった扱いで、大人になっても見てるのは、変態扱いされる時代だった。
 今で言うアニソンとJ-POPとは、まったく別の文化圏で棲み分けされており、互いのジャンルでクロスオーバーすることは、かなりのレアケースだった。マクロスやガンダムの主題歌・挿入歌がいくら売れようと、世間一般的には「別枠」と捉えられていた。ていうか、J-POPから「そっちの世界」へ足を踏み入れると、半永久的に「アニソン歌手」という烙印がついて回り、二度と「もとの世界」へは戻れないとされていた。飯島真理なんか、今も黒歴史的に話題引っぱってるもんな。
 で、アニメの世界観と程よい距離感を取り、それでいてJ-POPとしても高いクオリティだったため、一般ユーザーにも波及することになった「Get Wild」は、その後のアニソン界のひとつのメルクマールとなった。無理にキャラクターの名前をねじ込んだり、ストーリーやテーマに寄せなくても、主題歌としての機能は果たせるし、作品の選定さえ間違えなければ、オリコン上位を目指すことも可能である、と。
 ひとつの成功例は、同時にひとつの既得権を産むことになる。「Get Wild」のブレイクによって、主題歌枠はソニーの独占となり、次々に推しのアーティストをねじ込むことになる。
 「Get Wild」の後、同様のシンセ・ポップ/ソニー枠でPSY・Sが主題歌を担当することになったのは、こういった事情によるものである。

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 で、話は前後するのだけど、『PIC-NIC』のリリース後、PSY・Sはライブ活動を開始する。この松浦の心境の変化が自発的なものだったのか、はたまた外部からの要請だったのか。その辺の細かい事情までは不明だけど、多分どっちもアリだな。チャカが「やりたい」と言ったのか、はたまたソニー系アーティストとのコラボが多くなっていた松浦の覚醒だったのか。
 どちらにせよ、ある程度の外部要因、直接・間接的にソニー側からの巧みな誘導、または柔和な圧力があったことは間違いない。アルバム制作2枚を経て、そろそろ育成枠からの脱却、ファームから卒業の頃合いだった。
 松浦がNHK-FM「サウンド・ストリート」のパーソナリティを務めたことが、ひとつのきっかけだった。番組内の企画として、月ごとにテーマソングを作るにあたり、楠瀬誠志郎やバービー:いまみちなど、異色タッグの楽曲が多く生まれた。
 「ソニーつながり」ということ以外、ほぼ接点のなかったアーティストとの作業は、何かとめんどくさく根気のいるものだけど、ある意味、めんどくさいことを好む松浦じゃないとできないプロジェクトだった。頭でっかちなプログラミングだけでは表現しきれない、生演奏や歌の力は、彼の音楽的語彙に大きな刺激を与える結果となった。
 幅広い支持を得ることができる大衆的なメロディとサウンドを学習し、自分なりに咀嚼した成果が、3枚目 『Mint-Electric』で大きく花開くことになる。シンセの存在感を薄めたオーソドックスなポップ・サウンドは、同時進行で音楽監修を手掛けていたアニメ『TO-Y』サントラでも強く打ち出されている。
 強い吸引力とカリスマ性を放つGASPサウンドの再現が難しく、映像化することは不可能と思われていた『TO-Y』だったけど、アニメでは最初から「再現不能であること」を前提に制作されている。演奏シーンはイメージ喚起のインストに差し替え、他アーティストの楽曲のみソニー系アーティストに置き換えたり、周到にマニアからの非難を回避している。
 「少年サンデー」連載作品という、いわば「シティー・ハンター」同様のシチュエーションであり、これまでの狭いシンセ・ポップ村より広い客層へアピールするサウンドが必要だった。
 サントラに同時収録されているバービーやゼルダ、スライダーズの音圧と肩を並べるには、正直、当時のフェアライトではスペックが全然足りなさすぎた。
 彼らの路線変更は、様々な要素が同時進行で変容し、このタイミングで制作体制にも変化が生じる。作詞のメインライターが松尾由紀夫に変わったことは、地味に大きな変化だった。

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 で、その松尾由紀夫の人となりについては、正直これまで関心がなかったため、ちょっと調べてみた。もともと雑誌編集者が本業で、仕事柄、音楽業界とも付き合いが多く、何かのはずみでオファーを受けるうち、少しずつ手を広げていったらしい。
 80年代に入ってから、日本の音楽業界はジャンルの多様化が急速に進んでいった。単純な物量だけではなく、旧来歌謡曲の文法に固執した既存の専業作詞家では、新世代の感性を表現できなかった。
 既存の文法概念に囚われない、プロの作詞家には書けないストーリーや話法を求め、レコード会社のディレクターたちは、あらゆるジャンルから人材を求めた。松尾もサエキもプロの言葉の使い手ではなかったけれど、自由な発想に基づく目新しさには長けていた。
 時に極端なエキセントリックに走ってしまうサエキに比べ、松尾の選ぶ言葉は、ごくオーソドックスなものが多い。本業ミュージシャン兼歯医者であり、自ら歌うことも多いサエキに対し、松尾の場合、言葉へのこだわりは薄い。
 サエキと違ってアーティスト・エゴや表現欲求といった感覚が薄い分、発せられる言葉は軽い。悪い意味じゃなく、耳障りのよいサウンドには、彼のような曖昧なイマジネーションの方が、相性がいい。
 キャッチコピーの羅列のような松尾の歌詞は、軽い分だけ汎用性は高い。最大公約数的マーケティングに基づいた、明快なコマーシャリズムを意識した文脈は、ニーズに応じた結果だった。
 ムーンライダーズ一連の作品も含め、俺はサエキの歌詞は嫌いではないのだけど、一般ウケするかといえば、ちょっと微妙なモノが多い。「バカ野郎は愛の言葉」は効果的なアイロニーの傑作だけど、「君にマニョマニョ」まで行っちゃうと、ちょっとハイレベル過ぎる。
 イメージ喚起の能力は強いけど、散文調でキレ味良く後を引かない、まるで発泡酒のような松尾の歌詞は、クリエイター松浦との相性が良かった。流暢なストーリー仕立てではなく、耳障りよくキャッチーで、インパクトを重視したコピーライティングのメソッドを応用した彼の言葉は、中期以降のPSY・Sのサウンドを支え続けた。

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 強靭なドラマツルギーを持つ阿久悠や、繊細な言葉の綾を編む松本隆の言葉は、独特のアク、または微かな引っ掛かりを残す。それがひとつの個性となり、ある種の共感を呼び覚ます。ヒットする曲とは、多かれ少なかれ、心のさざ波を喚起させる。
 基本、無味無臭で、オファーに応じて淡い彩りを添える松尾の言葉は、あくまでサウンドに準ずるものであり、強いメッセージ性はない。キャラが薄い分、曖昧なイメージ優先にならざるを得ず、普遍的なスタンダードになるには、ちょっと押しが弱い。
 コンポーザー松浦の美意識として、セールス向上のためとはいえ、ウェットな叙情性やセンチメンタリズムを主題にすることを好まなかった。中途半端なメッセージや意味深な暗喩は、緻密に構築したサウンド・プロダクションに対しては、むしろ邪魔になる。
 極端な話、歌詞なんて何でもいいし、中身も極力薄い方がいい。冷静に考えると、「電気とミント」ってなに言ってんの?となってしまうけど、何となく言い得て妙、アーティスト・イメージを伝えるのには、最適なキャッチコピーである。
 ただ、隙間を埋めただけの空虚な言葉とは、歌う立場からすれば、ストレス以外の何ものでもない。解釈の余地のない、ベタなラブ・ストーリーや刹那な言葉は、感情の込めようがない。
 歌唱スキルが高ければ高いほど、そんな切なさが溜まってゆく。発せられる言葉は、どこにもたどり着けず、キレイさっぱり何も残らない。残るのは、歌い手の徒労感ばかり。
 ライト・ユーザーへの波及力は薄いけど、程よいサブカル風味がニッチな評判を呼んだ初期2枚では、実験的プロジェクトとして、敢えてそういった制約を楽しんでいる様子もあった。それまで経てきたライブ・パフォーマンスとは真逆のアプローチであるPSY・Sのコンセプトは、ゲスト的なスタンスで関わるなら、「これはこれでアリかな?」といった感じで。
 ただ、これが本格的にパーマネントなユニットとなると、ちょっと話は違ってくる。空虚な言葉と作りもの感満載のシーケンス・サウンドは、シリアスなシンガーにとっては重荷となる。
 フェアライトをフロントに据えたサウンド・プロダクションから一転、『Mint-Electric』以降は、チャカの歌を活かすアプローチに変化している。広くアピールしづらいテクノ・ポップにこだわらず、同世代のバービーや楠瀬誠志郎のエッセンスを吸収し、攻めの姿勢に転じることになる。
 そんなサウンドの変化に合わせて、新たなパートナーとして選んだのが、松尾だった。彼の描く世界観、モダンな言葉遣いやシチュエーションは、同時代性を意識したサウンドとの相性は良かったのだけど、歌い手チャカが求めるリアルなドラマ性には少し欠けていた。
 どこか上滑りする言葉と歌、そしてサウンドとの最適解を見つけるため、その後の彼らは試行錯誤を繰り返すことになる。密室的スタジオワークの極致とも言える『Atlas』にて、純正テクノ・ポップの落とし前をつけて以降、彼らは角の取れたポップ・ユニットに変容してゆく。





1. Simulation
 ちょっとサイバーなジャズ・テイストのオープニング・イントロは、いつ聴いても新鮮。引き出しの広さだけじゃなく、こういった音像を具現化できる松浦のセンスが光る。単なるシンセオタクじゃないんだよ。
 
 なぜ私たちは ケンカをしないんだろう
 なぜ別れ際が そっけないんだろう
 もしかすると Simulation 恋を真似てるだけ

 ライトで薄っぺらい80年代の上辺を取り繕った恋愛関係をソフトにぶった切る、サエキの歌詞とは対照的な、力強いパワー・ポップにヴァージョン・アップされたサウンドとのコントラストが絶妙。これまでと比べ、チャカの熱量も高い。

2. 電気とミント
 これ以降もほぼ作られていない、彼らにとって唯一のロックンロール・ナンバー。BPMの速いシンプルな8ビートは、サイバーパンクな疾走感が茶華のヴォーカルとフィットしている。
 「シマウマはペシミスト」やら「金星でつなわたりコンテスト」やら「まつ毛の先でスパーク」やら、ひとつずつ抜き出せば意味不明で雰囲気重視、そんあ細けぇことは抜きにして、勢いで押し切っちゃえ的に、松尾のコピーライト的歌詞が炸裂する。
 変に思わせぶりじゃなく、中身がないけどなんかキラキラしてる言葉の羅列は、本文でも書いたように、松浦の理想に適っていた。

3. 青空は天気雨
 バラードの割りには案外重いドラム、そのコントラストで凝ったコーラス・ワークが印象的な、彼らの中では人気の高い曲。いま聴くと、デジタル・サウンドとはもっとも相性の悪いアルト・サックスがちょっと浮いてる感じはするけど、コンテンポラリーに寄せるには、必要な音だったのかね。
 バラードという特性上、松尾の歌詞はシンプルなラブ・ストーリーを端正に完結させているけど、その意味性がちょっと…、といった印象。叙情的な渡辺美里を意識して書いてるようだけど、逆にあざとさの方が見え透いてしまう、というのは厳しすぎるかな。「意味なんかいらねぇんだよっ」とコンソールの前で独りごちる松浦の背中が見えてしまう。
 ちなみにこの曲の一番の聴きどころはイントロ前、グウィーンとスライドするベースの音。本筋とは関係ないけど、そこが一番カッコいい。

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4. TOYHOLIC
 OVA『TO-Y』のために制作され、実際にアニメの中でも使われていた記憶はあるのだけれど、調べてみるとサントラ(正確にはイメージ・アルバム)には収録されていない、多分にいろいろ大人の事情云々で収録されず、どっちつかずになってしまった不幸な曲。浮遊感のあるメロディとサウンド、丁寧にフラットに歌われたチャカのヴォーカルも世界観にフィットしているので、周辺事情を考えなければ、普通にいい曲。
 作詞のあさくらせいらは、松尾同様、80年代を中心に活動してきた人。調べてみると、ribbonを中心に女性アイドルへの提供が多かったらしく、こういったメランコリックでいて不思議少女的でいて、回りまわって普通の世界観、といった印象。後味が残らないという意味では、松浦の理念に適っている。

5. Lemonの勇気
 偏屈なシンセオタクだった松浦が一念発起し、不特定多数の大衆に向けて制作した、この時点で最高レベルの楽曲。イヤでも盛り上がってしまうオーケストレーション、スクエアではあるけれどグルーヴィーなリズム・セクション、そして鳴きまくるギター・ソロ。すべてに隙がなく、聴き手をきちんと想定して書かれたポップ・チューン。
 サエキのくせに前向きで、サエキのくせにキラキラした、まるで松尾をパクったような歌詞世界になっているけど、むしろ松浦のキャッチ―な部分をえぐり出したような、本人的には多分恥ずかしいだろう、「勇気」といったワードを敢えてタイトルに盛り込んでしまう、公開羞恥プレイ。

 のどを潤す 愛が枯れてしまっても
 光感じる 瞳開き 見つめるのさ

 チャカはともかく、斜に構えたサブカル世代の男2人が、敢えて前向きな言葉を用いた「勇気」。その辺を、もっと評価されてもいい。



6. Sweet Tragedy
 で、レコードではここからB面だったのだけど、リアルタイムではここから先を聴いた記憶があんまりない。A面が盛りだくさんで満足しちゃったのか、正直、この曲以降を聴いたのはCD買ってからで、そんなわけで印象が薄い。
 アルバム中、平均1~2曲は収録されている、ノリの良いポップ・チューン。高校生当時は気づかなかったけど、Tragedyって悲劇の意味なんだよな。意味が分かると、ちょっとセンチメンタルな歌詞もスッと入ってくる。
 ヴォーカリストゆえ、発語快感やフィーリングを優先した歌詞の世界観を論じるのは野暮だけど、チャカの意向を優先したのか、アウトロのブルース・ハーモニカが入っているのは、ミスマッチ感が一周回って、逆に面白い試み。まぁ、たまに違う要素を入れるのは悪くない。

7. Long Distance
 当時で言えば、アメリカのスタジアム・ロック、サバイバーっぽい力強いイントロから始まるけど、歌が入れば相変わらずのチャカ節。何かしたかったんだろう。
 作詞の杉林恭雄は、当時、同じソニーのオルタナ・ポップ・ユニット:Qujila(くじらのリーダー。一筋縄では行かない屈折したポップスという点では、中身は全然違うけど、志としては似ているところが多かった。
 バック・コーラスで存在感を発揮しているのが、まだブレイク前の楠瀬誠志郎。この数年後、「ほっとけないよ」でほっとけないポジションにまで昇りつめることになる彼だけど、当時は男性ソロ・シンガーにとっては分の悪い時代だったこともあって、地味な存在だった。シーケンス/アコースティック双方に対応できる彼の声質は、貴重なバイ・プレイヤーだった。

8. Cubic Lovers
 リアルタイムではあまり聴いてなかったけど、CDで聴くようになってから改めて「いい曲じゃん」と気づいた、フワッとしていながら地に足のついたポップ・ソング。ここまで前面に出していたバンド・アンサンブルを最小限にとどめ、シンセオタク・モード全開で、それでいてヴォーカルを活かすよう配慮して作られている。
 「ノイズのカレイドスコープ」やら「キュービックの恋人たち」やら「プリズムの虹」やら、深追いすると迷宮入りしてしまう松尾ワールドが炸裂しているけど、あくまでヴォーカル&インストゥルメントをメインとして考えるのなら、イメージ優先の松尾の歌詞は正しい。「何でもかんでも、自己主張入れりゃいいってもんじゃないんだよ」と、心の中で叫ぶ松浦の背中が見えてくる。

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9. ガラスの明日
 ラストは大団円、という感じでアッパーなロック・チューン。こういったサウンドだとチャカのフィールドだし、実際、歌詞も自分で書いているのだけど、ちょっと不完全燃焼。サビはどうにか勢いで持たせているけど、Aメロの歌い方がうまく消化できていない。
 もうちょっと弾けてもよかったんじゃね?と思ってしまうけど、レコーディングに充分時間が取れなかったんだろうか。はたまた松浦が強引にOKテイクにしちゃったか。






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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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