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#Pop : Japan

80年代後半のナイアガラ事情 その2 - 大滝詠一 『Snow Time』

d9dc25e1760cc1aeb76b394c942f4bc2b93ee725_l 前回の続きだけど、ちょっと話は逸れて松本隆の話から。
 70年代まで、多くの歌謡曲は職業作曲家によって作られていた。歌う人と作る人、そして演奏する人との分業サイクルがうまく回っていた時代の話である。
 80年代に入ってからは、そんな王道路線とはまた別の流れが出てくる。既存歌謡曲のセオリーからちょっとズレた、ニュー・ミュージック系アーティストらの台頭である。70年代にも、宇崎竜童やさだまさし、谷村新司らが山口百恵にシングル曲を書き下ろしており、前例がなかったわけではないのだけれど、まだ一般的なものではなく、局地的な現象でしかなかった。ブレイクスルーの決定打となるのは、その百恵の引退後、松本隆主導による松田聖子プロジェクトからである。
 ちなみに大滝も山口百恵に楽曲提供しているのだけれど、『ロンバケ』リリースから間もないこともあって、ネームバリューはまだ浸透していなかった。しかもアルバム収録曲だったため、話題にすら上らなかった。

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 70年代の松本は、作詞家として駆け出しだったこともあって、筒美京平をはじめとする歌謡曲フィールドでの仕事が多かった。
 wikiの作品一覧をざっと見てみると、あいざき進也から渋谷哲平、岡田奈々まで、主にアイドル仕事が多くを占めている。あのねのねまで手掛けているくらいだから、片っぱしからオファー受けていたんだろうと察せられる。
 そんな具合で実績を積み重ね、ヒットメイカーとしてのポジションも盤石となったところで舞い込んだのが、聖子プロジェクトだった。短期使い捨て的な扱いだった従来アイドルとは違うメソッド、アイドルとアーティストのハイブリッドが、ソニー・スタッフの描くイメージだった。前例のない、そんなラフスケッチ的なモチーフに息を吹き込むには、かつてアーティストとしても活動していた松本のビジョンが必要不可欠だった。
 純潔性と天真爛漫さを前提とした一女性アイドルの成長ストーリー、少女から女性へのはかなげな成長過程を、楽曲を通して描いてゆく。当初は意味も深く呑み込めず、背伸びして大人を演じていた百恵だったが、次第に楽曲テーマと自身の成長とがシンクロし始め、遂には菩薩とまで称される境地に到達する。リアルタイムで描かれるビルドゥングス・ロマンは、結婚・引退という鮮やかなフィナーレを迎えるに至る。
 百恵の時代、「大人の女性」になるには、アイドルの前提を捨てなければならなかった。恋愛・結婚と純潔性とは相反するものとされていたし、淑女にとって天真爛漫さもまた卒業すべきものだった。
 聖子プロジェクトの本質は、そんな百恵時代のアンチテーゼでもある。
 -大人になったって、カワイイ人はいっぱいいる。アイドルだからって、恋愛しちゃいけないわけじゃない。むしろ、恋愛もしないでラブソングを歌うのって、なんか矛盾してない?-
 デビューからもうすぐ40年、すったもんだはあったけど、新たなテーゼをいくつも作りながら活動を続ける聖子。どれだけ波乱万丈であろうと、歌の中では「永遠の少女」である聖子の心臓は、剛毛が生えまくっているのだろう。

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 作詞だけでなく、松本が総合プロデュースに関わることによって、聖子の楽曲クオリティは飛躍的に向上する。従来歌謡曲のスタッフよりはむしろ、かつての盟友たち、はっぴいえんど〜キャラメル・ママ人脈のアーティストを重用した結果だった。
 職業作曲家による、ファニーで甘い金太郎飴な仕上がりのアイドル歌謡とは違って、どうしたって個性のにじみ出てしまうシンガー・ソングライターの楽曲は、それぞれ特有のテイストがあった。「アイドル・松田聖子」というキャラクターを想定して、それぞれ自分なりの「アイドルっぽい楽曲」を書くのだけれど、従来歌謡曲の定石とは、多かれ少なかれズレが生じる。そのズレがひとつの個性となり、記名性の強い聖子のヴォーカルとの相乗効果を生み出すのだ。

 聖子のブレイクだけが主因ではないだろうけど、同時多発的に他のレコード会社も、ロック/ニュー・ミュージック系アーティストへのオファーを行なうようになる。
 80年代前半は歌謡曲最期の全盛期、ちょっと名の売れたアイドルなら、シングルは3ヶ月、アルバムは半年のリリース・ペースだったため、従来の職業作曲家だけではすべてをカバーできなかった。必然的に、ちょっとでも作詞作曲ができる者であれば、声がかかることになる。お茶の間での知名度が低いアーティストにとっては、名前を売るチャンスになるし小銭稼ぎにもなるので、お互いwin-winだったんじゃないかと思われる。
 ちなみに俺が最も驚いた組み合わせが、鮎川誠作曲による堀ちえみのシングル「Deadend Street GIRL」。しかもB面作曲が村田和人、A・B面作詞は共に鈴木博文。ディレクターの個人的趣味を反映したとしか思えないけど、これをセッティングできたのは、ある意味神だ。

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 で、こうなるとレコーディング・スタジオはフル稼働になる。それに伴って、スタジオ・ミュージシャンらの需要も、自然と多くなる。正確な数は不明だけど、何百もの歌手がハイペースでアルバム・シングルをリリースするので、インペグ屋も頭数を揃えるだけでもひと苦労。手の空いてる者には、片っぱしから声をかけてゆく。
 ミュージシャン側からすれば、音楽性云々はまぁ置いといて、歌謡曲のオファーはギャラもいいし何テイクも録るわけではないので効率的、ミュージシャン・エゴを引っ込めてビジネスと割り切れば、美味しいことこの上ない。
 市場原理的に、要領が良くて腕に覚えのある者に、オファーは集中することになる。ディレクターの意向を察知して、チャチャっと短時間でプレイをまとめてしまう者。細かいところを詰めていくとキリがないので、仕事の早い者が重宝される。
 ミュージシャン側としても、できれば数をこなしたいので、手早くまとめてくれるディレクターはありがたい。物理的に時間をそうもかけていられず、かといってオファーは引っ切りなしのため、一日何件も掛け持ちする者もあらわれる。

 さて、ここまでが長い前置き、そしてここからが本題、やっと大滝の話。
 ナイアガラ関連のセッション・スパンが次第に長くなっていったのは、大滝の創作意欲の衰えが主因であることは間違いないけど、そんなアーティスティックな事情とはまた別に、スケジュールとタイムコストの問題もあったことも遠因である。
 それを誘発したのが、スケジュールと予算の関係もあったと察せられる。
 『Each Time』以降も、ナイアガラ・セッションに呼ばれることは、ミュージシャン達にとってのステイタスであることに変わりはなかった。なかったのだけれど、前述の事由も相まって、大滝が求める演奏スキルを持つミュージシャンたちを一堂にそろえるのは、困難になりつつあった。
 腕に覚えのあるメンツをズラリとそろえたナイアガラ・セッションに参加することは、ミュージシャン達にとっても大いに収穫のある機会ではあったけれど、拘束時間が何かとネックになった。日に何件もレコーディングを抱える者も少なくなく、それらのスケジュール調整ひとつとっても膨大な手間と下準備を要した。
 完成の目途が立たないセッションに予算を割くことに対し、ソニー社内でも難色を示す者も少なからずいた。地価も高い乃木坂・六本木のスタジオ償却を早めるためには、若手アーティストにチャンスと機会を与えて稼働率を上げた方が、よっぽど効率的だった。

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 ちょうどこの頃、山下達郎は『Pocket Music』を作る際、この問題に直面した。
 これまでセッションの常連だったミュージシャンたちが多忙となり、時間をかけて演奏を練り上げてゆくことが困難になりつつあった。ヘッド・アレンジ主体のバンド・セッションは、ウォーミング・アップも含めて、ある程度まとまった時間が必要になる。
 そうなると、スケジュール調整もそうだけど、高騰しつつあったギャラとスタジオ代が、結構バカにならない。ムーン・レコードを立ち上げて間もなかったため、会社の基盤は十全とは言えず、そんなに予算もかけていられない。
 なので達郎、レコーディングのスタイル変更を余儀なくされる。ほとんどの演奏を自分で行なうか打ち込みでまかない、技術的に難しい部分だけスタジオ・ミュージシャンに弾いてもらう手法を選択するようになる。
 達郎のように、おおよその楽器なら大抵弾きこなしてしまうマルチ・プレイヤーだったら、そんな手法もアリだけど、これはかなり特殊な例である。ミュージシャンだからといって、誰も彼もみんな、ギターもドラムもピアノもできるわけではない。Todd Rundgrenみたいにヘタウマで開き直っちゃうのもひとつだけど、アレはアレでちょっとレアなケースか。

 バンド経験の少ない大滝にマルチ・プレイヤーのスキルを求めるのは、ちょっと難しい。そもそも卓越したソングライターであり、シンガーではあるけれど、プレイヤーとしての彼の評判はあまり耳にしない。優れたプレイヤーが身近にいることが多かったせいもあって、プレイヤー・スキルの上達がどうしたとか、そんなのは優先事項ではなかったのだろう。周囲も求めていなかっただろうし。
 以前も書いたように、大滝詠一というアーティストは、音楽をアカデミックに学んだわけではなく、プレイヤビリティにこだわってきた人ではない。もっと言ってしまえば、ゼロから作品を構築するアーティストでもない。彼の創り上げてきた作品は、どれも過去の膨大なアーカイブへのリスペクトに基づいたものであり、自らのメッセージ性の発露といったものからは、遠く離れている。
 なので、彼の本質はパフォーマーというよりコーディネーター、良質な作品を創り上げるための環境設定にこだわりの強いプロデューサーである。ただ仲間うちの中では歌がうまく、しかもセンスの良いマッシュアップな楽曲が書けたことが、ちょっとベクトルがズレちゃったわけで。

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 もともと非売品扱いを前提として作られたことばかりが喧伝されている『Snow Time』、冬の楽曲が集まらず、かといって新録がうまくまとまらなかったため、苦肉の策としてインストで埋めたんじゃないか、というのが俺の推論。企画の段階では本人もやる気だったんだろうけど、早い段階でバンザイしちゃって早々に方針転換しちゃったんじゃないかと思われる。
 もしここで何曲かでもリリースできるレベルの楽曲ができていたら、はたまたCDサイズにこだわらず、『CM Special』のようなミニ・アルバム形態でリリースしていれば、流れはもう少し変わっていたのかもしれない。歴史に「もし」はないというけれど、そんな選択肢もあったんじゃないのか、と。
 でもこの時期、松本隆とは袂を分かっていた。その別れはしこりを残すものだったのかどうか-。それは本人たちにしかわからない。
 彼が書くメロディには、松本の言葉が必要だった。
 それは本人が一番、よくわかっていたはず。わかっていたのに。できずにいたのかね。


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1. フィヨルドの少女
 中途半端なタイミングでシングルとしてリリースされ、初版『Each Time』には収録されていなかったため、馴染みのない人も多いだろうけど、かなり気合の入ったサウンドが展開されている。大滝のヴォーカルもかなり技巧的で緩急のタイミングが見事、ある意味、ナイアガラ・サウンドの完成形がパッケージされている。
 「さらばシベリア鉄道」をメジャー展開したようなコード進行は、陰陽の関係となっており、円環構造が成立している。相変わらず現実感が薄く、書き割りのような舞台設定でありながら、細かな感情の機微を丹念に描くことによってリアルさを増幅させる松本隆の歌詞も、言葉数は少ないながらも完成の極みに達している。やっぱり、ここが2人のコラボの潮時だったのか。

2. さらばシベリア鉄道
 青く澄み渡る空を仰ぐフィンランドの景色と打って変わって、シベリアには陽が射すことはない。どこまでも続く雪の平原と吹雪。その中を疾走する鉄の塊、シベリア鉄道。フィヨルドの景色に目も心も奪われるのなら、シベリアの冷気は人の心を挫けさせる。大自然の前に、人は無力だ。そんなことを思わせてしまう。
 映画のワンシーンのような状況設定の歌詞は、憂いを漂わせる大滝の声、そして旋律を希求する。過剰なまでにドラマティックなサウンドには、ベタなメロドラマが似合う。

3. レイクサイド ストーリー
 『Each Time』ではラストを飾る、コンパクトな設定のポップ・バラード。名曲揃いのアルバムの中、フェイバリットを選ぶのは難しく、いろいろ意見が分かれるところだけど、俺的には抒情的なロマンチシズムが漂うこの曲が、割と気に入っている。時に「ペパーミント・ブルー」になったり「1969年のドラッグレース」に行っちゃうこともあるけど、まぁ30年も聴き続けてるんだもの、その時の気分でコロコロ変わったりもする。まぁこの曲が気に入ってるときは、ちょっと気持ちが弱ってる時だけど。
 『Each Time』はナイアガラ・サウンドの到達点という意見ももちろんわかるけど、近年の俺的にはこれ、大滝のヴォーカルを聴くためのアルバムだと思う。すべては歌を引き立たせるため、サウンドはあくまで飾りでしかない。何十年も聴いてて耳に残るのは、彼の歌なのだ。それがわかってきたここ最近。

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4. スピーチ・バルーン
 で、ほんとに冬を思わせる楽曲は在庫切れとなり、ここからはあんまり冬テイストが感じられない曲が続く。これも正直、季節感ってないよな。敢えて言えば秋っぽい感じ。
 小編成のセッションっぽい、シンプルなバッキングと、力を抜いた大滝のヴォーカル。何かとインパクトの強い楽曲が並ぶ『ロンバケ』の中では、比較的おとなしく箸休め的なフォーク・タッチの曲だけど、こういう曲もあってこそ、全体のメリハリがつく。どの曲順に入れてもそれなりにはまるので、使い勝手の良い曲でもある。

5. 木の葉のスケッチ
 タイトルだけでもう秋っぽさ満載。冬がテーマだったんじゃなかったの、トータル感出したかったら、「思い出は霧の中」か「クリスマス音頭」でも引っ張り出してくればよかったのに。まぁちょっと強引すぎるか。
 そういったのは別として、近年の松本の歌詞としては珍しくストーリー仕立てで展開されている。「木綿のハンカチーフ」のカップルの10年後を描いている、と俺は勝手に思っているのだけど、いかがだろうか。

6. 夏のリヴィエラ
 このアルバムの目玉となる、森進一提供曲の英詞セルフカバー。とは言っても、リリース当時は未発売だったんだから、あんまり意味ないか。中途半端な田舎の高校生が業界向けのプロモ盤を手に入れられる術もなく、確かラジオか何かで一回聴いたきり、しばらく幻の楽曲扱いだった。少なくとも、のちに一般発売されて大騒ぎとなったのが、このトラックである。
 当然ながら究極のハスキー・ヴォイスの森進一とは対極で、甘いクルーナー・ヴォイスで通す大滝。昭和30年代日活映画を思わせる歌詞の世界観は、松本にしてはややボトムが効いており、そういう意味では森進一の表現力の方が勝っている。まともに立ち向かっても歌い負けしてしまうので、敢えてバイアスのかからない英語で通したんじゃないかと思われる。
 でも、デモテープで日本語で歌ってるよね、絶対。今のところ、それは発掘されてないみたいだけど。「夢で逢えたら」だって日の目を見たんだから、そのうち出てくるだろう、と俺は信じている。



 ごめん、残りはインストなので、思い入れはほとんどない。あとは勝手に解釈しといて。そこまでナイアガラーじゃないので、何でもかんでも絶賛したくないんだ。

7. FIORD / 哀愁のフィヨルドの少女
8. SIBERIA / 哀愁のさらばシベリア鉄道
9. RIAS / リアスの少年
10. AURORA / オーロラに消えた恋 
11. TUNDRA / 雪のツンドラ
12. YOKAN / うれしい予感



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80年代後半のナイアガラ事情 その1 - 大滝詠一 『B-EACH TIME L-ONG』

folder 1985年にリリースされた、CBSソニー時代の大滝詠一が歩んだ4年をまとめたベスト・アルバム。単純に曲を並べるのではなく、それぞれの曲間をストリングス・アンサンブルでつなぐ、ちょっと変わった構成になっている。とはいえ、これらのインストもほとんど既発『Niagara Song Book』で発表済なので、新味はない。
 唯一の新曲と言えるのが「バチェラー・ガール」。これまでのナイアガラ人脈とは全然かかわりのない、稲垣潤一に提供したシングル曲のセルフ・カバー。初リリース時は特別ヒットしたわけではないので、この曲の収録がウリになったわけではないけど、まともな新録音源が入ってることだけで、当時のナイアガラーは狂喜乱舞した。多分したよな、俺も。
 CDとカセットのみの発売だったにもかかわらず、当時はオリコン最高2位にチャートイン、とにかく「大滝詠一」の名前と永井博のアートワークがあれば、何でも売れちゃった時代の産物である。

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 ずいぶん後になってから「『Each Time』を最後にやめるつもりだった」と発言しているけど、当時はまだ30代半ば、あまり表には出さないけど、色気や野心もそこそこはあったはずだし、次回作も作る意欲がまだちょっとは残っていたと思うのだ。不定期なアーカイヴのリリースと、何年かに一度のオリジナル・アルバムとを行き来しながら、セミ・リタイア的なポジションで活動してゆくのが、大滝にとっては最良のペースだった。まさか本人も、当時は、ここまでリタイアしちゃうとは思ってなかっただろうし。
 ただ、実作業に取り掛かるにも、リスペクトしていた先人たちのアーカイヴ整理や楽曲提供に時間を取られたりで集中できず、盟友松本隆とのコラボも発展的解消に至ったせいもあって、なかなか腰が上げられずにいたのも、この時期である。
 はっぴいえんど再編やラジオ出演など、マイペースながら表立った活動は行なっていた。毎年恒例の山下達郎との新春放談で生存確認ができ、次回作に淡い期待を抱いていたのは、俺だけじゃないはず。
 そのラジオで聴いてても、新作の目途が立たないことは察せられた。あぁ今年もやっぱダメかぁ。その無限ループが28年。長かったよな。
 アーティストの性として、創作で煮詰まるのは避けられない事態だけど、レーベル・オーナーとしては、そうも言っていられない。リリース契約は守らなければならない。
 どう逆立ちしても、完全オリジナルを出すのは無理だと判断したソニー、ひとつの案として打診したのが、夏・冬テーマ別に分けたベスト・アルバムのリリースだった。キャリアの区切りにしては早すぎるように思えるけど、展望の見えない新録を待つよりはずっと現実的だ。どうせリミックスだマスタリングで、普通のアルバム制作と同等の手間ヒマかけるんだろうけど、素材は揃ってる。まさか『Each Time』のような3回発売延期の事態にはならないだろうし。

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 その素材だけど、おおよそアルバム2枚半のマテリアルしかないので、凝った選曲にはしようがない。言ってしまえば、『ロンバケ』と『Each Time』と『Niagara Triangle Vol.2』をシャッフルして、スムーズな流れ重視でピックアップして並べると、だいだいこんな感じになる。よほど偏屈なファンでもない限り、異論が出ることはないだろう。「あの曲が入ってない」と叫ぶマニアも、当時はいなかったし。
 85年当時は、CDとレコードとのシフト・チェンジが急速に進行していた。翌年に販売枚数でCDがレコードを抜くのだけど、俺個人の印象として、85年のレコード店はまだレコード7:CD3といった比率だった記憶がある。それが翌年には逆転しちゃうのだから、CDの勢いが強かったのだろう。
 85年の俺は、高校の入学祝で買ってもらったソニーD-50をアナログ・コンポに繋いで使っていた。最初に買ったCDが尾崎豊『十七歳の地図』だったのは余談だけど、そんな最初のCDに大滝詠一を選んだ人も少なくないだろう。何しろ日本で最初のCDアーティストだし。
 そのCDの特性を活かし、60分ぴったりノンストップで繰り広げられるナイアガラ・シンフォニーは、軽やかかつ流麗、初心者にも親しみやすく優しい選曲・構成になっている。いるのだけれど、ただ実際聴いてみると、曲間のつなぎは結構雑。クロスフェードでつなげれば、もっとスムーズな流れだったんじゃないか、と余計な心配までしてしまう。何としても60分ジャストにまとめるためなのか、インスト・テイクは時にバッサリ潔くぶった切られている。
 逆に考えれば、単に聴き流すだけでは終わらせないぞ、というアーティスト大滝の意地だったのかもしれない。いやそう思いたい。単なるやっつけ仕事とは思いたくないんだよ。

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 事あるごとに、アーティストである以上に、プロデューサー多羅尾伴内を強調していた大滝、レコーディングには相当のこだわりを持つことで知られていた。まだ駆け出しだった頃から、30秒程度のCMソングのレコーディングで、まる一日スタジオを押さえてしまうくらいである。
 コロンビア時代は、決して満足ではない設備環境と、超過密なリリース・スケジュールに振り回されていたため、録って出しすることで精いっぱいだった。クオリティの追求なんて夢のまた夢、とにかく目の前のスケジュールをこなすだけの徒労によって、数々の珍盤・奇盤を生み出す事態となった。
 ソニー時代になると、そんな劣悪な環境から改善される。予算は潤沢となり、リリース・ペースも意向が通るようになった。福生スタジオではエンジニアも兼任していたため、あれもこれもすべて自分で行なわなければならなかったけど、ソニー信濃町スタジオは専属エンジニアがおり、設備も充実していた。
 純粋に音楽面に集中できる環境が整い、ここからナイアガラ・セッションの伝説が幕を開ける。
 まず、レコーディングで招集されるミュージシャンの人数がハンパない。普通のバンド・スタイルでも20人前後がキャスティングされる。そこにホーンやストリングス、コーラスまで呼んじゃうと、さらに倍増する。
 以前、NHK 「Songs」で大滝の追悼特集が行なわれ、その中の企画で、当時のセッションの様子が再現されていた。ギターやピアノなどのメロディ楽器だと、せいぜい1~2人が普通だけど、ここではアコギだけで4人、エレキも3人配置されていた。他のパートもそんな感じなので、総勢約20人の大所帯セッションとなる。さすがにドラムだけは林立夫1人で固定されていたらしい。
 特別、一流どころを指名しているわけではないけど、主にこれまでの人脈、はっぴいえんど〜キャラメル・ママ周辺のミュージシャンが中心なので、結果的に一流どころばかりになってしまう。なので、ナイアガラ・セッションが行われるとなると、ソニー・スタジオの駐車場は、売れっ子ミュージシャンらの車でいっぱいになってしまう。しかも、それらの高級外車率が高く、モーターショーさながらだった、というのは、ちょっとしたこぼれ話。
 すでに日本ポップス界の重鎮とされていた大滝から声がかかるというのは、ミュージシャンにとっては一種のステイタスなので、無理やりスケジュールを空けてスタジオに日参することになる。インペグ屋からイキのいい若手を紹介されたり、または自ら売り込んできたりで、日本中のスタジオ・ミュージシャンが噂を聞きつけて終結する。予定を蹴って馳せ参じる者も少なくなかったため、他のアーティストのレコーディングが予定通り進まない事態まで引き起こしてしまったりする。いい迷惑だよな。

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 メンバーが揃い、楽器のセッティングも終わって、さてそこから音合わせやリハーサルに入るのが普通のレコーディングだけど、ナイアガラの場合はちょっと違っている。
 まずギターなりピアノなり、各セクションごとに大滝が出向き、雑談が始まる。「最近どう?」てな挨拶から他愛のない話が始まり、野球やらお笑いやら相撲やら、音楽とは関係のない話題へ脱線することもちょいちょい。
 場の空気が和んだところで、やっと本題。音符やコード譜だけでは伝わらない、楽曲の大まかなビジョンを口伝えで行なう。「こんな感じでやってほしい」「こんな感じ?」と、フレーズや音色でのキャッチボールを繰り返し、徐々に形作ってゆく。
 ギターが終わったらピアノへ、それからホーン・セクションへと、この一連のやり取りが繰り返される。なので、実際に音を合わせるまでに1時間以上かかるのはザラだし、手間もかかる。でもこのプロセスは、アンサンブル構築のため、どうしてもはしょれないのだ。
 大方の段取りが済んで、やっとリハーサルがスタートする。実際に各セクションのサウンドが合わさり、アンサンブルになってからわかる微調整を行なうため、再度大滝があっちこっちへ動き回る。その様は、アーティストやプロデューサーというより、むしろ現場監督だ。
 膨大なレコーディング時間を費やすことで知られている大滝だけど、セッション自体はそれほど時間をかけているわけではない。大部分の演奏テイクは1、2回程度で録り終えてしまう。基本スペックの高いミュージシャン揃いのため、ミステイクはほとんどないし、またテイクを重ねることで生じるマンネリ感回避も、その理由だ。何でもそうだけど、段取り8割ってよく言うもんな。
 むしろここから先が、プロデューサー大滝詠一の本領発揮、実作業開始となる。膨大なヴォーカル・テイクからのピックアップ作業、そして、ミリセコンド単位のミックスダウン・ワークが延々と続く。

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 ミュージシャンのギャラだけで1日400万かかった、という豪快な逸話を残したナイアガラ・セッションだけど、『Each Time』以降、まとまったセッションは行なわれなくなってゆく。80年代のバンド・スタイルでのレコーディングといえば、『Snow Time』に収録されたエレキ・インストのセッションがあるけど、あれをカウントに入れてはいけない。最初から歌入れする気もなさそうだし、アレをありがたがるのは古参ナイアガラーくらいだもの。
 小林旭や小泉今日子への楽曲提供に伴うサウンド・プロデュースは、ストリングス中心のサウンドとなっており、いやアレはアレでいいんだけど、でもアレって井上鑑や服部克久の仕事であって、本流のナイアガラ・セッションとは意味合いが違っている。
 90年代の「幸せな結末」に至るまでは「創作意欲の高まりが充分でなかったから」というのが、ナイアガラー界隈での定説となっている。ダブル・オー・レコードの立ち上げ時には、本人もちょっと前向きになってたらしいけど、体調を崩したことと相まって、なんか自然消滅しちゃったみたいだし。
 80年代後半の隠遁振りと後ろ向きな姿勢は、そんなこんなの複合的な要因が合わさったものなのだろうけど、これまで発表されたエピソードやインタビュー記事を読むと、まったく何もしてなかった時期というのは、案外少ない。恐ろしくマイペースではあるけれど、何かしら作業なり下準備はしていたようなのだ。ただそれが、思うような形にはならなかっただけで。
 
 思っていたより長くなりそうなので、一旦ここで区切り。続きは『Snow Time』で。


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1. カナリア諸島にて
 「君を天然色」はそれこそロンバケの象徴だったし、ストリングスを導入部とするコンセプトを前提とすると、やっぱりこの曲がオープニングになってしまう。「夏」成分の強いタイトル、サウンドといい、俺がプレイリストを作っても、こうなってしまう。
 限りなく現実感の薄い歌詞がリゾート感を煽るけど、リズム・トラックは案外重厚。ナイアガラ・セッションの常連ドラマーだった上原裕が繰り出すリズム・パターンは、一筋縄でいかないくらい複雑奇妙。よくこんなの叩けるな。

2. オリーブの午后
 本人いわく、リバプールっぽくやりたかった、とのことだけど、いわゆるBeatlesっぽさ、世間一般が思うところのマージー・ビートっぽさは全然感じられないところは、さすがのマニアっぷりを発揮している。Beatles以前のオールディーズがベースらしい。
 結果的にロックンロールっぽさがなくなってリゾート感が歌詞との相乗効果で倍増している。でもこれも、入ってる音、めっちゃ多いよな。アコギも4人以上ユニゾンで確実に入ってるし、そこにマンドリンも合奏してるしで、ミックスダウンの苦労がしのばれる。
 3分40秒あたりのリズム・ブレイクでドキッとさせられるので、単純なBGMには終わらせない気概も感じさせる。

3. 夏のペーパーバック
 再リリースされるたび、ヴァージョン違いが生まれた『Each Time』収録曲、これは初期ヴァージョン。俺的に最も長く聴きなじんだイントロでもある。結構強引なストリングスのフェードアウトが昔から気になっちゃうのだけど、曲に入れば、そんなのも気にならなくなる。
「明らかに好きな気持ちが伝わっているのにもかかわらず、肝心の一言が言い出せず、ウダウダ彼女の周りをうろつき回ってる男」は、主に大滝というフィルターを通した松本隆の恋愛観なのだろうけど、今の人にはわかりづらいんだろうな。俺世代が聴くとこそばゆくなってしまう、そんな80年代の男女感が、なんとなくクリスタルに活写されている。

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4. 恋するカレン
 俺的にこの曲、今まで秋っぽいんじゃないかと思ってたのだけど、よく考えてみれば「浜辺の濡れた砂の上で」ってフレーズが入ってたのを、いま思い出した。『ロンバケ』の曲順的に、何となく秋の歌じゃね?と思っていたのだった。
 「恋人以上友達未満」の関係だった3.のカップルが、恋愛対象ですらなかったことを嘆く男の淡い悲哀、といった流れだった、とは俺の私見。長年トライ&エラーを繰り返してきたスペクター・サウンドの最終形とも言われているアンサンブルは、ストリングスとの相性も抜群。でもね、これもバッサリ繋いでるんだよな。

5. 白い港
 これでもか、というくらいのストリングスの嵐、そんなハイソなサウンドを支えているのは、なぜか泥臭いセカンド・ライン。手数の多いスラップ・ベース、ニューオーリンズっぽさ漂うギター・ソロ。こうやって書き出してみると、支離滅裂だな。ここに大滝の朗々としたクルーナー・ヴォイスが乗っかると、なぜだかまぁるく収まってしまう。
 これらを強引にまとめてしまう、井上鑑の剛腕ぶりを堪能する楽曲。

6. ペパーミント・ブルー
 イントロの多重コーラスだけで、音圧は相当。基本、ナイアガラ・サウンドはヴォーカルも楽器の一部であり、絡み合うアンサンブルのニュアンスが強い個性を生み出しているのだけど、ここではほぼ声が主役。これまで発表されたどの楽曲よりも、ヴォーカルの主張が強い曲である。『大瀧詠一』に「おもい」というアカペラ楽曲があるけど、あれよりも濃度は濃い。
 いま思えば、これで「歌は歌い切った」と達観しちゃったのかもしれない。

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7. 雨のウェンズデイ
 当時のナイアガラ・セッションとしては、少人数編成で知られている。メンツは細野晴臣、林立夫、鈴木茂、松任谷正隆とめっちゃ豪華。敢えて拙い小刻みなプレイを見せるマンタのピアノが、全体のムードを支配し、郷愁を誘う。シンプルながらコクのある、いつまでも聴ける曲。思わせぶりながら、いつもの散文タッチと違って、映像的な情景を想起させる松本の歌詞も併せて必読。

8. Water Color
 リゾートとはいえ、雨も降るし切ない気持ちになることだってあるのだ。いつもパリピではいられない。外に出られず、ホテルのロビーで悶々と過ごすこともある。そういういつもうまくはいかない。
 80年代の初めが70年代と地続きだったことを思えば、そんなペシミズムも納得がゆく。30半ばにしては、ちょっとカッコつけすぎだけど。
 
9. 銀色のジェット
 珍しく歌謡曲タッチのメロディで進行する、メロウなナンバー。心なしかヴォーカルにも熱が入っている。後年、『Each Time』が「歌」のアルバムであるとコメントを残していた大滝、こういった唱法もバリエーションのひとつだったのだろうけど、「どう聴かせるか」にこだわった、結構ハードルの高い楽曲だったんじゃないか、と俺的な感想。
 考えてみればこれ、夏っぽさはほぼないな。

10. Velvet Motel 
 アコギとチェンバロの組み合わせって、なかなか思いつかない。こういうのも幅広い音楽知識の賜物だったんだろうな。思いついたはいいけど、それを効果的にアンサンブルにするのは、さらに難しい。明確なビジョンとイメージ伝達力がないと、ここまではできない。
 50年代アメリカ、夜のドライブ・イン・シアターに止まる車。映画の音声を消して、FMを適当なチャンネルに合わせる。そこで流れてきたのが、「Velvet Motel」。俺的にはそんなイメージ。

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11. Bachelor Girl
 『Each Time』レコーディング時にすでに完成していたけど、どういう経緯か稲垣潤一に提供されて引っ込められ、のちにシングルとしてリリース。その『Each Time』では、ヴァージョンごとに正規曲扱いされたりされなかったり、何だかポジションのはっきりしない曲である。
 シングル・カットのなかった『Each Time』楽曲の中では、メジャー展開で輪郭がくっきりしている方なので、逆に組み込むのに苦労したんじゃないかと推察される。
  ちなみにシングルのジャケット、これがまたダサい。最後のアナログ・シングルで、なんでここまで適当だったんだろうか。

12. 夢で逢えたら
 エンディングにもオープニングにも、どの曲順に入れても違和感の少ない、永遠のマスターピース。リリース当時は、大滝ヴォーカルは夢のまた夢とされており、このようなインストでも納得はできたけど、まさか発掘されるとは、夢にも思ってなかった。



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80年代アイドル・ポップス、ひとつの頂点。 - 松田聖子 『ユートピア』

Folder ちょっと前の話になるけど、それほど人も来ないこのブログのアクセス数が、爆発的に伸びたことがあった。これがよく聞くバズるという現象なのかと調べてみたところ、発信源はTwitterだった。
 このユーザーさんに、以前書いた松田聖子『Candy』のレビューを紹介していただき、それをさらに松本隆さんにリツイートしていただいていた。ありがとうございます。
 そうなるともうこっちは大騒ぎ、アクセスが伸びるわ伸びるわ、逆に怖くなっちゃったくらい。すごいよな、有名人パワーって。
 ちょっと遅くなったけど、その波に乗っかる形で、今回は松田聖子。

 1983年リリース、7枚目のオリジナル・アルバム。チャートはもちろん最高1位、当時で63万枚を売り上げおり、年間チャートでも堂々3位にランクインしている。
 先日の山下達郎『メロディーズ』のレビューでも触れたけど、この年は映画『フラッシュダンス』のサントラと、当時、世界を股にかけたディナー・ショー歌手だったフリオ・イグレシアスら洋楽勢が1、2位を独占しており、邦楽ではこのアルバムがトップとなっている。サザンやマイケル『スリラー』、達郎を抑えての成績なので、固定ファン以外への訴求力も強かったことが、結果としてあらわれている。

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 聖子以降の女性アイドル勢力図としては、目立ったところでは河合奈保子と柏原芳恵が中堅ポジションに落ち着き、その後、大豊作となった82年組の台頭、明菜をトップにキョンキョン、松本伊代が後に続いている。これが明けて83年になると状況は一転、のちに「女性アイドル不作の年」として語り継がれている。
 多少なりとも知名度のあったアイドルをピックアップしてみても、シングル・ヒットを放ったのは伊藤麻衣子と岩井小百合くらい、しかも、お世辞にも大ヒットとは言えなかった。のちにバラエティやドラマで注目を浴びることになる松本明子や森尾由美も、当時はその他大勢、行ってしまえば泡沫アイドル扱いだった。
 あまりいい目を見てなかった83年組だけど、今年に入ってから何か吹っ切れたのか、そんな鳴かず飛ばずぶりを自虐的にアピールした「お神セブン」というユニットで活動している。あまりに地味なくくりのため、単発的な小規模イベントくらいでしか需要がないのが現状だけど、長く生き残ってきた面々だけあってトークはそこそこ面白そうだし、生暖かい目で見るには肩も凝らなくていいんじゃないかと思う。なんか俺、すごく適当に書いてるな。
 ちなみに84年になると、菊池桃子や荻野目洋子、岡田有希子らがデビューしており、一気に華々しくなる。ますます谷間が際立つよな。

 70年代の女性アイドルにおけるビジネス戦略は、総じて長期ビジョンに基づいたものではなかった。演歌やムード歌謡以外の女性歌手は消費サイクルが早く、基本、季節商品として一定期間に売り切り、次のシーズンに新たなモデルを導入してゆくという、ファストファッション的な方法論がセオリーとされていた。
 ひとつの楽曲・ひとりの歌手に手間と時間をかけて育ててゆく手法は、草の根的に全国をくまなく巡る演歌や歌謡曲の歌手向けとされ、女性アイドルに応用されるものではなかった。地道なドサ回りで一枚一枚手売りするより、鮮度の良いうちに大量のテレビ出演で認知度を引き上げ、あとは全国キャンペーンで短期回収を図ることが、賢いやり方だとされていた。
 今でこそ、30過ぎで堂々アイドルを名乗ったりで、相対的に寿命は長くなっているけれど、当時は二十歳を過ぎるとアイドル路線は終了、女優に転身するかはたまた結婚・引退するか、道は二択しか残されていなかった。応援する側も演じる側も、そして供給する側も、「アイドル=十代限定」という共通認識を持っていた。ほんのごく一部のトップ以外は、年が明けると、賞味期限切れのレッテルを貼られた。本人の意向が受け入れられることはまずなく、無言のプレッシャーによってフェードアウトを余儀なくされた。
 ビジネスモデルとしては、それほどイレギュラーなものではない。アイドルを演じる方だって、若いうちの想い出作りとして、ある程度は折り込み済みだったはずだ。女優やムード歌謡へのステップとして割り切らない限り、そんなに長く続けられる稼業ではない。
 -アイドルとは、成長してゆくもの、そして、ファンも同様に成長してゆく。
 そんなビジョンを描ける製作者は、まだ少数派だった。鮮度のいいうちにチャチャッと売り逃げることこそ、美徳とされていた時代だったのだ。

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 そんな非生産的な消費サイクルに一石を投じたのが、聖子と同じCBSソニー、山口百恵のリリース戦略だった。
 十代少女の美しく儚い瞬間を拡大再生産するのではなく、それまで未開拓だった「成長するアイドル」という概念を持ち込んだのが、ソニーのプロデューサー酒井正利だった。うら若き少女が、ひとりの女として脱皮してゆくプロセス、アイドルとしてNGだった恋愛→結婚という過程を経て、華々しく引退してゆくフィナーレまでのビジョンを描き切ることができたのは、百恵という素材ももちろんだけど、酒井をリーダーとしたCBSソニー制作陣の功績が大きい。
 その百恵不在後、バトンを引き継いだのが聖子だった、という次第。

 とはいえ、最初から聖子が百恵の後継者とされていたわけではない。デビュー時は他の有象無象のアイドル同様、同じ場所からのスタートだった。
 当時、同じCBSソニーの同期に、浜田朱里というアイドルがいた。元気いっぱいでコケティッシュなムードの聖子とは対照的に、浜田は少し背伸びした大人の女性路線を志向しており、ポスト百恵としては、彼女の方が近いところにいた。楽曲の傾向も、後期百恵路線を踏襲したシックなテイストのものが多く、カワイ子ちゃんタイプの女性アイドルとは一線を画していた。
 ただ、百恵のフォロワーとして売り出された浜田だったけど、そのシックさが仇となり、聖子と比べるとアイドルっぽさが薄く、華がないことは致命的だった。女性アイドルのメインユーザーである、イカ臭い中高校生男子にとって、浜田で妄想を掻き立てるのは難しかった。当時、ブリッ子ポジションだった聖子に人気が集中するのは、ある意味理にかなっていた。

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 浜田の失速によって、結果的にポスト百恵の座は、聖子が鎮座することになる。俺が思い出す限り、その後、CBSソニーからは三田寛子や河合その子が続いてデビューしているけど、百恵や聖子ほどの勢いはなかった。南野陽子が取って代わるまで、聖子の長期政権が続くことになる。
 そんなシフトチェンジが明確になったのが、6枚目のシングル「白いパラソル」だった。作詞家として松本隆が初めて起用され、ここからしばらく全盛期の世界観を演出することになる。

 「聖子プロジェクト」における松本の役割は、単なる一作詞家の守備範囲を大きく飛び越え、中・長期的なビジョンに基づいた総合プロデュースを担っていた。歌謡曲の職業作家をあえてはずしたキャスティング、アーティスティックなビジュアル・イメージの演出など、その業務は多岐に渡っていた。
 ソニー・サイドとしても、定番のプロ歌謡曲作家より、新鮮味のあるニュー・ミュージック系アーティスト、特にソニー所属の若手の発掘に力を入れていた。例えば大江千里や楠瀬誠志郎も、キャリアの初期に聖子への楽曲提供を行なっている。知名度も少ない彼らにとっては、ネームバリューにも寄与するし小遣い稼ぎにもなるし、ソニー的にも外部へ委託するより安く上げられるので、互いにwin-winだったんじゃないかと思われる。

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 -シングルだけではなく、アルバムでも高いクオリティを維持する。
 かつて太田裕美で行なった、アーティストとアイドルのハイブリッドという壮大な実験が「聖子プロジェクト」であり、その最初の成果が、初期の名盤『風立ちぬ』である。
 松本の盟友大滝詠一と鈴木茂とをサウンド・プロデューサーに迎え、「ほぼ」はっぴいえんどのメンバーが総力を挙げて作り込んだシンフォニーは、同世代アイドルのクオリティを軽々と超えていた。特に「ロンバケ」フィーバーの余韻をそのまんま移植したA面は、60年代ガールズ・ポップをモダンにビルドアップさせたゴージャスなサウンドで構成されており、聖子ファン以外のうるさ型音楽マニアをもうならせた。

 逆説的に言えば、「聖子であって聖子にあらず」、俺的には「これってやっぱ、大滝詠一の作品だよな」感が強い。誤解を恐れずに言えば、ほぼオケはロンバケなので、大滝のカラーが強すぎる。当時のヴォーカル録りはなかなか難航したらしく、聖子も天性のカンの良さでどうにか歌いこなしている。大滝思うところの女性アイドル像はうまく具現化されているのだろうけど、聖子ファンの立場からすると、ちょっとデフォルメされ過ぎなんじゃね?感が相まっている。
 デビューしてまだ2年足らず、まだ百恵ほどキャラクターを確立していなかった聖子に対し、記名性の強いナイアガラ・サウンドは、ちょっとアクが強すぎた。大滝のプロデュース力は見事ではあるけれど、でもこのサウンドだったら聖子である必然性はない。
 そんな反省を踏まえたのか、単独のサウンド・プロデュースというスタイルはこれ一回のみで終わる。その後は松本とCBSソニー若松宗雄ディレクターがコンセプト立案、カラーに合ったコンポーザーをその都度起用してバラエティを持たせる方針に起動修正される。変にナイアガラ一色で染めてしまうより、多種多様なタイプの楽曲を歌いこなしてシンガーの経験値を上げてゆく方が、育成戦略としては得策だった。

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 で、そんなメソッドと聖子のポテンシャルとがうまくシンクロし、一曲ごとのクオリティの高さとトータル・コンセプトが具現化されたのが、この『ユートピア』ということになる。やっと辿り着いた。
 『風立ちぬ』が「大滝詠一プロデュース」という明確なサウンド志向をアピールしているのに対し、『ユートピア』は個々の楽曲レベルが高いこと、また聖子自身の歌唱反射神経がピークに達しているため、特にコンセプトで縛らなくても統一感が醸し出されている。一貫した美意識に基づいた松本の世界観、そして聖子同様、どのジャンルの楽曲にも対応できる現場スタッフらの連携がうまく噛み合ったことによって、芸術性だけでなく、セールス面でも大きく貢献している。

 作曲クレジットを見ると、財津和夫や 細野さんはいわゆるレギュラー、これまでの実績も含め、登板率は高い。杉真理なんかは同じCBSソニーの絡みだろうけど、そんなメンツの中でちょっと異色なのが、甲斐よしひろ。レコード会社も違えば、楽曲提供に力を入れていた時期でもないのに、なぜか2曲も書き下ろしている。
 甲斐自身がソニーへ売り込んだとは考えづらく、恐らく松本か若松かがオファーしたのだろうけど、ニューヨーク3部作の製作中でハードボイルド・モードだった彼にアイドル・ポップの発注をかけるとは、なかなかの英断である。しかも、仕上がってきたのが「ハートをRock」、シングル以外の人気投票では上位に入る隠れ名曲である。60年代ロックだけではなく、古い歌謡曲をも幅広いバックボーンとしていた甲斐のソングライティング力はもちろんだけど、多分、そんな背景を知らずにオファーをかけた松本らの慧眼ぶりも、なかなかのものである。

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 そんな選び抜かれた猛者たちが、「松田聖子」というアイドル=偶像をモチーフとして、メロディを作る。甲斐も細野さんも、自作自演のシンガー・ソングライターである。なので彼ら、普段は自身が歌うために曲を作る。他人に向けてメロディを書くには、違う角度からのアプローチが必要になる。
 極力、聖子の歌唱スキルやキーに応じたメロディを書く者もいれば、頑として我流を崩さない者だっている。松本とレコーディング・スタッフによるトータル・コーディネートを通すことによって、ある程度の平準化は成されるけど、それぞれ固有のクセはどうしたって出てくる。
 ヴォーカル録りや解釈に時間はかけられない。睡眠時間すら大幅に削られた過密スケジュールの中、求められるのは瞬発力だ。
 仕事の合間を縫ってスタジオに飛び込み、仮ヴォーカル入りのオケを聴きながら、歌詞を頭に叩き込む。何回もテイクを重ねる時間もないし、第一、喉がそんなに保たない。
 必要なのは、脊髄反射と洞察力、そして度胸。
 80年代を通して、それらの要素が最も秀でていたのが、松田聖子という存在である。


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1. ピーチ・シャーベット
 甘くてキュートでそれでいてちょっぴり背伸びした大人の女性に憧れてでもどこかあどけなさの残る爽やかなカップルの様子を、敢えてベタなストーリーに仕上げている。「Sexy」なんてコーラス、まるで身もフタもない。1曲目なんだから、紋切り型でもいいんだよ。
 ちょっとオールディーズ風味なメロディを書いたのは杉真理。同時期に、堀ちえみ出演のセシルチョコレートCMソング「バカンスはいつも雨」によって、一気に知名度を上げている。この時期の彼は、ノリに乗っていた。
 ステレオタイプな歌詞とメロディということは、女性アイドルの話法に則って作られているため、表現力が試されるのだけど、ここでの聖子のヴォーカルは、ほんと神がかっている。こんな風に歌われちゃ、当時の中高校生男子は、一気に心が持ってかれてしまう。

2. マイアミ午前5時
 地味ながらも正統派のメロディを書く職人来生たかおによる、リリース当初から人気の高かった隠れ名曲。当時、アイドルのアルバム収録曲は世間的にも重要視されておらず、ヒット曲以外は穴埋め曲で構成された乱造品も珍しくなかった。そんな中、聖子のアルバムはどれも高いクオリティで維持され、ラジオで紹介されることも多かった。そういったアイドルは、多分聖子が最初だったはず。
 語感と直感で「マイアミ午前5時」って決めちゃったんだろうけど、この曲も1.同様、なかなかクセの強い楽曲。軽快なアレンジとは裏腹に、描かれるストーリーは別れをテーマとしており、そのギャップ感がちょっと異様。

 初めて出逢った瞬間に 傷つく日を予感した

 こんなアップテンポで、普通乗せるか?こんなフレーズ。

 マイアミの午前5時
 街に帰る私を やさしく引き止めたら
 鞄を投げ出すのに

 「まちにかえるわしを やさしくひきとたら」。
 わかりやすく強調部分を太字で表現してみた。ちょっとハスキーで甘え調の聖子のヴォーカルをより効果的にするため、発語感まで緻密に計算している松本の歌詞。ヴォーカルを引き立たせるためには、時にソングライティングのエゴも抑え込んでしまう。それだけ松本が強く肩入れしていたことがわかる楽曲でもある。



3. セイシェルの夕陽
 もう35年も前の曲なのに、今も幅広い年齢層から熱い支持を得ている、大村雅朗作曲の名バラード。これの前の『Candy』収録「真冬の恋人たち」も、大人びた切ない少女の憂いを引き出すメロディ・ラインだったけど、それがさらにヴァージョン・アップ、普通ならあり得ない南海のリゾートというシチュエーションを、違和感なく演出している。いや、やっぱ強引だよな、二十歳前後の女の子が傷心旅行で海外へ、しかも当時マイナーだったセイシェルへ行くなんて、普通ありえない。
 そんな非現実的な設定で歌詞を書き、ポンと聖子に丸投げしてしまう、まるで千本ノックのような鬼しごき振り。いや、非現実=偶像、すなわちそれってアイドルの必須条件か。じゃあいいか。
 で、35年前の楽曲だし、それなりに打ち込みも使われているのに、あんまり古臭い感じがしないのは、俺の好きなAORテイストがたっぷり盛り込まれているおかげか。こうして聴いてると、聖子の表現力の豊かさがたっぷり詰まっている曲として、特筆しておきたい。考えてみれば、アイドルも含めた今の女性シンガーで、こんな風に細やかなテクニックと情感とを兼ね備えて歌う人って、もういなくなったよな。

4. 小さなラブソング
 聖子本人の作詞による、タイトル通りステレオタイプのアイドル・ソング。聖子とは相性の良い財津和夫のメロディは、破たんもなく安心して聴き通すことができる。まぁ無難な出来なんだけど。でも聖子のヴォーカルだけは尋常じゃないレベル。甘さの中に変幻自在のテクニックをぶち込んでいる。聴き流すこともできる箸休めの曲だけど、この時期の聖子は油断できない。

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5. 天国のキッス
 4月に先行リリースされた、13枚目のシングル。もちろん最高1位、年間チャートでも16位にランクイン、初期のバラードの代表曲が「赤いスイートピー」なら、アップテンポにおけるひとつの頂点である。細野さん作曲・アレンジのため、ほぼ同時期に制作された「君に、胸キュン。」とオケがまんまなのは仕方がない。
 
 愛していると 言わせたいから
 瞳をじっと 見つめたりして
 誘惑される ポーズの裏で
 誘惑している ちょっと悪い子

 他愛ない恋の駆け引きを簡潔に描写している。あまり説明口調にならないのが松本の歌詞の特徴であり、だからこそ、シンガーによる解釈と表現力とが問われる。彼の意図を最も深く理解していたのが、当時の聖子だった。

6. ハートをRock
 聖子以外にも明石家さんまやTOKIOにも楽曲提供している甲斐、ここではなぜか本名甲斐祥弘名義でクレジットされている。なんか感じだと微妙な気がするのは、俺だけじゃないはず。
 大村雅朗アレンジによるモータウン・ビートは、ある意味、70年代から続くアイドル・カバーの伝統に則っており、そのマナーに従って、聖子も可愛くキュートなアイドルとして、この曲を料理している。
 なので、甲斐もステージでこの曲をセルフ・カバーしているのだけど、それはやっぱちょっと無理やり感が強い。まぁファン・サービスみたいなものだけど、やらかしちゃったよな。



7. Bye-bye playboy
 初期はシングル楽曲を多く書き下ろしていた財津和夫だったけど、この時期になると彼の曲がシングル候補に挙がることもなくなり、ほぼアルバム楽曲専門となっている。とはいえ、ムラの少ない安定した楽曲制作力は得難い存在であり、聖子プロジェクトにおける彼の登板率は、恐ろしく高い。特別、松本隆と近しい存在でもなさそうだけど、大きくはずすことのない安心感は、何かと便利な存在だったのだろう。なんか抑えの投手みたいなポジションだよな。
 ちょっとキーを高めに設定した、旧タイプのアイドル・ソング。ちょっと苦しめの高音部分が、声の魅力を最大限に引き出している。

8. 赤い靴のバレリーナ
 甲斐よしひろ2曲目、今度は瀬尾一三アレンジによる正統派バラード。歌詞もそれに呼応してか、センチメンタルの極致をこれでもかと抉るように掘り下げている。恋をするとネガティヴになってしまう女の子の憂いを巧みに表現している。前髪という小道具を使うところなんて、そりゃもう技巧的。

9. 秘密の花園
 「天国のキッス」からさかのぼること2か月前、12枚目のシングルとしてリリースされた。もちろん最高1位、TV出演時のタイトな白のマイクロミニが、世の男子の妄想をさらに搔き立てた。
 リリースされるまで紆余曲折があったことは、よほどのファンでも知らないはず。俺も調べてみて初めて知ったくらい。
 もともとシングル向けの楽曲を財津和夫にオファーしていたのだけど、締め切りまでにプロデューサーのOKが出ず、財津は辞退する。リリース日が迫る中、急遽、ユーミンが引き継いで、どうにか間に合った、という逸話が残っている。
 スケジュールの都合上、先に仕上がった詞に曲が後付けされる、なかなか珍しいケースだけど、そこをどうにかねじ伏せて形にしてしまうのは、さすがユーミン。でもユーミンのことだから、この甘ったるい寓話的な歌詞だったら、鼻で笑ってたんだろうな、という気がしてならない。

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10. メディテーション
 ラストはこれが初登場、上田知華作曲による変則リズムのミディアム・スロー。松武秀樹参加による影響もあって、ゴリゴリのシンセ・ベースが全篇流れており、それでいてクラシックがバックボーンの上田特有のつかみづらいメロディは、このアルバムの中でも異色の存在。これまでのセオリーと違うリズムとメロディに、さすがの聖子もついてゆくのが精いっぱいといった感じ。
 後年再評価されることを前提としているならともかく、通常のアイドル・ポップスとしてはちょっと異色すぎるかな。松本の歌詞にしては珍しく抽象的でスピリチュアル風味も漂っており、なかなか捉えどころのない曲。だから面白いんだけど。



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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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