好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Pop : Japan

ポップ馬鹿としての達郎は、ここから。 - 山下達郎『Melodies』

folder 1983年リリース、7枚目のオリジナル・アルバム。前作『For You』に続きチャート1位を獲得、年間チャートでも7位にランクインしている。
 この年の年間トップは、映画『フラッシュダンス』のサウンドトラック、3位は松本隆主導によるプロジェクト戦略がピークに達していた、松田聖子『ユートピア』、次に明菜・サザンと、順当なラインナップになっている。
 ちょっと不意を突かれたのが、2位のフリオ・イグレシアス。外タレというよりディナー・ショー歌手の印象が強いので、カタカナで書いちゃったけど、アラフォー世代以下はもう知らないんだろうな。「バイラモス」をヒットさせたエンリケの親父ってことだったらわかるかな?とも思ったけど、あれだって、もう20年前なんだよな。本題と関係ないから、まぁいいか。
 続いて6位がMichael Jackson 『Thriller』。マイコーより売れてたのか、フリオ。で、この次に達郎が続く。
 単独トップこそ『フラッシュダンス』に譲ったけど、本当の意味でのこの年のトップは、断然明菜。しかも、年間トップ10圏内に3枚も送り込んでいるブッチギリ状態。さらに、ベスト・アルバムじゃなくて、全部オリジナル。出来不出来はあったとしても、尋常じゃないペースである。
 当時のアイドル歌謡曲のリリース・スパンが、シングル3ヶ月・アルバム半年が平均だったため、実現できた記録である。アニメ関連以外じゃ、こういうのってなくなっちゃったよな。

 ちょっと言いづらいけど、こんなキラ星が並んだラインナップの中では、何ていうかこう、地味で場違いな感が否めないのが、達郎の存在である。テレビでの露出が必須だった歌謡界や、いい意味でPV的な構成の『フラッシュダンス』や『Thriller』と違って、映像によるアプローチは、まったくと言っていいほどない。竹内まりやとの結婚式での取材ラッシュに辟易して、それ以降は頑なに映像での露出を拒んでおり、いまだ頑固にそのポリシーを貫いている。
 とはいえ、当時のニュー・ミュージック勢の戦略として、メディア露出を絞ってユーザーの情報飢餓感を煽ることがセオリー化していたので、達郎だけが特別だったわけじゃない。ないのだけれど、当時のTV出演拒否を謳っていたアーティストの多くが、今では普通に出演している中、彼だけは頑なに初心を貫いている。そこまでの頑固一徹さは、もはや賞賛に値する。ここまで行っちゃったら、もう引退するまで貫いてほしい。
 ビジュアル面でのインパクトの薄さは、アルバム・アートワークでも顕著にあらわれている。「FMステーション」でお馴染み、鈴木英人デザインによる、ポップでアメリカンナイズされたアートワークでパッケージされた『For You』から一転、『Melodies』のジャケットは、インパクトもなく地味である。オールディーズ・ナンバーのオムニバスのような、素っ気ないデザインとなっている。歴代のアルバム・ジャケットの中では、『Spacy』と肩を並べるくらい、掴みどころがない。
 逆に考えれば、小洒落たデザインや話題性などを抜きにして、音楽のクオリティだけで勝負する-、そんな強い決意の表れ、そして自信だったと言える。

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 JALのCMソングとなった「高気圧ガール」以外、マスコミにとって形容しやすいセールス・ポイントがないアルバムがここまで売れちゃったのも、そんな強い自信のあらわれ、真摯な決意の賜物だったんじゃないか、というのはちょっと持ち上げすぎかな。でも、当時置かれた立場的には、普通に『For You』の二番煎じでも、誰も批判はしなかったと思われるし、周辺スタッフだって、内心は気が気でなかったんじゃないかと思われる。大滝詠一だって、『Each Time』は自嘲的に「ロンバケⅡ」って語っていたくらいだし。
 達郎がデビューした頃、日本のロック/ニュー・ミュージックの市場はまだ未成熟で、単体で採算が取れるほどのレベルではなかった。吉田拓郎や井上陽水など、ごく一部のアーティストらは安定したセールスを積み上げていたけど、その他大多数は商業的にいわばお荷物、絶大なセールスを誇っていた歌謡曲の売上で活動させていただいているようなものだった。一部の看板歌手によって得た利益を再分配して次世代へ投資する、この図式は今もそんなに変わらない。まぁ市場規模が小さくなっちゃったので、原資自体が減っちゃって配分も何もなくなっちゃったけど。
 で、80年代に入ったあたりから、歌謡曲以外のシェアが増大する。さらなる売り上げ拡大を目指すアーティストもいるにはいたけれど、純粋な動機で音楽を始めた者が多かったこの時代、セールスの裏付けによる発言力を得たことによって、強いアーティスト・エゴを反映させた作品もまた多い。
 9位のユーミン『リ・インカーネーション』は、後の恋愛至上主義からは想像もつかないSFチックなスピリチュアル路線だし、11位の中島みゆき『予感』だって、ご乱心路線にギアが入り始めた頃の作品である。事実上の独立第1弾となる『Melodies』も、シングル曲以外は内省的で派手さのない、アーティスト・エゴを優先させたサウンド・コンセプトで統一されている。
 「Ride on Time」や「Loveland, Island」の拡大再生産的な「高気圧ガール」一色で埋め尽くしたって、誰もケチはつけないだろうし、市場のニーズとはマッチしている。でも、そうはしたくない、時代に寄り添い過ぎたくはない、という嗅覚が働いたのだろう。それが得策だったことは、時代が証明しているわけだし。

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 「Ride on Time」のスマッシュ・ヒットで注目され、そこから『For You』~『Melodies』と続く第一次達郎全盛期は、同時にニュー・ミュージック時代の終焉に位置づけられる。80年代後半のバンド・ブーム以前、非歌謡曲系のアーティストの主軸がソニー系ロック/ポップ系へ移行する、そのちょっと前の時代。
 70年代にデビューした、叙情派フォーク勢が中心となったニュー・ミュージック系の歌手らは、時代の趨勢に従うように、ソフィスティケイトされた洋楽テイストのサウンドを志向するようになる。赤裸々なメッセージとイデオロギーをコアとした60年代組と違って、白樺派的雰囲気フォークの後発勢らは、ポップで耳ざわりの良い英米のシンガー・ソングライターのメソッドをパクって吸収していった。男だったらPaul Simon、女ならCarole King、「第2の~」「日本の~」というキャッチフレーズが多かったのも、この頃である。
 そんな小ブームも一過性に終わり、次の元ネタを探しに次に向かったのが、アーバンで落ち着いた「大人の音楽」、Christopher CrossやBobby CaldwellらによるAORサウンドだった。一歩間違えれば演歌にも通ずる情緒的なメロディ・ラインは、日本人のメンタリティにも心地よくフィットしたため、流用するにはうってつけだった。
 達郎の場合、そんな並行輸入のAORもどきとは一線を画し、ウェットな感性を排したサウンドとメロディを持ち味としていた。ただ、「洗練された大人のシャレオツなサウンド」といったくくりで行くと、あながち間違ってはいないし、プロモーション展開としてはやりやすい。

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 「夏だ海だ達郎だ」といったリゾート・ミュージック的な捉えられ方は、自分の音楽的ポリシーや意向が完全に反映されたものではない」と後年、達郎は語っている。当時の音楽シーンを鑑みると、刹那的な流行だったと思っても仕方がない。
 ただ、100パーセント自身の嗜好が反映されたモノを作っているアーティストがどれだけいるのかといえば、実際のところ、そんなに多くはない。ていうか、むしろごく少数。
 かつてはMarvin Gayeがジャズ・スタンダードのアルバムをリリースしたり、近年でもPaul McCartneyが単発的にクラシックのプロジェクトを興したりしているけど、ほとんどは採算度外視の道楽みたいなもので、どれもヒットを前提として作られたものではない。商業ベースに乗せるためには、大なり小なり妥協がついて回るのだ。
 インタビューなどの発言やラジオの選曲傾向から、オールディーズやドゥーワップをベースとした音楽が好みであることは、よく知られている。嗜好としては間違ってはいないのだけど、本来の志向とは微妙にズレがあることは、ライト・ユーザーにはあまり知られていない。
 実際の達郎は、古くはAC/DC、近年ではEastern YouthやThe Birthdayらをこよなく愛する、意外に意外なハードロック壮年である。ただ、「自分の声質にはフィットしないことを自覚し、消去法的選択で今のような作風に向かった」と、これも自身でコメントを残している。
 達郎がインタビューで頻発して用いるのが、「商業音楽」という言葉。
 彼曰く、「不特定多数のユーザーに届かせるためには、嗜好よりも適性が優先される。商業音楽の世界では、売れないのは無と同然であり、売れる事によって初めて優劣の評価が成される」と。詳細までは覚えてないけど、このニュアンスの発言は何度か目にしたことがある。こういう事語らせたら止まらないのが、この人の持ち味でもある。
 「商業音楽」の世界で生きて行こうと決めた時点で、達郎の音楽性は狭まったのか、それとも逆にフォーカスが絞られたのか。多分、後者だろう。言っちゃえば結果論くさいのだけど、それをまた後付けで理論武装してしまうのも、この人のしたたかさである。

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 前年に立ち上げたアルファ・ムーン・レーベルへの移籍を機に、達郎は自ら作詞を手がけるケースが多くなる。それまでは、多くの作詞を吉田美奈子に委ねていたのだけど、自ら選んだ言葉とテーマを歌う行為は、今後のアーティスト活動の継続において必然と判断したのだろう。
 もともとサウンド・メイキングの方の評価が高くて、歌詞なんて添え物程度にしか考えてなかったんだから、どうせなら長所を伸ばす方向、サウンドやヴォーカルのディティールに力入れた方がいいんじゃないの?と余計な勘ぐりをしてしまいたくなる。当時の内情を知らない俺だってそう思うんだから、身近な関係者や事情通の中には、そんな風に思ってた人もいたんじゃないかと思われる。
 いざ「自分で書く」と決めたはいいけど、プロフェッショナルな職業作家ではないので、高度なレトリックやダブル・ミーニングを多用できるわけではない。気取った言い回しができるタイプじゃないし、特に30過ぎだったら、内面をさらけ出すことに対する気恥ずかしさが先立ってしまう。
 ある意味、見切り発車的な(ほぼ)全曲作詞だったため、類型的な情景描写が多く、赤裸々な心理描写を表現した作品はない。メロディ・ラインとヴォーカルの発語感のマッチングが齟齬を来たし、拙いものもあるにはある。
 「商業音楽」としてのクオリティを追求するなら、外部委託もまたひとつの手段である。製品レベルの維持安定を図るのなら、むしろ信頼できる第三者に委ねた方が合理的だ。
 でも彼は、人に書いてもらうことより、自分で言葉を選び、歌うことを選んだ。「商業音楽」の世界に生きていながら、やはりそこはアーティストだ。なぜ自分が、多くの人に作品を聴いてもらいたいのか。単なる利潤の追求なら、もっと効率的なやり方はある。
 効率的なロジックとは対極の、抑えきれぬアーティスト・エゴの発露。湧き上がる表現欲求に駆り立てられるように、その後の達郎は言葉の表現にも注力するようになる。

 後にリリースしたアルバム・タイトル『Artisan(アルチザン)』。職人をあらわす英語である。その後の彼の足取りを想えば、アーティストというより、この言葉の方がふさわしい。





1. 悲しみのJODY (She Was Cring)
 大滝詠一だったか誰だったか、「日本で最初にファルセットでメジャーになった曲」と称された、なのに8ビートのストレートなロック・チューン。ファンクやディスコと言えば16ビートだけど、敢えてそこをはずしたところに、新境地への意気込みが窺える。
 多重コーラスはもちろん、やたら重たいベースや終盤のドラム・ソロも、ぜんぶ達郎独りでこなしている。井上大輔にサックスを頼んだ以外は、ほぼ全部自分。こういうスタイルって、もっとこじんまりとまとまっちゃうものだけど、ちゃんと広がりのあるヴァーチャル・バンド・サウンドに仕上げている。この時期はあんまりライブに積極的ではなかったけど、後のバンド・アンサンブルも想定していたんだろうか。

2. 高気圧ガール
 オリコン最高17位まで上昇した、先行シングル・カット。当時のJALのキャンペーン・ソングということで、やたら大量に出稿されていたのは、中途半端な田舎の中学生だった俺の記憶にも強く残っている。ていうか、一般的な認知が定着したのは、多分この頃だったんじゃないかと思われる。
 享楽的な夏の宴を思わせるサンバのビートは、裏表もあまり感じさせず、その辺はやはりオファーに則った職人芸。「夏の男」というベタなニーズにそのまんま応えた、コマーシャルな達郎像が具現化されている。アカペラとパーカッションで構成されたイントロは、一歩間違えればエスニックな泥臭いものになりがちだけど、そういった危惧をすべて回避して、コンテンポラリーなポップ・スタンダードとして仕上げている。
 ちなみに甘い吐息の主は、しばらく明かされていなかったのだけど、正体は竹内まりや。やっぱりな。

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3. 夜翔 (Night-Fly)
 ゆったりした正統フィリー・ソウルなバラード。ベタでムーディでスウィートなホーン・セクションと優雅なストリングス。なので、決して技巧的ではないベタな歌詞がフィットする。小難しい言葉を連ねるタイプのサウンドじゃないしね。
 リリース当時は1.2.のようなアッパーなサウンドのインパクトに心惹かれていたけど、年を取るにつれ、こういったシンプルなソウル・バラードの方がしっくり馴染むようになる。
 大人になればわかるよ、そういうのって。

4. GUESS I'M DUMB
 Bryan Wilson作のカバーというのを、だいぶ後になってから知ったのだった。ちなみにYouTubeでオリジナルのGlen Campbellヴァージョンを聴いてみたのだけど、歌い方は完コピだな。達郎ヴァージョンを先に聴いてるので、俺的にはこっちがオリジナルみたいなものだけど、結構やるよな、Glen。ヴォーカルの力だけで引き込まれてしまう。
 アカペラ多重コーラスで彩ることによって、サウンドの深みがグッと引き立ったのはアイディア勝ち。ていうか、このコーラスが入ってこそ、この曲は完成したんじゃないか、とさえ思ってしまう。
 ちなみにこの曲も1.同様、達郎独りによる多重録音。この時、30歳。それでこの完成度だから、どれだけ老成してるんだよ。やっぱ若年寄だな。

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5. ひととき
 レコードではA面ラスト、本人いわく、60年代フォークっぽくやりたかった、とのことで、サウンドはポップなフォーク、ヴォーカルはちょっと抑えめのソウル・タッチ。要所を多重コーラスで締め、コンパクトにまとめている。夏っぽさどころか季節感も薄い、もう少しウェットに寄れば抒情フォークになってしまうところ。でもこの雰囲気は悪くない。3.同様、年を重ねてから聴くと、じんわり来る。

6. メリー・ゴー・ラウンド
 このアルバムのメイン・トラックのはずだったのだけど、一般的な認知度で言えば10.に取られてしまい、不遇を囲っているどファンク・チューン。ただファン歴が長くなればなるほど、この曲の人気は高くなる。
 最強のリズム・セクションだった伊藤広規(B)と青山純(Dr)によって構築された盤石のビートは、誰も太刀打ちできない。この2人の勇姿を見ることは叶わなかったけど、昨年、初めて参加したライブで、俺が最も楽しみにしていたのが、この曲。いやもう、心も体も持ってかれてしまう。



7. BLUE MIDNIGHT
 『For You』のアウトテイクということで、この曲のみ作詞が吉田美奈子。フィリーなソウル・バラードは3.と似たタッチで、いつも印象がかぶってしまう。まぁノリノリの6.の後だから、その後のクール・ダウンといったポジショニング。
 逆に言えば、このアルバムのサウンドには非常にフィットしており、よって『For You』だと入れどころに困ってしまう。すでにこういったライト & メロウ路線が芽生えていたのだろう。

8. あしおと
 こちらも『For You』時に制作された楽曲。軽いタッチのシカゴ・ソウルは、やっぱシックなこのアルバムとの方が相性が良い。肩の力を抜いたポップ・ソングだけど、コマーシャルな路線とも違う、それでいて優しく寄り添ってくる。不思議な魅力のあるナンバー。これまでも、そしてこれ以降もないタイプなので、なかなか貴重。多分、もう書けないんだろうな、こういう方向性って。



9. 黙想
 ラス前のインタールード的な小品バラード。歌詞は至ってシンプルだし、アレンジもピアノ1本。しかし、ポップのアルバムで、こんなタイトルの曲を入れるだなんて、なかなかの冒険。一過性のヒットを狙うのなら悪手だけど、長期的な展望で見れば…、ややっぱないな、普通。

10. クリスマス・イブ
 あまりに語られ過ぎてるし、誰もが知ってる曲なので、大して書くことはないけど、本格的なアカペラ・コーラスを大々的にフィーチャーされた、初めてのヒット曲。若書きとも取れる歌詞も、過度なセンチメンタリズムを避け、それでいて情熱的。考えてみれば、ソウルにどっぷり浸かっている人なので、ストレートな表現を多用するのは当たり前なのだ。
 初回の12インチ・ピクチャー・レコードを速攻で買ったのは俺の自慢のひとつだけど、金に困って売っぱらっちゃったのもまた、俺の数少ない後悔のひとつ。こういうのは手元に残しておくものだよね。みんなも大事なアイテムは、簡単に手放さないようにね。

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ナイアガラー寄りじゃない新旧ヴァージョン比較 - 大滝詠一 『ナイアガラ・カレンダー』

c0074067_19361490 1977年リリース、大滝詠一4枚目のソロ・アルバム。この年のナイアガラ・レーベルは3月に『CMスペシャル』、6月にシリア・ポールの『夢で逢えたら』、11月に多羅尾伴内楽団の1枚目、そして年末も押し迫った12月25日に『カレンダー』リリース、といったラインナップ。1枚はアーカイブ、もう1枚もインスト・セッションをまとめたものとはいえ、ほぼ独りで4枚のアルバムを製作しているのだから、そりゃあもう、いっぱいいっぱいだったことは想像できる。

 第1期ナイアガラの大滝詠一は、アーティストというより、レーベル・オーナー/プロデューサーとしての意識が強かった。単に自分名義のアルバムだけを取り扱うプライベート・レーベルではなく、プロデュース業務を主体とした、関連アーティストのバックアップと流通を取り仕切る、強い志を持っていたのだった。ただ、そういった思い違いが、レーベル運営の早すぎる破綻を招くことになる。
 正直、そんな裏方意識でいたのは、大滝だけだった。はっぴいえんど時代からの数少ないファンからすれば、「まぁ、そんなマニアックな発想も悪かないけどね、でもソロ活動もきちんとやってくんでしょ?」って感じだったし、ディストリビューターであるコロンビアもまた、メイン・アーティストは大滝と位置付けていた。
 「プロデューサー主体っていうけど、今のところ所属アーティストいないんだし、『年4枚のアルバム制作』って契約条件クリアするためには、自分のアルバムも作っていかないと、とても回らんでしょ?」。

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 レーベル設立時の大滝は、ちょうどCMソングを量産していた頃であり、創作ペースとしては順調そのものだった。なので、「その気になればフル・アルバムの1枚や2枚、チャチャっとできるでしょ」と、過信していた部分もある。
 生前のインタビュー・発言からにじみ出てくる理屈っぽいキャラから、ロジックで動く理路整然とした人だと受け取られがちだけど、考えてみれば、これまで散々、発売延期だ企画倒れだを繰り返してきたわけで、その辺が何かと誤解されている。基本は行き当たりばったり、怒涛のつじつま合わせを強引に行なう人、というのが大滝の本質である。
 そんな彼の裏も表も含めて、最も深く理解していたのが、山下達郎だった。
 年に一度の新春放談で催される、「アーカイブはともかく、新譜はまだか」の丁々発止のつば迫り合い。オチがわかっていながらつい聴き入ってしまう、ダチョウ倶楽部顔負けのお約束合戦は、まだ続いていれば、伝統芸能の域に入っていたんじゃないかと思われる。

 『カレンダー』に限らず、先人への強いリスペクトが顕著な良質の楽曲に加え、演奏の主軸になっているのは、はっぴいえんど〜キャラメル・ママ・コネクションのミュージシャンなので、素材自体のクオリティはとても高い。なのに、第1期ナイアガラの作品クオリティにムラがあるのは、録音やミックスダウン、音像処理の問題が大きい。
 設立時の配給先だったエレック倒産を経て、新たなディストリビューターになるコロンビアとの交渉によって、大滝は最新タイプの16チャンネル・マルチレコーダーを手に入れる。災い転じて福となり、スタジオ設備は増強されたのだけど、所詮は米軍払い下げ住宅を改造したプライベート・スタジオ、どれだけ高い志と熱意を持ってしても、オーディオ的なクオリティには限界がある。
 所属アーティストになるはずだった山下達郎も伊藤銀次もいなくなったため、大滝自身がフル稼働して制作ノルマをこなさなければならなかった。作品のアイディアだって使い切っちゃってるので、ストックもほとんどない。締め切りギリギリまで粘りに粘り、どうにか搾り出したモノを録って出し、といった無限ループ。クオリティより納期が最優先となるため、納得ゆくまで作り込むことができず、言ってしまえば雑な仕上がりの作品も多い。
 ソニーに移籍してからは、潤沢な時間と予算、有能な外部スタッフの起用によって、初期構想に準じた作品を作る環境が整った。ただ、そうなったらそうなったで、「あれもできる」「ここをもう少しこだわりたい」と時間がかかり、結局、コスパ的には昔と大差なくなっちゃうのは、どんなもんだか。

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 で、長くなったけど、ここからが本題。
 ソニー移籍を機に、第1期ナイアガラのアーカイブは、大なり小なり、どれもリミックスを施されて再リリースされている。Fussa 45スタジオのマシン・スペックでは叶わなかったサウンド・エフェクト、バランスやピーク・レベル、フェード・イン/アウトの長短に至るまで、あらゆるポイントで改変が行なわれている。
 で、そんなマニアックな編集作業が最も大胆に行なわれたのが、この『カレンダー』である。
 結果的に、第1期ナイアガラにおいては最後のソロとなったこのアルバム、底の見えないセールス下落を阻止するため、またレーベルの存続を賭けて制作された。これまでプロデュース業務の多かった大滝が、アーティストとしては久しぶりに重い腰を上げ、持てる力のすべてを注ぎ込んだ自信作である。
 はっぴいえんど時代のアンチテーゼとして、第1期ナイアガラの主題となっていたリズムものやノベルティソングに加え、敢えて封印していたメロディ・タイプの楽曲も復活しており、バラエティに富んだ作品になっている。いわばとっ散らかった印象もないわけではないけど、それにも増して伝わってくるのは、アーティストとしての覚悟、強い意志表明である。
 俺的にも、第1期ナイアガラのアルバムの中では、最もターン・テーブルに載せたことの多い、何かと想い出深い作品だ。

 『ロンバケ』以降にファンになった俺にとって、『カレンダー』といえば、黄色いラベルのソニー盤であり、吉野金次リミックスによる81年版である。ほぼ同時期に単行本『All About Niagara』を購入して、隅々まで嘗めるように読みまくった中学生の俺は、そこでコロンビア盤の存在を知った。ただ、当時はすでに廃盤となっており、中途半端な田舎の中学生が安易に入手できる代物ではなかった。
 それからしばらく経って、札幌の中古レコード屋で一度だけ、コロンビア盤が飾られているのを見たことがあった。レア物コーナーに陳列されていたそれは、社会人になっていた俺でさえ、二の足を踏んでしまうほどの高値をつけられており、気軽に手が出せるものではなかった。
 次にそのレコード屋に行くと、誰かが買ってしまったのだろう、もう『カレンダー』はコーナーから消えていた。せっかく、手が届くところにあったのに。

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 20周年プロジェクトが一巡して30周年プロジェクトが始まり、ファンの間で、最もその発売が待たれていたのが、『カレンダー』だった。
 20周年プロジェクトでは、『ムーン』や『CMスペシャル』を始め、他プロジェクトのアルバムでも未発表テイクが追加され、多くのファンが狂喜乱舞した。しかし、『カレンダー』だけは、目立ったリミックスやボーナス・トラック収録はなかった。
 「オリジナル〜リミックスの時点で作品としては完結しており、これ以上足すものはない」というのが、大滝の見解だった。それだけ『カレンダー』に格別の思い入れがあった、ということなのだ。
 それならそれで、コロンビア盤のレジェンド感は、さらに高まってゆく。他のアルバムの20周年エディションのライナーノーツは、どれも時系列に沿って事象を丹念に記しており、ここで明らかになった新事実も多い。しかし、『カレンダー』だけはペラ1枚、やけにアッサリした文章になっている。
 やはりここで完結しているのか、それとも付け足すことがあんまりないのか。

 「新旧ヴァージョン完全収録」という、『カレンダー』の30周年エディションの詳細が明らかになって、全世界のナイアガラーは、再び狂喜乱舞した。これまで存在だけは知られながらも、ほとんどの人が聴いたことのない、まるでUMA的に伝説となっていたコロンビア盤を聴くことができる!
 正直、アーカイブものが続いて興味が薄れていた俺も、このインフォメーションを聞いた時は、大勢のナイアガラー同様、狂喜乱舞したのだった。

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 で、耳にしたのだけど。
 …なんか微妙だった。
 黎明期を見てきた初期ナイアガラーが、こぞって「傑作だ」「コレを聴いとかなくちゃ」など期待感をあおるものだから、さぞ革新的なクオリティなのだろう、とドキドキしながら聴いてみると。
 …案外ショボかった。
 「初期構想の忠実な再現」というコンセプトでもってリミックスされたソニー盤は、スタジオ機材やインターフェイスの問題で叶わなかった、リヴァーブやコンプレッサーをふんだんに使用している。アカデミックなレコーディングを習得していない大滝のビジョンを具現化するため、『カレンダー』のサウンド・コンセプトを反映するには、吉野金次という熟練のプロフェッショナルが必要だった。時間的な余裕と適切な投資によって、『カレンダー』はソニー盤で完成を見たと言える。
 ソニー盤を聴いてからコロンビア盤を聴くと、やってる事はほぼ変わらないのだけど、コロンビア盤の音像処理はスッキリしすぎて、これってデモ・テープなんじゃね?とさえ思ってしまう。今ならDTM機材の発達によって、高音質のホーム・レコーディングも珍しくなくなったけど、当時の宅録レベルのスタジオ機材では、ピーク・レベルを抑えることが精いっぱい、想いはあってもやれる事は相当限られる。ましてや素人ミキサーである大滝が、吉野金次と同等レベルのスタジオ・テクニックがあるかといえば、それを求めるのはちょっと酷。
 実際、第1期ナイアガラを支えたミキサー笛吹銅次(大滝の別名)は、その後、引退しちゃうし。

 前述したように、俺的にはソニー盤を長らく聴き込んでいたため、愛着はあるのはそっちの方である。なので、「ミックスダウン前のお蔵出しトラック」と言われたら信じちゃいそうなコロンビア盤に、格別な思い入れはない。
 リリースされた1977年のサウンドとしては、充分イケてたのだろうけど、やたらと神格化するのも、ちょっと無理矢理すぎるんじゃないかと思うのは、俺だけじゃないはず。原理主義が嵩じて後発を否定するには、クオリティ的にちょっと弱すぎるのだ。
 ごく少数だけ流通したコロンビア盤をリアルタイムで手に入れた初期ファンの思い出補正によって、妙に神格化されたことも誤解を生んだ。このアルバムに限らないけど、レア物は、本来の価値以上に高評価を受けてしまう。
 幻の音源を入手する希少な機会を得た者は、選ばれし初期ナイアガラーとして、知ったか顔で第1期ナイアガラを神格化していった。
 でもあいつら、「多羅尾伴内楽団」さえ絶賛しちゃうんだぜ。信用できねぇよ。



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1. Rock'n'Roll お年玉
 レーベル存続を賭けた悲壮感を思わせない、ていうか突き抜けて躁状態で歌われる、日本人のためのロックンロール。プレスリーからはっぴいえんどまで、古今東西の文化遺産を一緒くたに詰め込んでシェイクして撹拌して煮詰めて蒸留した、ナイアガラ・ワールドの完成形。新春放談でも一発目でよくかかっていたし、正月が近づくと思い出したように聴いてしまう、俺的にはすっかり季節の風物詩的ソング。
 コロンビア盤冒頭の「おめでとうございます」のリヴァーブの薄さが、俺のガッカリ感を助長させた。全体的にエコー感が薄いため、スタジオの密室感が強調される。当時としてはがんばったんだろうけどね。

2. Blue Valentine's Day
 80年代を通過してきた者にとって、バレンタイン・ソングといえば圧倒的に国生さゆりだけど、楽曲的には断然こちらの方がクオリティは上。「どうせもらえるわけねぇや」といったネガティヴな歌詞の世界観は、後にコンビ復活する松本隆のそれと大きくかぶっており、キャリア通して1,2を争うウェットなヴォーカルと見事にシンクロしている。
 1.同様、コロンビア盤はエコー成分が少なく、ていうかほぼデッドな響き。近年、『Best Always』で発掘されたシングル・ヴァージョンではほどほどのリヴァーブがかけられているため、アルバムでは敢えて他の曲とのバランスを考慮して抑え気味にしたんじゃないかと思われる。
 第1期ナイアガラの中では異質の甘さと大衆性があったにもかかわらず、リリース当時はほぼ世に知られることもなかった。もしこれが売れてたら、流れもまた変わっていたかもしれない、非常に惜しい名曲。

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3. お花見メレンゲ
 メレンゲというリズムが何なのか調べてみると、サルサやサンバに近似したジャンルであるらしい。ラテン方面はあんまり詳しくないので、知ったかぶりはやめておこう。
 リズム・トラックは基本楽天的なのだけど、ヴォーカルは全然ノリノリといった感じじゃなく、この辺が和のテイストなのかな、と無理やり思ったりもする。
 つくづく思うけど、この時代のミュージシャンって、引き出しめちゃめちゃ多いよな。大滝のムチャ振りに対応するためには、あらゆるジャンルを網羅しとかないといけなかったのか。

4. Baseball-Crazy
 続くリズムものシリーズ。私設草野球チームまで持っていたベースボール・マニア大滝として、野球愛にあふれる自身を自虐的なパロディとして描いている。
 正直、漫才ブーム以降を生きてきた俺世代にとって、戦前戦後のギャグやパロディをベースとした彼のノベルティ作品は、あんまりピンと来ない。まぁ絶賛されてるから面白いんだろうな、といった感じ。身内の間で披露してる分にはいいんだろうけど、誰か止めなくちゃダメでしょ。あ、プロデューサーだから、その辺のジャッジも全部自分か。

5. 五月雨
 ご存じオリジナルはソロ・デビュー作『大瀧詠一』より。当時のソリッドでコンパクトなファンクから一転、ここではドラマティックなストリングスと女性コーラス、重く響くバスドラに彩られ、荘厳としたムードに包まれている。語呂と語感のみで構成されている歌詞には、まったく意味性はない。ないのだけれど、これだけ深淵なサウンドにのせて歌われると、妙な重みが醸し出されているという不思議。
 コロンビア盤で終始流れる雨のSEは、陰鬱とした長雨の気だるさを活写しているけど、ソニー盤の深い深いエコーを聴くと、あっさり感じてしまう。この粘っこさがサウンドの肝なんだろうか。

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6. 青空のように
 長らく彼が研究対象としてきたスペクター・サウンドの、この時点での完成形。ヴォーカルもパーツの一部として同等に扱われ、バッキングと同じレベル、フラットな配置にされている。多分、モノ・ミックスで聴くのが理想なのだけど、他の曲とのバランスを考えてステレオにしたんじゃないかと思われる。でも、シングル盤でもステレオなんだよな。
 ただ、ソニー盤ではヴォーカルを少し前面に出したダイナミックなバランスになっており、アルバムの中の一曲としては調和が取れている。あ、それとイントロはコンパクトなソニー盤の方がメリハリあるよな。

7. 泳げカナヅチ君
 昔のサーフ・ロック、多分Beach Boys周辺をモチーフにしたのと、ベンチャーズっぽいギターを入れて、テーマとして「およげ!たいやきくん」のアンサー・ソングという体裁を取ったパロディ・ソング。コロンビア盤では全編波音のSEが流されており、それが災いしたのか、演奏パートの出力レベルを抑えてしまってるのが、ちょっと残念。あとで聴いてみて、「やっぱいらねぇや」と思ったのか、ソニー盤ではSEは削除されている。

8. 真夏の昼の夢
 のちの『ロンバケ』サウンドのプロトタイプとして、もっともわかりやすいポップ・バラード。サウンドの構想は、もうずっと昔から大滝の頭の中にあったことが窺える、貴重な一曲。ただ、ここに盟友松本隆はおらず、あくまで大滝自身が松本隆っぽい言葉を選んで順列組合せしているだけであり、ストーリー性は弱い。
 松本と大滝の書く言葉の違い。それは、「恥」の温度差の違いでもある。

9. 名月赤坂マンション
 エンジニア笛吹銅次のベスト・ワークとして、もっと語られてもいいトラック。あのプライベート・スタジオと彼のスペックで、ここまで臨場感あふれる形で尺八や三味線の音を録音できたのは、単純に「すごい」の一言。それだけ和楽器のレコーディングは難しいはずなのだ。ソニー盤ではリヴァーブがもう少し盛られているけど、哀切漂う泣き笑いの感情を表現するためには、ややデッド気味のコロンビア盤の方が感情に訴えてくるという不思議。
 唯一、俺がソニー盤より気に入っているトラックである。

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10. 座読書
 ソウル系が好きな人なら、誰でもすぐに思い浮かべるBo Diddleyのリズム。考えてみれば、取るに足らないことをテーマに歌うのはソウル/ファンクの伝統なわけで、内容をどうこう言うより、無内容なテーマに合わせてリズムを楽しむのが、本来のマナーなわけで。「読書」という語感からジャングル・ビートに思いを馳せてしまう、大滝の自由な発想はとんでもないところにある。

11. 想い出は霧の中
 「11月と言えばなんだ、冬だ、寒い、北国だ、じゃあ北欧ギター・インストだ!」ってな感じで作られたナンバー(嘘)。「さらばシベリア鉄道」の前哨戦といえばわかりやすい。

12. クリスマス音頭〜お正月
 1.同様、クリスマスになると無性に聴きたくなる曲。俺にとってクリスマス・ソングと言えば、山下達郎でもワム!でもなければマライア・キャリーでもない。そんなかしこまったソフト・フォーマルのクリスマスじゃなく、やけっぱちなカオス空間の和洋折衷クリスマスの方に、シンパシーを感じたのだった。ひねくれてたんだよな、30年くらい前は。






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曖昧な形をした軽い絶望と虚しさ - 高橋幸宏 『Ego』

611pNezqhCL 1988年リリース、ソロデビュー10周年として企画された9枚目のオリジナルアルバム。鈴木慶一と立ち上げたレーベル「テント」が何やかやでフェードアウトしてしまい、心機一転となるはずだったアルバムである。
 なるはずだったのだけど、アルファ〜YENのようなこじんまりしたレーベルならともかく、ポニーキャニオンが本腰を入れちゃったため、大きなバジェットからスタートしたテントは、自分の音楽以外のこともあれこれ考えなければならず、気に病む案件も多かったことは、後の発言からも明らかになっている。だって、メインプロジェクトのひとつが「究極のバンド・オーディション」だもの。そういったエンタメ路線とは正反対のキャラなのに。

 1988年といえば、世の中はバブル真っ只中、レコード産/音楽業界にも潤沢な予算があった時代である。オリコン・データを見ると、バブル時代ってシングル・アルバムとも案外ミリオンセラーが少なく、マーケット的には小さく思われがちだけど、音楽業界に関してはむしろ90年代がバブルで、21世紀に入ってからは縮小傾向に入っているので、規模としては今と同じくらいと思ってもらえればよい。
 ただ、現在のように一部のトップ・アーティストやアイドル/アニメ系に購買層が集中しているのではなく、どのジャンルもまんべんなく、そこそこ売れていた時代でもある。地上波の音楽番組も数多かったし、ジャスラックも大人しかったおかげで、特に気負って探さなくても、音楽が自然に耳に入ってきた。いい時代だったよな。

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 テントが閉鎖して自由の身になった幸宏、せっかくならここでゆっくり休養すればよかったのだろうけど、あまり間を置かずに東芝EMIへ移籍、さっそく『Ego』のレコーディングを開始している。この時期はさらに加えて、サディスティック・ミカ・バンドの再編話も本格的な詰めに入ってきた頃なので、何かと落ち着いて自分の仕事ができなかったと思われる。なので、『Ego』レコーディングは断続的、たびたび中断の憂き目にあっている。

 そんな周辺の騒がしさも要因だったのか、幸宏の作風は精神状態とシンクロするようにダウナー系、終わりなきレコーディング作業の泥沼にはまり込んでゆく。
 80年代のスタジオ・レコーディング事情は、録音設備のデジタル化とMIDI機材の秒進分歩の進化と歩みを共にしている。昨日までの最新モデルが、一般発売された時点ですでに旧規格になっているのはザラで、ツールのアップデートが頻繁に行なわれていた。当初はメトロノーム程度の性能しかなかったシーケンス機材も格段に進歩し、デジタル楽器のマシンスペックは、生音にかなり近いものになっていった。
 そうなると作業は効率化され、簡便になったと思われがちだけど、実際のところは膨大なポテンシャル/マテリアルの収受選択が困難になる。あれもできればこれもできる、じゃあその中からどれを選べば?
 真摯なアーティストであればあるほど、そのこだわりは強く作用して、結果的にスタジオワークに費やす時間は長くなった。

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 やれる事が多くなった分、思いついた音は際限なく、いくらでも詰め込めるようになった。録音トラック数も増えてるし、コンソールの進化によって音がダンゴになったり、極端にピークレベルを抑える必要もない。以前は海外での録音が多かったけれど、機材も欧米並みになってるし、第一、スタジオに長期間篭るという前提なら、どうしたって国内のスタジオ一択にならざるを得ない。
 ふんだんな予算と時間を使うことによって、サウンドは隙間なく埋められている。ヴォーカルも含め、すべての音はストレートに出したままではなく、あらゆるフィルターやエフェクトを通して加工されている。ひと癖もふた癖もある、頭の中であぁだこうだといじられまくった音だ。
 ネガティブな負のパワーを秘めたアンサンブルは、一歩引いてしまうほど音圧が強い。そんなサウンドの中、幸宏のヴォーカルは細く、一聴すると弱々しく感じる。でも、ちゃんと聴き進めていくと、その細さの中にしなやかさ、決して折れることはないコシの強さが秘められていることがわかる。

 ミュージシャンであるからして、サウンドに強くこだわるのは、いわば当たり前の話である。テクノロジーの発達と創作意欲のピーク、それに加えて新たなサウンド/ツールへの興味とがうまく噛み合っていたのが、80年代の幸宏である。
 この時代までの幸宏がマスに浸透せず、サブカル業界人界隈で持てはやされるレベルに留まっていたのは、主に歌詞の世界観の弱さにある。
 アルファ時代のアルバムの歌詞は、自作半分/外部委託半分といった割合となっており、お世辞にもクオリティが高いモノとは言いづらい。かといって、外部ライターの作品が良いかといえば、これまた印象に残るほどのものではなく、「まぁ頼まれたから、幸弘のイメージに合いそうなモノを書いて見ましたよ」的なレベルである。もともと声を張るヴォーカル・スタイルではないので、聴き流せる英語詞ではフィットするけど、どちらにしろストーリー性は軽視されている。
 自ら進んで身を置いたわけではないだろうけど、今に至るサブカルのルーツのひとつだったYMOの流れから、その後も「サブカルの人」と位置付けられていた幸宏である。彼自身、そこまで意識はしていなかっただろうけど、何しろ周囲が屈折したサブカル人脈ばっかりなので、前時代的な熱いメッセージや主張に拒否反応を抱くようになるのは、自然の成り行きである。

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 同じサブカル人脈の流れの中で、一時は共依存と言ってもいいくらい、それくらい近しい場所にいた鈴木慶一は、幸宏と同化した存在だった。慶一が幸宏に書く言葉は、それすなわち慶一の言葉であり、その逆も同様だ。
 あれから何十年経っても、2人は不可分の存在である。
 幸宏同様、ムーンライダーズ活動休止による燃え尽き症候群で虚脱状態にあった慶一も、当時は大きく心を蝕まれていた。「何もそこまで自虐的にならなくてもいいのに」というくらい、慶一は幸宏のパーソナリティを白日のもとに晒し、そしてそれは同時に、慶一自身の痛みでもあった。
 ヒリヒリする痛みの強さと深さとが、互いの距離を測り、そしてまた2人に共鳴する感覚を持つ者もまた、その精神的Mプレイを自分に置き換え、露悪的になった。

 育ちの良さから来るものか、あまりガツガツせず、飄々と生きてきた感のある幸宏だけど、作品を見聴きすれば、それは見当違いであることがわかる。深遠かつ茫漠としたダークサイドの澱は、曖昧な紋様を描いて奥底に溜まる。
 そんな心の闇の実体は如何なるものか。結局のところ、本人にしかわからないのだ。その澱は、近しい者なら見たり感じたりすることはできる。ただ、その澱の元となる「痛み」までは感ずることはできない。「感ずる」=「同化」であるからして。
 立ち上がれないほどの無力感に襲われながら、必死の形相で言葉を、音を刻むその姿勢は、高い作品クオリティとして昇華した。

 -夢も希望もこれといってなく、昨日の続きの今日を生きるだけ。
 これまでの人生に、何ら過不足のない30歳以降の男性がふと抱く、曖昧な形をした軽い絶望と虚しさ。
 それを言葉だけじゃなく、サウンド総体で表現したのが『Ego』である。細部まで強いこだわりを持って組み上げられた作品は、時に過剰なほどのマテリアルが詰め込まれているけど、そこに至るプロセス自体が、幸宏にとっての作業療法であり、また慶一にとっても同様だった。彼岸で石を積むが如く、不毛だけれど集中はできる。石を積んでいる間は、余計なことを考えなくてもよい。
 ただ、このテンションのまま、アーティスト活動を継続していくと、最後に行き着くのは自我の崩壊だ。剥いても剥いても中心コアの見えない自我のタマネギは、いつしか無に帰してしまう。

 慶一作「Left Bank」で描かれた「大人の男の無常観」が反響を呼んだことから、次回作からは、その世界観の軸足を恋愛の方向にシフトさせ、アコースティック成分を多めにした、間口の広いコンテンポラリー寄りのサウンドを展開することになる。
 『Broadcast From Heaven』から始まるEMI3部作は、『Ego』をライトに希釈して、幅広い層の共感を得ることになる。



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高橋幸宏
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1. Tomorrow Never Knows
 中期Beatlesの代表曲からスタート。Johnの原曲に加え、当時、Georgeがハマっていたラーガ風味をミックスしてしまう発想は、さすがマエストロならでは。間奏のギターの逆回転をエスニックに味付けしたり、小技もたっぷり。こうやってポップ・クラシックを自流の解釈でいじくり回すのは、要するに好きなんだろうな。カバー曲での幸宏はほんと生き生きしている。作品に持つ責任が少ないからなのか。

2. Look Of Love
 安全地帯を思わせるオープニングに続くのは、デジタルシンセの緩急をうまく使いこなしたAORポップス。デジタル特有の硬い響きとボトムの弱さを逆手に取って、要所で使い分けることによって独自のリズムを形成している。
 サウンドはすでに熟成されているとして、まだAORに吹っ切れていない甘すぎるヴォーカルと、フォーカスがボケて無難にまとめた自作詞が惜しいのかなと昔は思ってたけど、ダンサブルなイントロとギター・シンセのリフだけで、今はもう満足してしまう。
 当時はまだレベッカ在籍だったノッコがなぜかコーラス参加してるらしいけど、ほとんどわからないくらい。何だそりゃ。



3. Erotic
 Bryan Ferryをもっとダンサブルなリズム主体にして、疾走感を与えると、こんな風になる。ヴォーカル・スタイルも似てるしね。ただあっちはもっと自己陶酔が激しい分、幸宏よりエロだけど。当時の日本のアーティストで、ここまでデジタル・ファンクを消化していた人はいなかった。クオリティはめちゃめちゃ高い。でも、質の高さと一般性は比例しない。そこの薄め具合が問題だったのだ。

4. 朝色のため息
 曲調といい歌詞の世界観といい、プレ「1%の関係」と言ってもよいミドル・ポップ。「これで最後」だというのにまだどこか尾を引いた関係性というのは、幸宏の永遠のテーマなんだろうか。その後のEMI3部作で、慶一がそこをもっと映像的・観念的に描写することになる。

5. Sea Change
 この曲のみ、細野さん作曲。作詞は幸宏と盟友的ギタリスト大村憲司との共作。なので、この曲のみ『Ego』収録曲とテイストが違い、音も結構隙間を活かした構造になっている。制作中に亡くなったYMO時代のマネージャー生田朗に捧げられており、レクイエム的にしっとりしたアレンジでまとめられている。久々に大村のギター・ソロが堪能できるのも一興。

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6. Dance Of Life
 共作のIva Daviesは、当時、欧米で人気上昇中だったオーストラリアのバンドIcehouseのリーダー兼ヴォーカリスト。A-Haをもっとロック寄りにしたエレポップ・バンドと言えば伝わるだろうか。YouTubeでいくつか聴けたオリジナル曲は、どれも大味なアメリカン・ロックだったけど、ここではもっと硬質なダンス・ポップに仕上がっている。
 ていうかヴォーカルはほとんどIvaで、幸宏の孫座感はほぼなし。多分、コーラスでちょこっと顔出ししてるのだろうけど、あぁいった線の細さだから、ほとんど出番はない。なんで入れたんだろうか?普通にいい曲だけど、まぁそれだけ。

7. Yes
 ここまで硬質でバタ臭いメロディがここまで多かったけど、幸宏のもうひとつの特性である、歌謡曲とも親和性の高いメロウなポップ・バラード。A面と比べ、B面楽曲は録音トラック数を絞った印象が強い。音に隙間がある分、メロディに耳が行く瞬間が多い。

8. Left Bank(左岸)
 このアルバム中、最大の問題作。その後の慶一との本格的なコラボも、もとはここからすべてが始まった。サウンドだけ取り上げれば、後期ニューロマ~ダーク系エレポップの進化形といった風に分析できるけど、
 俺が言いたいのは、そういったことじゃない。



 恐竜の時代から 変わってないことは
 太陽と空と生と死があること 過ぎてしまうこと

 向こう岸は、昔住んでいたところ
 左岸を 海に向かって
 僕は歩く 君を愛しながら

 この愛はいつからか 片側だけのもの
 お互いの心さらけだすそのとき
 愛は黙ってしまう

 向こう岸は、キミと住んでいたところ
 左岸を 風に向かって
 僕は歩く 君を忘れながら

 最強の敵は自分の中に居る
 最高の神も自分の中にいるはず

 向こう岸に 僕の肉が迷っている
 左岸で 骨になるまで
 僕はしゃがんで
 ついにキミに触れたことなかったね
 つぶやいて泥で顔を洗う
  
 文明然の太古からいま現代に至る壮大なスケール感、そこから急速にシュリンクする2人の関係、そして自虐的な退廃、滅びの姿。
 これを書かずにいられなかった慶一と、歌わずにはいられなかった幸宏、そして打ちのめされた20代の俺。
 この厭世観こそが、2人の出発点なのだ。
 
9. Only The Heart Has Heard
 オープングとループするエスニック・リズムに合わせて歌われるのは、Bill Nelson作詞による柔らかなテイストのバラード。この時代はまだ、英語で歌ってる方が気楽そうである。そりゃそうだ、日本語ほど生々しくないし、自分で書いた言葉じゃないから責任もない。
 軽い声質を逆手にとって、傷口に塩を塗り込むような言葉を慶一に発注、自ら身を削りながら歌うようになるのは、この後である。





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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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