好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Jazz

掘れば尽きない隠しダマ(まだあるよ、きっと) - John Coltrane 『Blue World』

folder 2018年に発表された完全未発表曲集『Both Directions at Once: The Lost Album』で、その年のジャズ発掘音源の話題を独占したコルトレーン。50年以上も前の音源にもかかわらず、世界各国のアルバム・チャート上位に食い込んだこともあって、新世代のファンが多く流入する結果となった。
 そんな盛り上がった市場の熱気も冷めやらぬうちに、また新たな発掘音源が2019年にリリースされた。ロックの世界でもありがちだけど、ひとたび大きな鉱脈が見つかれば、同傾向の音源が畳みかけるように続々リリースされる。
 今回リリースされたのは、1964年リリース『至上の愛』の半年前、カナダ製作のフランス語映画『Le chat dans le sac』のサウンドトラックのために行なわれたセッション。映画は日本未公開のため、詳細は不明だけど、文化事業の助成金を使用して作られた映画なので、多分だけどエンタメ性は薄い。ちょっと調べてみると、どうやらヌーヴェルヴァーグの影響が色濃いアバンギャルド臭が強いため、シネコンよりはアート・シアター向けの映画である。
 そんな一般性の薄い作品であるため、監督も俳優も名の通った人ではない。もしかして、マニアの間では「知る人ぞ知る」ポジションなのかもしれないけど、ゴメン、そこまで映画詳しくねぇや。
 当時、すでにジャズ界で頭角をあらわしていたコルトレーンだったため、マイナー映画のサントラ仕事にガチで取り組んでいたとは思えない。ギャラだって、そんなに出なかったはずだし。
 このちょっと前に、帝王マイルスが『死刑台のエレベーター』のサントラを手掛けていたこともあって、それに触発されたのかもしれないけど、どちらにせよ、そんな前向きな動機じゃなかったことは、内容の微妙さからも窺える。

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 ひとつの小節に体力の続く限り、限界いっぱいにありったけの音を詰め込むシーツ・オブ・サウンドを提唱したのが、1959年の『Giant Steps』からで、以降は求道者然として、サキソフォン・プレイの深化を追及し続けたコルトレーン。緩急をつけたりブレス用のブランクを入れることをハナっから考えず、とにかく隙間なく音を詰め込んでゆくスタイルは、他のサックス・プレイヤーの追随を許さなかった。
 ストイックなアスリートか、はたまた間が怖い漫才師の如く、オンリーワンのサウンドを獲得しつつあったコルトレーンは、その後ジャズ・シーンで独自のポジションを築いてゆく。テクニックの拙さを嘆いてドラッグに溺れ、マイルス・バンドをクビになったのは、もう遠い昔の出来事だった。
 この後のコルトレーンは、カバラ思想にかぶれたりアフリカン・リズムにハマったり、多くのジャズ以外のミュージシャンから、様々なインスパイアを受けることとなる。禁欲的な使命感に絆されて、深化を止めない音楽性は、遂にはコード進行からも解き放たれ、無調の旋律=フリーの沼に足を突っ込むことになるのだけど、それはまた後の話。

 代表作とされる『My Favorite Things』も『Giant Steps』も『至上の愛』も、発表当時から批評家からの評判も高く、最初から名盤扱いされていた。実際、意匠を変え構成を変えたり、50年以上経った今でも堅実に売れ続けている超ロング・セラーではあるけれど、それもあくまで、「ジャズの中では」の話。
 すでにポピュラー音楽の主流の座を、ロック/ポップスに明け渡してしまっていた60年代前半、実はコルトレーンのセールスは微々たるものだった。それまでの彼の累計売上を合算したとしても、モンキーズやビートルズのアルバム1枚にも及ばないほどだった。
 戦後の若者にとって、最もヒップな音楽とされていたジャズは、50年代の終焉と共に役割を終えていた。その後、他ジャンルのエッセンスを取り込むことによって、ビルドアップと蘇生を繰り返してきたけれど、現在までジャズがメイン・カルチャーとなったことはない。
 超ロング・テールのエピローグとリフレインを交互に繰り返すことによって、「伝統芸能」としてのジャズは、どうにか生き長らえている。今後もし、ジャズ・シーンに新たなムーヴメントが起こったとしても、マーケットを揺るがすインパクトと新鮮味を与えることは、もはや不可能だ。
 それらはすでに、誰かが通ってきた道をなぞっているに過ぎないのだ。それほどジャズは、多くのアーティストによって、解体/再構成を繰り返してきた。
 まぁ、これはジャズに限らず、どのジャンルにも言えることだけど。

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 話は戻って1964年、ブルーノートやプレスティッジ、インパルスなど、まだ余力の残っていた独立系レーベルの使命感に支えられて、どうにかこうにかジャズはその命脈を保っていた。レコード売上はロック/ポップスに及ぶべくもなかったけれど、欧米を中心としたツアー回りや客演など、細々した仕事は、まだ山ほどあった。なので、レコーディング契約がなかったとしても、アーティスト自身はどうにかこうにか食える環境にあった。
 著作権収入や印税配分が大ざっぱで、音楽ビジネスが未整備だった60年代、純粋なレコード売り上げで食えているアーティストはごく限られていた。彼らの収入源は、当日に手渡しされるステージ・ギャラが主だったものだった。さらに加えて、アーティストの知名度や集客力によって、相場も違っていた。
 知名度の指標となるのが、リーダー・アルバムを出していること、または、有名アーティストとの共演歴やセッション参加歴だった。この辺は現在とあんまり変わりがない。そりゃ興行主の方だって、何かしら箔付けがあった方が集客しやすいだろうし。
 インパルス時代のコルトレーンともなれば、集客力はジャズ界でもトップ・クラスだったろうし、それに伴って、ギャラのランクも高かったはず。とはいえ、冷静に考えてみると、60年代という時代背景を考慮すると、案外そうでもなかったことは想像できる。
 数々の有名なライブ・レコーディングが行なわれ、一流アーティストの登竜門として、ヴィレッジ・ヴァンガードやファイヴ・スポットといった名門ジャズ・クラブがある。さぞ豪華な設備やキャパを想像してしまいがちだけど、その多くは飲食フロアも併設した中規模ライブハウスであり、何百人・何千人を収容できるサイズではない。そんな収容力のあるホールがジャズ・コンサートに貸し出されるはずもなく、その多くはクラシックに独占されていた。
 さらに、公民権運動の盛り上がりによって、人種問題が一触即発状態だった当時のアメリカ、特に差別の激しい南部においては、黒人ジャズ・ミュージシャンが演奏できる場所は、ごく限られていた。演奏するのも観に行くのも命がけ、というのが常態化していたのが、この時代だったのだ。
 収容数が限られたステージで多くの集客を捌くためには、公演数を増やすしかない。コルトレーンに限らず、当時のジャズ・ミュージシャンの昼夜2回公演が多いのは、そんな理由もある。

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 で、『Blue World』。
 収録されているのは既発曲のリテイクが中心で、新曲は入っていない。一応、タイトル曲が書き下ろし扱いになってはいるけど、こちらも既発曲をベースにアレンジされたものらしく、去年の『Both Directions at Once』ほどのインパクトはない。
 ただ、「名門ヴァン・ゲルダー・スタジオでのセッション音源」というのは、大きなセールス・ポイントとなってはいる。ブートから直接盤起こししたような劣悪なライブ音源じゃなく、きちんと管理保存されていたスタジオ・ライブというのが、マニアの購買意欲のツボをうまくくすぐっている。
 さらにそのセッションが行なわれたのが『至上の愛』の前だったことも、大多数の保守モダン・ジャズ・ファンの注目を集めている。これが翌年、1965年に入ると、フリー・ジャズに感化された『Ascension』がリリースされ、次第にアンサンブルは崩壊、カオスを極めた独演会の様相を呈してくる。ワビサビも情緒もへったくれもない、過剰なブロウが主体となるサックス独演会は、そりゃジャズ考古学的には貴重だけれど、万人向けの代物ではない。
 そんなわけで、シチュエーション的にもタイミング的にも、ちょうど良い頃合いだったことが、この音源の価値を高めている、と言える。4ビート以外は認めない守旧派にとっては、安心し堪能できるアルバムである。
 ただ難を言えば、各パートのアドリブ・ソロも、既発テイクと大きな違いがなく、作品自体のレア度は薄い。事前情報もない状態で聴くと、有名曲のテイク違いを集めたコンピレーションと勘違いしてしまいそうである。
 既発アルバムの「ボーナス・トラックをひとつにまとめた」、または「ボックス・セットのアウトテイク集だけ分売しました」的なアルバムだよ、と言っちゃうと身もフタもないな。だって、ホントそんなアルバムなんだもの。


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1. Naima (Take 1) 
 ご存じ初出は『Giant Steps』。もう何度も演奏しているだけあって、アンサンブルもこなれたものだけど、マッコイ・タイナーのピアノ・プレイが少し多めにフィーチャーされている。テイク1ということもあって、コルトレーン的には肩慣らし程度のソロ・プレイ。

2. Village Blues (Take 2) 
 こちらも初出は1961年『Coltrane Jazz』。発表当時とリズム・セクションが違うため、当然、解釈も違ってくる。原曲はメロウなブルースといった印象だけど、ここでのテイクはちょっと無骨ささえ伝わってくる。

3. Blue World
 不穏さを漂わせる、のちの暴走振りを予見させるコルトレーンの嘶き、クレバーでありながら不安定なコーディングのマッコイのプレイ。次第に演奏は熱を帯びてくる。原曲とされる「Out of this World」は、そんな暴走振りが過熱して14分に及ぶ尺になっているのだけど、ここはサントラ仕様を意識したのか、6分程度で収めている。普及型/汎用コルトレーン・サウンドといったところか。

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4. Village Blues (Take 1) 
 なぜか3テイクも収録されているこの曲。それほど思い入れがあったのか、それともアイディアが湧き出て仕方なかったのか、はたまたクライアントの意向が強かったのか。発掘モノのアルバムではよくありがちだけど、そこまで執心するほどの違いはない。

5. Village Blues (Take 3) 
 ややピッチを上げたスタートから、ちょっとソフトに、ていうかやや力の抜けたコルトレーンのプレイ。逆にエルヴィン・ジョーンズのスネアがバシャバシャ力が入っている。まぁこういったアプローチもアリか。映像とのマッチングを考えて、ちょっと違った風にやってみたのかもしれない。

6. Like Sonny
 巨人ソニー・ロリンズに捧げられた曲。レジェンド級のプレイヤーでありながら、変な大御所感を振りかざすこともなく、小難しい理論やテーゼに縛られず、思うがまま・あるがままのプレイでもって、多くのファンを魅了してしまうソニー。
 そんな人生もあったんじゃないか、と時に人は思うとこともある。そんなコルトレーンの本心が垣間見える、穏やかな曲。

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7. Traneing In
 ジミー・ギャリソンのベース・ソロから始まり、それが結構長い間続く。サックス・プレイヤーのリーダー作としては、あんまり例がない。こういった予測不能なアプローチもまたコルトレーンの神秘性だし、3分弱も間を持たせてしまうギャリソンのポテンシャルも、レベルの高さを窺わせる。
 この後、マッコイのピアノ・ソロが2分続き、ようやくコルトレーン登場。8分程度の力でアドリブを吹きまくり、そのままやりっ放しで行くと思いきや、どうにかテーマまで強引に持ち込んで終了。

8. Naima (Take 2)
 ややバタバタした印象のナイーマ。この曲はやはりベタでメロウなタッチがよく似合う。
 ちなみに出来心で、末期のナイーマがどんな風になってるのかと、66年『Live From Village Vanguard』収録の15分ヴァージョンを聴いてみた。出だしこそナイーマだけど、中盤以降はまったく別モノ。



 ―聴かなきゃ良かったな。



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「ゴチャゴチャ騒ぐと、いてまうぞコラ」という音楽 - Miles Davis 『Rubberband』

folder マイルスの発掘音源といえば、ジャズ・アーティストとして精力的に活動していた50〜60年代のモノに集中している。自身のグループでのレコーディングやライブに加え、他流セッションやサントラ制作など、素材が膨大に残されていたことも、ひとつの要因である。
 正規発表のテイク違いや未整理のセッション・テープなど、もうだいぶ整理され尽くしたと思われるけど、それでもまだ、放送用のスタジオ・ライブや欧米以外のライブ音源なんかは未確認のものも多く、地道な発掘作業は続いている。正統モダン・ジャズの系譜に属するこの時代の作品は、一般的なジャズ・ユーザーからのニーズも強いため、メーカーの力の入れようもハンパない。
 ただ、とっくの昔に絞り切ってしまって、これ以上は何も出てこない『クールの誕生』や、『Kind of Blue』の焼き直しばかりでは、さすがに盛り上がりに欠けてくる。なので、80年代に入ってからは、コルトレーンやウェイン・ショーターらをフィーチャーした、コロンビア時代のアイテムが多くなってくる。
 で、ちょっと潮目が変わったのが、90年代も後半に入ってから。ジャズ・ユーザーの高齢化によって、市場は一時縮小するのだけど、それに取って代わって、若い世代が70年代マイルスへのリスペクトを表明するようになる。
 「首根っこ捕まえて奥歯ガタガタ言わせてまう」サウンドとなった『On the Corner』に端を発する、レアグルーヴ・ムーヴメントの潮流にうまく乗ったことによって、これまでジャズとは無縁だった層の支持を得、電化以降の作品群に注目が集まった。既存ジャズとは似ても似つかぬ音楽だったため、リリース当時は酷評の嵐、セールスも散々だったのだけど、カオティックなリズム主体の呪術的なサウンドは、先入観のないクラブ・ユーザーの支持を得た。
 久しぶりの新たな鉱脈ということもあり、コロンビアも気合が入ったのか、怒涛のペースで電化時代のボックス・セットが多数編纂された。されたのだけど、時代考証の杜撰さが槍玉に上がり、間もなくブームは収束してしまった。時系列を無視した構成が突っ込まれたのは仕方ないけど、「完全版」と称して、テオ・マセロが編集する前の冗長なテイクが延々と続くのは、ビギナーにとってはちょっとした拷問だった。
 そう考えると、テオ・マセロって、やっぱすごいよな。あれだけ膨大な素材の美味しいところだけをピックアップして、どうにかこうにか商品として仕上げちゃうんだもの。

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 電化ブーム以降のコロンビア発掘音源の主流は、これまで見落とされていたロスト・クインテット時代に移行している。ウェイン・ショーターをバンマスとして、チック・コリア、デイブ・ホランド、ジャック・ディジョネットら、それぞれピンでリーダーを張れるメンツを揃えながら、正規のスタジオ音源がなかったこともあって、久々にコロンビアの気合の入りようが窺える。
 この時期のマイルスは、既存ジャズへのストレスがピークに達し、新たな方向性を模索していた頃だった。そんなこんなで試行錯誤を経て、電化サウンドへ徐々に転身を図るのだけど、ロスト・クインテット時代はその過渡期に位置している。
 一応、正規リリースを念頭に入れていたのか、試験的なセッションは幾度か行なわれている。実際に聴いてみると、「熟成されたモダン・ジャズ・サウンドの頂点」という見方もできるけど、脱・ジャズを図ったその後の展開を知ってしまうと、「よくできたお手本通りのジャズ」以外の何ものでもない、とも思ってしまう。
 脱・ジャズを指向して、あまりジャズに染まっていない若手メンバー中心にグループを組んだのに、どうやってもジャズになってしまう。メンバー自身は、既存ジャズに強い不満を持っていたわけではないので、こうなるのは当たり前っちゃ当たり前。ショーター的には会心の出来と自負していただろうに。
 ただ、肝心の大ボスが首を縦に振らなかったため、正規リリースは見送られた。要は思ってたような仕上がりにはならなかった、ということである。なので、そんな中途半端なモノを蔵出しされても、イマイチ盛り上がらない。
 「マイルス」とクレジットされていれば、何でもありがたがるジャズ村の住人ならともかく、ライト・ユーザーを惹きつけるまでには至らない。なので、俺の食指も動かない。

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 そんな消去法で辿っていくと、ほぼ未開拓で手付かずになっているのが、復活後80年代の音源ということになる。全盛期の隅っこを必死でほじくり返すより、この時代の方が良質なテイクが残っている可能性は高い。
 この時期のマイルスは年1の新録アルバム・リリースに加え、異ジャンルのゲストを交えた非公式セッションも多数行なっている。未編集の素材がかなり残っていることは、多くの関係者の証言で明らかになっている。存命している者も多いため、事実確認や編纂作業も比較的スムーズに行くはずである。
 ジャズ以外の音楽を志向した電化マイルスの終着点が混沌のアガ・パンだったとして、その混沌のコンテンポラリー化/再構成が復活以降、その水面下で進行していたのが、さらなる多様性を取り込んだ音楽性の追求だった。ポリリズムを基調としたファンクのビートと、シュトックハウゼンにインスパイアされた音楽理論とのハイブリッドは、自家中毒という終焉を迎えた。再起したマイルスが次に着目したのは、雑多な大衆性への帰還だった。
 要は「rockit」で一躍時代の寵児となったハービー・ハンコックに触発されたということなのだけど、まさかかつての弟子と同じ轍を踏むことは、プライドが許さない。あくまで「着想を得た」という段階でとどめ、マイルスは独自のアプローチを模索することになる。

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 かなり以前からその存在が知られており、長らく伝説と伝えられていた、この「ラバーバンド・セッション」。2016年のレコード・ストア・デイで4曲入りEPがまず公開され、2019年に11曲入りのアルバムとして正式リリースされた。
 ただ、「参加した」と伝えられていたチャカ・カーンやアル・ジャロウのトラックは収録されておらず、レイラ・ハサウェイやレディシーに取って代わられて、ちょっと拍子抜けした印象もある。単なる構想だけだったのか、それとも契約関係がクリアにならなかったのか、大人の事情も絡んでいるんだろうけど、そのうち「秘蔵音源」と煽って追加トラックが出てくるのかもしれない。
 復活後のマイルスは、もっぱら「バック・トラックをマーカス・ミラーに丸投げし、最後にチョロっとソロを吹き込んで完パケ」というのが常態化していた。腹心のパートナーとして、マーカスに絶大の信頼を置いていたことは間違いないけど、ジャズの枠組みに窮屈さを感じ始めていたのも、また事実。
 どうやってもフュージョンかジャズ・ファンクの縮小再生産に行き着いてしまうことがストレスとなったマイルス、そこに安住することを潔しとせず、並行しながら新機軸を模索している。当時はまだヒット曲の範疇を出なかったシンディ・ローパーやマイケル・ジャクソンの曲を取り上げたり、スティングをレコーディングに参加させたりなどして、ジャズの解釈を広げようと奔走していた姿は窺える。
 ただ、そのどれもが「ポップ・ソングのジャズ的解釈」という風にしか受け取られず、ジャズ村を超えた反響を得ることはできなかった。ジャズの巨匠がジャズ・ミュージシャンを使って演奏するわけだから、そりゃジャズにしかならない。「ジャンルなんて関係ない」という建て前はあるけど、やっぱジャズの人が演奏すれば、それはジャズとして受け取られてしまう。

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 尊大な態度と変幻自在な音楽性によって、あまり言及されていないけど、ソロイストとしてのマイルスは、決して技巧的でも独創的でもない。誤解を恐れずに言えば、トランペッターとしてのマイルスはコロンビア以前で進歩を止めており、その後はむしろ全体的なサウンド・コーディネート、コンセプト・メイカーとしての成長が大きく上回っている。
 見どころのある若手を積極登用して好きにやらせてみたり、アコースティック楽器を電気楽器に持ち替えさえたり、JBやスライのリズムを「盗め」とのたまったり、それもすべてジャズの拡大解釈を進めるがため、マイルスが先駆けて行なってきたことである。アンサンブルの仕上がりの頃合いを見計らって、最後に龍の眼を入れるが如く、記名性が強く印象的なフレーズを吹き入れる。それが長らくマイルスのメソッドだった。
 そう考えると、既存ジャズとは大きく乖離したこのラバーバンド・セッションもまた、これまでのマイルスのサウンド・メイキングに則った作品ではある。ただ、構想途中でワーナーとの契約が本決まりとなり、記憶の外に行っちゃったわけで。
 ハービーの成功を横目に、R&Bやファンクのエッセンスをドバドバ注入することからスタートしたこのセッションだけど、あれもこれもやってみたいと詰め込んだあげく、なんだか収集がつかなくなってしまい、そのうち誰かにまとめさせようとほったらかして、で、結局忘れちゃった―、というのが真相なんじゃないかと思われる。すでに彼の眼は、もっと先を見据えていたわけだし。

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 ワーナーへの移籍を決断したのは、プリンスとの共演が念頭にあった、という説がある。非公式ではあるけれど、コラボしたとされる音源は、ちょっとネットを探せば山ほど転がっている。まぁ真偽のほどは定かじゃないけど。
 ただ、この時点でマイルスの関心はさらに向こう、殿下よりさらに過激で先鋭的なヒップホップへと向かっていた。パブリック・エネミーのチャックDともコンタクトを取っていたり、結構具体的に話は進んでいたらしいし。
 今回の『Rubberband』はコロンビアもワーナーも絡んでいない、いわば契約の隙間を狙ったアイテムだけど、今後、両レーベルが本気を出してくれれば、ほかの未発表セッションのお蔵出しも近いと思われる。ついでと言ってはなんだけど、ペイズリー・パークの倉庫に所蔵されているはずのセッション音源も、そろそろ公開してもらいたい。
 だって、「帝王」「殿下」だよ?これって、字面だけでもすごくね?


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1. Rubberband of Life
 一声聞いただけではっきりわかるマイルスの合図で始まる、メイン・トラック。
 Ledisiという女性ヴォーカルは初耳だったため、wikiで調べてみると、これまでグラミーに12回もノミネートされている、いわば大御所シンガー。データを見てみると、なんと13歳の頃のヴォーカル・プレイらしい。どうやら帝王とは別録りだったこともあって、特別気後れすることもなく、自由奔放なヴォーカルを披露している。
 ランディ・ホールのギター・プレイは普通のジャズのインプロ・スタイルで、マイルスのホーン・プレイもまぁ普通。そんな按配なので、やはりこの曲はリズムとヴォーカルが主役のR&B。クインシー・ジョーンズほどメロディに寄っていないのが、ヒット性の少なさではあるけれど、マイルスの狙いはそこじゃなかった、ということだ。



2. This Is It
 そのランディ・ホールが主役となり、バリバリ弾きまくっているのが、この曲。ドラム・プログラミングのセンスが好きなんだけど、これはオリジナルじゃなくって、多分21世紀になってからの後付けなのかね。
 かなりロックに寄ったギター・プレイだけ取り上げれば、よくできたフュージョンだし、シンセの音色はまぁ古いのは否めない。ただ、イコライズを強くかけたマイルスの音色、そして繊細なフレーズ選びは、現役感を強く感じさせる。

3. Paradise
 マリアッチとラテンとフュージョンをぶち込んでシェイクして、上澄みを掬い取った残りを再構成した、それぞれのミスマッチ感が逆に親和力となって調和しちゃった、という奇跡のような曲。ハープ・アルバートみたいになりたかったのかね。正直、マイルスのソロもそんなにいらない、狂騒的なリズムと効果的なブレイクがクセになる。
 マイルス自身も思ってたんじゃないのかね。無理に俺のソロ入れなくても、充分成立するんじゃね?って。単なるソロイストではなく、コンポーザーとしての野生のカンが発揮されている。

4. So Emotional
 かの有名なダニー・ハサウェイの実娘、レイラを大きくクローズアップした、言ってしまえばレイラの曲にマイルスが参加した、という感じの楽曲。マイルスがメインじゃなければ、普通にリリースされてアニタ・ベイカー程度ならねじ伏せてたんじゃないかと思うのだけど。
 でもレイラ、こんな風に他のアーティストのフィーチャリング、例えばロバート・グラスパーでの客演なんかでは独自の世界観とスタンスを醸し出していてすごく良かったんだけど、自分のソロ・アルバムになると、途端に魅力を失ってしまう。スパイス的に使われれば強いキャラを発揮できるんだけど、ソロになるとなんか個性が薄くなってしまう。そんな気がするのは俺だけかね。



5. Give It Up
 『doo-bop』の元にとなる、ゴーゴー/ヒップホップ/ファンクのテイストが強い、ストリート感覚を意識したナンバー。ラップとサンプリングがなく、リズム・セクションも人力で行なっているため、コロンビア末期のサウンドとの関連性も窺える。
 マイルス的にはこのサウンドをヒントに、もっとストリート感覚を強調したビジョンを描いていたらしいけど、『Star People』あたりのサウンドが好きな俺としては、この辺のサウンドでもう少し続けて欲しかったな、といったところ。

6. Maze
 マイク・スターンが参加していることから、当時のレギュラー・バンドを主体としたアンサンブル。なので、いわゆるジャズ/フュージョン的な演奏をちょっとひねったモノになっているけど、根っこがジャズなので、そこまで奇をてらった印象はない。5.同様、ちょっとサビを利かせたジャズ・ファンクといった味わい。この辺は、マイルスのソロも歌心があって好きなんだけど。

7. Carnival Time
 当時としては最先端のMIDIバリバリのシンセ・サウンドだったんだけど、いま聴くと、音色がいちいちウゼェ。ダンス/シンセ・ポップはおそらくスクリッティ・ポリッティからインスパイアを受けたものなんだろうけど、いやいや御大、ちょっとムリし過ぎだって。

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8. I Love What We Make Together
 ここに来て、ランディ・ホールがついにヴォーカルに手を出してくる。あぁこれはアル・ジャロウのための曲だな。イイ感じのAOR/フュージョン・ポップなんだけど、ヴォーカルがちょっと泥臭い。もっと軽やかに歌ってくれた方が、曲調的にはしっくり来る。もしかして、何年かしたら隠し玉として、アル・ジャロウ・ヴァージョンが出てくるのかね。

9. See I See
 ちょっとだけコロンビア末期に先祖返りした、リズムを強調したジャズ・ファンク。ほんとはもうちょっと突き抜けたアプローチで行きたかったんだろうけど、結局ジャズ臭が抜けきらなくて中途半端になっちゃのが、手に取るようにわかってしまう。
 聴いてみて思ったんだけど、ZAPPのロジャー・トラウトマンあたりと組んでみれば、面白かったんじゃないかと。あの人、器用だったしね。

10. Echoes in Time / The Wrinkle
 前半は、『TuTu』や『Aura』で見られた、薄いバッキングを基調としたワン・ホーン・スタイルのバラード。モダン・ジャズ・スタイルのプレイは往年のファンにとってはたまらないんだろうけど、そもそも本文でも書いてるように、俺的にはマイルスのソロ・プレイってそんなに惹かれないんだよな。
 なので、後半のシンセ・ファンク・ベースの方が気に入っている。

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11. Rubberband
 シンセ・ベースの音が好き。ここで使われているOberheim PPG Waveという機材は、デジタル・シンセの分類ではあるけれど、アナログ・フィルターを通していることで、普通のMIDIとは違う音色になる、と調べたら書いてあった。妙に重たいんだよな、存在感あって。
 マイルスのプレイ?うん、まぁいいんじゃないの?



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俺がやれば、なんでもジャズ - Robert Glasper Experiment『ArtScience』

folder 先日、マイルス・デイヴィス『Amandla』のレビューを書くにあたり、その前後の流れもつかもうと、久しぶりに『Doo Bop』を聴いてみた。いわば確認作業的な聴き方だったのだけど、1回聴くとハマってしまい、2度3度リピートして聴いてしまった。いつもそうなんだよな、このアルバム。
 マイルスのアルバムの中では異質中の異質で、いわゆる名盤という扱いには程遠いのだけど、こうやって何かの折りに集中的に聴き返してしまう。案外こういう人は世に多いのか、このブログでも『Doo Bop』のレビューのアクセス数は、安定して高めである。
 トラックメイカーとしてはそんなに評判のよろしくないイージー・モ・ビーが手がけた、ジャズとヒップホップとのハイブリッド・サウンドは、ジャズ本流やラッパー系ユーザーよりはむしろ、基本ロック・ユーザーではあるけれど、雑食的に多ジャンルを好む俺のような層が最も食いついていた。そうだよロキノン信者だよ。
 わかりやすく噛み砕かれたラップ・パートやライム、スクラッチやサンプリング・ビートは、ヒップホップ・ビギナーにとっては取っつきやすいものだった。コアなヒップホップ・ユーザーからすれば、あんまり目新しさもなく、むしろダサい部類に入るらしいのだけど、素人にもわかりやすくデフォルメされたバック・トラックは、間口の広いものだった。
 ハービー・ハンコック「rockit」から数年、帝王マイルスが手を付けたことによって、やっとジャズとヒップホップとの本格的なコラボレーションが始まりそうになっていた。

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 だったのだけど、その『Doo Bop』完成前にマイルスが亡くなってしまい、わずかなリンクは途切れてしまう。結局マイルス以降、ヒップホップのエッセンスを導入しようと試みるジャズ・ミュージシャンは、なかなかあらわれなかった。
 以前レビューしたブランフォード・マルサリスのように、単発的に若手ラッパーとコラボしていたり、インディーズ・レベルで同様の試みは行なわれていたのかもしれないけど、大きく注目されたり、シーンを揺るがすほどのムーヴメントは起こらなかった。
 トライブ・コールド・クエストやジャジー・ラップなど、ヒップホップからジャズへのアプローチは、90年代に盛んに行なわれていた。US3による1993年の大ヒット「Cantaloop」は、ハービーの同名曲を大々的にフィーチャー、っていうか、ほぼそのまんまバック・トラックに流用したものだった。
 クールか、クールじゃないか。そんな価値基準で動く彼らにとって、まだ多くが手つかずで残っていたジャズのアーカイブは、宝の山だった。
 で、ジャズの方はといえば、これが90年代以降長らく、新たな動きは見られなかった。80年代初頭の新伝承派の残り香か、はたまた単なるテク自慢と最新楽器のショーケースと化したフュージョン、大まかでそんな流れだった。雰囲気BGMと割り切ったケニーGはまだ潔い方だったけど、ニューエイジ界隈に漂うスピリチュアル臭は、もはやジャズとは別モノだった。
 そんな按配だったため、90年代のジャズ・ユーザーは、停滞する現在進行形よりむしろ、過去の名盤のリイッシューやデラックス・エディション、ボックス・セットに惹かれていた。音の割れまくった未発表ライブ・テイクや、明らかに出来の悪い未発表スタジオ・テイクで水増しされ、かさばるパッケージや二度見することのないライナーノーツで飾り立てることを「付加価値」と言いくるめ、後ろ向きな熟年ジャズ・ユーザーに売りつけていた。
 また入れ物が豪華であればあるほど、ありがたがっちゃうんだよな、この頃の音楽ファンって。

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 俺個人として、90年代以降のジャズは、ほぼ聴いていないに等しい。で、2010年代に入るまでは、ほぼマイルスとコルトレーン、ハービーとビル・エヴァンスくらいしか聴いてなかった。もちろんこれだけじゃなく、単発的にいろいろ聴いてはいるのだけれど、継続的に聴くのは、ごく限られたものだった。
 それなりに目ぼしい新人なんかも出ていたかもしれないけど、所詮、内輪の盛り上がりに過ぎなかった。ジャズ・ユーザー以外の関心を引き寄せるほどのキャラクターは、網訪れないんじゃないかと思っていた矢先―。
 それが、ロバート・グラスパーとの出会いだった。
 多ジャンルのアーティストやらクリエイターやらの総力戦となった『Black Radio』は、現在進行形ジャズに関心のなかった俺でさえ、ちょっと興味が沸いた。世間的にも、やっとジャズ・サイドからヒップホップへ本格的なアプローチを行なうアーティストが現れた、ということで、救世主として持てはやされた。
 とはいえ、興味はあった俺だけど、すぐ飛びついたわけではない。ていうかグラスパー本人というより『Black Radio』、「要は有名アーティストのネーム・バリューに頼ってるだけじゃね?」という先入観が長いこと拭えなかったのだ。
 ザッと聴いてみた『Black Radio』シリーズから受ける印象は、あまり良いものではなかった。知名度が高く、キャラも強い豪華ゲスト陣の引き立て役として、雰囲気重視のフュージョン的なオケでお茶を濁している、といった具合。
 メディアがそこまで騒ぐほどの新鮮さは感じられなかった。豪華ゲストとのコラボレーションなんてのは、ハービーやエルトン・ジョンもやってたし、さして珍しいものではない。歌伴に徹してセッション感の薄いトラックは、グラスパーの必然性が感じられない。

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 マイルス音源リミックスの『Everything's Beautiful』も、エリカ・バドゥの歌とPVは良かったけど、これもほぼエリカ様がメインのトラックであって、オケ自体はオーソドックスにまとめられている。いやいいんだよ、細かな技は持ってるし、ジャンル全体、また帝王マイルスの門戸を広げたということで、、充分意義のある仕事だったことも理解できる。
 でも、やはりここにも「グラスパーじゃないと」という必然性は感じられなかった。言ってしまえば、その器用さとフットワークの軽さがゆえ、使い勝手の良い便利屋扱いされてるんじゃないかと勘ぐってしまう。
 せっかくジャズもヒップホップも等価で受け止め、どちらも無理なくプレイできる世代の代表にもかかわらず、ロートルやポップ・シンガーの箔付け程度の仕事しかやらせてもらってないんだもの。

 ただ好意的に見れば、そんなグラスパーの動向も、ある確信を持っての振る舞いだったことは察せられる。どれだけ彼が無闇に吠えたとしても、雄大なジャズの歴史の流れからすれば、ほんのさざ波程度でしかない。
 コップの中で嵐を起こしても、ちょっとやそっとでは揺るがない。メジャーのキャリアとしてはヒヨっ子に過ぎない彼が注目されるには、レイラ・ハサウェイやノラ・ジョーンズなど、外から揺らしてくれる力を利用しなければならなかったのだ。
 実績を積み上げることで信用ができ、ポジションも堅牢となる。そして、名実ともにジャズ界のオピニオン・リーダーとなった彼が満を持してリリースしたのが、この『artscience』 だった。
 やっと辿り着いたぜ。

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 ここではゲスト・ヴォーカルも外部ミュージシャンも使わず、ほぼ固定メンバー4人だけですべてのサウンドをまかなっている。ヴォーカル・パートも、ヴォコーダーを使ってグラスパー自身が担当している。そりゃうまさをどうこういうレベルではないけど、少なくとも、ハービーのヴォーカルよりはちゃんとしている。
 『Black Radio』シリーズよりもBGM感は減衰し、ほどよいジャジー感が通底音となっている。絶妙なリミックス・ワークによって、ベテランにありがちな、取ってつけたヒップホップ感とは無縁のものとして仕上げられている。クリスティーナ・アギレラのようなインパクトの強いゲストがいないため、以前のようなジャジーなR&Bは回避され、グラスパー・オリジナルのDIYジャズが展開されている。
 ドル箱となった『Black Radio』シリーズは、いわばクリエイターとしての成功に過ぎなかった。勘違いして第3・第4と続けていたら、しまいに飽きられて、そこまでのキャリアで終わっていたかもしれない。
 原点はミュージシャンであり、肩書き的にはジャズの人であるけれど、それも彼を形成する要素のひとつに過ぎない。最終的には「ロバート・グラスパー」そのものがジャンルであることを確立するのが、彼の目標だと思うのだ、外部から見れば。
 そういえば、マイルスも同じこと言ってたよな。やっぱ似た者同士か。


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1. This Is Not Fear
 50年代ハード・バップを彷彿させる、いわゆるジャズ・マナーに則ったオープニング。あまり注目されることはなかったけど、リズムにきっちり角が立っており、単なるグラスパーの一枚岩バンドではないことが証明されている。考えてみれば当たり前か。
 このまま続くかと思ってたら、来日公演にもくっついてきて、ほぼ準メンバー扱いのDJジャヒ・サンダンスが後半から参戦、きっちりNu-Jazz感を添えている。俺的には前半だけで充分なんだけど、そんな予定調和をやりたいわけじゃないんだろうな。

2. Thinkin Bout You
 エクスペリメンタルなオケをバックに歌われる、ストレートなラブ・ソング。サンダーキャットもそうだけど、こういった浮遊感を演出した新しい切り口のAORがこの時期、大量に出現していた。ジャズの人がプレイヤビリティを引っ込めて、敢えてメロディ感を追及すると、大抵こんな感じになるといった見本のようなもの。俺的には『Black Radio』シリーズよりはオケが立っているので好きだけど。

3. Day To Day
 さらに親しみやすいメロディ、そして彼らの誰もが通過してきたディスコ/ファンク風味を加えると、こんなにポップなナンバーになる。普段はサックス・プレイヤーのケーシー・ベンジャミンがヴォーカルを取っており、グラスパーはここではフェンダー・ローズをプレイ。
 あくまで歌モノなので、そこまで前面に出ているわけではないけど、フレーズの選び方にジャズの源流が見て取れる。上っ面のフュージョンだけでは決して出せない、基礎体力の高さよ。



4. No One Like You
 再びベンジャミンのナンバー。今度はもうちょっとクラブ寄り、序盤は音響感をフィーチャーしたR&Bなのだけど、間奏部は熱くブロウしまくるサックス・プレイ、続いてカクテル・ジャズ臭の強いグラスパーのピアノ・ソロ。これだけだったらユルいトラックなのだけど、マーク・コレンバーグ(ds)が放つ硬めのビートが、サウンド全体を引き締めている。

5. You And Me
 メンバー4人の共作とクレジットされている、メロウなバラード。『Black Radio』テイスト濃いナンバーなので、もっとうまいゲスト・ヴォーカルでも良かったんじゃね?という声も聞こえてきそうだけど、これを4人で創り上げたことに、大きな意味があるのだ。

6. Tell Me A Bedtime Story
 ハービー・ハンコックの1969年リリース『Fat Albert Rotunda』収録曲のカバー。お子様向けのTVアニメ番組の体で制作されたにもかかわらず、まったく子供に聴かせる気のないアプローチのオリジナルは、その後のレア・グルーヴ~クラブ・ジャズにも大きく影響を与えている。
 そんなハービーのアクが強すぎるのか、それともリスペクトが強すぎるのか、メロディをヴォーカルに置き換えただけで、基本はそんなにいじっていない。まぁいいんだけど、もうちょっと暴れてもいいんじゃないの?と余計なお世話も焼きたくなってしまう。アルバム・トータルを考えてのバランス感覚もいいんだけどね。

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7. Find You
 エレクトロ風味の強いジャズ、と言いたいところだけど、転換しまくる構成の変幻自在振りは、むしろプログレ。今のロバート・フリップが若手コンポーザーをたらしこんで別ユニットを組んだら、こんなサウンドになるんじゃないか、と一瞬思ったけど、今さらやるわけないか、あの親父。

8. In My Mind
 メンバー同士のトークから始まる、スタジオ・セッション風のNu-Jazzナンバー。多分、このレベルのプレイならいくらでもできるだろうし、充分高レベルなのだけど、アルバム通してコレだと、きっとつまらない。わざわざグラスパーがやる音楽じゃないのだ。
 なので、ブレイク後にスタートする、ループ仕様(生演奏?)の未完成テイクの方にこそ、彼らの本気度が窺える。

9. Hurry Slowly
 ビル・ウィザースっぽさを全開にした、ベンジャミン・ヴォーカルによるジャジー・バラード。日本ではあまり知られてないけど、グラスパー世代にとってビル・ウィザースというのは相当リスペクトされているらしく、調べてみるとホセ・ジェイムスという同世代シンガーによる、トリビュート・アルバムが去年、リリースされている。
 極端に甘くなく、ジャズの影響濃いコード進行が、多分にシンパシーを寄せてるんじゃないかと思われ。

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10. Written In Stone
 ポリスの「Roxane」を歌いたくなってしまう、シンプルなギター・リフ主導のナンバー。なので、このアルバムの中では異色のロック・チューン。まぁジャズもロックもヒップホップも同じ目線で聴いてきた世代なので、こういうのがあっても不思議ではない。こういったバックボーンも含めてのジャズというのが、今後のシーンの流れ。

11. Let's Fall In Love
 グラスパーのヴォコーダーを抜けば、オケは『Black Radio』風。他のメンバーと比べて自分の声に照れがあるのか、オケと比べて引っ込めたミックス具合になっている。自分の声はあくまで楽器の一部、という認識なんだろうな。正直、この中で一番うまいのはベンジャミンだし。
 エクスペリメンタルなフワッとしたサウンドは、正直俺の好みではないのだけど、「これまでとは違うジャズ」を通り越して、「これが俺のジャズ」という気概は見えてくる。

12. Human
 「俺がやれば、なんでもジャズ」という心持ちであれば、これもジャズだけど、「まさかそう来るとは」というヒューマン・リーグ1986年の大ヒット・ポップ・チューン。思えばマイルスも現役時、「Human Nature」や「Time After Time」もやってたわけだし、そのメソッドは間違ってはいないのだけど、でもそれならやっぱり四半世紀も前の曲じゃなくて、せめて21世紀に入ってからの曲でやって欲しかったな。
 もっとはっきり言っちゃえば、こういった雰囲気AORにしちゃえば誰でもこんな風にできちゃうわけで、グラスパーならではの必然性はない。彼の適性はもっとアクティブな、暴力的なカットアップやリミックスじゃないのかな、と思うのだけど。
 他のアルバムもちゃんと聴かないとな。それはまた次回。





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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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