#Jazz

好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

二番煎じと片づけるには、もったいない。 - Herbie Hancock 『Sound System』

folder 前回のMilesに続き、1980年代前半のジャズ・シーンについて。大きな流れとしては、70年代フュージョンの流れを汲んだ、いわゆるコンテンポラリー・ジャズ。もう一つは温故知新的な新伝承派を中心としたアコースティック回帰の流れ。他にも傍流は数々あるけれど、すごくザックリ分類すると「電化と非電化」。乱暴だよな、自分で言っといて。
 で、当時のHerbieが何をしていたのかというと、電化といえば電化だけれど、ジャズのメインストリームから大きく外れた『Future Shock』バブルを謳歌していた。以前のレビューでも紹介した、「お茶の間ヒップホップ」の先駆けとして、ジャズの人脈、しがらみとはまったく関係のないところに軸足を置いていた。

 30年前の北海道の中途半端な田舎の中学生にとって、ラジオでもほぼかかることのない「ヒップホップ」という音楽は、未知なる存在だった。実際の音楽よりむしろ、テレビの海外ニュースからのピックアップ、時事風俗的なカルチャー面の情報の方が先立っていた。
 ニューヨークから発生した黒人カルチャーとして、「複数のターンテーブルを使って、レコードの音をつなげたり直接擦ったりしているらしい」「デカいラジカセを肩に抱えてアディダスのジャージで踊ったりしてるらしい」「メロディはほとんどなく、語りや叫びなど、歌とはいえない」など、興味本位の情報ばかり発信されていたけど、肝心の音はほとんど紹介されなかった。実際の「音」よりも「行為」「ファッション」の方ばかりが喧伝されたため、日本のヒップホップ・カルチャーは諸外国に比べて大きく遅れを取ることになる。

herbie-hancock-badass-keytarist

 現代と違って、外国人と触れ合う機会がほとんどなかった30年前の日本において、ガタイが良く強面の黒人たちが、語気を荒げて早口の英語でシャウトする音楽を受け入れる土壌は、まだ整っていなかった。オールドスクール期のヒップホップは、まだニューヨークのストリート・カルチャーの域を出ておらず、ブレイクダンスに端を発する目新しモノ好きが飛びつくことはあったけれど、マスへ広く波及するほどのまとまった力はなかった。ムーヴメントとして結集するほど横のつながりも少ない、ニッチなジャンルだったのだ。

 で、そんな中。保守的なジャズ界の中での革新派、すでに70年代後期からファンク~ディスコ~R&B寄りの作品を続けてリリースしていたHerbieが、そのヒップホップを大々的に導入したアルバムを制作したことで、一気にお茶の間レベルにまで浸透することになる。ネームバリュー的に、彼クラスの大御所が取り上げることによって、レコード会社・メディア、特にMTVも大々的にピックアップするようになる。
 これが普通の大御所だったら、「ご乱心」だの「若手に媚びた、すり寄った」だの、ボロクソにこき下ろされるのだろうけど、多くのファンは彼の新展開を歓迎した。まぁ保守的なジャズ村界隈では、多少そういった意見もあったようだけど、それまでの彼の足跡をたどっていくと、「まぁHerbieならそれもアリか」と納得してしまう。そういった大御所なのだ、Herbieとは。

 もともとこの人、音楽フォーマットとしてのジャズへの執着は相当薄い。いや違うな、既成スタイルとしてのジャズに固執していない、というべきか。あらゆる他ジャンルの音楽を貪欲に取り込んで、ジャズの可能性を広げてゆくことに生きがいを感じている人である。キャリアのスタートこそDonald Byrdの後押しによるブルーノート本流を歩んでいたけど、Milesスクールに加入したあたりから他ジャンルとのハイブリットを志向するようになる。ていうか、通常のハード・バップ・スタイルだけじゃ帝王が満足しないんだもの。必死になるわな、そりゃ。
 で、ファンクのエッセンスを導入、ほぼファンクだらけの『Head Hunters』を経てディスコへ走り、メインストリーム・ジャズでは目立った実績のないQuincy Jonesに敵意を剥き出しにしたようなR&Bアルバムを制作したり。前回レビューした『Lite Me Up』なんて、ほぼQuincyのプロダクションそのまんまだしね。

4667

 ただMilesと彼との大きな違いは、どの活動時期においてもファンク一色/ジャズ一色じゃなく、必ずサブ/メインのファクターを用意していること。ヘッドハンターズ期にも必ずアコースティック・セットはプレイしていたし、ディスコ~R&B期にも並行してV.S.O.P.の活動も行なっていた。ジャズとしての軸足は確保した上で、他ジャンルへ首を突っ込むのが、彼の行動指針である。その辺は師匠Milesの70年代ジャズ・ファンク期を傍目で見ての反面教師なのか、それとも単なる営業政策上のことなのか。多分、どっちもだろうな。

 「既成のジャズに捉われたくない」「ジャズをぶち壊す」と称し、他ジャンルの要素を取り入れるアーティストは、何もHerbieに限った話ではない。またジャズだけのものでもない。どの時代・どのジャンルにおいても、既存フォーマットの中だけでは十分な表現ができず、多方面からのリズム/コンセプトを借用して咀嚼するアーティストは多い。
 とはいえ、あらゆる試行錯誤を経て仕上げてはみたものの、「今までより変わったコード進行かな?」、または「リズムがボサノヴァっぽいね~」など、ちょっとわかりづらいマイナーチェンジ程度で「新境地」と謳ってしまうアーティストの多いこと。演じる人間は変わらないのだから、もっと根本的なところ、スタッフを総取っかえしてしまう、または自らが身ひとつで別の環境へ飛び込むくらいの覚悟が必要なのだ。

09ROCKITJP-master768

 なので、『Light Me Up』においてQuincyの作曲ブレーンだったRod Tempertonを抱き込んで、ほぼそのまんまのアルバムを作ってしまったのは、ジャズのコンテンポラリー化としては正しい。そのジャンルを極めるには、旬のスペシャリストと仕事をするのが手っ取り早いのだ。まぁあまりにもQuincyのコンセプトにクリソツなのは、それってちょっとどうなのよ、と思ってしまうけど。
 この一連のヒップホップ3部作でがっちりタッグを組んでいるのが、ニューヨークのアングラ・ライブ・シーンにおいて、ミクスチャー・バンドのハシリであるMaterialを率いてきたBill Laswell。今も相変わらず世界中のオルタナ・シーンで名前を聞くことが多く、それでいながらMilesやSantanaなどのアーカイヴ・リミックスを手掛けたりなど、何かと幅広い活動を続けている人である。
 彼にとってもこのHerbieとのコラボが出世作となっており、キャリア的にもメジャーへの分岐点となった作品となっている。何かと多才な人なので、多分Herbieと組まなくてもそのうちメジャーには出てきていただろうけど、ここまでオーバーグラウンドな展開ではなかったはず。例えればJohn Zorn的なポジションで終わってたんじゃないかと思われる。

 Milesとの相違点として挙げられるのが、カリスマ性の有無。まったくエゴがないわけじゃないけど、Milesほどの「俺が俺が」感がこの人からはあまり感じられない。いや、イイ意味でだよ。
 アドリブやインプロのフレーズにしろ、Herbieならではの展開や節回しはあるし、記名性も強いのだけれど、自分がフロントで出張るようなゴリ押し感は少ない。アンサンブルやサウンド・コンセプトを重視するする人であって、クオリティの追及のためには、一歩も二歩も身を引いてしまう。V.S.O.P.プロジェクトを聴けばわかるように、白熱のソロ・プレイやインプロビゼーションなどはお手の物だけど、それを全編に渡って演ることには、あまり興味がない。その辺はMilesと似てるよな。
 セッションにおいて、絶対君主的な立場で現場を仕切っていた復活前のMilesに対し、Herbieの場合、下手するとサウンド・メイキングはほぼ丸投げにしちゃってる作品も多い。前述のR&B期も、ただキーボードを弾いてるだけのトラックもあり、誰のアルバムだかわからないモノもあるし。あ、それってQuincy的なメソッドなのか。

Herbie_Hancock-Sound_System_(1999)-Trasera

 わかりやすいほど、もう開き直ったんじゃないかと思ってしまうくらい、堂々とした二番煎じのアルバムである。そりゃ前作と参加メンバーはほぼ一緒、ヒップホップ・ベースのジャズ・ファンクという路線もまったく同じ。なので、『Future Shock 2』、またはアウトテイク集と位置付けても違和感はない。3枚目?さすがに出がらしだよね、あそこまで行っちゃ。
 チャート・アクション的には、前回のビルボード43位からちょっと落ちて71位、プラチナ獲得まで行ったセールスも、今回は無冠となっている。そうは言っても彼にとって2作目のグラミー受賞作となっており、なぜか日本では、前作と変わらずオリコン最高51位をキープしている。まぁ、『Future Shock』の勢いで売れてしまった、という面はあるのだけど。
 あまりにあからさまな2匹目のドジョウなので、正直、不当と言っていいくらい影が薄い。薄いので存在すら忘れられており、今をもって真っ当な評価を受けられずにいる、そんな可哀そうなアルバムである。
 2作目のプレッシャーよりはむしろ、ヒットによる恩恵の方が多いアルバムである。レコーディングにかけられる予算も増え、タイトなスケジュールではあったけど、Laswellのスタジオ・ワークは丁寧に作り込まれている。バンド自体もコミュニケーションが取れてきて、アフリカン・リズムのアプローチなど、楽曲的には前作より面白くなっている。時代を感じさせるオーケストラ・ヒットやスクラッチなどで見えなくなりがちだけど、根幹の楽曲レベルは、前作よりこなれてきている。

 Milesを創造者=イノベーターとするのなら、Herbieの場合、時代のトレンドをいち早く取り込んで紹介するキュレーター的なスタンスと捉えればスッキリする。もし『Future Shock』がBill Laswell/Material名義でリリースされたとしても、一部の先進的な音楽メディアはフィーチャーするだろうけど、所詮は時代のあだ花として、NYアンダーグラウンドの時代風俗のワンシーンとして消費され、ここまでの盛り上がりは見せなかっただろう。
 敢えて自分のミュージシャン・エゴを抑え、ジャズ・レジェンドとしてのネームバリューを最大限に活用したこと、それによってヒップホップ・カルチャーを広く知らしめた功績は、もっと評価されてもいい。
 若手の才能にうまく乗っかった、という見方もできなくはないけど、それも大ヒットしたゆえの功罪であって、Herbie本人も正直ここまで売れるとは思ってなかっただろうし。
 特にこの『Sound System』、せっかくの二番煎じなのに、ジャケットもキモかったしね。


Sound System
Sound System
posted with amazlet at 17.01.30
Herbie Hancock
Sony (2000-02-08)
売り上げランキング: 461,842



1. Hardrock
 シンセのフレーズはまんま「Rockit」。アウトテイクというか別ヴァージョンと思えば、まぁ納得。これだけ短いスパンで自己模倣したというよりは、別ミックスと捉えた方がスッキリする。その「Rockit」よりはビートが強く効いており、タイトル通りギターのディストーションも深い。なので、Herbieの存在感は薄い。エレドラが前面に出たミックスは、Herbieをダシに使ったLaswellの好き放題からくるものか。妙にジャストなリズムのスクラッチは、いま聴くと逆に違和感が強い。きっちりジャストなリズムっていうのもね。



2. Metal Beat
 ほぼリズムで構成されている、インダストリアル・サウンドが中心のナンバー。なので前半、Herbieの存在感はほんと薄い。カリンバっぽい響きのアフリカン楽器的な音色のDX7を奏でるところで、やっと「あぁいたんだね」と気づかされる。

3. Karabali
  続いてこちらもアフロ・ビートとコーラスを前面に押し出した、当時のLaswellの趣味全開のスロー・ファンク。この時期にしては珍しくメインストリーム的なスタイルでHerbieがプレイしている。そこにアフロ・テイストとWayne Shorterのソプラノ・サックスがミスマッチながら絶妙なコントラストを醸し出している。こういった発想、ジャズ内部からは出てこないものね。やっぱりリズムが立ってるからこそ、ベテラン2名のメロディが引き立っている。
 言っちゃ悪いけど、このアルバムに入ってるのが惜しいくらい、特にShorterにとってのベスト・プレイのひとつに入るくらいの出来ばえ。



4. Junku
 1984年開催ロサンゼルス・オリンピックの公式アルバムにも収録された、ヒップホップ色を薄めたライトなファンク・チューン。当時のヒップホップはアングラ・シーンの色が強かったため、このくらい希釈しないと受け入れられなかったのだ。まぁわかりやすい万人向けの「Rockit」といったところ。アコギの音を模したようなシンセ・ベースが爽やかさを演出しているのだろうけど、作り物を無理やりナチュラルに見せようとしてるのが、逆に気持ち悪い。後半の取ってつけたようなスクラッチも微妙。

5. People are Changing
 1973年リリース、ビルボードR&B最高23位まで上昇した、Timmy Thomasのカバー。ここでメイン・ヴォーカルを取るのは、前作「Future Shock」ではバッキング扱いだったBernard Fowler。一般的なロック好きにとっては、Bill Wyman脱退後のStonesのベーシストといった方がわかりやすい。もともとはヴォーカルがメインだったのだ。
 曲調としては、ファンクというよりはAOR的なロック寄り。楽曲自体の良さもあるけれど、アングラ・シーンでの活動が多かったLaswellも、こういったオーセンティックなサウンドも操れることが証明された1曲でもある。こういった積み重ねが後のMick Jaggerらとの仕事に結びつくことになる。

maxresdefault

6. Sound System
 ラストはタイトル・ナンバー、こちらもバックトラックはほぼ「Rockit」、シーケンス・ビートをベースとして、エフェクト的に薄くかぶさるシンセ、時々アクセント的にデカく響くオーケストラ・ヒットとの波状攻撃は、聴いてて疲れるよな。これでも当時は目新しさの方が先立っており、各界に衝撃を与えたのだ。
 注目すべきは3分半以降、当時、ジャズ本流からは逸脱してジャンルレスな活動をしていた近藤等則がトランペット・ソロを取っている。70年代Miles的にワウワウで変調された音色と痙攣するようなフレーズは、機械的なビートにも充分渡り合っている。ここでデジタル・ビートに飲み込まれないためには、Miles的なメソッドが必要だったのだろうし、また、そのデジタルを凌駕できるトランぺッターは、当時は近藤しかいなかった。




Herbie Hancock: The Complete Columbia Album Collection 1972-1988
Herbie Hancock
Sony Legacy (2013-11-12)
売り上げランキング: 22,634
ワンダウン(紙ジャケット仕様)【SHM-CD】
マテリアル
SPACE SHOWER MUSIC (2013-08-28)
売り上げランキング: 286,089

Miles流ジャズ・ファンクの最終形 - Miles Davis 『Decoy』

folder 1983年にリリースされた『Star People』は、Bill EvansやMike Sternなど、80年代以降の現代ジャズ・ファンク・シーンを担う若手の積極的な起用によって、先祖返り的な新伝承派への対抗意欲を表明した意欲作だった。帝王と称されて以降の彼は、休養以前ほどの先鋭さはなくなったけど、かつて自らが築いたスタイルをなぞってお茶を濁すことは頑なに拒否していた。少なくとも、時代に乗り遅れることだけは逃れていた。

 どの時代においてもMilesが志向していたのは、その時代においての最先端、最もヒップな音楽だった。ビバップを起点としたモダン・ジャズからスタートして、既成のリズムやコードを分解・再構築、それまで邪道とされていたエレクトリック楽器の導入、それらの集大成としてジャズ・ファンク路線へ向かったのも、「俺がジャズ・シーンをリードしているんだ」という自負があったからこそ。
 そりゃ時々、ちょっと残念な作品や退屈なアルバムも中にはあったけど、アバタもエクボとはよく言ったもので、『Miles Davis』という壮大な超大作の中のワンカットと捉えれば、ちょっとは納得がゆく。いつもいつもヤマ場ばっかりじゃ、演る方も聴く方も疲れちゃうしね。

 で、この『Star People』と同年にリリースされた1枚のアルバムが、ジャズ・シーンを大きく変化させることになる。
 それまでジャズ・フュージョン~ジャズ・ファンクなど、Milesが創り上げてきたメソッドに則って、またはパクった廉価版を流通させて凌いできたジャズ・シーンだったけど、Milesの文法にはない言語・話法で価値観を一変させてしまった。
 『Futurer Shock』、または「Rockit」。
 そのアーティストとは、Herbie Hancock。かつてのMilesスクールの卒業生である。

0a3f5dc5dd2b989d54891db37c817

 以前もレビューで書いたけど、これがジャズなのかどうかと言われれば、ギリギリのラインでジャズではあるけれど、一般的な解釈としてはヒップホップ・カルチャーのメジャー化に大きく寄与した、俺が言うところの「お茶の間ヒップホップ」作品である。ジャズである根拠はリーダー名義がHerbieだから、というだけで、旧来のジャズっぽさはまるでない。
 ただこのHerbieという人、そのMilesスクール在籍時から「ジャズの基本フォーマット」にはあまり興味がなく、むしろそういった既成概念へのアンチを訴える性向が強い。いわゆるタカ派的なミュージシャンではあるのだけれど、性格の良さなのか人心掌握に長けているのか、保守派のミュージシャンからの覚えも良く、それなりの距離を保ってセッションやコラボレートを行なっている。
 穿った見方で言えば、八方美人的な器用な人なのだけれど、ミュージシャンとしての基礎体力、センスやスキルは同年代においても抜きん出ているので、あまり不評も出ない。この辺はMilesのバンド運営を反面教師として捉えてきた経験則に基づくのだろうか。

 これまでジャズ界の方向性を決定づけるのは、主にMilesだった。彼のレイテスト・アルバムこそが次世代ジャズのフォーマットとして注目され、そしてリスペクトされオマージュされまくった。と言えば聞こえは良いけど、要は表層だけ真似て聴きやすくしただけ、または一般ウケしやすいよう思いっきり希釈されることで、特に70年代以降の斜陽ジャズ界は命脈をつないでいた。
 自ら望んでなったわけではないだろうけど、結果的にジャズ界の水先案内人としてシーンをけん引していたMilesだったけど、『On the Corner』リリース以降から、その勘が鈍り始める。
 オーバーダヴを極力使用せず、リズム・リード一斉演奏による複合アンサンブルという手法はフリー・ジャズのメソッドと方向性は似ている。ただ調性を重要視しないフリーとは違って、Milesの場合、ポリリズムをベースとした複合リズムの一斉演奏から発生するピッチのずれ、古代民族の祝祭的ムードをモダンに展開させたことがMilesの功績である。ただそのメソッドはあまりに不定形であったがゆえ、万人の理解はおろか、演者自身さえもカオスに陥ってしまうほどの破壊力を持っていた。
 ジャズ・ミュージシャンMilesのキャパを大きく超えるフォーマットは、製作者自身をも浸食する。その後はアルバム制作ごと、またライブを重ねるごとに、その怪物は自らの意思を持ち、そして力を増す。日を追うにつれ、もはやMilesの手では制御不能になっていった。
 怪物を抑え込むために消費される、大量の酒やドラッグ。気が大きくなることもあって、一時は気が紛れるかもしれないけど、根本的な解決にはなっていやしない。むしろ怪物のパワーゲージは増大しているのだ。
 自分の許容量を超えるドーピングは体と精神を蝕み、遂にはMiles、シーンからの撤退を決意する。『Agharta』『Pangaea』という、評価不能(または評価されること自体を拒否した)大作を残して。

miles

 長い長い休息を経てシーンに復帰したMiles。以前のドロドロした怪物とは縁を切り、もっとコンテンポラリーな方向性を持つ、ビビッドなフォームのサウンドを志向するようになる。ほとんど暴君として主導権を握っていたレコーディング・セッションも、任せられるところは若手に仕切らせるようになる。
 復帰後のMilesは、もはや自らの力だけではヒップな存在にはなれないことを自覚していた。先鋭的なジャズ・ミュージシャンとしては、『Agharta』『Pangaea』のその先を探求することが真っ当なのだろうけど、彼の関心はもはやそこにはなかった。彼が求めていたのは、もっと確実な形の名声、ポップ・チャートの上位へ狙えるセールスだった。

 リーディング・ランナーのポジションから自ら降り、時代のトレンドに乗っかることを選択したMiles。最先端のサウンドを提示することはなくなったけど、これまでの功績からジャズ界の帝王としてのポジションは確立されていた。彼が復帰することで、CBSはおろかジャズ界挙げての大きなキャンペーンが盛り上がったのも、そんな事情があったわけで。
 ただ、これらもあくまでジャズ界の中での出来事である。さすがに第1弾の『The Man with the Horn』こそビルボード最高53位のヒットになったけど、『Star People』は最高153位と、まぁジャズ・アルバムにしては上等といった程度の成績だった。ただ、彼が望むところのポップ・チャートへのランクイン、例えばMichael JacksonやLionel Richieと比べれば、お話にもならなかった。

a7bfbcaef05c680e77cd2b4cf680c147

 そんな中での「Rockit」ブームである。ビルボード最高71位はもちろん、ダンス・シングル・チャートで1位を獲得したことによって、Milesの対抗意識はハンパなかったはず。総合チャートだけでなく、もっとも現場感覚が反映されるクラブ・シーンにおいて明確な支持を得たHerbieに対し、嫉妬とも羨望とも、どちらも入り混じるような複雑な心情であったことは想像に難くない。
 暴君Milesだからして、よくある子弟物語のような、弟子の成長を素直に喜ぶようなタマではない。むしろ対等なミュージシャンとして、ヒップホップの導入によるポップスターへの仲間入りへの羨望、またこれまでのMilesメソッドの延長線上ではなく、まったく違ったアプローチによるポピュラリティの獲得への嫉妬が強かっただろう。
 後に『Doo-Bop』という最後っ屁をかますMilesだからして、ヒップホップへのアレルギーや嫌悪があったとは思えない。彼にとっては新しい音楽、旧来のジャズとはかけ離れたものを求めているだけであって、逆にHerbieの目の付け所には「してやられた」感が強かったんじゃないかと思われる。

 正直、『Future Shock』はあまりにヒットし過ぎたがため、もはやHerbieでは制御が効かず、彼にとっての「怪物」的存在となってしまった。おかげで勢いで二番煎じ三番煎じのアルバムを作ってしまい、結局は時代に消費されてしまった。使用機材の影響もあるけど、いま聴くとすごく古臭く感じてしまう点は否めない。
 対してタイミングを待って制作された『Doo-Bop』は、時代を乗り切るオーラを保っている。制作途中だったトラックを効果的にまとめたEasy Mo Beeの力量ももちろんだけど、トレンドの先読み力においてはまだ眼力を保っていたMiles、2匹目のドジョウを狙っても叩かれるだけなのはわかっていたのだろう。
 まだ手を付けるべきじゃない。時期が早い。

4e9fb12a-s

 ジャズ・ファンク路線でもうちょっとやってみたかった、またはCBSの要請があったのかどうか、取り敢えずほぼ同じスタッフで制作したのが、この『Decoy』。『Star People』では10分超の曲が3曲あったけど、ここでは1曲のみ、ほとんどの曲が4~5分程度にまとめられている。この辺はラジオ・オンエアを意識したものと思われる。とは言っても、ジャズ専門ラジオでしかかからなかったんだけどね。
 『Decoy』においての最大の新機軸というのが、盟友Teo Maceroとのパートナーシップ解消である。
 正直、この時期になるとレコーディング・スタイルそのものがシステマティック化され、以前のようにテープを長回ししてダラダラ時間をかけたセッションは少なくなっていた。これまでバンド・アンサンブルに細かな指示を与えていたMilesだったけど、スタジオにいる時間が短くなり、結果的にバンド自身でバック・トラックをしっかり作り込むことが可能となった。なので、デモ段階でほぼ完パケ状態となっているため、Teoお得意のテープ編集テクニックは無用の長物となる。実際、Miles復帰後のTeoの仕事量は相対的に減っていった。

 Milesがすぐにヒップホップに飛びつかず、ジャズ・ファンク・スタイルの追及を継続したのは、若手による現状バンド・アンサンブルへの信頼もあったけど、かつてのMilesスクールよろしく若手スター・プレイヤーの育成並びに恩恵に預かる下心が、多少なりともあったんじゃないかと思われる。特にここで3曲参加しているBranford Marsalisには目をかけていたらしく、ゲストではなくレギュラー・メンバーとしての加入も打診している。結局、Stingに取られちゃうんだけどね。

 Herbieとは別のベクトルでポップスターを狙っていたMiles、『Star People』よりコンパクトかつソリッドにまとめられた楽曲群はクオリティが高く、彼が目指すところのジャズ・ファンクとしては、ほぼ完成形である。あくまでジャズ村の中での評価としては、高いものだった。
 でも、ヒップじゃない。
 すでにMilesは別の方向を向いていたのだから。


Decoy
Decoy
posted with amazlet at 17.01.27
Miles Davis
Sony (1988-05-19)
売り上げランキング: 409,609



1. Decoy
 「On the Corner」の雑多なリズム・パートを丁寧に取り除き、バンド・メンバーを絞って各パートのインプロをクローズアップすると、こんな感じになる。70年代ジャズ・ファンクの落とし前といったところか。若手ミュージシャンらの屈託のなさによって、かつてあれほど苦しめられた怪物は、しっかり手綱を握られている。
 ここから初登場のDarryl Jones(b)の俺様っぷりも、Stingと組もうかどうか天秤にかけていたBranford Marsalis (sax)の歌いっぷりも、きちんとコントロールされている。だからこそ、Milesのペットもここ最近にはないほど鳴りまくっているのだ。
 Teoとの友好的決別が良い方向へと向かった、新世代ジャズ・ファンクの完成形となった1曲。



2. Robot 415
 1分程度のブリッジ的小品。Miles自身による拙いコード弾きシンセが聴ける、それこそ『Future Shock』とYMOをモチーフとしたテクノ・ファンク。実験的なお遊びだったのか、中途半端なフェード・アウトが惜しい。もうちょっと広げられたら面白かったんだけどね。

3. Code M.D. 
 やっぱり80年代というのはヤマハDX-7の時代だったんだな、というのを思い出させてしまう1曲。あのMilesでさえ、他の80年代アーティストのサウンドと同じ音色使ってるんだもの。特にこの曲はバンマスRobertのイニシアチブが強いため、シンセのブロック・コードが曲のコアとなっている。リズムのメインは当然Al Foster(dr)だけど、結構な割り合いでドラム・プログラミングもミックスされており、結果的にテープ編集という職人技は不要となる。Teoのやることがなくなるわけだ、確かに。
 『Star People』ではあまりオイシイ場面が回って来なかったJohn Scofield(g)、ここではシンセとのユニゾンも多いけど、インパクトのあるファンキーなソロを利かせている。タイトルにもかかわらず、Milesの出番が少ないナンバーでもある。3分過ぎ辺りから「御大登場」とでも言いたげに、悠然と登場してサラッとかますソロ。吹きまくるのではなく、吹かずして空間を支配するMiles。やはり効果的な見せ方をわかってらっしゃる。

miles-02

4. Freaky Deaky
 Darylのアルペジオ・ベースと、再びMilesのシンセが主体となったアンビエント調ファンク。あぁホーンで聴きたかったな、これ。まるで「クロスオーバー・イレブン」じゃん、これじゃ。プログレッシヴで果敢なチャレンジとしては良いのだけれど、求められてるのはそれじゃないんだけど。
 『Decoy』の欠点、レコーディング時期がバラバラなため、散漫な印象が拭えないことが如実に表れている。通常なら正式リリースするレベルじゃないんだけど、曲数たりなかったんだろうな。

5. What It Is
 1983年4月に行なわれたモントリオール・ジャズ・フェスティバルからのライブ音源。ちょっとかったるい感もあった4.と比べると、アンサンブル、楽曲としての出来がまるで違っている。
 火を噴くようなDarylのスラップ・ベースから幕を開け、すでにレギュラー・メンバーとなっていたBill Evans (sax)との相性も程よい緊張感で通じ合っている。ライブということもあってシンセの使い方も控えめ、ファンキーなリズム・アプローチを中心にバンドがまとまっている。
 Scofieldのギターもアルバムでは一番のキレっぷり。この感じでスタジオ収録に向かえればよかったものの、そううまくは行かないのがバンド・マジックである。その時の空気感はその時じゃないと、なかなか再現できないのだ。

6. That's Right
 このアルバム最長の11分という大作。と言っても11分程度じゃジャズの中ではまだ中ジョッキ程度。この時期のMilesにしては長い方だけどね。
 ここではファンク成分をグッと抑え、久しぶりにストレートな4ビートに挑戦。もう一人のジャズの御大Gil Evansが総合アレンジを務めているせいもあって、オーソドックスなスタイルとなっている。とは言っても80年代Milesなので過去の焼き直しではなく、特にScofieldのブルース・フィーリングあふれるインプロビゼーションは飽きが来ないフレーズで彩られている。
 この時期のBranfordはちょうど自信をつけ始めた頃にあたり、天才の名を欲しいままにしていた弟Wyntonさえ凌駕していたと個人的には思っている。まぁこの時期のBranfordの仕事はどれも新伝承派Wyntonへの当てつけ、裏返せばコンプレックスからの発露という見方もできるのだけれど。

p03vrv9p

7. That's What Happened
 ラストは再びライブ音源、5.と同じくモントリオール公演から。レコードで言うところのB面全3曲はMilesとScofieldとの共作となっており、彼とDarylのファンクネスとBranfordのオーセンティックなホーン・フレーズが交差しまくって、「ジャズ」という冠を外しても十分ファンク・ミュージックとして機能している。もはやジャズなんて言葉もいらないくらい、それだけジャズ・ファンク最終形としての理想像がここにはある。
 疾風怒濤という言葉がぴったりはまる、鬼のようなミュージシャン・エゴがぶつかり合い炸裂する、あっという間の3分半である。




Ost: Miles Ahead
Ost: Miles Ahead
posted with amazlet at 17.01.27
Miles Davis
Sony Legacy (2016-04-01)
売り上げランキング: 77,689
Perfect Miles Davis Collection (20 Albums)
Miles Davis
Sony Import (2011-09-30)
売り上げランキング: 2,693

「ジャズ」として聴ける限界値のコルトレーン - John Coltrane 『Transition』

folder 前回のMilesの続き。
 組織論としてのバンドの実例として、ColtraneとMiles両名で検証してみたのだけど、結局、どちらのやり方でも後進への影響やセールス実績を残しているため、優劣をつけることはできない。方向性の違いだけである。なんだそりゃ。

 もともと正統派モダン・ジャズの係累を歩んできた両名、スタイルの違いはあれど、本質的なところではそんなに変化はない。強烈なミュージシャン・エゴに基づくリーダーシップを振りかざし、いち早くツバをつけた若手の尻を叩いてセッションを進行させてゆく、というプロセスは変わりない。
 バンド運営的にも、実績の弱い成長過程の若手はスケジュール的にもギャラ的にも何かとムリが効く。何しろ相手はジャズ界の大ベテランで、むしろ手弁当でもいいくらいの気概で参加している者も多い。
 「ギャラの取り分?まぁ勉強させてもらってるんで、イイっすよ言い値で」。
 なので、コスパ的にも何かと都合が良い。ある程度在籍して発言権を得てきたあたりで独り立ちさせてやりゃいいんだし。

 Coltraneの後期の作品のほとんどが、メイン・ソロイスト(要はColtrane)プラスαというアンバランスな構成になっている。末期はPharoah Sandersとの双頭体制も多かったけど、基本、Coltraneのコンセプトに従ってのプレイなので、突出したオリジナリティを表現する余地はほとんどない。彼が本性をあらわしてくるのは、Coltraneが亡くなってからである。
 対しMiles、リーダー・アルバムであるにもかかわらず、もともと彼の場合、メインのソロの割合はColtraneほど多くない。以前どこかで書いたと思うけど、Milesというアーティストはプレイヤーというよりはむしろサウンド・コーディネーターであり、コンセプト・メーカーである。具体的な意図を提示するわけではないけど、「こんな風にやれ」と彼が指示するだけで、いつの間にかMilesのサウンドになってしまっている。引退直前の一連のアルバムを聴いてみればわかるけど、どのプレイヤーも好き勝手に演奏しているように思われるけど、最終的にはきちんと「Miles Davis」印のサウンドとして成立してしまっている。誰もがみな、Milesの掌の上で踊らされているに過ぎないのだ。
 そんな塩梅なので、何もMiles自らが無理に出張ってソロを吹きまくる必要もない。要所を押さえておけばよいのであって、それをより効果的に演出するため、むしろソロ比率は他のアーティストと比較しても圧倒的に少ない。でも、ちゃんとMilesのサウンドになっちゃってるのだ。

Coltrane-770

 で、Coltraneの場合。彼の場合、音楽をプレイするという行為に意味を見出そうとするがため、どうしても曲の構成が理屈っぽくならざるを得ない。ちょっと息苦しささえ感じてしまうのは、何もフリー性が強くなったからだけではない。主に頭の中だけで構築されたサウンドは、敷居を高くする。
 イデオロギーに基づいて頭の中でこねくり回された音楽的なアイディアは、収拾がつかなくなっちゃってるのだけど、とにかく思いついた音はすべて出し切らないと気が済まない。膨大すぎて整理がつかなくなっちゃった末、演奏するたびにテンションが上がりまくって、全部自分でやってしまうパターンが多い。演奏に入る前はそれなりにアンサンブルも構成も考えていたはずなのに、全部チャラ。シーツ・オブ・サウンドの暴走である。
 Pharoahもそうだけど、他にもRashied Aliなど有能なミュージシャンをバックに従えているのだから、彼らを単なる伴奏者として使おうだなんて思っていなかったはず。一応はバンマスとしてのColtraneが取りまとめているのだけど、彼らはバンド・メンバーであると同時にイデオロギーを共にした同志であり、基本、上下関係というのはない。
 なので、Coltraneとしてはみな平等に見せ場を作ろうと開演前には思うのだけど、いざステージに立って演奏が始まってしまうと、すべての目論見はぶっ飛んでしまう。いつもの独演会の始まりである。

 プレイヤーとしてまっとうな感覚を持つミュージシャンなら、そんなバンマスの独善ぶりに嫌気が差しても不思議はない。実際、日に日に肥大化する彼のインプロビゼーションについていけなくなったのか、黄金のカルテットと称されたMcCoy TynerとElvin Jonesもバンドを去っている。
 最後まで残ったのは、前述の2人に加え、Coltrane夫人のAlice。こちらも恋愛関係が昂じて一緒になった夫婦というよりは、イデオロギーに共鳴した同志としての関係であり、世間一般のカップルとはニュアンスが違っている。一般的に考えて、同じ職場に奥さんが在籍しているというのは、あまり気持ちの良いものではなく、むしろ不自然。家内制手工業や3ちゃん農業でもあるまいし、気疲れしなかったのかな。
 そういえば、Paul McCartneyもWingsで妻Lindaを引き入れていたし、Fleetwood Macなんて元夫婦や元カップルやらW不倫やらその他もろもろで、バンドが成立していたのが不思議なくらいである。ミュージシャンって、そういうのあんまり気にしないのかな。

alicecoltrane_

 これはジャズ全般に言えることだけど、ポップスのようにイントロ→Aメロ→サビ→間奏→Bメロ→大サビ→アウトロという定型化した構造がなく、基本となるフレーズとコード進行、何となくソロの割り振りさえ決めてしまえば、どうにでもなっちゃうジャンルである。同じ曲名なのに、全然違った曲になってしまうことも珍しくはない。その日の気分次第コンディション次第で、アドリブ・パートのフレーズがまったく変わってしまうこともしょっちゅうである。
 なのでColtraneの場合、特にシーツ・オブ・サウンドが一応の完成を見てからのアトランティック後期からは、毎ステージごとが新曲のようなものである。ジャケットや風貌にスピリチュアルな要素が入ってくるのと前後して、彼らの演奏は常に新規巻き直しの真剣勝負の様相を呈している。彼らにとってジャズを演奏するということは、カタルシスを得るためではなく、もっと先にあるなにかに辿り着くための修練、Disciplineなのだ。
 全キャリアを網羅するが如く、Coltraneの未発表セッションの発掘作業は続いている。正規・ブートに限らず、毎月のように世界各国のメディア音源、蔵出し音源がリリースされている。俺自身はそこまでのColtraneマニアではないので、たまに正規音源をつまんでみる程度だけど、すべての録音物をかき集めたとしたら、とんでもない物量になってしまうだろう。そうすると一生を棒に振りかねないので、ライトなユーザーに甘んじている次第。インパルス期はあんまり聴いてない。
 多分、末期にも俺が気に入る音源はあるのだろうけど、いつもyoutubeの視聴程度で断念してしまう。特に俺が大好きな「My Favorite Things」、日本公演のそれはまるまるCD1枚分の物量に肥大化している。あの軽やかに口ずさめるフレーズはほんのちょっぴり、あとは難解かつ混迷とした解釈によって、原形を留めていない。フリー・ジャズをわかってる人間にとっては良いのだろうけど、ライトなユーザーの俺からみれば、迷宮にはまり込んでこじらせちゃった感が強い。
 もうちょっとコンパクトにまとめるとか、誰か進言しなかったのか?

jpg__1072x0_q85_upscale

 そう考えると、Teo Maceroの偉大さが実感できる。後年になってからだけど、めったに人を褒めることのないMilesでさえ、彼の編集技術を高く評価していたし、どれだけとっ散らかったとしても、最後はTeoが何とかしてくれる、という信頼関係によって、セッションが進行していたことも解明されている。
 Stonesのジャム・セッションにも比肩する冗長なセッションによって生み出された膨大なテープの山を前に、躊躇せずバシバシハサミを入れ、そしてシステマティックに繋いでゆくTeo。当時は決して表に出ることのなかった、地道で神経を磨り減らす作業を、彼は黙々と、それでいて誠実にクリアしていった。
 Milesのコンダクトによって続々生産される未編集テープの山を、Teoが商品として適切な形にブラッシュアップ、体裁を整えてリリースされる。その完成ヴァージョンをもとにライブでプレイ、そこからまた新たな着想を得てレコーディングに入る。その好循環は、MilesがCBSと袂を分かつまで続いた。

cached

 そんなTeo的ポジションの不在が、特に後期Coltraneへの生理的拒否感を助長させたんじゃないかと思われる。双方とも、フリー・ジャズ&インプロビゼーション主体の音楽性であることに変わりはないのだけど、アラスカの奥地へも配給ルートを持つ大メジャーCBSと、アーティストの意向を最大限尊重するジャズ専門レーベルのインパルスとでは、そもそもの販売戦略が違っている。
 どれだけMilesが奔放なプレイをしようと、マス・ユーザーを想定して編集ブースにこもるTeoによって、そのテープは時に原形を留めぬほど切り刻まれた。どれだけ良いアドリブやアンサンブルがあったとしても、冗長で意味がないと判断すれば、彼は容赦なくその部分をカットした。ほんとはもっと短く編集してもよいくらいだけど、2枚組になってしまうのは、Milesに対する敬意を表したものだろう。もし彼がその気になれば、テープをいくらでも短く、または長く編集できたはずである。

 対してインパルス、前述したように極力テープ編集を抑え、アーティストへのリスペクト最大限に表したアルバムが多勢を占めている。要は「録って出し」である。余計なスタジオ経費もかからないし。
 純血主義のジャズ・ユーザーにとっては、もちろんインパルスのメソッドが王道であるはず。それはわかっているんだけど、そういった戦略はあまり大きな広がりを見せない。アトランティック期はともかくとして、このインパルス期はライト・ユーザーへの敷居を高くしてしまい、新参者にとっては足を踏み入れることすら躊躇してしまう。もうちょっと、親しみやすい芸風はなかったのか?と問い詰めたくなってしまう。

John Coltrane & Rashied Ali

 ほとんど完成の域に達していたシーツ・オブ・サウンドに見切りをつけ、集団即興をメインとしたフリー・スタイルへ大きく舵を切ったのが、いまでも問題作の『Ascension』。リリースから50年近く経った今になって聴いてみれば、リード楽器の乱立によってあちこちで不協和音が発生しているのがわかる。セッションいよるマジックは生まれているのだろうけど、あまりに散発過ぎてとっ散らかってちゃってる、というのが俺の印象。Teoに頼めば、もうちょっと聴きやすくしてくれるのだろうけど、まぁそういったコンセプトじゃないし。
 じゃあフリーに入る前、オーソドックスなモダン・ジャズ、シーツ・オブ・サウンドの完成系がどれなのかと言えば、いわゆる過渡期にレコーディングされたこの『Transition』になる。録音されたのは1965年なのだけど、リリースされたのは1970年、いわゆる追悼盤に分類される。生前リリースされなかったのは彼の意志によるもので、妻Aliceにも「俺が生きているうちはリリースするな」と言い残したのはわりと有名。なにかと曰くつきのアルバムとして、裏名盤と呼ばれている所以でもある。
 Coltraneとしては一応レコーディングはしたものの、あくまで旧来ジャズの範疇に収まっている今作に満足できず、心はすでにフリーの方向性に移っていた頃である。シーツ・オブ・サウンドにある程度の完成形を見据えてしまった今となっては、古臭く映ってしまったのだろう。
 徹底的な創造の後に来るのは、もはや自己解体しか残ってない。そう考えるとColtraneの方向性は間違っていない。純粋に自身の音楽を極めるとするならば、当然の帰結でもある。

 ただ、「進化すること=善」というのは短絡的。人はそんな簡単に割り切れない。
 Coltraneが見せる最後の「ジャズ」のアルバムとして、ネット界隈でも人気は高い。そんなこと知らずに聴いていたので、正直意外だった俺。俺を含め、ライトなColtraneファンの分水嶺がここにある。
 ここから先のColtraneの作品は、Coltrane’sジャズを完成させた後、緻密かつ暴力的にジャズを解体してゆく経過報告である。その作業は粛々と、それでいてロジカルに行なわれた。
 それは「徒労」とも言える作業だ。


トランジション
トランジション
posted with amazlet at 16.09.23
ジョン・コルトレーン
ユニバーサル ミュージック (2015-05-13)
売り上げランキング: 200,482



1. Transition
 アトランティック期にも通ずる、比較的オーソドックスなテナー・ソロから始まる。流麗に感じるのはホント序盤だけ、次第にColtraneがトランス状態に入り、『Ascension』以降に通ずる超絶冗長ソロに変貌してゆく。それを力づくで押さえつけるようなElvinのシンバル連打。この掛け合いを聴いてるだけでも面白い。この程度の脱線ぶりなら、まだ着いて行ける。

2. Welcome
 オリジナルはここに「Dear Lord」が入るはずなのだけど、俺が持ってるのは違う曲に差し替えられている。調べてみるとリマスター以前と以後とでは収録曲自体が違っており、その辺も混乱を招いて紹介されずらい要因となっている。
 5分程度の小品バラードなので、さすがにここで超絶ブロウを入れる余地はない。時に一本調子に聴こえるテナーにも磨きがかかり、普通にマッタリ聴いていられる。こういった曲調でのMcCoy Tynerは、ほんといい仕事だよなぁ、と思ってしまう。

JohnColtraneWiki

3. Suite (Prayer and Meditation: Day, Peace and After, Prayer and Meditation: Evening, Affirmation, Prayer and Meditation: 4 A.M.) 
 LP時代はB面全部を埋め尽くした21分の大作。堂々5部作になっているのは大風呂敷を広げる傾向にあった彼の趣味。
 これだけ長尺で各パートのソロも割り振ると、あまり脱線することもなく至極全うなシーツ・オブ・サウンドに徹している。時々聴こえてくるカン高いハイノートがうざく感じられてしまうけど、バンド・アンサンブルを楽しむのなら良曲。

4. Vigil
 出だしから一触即発状態だったElvinとのタイマン勝負が収録されている、強い熱量を感じさせるナンバー。ルーティンからはずれようと小技を繰り返すColtrane、そしてチャラチャラした現代ジャズには屈しないという意思表明なのか、普段より手数も存在感も多いElvinのプレイ。すさまじい緊張感の中で録音されたことが窺える良作。
 でも、食い合わせ次第では音の壁にやられてしまいそうになるので、体調を整えたあとに聴くことが望ましい。



Trane's Comin'
Trane's Comin'
posted with amazlet at 16.09.23
John Coltrane
Not Now UK (2010-06-01)
売り上げランキング: 130,460
The Atlantic Years in Mono
The Atlantic Years in Mono
posted with amazlet at 16.09.23
John Coltrane
Atlantic (2016-07-08)
売り上げランキング: 153,596

カテゴリー
月別アーカイブ
記事検索
Twitter
北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
最新コメント

音楽 ブログランキングへ


にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村

アクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: