好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Jazz

3匹目のドジョウ、もしくは3度目の正直。 - Herbie Hancock 『Perfect Machine』

folder 1984年にリリースされた『Future Shock』の功績は、既存ジャズの流れを大きく変えただけではない。それまで「知る人ぞ知る」といったヒップホップという音楽を大々的にフィーチャーしたことで、80年代黒人カルチャーの大きな飛躍に寄与した。
 ネット環境のない当時は、情報の伝播が手旗信号並みに遅かったため、日本に正確な情報が届くまでは、途方もない時間を必要とした。「デカいラジカセを担いだ屈強な黒人が、リズムに合わせて、踊り叫んでレコードをこする」。肝心の音も映像もなく、耳に入ってくるのはゲスな豆知識ばかり。これじゃ伝わらんわ。
 すでにジャズ・フュージョン界のスーパースターだったハービーが、まだニューヨークの下町のストリート・カルチャーに過ぎなかったヒップホップに、どうして目をつけたのか。まさかここまで売れちゃうとは、本人もCBSも思っていなかったはず。
 とにもかくにも、ヒップホップ・カルチャーがお茶の間レベルにまで浸透したのは、彼の功績である。

 グラミー受賞とUSプラチナ獲得の勢いを借りたハービー、早くも翌年、わかりやすいくらいの二番煎じ『Sound System』をリリースする。あまりに堂々とした二匹目のドジョウ狙いのため、したたかさを通り越して漢を感じさせる。
 曲がりなりにもメジャーのアーティストなので、「サウンド・プロダクトは同じだけど、コンセプトやアプローチは全然違うんだ」と言い張るんだろうけど、いや単なるヴァージョン・アップだし。正直、『Future Shock』とシャッフルしても、まったく違和感はない。
 それでも『Sound System』、プラチナ獲得には至らなかったけど、そこそこは売れた。さすがに『Future Shock』ほどではないけど、これまでのジャズ・フュージョンのアルバムとは、ケタ違いの売り上げだった。キャリア中、最も売れていた「Watermelon Man」でさえかすんでしまうくらい。
 ロックやポピュラーの売り上げと比べれば、ジャズの売り上げなんてたかが知れている。採算面だけで考えるのなら、ジャズなんて真っ先に切り捨てた方が効率的ではある。でも、パイは小さいけど売り上げは安定しているし、文化事業としての使命感が、単純な割り切りにストップをかける。
 極端な話、そこまで売れなくてもよい。中途半端に新譜が売れてしまうと、予測不能なバック・オーダーで在庫がかさんでしまい、事業計画にブレが生じる。それよりも、往年のジャズ名盤のリイッシュー企画の方が、売り上げ読みやすいし。

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 それまでは「ジャズ村の中でのスーパースター」だったハービーだったけど、『Future Shock』以降は、ジャズ以外のジャンルからのオファーが多くを占めるようになる。ミック・ジャガーのソロ・プロジェクトに参加したのもこの頃だ。
 とはいえ、ロック/ポップスでのセッション・ワークはあくまで余技であり、メインの仕事ではない。これで調子に乗って、ジャズから足を洗っていたら、いまのハービーはない。
 R&Bやディスコ、ファンクなど、あらゆるジャンルに手を出してはきたけど、結局のところ、ハービーが行き着くところは、原点のジャズである。ジャズ界で巧成り名を遂げた裏づけがあったからこそ、『Future Shock』はあれだけ注目されたのだ。
 CBS的には「さらにもうひと押し」との思惑で、勝手に3部作構想を練っていたのだけど、それを知ってか知らずかハービー、ここで一旦、ヒップホップ路線から撤退してしまう。次に彼が向かったのは原点回帰、本流のメインストリーム・ジャズだった。

 1986年に公開された米仏合作映画『Round Midnight』は、ジャズをテーマとした映画としては珍しく、全世界で1000万ドルという興行収入をたたき出した。ミュージシャン・シップに沿った丁寧な映像と音楽は、今もジャズ映画の金字塔として語り継がれている。
 この映画ではハービー、単なる音楽監督だけでなく、主人公デクスター・ゴードンのバンド・メンバーとして、重要な役で出演している。演技レベルはさておき、テーマの性質上、企画制作にも深く関与している。当然、片手間で行なえる仕事ではない。
 そんな状況だったため、いくら『Future Shock』続編を求められたとして、物理的にそんな時間はないし、またそういったテンションにもなれない。ヒップホップ路線の作品が片手間と決めつけるのは乱暴だけど、メインのジャズ製作と比べれば、向き合う姿勢は全然違ってくる。
 で、『Round Midnight』が一段落し、ビル・ラズウェルとのコラボが再開する。するのだけれど、彼らが手がけたのはヒップホップでもジャズでもない、言ってしまえばあさっての方向だった。
 アフリカの弦楽器コラを操るFody Musa Susoとのコラボ作『Village Life』は、静かな流行となっていたエスニック音楽とニューエイジ系とのミクスチャー、要は「ミュージック・マガジン」が絶賛しそうなサウンドだった。ディスコ期突入前のE,W & Fのインスト・ナンバーをヴァージョン・アップしたようなサウンドは、いま聴くと程よいアンビエント感が心地よいのだけど、まぁ第2・第3の「rockit」を求めていたCBSからすれば、肩透かし感もハンパない。質が高いのはわかるけど、こりゃ売れんわな。
 80年代CBSのジャズ・ラインナップは、ウィントン・マルサリスを筆頭とした若手中心の新伝承派と、復活した帝王マイルスによるエレクトロ・ジャズ=ファンク路線を両軸としていた。若手に保守的な懐古ジャズをやらせ、ロートルが革新的なボーダーレス・サウンドを新規開拓してゆくというのも変な話だけど、両極端な戦略というのは、リスクヘッジとしては悪くない。
 ハービーのポジションは当然マイルス寄りだけど、電化一辺倒だけじゃなく、並行してメインストリーム寄りのVSOPもやっていた。ひとつのジャンルで括られることを極端に嫌う人なのだ。

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 もし『Round Midnight』がなかったら、CBSの思惑に沿って、『Perfect Machine』はもっと早く製作されていたのかもしれない。「モダン・ジャズの復権」という崇高な目的の前では、目先のトップ40ヒットにもハービーの食指は動かなかった。ただどちらにせよ、ビル・ラズウェルも当時は売れっ子プロデューサーとして、ジョン・ライドンや坂本龍一、前述のミック・ジャガーに関わっていたため、スケジュール調整は相当苦労しただろうけど。
 で、ある程度まとまった時間が取れたのは、『Sound System』から4年も経ってのことだった。もうこれだけブランクが空くと、煎じるものもドジョウもいなくなってる。
 Run D.M.C.によって、より深く世間に浸透したヒップホップも、一様なオールド・スクールだけではなく、LL cool JやPublic Enemy、Beasty Boysなど、よりクセの強いパフォーマーが台頭していた。そんな秒進分歩の流れにおいて、長く前線を退いていたハービーの感性では、とても太刀打ちできなかった。
 たとえブランクが短かったとしても、粗製乱造と捉えられ、どっちにしろ市場には受け入れられなかったんじゃないか、というのが俺の私見。

 当時のCBSジャズ部門は、経営陣主導による、商業主義と芸術至上主義との振り幅が大きかったため、多くの所属アーティストが翻弄されていた。
 長くCBSの主だったマイルスも、オクラ入りしていた『Aura』のリリースを巡って、当時の副社長ジョージ・バトラーと対立する。交渉は平行線をたどり、最終的にマイルスはCBSと袂を分かち、ワーナーへ移籍する。
 ハービーもまた、そんなマイルスへの処遇を目の当たりにし、CBSに見切りをつける。次回リリースのアルバムを最後に、ジャズの名門レーベル「ヴァーブ」への移籍を決断する。
 そうと決まれば、早めに契約は満了したい。今さらCBSには恩義も義理もないハービー、早速新作に取りかかる。
 言ってしまえば契約消化のための作品なので、CBSの利になるモノは作りたくない。かといって、単純な手抜きの駄作はプライドが許さないし、ファンにも失礼だ。名を汚さない程度のクオリティは保っておきたい。
 イチから企画立ち上げは面倒だし、良い企画ならヴァーブで使いたい。どちらにせよ後ろ向きな企画なので、モチベーションも上がりようがない。
 そうなると、誰かにお膳立てしてもらうしかない。じゃあやっぱビルだよな。
 せっかく2人でやるんだったら、CBSのお望み通り、時代遅れのヒップホップでもやってみようか。どうせ売れないだろうけど、強引に「3部作完結!」とか言えるし。
 
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 始まる前までは気乗りがしなかったはずだけど、スタジオに入れば気持ちも切り替わり、いつも通りのプレイを披露している。前2作ではビル・ラズウェルのサウンド・プロダクトがかなり強かったけど、3作目ともなると自身のソロもちょっと多めになっている。
 セッションが進むにつれてミュージシャン・シップも触発されたのか、いつものフェアライトだけじゃなく、様々なヴィンテージ・エレピまであれこれ引っ張り出してきている。それに対してビル・ラズウェル、クレジットはされているけど、ほとんど何もしてねぇ。
 当時、Pファンクもラバー・バンドも自然消滅し、ビル・ラズウェル絡みの仕事が多かったブーツィー・コリンズ、協調性とは無縁の人なので、脈絡もないフレーズをブッ込んできたり、相変わらずのやりたい放題ぶりである。アンサンブル?何それ。
 そんな異物をも寛容に受け入れるハービーの懐の深さ、という見方もあるけど、いや単にどっちでもよかったんだろうな。まとめるような音楽じゃないし。
 楽面で言えば、取り立てて新機軸はないのだけど、これまで履修してきたヒップホップのエッセンスと、ジャズ以外のエッセンスも貪欲に取り込んできた末に培われたリズム・パターン、そして、スパイスのくせに粘着力の強い、ブーツィーのベタっとしたベース・ラインとがごちゃ混ぜになった怪作に仕上がっている。
 しかし、レーベルの置き土産となる、有終の美を飾るはずの作品が、これとは。マスター・テープを受け取ったCBSディレクターの微妙な表情がチラついてしまう。


Perfect Machine
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1. Perfect Machine
 テレビのドキュメンタリーやバラエティのバックで使われることが多いため、結構な確率で耳にしたことのある人が多い。ファンクというよりはテクノ・ポップ成分が強く、フュージョン寄り。なのでBGMとしての汎用性が高い。

2. Obsession
 サンプリング音源を多用したエレクトロ・ファンク。これ見よがしなスクラッチやヴォコーダーは、この時代、すでに古びた印象となっていた。もう3年早ければ、大御所のお戯れとして許されたかもしれないのに、タイミングが悪すぎた。
 ヴォーカルを取るのはオハイオ・プレイヤーズのシュガーフット。オハイオ自体がドメスティックなドロドロのファンクなので、逆にこういった無機的なサウンドとのミスマッチ感を狙ったのだろう。案外面白いんだけど。

3. Vibe Alive
 ブーツィーのリズム・アプローチが前面に出た、ボトムの効いたファンク。キャッチ―なサビは当時のソフト・ファンクにも引けを取らぬメロディとなっており、実際R&Bチャートでも25位と健闘した。ハービーの場合、こういったファンク・アプローチの場合は自身が前面に出ない方が出来がよい。



4. Beat Wise
 ビル・ラズウェル仕切りによって、ブーツィーに自由奔放にやらせたら、こんな感じになりました的なトラック。どんな状況でも対応してしまうハービーゆえ、予測不能のブーツィーのフレーズにもちゃんとカウンターを決めている。最後に、できあがったベーシック・トラックにビルがエフェクトかましたりスクラッチ入れたりすると、どうにか形になってしまう。

5. Maiden Voyage/P. Bop
 「処女航海」のリメイクというより、ヒップホップのトラック作成にサンプリング素材として使用したトラック。US3 がヒットさせた「Cantaloop Island」のように、ジャジー・ラップでのアプローチなら、もっとスマートだったのかもしれないけど、まぁビル・ラズウェルだし一筋縄ではいかない。そんなうまくまとめようだなんて、ハービーだって思っていなかっただろうし。

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6. Chemical Residue
 ラストはほぼハンコック主導、崇高ささえ漂うメロディアスなフュージョン。サンプリングも多用しているのだけど、あくまで隠し味的な使い方で、メロウさを前面に押し出したサウンド・アプローチは嫌いじゃない。でも耳障りが良すぎる分、ディスカバリーやナショナル・ジオグラフィックのBGMに収まっちゃうんだよな。




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誇大表現じゃないよ、マジのお宝音源(ちょっと下品だったな)。 - John Coltrane『Both Directions at Once: The Lost Album』

analysis-032-cover 映画『スウィング・ガールズ』にて、高校の数学教師役で出演している竹中直人のエピソード。田舎のパラサイト中高年男性にありがちな、オーオタかつジャズオタの竹中。学校ではサエない風采だけど、それは仮の姿。自室に金にモノを言わせた高級オーディオをズラリと並べ、終日往年のジャズLPを大音量で鳴らして悦に入っている。
 職場ではそんな態度をつゆほど見せず、あくまで密かな愉しみとして、昼行灯のような無気力教師を演じていた竹中、そんな中、ブラバンの顧問を探している生徒たちに自宅を急襲され、裏の顔がモロばれしてしまう。同好の士として快諾すると思いきや、なぜか固辞する竹中。生徒らがどれだけ頭を下げても、その決心は変わらなかった。
 シーンは変わって、同じ町の音楽教室。田舎ゆえ、生徒数は3人程度のこじんまりしたもの。小学生も混じってる顔ぶれから見て、初級クラスと察せられる。
 谷啓演じる講師に指名され、サックスを構える竹中。おもむろに立ち上がり、激しいブロウ中心のフリープレイを披露するのだけれど、すぐさま止められる。「基本的な運指やタンギングもできてないのに、形から入っちゃダメ」と諭され、しょげる竹中。子供にバカにされる竹中。

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 長々と書いちゃったけど、俺が思うところのコルトレーンのイメージとは、だいたいこんな感じである。実際の劇中設定では、アルバート・アイラーをモデルとしたらしいけど、末期のコルトレーンをマネしようとしたら、だいたいこんな感じになるんじゃないかと思われる。
 実際にコルトレーンをちゃんと聴いたことがない層、いわゆるライト・ユーザーが思い浮かべる彼のビジュアル・イメージは、名盤『My Favorite Things』のジャケットが最も多い。ちゃんと集計を取ったわけじゃないので、ソースも何もないけど、最大公約数として一番有名なのはこのアルバムだし。
 神妙な面持ちでソプラノ・サックスを構えるコルトレーン。正直、くすんだブルー・バックと赤のデザイン・ロゴの組み合わせはミスマッチで、もうちょっと何とかならなかったのかね、と突っ込みたくなってしまう。
 総じてコルトレーンのデザイン・アートワークは、往年のジャズ・アルバムと比して、あまりセンスの良いものではない。末期になると、時代の流れで変なサイケ風味が入ってきて、さらに行先不明なものになってゆく。
 あ、でもそれはそれで、内容に偽りなしか。

 何となく聴きかじったところからもう少し先、ジャズ沼に片足を深く突っ込んだところで見えてくるのが、これまた名盤『至上の愛』のジャケットである。神妙な顔つき具合は『My Favorite Things』ともタメを張るけど、モノクロ写真のため、世界観とうまくフィットしている。やっぱジャズのアートワークは、モノクロがハマるよな。
 さらにさらに先に進み、インパルス後期にまで足を踏み入れると、混沌のアバンギャルド・ジャズ一色になってくる。ここまで来ちゃうと、もはや存在という概念を超越した世界。
 解脱した修行僧のような佇まいから漂ってくるのは、問答無用のコルトレーン・ワールド。「聖者になる」と発言したのがちょうどこの頃で、もう天衣無縫のやりたい放題。凛とした佇まいから吐き出される音の洪水は、人智を超えた不可知論の世界でとぐろを巻いている。
 そんな混沌を瞬時に的確に表現したのが、冒頭の竹中直人だった、という結論にたどり着くまで、長々と書いてしまった。ごめん、これもただ書きたかっただけなんだ。

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 ジミヘン同様、生前より没後の方がリリース数の多いコルトレーン、こうしている今もアーカイブの発掘・整理作業は連綿と続けられている。今年リリースされた『The Lost Album』は、ライブ物中心だったこれまでのリリースとは傾向が違って、スタジオ未発表音源ということもあってインパクトが強く、ジャズ村界隈以外でも大騒ぎになったのは、記憶に新しい。
 時々思い出したように、このようなお宝アイテムがリリースされるということは、もちろん市場のニーズあってこそだけど、まだまだ発掘調査の余地が残されている、ということなのだろう。インパルスやアトランティックの倉庫には、まだ封されたままのマルチトラック・テープがゴロゴロしてるんだろうし。
 いや、もう裏ではきちんとカタログ化されてるのかな。小出しにしてった方が、ビジネス的には賢い選択だし。
 ただジミヘン同様、もし彼が今も生き長らえていたとしたら。心身ともに健康なまま、活動を継続していたとしたら、現在のような評価がされていただろうか、と。
 それはちょっと疑問である。

 インプロ中心の独演会と化していた末期の演奏は、もはや本人にも収拾不能の大風呂敷プレイとなっていた。その音はもはや、聴衆に向けて放たれたものではなく、コルトレーンの内的宇宙へ収斂し、そして完結する。
 彼が影響を受けたカバラやインド思想を勉強して聴いたとしても、さらに混迷を極めるばかり。わかったつもりでいても、またすぐわからなくなる。
 ハマればハマるほど、そのサウンドは共感を拒む。いずれにせよ、一見さんに優しい音楽ではない。
 コルトレーンの死後、ジャズ界は一気に電化フュージョンの流れとなる。青息吐息のモダン・ジャズは、BGM用途のイージー・リスニングか、極東のマニアの慰みものとして、辛うじて命脈をつなぐことになる。なので、さらに風当たりの強いアバンギャルド・ジャズは、居場所がなくなる。
 「聴衆の共感を得ることから降り、頑なに求道者のごとく我が道を突き進むコルトレーン、その前衛さゆえ、アメリカ本国での人気は、次第に下降線を辿ってゆく。ファンへの迎合を潔しとせず、まだフリー・ジャズに寛容なヨーロッパへ活路を見いだし、シーツ・オブ・サウンドの探求を続けることになる」。
 なので、メインストリームでの活動は難しかったんじゃないか、というのが俺の私見。

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 コルトレーン自ら制御することをやめてしまったインパルス末期のサウンドは、いわゆる上級者向けである。この辺の発掘音源は、史料的価値は高いのだけど、日常的に聴くものではない。ていうか、それはかなり無理ゲーである。
 これまでもコンスタントに発掘音源がリリースされていたコルトレーンだけど、今年の『The Lost Album』が特別盛り上がったのは、それなりの理由がある。もちろんスタジオ未発表音源というのが大きなセールス・アピールではあったけれど、レコーディング時期が1963年だったというのが大きい。多くのジャズ・ファンのテンションと血糖値が爆上げしたのは、これが大きい。
 63年のコルトレーン・サウンドは、まだフリー・ジャズに足を踏み入れる直前だったため、わりかしモダン・ジャズ寄りである。なので、「ちょっとアドリブ・ソロが長いモダン・ジャズ」といった印象なので、ビギナーにもやや聴きやすい。
 これが65年くらいになると、アドリブが冗長になって暴走しかけてくる。ウブな素人に聴かせるには、ちょっと刺激が強い。完全コンプを狙うマニア以外には、ちょっとおススメしづらくなる。
 なので、63年のスタジオ・アウトテイクというのは、全ジャズ・ファンに広くアピールできるお宝音源と言える。世事の煩悩から解脱した末期と違って、この頃はまだレコード・セールスやファンの反応を気にしていたコルトレーン、ウケの良いバラード集やジャズ・ヴォーカルとのコラボも積極的に行なっている。

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 BGMとしての機能はまるでない末期のアルバムを聴くには、相応の覚悟が求められる。疲れてる時や、風邪をひいてる時なんかに聴くものではない。ちゃんと体調とメンタルを整えてからでないと、心も体も悪化する。
 とはいえ、体調は万全、ポジティブな気分の時は聴く気になれない。なので、結局先延ばしになってしまう。
 その日の気分で棚からひと摑み、という音楽ではない。学ぶ姿勢、時にはねじ伏せる姿勢じゃないと、末期コルトレーンとは向き合えないのだ。
 で、そんな肩ひじ張った態度ではなく、もっとジャズを楽しむことができる時代の音源が、こういったまとまった形で発掘されたのは、素直に喜んでいい。
 飽くことなきクオリティの追求は、ある瞬間から大衆性を超えてしまう。どれだけ純度の高い作品だったとしても、聴き手の感情移入の余地がなければ、それは単なる空気の振動に過ぎないのだ。
 マッコイ・タイナー(P)、ジミー・ギャリソン(B)、エルヴィン・ジョーンズ(Dr)という黄金期カルテットのセッションは、すでに円熟期に達している。もはや既存ジャズのフィールドで、この4人でできることは、それほど残されてなかった。
 完成形をさらに極めることもひとつの手立てだけど、つねに前進するべく、ストイックな姿勢を崩さなかったコルトレーン。商業的なニーズを考えるのなら、この路線を維持した方がもちろんいいわけだけど、それと相反するプレイヤビリティが、次第に音楽性の混沌を導くことになる。
 マッコイ抜きで行なわれた、トリオ編成でのセッションは、そんなコルトレーンの心境の変化のあらわれとも言える。主旋律を導き出すのは自分であり、そしてまた壊すのも自分。
 ていうか、もう整ったメロディはいらない。
 このテイクが63年当時に発表されていたら、フリーへの転身ももう少しスムーズだったんじゃないかと思われる。


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1. Untitled Original 11383
 タイトルさえつけられなかった完全未発表曲のひとつ。この時点で、すでにジャズ界随一のソプラノ・サックス使いとして名を挙げていたコルトレーン。ていうか、ほぼこの人くらいしか使っていなかったけど。
 ある意味、このメンバーの中では常識人だったマッコイの堅実なプレイが、自由奔放なメンバーのプレイをうまく集約させている。みんながみんな野放図だったら、まとまるものもまとまらないもんな。3分過ぎからジミー・ギャリソン、アルコ(弓での演奏)も聴かせてるし。
 プレイ以外の面、楽曲自体は実のところ、そこまで特筆するほどのものではない。そりゃ並みのミュージシャンと比べたらハイレベルだけど、当時の彼らとしてはウォーミング・アップ程度のものだったんじゃないかと思われる。すっきり5分程度でまとめてるし。

2. Nature Boy 
 ナット・キング・コールによってヒットした、いわゆるジャズ・スタンダード。バンドの理性を司っていたマッコイ抜きのレコーディングとなっており、そんなわけでリズム隊がクローズアップされている。ビート感の強いアフロ・リズムは、メロディアスな楽曲にはちょっとミスマッチだったんじゃないか、と俺の私見。コルトレーンのプレイも無理やりねじ伏せてる感が強く、消化不良のまま3分程度で締めくくっている。

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3. Untitled Original 11386 
 志半ばで終わった2.とは打って変わって、アトランティック期のメロディアス感を彷彿させるソプラノ・チューンは、新旧問わず、多くのファンを納得させる。どこかで聴いたようなフレーズが散見されるけど、でもいいじゃんベタでも。緩やかに統率された中でのコルトレーンの暴走、そして時折ペースダウンを促すかのように割り込んでくるマッコイのソロ。でもお互い、譲ろうとしないんだよな。何とか形になっちゃってるんだけど。



4. Vilia
 ジャズ・スタンダードのカバーらしく、あまりコルトレーンっぽさの感じられないナンバー。最初のソロなんてソニー・ロリンズみたい。もちろん次第にこじれて屈折した詰み込みプレイに変化してゆくのだけど、まぁ彼にこういったのは求めないよな。

5. Impressions
 このアルバムの中ではテンポも速く、グルーヴ感も極まってるチューンだけど、数々のライブ・テイクと比べたら全然大人しい。コルトレーン沼にはまると、あっさりして物足りないくらい。マッコイ不在によってリミッターは外れてるけど、スタジオ・テイクな分だけ、クレバーな演奏。

6. Slow Blues 
 考えてみればこのアルバム、まとまった形のマテリアルがまるまる未発表だったわけではなく、単に同じ時期のテイクを並べたものである。なので、一貫したコンセプトで括られてるわけではなく、いわゆる寄せ集めてきな色彩が強い。
 そんなわけで、こういったストレートなブルースはちょっとミスマッチ。正直、11分は冗長。テオ・マセロなら、この半分でまとめちゃったかもしれない。

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7. One Up, One Down
 2005年に発掘された、ハーフ・ノートでの同名ライブ・アルバムのスタジオ・ヴァージョン。多くの人同様、俺的には、ライブ・ヴァージョンの方を先に聴いてるので、スタジオ録音は何だかかしこまってるよなぁ、といった印象。
 ジャズの場合、スタジオ録音=オリジナル・ヴァージョンとは単純に言えないので、先に世に出た方がインパクトが強くなるのはやむを得ない。それでもこのテイクが無視できないのは、やはり完成されたアンサンブルと圧倒的な録音レベルの高さ。ジミーもエルヴィンもマッコイも、みんなにきちんと見せ場がある。そして、彼らの挑発的なプレイを悠々と受け止めるコルトレーン。
 この時代はいい意味で、いわゆる「ジャズ」の範疇にある。この後も面白くなってゆくのだけど、まぁ聴く人を選ぶわな。



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「ゴチャゴチャ言わんと聴かんかい」という音楽 - Miles Davis 『Get Up With It』

folder 1974年リリース、引退前最後のMilesバンド、1970年から74年にかけてレコーディングされた未発表曲のコンピレーション。後年になって評価が高まった電化マイルス期のスタジオ録音というのは、1972年の『On the Corner』までであり、それ以降の作品はすべてライブ録音である。そういえばそうだよな、改めて気づいた。
 多分、この時期のMilesはアルコールとドラッグによる慢性的な体調不良を抱えていたため、支払いが遅く時間の取られるスタジオ作業より、チャチャっと短時間で日銭の入るライブに重点を置いていたんじゃないかと思われる。野放図な当時の生活を維持するため、コロンビアのバンスもバカにならない金額になっていただろうし。
 とはいえ、まったくスタジオに入らなかったわけではない。この時期のセッションを収録したコンピレーションは、以前レビューした『Big Fun』もあるし、裏も表も含めて発掘された音源は、そこそこある。
 この時期のMilesセッションは、「長時間テープを回しっぱなしにして、後でスタジオ編集」というスタイルが確立していたため、マテリアルだけは膨大にあるのだ。それがまとまった形にならなかっただけであって。

 実際、収録されているのは、そのとっ散らかった72年から74年のセッションが中心となっており、70年のものは1曲だけ。その1曲が「Honky Tonk」なのだけど、メンツがまぁ豪華。John McLaughlin、Keith Jarrett、Herbie Hancockと、当時でも十分重量級だった面々が名を連ねており、これだけ聴きたくて買った人も相当いたんじゃないかと思われる。
 リリース当時は、酷評か黙殺かご乱心扱いだった『On the Corner』の布陣では、プロモーション的にちょっと引きが弱いので、無理やり突っ込んだんだろうな。Miles もコロンビアも、そのくらいは考えていそうだもの。

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 前述したように、この時期のMilesのレコーディングは、1曲通しで演奏したテイクが完パケとなることが、ほぼなかった。『On the Corner』も『Jack Johnson』も『Bitches Brew』も、プロデューサーTeo Macero による神編集が施されて、どうにか商品として出荷できる形に仕上げられている。
 「テーマとアドリブ・パートの順繰りをざっくり決めて、チャチャっと何テイクかセッション、デキの良いモノを本テイクとする」、そんなジャズ・レコーディングのセオリーとは明らかに違う手法を確立したのがMilesであり、彼が生み出した功罪のひとつである。プレスティッジ時代に敢行した、超スパルタのマラソン・セッションを経て、既存の手法ではジャズの枠を超えられないことを悟ったMilesがたどり着いたのが、レコーディング設備をも楽器のひとつとして捉えるメソッドだった。当時のポピュラー・シーン全般においてもあまり見られなかった、偏執狂的なテープ編集やカットアップは、電化に移行しつつあったMilesとの相性が格別良かったと言える。

 メロディやテーマもコードも埋もれてしまう『On the Corner』で確立されたリズムの洪水は、セッションを重ねるごとにインフレ化し、次第にポリリズミカルなビートが主旋律となる。メインだったはずのトランペットの音色も、電化によって変調し増幅され、音の洪水に埋没してゆく。制御不能となったリズムに身を委ね、自ら構成パーツのひとつとなることを望むかのように。
 『On the Corner』までは、バンマスとしての役割を辛うじて果たしてはいたけど、これ以降のMilesは、自ら生み出したリズムの怪物に振り回され、侵食されてゆく過程を赤裸々に描いたと言ってもよい。
 「混沌をコントロールする」というのも妙な話だけれど、『On the Corner』期のセッションでは、そのヒントが得られたはずだった。JBやSlyによって発明されたリズムからインスパイアされ、メンバーにもファンクのレコードを繰り返し聴かせた、というエピソードが残っているように、新たな方向性を見出して邁進するMilesの昂揚感が刻まれている。

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 「じゃあ、さらにリズムのインフレを人為的に起こしたら、一体どうなるのか?」というフィールド・ワークが、いわばこの時期のライブであり、スタジオ・セッションである。エンドレスに続くリズム・アンサンブルから誘発されるグルーヴ感に対し、無調のメロディをカウンターとしてぶつける、というのが、当時のMilesのビジョンだったんじゃないかと思われる。
 大勢による複合リズムに対抗するわけだから、単純に音がデカい、またはインパクトの強い音色でなければならない。なので、Milesがエフェクターを多用するようになったのも腑に落ちる。もはや「'Round About Midnight」のような繊細なプレイでは、太刀打ちできないのだ。
 「俺のソロの時だけ、一旦ブレイクしろ」と命令も無意味で、それをやっちゃうと、サウンドのコンセプトがブレる。リーダーの一声で制御できるリズムなんて、Milesは求めていないのだ。
 強いアタック音を追求した結果、ギターのウェイトが大きくなるのも、これまた自然の流れである。ただ、Milesが求めるギター・サウンドは、一般的なプレイ・スタイルではなかった。かつてはあれだけお気に入りだったMcLaughlinの音でさえ、リズムの洪水の中では大人しすぎた。
 カッティングなんて、気の利いたものではない。弦を引っ掻き叩く、まるで古代の祝祭のごとく、暴力的な音の塊、そして礫。流麗さや優雅さとはまるで対極の、感情のうねりと咆哮-。

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 そんな流れの中では、どうしても分が悪くなるのが、ピアノを筆頭とした鍵盤系。アンプやエフェクトをかませてブーストできるドラムやギターの前では、エレピやオルガンは立場が薄くなりがちである。
 もう少しパワーのあるシンセだって、当時はモノフォニック中心で、スペック的には今とは段違い、ガラケーの着メロ程度のものだったため、あまりに分が悪すぎる。メロディ・パートの表現力において、ピアノは圧倒的な優位性を有してはいるけど、でも当時のMilesが求めていたのは、そういうものじゃなかったわけで。
 リズム志向とは別枠で、電化マイルスが並行して模索していたのが、Stockhausenにインスパイアされた現代音楽の方向性。メロディ楽器というより、一種の音源モジュールとしてオルガンを使用、自ら演奏しているのが、収録曲「Rated X」。ゾロアスターの教会音楽や二流ホラー映画のサントラとも形容できる、既存ジャズの範疇ではくくれない実験的な作品である。
 ただこういった使い方だと、いわゆるちゃんとしたピアニスト、KeithやHerbie、またChick Coreaだって使いづらい。言っちゃえば、単なるロング・トーンのコード弾きだし、いくらMilesの指示とはいえ、やりたがらないわな。

 「ジャズに名曲なし、名演あるのみ」という言葉があるように、ジャズの歴史は主に、プレイヤビリティ主導で形作られていった。すごく乱暴に言っちゃえば、オリジナル曲もスタンダード・ナンバーも、あくまでセッション進行の目安に過ぎず、プレイヤーのオリジナルな解釈やテクニック、またはアンサンブルが重視される、そんなジャンルである。
 スウィングの時代なら、口ずさみやすいメロディや、ダンスに適したノリ重視のサウンドで充分だったけど、モード・ジャズ辺りから芸術性が求められるようになる。「ミュージシャン」が「アーティスト」と呼ばれるようになり、単純なビートや旋律は、アップ・トゥ・デイトな音楽と見なされなくなっていった。
 時代を追うに従って、ジャズの芸術性は次第に高まっていった。そんな中でも先陣を切っていたのがMilesである。若手の積極的な起用によって、バッサバッサと道なき道を開拓していった。

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 ただ、ジャズという枠組みの中だけでは、新規開拓も限界がある。60年代に入ったあたりから、モダン・ジャズの伸びしろは頭打ちを迎えることとなる。
 プレイヤーの表現力や独創的な解釈に多くを頼っていたモダン・ジャズは、次第にテクニック重視と様式美に支配されるようになる。ロックやポップスが台頭する中、冗長なインタープレイと腕自慢がメインとなってしまったジャズは、すでに伝統芸能の領域に片足を突っ込んでいた。
 ヒップな存在であったはずのMilesが、そんなジャズの窮状に明確な危機感を感じたのが、ファンクの誕生だった。「-今までやってきた音楽では太刀打ちできない」、そう悟ったのだろう。
 いわば電化マイルスとは、既存ジャズへの自己否定とも言える。好き嫌いは別として、モード以降のジャズを作ったのがMilesであることは明確だし。

 これまでのジャズの人脈とはちょっと外れたミュージシャンを集め、冗長なアドリブ・パートを廃し、ひたすら反復リズムを刻むプレイに専念させる。そこにスター・プレイヤーや名演は必要ない。集団演奏によって誘発される、邪悪でデモーニッシュなグルーヴ。それが電化マイルスの基本ビジョンだったと言える。
 これまでジャズのフィールドにはなかった現代音楽やファンク、エスニックの要素を取り入れた、複合的なごった煮のリズムとビートの無限ループ。その音の洪水と同化しつつ、クールな頭脳を保ちながら最適なソロを挿し込む作業。その成果のひとつ、電化マイルスの第一の到達点が『On the Corner』だった。

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 じゃあ、その次は?
 Milesが隙間なく組み上げたサウンドとリズムの壁は、盤石なものだった。なので、あとはもう壊してゆくしかない。
 ただ、完璧に壊すためには、完璧に創り上げなければならない。もっとリズムを・もっと激しく。リズムのインフレの始まりである。
 こうなっちゃうと、もう何が何だか。どこが到達点なのかわからなくなる。
 -完璧なサウンドなんて、一体誰が決める?
 そりゃもちろんMilesだけど、そのジャッジはとても曖昧だ。ただでさえ、酒やドラッグで精神も脳もやられているため、朝令暮改が日常茶飯事になる。昨日言ったこと?ありゃナシだ。もう一回。
 未編集のまま放り出された録音テープが溜まりに溜まり、いつものTeoに丸投げするけど、もはや彼の手にも追えない。だって、あまりに脈絡が無さすぎるんだもの。どう繋いだり引き伸ばしたりしても、ひとつにまとめるのは無理ゲー過ぎ。

 なので、『On the Corner』以降の作品が、このようなコンピレーションかライブ編集モノばかりなのは、致し方ない面もある。逆に言えば『Get Up With It』、無理にコンセプチュアルにまとめることを放棄し、多彩な実験を無造作に詰め合わせたことによって、当時のMilesの苦悩ぶりが生々しく表現されている、といった見方もできる。
 誰もMilesに「ハイ、それまでよ」とは言えなかった。自ら崩壊の過程を線引きし、その線をなぞるように坂道を転げ落ち、最期のアガ・パンにおいて、志半ばで前のめりにぶっ倒れた。
 後ろ向きには倒れなかった。これが重要なところだ。試験に出るよ。





1. He Loved Him Madly
 1974年、ニューヨークで行われたセッション。レコーディング中、Duke Ellingtonの訃報の知らせを聞き、追悼の意を込めてプレイされた。そんな事情なので、ミステリアスな沼の底のような、地を這うようなサウンド。呪術的なMtumeのパーカッションと交差するように、ジャズと呼ぶにはオルタナティヴ過ぎなPete Coseyら3本のギター。ジャズとして受け止めるのではなく、かなりイっちゃったプログレとして捉えことも可能。あんまり抑揚のないプレイだけど、Pink Floydがジャズをやったらこんな感じ、と思えば、案外スッと入ってこれるんじゃないかと思われる。
 ちなみにMiles、前半はほぼオルガンに専念、後半になって浮遊感に満ちたワウワウ・ソロを披露している。

2. Maiysha
 一昨年話題となった、Robert Glasper & Erykah Baduコラボ曲の元ネタ。1.とほぼ同時期に行われた、カリプソ風味のセッション。またオルガンを弾いてるMiles。この頃、マイブームだったんだろうな。
 カバーだオリジナルだと区別する気はないけど、この曲においては、Glasperのアイディア勝ち。Erykah Baduもこういったコラボにお呼びがかかることが多いけど、シンガーに徹したことによって、変なエゴが抑えられて程よい感触。
 Milesが土台を作ってGlasperがコーディネート、彼女によって完成された、と言ってもいいくらい、渾身のクオリティ。漆黒の重さを求めるならオリジナルだけど、ポップな歌モノを求めるなら断然こっち。多分Miles、Betty Davisにこんな風に歌って欲しかったんじゃないか、と勝手に妄想。



3. Honky Tonk
 ジャズ・ミュージシャンがロックをやってみたら、こうなっちゃました的な、McLaughlinのためのトラック。一瞬だけスタメンだったAirto Moreiraのパーカッションが泥臭い風味で、単調になりがちなサウンドにアクセントをつけている。まだ電化の発展途上だった70年のレコーディングなので、Milesもオーソドックスなプレイ。彼が思うところの「ロック」はブルースに大きく寄っており、ジミヘンの出すサウンドに傾倒していたことが窺える。
 そんな感じなので、KeithとHerbieの影はとてつもなく薄い。どこにいる?

4. Rated X
 「人力ドラムン・ベース」と俺が勝手に評している、キャリアきっての問題作。要はそういうことなんだよな。ジャズというジャンルからとことん離れようとすると、ここまで行き着いちゃうってことで。テクノと教会音楽が正面衝突して癒着してしまったような、唯一無二の音楽。無限リズムの中を徘徊し、気の赴くままオルガンをプレイするMiles。本職なら選びそうもないコードやフレーズを放り込みまくっている。



5. Calypso Frelimo
 カリプソとネーミングされてるため、享楽的なトラックと思ってしまうけど、実際に出てくる音は重量級のファンク。『On the Corner』リリース後間もなくのセッションのため、余韻がハンパない。なので、ワウワウを効かせまくったMilesのプレイも至極真っ当。このタッチを深く掘り下げる途もあったはずなのだけど、サウンドの追及の末、ペットの音色さえ余計に思うようになってしまう。

6. Red China Blues
 1972年録音、珍しい名前でCornell Dupree (G)が参加、ドロドロのブルース・ナンバー。ハーモニカはうなってるし、ホーン・セクションもR&B風。「へぇ、よくできまんなぁ」と絶賛したいところだけど、誰もMilesにオーソドックスなブルースは求めていないのだった。ギターで弾くフレーズをトランペットで鳴らしているあたり、こういった方向性も模索していたんだろうけど、まぁそんなに面白くはない。自分でもそう思って、ボツにしちゃったんだろうな。

7. Mtume
 レコードで言うD面は人名シリーズ。タイトル通り、パーカッションをフィーチャーしたアフロチックなナンバー。もはやまともなソロ・パートはなく、引っかかるリフを刻むギター、そしてパーカッションの連打連打連打。
で、Milesは?存在感は薄いけど、最後の3分間、ビートを切り裂くようなオルガンの悲鳴。さすがフレーズの入れどころがわかってらっしゃる。

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8. Billy Preston
 あのBilly Preston。Beatles 『Let it Be』で一躍脚光を浴びた、あのBilly Prestonである。ソウル好きの人なら、「Syreetaとコラボした人」と思ってるかもしれない。でもこのセッションBlly Prestonは参加してないという不思議。どこいった?Bille Preston。
 曲自体はミドル・テンポの軽めのファンク。このアルバムの中では比較的リズムも安定しており、Milesも真っ当なプレイ。あ、こんな言い方じゃダメだな、電化が真っ当じゃないみたいだし。





 

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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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