好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#80年代ソニー・アーティスト列伝

80年代ソニー・アーティスト列伝 その8 - ラッツ & スター 『Back to the Basic』

folder 1996年にリリースされた、全キャリアを総括するベスト・アルバム。この時期はほぼ各自ソロ活動をメインとしており、グループとしては開店休業状態が長く続いていたのだけど、ネズミ年というお題目で活動再開、かつての音楽的師匠大滝詠一作「夢で逢えたら」のカバーをシングルとしてリリース。並行して、久々の全国ツアーも敢行、共に好評を得た。アニバーサリーの締めくくりとして、初の紅白出場を果たしたのは、俺的に記憶に新しい。曲前のマーチンのコメントは、全国のナイアガラ・ファンを感涙に導いた。
 「80年代ソニー」というくくり上、ほんとは80年代にリリースされたアルバムを取り上げたかったのだけど、シングル中心のグループだったし、正直オリジナル・アルバムはほとんど聴いてない。「夢で逢えたら」以外は80年代にリリースされたものばかりなので、今回は特例で。

 今でこそアーバンな大人の歌手的な雰囲気を醸し出したマーチンのキャラクターが浸透しているけど、デビュー当初のシャネルズは正直、イロモノ感が拭えなかった。黒人ドゥーワップ・グループへのリスペクトを表した靴墨メイク(ほんとはただのドーランらしいけど)などは、小難しく眉間に皺を寄せて音楽を語る層から敬遠されていたものだった。当時のロック/ポップス業界というのは血気盛んな輩が多く、パロディ的な表現を鷹揚に受け入れる土壌はまだなかった。
 その反面、彼らが出てきた80年代前後の日本の音楽シーンはまだ黎明期、業界全体のシェアも小さかった分、結構アバウトな雰囲気が蔓延していた。この時代の音楽業界とは、誤解を恐れずに言えば、一般社会からドロップアウトしてきた者たちの吹き溜まりであり、管理されることを嫌う者の集まりだった。まだマーケティングという概念が浸透していなかった時代である。なので、目立つことを優先して好き勝手にやってるアーティストも多かった。
 頭にミニアンプを括りつけて超絶ギター・プレイをキメる、うじきつよし率いる子供ばんど、日本では珍しくホーン・セクションをメインとした、新田一郎率いる大所帯ブラス・ロック歌謡バンドのスペクトラムなど、唯一無二のキャラクターと強いインパクトを持つバンドがテレビに出ていたのが、80年代初頭という時代である。まだJポップ・サウンドが確立されていなかった当時、どのバンドも共通して海外アーティストへの憧れを強く持ち、そのリスペクトをストレートに形に表していた。
 そういえばサザンだって、昔はサザン・ロックをベースにしたコミック・バンドみたいな売られ方だったよな、焼きソバUFOのCMに出てたりしたし。

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 シャネルズのコミック・バンド的な扱いが、果たして本人たちの意に沿うものだったのかははっきりしないけど、その後のマーシーと桑マンのバラエティ方面での才能の開花を見ると、その場その場の状況を楽しんでいたと思われる。シャネルズというホームグラウンドがあったからこそ、彼らも外部活動で思い切りハジけることができたのだろう。
 もともとライブ・シーンから這い上がってきた人たちなので、ステージ回しはお手の物だし、そんなステージ・トークの軽妙洒脱さを大滝詠一は見初めたのだろうし。マーシーと桑マンの2人がおチャラけて、強面のマーチンが突っ込みながら、ボソッとオチをつける。完成されたコントの鉄板の方程式である。笑われるのではなく、笑わせる姿勢という点においては徹底している。

 アルバム・アーティストの多かったエピックの中では珍しく、シングル中心の活動だったラッツ。モッズや佐野元春など、アクが強く恒常的なシングル・ヒットとは縁遠かった初期エピックのメンツの中で、キャッチーなシングル・ヒットを量産できる彼らは、日銭を稼ぐことのできる貴重な存在だった。彼らの小まめな営業やドサ回りによって得た運営資金を、アルバム・リリース中心のアーティストに投資することによって、後の80年代ソニーの黄金時代の下地を築いたと言える。
 ビジュアル面では無頓着の極みだったはっぴいえんどがパイオニアとして位置付けられているせいもあってか、日本のロック/ニューミュージック史において、積極的なテレビ出演も厭わなかったシャネルズのような存在は、どうしても軽視されがちである。実質的な稼ぎ頭として、営業成績的には多大な貢献をしているのだけど、軽妙過ぎる楽曲とキャラクターによって、現役活動中は正当な評価をされなかった。ラッツに改名後、大滝詠一プロデュースによる『Soul Vacation』が話題となり、これが正統派アーティストとしての転換点になるはずだったのだけど、あいにくセールス的には微妙だったため、次第に活動はフェードアウト、マーチンのソロがメインとなってゆく。
 ちなみにそのマーチン、シャネルズ・デビューから現在まで、一貫してエピック所属であり、これはレーベル内でも最長記録を誇っている。マーチン自身の義理堅さもあるけど、エピック的にもそれまでの貢献に報いている部分もあるのだろう。今だって確実なラインまでセールスを上げることができるし、そのラインは同世代のアーティストの中でもかなりの高水準である。

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 日本のポピュラー・シーンのメンバー構成はソロかバンドが中心であり、少数派としてデュオがそれらに続く。そして複数編成のコーラス・グループとなると、さらに少数派となる。60年代にそのピークを迎えた歌謡ムード・コーラスの全盛期を過ぎてからは、プロとしてのコーラス・グループは数えるほどしかいない。
 今世紀に入ってから、ティーンエイジャーとフジテレビ主導による「ハモネプ・ブーム」が瞬間的に盛り上がったけど、次の世代へ繋げることができず、結局一過性のものとして終わってしまった。日本でコーラス・グループを定着させることは、メディアの力をもっても難しいようである。
 ラッツもそうだけど、実質的に直系とも言えるゴスペラーズもまた、ポジション的には微妙である。往年のソウルショウをベースとしたライブは盛り上がるし、夏フェスの映像などを見ると、彼らのステージは大盛況を博している。いるのだけれど、何となく上がっちゃった感、セールスのピークは過ぎちゃった感が強い。
 ラッツにも彼らにも言えることだけど、いざとなれば身ひとつでステージに立ってアカペラで乗り切れるスタイルのため、通常のバンド・スタイルと比べてコスト・パフォーマンスは良い。無理に時流に乗ることもなく、「マイペースでやってってくれればそれでいいんじゃね?」的な想いがファン側にも強いと思われる。それはそれでいいんだろうけど、でもね。

 海外のコーラス・グループといって俺が思い浮かんだのが、モータウンの2大巨頭、Four TopsとTemptations。例はちょっと古いけど、わかりやすいケース・スタディとして。
 どちらもレーベル創成期から活躍する長いキャリアを誇っており、実際ヒット曲も多い。ソウルの歴史の中ではどちらも最重要アーティストとして位置づけられており、最悪名前は知らなくても、曲を聴いたことがある人は多い。
 ただ、これは日本だけじゃないと思うのだけど、世間的に知名度が高いのは圧倒的にTempsの方である。曲名までは知らなくても、日本人なら誰でも「My Girl」の有名なイントロは口ずさめるはずだし、ちょっとレトロ洋楽に詳しいライト・ユーザーなら、ファンク路線に大きく路線変更した「Papa was a Rolling Stone」を聴いたことがある人は多い。Norman Whitfieldが絡んだこの時期の作品は、うるさ型のソウル/ファンク・フリークからの覚えも良い。
 対してTopsだけど、俺が知ってるのは「Reach Out, I'll be There」くらいで、これも全部歌えるかといったら、正直自信がない。多分他にも有名曲はあるのだろうけど、日本での彼らの扱いはTempsのそれと比べると段違い感が強い。

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 なにゆえTopsの扱いがイマイチ地味なのか―。そこを真剣に考えてみた。
 60年代モータウンのお抱えスタジオ・ミュージシャンによるバック・トラックは、リリース・スケジュールに関係なく、日々大量生産されていた。ヴォーカルが誰かはあまり関係ない。とにかく録りまくってからヴォーカルを当てはめるといった体なので、楽曲のクオリティは統一されている。多少の適性による振り分けはあれど、あからさまにTempsに有利になっているとは考えにくい。
 もう少し真剣に考えてみたところ、メイン・ヴォーカリストの違いなんじゃないか、という結論に行き着いた。
 Topsの場合、リーダーのLevi Stubbsがほとんどの曲でメインを務めている。男性的なバリトン・ヴォイスは力強く、並み居るヴォーカリストの中でも個性の強さは圧倒的である。基本はメイン1人に3人のバック・コーラスを擁し、Leviの特性を活かしたダイナミックで力強いビートを強調した楽曲が多い。
 60年代のモータウンといえば、Marvin GayeやSupremesに代表されるように、軽快なリズムとフックの効いたサビメロが合わさったポップ・ソウルが中心だった。そんな中で、従来のソウル・コーラス・グループの流れを汲んだオーソドックスなスタイルを貫くTopsは、日本で言えば汗臭く男性的な、いわゆる長渕メソッド的な楽曲でヒットを生み続けた。
 ただ、そのオーソドックスすぎる感性や出で立ちは、他のショーアップされたアーティストらと比べると見劣りしてしまうのも事実。世の中が次第にサイケデリックな基調となり、モータウンもまたその流れに乗ろうと模索していた60年代末、ピシッと隙なく決めた3ピース・スーツの4人組は古くさく映ってしまう。当時のポートレートを見ても、ただのおっさんにしか見えない。
 楽曲もまた、モータウンの中では保守的なものが多く、クオリティは高いけど、新機軸はほとんど見られない。極端な話、どの曲も「Reach Out」のバリエーション、「Reach Out」さえ抑えときゃそれでいいや、という風になってしまう。
 1人のリード・ヴォーカルだけでは、どの曲も同じように聴こえてしまうのは、避けがたい事態である。Four Topsのファンの人、ごめんなさい。あくまで表層的な印象なので。

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 対してTemps、実質的なリーダーはEddie Kendricksであり、彼がメインの楽曲も数多いのだけど、単純な一枚岩ではなかったことが、このグループを生き長らえさせたカギとなっている。彼1人がメインだったらTopsと同じ轍を踏んだのだろうけど、このグループには必ず、Eddieと対比するファルセットの持ち主がいた。前期はDavid Ruffin、後期はDennis Edwards。スタートこそオーソドックスなコーラス・グループだったけど、彼らの存在があったからこそ、幅広い楽曲に対応できるフットワークの軽さを有することができた。朗らかな笑顔で「My Girl」を歌いながらステップを踏んでいたのが、ちょっと目を離してた隙に「Ball of Confusion」になっちゃうのだから、何じゃそれという感じである。

 この構図をそのまま当てはめて、「ラッツはTopsの流れを汲んでいる」と断言するのは無理があるけど、要はメイン・ヴォーカルが1人だと、グループとしての幅が広がらないということを言いたいのだ。
 キャリアを重ねるに連れてその辺に危機感を感じていたのか、後期のシングルやアルバム収録曲によっては、マーシーがメインとなるケースもあったのだけど、正直マーチンを脅かすほどのレベルではなかった。もう少し彼の方向性が音楽寄りだったら、何年か後には双頭体制で行けたのかもしれないけど、まぁ無理だったろうな。マーチンのカリスマ性はアマチュア時代からのリーダー気質で強いものだったし、マーシーのキャラクターからいって、メインというよりは二番手的な役回りだったし。
 ひとつの転機が、あることにはあった。シングル「もしかして I LOVE YOU.」でのマーチン姉の鈴木聖美とのコラボは、オリコン最高28位と不発だったけど、彼女とマーチンとを大きくフィーチャーした「ロンリーチャップリン」は大ヒット、それどころかカラオケ・デュエット曲のスタンダードとして定着した。あれだけ濃いキャラクターの2人でありながら、互いを潰し合わず、抜群のコンビネーションを引き出せたのは、やはり血の繋がった姉弟であったことが大きい。
 これが単発企画でなく、キャリアのもっと初期にレギュラー・メンバーとして迎え入れていれば、ソウル版バービーボーイズ的に、また違った方向性が生まれてたのかもしれないけど、まぁ普通の話、身内と同じ職場ってイヤだよね。それは一般の職場でもそうだし、ましてやこういった世界だとなおさら。フィンガー5も狩人も、関係は微妙なそうだし。
 古いか、例えが。


BACK TO THE BASIC
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RATS&STAR シャネルズ
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1. Introduction ~BACK TO THE BASIC~

2. サマーナイト・トレイン
 1984年リリースのアルバム『See Through』収録曲。3.ではなく最初にこれをトップに持ってきたことからわかるように、彼らにとっても思い入れの深いミディアム・バラード。あまりソウル色は強くなく、AORっぽいアレンジは、この当時の後藤次利の手腕によるもの。
 確かに従来のラッツのイメージとは微妙にずれてるけど、この後のマーチンの方向性を内包していると考えれば、重要なナンバー。

3. ランナウェイ
 1980年リリース、言わずと知れたシャネルズとしてのデビュー・シングル。デビューからいきなり1位、年間チャートでも4位と、彼らにとって最大の売り上げとなった。もともとはパイオニアのラジカセ「ランナウェイ」のCMソングとして世に出たのが好評を得、急遽シングル化の企画が進んだという逸話を持つ。
 当時のCMをyoutubeで再見したところ、俺の微かな記憶では夕暮れの列車に乗り込むシーンだと思ってたのだけど、全然違って白昼だった。記憶とは曖昧なものだ。
 ちなみに昔から指摘されているけれど、スタイルとしてはR&Bだけど、曲調はむしろカントリー調のロックンロールに近い。テンポを落としたオールディーズ調のポップスは、彼らとしては当初不満もあっただろうけど、結果的に彼らの代名詞的なナンバーとなった。お茶の間にドゥーワップというジャンルを伝える足掛かりとなった功績はデカい。

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4. トゥナイト
 3.リリースからわずか4か月後にリリースされた、こちらもオリコン3位まで上昇した2枚目のシングル。オールディーズ路線があたったことで二番煎じを狙った曲調だけど、前回よりコーラス部分が強調されており、グループ本来の持ち味が引き出されている。
 1.ほどのインパクトはなかったけど、チャート的にはなかなか健闘し、このまま畳みかけるようなリリース攻勢の計画があったのだけど、一部メンバーによる未成年への淫行が発覚し、一時グループは謹慎することになる。

5. 街角トワイライト
 で、その謹慎が解けて半年ぶりとなった3枚目のシングル。オリコン最高1位を再び獲得し、年間でも7位となり、どうにか汚名を挽回することができた。
 せっかくの上り調子に水を差すような謹慎騒動は、逆にメンバーの間に堅い結束力が芽生え、これまでより一体感が伝わってくるのが特徴。彼らの代表作として、これを推すファンも多い。
 マーチン発案によるアカペラでのオープニング、哀愁を誘う井上忠夫の一世一代のメロディ、そしてこれが重要なのだけど、Nini' Rossoをイメージさせる桑マンのトランペット・ソロ。すべてのパーツがうまく噛み合い、大きな相乗効果を生み出している。
 しつこいようだけど桑マンのプレイが光っている。単なるコメディアンではないことを教えてくれるナンバー。

6. 涙のスウィート・チェリー
 ここでリリース順が逆となって、5枚目のシングル。オリコン最高12位はちょっと足踏みしてしまった印象だけど、初期シャネルズのバラード・ナンバーとして、これも人気は高い。

 凍り付く窓に イニシャルを
 重ねて書いて
 バラ色の夜明けを迎えた
 あの夜は Anymore

 今では湯川れい子といえば、プレスリー好きのTVコメンテイターという印象が強いけど、もともとは雑誌「ミュージック・ライフ」の編集長として、音楽業界においては重鎮である。いや違うな、むしろこの人は敬意を込めて、「大いなるミーハーのハシリ」と称した方が合っている。膨大な音楽的知識がありながら、ミーハー精神を忘れず、オールディーズ・ナンバーへのリスペクトを込めた歌詞を書いてしまうのだから。
 ある意味、マーチンにとってもその後のバラード路線の取っ掛かりとなったナンバー。だって、歌っててすごく気持ち良さそうだもの。

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7. ハリケーン
 で、リリース順でいえば、こちらが先になる。オリコン最高2位をマークした、2.をテンポ・アップしてドゥーワップ成分を強めたオールディーズ調ナンバー。聴いてるだけでテンションが上がるのは誰もが同じなようで、パフィーやマーチン+ゴスペラーズによるユニット「ゴスペラッツ」によるカバーも記憶に新しい。

8. 憧れのスレンダー・ガール
 オリコン最高13位となった6枚目のシングル。初めてマーシー作詞によるA面シングルとしても、ちょっとだけ話題になった。桑マンによるオープニング・ソロや間奏のギャロッピング・ギターなど演奏陣の聴きどころも多いのだけど、案外チャート的には低めだったんだな、いい曲なのに。
 ある意味、盛りだくさんの内容なので、オールディーズ路線としてはここで完成してしまったのかもしれない。
  
 ゆれる 心見透し
 ホホエム、 プリティ・デビルさ (My Slender)
  夕日に スリムなシルエット
 とろける 蜜の香り

 イメージ優先で何のメッセージもない、それでいてオールディーズ・マナーに則ったビジュアライズな歌詞。今もシリアス路線を貫くマーチンに足りなかった「軽み」を担っていたのがマーシーだった。こういったチャラさとの二面性を強く押し出していれば、息の長いグループになったかもしれないのに。
 ほんと、バカだ。

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9. 胸騒ぎのクリスマス
 1981年にリリースされた、シャネルズ初のベスト・アルバムで唯一の新録だったクリスマス・ナンバー。これが初のCD化となった。相変わらず内容のない歌詞はマーシーによるものだけど、まぁクリスマスだからそれでいい。クリスマスにメッセージを語るのはヤボだしね。
 でもいいなぁ、このチャラさ。マーチンも楽しそうだし。

10. Miss You
 ラッツとしてリリースされた『Soul Vacation』ラストに収録された、ギミックのないストレートな正統派バラード。この時期になるとマーシー作詞マーチン作曲のナンバーが多くなり、オールディーズ風味は次第に薄くなっている。シャネルズ時代が好きな人にとっては馴染みが薄くなるけど、マーチンのソロと地続きとして考えれば、自然な流れではある。
 そういったコンセプトなのだけど、マーシーのチャラさが少なくなったのが、ちょっと寂しい。

11. レディ・エキセントリック
 活動休止前の最後のシングルとしてリリース。チャートインは記録なし。メリー・ポピンズを思わせるワルツは、どこか悲壮感さえ感じさせる。正直、リアルタイムでも知らなかった曲。初CD化らしいけど、無理もないか。

12. め組のひと
 シャネルズから改名、心機一転ラッツ&スターとして再デビューを果たし、見事1位に輝いたラッツの代表曲。それまで手を離れていた井上大輔が再登板、オープニングとして、これ以上はないというくらい景気の良いナンバーとなった。当初は師匠大滝詠一に要請したらしいのだけど、ちょうど『Each Time』の制作中ということもあってスケジュールが合わなかった、というエピソードがある。結果的には良かったのだけど。



13. Tシャツに口紅
 で、12.がめでたく大ヒットし、スケジュール調整もうまく行った末、奇跡の楽曲ができあがった。奇跡と言っちゃうと失礼かもしれないけど、ある意味、マーチンの全キャリアを通して転換点となった楽曲。リズム・アレンジからしてDriftersの「渚のボードウォーク」をうまく流用してるけど、まぁそれは大滝だからいつものこと。
 この時期の大滝は自他曲ともに松本隆とのコラボが多く、一世一代とも言える名曲を量産している。

 夜明けだね 青から赤へ
 色うつろう空 お前を抱きしめて
 別れるの?って 真剣に聞くなよ
 でも 波の音がやけに 静か過ぎるね

 あぁ、ほんとは全部書き写したいのに。この世界観は明らかに松本隆。でも、ラッツがそこに入り込んでも無理のないところは、やはり大滝のメロディとサウンド・プロデュースの賜物。誰か一人欠けても成立しない、完璧な80年代のマスターピース。俺のカラオケの定番でもある。



14. LOVERS NEVER SAY GOOD-BYE
 5枚目のオリジナル・アルバム『DANCE! DANCE! DANCE!』収録、主に50年代に活躍していたドゥーワップ・グループFlamingosのカバー。ここではマーシーが多くメインを取っており、その甘いヴォーカライズは新たな方向性を暗示させている。ただ、暗示させるだけで終わっちゃったのが惜しい。女性受けするチャラさを強調してほしかった。
 
15. 夢で逢えたら
 このアルバム唯一の新曲で、大滝詠一一世一代の名曲のカバー。一世一代の多い人だけど、ほんとにそうなのだから仕方がない。節目ごとに名曲を作ってしまうのが、この人の魅力だった。
 オリコン最高8位は、これまでの彼らにとっては普通のチャート・アクションだけど、考えてみれば、これがリリースされた1996年というのはJポップ全盛期、ミリオン・ヒットが連発していた頃である。20年近く前にリリースされたカバー・ヴァージョンとしては、なかなかの成績。ていうか、数多くある「夢で逢えたら」カバー史上、断トツの売り上げを誇るのが、このラッツのヴァージョンである。
 あまりにもハマり過ぎたのか、今ではすっかりマーチンの持ち歌状態となっており、テレビ出演と言えば大体この曲を歌うことが多い。
 いやいい曲だけどさ、もっと他の曲も歌ってほしいよね。関係ないけど、美里だって「My Revolution」ばっかじゃなくってさ。






80年代ソニー・アーティスト列伝 その7 - 松田聖子 『Candy』

folder 以前、「ソニーというレーベル・カラーを最も象徴しているのが米米クラブだ」と書いたのだけど、あくまで一面を担うものであって、レーベル総体を代表したものかと言えば、「それもちょっとどうか」と自分でも思う。セールスやキャリアの面だけで見ると堂々とした実績ではあるのだけれど、多分そんなポジションとは最も遠いキャラだし、第一米米自身も「イヤイヤそんな大役を仰せつかるなんて恐縮っすよ」と尻込みしてしまうことだろう。立ち位置的にはプロのひな壇芸人であって、メインMCを張る柄ではないのだ。
 そうなると、80年代ソニーの持てるポテンシャルをすべて結集し、しかもそれがきちんと結果として表れ、誰もが「あぁそう考えるとそうかもしれないね」と納得してしまうアーティストとなると、松田聖子という結果に落ち着く。もちろん聖子という類いまれなる素材があってこそだけど、初期ブレーンとしてトータル・プロデュースの任にあった松本隆の存在は欠かせない。この2人の奇跡的な出会いによって、80年代のソニーは大きく躍進したと言ってもよい。

 このアルバムがリリースされたのは1982年、80年デビューなのに、すでにもうオリジナル・アルバムとしては6枚目である。もちろんオリコン1位を獲得、翌年の年間チャートでも堂々12位、40万枚オーバーという記録を残している。この時期の女性アイドルは聖子と中森明菜の2トップ時代にあたり、トップ20に2人で2枚ずつチャートに送り込んでいる。
 ちなみに聖子のアルバムとして代表的なのは、大滝詠一がプロデューサーとして一枚噛んでいる名作『風立ちぬ』であり、一般的にはそちらの方の評価が高い。俺的にも大滝詠一はこのブログでも何度か取り上げているくらいだから、流れで行けばそっちを取り上げるところなのだけど、なぜこのアルバムを取り上げたのかといえば、俺が最初に買った聖子のアルバムだから、という単純な理由による。だって俺、『風立ちぬ』ってちゃんと聴いたことないんだもん。

 80年代アイドルのリリース・スケジュールとして、3ヶ月ごとのシングル、半年ごとのアルバム・リリースは定番の流れだった。それに加えて、コンサートだテレビ出演だ取材だ写真集だ映画撮影だサイン会だエッセイ集だと、とにかくてんこ盛りのスケジュールが組まれるので、ほんと寝る暇もないくらい、レコーディングだってスタジオに入ってすぐ歌わされてワン・テイクかツー・テイクでオッケーというのが日常茶飯事だった。
 アイドルに限らず歌謡界全般において、当時のアルバムというのはベスト盤的な意味合いが強く、ある程度シングルが集まったら、そこにカバー曲やシングル候補のボツ曲を足し、カサ増ししてリリースするというのが一般的だった。何しろハード・スケジュールだったため、レコーディングにそんなに時間をかけるわけにもいかない。曲をひとつレコーディングするくらいなら、その時間で地方営業に行った方が利益も上がるし知名度も上がる、という考え方である。
 そう考えるとこれって、今のJポップ事情と何ら変わらない状況でもある。わざわざアルバム1枚丸ごと聴くという行為が廃れてしまって、市場自体が尻つぼみになってしまうようになるとは、誰も思いもしなかったけど。

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 聖子よりひとつ前の世代、ピンク・レディーや榊原郁恵、石野真子あたりはシングル中心の営業戦略で展開されていたので、これといった代表的アルバムがない。ごくまれに、吉田拓郎が石野真子やキャンディーズに楽曲提供したりなどのアクションはあったものの、そのほとんどはシングルのみ、話題性を集めることが難しいアルバムへの提供はほとんどなかった。社員ディレクターがルーティンでこなす流れ作業的な仕上がりは、お世辞にも凝った作りではなく、ていうか出来不出来を問うレベルの商品ではなかった。大判のブロマイドにおまけでビニール盤が付いてきたようなものである。なんだ、それこそ今と変わんないじゃん。
 その風向きが変わったのが聖子から、と言いたかったのだけど、もうちょっと前に遡る。

 それまではコンセプトもへったくれもない、寄せ集め的な作りだったアイドルのアルバムに変化をもたらしたのが、聖子と同じCBSソニーの先輩にあたる山口百恵である。彼女もアイドル中のアイドル、王道をひた走っていた人だったけど、70年代末辺りから文化人界隈で「山口百恵は菩薩である」という斜め上の風潮が持ち上がってからは、アーティスティックな側面を見せるようになる。
 自らライターとして指名した宇崎竜童・阿木燿子のゴールデン・コンビによる一連のシングル・ヒットを軸として、さだまさしや谷村新司など、主にフォーク系のシンガー・ソングライターを積極的に起用していった。いわゆる職業作曲家によるお仕着せのアイドル・ソングに満足せず、まだ十代ながら「こういった歌を歌いたい」というはっきりしたビジョンを持っていたこと、そしてまた指名を受けた作家陣も、自演曲にも劣らぬクオリティの作品を惜しみなく提供していったことが、百恵の神格化をさらに裏付けしていった。

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 で、もうひとつの方向性、「アーティスティックなアイドル」として展開していたのが百恵だけど、そこから発想の転換、「アイドル性を持ったアーティスト」を志向していたのが、同じくCBSソニー所属の太田裕美である。
 スクールメイツというキャリアのスタート、同期にキャンディーズのメンバーがいたことから、そのまま行けばど真ん中のアイドル路線を歩むはずだったのが、シンガー・ソングライターとしての適性と「ザ・芸能界」ナベプロの方針によって、ニューミュージックと歌謡曲とのボーダー・ラインで活動するようになる。
 当初はフォーク調のサウンドがメインだったのが、松本隆稀代の傑作”木綿のハンカチーフ”の大ヒットによってお茶の間での知名度が高まり、次第にアイドル的活動の方がメインになってゆく。本人的には自作自演アーティストとしてのアイデンティティを重視したかったのだけど、自作曲が採用される機会も少なく、現役当時はそれがストレスになっていたようである。
 80年代に入る頃からアイドル活動をセーブして、次第にアーティスト活動をメインにシフトさせてゆくのだけど、当時はまだソニーにも彼女のようなタイプのアーティストを育ててゆくノウハウがなく、一貫した方針を立てられなかったことは不幸でもある。
 この年代で同傾向のアーティストとして、代表的なのが竹内まりやと杏里が挙げられる。この2人も太田同様、当初はアイドル的活動が中心だったのだけど、うまくアーティスティックな方向性へシフトできたのは、長期的ビジョンを持ったブレーン・スタッフの存在に尽きる。消費期限の短いアイドルより、マイペースで息の長い活動ができるアーティスト路線を選択できたことが、彼女らの命運を分けた。てことは、悪いのはナベプロか、やっぱ。

 で、聖子の場合だけど、今でこそ彼女も作詞・作曲・プロデュースもこなすようになっているけど、当時は類型的なアイドルのひとりでしかなく、自作といえば簡単なポエムくらい(とは言ってもそれすら怪しいのだけど)、太田のようにピアノで弾き語りするスタイルでもなく、またそういった需要もなかった。なので、方向性としては百恵にかなり近い。
 百恵と聖子に共通するのは、「まだ何物でもないひとりの少女が、たゆまない努力と修練を経ることによって、ひとりの女性として磨きをかけ、そしてひとりの人格として成長してゆく過程」をドラマティックな演出のもと、リアルなドキュメントとして見せていったことである。デビューして間もない垢抜けない少女が、スポットライトと観衆の洗礼を受けてスターとしての人格を形成し、そして次第にに洗練されてゆく様を、悲喜劇を交えたサクセス・ストーリーとして成立させた。明快な起承転結を思わせるそのストーリーは、第三者の感情移入を容易にさせる。刻一刻と変化するアイドル=女性の成長ストーリーは、一度ハマると第三者的な視点では見れなくなり、時にそれは家族よりも、恋人よりも近しい存在になりうる。
 この頃はまだマーケティング理論もおそまつなものだったので、現代の視点からするとそのストーリー展開にもツメの甘い部分が見受けられるのだけど、そのハンドメイド感、手探りでの演出は親近感をより密にさせる。今どきのあざとい感じが少ないのだ。

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 とはいえ百恵の時代はまだ歌謡曲的なテーゼが強く支配しており、結局のところはヒット・チャート至上主義、シングルを軸にしたコンセプトで進行していたため、アルバムまで徹底していたかといえば、ちょっと微妙になってくる。いま振り返ってみると、個々の楽曲のクオリティは高いのだけど、アルバムに即したプロモーションが行なわれることはなかったため、本格的な再評価はいまだ行なわれていない。
 で、その辺の反省から転じてビジネス・チャンスを見いだしたのか、高いクオリティの楽曲をシングルだけじゃなく、アルバムにおいても等価値で練り上げてゆき、既存のアイドルとはひと味違ったイメージ戦略で演出されていたのが松田聖子であり、その総監督的ポジションについたのが松本隆だった、という構図。

 この松本主導による「聖子プロジェクト」概要については、松本本人以外でもさんざん語られているので、ここではサラッと流しておく。単なる一作家に収まらず、前述した大人への成長ストーリーをディテールまできっちり描いた上、スタッフの思惑以上に伸びしろのあった聖子の急成長に伴って、随時コンセプトをブラッシュ・アップさせていたことは特筆に値する。
 このアルバムでは、その松本とのコラボレーションも順調に進行していたこともあって、これまでとは少し方向性を変えて、収録シングル曲は”野ばらのエチュード”のみという地味な構成になっている。数多のアイドルのアルバムとは一世を画し、キャッチーな曲の寄せ集めではなく、20歳を迎えつつある女性の虚ろな心境をうまくパッケージングした、シックな味わいで統一されている。
 この後ももう少し「聖子プロジェクト」は遂行されてゆくのだけど、彼女の結婚が報じられると共に、それは突然の終焉となる。松本にとって聖子とは、白いキャンバスのごとく無色無地の素材であり、自身の思い描く「普通の少女の成長ストーリー」を投影してゆくには格好の対象だった。ただ、成長とは自我の形成であり、自意識は日増しに強くなってゆく。松本のビジョンと聖子のそれとでは次第にズレが生じるようになり、それは少女時代の終わり、一方的な恋から相互的な恋愛を知ることによって、切実さは失われてしまう。
 蜜月は終わってしまったのだ。


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1. 星空のドライブ
 タイトルから想起させるスペイシーなエフェクトからスタートする財津和夫作品。シングル曲8.もそうだけど、この頃は財津メロディとの相性が良く、”白いパラソル”などシングルの採用率も高い。母体のチューリップも1000回記念ライブを行なったりなど、キャリア的にも脂の乗っていた時代でもある。
 いま聴いてみると、思ってたよりヴォーカルのハスキー感が強調されている。この少し前に喉を痛めたせいもあって、デビュー当時と比べると声質が微妙に変わっている。アイドル然とした初期のファニー・ヴォイスが一般的な印象だけど、ややかすれ気味に変化することによって細やかな「憂い」を表現することも可能になった。それを受けた松本の歌詞も、以前より年齢設定を上げることによって、「少女」目線の世界観が少し広がっている。
 ここでの聖子は、彼氏に対して少し上から目線。異性が単なる憧れの対象ではなく、対等に近い立場からの視点で描かれている。

2. 四月のラブレター
 いま聴いてみると、"恋のナックルボール”をそのまんまマイナー展開した、大滝詠一作オールディーズ・タッチのスロー・ナンバー。この時期はまだ『Each Time』のレコーディング前だけど、すでにある程度の構想が固まっていたことが窺えるナンバー。
 しっかし歌いこなすのが難しいサビだなこりゃ。これをきちんと解釈して歌いこなす聖子もそうだけど、まるっきり自分のキーで作った大滝も大瀧で。

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3. 未来の花嫁
 当時隆盛だったテクノポップ歌謡的なイントロで始まる、ノリの良いポップ・チューン。財津和夫が書いた聖子ナンバーの中では1、2を争うクオリティのメロディで、調べてみると実際今でも人気の高いナンバー。そう、初期聖子はシングルB面やアルバム収録曲にも名曲が山ほどある。”制服”だって”Sweet Memories”だって、最初はB面扱いだったし。
 友達の結婚式にカップルで出席するというシチュエーションから、実年齢よりもう少し上の設定になっている。

 あなたはネクタイを ゆるめながら
 退屈な顔
 私たちの場合 ゴールは通そうね

 プロポーズはまだなの
 ねぇ その気はあるの
 瞳で私 聞いてるのよ

 強くたくましくなった女性のように見えるけど、すべては心の中の声であって、彼に対してはっきり言葉にしてるわけではない。
 まだそこまで強くなってはいないことを暗示させる、松本隆ならではの陰陽の世界。



4. モッキンバード
 聖子プロジェクトでは初登場の南佳孝によるミディアム・ポップ・ナンバー。思えばデビュー作プロデュース以来、松本とは旧知の仲なので、遅まきながらの登場といった感じ。冒頭いきなりアカペラのサビメロが、いかにも南といったメロディ・ライン。この頃の南はシティ・ポップの先陣を切った活躍ぶりで、自身のアルバムでも名曲を連発していた。
 ちなみにモッキンバード、俺が知ってたのはギターのブランドだけど、歌詞の内容からして、それとは関係ないよなぁと思って調べてみると、マネシツグミというスズメに似た鳥のことだった。多分、語感で選んだとものと思われる。だって、何の変哲もない普通の鳥だもん。

5. ブルージュの鐘
 後に傑作”ガラスの林檎”を生み出すことになるmはっぴいえんど時代からの盟友、細野晴臣が初登場。ここでは大滝詠一に対抗したのか、壮大なスケールを持つスペクター・サウンドを披露。
 ちなみにブルージュとは、運河が張り巡らされたベルギーの古都。古い石造りの建物がロマンティックな郷愁を誘う、ってなんか観光ガイドみたいだな。

6. Rock`n`roll Good-bye
 再び大滝詠一作による、タイトル通りのロックンロール・ナンバー。もともとはElvisをルーツとした人なので、こういったサウンドならいくらでも作れちゃうんだろうな、きっと。でも自身のジャッジが厳しすぎて、なかなかOKテイクを出せないのも、この人ならでは。
 後の"魔法の瞳”を思わせるエフェクト、テープ逆回転など、いろいろスタジオで遊んでいるのだけど、これが『Each Time』へとつながる実験として考えると、なかなか興味深い。



7. 電話でデート
 再び南によるしっとりしたミディアム・ナンバー。4.では少し聖子サイドに気遣いすぎた感もあったけど、この曲の方が聖子との相性が良い。地味だけどね。うっすらとバックで鳴るレゲエ・ビートとライトなブルース・ギターとのマッチングが絶妙。大村雅朗の神アレンジである。
 やや年齢が後退して、ちょっとしたケンカ中の高校生の電話中というシチュエーション。ママが心配してるというくだりなど、今では成立しない歌詞の世界は同世代の共感を誘う。そうなんだよ、長電話するとプレッシャーがすごいんだよ。しかもうち、電話は茶の間だったんで、コードを長く引っ張って自分の部屋で喋ってたもの。

8. 野ばらのエチュード
 財津3曲目。11枚目のシングルで、オリコン1位。やはりシングル向けということで、Aメロ→Bメロ→サビというパターンを踏襲しており、アルバムの中に入ると少し地味な印象になってしまう。ヒット・シングルをこんな地味なポジションに配置してしまうことは普通ありえないのだけど、アルバムとしてのコンセプトをきっちり固めていたことによって、ここに入れるしかなかったのだろう。
 聖子の名前が入れば何でも売れた時代だし、それなりにクオリティは高いのだけど、同年にリリースされた"赤いスイートピー”のインパクトが強すぎて、シングルとしても地味な印象。そろそろ財津との蜜月も終わりに近づいていたのだ。

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9. 黄色いカーディガン
 再び細野。久しぶりに聴いてみると、なかなかソリッドなテクノポップ歌謡だったのでビックリ。いいじゃん、これ。
 再び大滝詠一にとどめを刺そうとしたのか気まぐれなのか、モダン・テイストのスペクター・サウンドに仕上がっている。これもなかなか難しいヴォーカライズだけど、よく歌えたよなこんなの。細野の仮歌って、音域狭そうで参考にならなさそうだし。

10. 真冬の恋人たち
 ほぼ全編でアレンジを務めている大村雅朗作曲による、ラストを飾るに相応しいバラード・ナンバー。実はコーラスに杉真理が参加しているので、てっきり杉作曲だと思っていた。メロディなんてビートルズ・オマージュに満ちあふれたポップ・チューンだし。
 あまり仰々しくならないところが、この曲の魅力だと思う。初期聖子のバラードとして有名なのが”Only My Loveで、確かにあれはあれでメルクマール的な名曲なのだけど、あまりに名曲然とし過ぎて時にクドイ感じになってしまうのも事実。このくらい肩の力が抜けた小品の方が、この時期の聖子には合っている。






 松田聖子=松本隆がアイドルの新たな方向性を切り開いたことによって、「アーティスティックな方向性のアイドル」が存在することも可能になり、それはのちに森高に引き継がれ、現代のももクロまで続くことになる。
 それまで一元的だったアイドルという存在が多様化し、様々な解釈が可能になったことは、ソニーの功績大である。
 ただ、しかし。ソニーとしては、まだ未解決の問題が残っていた。
 発想の転換である「アイドルっぽいアーティスト」の路線について、ソニーはまだ諦めていなかった。前述のまりやや杏里が好評を記したように、その路線にニーズがあることは間違いがなかった。
 太田裕美の成長戦略が消化不良だった反省を踏まえ、今度はもっとコンパクトに、小さなバジェットから始めることにした。松本のコネクションを活用した既存のシンガー・ソングライターではなく、自前のソニー所属若手アーティストを積極的に登用することによって、予算の抑制と共に新世代の育成も兼ねる方針を取った。前例に捉われない自由な感性のもと、彼らの実験的なサウンドは先入観の薄いティーンエイジャーらの心をつかむようになる。
 その研究成果の実践として世に出たのが渡辺美里である。
 長くなり過ぎたので、次回に続く。



80年代ソニー・アーティスト列伝 その3 - PSY・S 『Atlas』

atlas 前回のレビューで、どうしてPSY・Sが大きくブレイクできなかったのかをダラダラ書いてしまったのだけど、別にイチャモンではなく、あくまで愛情あっての自分なりの分析ということなので、誤解のないように。
 アニメ『シティー・ハンター』のおかげもあって、現役当時からそこそこの認知はあったけど、決定的なヒット・シングルがなかったため、一般的にはちょっと曖昧な立ち位置のPSY・S。ただし変に大衆に迎合した楽曲はなく、どの曲も高いレベルのクオリティを維持していたので、今でもネット上ではアンチの少ないアーティストである。
 ポップ・ソングというのは基本、大衆消費財としての側面を持つのだけど、そういった中でも、きちんと作り込まれた楽曲は普遍性を持ち、そしてごく狭い範囲ではあるけれど、確実に人々の心に残る。
 前回は主にクリエイター担当松浦のサウンドを中心に取り上げたけど、今回はヴォーカル兼賑やかし担当のチャカについて。

 「歌が上手い」とひとことで言っても、解釈はいろいろと分かれる。「音程が正確に取れる」、「ピッチの正確さ」、「表現力の豊かさ」など、いまパッと思いついただけでもこれだけあり、多分ほかにも基準はいっぱいあるはず。ニコ動やyoutubeを見てみると、プロ顔負けの歌唱力の人はいっぱいいるし、モノマネ番組のガチなコーナーなら、プロそっくりな、またはそれ以上に歌いこなしてしまう芸人だって珍しくない。
 テレビのオーディション番組でよくある話だけど、収録に参加できるくらいだから、みんな一定以上のレベルに達してはいるのだけれど、時々、何でこの人がグランプリ?という結果が出るケースがある。まぁ大体は、事務所的なアレがアレでアレなのだけど、ガチな大会においても、稀にそういったケースがある。
 テクニック的・ビジュアル的にもほとんど優劣がなさそうなのに、最終的な決め手は何なのか。
 プロのミュージシャンやスタッフが務める場合が多い審査員側の話によると、最終予選通過レベルになると、歌唱力や表現力などで優劣をつけるのは難しいらしい。
 数ある最終チェック・ポイントのひとつ、それは声質である。

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 四半世紀前のバブル期の流行語の中に、「ファジィ」という言葉がある。直訳すれば「曖昧」、または「1/f 揺らぎ」というキーワードで表現されるのだけど、「規則的な揺らぎに不規則な揺らぎが加わったもの」という意味も持つ。
 これだけじゃわかりづらいので具体例を出すと、そのファジィ理論に基づいて開発されたのが、ビデオ・カメラの手ブレ補正機能。不規則な人間の動きや持ち手の動きに応じて、映像の乱れを電子的に調整する機能のことである、と仰々しく言ってみたけど、今じゃ当たり前か。
 ICチップの演算処理速度の激的な進化によって、素人撮影のホーム・ビデオを見て酔ってしまうこともなくなり、誰でもそこそこの映像が撮れるようになった。

 で、このファジィ=1/f ゆらぎ理論というのは、実は音響的にも応用されており、「ある特定の揺らぎ、ある特定の周波数を持つ声の人物は、強力なカリスマ性を持つ」と、まことしやかに言い伝えられている。そこで昔からよく引き合いに出されているのが「John Lennonと某独裁者の声紋が非常に似ている」という噂。まぁいわゆるトンデモ理論のニュアンスが強すぎるきらいはあるけど、どちらも強烈な求心力があった、という点においては共通している。方向性はまったく違うけどね。

 で、「カリスマ・シンガー」と称される人物に共通する特徴というのが、決してきれいな美声ではないということ。いわゆる透き通って濁りのない声質ではなく、若干のノイズ成分が加わっているシンガーが多い。その不完全さこそが人を惹きつけるのだろうけど、多かれ少なかれ、一時代を築いたシンガーというのは、固有の揺らぎを持っている。
 わかりやすい揺らぎの持ち主として、有名どころで挙げると宇多田ヒカル。楽理的に見ると決してうまいシンガーではなく、むしろかなり不安定な声質なのだけど、あの揺らぎがあってこそ、多くの人の心をつかんだと言える。また、その個性的なヴォイシングがあのサウンドを希求して、演出効果を高めたことは歴史が証明している。聴き流してしまうには記名性が強く、あまりに耳に残るその声は、まさしく宇多田ヒカル固有の持ち味であり、強みだった。
 Johnは自分の声があまり好きじゃなかったらしいけど、それがどうこじれちゃったのか、逆にフランジャーをかけまくって、揺らぎ全開となったのが、あの"Tomorrow Never Knows"。常人ではわかり得ぬ世界もあるのだろう。

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 ここまで読んでもらえれば何となくわかってもらえると思うけど、チャカの声質というのは、ほぼ雑味成分のない、非常にフラットな声というのが特徴。きれいなサイン・カーブを描くその正弦波的ヴォイシングは、どれだけボリュームを上げても歪むことがない。音響的に言えば純音に近い発声のため、聴いていて不快になるようなこともない。
 で、その引っかかりのなさ、揺らぎの少なさこそが、ファン層を広げられなかった要因でもある。
 声というのは、そりゃきれいに越したことはないけど、人の心に引っかかりを残すというのは、そういったこととはまた次元が違うのだ。
 松浦がPSY・S結成において目指したコンセプトとして、最新ツール「フェアライトCMI」によるポリリズミカルなサウンドをベースに、デビュー前からアマチュアのファンク・バンドで名が売れていたチャカのエモーショナルなヴォーカルとのミスマッチ感、そのズレによって生まれる新感覚のポップが狙いだった。
 YMOが切り開いたテクノ・ミュージックが、ロック/フュージョンの文脈から派生したものだったことに対し、そこからさらに派生したイギリスのエレクトロ・ポップ・シーンで活躍したYazooをモチーフとし、日本向けに展開したのが、PSY・Sというユニットである。なので、そこら辺のコンセプトに基づいて作られた1、2枚目のアルバムまでは、テクノ・ポップの新展開として、うまく機能している。
 ただ、前回レビューで紹介した企画アルバム『Collection』の次、3作目としてリリースされた『Mint Electric』によって、フェアライトを使用してのエレクトロ・ポップ・サウンドをある意味極めてしまった松浦、次に向かったのは、生音との融合、マシーン・ミュージックという縛りを解き放ち、もっとコアな音楽を作る方向性を模索することになる。

 これまでのシステムを一旦チャラにした上で、手間と時間をかけて作り込まれたアルバムになる―、事前のインフォメーションからある程度明らかになっていたのだけど、その作り込み感のベクトルは大きく変化している。
 フェアライトの使用比率は減り、外部ミュージシャンの積極的な起用によって、生演奏のテイクが増加した。またフェアライト使用においても、プリセット音源をそのまま使うのではなく、ゲスト・ミュージシャン演奏による音源を一度機材に取り込み、加工・サンプリングするなどしてから出力するなど、ヴァーチャルなバンド・スタイルのサウンド構築に力を割いている。

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 その後も松浦のサウンドは変遷を続け、コンピューターとの対峙作業に煮詰まりを感じていたのか、次第に他アーティストとのコラボが多くなってゆく。特にバービーボーイズのいまみちともたかとは一時バンド結成の構想もあったくらいで、その辺りから音楽へ対峙する姿勢も変わっていったのだろう。
 それまではいわゆるバンド・サウンド、他者との一体感によって得られるカタルシスなるものには冷笑的だった松浦だったけど、レコーディング作業だけでなく、ライブ活動にも積極的になってゆく。近未来的でありながら、ちょっとズレたセンスによってコケティッシュさを増したチャカのステージ・コスチューム、今も一線で活躍する振付師南流石による個性的なステージ・アクションや振り付けなどは、バンドブーム・バブルというフィルターをはずしても、現在でも充分通用するレベルである。各アクター・各スタッフのポテンシャルが高いので、普遍性を持つのだろう。

 ライブも終盤に入り、バンドのテンションもMAXの中で独り、うず高く積み上げられた機材の奥で、クレバーな表情で演奏に集中する松浦。
 全体を司るコンサートマスターとして冷静さを失わず、淡々と機材を調整しているその姿。
 でもよく見ると、その口角はわずかに緩んでいるのだ。


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1. Wondering up and down~水のマージナル
 恐らく新旧問わず、PSY・Sファンへのアンケートを募ったとしたら、ほぼ間違いなくトップ3にランクインすると思われる稀代の名曲。これ以前、そしてこれ以降もこのタイプの楽曲は生まれなかったため、ある意味突然変異的なものである。
 正直、歌詞にそれほど意味はない。タイトル通り『水』に関するキーワードからイメージを広げた、言ってしまえばフワッとして抽象的な内容なのだけど、ここでのチャカは力強く、それでいて説得力を込めたエモーショナルなパワーを発揮している。
 アコギとエレキのせめぎ合い、そして薄く被さるシンセ・サウンド。でもここで一番の聴きどころは、縦横無尽天衣無縫に響き渡るベース・ライン。バービーでは見せないいまみちのギター・プレイばかり取り上げられるけど、この手数の多いベースには耳を惹きつけられる。



2. WARS
 PSY・S初のレゲエ・ナンバー。リズム・メインの楽曲のため、ここでもベース・ラインが際立っている。フェアライト特有のひしゃげたドラムは軽すぎて、あまりこういったリズムには合わないのだけど、ここは松浦にとって未知のフィールドだったということで、まぁ大目に見るとして。チャカのクールなヴォーカルが、逆に並みのレゲエで終わらせない気概を感じる。
 歌詞は相変わらず、思わせぶりなキーワードを散りばめた感じなので、これもそんな深く捉えなくてもよい。あくまでメインは演奏と歌なのだから。

3. ファジィな痛み
 ほぼ1.と同じサウンド・デザインで、こちらはもう少しポップ寄りのナンバー。陰陽の関係と思えばわかりやすい。ここでのチャカは少し肩の力を抜き、メロディと演奏を聴かせるような、ちょっとだけ引いた感じで歌っている。時々ダブル・ヴォーカルも使ってるくらいだし。
 思わせぶりなキーワードの羅列は相変わらずだけど、ここではもう少しラブ・ストーリー仕立て。一般リスナーにわかりやすいストーリーを設定した点が、チャート・アクション的なモノも意識したと思われるけど、オリコン・シングル・チャートでは最高83位。まだ下世話さが足りなかったのだ。
 ちなみに俺的に、詞の中にある「ぺしゃんこ」というキーワード、日本のポップスの中で使われているのを聴くのは初めてで、なんかすごく新鮮だった、という記憶がある。



4. Stratosphere~真昼の夢の成層圏
 ピアノ・メインの演奏と、静かに淡々と歌うチャカのヴォーカルのみ。あとは雰囲気作りのシンセが薄く乗ってるだけ。起伏のない曲のため、あくまでブリッジ的な立ち位置の曲。こういった曲をメインにできるようになるには、まだアーティストとしてのステイタスが足りなかった。

5. 遠い空
 松浦本来のエレクトリック・テイストと、目指すところのアコースティックとの融合具合が最もうまく行っているのが、このナンバー。バービーいまみちとの交流によって生演奏に目覚めたのか、このアルバムではアコギのストロークが多くフィーチャーされている。このトラックでもかなり厚めにミックスされており、サビのメロディが立っているため、結果的にドラマティックな効果を演出している。
 このトラックで俺の一番のお気に入りは、終盤に出てくるハモンド。話題になったレズリー・スピーカーの響きがイイ感じで使われている。

6. (北緯35゜の)Heroism
 前曲同様、アコギとチャカがリードすることによってフェアライト色が抑えられ、普通のパワー・ポップ調にまとめられたナンバー。で、森雪之丞がこの曲のみ作詞を担当している。PSY・Sへの作詞ということで、基本思わせぶりなキーワードが頻発しているのだけど、当時からメジャー・シーンでの活躍も多かったためか、「マシンガン」「ダイナマイト」「B級映画」など、ポップ・ソングではあまり使われない言葉をうまく組み合わせながら、恋する女の子の気持ちを上手く代弁する作品に仕上げている。
 録音が良いせいもあって、アコギの左手、コードを変える際の指が弦をこする音もしっかり入っており、俺的にはその臨場感がお気に入り。

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7. See-SawでSEE
 ちょっとダルな感じの入った、最もロック・テイストの強いナンバー。主にポップ・サウンド好みな人の多いPSY・Sファンの中ではイマイチ人気が薄いけど、ロック好きな人なら「お、なかなかやるじゃん」と思ってくれそうな、ちゃんとタメも効いてるナンバーでもある。ハモンドも入ってるし、チャカも無表情ながら、一番楽しそう。

8. STAMP
 一聴すると初期のサウンドをモチーフにしているようだけど、シタールっぽくエフェクトされたギターの響きを始めとして、目立たないけどエスニックなリズムは、これまでの引き出しにはなかったもの。

9. 引力の虹
 これまでの彼らのアルバムにも必ず1曲はあった、メランコリック調のメロディアスなナンバー。こういうのを聴いていると、松浦というのはやはり日本人で、いくらスカしていようとも、どこか日本の歌謡曲、抒情的なメロディ・ラインを求めているのがわかる。じゃないと、チャカのような人と組もうとは思わないはず。この辺は『Mint Electric』サウンドの良い部分を引き継いでいる。

10. WARS(Reprise)
 2.のダブ・ヴァージョン。1989年リリースのアルバムなので、すでにこの時点でダンス・ミックスや単なるロング・ヴァージョンなど、12インチ・シングル用の別ヴァージョンというのは一般的になってはいたけど、このトラックのように、原曲をグッチャグチャに解体して再構築するダブという手法は、まだそれほど知られたものではなく、しかもメジャー・レーベルのアーテストがそれを行なうというのはかなりの冒険だった。5年くらい先取りし過ぎたんじゃないかと思えてしまうくらい、特にこのアルバムでは浮いているとらっくである。あ、だからラストのボーナス・トラック的扱いなのか。




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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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