好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#80年代ソニー・アーティスト列伝

80年代ソニー・アーティスト列伝 その11 - 太田裕美 『I do, You do』

idoyoudo 80年代のソニー・グループといえば、レベッカやハウンド・ドッグ、尾崎豊からTMネットワークに至るまで、来たるバンド・ブーム前夜の日本のロック/ポップス・シーンを一手に引き受けていたイメージが強いけど、70年代は女性アイドルがメインのレコード会社だった。
 総合レコード・メーカーとしては最後発だった、CBSソニーの70年代所属アーティストのラインナップを見てみると、ロック/ニューミュージックの看板アーティストと言えるのは、吉田拓郎や矢沢永吉くらい。いずれも他社から移籍してきた者ばかりで、生え抜きアーティストの存在感はわずかなものだった。
 五輪真弓は「恋人よ」がヒットするまでは通好みのポジションだったし、ふきのとうは、さらに限られたフォーク村での人気にとどまっていた。試行錯誤の途中にあった浜田省吾がブレイクするのは80年代に入ってからだし、シティ・ポップの先駆けだった南佳孝は、もともと大衆的ヒットとは無縁の音楽性だった。

 70年代のCBSソニーを支えていたのは、彼らアーティストではなく、もっと芸能寄りの女性アイドルたちだった。同じ70年代ラインナップを見ると、キラ星のようなメンツが並んでいる。
 創業時は浅田美代子や天地真理に始まり、その後も南沙織やキャンディーズ、山口百恵など、それぞれ一時代を築き上げた旬のアイドルたちが、切れ目なく輩出されている。年を追うに従って、アイドル育成のノウハウが蓄積され、他社とはひと味違ったコンセプト、例えば雑誌グラビアやジャケット撮影ひとつにおいても、アイドル定番の貼り付けたような営業スマイルではなく、篠山紀信によるアーティスティックな写真を起用するなど、従来のセオリーをはずすことで、他社との差別化を図っていた。80年代から始まったとされるソニーのビジュアル戦略は、実は早い段階から試行されていた。
 フォーク/ニューミュージック系のアーティストは、すでに他社の青田買いによって、有望な新人には大抵手がつけられていた。新参者だったソニーが他社との優位性を図るには、育成期間もそれほどかからず、メディア露出によって即効果の出やすいアイドル系に力を入れざるを得なかった、といった事情もある。

2

 もともとナベプロ主宰のスクールメイツで、後にキャンディーズとしてデビューする面々と同期だった太田裕美は、ソニー通常の育成ラインに沿えば、オーソドックスなアイドルとしてデビューするはずだった。だったのだけど、ナベプロ的にはキャンディーズをプッシュして行きたい、という意向もあって、また、初期のディレクター白川隆三が主に洋楽を手がけていたこともあって、シンガー・ソングライターとアイドル、そのハイブリッド・スタイルでのデビューとなった。
 その白川のインタビューによると、ちょうど小坂明子が「あなた」で鮮烈なデビューを飾っていたことから、「ピアノによる弾き語り女性シンガー」という世間の新たなニーズに応えた、とのこと。ちょうど近くにいた太田裕美がピアノが弾けたから、という偶然の出逢いは、単なる偶然というより時代の要請でもあった。
 アイドルで通用するルックスを持ち、しかも自作自演もできるとなれば、まだどこも手をつけていない分野だった。戦略的に言って、その選択は的を射ていた。

 そんな隙間を狙った戦略が実を結んだのが、代表曲の「木綿のハンカチーフ」で、その後も基本は松本隆と白川によるアーティスト戦略に沿って、スマッシュ・ヒットを重ねていった。
 この分野においては、竹内まりやが出てくるまで、彼女の独壇場だった。アーティストとアイドル、両面バランス良く対処できる女性歌手は、なかなか現れなかったのだ。
 ただ、そのバランス感覚は、のちのち仇となる。悪く言っちゃえば、どっちつかずの状態ゆえ大きな爆発力を生むことはなく、ポジション的には終始、トップグループの2番手か3番手という位置にあった。
 たまにバラエティに出たりはするけど、イメージ戦略の都合上、当時のアイドルの定番であるグラビアやコント出演は、極力抑えられた。アーティストというポジションでは、「隣りのお姉さん」的な親しみやすさは薄かったため、当時の青少年から見れば敷居が高すぎ、妄想を掻き立てずらかった。
 とはいえ、「アーティスト」と名乗っているわりには、ほとんどの楽曲は外部委託、アルバムでも自作曲はほんの1〜2曲といった具合だった。今でこそ、「アーティストは作詞作曲ができてこそ一人前」という空気でもなくなったけど、ニューミュージック全盛時は、最低でも作詞は自分で行なうのが当たり前とされ、単に歌うだけなのは、歌謡曲の人間とカテゴライズされていた。
 そんなわけで、当時の太田のポジションは、「自称アーティストを名乗るアイドル」といった具合である。双方のおいしいとこ取りを狙ったにもかかわらず、どっちのカテゴリでも着地点が見出せなかったのは、時代を先取りしすぎた不幸でもある。
 アイドルの解釈の多様性が広がって、森高千里が登場できるようになるまでには、もう少し待たなければならなかった。

797a5419-ce38-4bde-8414-88da3dc937d8

 今も昔も変わらないけど、女性アイドルの賞味期限はとても短い。どれだけトップグループを維持しようと、歳を取ればバトンタッチしなければならない。代わりの新人はいくらでも出てくるし、そりゃ新しい方が鮮度も違ってくるので、次第にかわい子ちゃん路線は通用しなくなる。
 個人差はあるけど、一般的にその賞味期限は3〜5年、それを過ぎると、路線変更を余儀なくされる。そりゃやってる方だって、いくつになってもミニスカ・ドレスやビキニ・スタイルで営業スマイルばっかりだと、ウンザリしてくるだろうし。
 大抵は芸能界引退、ごく少数は女優へ転身する者もいたけど、トップグループ組で最も多かったのが、大人の歌手への転向だった。処女性を前面に出したマスコット的存在から、もう少し年齢に即した「大人びた恋愛」をテーマにすることによって、コンテンポラリーな歌謡曲へとスライドしていくのが、セオリーとされていた。

 で、デビュー以来の松本隆-筒美京平コンビによる青春路線から、イメージ・チェンジを試みていた太田裕美が巡り合ったのが、大滝詠一だった。
 まだロンバケのヒット前だった彼から「さらばシベリア鉄道」を譲り受け、それが小ヒットにつながった。アイドル的には賞味期限が切れ、アーティストとしては迷走中、セールスも低迷していた彼女にとって、それは大きな転機となった。
 歌詞を書いたのは松本隆だったけど、シンガー大滝詠一を想定して書かれた言葉は力強く、アイドル的な世界観とは一線を画していた。
 続いて松本-大滝コンビによって制作された「恋のハーフ・ムーン」は、太田裕美のイメージを保ちつつ、彼の特性であるオールディーズ風味を交えた、キャッチーなポップ・チューンだった。こちらも大きなヒットにはならなかったけど、おおむね評判は良く、アーティスティック路線へのスムーズな移行は、これで問題ないはずだった。
 実際、それはうまく行きかけていたのだけど。

o0367036713829171140

 1982年、太田裕美は活動休止を宣言し、単身ニューヨークへと留学してしまう。徐々に仕事はフェード・アウトしていたのだろうけど、ファンや世間からすれば、それは突然のできごとだった。年齢的にアイドル仕事は無くなっていたので、旧来の清純派イメージを保持したまま、アーティスト活動へシフトして行くのが、自然な流れのはずだったのだけど。
 帰国後にリリースされた復帰第一弾『Far East』は、レコードA面をニューヨーク・サイド、B面を日本サイドに分けて制作された。ニューヨーク在住のソングライター・コンビによる、コンテンポラリー寄りのロック・サウンドは、従来の歌謡フォーク的なウェット感を一掃した。
 また日本サイドでは、まだ知る人ぞ知る存在だったテクノ・ポップ・バンド「チャクラ」のリーダー板倉文を大々的に起用、まだお茶の間には浸透していなかったニューウェイヴ・テイストの楽曲は、古参ファンの度肝を抜いた。
 とはいえ、従来イメージの面影を残すかのように、従来の歌謡フォーク的楽曲も収録されていたため、大きな混乱には至らなかった。少なくとも『Far East』では、アーティスト路線へのソフト・ランディングは成功したように思われた。
 問題はその次だ。
 ここから太田裕美は覚醒する。

 わずか半年のインターバルでリリースされた『I do, You do あなたらしく、わたしらしく』は、前作の日本サイドで展開されたテクノ・ポップ・サウンドがフル稼動している。『Far East』はいわば、試運転と世間の動向をリサーチするためのアルバムであり、ほんとにやりたかったのは、こういったサウンドだったのだ。
 当時、聖子プロジェクトで頭角を現し、ライト・ポップなシンセ使いとして脂の乗っていた大村雅朗が全面参加、ここではラテンやレゲエなど、多彩なリズム・アプローチを駆使しつつ、最新MIDI機材のスペックを最大限まで引き出したテクノ・サウンドで遊びまくっている。
 「しっとり落ち着いた大人の歌手」然としていた大滝作品とは一転して、これまで築き上げたキャリアをチャラにしてしまった、一周回って大人可愛いアイドル唱法は、オモチャ箱をひっくり返したようにとっ散らかったサウンドとマッチしている。いわば、のちのガールズ・ポップの原点と言える。
 徹底的にフィクショナブルな空間構築のため、重要なファクターとなったのが、初めて起用された作詞家山本みき子が持ち込んだ世界観だった。書き出してみると、捉えどころのない無意味なフレーズの羅列だけど、死角から突拍子もなく飛び込んでくるその言葉たちは、発語の快感に基づいた言語感覚に紐付けされ、未曽有のイマジネーションを喚起させる。のちに作家に転身して「銀色夏生」と名乗ることになる山本の、どこから飛んでくるかわからない千本ノックのような言葉の礫は、作曲家太田裕美の能力を覚醒させる。
 『Far East』同様、『I do, You do』でも、従来ファン取り込みのための印象派バラードも収録されているのだけど、それはもはや付け足しでしかない。太田-銀色によるコラボが残した最高傑作「満月の夜 君んちへ行ったよ」の前では、無難なバラードは霞んでしまう。
 強烈な無意味、強力なオリジナリティは、いま聴いてもインパクト十分。何かよくわかんないけど、聴いてて楽しい。踊りたくなってくる。
 これだけで、もう成功だ。

o1040099014076012706

 「大人になる」とは「丸くなる」こと、「フォーマルを装う」というのは、今も昔もあんまり変わらない。「成長する」ということは、「窮屈さを甘んじて受け入れる」ことと、ある意味では同義である。
 でも、単に世間に流されて、上記の感じで大人になっても、いいことなんて何もない。どうせ大人になるのなら、違う道だってあるはずだし、それならそれで自分で選びたい。
 そんな風に思ったか思わなかったか、とにかく世間の思惑の斜め上を行った彼女のイメチェンは、かすかではあるけれど、確実に衝撃を残した。現役アイドルも霞んでしまう、ファニーでポップな甘いヴォーカルは、それまでかしこまっていた太田裕美像のアンチテーゼとして、また無理にフォーマルに収まろうとする大人の歌手への痛烈な批評となった。

 その後も太田裕美の覚醒は治まらず、『I do, You do』で手応えをつかんだテクノ・ポップ路線をさらに深化、ご乱心時代の総決算となる快作『Tamatebako』 をリリースする。ただ残念なことに、イメージ・チェンジに着いていけなかった従来ファンは離れたことによって、セールスは低迷する。
 シンセ機材のスペックを丁寧にアップデートすれば、今の時代にも通用する極上のポップ・アルバムなのだけど、主力ユーザーになるはずの「TECHII」や「POP IND'S」読者が彼女の動向をつかんでいなかったこと、また、本来なら買い支えるはずの従来ファンが離れてしまったことが、彼女にとっての不幸だった。
 考えてみれば、中島みゆきの「ご乱心」だって相当なものだったけど、ファン離れはそれほど起きず、熱心に買い支えていたのだ。そう考えると、薄情なもんだよな太田裕美ファンって。
 この路線が志半ばで終わってしまったのか、それとも十分やり切った結果なのかはわかりかねるけど、イメージ定着にはもう1、2作は続けて欲しかった、とは今になって思う。もうちょっと続けていれば、「TECHII」読者も気づいてくれただろうし、「PATi PATi」創刊にも滑り込めて、ビジュアル展開が面白かったんじゃないかと。



I do,You do あなたらしく、わたしらしく
太田裕美
ソニー・ミュージックレコーズ (2001-05-23)
売り上げランキング: 384,666





1. 満月の夜 君んちへ行ったよ
 チョッパー・ベースとシモンズによるベーシック・リズムをバックに、エスニック・ドラムによる怪しげなムードを醸し出しながら、銀色によるシュール・ネタのような無意味性の凝縮は、太田裕美のヴォーカルすら別世界へ導く。

 満月の夜 君んちへ行ったよ
 満月の夜 君んちへ行ったよ
 なのに 君んちは 丸い丸い月の中に
 君んちは ぷかりぷかり 浮いてしまってて

 清純派アイドルが書いた、アルバム用の自作詞よりもぶっ飛んだ言葉たちは、メロディやアレンジの可能性を開放する。ほぼタイトル連呼のサビとAメロだけで構成されたメロディを包むアレンジには、Human LeagueやOMDらUKダンス/ニューウェイヴの影響が色濃く反映されている。
 自身で書いたメロディだから、いわば当たり前ではあるけど、注目すべきなのは歌のうまさ。単なるピッチの合わせだけじゃなく、リズム・パートとメロディ・パートでの歌い分けは、やはりベテランならではの表現力の豊かさ。



2. 葉桜のハイウェイ
 チャクラ板倉によるミディアム・ポップ。タイトルからしてメロディからして、従来タイプの楽曲だけど、ほぼDX7によるシーケンス・リズムやテクノポップ風エフェクトは、やっぱりソニーだけあってレベルが高い仕上がり。
 やっぱり注目してしまうのは、銀色による、日本のロック/ポップスでは、まず使われることがなかった、独特の言語感覚。「早く帰って お風呂に入ろう」「今日も世界は みかん晴れ」なんて、普通思いつかないよな。皮膚感覚に基づいた言葉を書く女性アーティストの出現は、ドリカム吉田美和まで待たなければならない。あ、そういえば彼女もソニーか。
 その銀色の言葉を自分の言葉として吸収し、こんな大人カワイイ楽曲として歌いこなしてしまう太田裕美の底力といったらもう。ヴォーカル録りしててテンションが上がったのか、アイドル顔負けのフェイクも入れている。

3. お墓通りあたり
 いきなり木魚の音からスタート。そこから導かれるように、オリエンタルなピアノの調べ。なんだこれ。チャイナ風メロディから紡ぎだされる、印象的なフレーズ。
 「たばこ屋はいつも 角にあるね」「三叉路はいつも 風が来るね」。思わせぶりでいて実は無意味な空間はシュールで、どことなくつげ義春の世界を思わせる。

 そんな風に 誰かときっと すれ違ってしまうんだね

 突然、こんなフレーズを滑り込ませちゃうのだから、油断がならない。アレンジと言葉、そして歌とが絶妙のバランスで拮抗している。



4. ガラスの週末
 普通に80年代アイドルに提供できそうな、完成度の高いポップ・ソング。完成度が高いというのは「うまくまとまっている」ということで、冒頭3曲のインパクトと比べると、ちょっと霞んでしまう。でも考えてみれば、このくらいテクノ度を薄めてやった方が、一般性はあったのかな。このままバックトラック使い回して南野陽子が歌っても、違和感なさそうだし。
 あ、彼女もソニーか、そういえば。

5. こ・こ・に・い・る・よ
 複雑な変拍子と転調が交互にやって来る、大陸的な雄大さを思わせる正攻法のバラード。ニューミュージック時代とは違って一皮むけた、品格の高さを思わせる。でもね、これだけ録音レベルが低く、こもったような音がクオリティを損なっているのだけど、これって俺のCDだけ?

9bf63170d9

6. 移り気なマイ・ボーイ
 コケティッシュな大人の女性じゃないと歌いこなせない、一周回ってアイドルを演じてみました的な、はじけたアイドル・ポップ。キョンキョンより早かったんだな、批評性を感じさせるアイドル・ソングって。ファズ・ギターをフィーチャーしたバンド・サウンドと、チャイナ・テイストのエフェクト。確かにキョンキョンが歌ってても違和感ないよな。
 キョンキョンはビクターだった。ちょっと惜しい。じゃあ渡辺美奈代だな。

7. パスしな!
 シンセ奏者として全面参加している川島裕二作曲による、レゲエ風味のテクノ・ポップ。ダブっぽいリズムとコンプをかけたヴォーカル、ラテンっぽいエフェクトは南国テイスト満載。
 アイドル・テイスト全開のファニー・ヴォイスで歌われるのは、シュールでキュートで実は無意味で刹那的な銀色ワールド。意味なんてあるもんか、ノリがイイからそれでいいでしょ。

8. ロンリィ・ピーポーIII
 名前だけは聞いたことがあった、シンガー・ソングライター下田逸郎による、大人の恋愛模様を描いたトレンディな空間。前作『Far East』からの連作で、アイドルを卒業した女性シンガーにはぴったりの世界観だけど、銀色夏生のシュールリアリスティックな文体と比べると、あまりにオーソドックスで分が悪い。
 歌詞の平凡さとは対照的に、板倉アレンジによるサウンドは凝りに凝りまくっている。琴の音色をエフェクト的に使ったオリエンタル・サウンドは、東洋音階に凝っていたと思われる太田のメロディ・ラインとの相性も良い。アウトロはちょっとカオスだけど。

220cc7146f

9. ロンリィ・ピーポーII
 なぜかIIIの後のII。8.のプロローグ的なモノかと思ったけど、歌詞には特別関連性はなさそう。多分、あんまり深い意味はないんだろうな。「福生ストラット」みたいなもんか。
 シングルとしても発売されており、多少はそれ向けにかしこまったのか、作曲は岡本一生・亀井登志夫の歌謡曲畑によるもの。なので、8.ほどの破壊力は薄い。

10. 33回転のパーティー
 ラストは正攻法。アーティストとしての顔を強く押し出してきたけど、アイドルとして活動してきたことは、誇らしい過去でもある。大人のアイドルとして何を歌って行くのか、その理想形のひとつが、この珠玉バラード。






GOLDEN☆BEST/太田裕美 コンプリート・シングル・コレクション
太田裕美 ゴスペラーズ
ソニー・ミュージックハウス (2002-06-19)
売り上げランキング: 3,949

恋のうた
恋のうた
posted with amazlet at 18.02.23
Speedstar (2017-08-30)
売り上げランキング: 10,093


80年代ソニー・アーティスト列伝 その11 - バービーボーイズ 『Freebee』

Folder 比較的、王道スタンダードな方針のCBSに対し、80年代のエピック・ソニーは、その幅広いアーティスト・ラインナップから、恐ろしく懐の深い企業であったことで知られている。ほぼ同時代に、佐野元春とラッツ&スターと一風堂とモッズとが、同じレーベルでひとくくりにされていたのだから、考えてみればポリシーのない組み合わせだよな、これって。
 当時のレコード会社のディレクターは、一応会社員ではあるけれど、それぞれが独立した独り親方のようなものだった。それぞれ、自分の好みと感性に合ったアーティストを探し出し、それぞれ独自の戦略やコネクションで営業戦略を立ててこそ、一人前とされていた。特に、レコード会社としては新興だったソニーは社員の平均年齢も若く、業界の慣例やしきたりに縛られることも少なかったため、何かにつけしがらみの多い老舗では、思いもつかない手法を次々と編み出していた。
 それまで他社があまり力を入れてなかったビジュアル面の充実を図るため、若手カメラマンやスタイリストを積極的に起用して、スタイリッシュなグラビアやPVに予算を割いたのは、ソニーが最初である。それだけならまだしも、そのグラビアを広く世に広めるため、雑誌まで作ってしまったところに、80年代ソニーの凄さがある。宣伝媒体のインフラまで整備しちゃうのは、なかなかの大ばくちだよな。でも売れてたんだよ、パチパチ。

1200 (1)

 そんな風に、何でもかんでもスタイリッシュに染め上げてしまうソニー・メソッドにうまくフィットしたのが、バービーボーイズである。
 ロック・バンド特有の泥くささを感じさせない男女ツイン・ヴォーカルと、スタイリッシュなバンドマンの理想像だったギタリスト、エキゾチックなラテン系風貌のベース、ドラムは…、この人だけは普通だったかな。
 ビジュアル映えする個性的なルックスの集合体は、新進気鋭の映像ディレクターやカメラマンにとって絶好の素材であり、バービーの登場は、従来の汗くさいロック・バンドのイメージをガラッと変えた。
 ギターのいまみちともたかは、番長タイプとは真逆の知性派不良のイコンとしてカテゴライズしやすく、当時の少年漫画のモデルとしてよく使用されていた。コンタの首から下げたソプラノ・サックス、フレアスカートをはためかせながら激しく踊る杏子など、記号化しやすいキャラクターは、個性派がそろうソニー系アーティストの中でも群を抜いており、早いうちからビジュアルの認知度は高かった。

 近年も、RGと鬼奴のモノマネによって、リアルタイムでは知らない世代への認知度も高まっている。もともとアラフォー以上の年代からの支持は高値安定しており、アンチの少ないバンドである。
 ただバービー、いわゆるロックの歴史の流れにおいては、相当軽んじられた存在である。決して本流ではなく、常に傍流を走ってきた彼ら、通常のロック・バンドのフォーマットからは、ことごとく逸脱した存在である。
 シングル・ヒットも多いため、その逸脱加減は見えづらいけど、姿勢としてはかなりプログレッシブである。
 日本人には馴染みの深いマイナー・メロディと、U2やPoliceをルーツとしたUKギター・ロックのバタ臭いサウンド、コンタが高音を歌い、杏子は低音パートという前代未聞のヴォーカル、ハイポジションでやたら手数の多いベース、ドラムは…、まぁ堅実だよな。しかも、ギターというリード楽器があるにもかかわらず、さらにソプラノ・サックスまでぶち込んでしまうごった煮感。
 本来ならうまく混じり合わず、やたらテンションだけが高いフリーフォームになってしまうところが、いや実際にバラバラなのだけど、「普通のロックに収まりたくねぇ」という想いによってベクトルがひとつになって、何だかいつの間にまとまってしまう、という摩訶不思議さ。
 こうやって文章にすると、何だか支離滅裂なサウンドを連想してしまうけど、そんな力技感が感じられないのは、メンバーそれぞれの技術的ポテンシャルの高さ、そしてリーダーいまみちのプロデュース能力に拠るところが大きい。

1

 ビジュアル的にも十分キャラ立ちしてるしUKニューウェイヴの加工輸入サウンド+深いリヴァーブのギターは独自性が強かったし、「ふしだら」「よこしま」「悪徳」など、Jポップではあまり使われないけど英語的な語感の言葉に光を当てて新たな価値観を生み出したり、アーティストとしてのバービー=いまみちの功績は大きい。
 一歩間違えれば、斜め上のイタいサブカル・バンドで終わっちゃってたはずなのに、奇跡的なキャラクター・バランスの均衡と、80年代イケイケだったソニー戦略とうまくフィットしたことによって、後世まで語り継がれ愛されるバンドとなった。
 でも、時代を先導してたわけじゃないんだよな。あくまで脇道を独り全力疾走してた感が強いのが、バービーの特異性である。

 GS~はっぴいえんどをルーツとした「正調」ロックの歴史と、アングラ~ニューウェイヴから連なる「裏街道」ロックの歴史という2本の縦軸があったとして、その時系列とは違うベクトルで活動してきたのが、バービーである。ていうか、80年代ソニーそのものが独自の時系列を形成していたこともあって、一般的なロックのルーティンとは微妙にずれたアーティストの多いこと。米米や爆風スランプだって、ソニーがなかったら決して表に出てこれなかった連中だ。逆に言えば、一般的なロックのフォーマットとは距離を置いてきたこと、その距離感こそが彼らの確固たるオリジナリティの形成に役立ったとも言える。

1200

 たまに雑誌やネットの企画で出てくる「日本のロックの歴史」において、バービーが大きくフィーチャーされることは、あんまりない。同時代の代表的バンドとして連想するのが、レベッカやBOOWY、ブルーハーツといったところだけど、バービーの扱いといえば「その他大勢」、メインで取り上げられることはほぼない。記号化されたキャラクターと、音楽以外に起伏の乏しいバンド・ストーリーは、いわゆるロック村の住人にとっては感情移入しづらいのだ。
 劇的なサクセス・ストーリーとかメンバー・チェンジとか恋愛スキャンダルでもあれば、いい意味での生臭さが出たのかもしれないけど、そういった人間臭さが出た後期、バンドはすでに修復不可能、活動休止に入ってしまっていた。日本人的なウェット感を表に出さず、あっさり解散の道を選んだあたりにも、つかず離れずの距離感を保ち続けていたバンド内のパワー・バランスが窺える。

 で、彼らにとって2枚目のアルバムとなったのが、1985年リリースの『Freebee』。デビュー作からわずか8か月でリリースされ、オリコン最高18位をマークしている。
 ソニーのアーティストによくありがちなパターンだけど、デビューして間もなくの彼らはキワモノ扱いの枠に組み込まれていた。ロックの通常パターンにはない男女ツイン・ヴォーカルというスタイルが「ロック版ヒロシ&キーボー」と称され、しかもロックの常套句にはない言語感覚のタイトルや歌詞がまた、いわゆる「本格派」のロック村からは敬遠されていた。
 かつて70年代、「日本語でロックは可能か?」という命題があって、有名無名も含めて業界内では一大論争となったらしいけど、80年代に入ると躊躇なく英語を自在に操る佐野元春が現れ、そして桑田佳祐がさらに一歩踏み込んで、「英語っぽく聴こえる日本語」の多用によって、そんなしちめんどくさい垣根を取り払ってしまった。
 そこからは「英語でも日本語でも、メロディに乗ってればどっちでもいいんじゃね?」的にユルいムードに移行してゆくのだけど、85年はまだその過渡期にあたっており、70年代の残党がまだ幅を利かせていた。なので、バービーのファンはもっぱら、過去のしきたりや先入観とは無縁なティーンエイジャーが多くを占めていた。

c9bf1aac-8782-47db-9952-38af33709b0f

 で、そんなイロモノ枠の先入観が取り払われるようになったのが、ここからだったんじゃないかと、今になって思う。その決定打となったのが、U2~Steve Lillywhiteへのリスペクトとなった「チャンス到来」、そしてソニー的人生応援歌の源流のひとつとなった「負けるもんか」の2曲。
 どちらもいまみちによる強烈にクセの強いサウンド・デザインによって、既存の意匠を使いながら、結局はオリジナリティの方が勝る仕上がりになっている。アルバムの主軸となる2曲の存在によって、ティーンエイジャーへの認知度は一気に広まることになる。


Freebee
Freebee
posted with amazlet at 17.09.15
バービーボーイズ
ソニー・ミュージックダイレクト (2009-05-27)
売り上げランキング: 37,933



1. midnight peepin'
 ミディアム・スローに聴こえるのに、タイトなドラム・プレイと地表をうねるベース・ラインがスピード感を演出している。ギターとヴォーカルを取っ払っても十分成立してしまうところに、バービーの奥深さがある。ギター・フレーズ自体はオーソドックスだけど、サスティンの効いた響きはほどよく空間を埋める。この奥行き感も、バービー・サウンドの魅力である。

519mcD7YP-L

2. 負けるもんか
 12インチ・シングルで発売された、バービー初期の代表曲のひとつ。1.はほぼコンタのソロだったけど、ここでは杏子が大きくフィーチャーされる。ハスキーでハスッパな女を演じさせたら、彼女の右に出る者はいなかった。コンタもまたハスキーな性質であったけれど、杏子のような「憂い」がなかったため、時に一本調子になってしまうところを、勢いの良さでカバーしている。いい意味だよ、これって。



3. チャンス到来
 こちらも先行でシングル・カットされたミディアム・バラード。俺がバービーを知るきっかけになった曲。PoliceとJesus and Mary Chainの奇跡的な融合を軽々と実現するいまみちのコンポーザー能力は、同世代の中でも抜きん出ていた。考えてみればバービー、ほとんどシンセって使ってないんだよな。ほぼギターだけでメロディ・パートやっちゃうんだから、そのアレンジ能力はずば抜けている。

「チャンス到来 転がり込んで 秘密のジェスチャー」

 長い友達で気心も知れあって、お互い気があるのもわかっているはずなのに、きっかけがつかめずあと一歩が踏み出せない。そんな距離感の詰まり具合と曲の進行がうまくシンクロしている。



4. マイティウーマン
 ほとんどワンコードで進行する、ライブ映えするノリ一発のロック・チューン。間奏のコンタのサックス・ソロがPoliceへのオマージュっぽいのと、カッティング・ギタリストいまみちの迫真のプレイが堪能できる。

5. でも!?しょうがない(Riverside Mix)
 冒頭の杏子の「バカバカバカ」が強烈な印象を残す、歌謡曲テイストの濃いロック・チューン。こちらもシングル・カットされており、初期の代表曲として安定した人気を保っている。こうして聴いていると、ギター・ソロにそれほどこだわりのないいまみちのスタイルは、同じくリフ勝負のPete Townsendを連想させる。彼もまた、コンポーザー気質だったしね。

6. 悪徳なんか怖くない
 こちらも杏子の「なんてウソつきなの!!」という絶叫フレーズが頭に残るナンバー。こうして書いてると、なんだか一発芸扱いだよな。でも、当初はその破天荒さこそが彼女の魅力だったのだ。ひらつくスカートからのぞく美脚とあわせて。

0000000011452


7. ドンマイ ドンマイ
 基本、自分で歌わないいまみちが作曲しているため、一応、2人のキーには合わせているんだろうけど、バービーの曲は総じてどれもフラット気味なケースが多い。循環コードをわざと外すようなサビを持つこの曲は、そのフラットさがうまく作用して、男の子の複雑な心境をうまく表現している。気のある女友達が彼氏とうまく行かなくなって、愛憎半ばでその相談に乗る男の感情の揺れが、妙にリアル。よく書けたよな、こんな歌詞。

8. ラストキッス
 この曲のみ、ヴォーカル・作詞作曲ともコンタの手によるもの。サビの突然の転調具合や着地点の見えないコード進行といい、不思議な感触のナンバー。でも考えてみれば、バービーとしてデビュー前、いまみちと組んで間もない頃、2人で目指していたのはこんなメロディだったのかもしれない。

9. タイムリミット
 続いて杏子のソロ。普通なら、デュエットと好対照に、女性としての弱さを表現するようなサウンドになりそうなところを、相変わらずいまみち、好き放題にフリーキーなギターでサウンドを染めている。メロディ自体は歌謡曲の系譜にあるロッカバラードなだけに、いい意味でのいびつさが際立つ。

maxresdefault

10. ダメージ
 ラストを飾るのは、コアなバービー・ファンの間では人気の高い、いわば隠れ名曲。「もとどおりにランデブー」。このフレーズを冒頭に持ってきた時点で、当時のいまみちが最高の作詞家であったことを証明している。
 サウンドメイカーとしての評価はもともと高かったいまみち、ただ四半世紀以上経っている今だからこそ、バブル以前の普通の男女の憂いを切り取るコピーライト力は、もっと評価されてほしい。



蜂-BARBEE BOYS Complete Single Collection-
バービーボーイズ
Sony Music Direct (2007-04-25)
売り上げランキング: 25,055
BARBEE BOYS IN 武道館 Sexy Beat Magic [DVD]
Sony Music Direct (2007-04-25)
売り上げランキング: 12,813

80年代ソニー・アーティスト列伝 その10 - 鈴木雅之 『Mother of Pearl』

Folder 80年代初期にチャートの常連だったラッツ&スターが活動休止に至った経緯は、複合的な要因が絡み合ってのものだけど、単純に考えるとシャネルズから改名以降のセールス不振が大きく響いている。
 新生ラッツ&スターとしてのシングル第一弾「め組の人」は、当時有数のヒットメーカー井上大輔のペンによるもので、オリコン1位80万枚を売り上げる大ヒットを記録した。改名に至るゴタゴタを払底するため、ここで一発ヒット曲を出さなければならなかったのが、ラッツが当時置かれていた状況だった。

 化粧品CMとのタイアップの絡みであらかじめタイトルは決まっており、新生第1弾をアピールするため、当初は井上同様、ヒットメーカーだった大滝詠一がプロデュースする予定だった。かつての師匠との再会は話題性充分だったはずなのだけど、当時『Each Time』レコーディングにかかりきりだった大滝のスケジュールが取れず、企画がお流れになったのは、わりと有名な話。
 そういった経緯もあって、2曲目はぜひ師匠の作品で、というのは必須の流れだった。

 大滝プロデュースを最大のセールスポイントとしたアルバム『Soul Vacation』は、ジャケット・デザインを世界的アーティストAndy Warhol に依頼、アレンジャーには村松邦男と井上鑑を起用、当時のナイアガラ・ファミリーを贅沢に使った意欲作となった。
 シングル・カットされた「Tシャツに口紅」も、前作と雰囲気を変えたマイナー・タッチのしっとりしたバラードとなっており、2曲並べることで陰陽のコントラストがくっきり浮かび上がってくる。この曲はラッツ時代の名曲として、今もファンの間では人気が高い。ついでに、俺のカラオケの定番となっているナンバーでもある。
 ただ当時のチャート・アクションは、アルバム3位シングル18位と、中途半端な売り上げに止まってしまう。今ではテレビ出演においても、「夢で逢えたら」と共に選曲される率が高い楽曲なので、「別れの街」や「違う、そうじゃない」クラスの売り上げだったと誤解されているけどとんでもない。当時からすでに。隠れた名曲扱いだったのだ。確かに「め組の人」と比べてアダルティーなサウンドは、当時のヒット曲と比べて明らかに地味だった。
 シングル・リリースのペースが早かった80年代において、2曲目で大きく失速してしまったことによって、その後のラッツのチャート・アクションは下降線を辿ることになる。

2d778_1433_f7bd6e56d10476184f00db723879aa57

 そういった現状に、ただ手をこまねいていたわけではない。新機軸として、シングルで田代をメインに据えたり、企画色が強いけど、マーチン姉の鈴木聖美をフィーチャーした「ロンリー・チャップリン」は、リリースから四半世紀経った今も、夜の街界隈を賑わす定番デュエットである。あるのだけれど、あくまでどれも単発的な効果に終わり、ラッツ本体へのフィードバックには至らなかった。
 良い意味で姐御肌的存在だったお姉ちゃんとのコラボは、結果的に鈴木姉弟の発言力が増す方向へ作用したため、グループの連帯感は緩やかに崩れていった。

 グループとしてのオファーが少なくなってゆくことによって、自然と個々の仕事が多くなり、これまでの一枚岩体制からシフトチェンジ、ラッツ本体の活動は次第にフェードアウトしてゆく。
 もともとパーティ・バンド的なニュアンスも濃かったシャネルズ時代から、ライブMCでのおちゃらけたトーク・コーナーはあったのだけど、末期のライブでは田代と桑野主導による幕間のコント・パートが設けられており、純音楽主義的な他メンバーとの不協和音がシャレにならなくなっていた。
 他メンバーほど音楽面に執着がなく、志村けんに目をかけられた2人はTVバラエティの世界へと進出、それを機に他メンバーも業界内外へそれぞれ散っていった。バス担当の佐藤善雄が、のちにプロデューサーとしてゴスペラーズを世に送り出したのは、わりと有名な話。
 まとめ売りなら需要は少ないけど、個性に応じたバラ売りによってニーズを創り出せるのなら、結果的に全体の寿命は延びる。大元のブランド・イメージも維持できるし、グループと所属事務所の選択は間違ってはいなかった。

 で、ここでマーチン。解散という最悪の事態を回避、ホームグラウンドであるラッツのアイデンティティを保ってゆくため、マーチンはエピックとソロ契約、ただ独りアーティスト活動を続けて行くことになる。
 とは言っても、単なるラッツの延長線上というわけにはいかない。「ドゥーワップ+オールディーズに歌謡曲のメロディ」という方法論はこの時点で行き詰まっており、ひとりラッツでは立ち行かなくなるのは目に見えていた。
 グループ時代はそれほど前面に出してなかったけれど、マーチンは同じヴォーカリストとして、Marvin Gayeをリスペクトしていた。優秀なソングライターでありながら、時にダイナミックに、時にセクシャリティを強調した彼のステージ・パフォーマンスは、R&B要素を持つ男性ソロ・ヴォーカリストにとって、目指すべき理想形だった。

iapp

 ただ当時のソニーにとって、それは苦手分野のひとつだった。大沢誉志幸の時にも書いたけど、70〜80年代のソニーは、彼のような男性ソロ・ヴォーカリストへの販売戦略が不得手だった。アメリカ進出を模索していた矢沢永吉が、グローバル展開を見据えてワーナーへ移籍したように、良くも悪くもドメスティックな営業戦略で収まってしまうところが、世界的なアーティスト育成の不調に直結している。プレステは世界中のどこにでもあるのにね。
 Marvin をプロトタイプとした和製R&B路線は間違っていなかったのだけど、未開拓の分野ゆえ、マーチン含め周辺スタッフもまた、試行錯誤していたんじゃないかと思われる。

 その和製R&B〜ファンク路線は、松崎しげるをプロトタイプとするディナー・ショー路線とは別のベクトルへ向かうことになる。演歌/歌謡曲とも相似点が多いメロディアスなフィリー・ソウルをルーツとするのではなく、リズムを主体に構成された同時代のファンク〜ヒップホップから着想を得ることによって、80年代洋楽チャートともリンクしていった。
 のちに登場する久保田利伸のブレイクによってコンセプトが固まり、彼を中心としてバブルガム・ブラザーズや安藤秀樹らによるソウルメイト一大勢力を築くことになるのだけど、それはもう少し後の話。マーチンがデビューの時点では、まだ黎明期だった。同じ男性ソロ・アーティストだったとしても、フォーク/ロック系の佐野元春や尾崎豊と同じ手法ではダメなのだ。事実、ヒップホップ色の強い『Visitors』が正当に評価されるまでには、ずいぶん待たなければならなかったし。

 そのような黎明期のソニーR&B部にいたのが、大沢誉志幸。
 希代の名曲「そして僕は途方に暮れる」のヒットによって、デビューから積み上げてきたデジタル・ファンク・サウンドも脚光を浴びるようになっていた。その路線の完成形となったアルバム『in・Fin・ity』も、高い評価とセールスを記録して、ようやくひとつの方向性が定まった頃だった。
 デビュー前から、職業作家としての活動も並行して行なっていた大沢、この頃はアーティストとしてだけでなくライターとしても脂が乗っており、山下久美子「こっちをお向きよソフィア」や吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」など、いまも彼らの代表曲になっている楽曲を立て続けに書き下ろしている。売れたわけじゃなかったけど、ビートたけしにも書いてるんだな、この人。
 ファンクとR&Bと、微妙にジャンルは違えど、同世代で聴いてきた音楽もかなりカブってる2人の相性は良く、コラボするのは成り行きとしても自然の流れだった。

martin

 で、その大沢は当時、主なブレーンとしてホッピー神山を引き入れており、多分その流れで彼も主要スタッフとしてクレジットに名を連ねている。普通に考えると、メジャーとアンダーグラウンドとのボーダーで活動していたホッピーとのコラボは貴重だし、その流れで参加している布袋寅泰はもっと異色である。当時はBOØWYでブイブイ言わせてたのにね。
 座付き専属作家とレコード会社主導によって築き上げられた歌謡曲の世界は、80年代に入ってからは、はっぴいえんど/ティン・パン・アレー一派がレコーディングを仕切り出し、なし崩し的にはロック系アーティストの参加が多くなる。ロックは金にならないけれど、アイドル関連は確実に収入になるので、中途半端なポリシーを捨てさえすれば、需要はいくらでもある時代だった。
 良く言えば、「他流試合を重ねたことによるスキルの向上」といった見方もできるけど、当時の布袋がマーチンや中島みゆきだけでなく、今ではスッカリ有名になったナウシカの蟲の鳴き声までやっていた、というのを聞くと、なんか日本版Adrian Brew 、ギターの便利屋的印象を受けてしまう。ホッピーもホッピーで、この時期の仕事で有名なのは吉川晃司や布袋の一連のプロデュースだけど、うしろ指さされ組なんて仕事もやってるんだもの。何でもアリだな。

 ディレクターやマーチン本人の方向性がまだ充分固まっておらず、サウンド・プロデュースに徹した大沢もホッピーも、通常の歌謡曲仕事よりは丁寧な仕事をしてはいるものの、R&Bと歌謡曲とのブレンド配分を決めかねている部分が垣間見える。まぁ実質的なデビュー作なので、かっちりした方針も何もないのは当たり前の話だけど。これまでのようなラッツのコーラス・ワークがない分、サウンド的に薄くなるのを回避するため、ひとクセとギミックの多い大沢&ホッピーのアレンジは正解だった。
 『Mother of Pearl』は、マーチンのソロ・ワークの基本指針を決定づけ、その後は山下達郎や小田和正ら気鋭のクリエイターによって、サウンドは磨かれてゆく。和製Marvin Gayeと称される彼が本領を発揮するのはもう少しあと、「ロンリー・チャップリン」で見せたベタなお水っぽさを放つ「別れの街」からである。


mother of pearl
mother of pearl
posted with amazlet at 17.04.01
鈴木雅之
エピックレコードジャパン (1991-08-23)
売り上げランキング: 139,422


1. ふたりの焦燥
 脱・ラッツという流れを作るためには必要だった、もろ大沢誉志幸チーム、いやPINKのサウンド・プロダクションをそのまんま移植したようなエレクトリック・ファンク。跳ねまくるスラッピング、ボトムを思いっきり膨らませたバスドラ、縦横無尽にスキを見て変なギミックを奏でるキーボード。やっぱりホッピーの仕事だ。
 でももっとすごいのは、こんな一面をまるで見せてこなかったはずなのに、いとも簡単に自分のフィールドに引き寄せてしまうマーチンのテクニック。普通ならサウンドに埋もれてしまうところを、たやすくねじ伏せてしまえるのはさすがだし、こんなトリッキーなサウンドをぶつけて来たホッピーのプロデュース能力も絶妙。
 
2. 別の夜へ〜Let's Go〜
 ホッピーのアレンジメントは続き、今度は新進気鋭の若手作曲家だった岡村ちゃんのペンによるファンク・チューン。詞先か曲先かはわかりかねるけど、言葉の乗せ方には後年の岡村ちゃんのセンスが感じられるし、サビ以外ははっきりしないメロディ・ラインは岡村ちゃん特有のもの。これもまたマーチンがうまく料理しているけれども、若気の至り的な岡村ちゃんヴァージョンも聴いてみたいところ。

masayuki_suzuki001

3. ガラス越しに消えた夏
 ギミック色の強いファンクで幕を開けた後、ここでクール・ダウン。シングル15位と成績以上に記憶に残り、「Tシャツに口紅」同様、やはりこれも早すぎた名曲と称された。
 深いエコーの奥深くで奏でられるギターは布袋寅泰によるもの。バラードでは飛び道具を多用できず、U2のEdgeをモチーフとしたサウンドは、正直彼のカラーとは微妙にずれている。やっぱ便利屋的な使われ方だな。
 コード的にはセオリーからはだいぶ外れた構成なのだけど、日清カップヌードルCMとのタイアップを考慮したのか、プロデューサー大沢は技巧を凝らして奇跡的に甘くビターなメロディに仕上げている。シンガーを想定して書き分けることもできる人なのだ。



4. 輝きと呼べなくて
 アレンジといい構成といい「わがままジュリエット」そのまんまで、リリース日を調べてみると、どちらも1986年2月となっており、パクリというよりはむしろ、PINKや布袋周辺のトレンドがこういったサウンドだった、と捉える方が自然。氷室もマーチンもどっぷりロックやソウルに引き寄せるのではなく、ほんの少しだけ歌謡曲側に歩み寄った下世話なテイストを付け加えることで、マスに希求するテーマを展開している。

5. メランコリーな欲望
 と思ったら、インダストリアルなイントロはまるっきりニューウェイヴ、とてもドゥーワップ・ヴォーカルの楽曲とは思えない。タイトルといいサウンドといい、どちらかといえば吉川に提供した方がしっくり来たんじゃないかと思われる。マーチンのヴォーカルは通常運転だけど、バッキングとのミスマッチ感はハンパない。従来と違う方向性で、というオファー通りの仕事だとは思うけど、ベクトルがこじれ過ぎている。

6. 今夜だけひとりになれない
 ここからはB面。岡村ちゃん同様、当時はまだ新進気鋭の作曲家という立場だった久保田利伸によるナンバー。これまた当時の最新鋭機材フェアライトをてんこ盛りに使ったサウンドは、UKダンス・ポップとのリンクを感じさせる。
 もともとガチガチのソウル・シンガーではなく、ポップな楽曲も料理できる柔軟性のある人なので、泥臭いブルースより、むしろこういったポップ・センスの強い楽曲の中でこそ、この人は個性を発揮できる。

img_0

7. ときめくままに
 なので、このようなフィリー・ソウル80年代ヴァージョン的なポップ・ソングだと、マーチンのフットワークの軽さが見えてくる。かなり歌謡曲サイドに近づいたベタなメロディと、硬質なギター・カッティングが案外マッチしている。爽やかささえ感じてしまうサビは、こういった方向性もアリだったかもしれない、とさえ思わせる。でもこれって、久保田っぽくないよね。

8. One more love tonight
 アレンジで登場するのが、当時売れっ子マニピュレーターとして、幅広いジャンルから引っ張りだこだった藤井丈司。ホッピーもそうだけど、「歌を聴かせる」という目的より、自分たちがいかにして遊ぶか、いかにトリッキーな方向へ進むかが目的化してしまって、歌が埋もれてしまっているのが、ちょっと残念。
 結果的に、エンジニア主導のサウンドは数年経つといとも簡単に風化して、再聴するにはちょっと二の足を踏んでしまう。

9. Just Feelin' Groove
 アブストラクトな楽曲を挟んでから聴くと、すごくホッとしてしまうスタンダードなゴスペル・ポップ。単なる多重コーラスではなく、録音にかなり気を使っていることが窺える分離の良さは、やはりバジェットの大きさがモノを言う。8.に続き藤井も参加しているけど、ここは大沢のサジェスチョンが強く作用している。

small

10. 追想
 ラストは唯一、マーチン作曲によるバラード・ナンバー。ラッツ時代を彷彿とさせるメリハリのあるメロディーは、キャリアの中でも1,2を争う出来となっている。サウンドも小技を使わず、ここでは歌を聴かせるシンプルなアレンジで収めている。
 このアルバムの中では保守的なナンバーであり、ホッピーのギミックが炸裂した楽曲と比べると地味で影は薄い。けれど、やっぱヴォーカリストにとっては歌を伝えることがもっとも重要なのだ。それがわかっただけでも、十分な収穫だったと言える。




dolce
dolce
posted with amazlet at 17.04.01
鈴木 雅之
ERJ (2016-07-13)
売り上げランキング: 7,782
ALL TIME BEST ~Martini Dictionary~
鈴木 雅之
ERJ (2015-03-04)
売り上げランキング: 3,134

カテゴリ
北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
QRコード
QRコード
最新コメント

音楽 ブログランキングへ


にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村




アクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: