#80年代ソニー・アーティスト列伝

好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

80年代ソニー・アーティスト列伝 その10 - 鈴木雅之 『Mother of Pearl』

Folder 80年代初期にチャートの常連だったラッツ&スターが活動休止に至った経緯は、複合的な要因が絡み合ってのものだけど、単純に考えるとシャネルズから改名以降のセールス不振が大きく響いている。
 新生ラッツ&スターとしてのシングル第一弾「め組の人」は、当時有数のヒットメーカー井上大輔のペンによるもので、オリコン1位80万枚を売り上げる大ヒットを記録した。改名に至るゴタゴタを払底するため、ここで一発ヒット曲を出さなければならなかったのが、ラッツが当時置かれていた状況だった。

 化粧品CMとのタイアップの絡みであらかじめタイトルは決まっており、新生第1弾をアピールするため、当初は井上同様、ヒットメーカーだった大滝詠一がプロデュースする予定だった。かつての師匠との再会は話題性充分だったはずなのだけど、当時『Each Time』レコーディングにかかりきりだった大滝のスケジュールが取れず、企画がお流れになったのは、わりと有名な話。
 そういった経緯もあって、2曲目はぜひ師匠の作品で、というのは必須の流れだった。

 大滝プロデュースを最大のセールスポイントとしたアルバム『Soul Vacation』は、ジャケット・デザインを世界的アーティストAndy Warhol に依頼、アレンジャーには村松邦男と井上鑑を起用、当時のナイアガラ・ファミリーを贅沢に使った意欲作となった。
 シングル・カットされた「Tシャツに口紅」も、前作と雰囲気を変えたマイナー・タッチのしっとりしたバラードとなっており、2曲並べることで陰陽のコントラストがくっきり浮かび上がってくる。この曲はラッツ時代の名曲として、今もファンの間では人気が高い。ついでに、俺のカラオケの定番となっているナンバーでもある。
 ただ当時のチャート・アクションは、アルバム3位シングル18位と、中途半端な売り上げに止まってしまう。今ではテレビ出演においても、「夢で逢えたら」と共に選曲される率が高い楽曲なので、「別れの街」や「違う、そうじゃない」クラスの売り上げだったと誤解されているけどとんでもない。当時からすでに。隠れた名曲扱いだったのだ。確かに「め組の人」と比べてアダルティーなサウンドは、当時のヒット曲と比べて明らかに地味だった。
 シングル・リリースのペースが早かった80年代において、2曲目で大きく失速してしまったことによって、その後のラッツのチャート・アクションは下降線を辿ることになる。

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 そういった現状に、ただ手をこまねいていたわけではない。新機軸として、シングルで田代をメインに据えたり、企画色が強いけど、マーチン姉の鈴木聖美をフィーチャーした「ロンリー・チャップリン」は、リリースから四半世紀経った今も、夜の街界隈を賑わす定番デュエットである。あるのだけれど、あくまでどれも単発的な効果に終わり、ラッツ本体へのフィードバックには至らなかった。
 良い意味で姐御肌的存在だったお姉ちゃんとのコラボは、結果的に鈴木姉弟の発言力が増す方向へ作用したため、グループの連帯感は緩やかに崩れていった。

 グループとしてのオファーが少なくなってゆくことによって、自然と個々の仕事が多くなり、これまでの一枚岩体制からシフトチェンジ、ラッツ本体の活動は次第にフェードアウトしてゆく。
 もともとパーティ・バンド的なニュアンスも濃かったシャネルズ時代から、ライブMCでのおちゃらけたトーク・コーナーはあったのだけど、末期のライブでは田代と桑野主導による幕間のコント・パートが設けられており、純音楽主義的な他メンバーとの不協和音がシャレにならなくなっていた。
 他メンバーほど音楽面に執着がなく、志村けんに目をかけられた2人はTVバラエティの世界へと進出、それを機に他メンバーも業界内外へそれぞれ散っていった。バス担当の佐藤善雄が、のちにプロデューサーとしてゴスペラーズを世に送り出したのは、わりと有名な話。
 まとめ売りなら需要は少ないけど、個性に応じたバラ売りによってニーズを創り出せるのなら、結果的に全体の寿命は延びる。大元のブランド・イメージも維持できるし、グループと所属事務所の選択は間違ってはいなかった。

 で、ここでマーチン。解散という最悪の事態を回避、ホームグラウンドであるラッツのアイデンティティを保ってゆくため、マーチンはエピックとソロ契約、ただ独りアーティスト活動を続けて行くことになる。
 とは言っても、単なるラッツの延長線上というわけにはいかない。「ドゥーワップ+オールディーズに歌謡曲のメロディ」という方法論はこの時点で行き詰まっており、ひとりラッツでは立ち行かなくなるのは目に見えていた。
 グループ時代はそれほど前面に出してなかったけれど、マーチンは同じヴォーカリストとして、Marvin Gayeをリスペクトしていた。優秀なソングライターでありながら、時にダイナミックに、時にセクシャリティを強調した彼のステージ・パフォーマンスは、R&B要素を持つ男性ソロ・ヴォーカリストにとって、目指すべき理想形だった。

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 ただ当時のソニーにとって、それは苦手分野のひとつだった。大沢誉志幸の時にも書いたけど、70〜80年代のソニーは、彼のような男性ソロ・ヴォーカリストへの販売戦略が不得手だった。アメリカ進出を模索していた矢沢永吉が、グローバル展開を見据えてワーナーへ移籍したように、良くも悪くもドメスティックな営業戦略で収まってしまうところが、世界的なアーティスト育成の不調に直結している。プレステは世界中のどこにでもあるのにね。
 Marvin をプロトタイプとした和製R&B路線は間違っていなかったのだけど、未開拓の分野ゆえ、マーチン含め周辺スタッフもまた、試行錯誤していたんじゃないかと思われる。

 その和製R&B〜ファンク路線は、松崎しげるをプロトタイプとするディナー・ショー路線とは別のベクトルへ向かうことになる。演歌/歌謡曲とも相似点が多いメロディアスなフィリー・ソウルをルーツとするのではなく、リズムを主体に構成された同時代のファンク〜ヒップホップから着想を得ることによって、80年代洋楽チャートともリンクしていった。
 のちに登場する久保田利伸のブレイクによってコンセプトが固まり、彼を中心としてバブルガム・ブラザーズや安藤秀樹らによるソウルメイト一大勢力を築くことになるのだけど、それはもう少し後の話。マーチンがデビューの時点では、まだ黎明期だった。同じ男性ソロ・アーティストだったとしても、フォーク/ロック系の佐野元春や尾崎豊と同じ手法ではダメなのだ。事実、ヒップホップ色の強い『Visitors』が正当に評価されるまでには、ずいぶん待たなければならなかったし。

 そのような黎明期のソニーR&B部にいたのが、大沢誉志幸。
 希代の名曲「そして僕は途方に暮れる」のヒットによって、デビューから積み上げてきたデジタル・ファンク・サウンドも脚光を浴びるようになっていた。その路線の完成形となったアルバム『in・Fin・ity』も、高い評価とセールスを記録して、ようやくひとつの方向性が定まった頃だった。
 デビュー前から、職業作家としての活動も並行して行なっていた大沢、この頃はアーティストとしてだけでなくライターとしても脂が乗っており、山下久美子「こっちをお向きよソフィア」や吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」など、いまも彼らの代表曲になっている楽曲を立て続けに書き下ろしている。売れたわけじゃなかったけど、ビートたけしにも書いてるんだな、この人。
 ファンクとR&Bと、微妙にジャンルは違えど、同世代で聴いてきた音楽もかなりカブってる2人の相性は良く、コラボするのは成り行きとしても自然の流れだった。

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 で、その大沢は当時、主なブレーンとしてホッピー神山を引き入れており、多分その流れで彼も主要スタッフとしてクレジットに名を連ねている。普通に考えると、メジャーとアンダーグラウンドとのボーダーで活動していたホッピーとのコラボは貴重だし、その流れで参加している布袋寅泰はもっと異色である。当時はBOØWYでブイブイ言わせてたのにね。
 座付き専属作家とレコード会社主導によって築き上げられた歌謡曲の世界は、80年代に入ってからは、はっぴいえんど/ティン・パン・アレー一派がレコーディングを仕切り出し、なし崩し的にはロック系アーティストの参加が多くなる。ロックは金にならないけれど、アイドル関連は確実に収入になるので、中途半端なポリシーを捨てさえすれば、需要はいくらでもある時代だった。
 良く言えば、「他流試合を重ねたことによるスキルの向上」といった見方もできるけど、当時の布袋がマーチンや中島みゆきだけでなく、今ではスッカリ有名になったナウシカの蟲の鳴き声までやっていた、というのを聞くと、なんか日本版Adrian Brew 、ギターの便利屋的印象を受けてしまう。ホッピーもホッピーで、この時期の仕事で有名なのは吉川晃司や布袋の一連のプロデュースだけど、うしろ指さされ組なんて仕事もやってるんだもの。何でもアリだな。

 ディレクターやマーチン本人の方向性がまだ充分固まっておらず、サウンド・プロデュースに徹した大沢もホッピーも、通常の歌謡曲仕事よりは丁寧な仕事をしてはいるものの、R&Bと歌謡曲とのブレンド配分を決めかねている部分が垣間見える。まぁ実質的なデビュー作なので、かっちりした方針も何もないのは当たり前の話だけど。これまでのようなラッツのコーラス・ワークがない分、サウンド的に薄くなるのを回避するため、ひとクセとギミックの多い大沢&ホッピーのアレンジは正解だった。
 『Mother of Pearl』は、マーチンのソロ・ワークの基本指針を決定づけ、その後は山下達郎や小田和正ら気鋭のクリエイターによって、サウンドは磨かれてゆく。和製Marvin Gayeと称される彼が本領を発揮するのはもう少しあと、「ロンリー・チャップリン」で見せたベタなお水っぽさを放つ「別れの街」からである。


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鈴木雅之
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1. ふたりの焦燥
 脱・ラッツという流れを作るためには必要だった、もろ大沢誉志幸チーム、いやPINKのサウンド・プロダクションをそのまんま移植したようなエレクトリック・ファンク。跳ねまくるスラッピング、ボトムを思いっきり膨らませたバスドラ、縦横無尽にスキを見て変なギミックを奏でるキーボード。やっぱりホッピーの仕事だ。
 でももっとすごいのは、こんな一面をまるで見せてこなかったはずなのに、いとも簡単に自分のフィールドに引き寄せてしまうマーチンのテクニック。普通ならサウンドに埋もれてしまうところを、たやすくねじ伏せてしまえるのはさすがだし、こんなトリッキーなサウンドをぶつけて来たホッピーのプロデュース能力も絶妙。
 
2. 別の夜へ〜Let's Go〜
 ホッピーのアレンジメントは続き、今度は新進気鋭の若手作曲家だった岡村ちゃんのペンによるファンク・チューン。詞先か曲先かはわかりかねるけど、言葉の乗せ方には後年の岡村ちゃんのセンスが感じられるし、サビ以外ははっきりしないメロディ・ラインは岡村ちゃん特有のもの。これもまたマーチンがうまく料理しているけれども、若気の至り的な岡村ちゃんヴァージョンも聴いてみたいところ。

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3. ガラス越しに消えた夏
 ギミック色の強いファンクで幕を開けた後、ここでクール・ダウン。シングル15位と成績以上に記憶に残り、「Tシャツに口紅」同様、やはりこれも早すぎた名曲と称された。
 深いエコーの奥深くで奏でられるギターは布袋寅泰によるもの。バラードでは飛び道具を多用できず、U2のEdgeをモチーフとしたサウンドは、正直彼のカラーとは微妙にずれている。やっぱ便利屋的な使われ方だな。
 コード的にはセオリーからはだいぶ外れた構成なのだけど、日清カップヌードルCMとのタイアップを考慮したのか、プロデューサー大沢は技巧を凝らして奇跡的に甘くビターなメロディに仕上げている。シンガーを想定して書き分けることもできる人なのだ。



4. 輝きと呼べなくて
 アレンジといい構成といい「わがままジュリエット」そのまんまで、リリース日を調べてみると、どちらも1986年2月となっており、パクリというよりはむしろ、PINKや布袋周辺のトレンドがこういったサウンドだった、と捉える方が自然。氷室もマーチンもどっぷりロックやソウルに引き寄せるのではなく、ほんの少しだけ歌謡曲側に歩み寄った下世話なテイストを付け加えることで、マスに希求するテーマを展開している。

5. メランコリーな欲望
 と思ったら、インダストリアルなイントロはまるっきりニューウェイヴ、とてもドゥーワップ・ヴォーカルの楽曲とは思えない。タイトルといいサウンドといい、どちらかといえば吉川に提供した方がしっくり来たんじゃないかと思われる。マーチンのヴォーカルは通常運転だけど、バッキングとのミスマッチ感はハンパない。従来と違う方向性で、というオファー通りの仕事だとは思うけど、ベクトルがこじれ過ぎている。

6. 今夜だけひとりになれない
 ここからはB面。岡村ちゃん同様、当時はまだ新進気鋭の作曲家という立場だった久保田利伸によるナンバー。これまた当時の最新鋭機材フェアライトをてんこ盛りに使ったサウンドは、UKダンス・ポップとのリンクを感じさせる。
 もともとガチガチのソウル・シンガーではなく、ポップな楽曲も料理できる柔軟性のある人なので、泥臭いブルースより、むしろこういったポップ・センスの強い楽曲の中でこそ、この人は個性を発揮できる。

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7. ときめくままに
 なので、このようなフィリー・ソウル80年代ヴァージョン的なポップ・ソングだと、マーチンのフットワークの軽さが見えてくる。かなり歌謡曲サイドに近づいたベタなメロディと、硬質なギター・カッティングが案外マッチしている。爽やかささえ感じてしまうサビは、こういった方向性もアリだったかもしれない、とさえ思わせる。でもこれって、久保田っぽくないよね。

8. One more love tonight
 アレンジで登場するのが、当時売れっ子マニピュレーターとして、幅広いジャンルから引っ張りだこだった藤井丈司。ホッピーもそうだけど、「歌を聴かせる」という目的より、自分たちがいかにして遊ぶか、いかにトリッキーな方向へ進むかが目的化してしまって、歌が埋もれてしまっているのが、ちょっと残念。
 結果的に、エンジニア主導のサウンドは数年経つといとも簡単に風化して、再聴するにはちょっと二の足を踏んでしまう。

9. Just Feelin' Groove
 アブストラクトな楽曲を挟んでから聴くと、すごくホッとしてしまうスタンダードなゴスペル・ポップ。単なる多重コーラスではなく、録音にかなり気を使っていることが窺える分離の良さは、やはりバジェットの大きさがモノを言う。8.に続き藤井も参加しているけど、ここは大沢のサジェスチョンが強く作用している。

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10. 追想
 ラストは唯一、マーチン作曲によるバラード・ナンバー。ラッツ時代を彷彿とさせるメリハリのあるメロディーは、キャリアの中でも1,2を争う出来となっている。サウンドも小技を使わず、ここでは歌を聴かせるシンプルなアレンジで収めている。
 このアルバムの中では保守的なナンバーであり、ホッピーのギミックが炸裂した楽曲と比べると地味で影は薄い。けれど、やっぱヴォーカリストにとっては歌を伝えることがもっとも重要なのだ。それがわかっただけでも、十分な収穫だったと言える。




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80年代ソニー・アーティスト列伝 その9 - 大沢誉志幸 『in・Fin・ity』

Folder 1985年リリース、4枚目のソロ・アルバム。ある程度下積みキャリアを経てからのデビューだったため、ストックがめちゃめちゃ溜まってたのか、はたまた表舞台に出られた事でハッチャけちゃったのか、この『in・Fin・ity』以前にリリースされた3枚は、わずか1年強の間に制作されたものである。そんな超短いスパンでのリリースだったけど、同時代のシンガー・ソングライターの作品と比較しても、コンセプトはしっかりしているしクオリティも高い。今じゃすっかりスタンダード・ナンバーになった「そして僕は途方に暮れる」も、この時代の作品である。
 普通ならこのヒットの勢いに乗って、同路線の作品をチャチャッと短期間に作りそうなものだけど、そこはシングル・ヒットが出たことによってバジェットが大きくなったのか、これまでよりも制作期間を長く取ってじっくりレコーディング、たっぷり一年かけることによって、これまでとはまた別コンセプトのアルバムを世に出した大沢である。男だな、そういったところは。
 前作『Confusion』とは違って、ヒット性を持つキラー・チューンが入っていないワリには、オリコン年間チャート34位とセールス的には健闘している。「卒業」が収録された尾崎豊『回帰線』と肩を並べているくらいだから、コア・ユーザーの裾野が広がったことによる結果なのだろう。

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 音楽業界に明日を踏み入れるきっかけとなったのが、大学時代の軽音仲間と結成したロック・バンド、クラウディ・スカイのヴォーカルとしてだけど、俺は未聴。発売当時は散々たる売上だったらしく、だいぶ後になってからやっと再発されたらしいけど、今は再び廃盤扱いになっている。どちらにせよ、気軽に聴けるような環境ではないようだ。
 ちょっとだけ調べてみると、多分Earth, Wind & Fireかスペクトラムのフォロワー的な線を狙ったのか、宇宙服みたいなコスチュームでテレビ出演させられたらしく、それがイヤでイヤで当時は周囲にキレまくっていたらしい。まぁ売れるわきゃないか、そりゃ。
 肝心の楽曲は、「そこらの大衆に媚びたバンドとは違うんだぜ」的なアピールなのか、「悲しきコケコッコー」やら「明日はきっとハレルヤ」など、違う線を狙いすぎて逆にやらかしちゃった的なタイトルの楽曲ばかりで、しかもそれが世間的にはまったく無視されていたのもイタ過ぎた。
 奇をてらうのではなく、この時代はまだ少数だった後期Roxy Musicのスタイリッシュさをモデルとしたら、せめて東京JAP程度には売れたかもしれない。お茶の間に受け入れられやすいビジュアルでありながら、楽曲にこだわるという選択肢はなかったんだろうか。まぁ聞く耳持たなかったんだろうな。

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 語呂合わせみたいなタイトルの楽曲が多かった点から、当時はまだ半分コミック・バンド的な扱いを受けていたサザン、または子供ばんどの路線でレコード会社は売っていきたかったのかと思われるけど、その後の音楽性から類推するに、バンドまたは大沢との見解の相違、方向性のズレが短命の要因だったんじゃないかと思われる。
 当時の所属事務所だったナベプロは、ジュリーやアン・ルイスに代表されるように、昭和歌謡界のドメスティックなフォーマットに、比して「ニュー・ウェイヴ」であるロックのメソッドを取り入れたアーティスト戦略に長けており、そのベクトルにおいては一致していたと思われる。ただ、そのプロモーション展開というのが、当時の流行発信力の多勢を占めていたテレビを主体としていたため、どうしてもビジュアル映えするパフォーマンスに偏っていた。メディアに注目してもらうためには、多少ポリシーを曲げて、インパクトの強いキャラクターを前面に押し出さざるを得なかったわけで。
 で、本人たちがどこまで乗り気だったのかはわかりかねるけど、思うようにセールスも伸びずに不本意な活動を強いられたのだから、そりゃ長くは続かんわな。

 バンド解散後、大沢は一旦表舞台から退き、職業作家としてのキャリアを積み上げることになる。中森明菜の「1/2の神話」や吉川晃司の「ラ・ヴィアンローズ」、ジュリーの「おまえにチェックイン」など、これまで畑違いだった歌謡曲畑でも通用するポップ・センス、それでいて粗製濫造がまかり通っていた従来歌謡曲のセオリーに縛られないクオリティは、ソングライターとしてのポテンシャルの高さを証明した。ナベプロに代表される、ザッツ芸能界的な活動環境に馴染めなずに身を引いたにもかかわらず、他人への提供曲となれば、きちんとヒットのツボを押さえた楽曲を作れちゃうのは、皮肉っちゃ皮肉である。
 それほど戦略的なリリースではなかったにもかかわらず、息の長いヒットを記録した「そして僕は途方に暮れる」によって、自身でもヒットメイカーのポジションを確立したわけだけど、その頃すでに大沢のビジョンは別の方向を向いていた。
 二番煎じで畳み掛けるミディアム・バラード路線を放棄して、Herbie Hancokによって一気に開花したニューヨーク・アンダーグラウンド発のエレクトロ・ファンクへ傾倒、日本的なウェット感を払底したのが、この『in・Fin・ity』になる。
 日本のメジャー音楽業界において、アクの強いファンクネスと歌謡曲にも通底したポップ・センスとを絶妙にブレンドさせたという点において、大沢の功績はもっと評価されても良い。

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 CBS/エピックも含めたソニー全体において、ブラック・ミュージック系の影響が強いアーティストといえば、ラッツ & スターくらいという現状が長らく続いていた。一応、当時のソニーにはR&B風歌謡と称される「悲しい色やね」をヒットさせた上田正樹がいたのだけれど、本来の彼のルーツはR&B以前の泥くさいブルースだったし、サウス・トゥ・サウスというキャリアを経た移籍組だったため、ソニー生え抜きの特色とは言えなかった。
 そのラッツ & スターも、ベースとしていたのは50〜60年代のオールディーズとドゥーワップをブレンドしたポップ・ソウルであって、現在進行形のR&Bやファンク的メソッドを導入した音楽をやっている者はほとんどいなかった。
 もともとソニーのロック/ポップス系の主流は吉田拓郎〜浜田省吾のシンガー・ソングライター系であって、純粋なロック系のサウンドへの取り組みは不得手だった。だから矢沢もワールドワイド展開というビジョンを持ってワーナーに移籍しちゃったわけだし。で、総合メーカーであるCBSだけでは対応しきれない、パンク/ニューウェイヴ以降のアーティストの受け皿として、エピック創設という流れができる。
 CBS的要素も含んでいた佐野元春のほか、最もニューウェイヴ的存在だった一風堂まで、幅広いジャンルをカバーしていたエピックだったけど、ブラコン/ファンク系においてはノウハウの確立が遅れていた。
 のちにソニーのブラコン系の一角を担う鈴木雅之がソロになるのは、もうちょっと先の話である。

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 『in・Fin・ity』を構成するベーシック・サウンドであるエレクトロ・ファンクという音楽は、オリジネイターの1人とされているBill Laswellの縦横無尽で節操ない活動範囲からわかるように、もともとロックとの相性は良い。80年代サウンドの象徴とされているTR - 808やDX7が創り出すテイストは、ロック/ファンク双方との親和性が高かった。特に、どんな奇矯なジャンルも寛容に呑み込んでしまう昭和歌謡界でも、比較的早く受け入れられた。
 この『in・Fin・ity』が、いわゆる大沢にとっての「メインカルチャーとサブカルチャー」の分水嶺的ポジションであったことは間違いない。その後の『Life』では、明快な肉体性はフェードアウト、エスニック・リズムの導入によって、サウンドはさらに複雑化、内省的なスタジオ・ワークへシフトチェンジしている。その偏執的なこだわりの頂点を極めたのが、のちの大作『Serious Barbarian』シリーズであり、アーティスト・エゴのサウンドへの完全なる移管という点において、当時の日本のアーティストの中では最高峰に位置していたんじゃないかと思うのは、俺の独断。
 享楽的なパーティ・ファンクで一世を風靡したSly Stoneが、「ファンク」という音楽を突き詰めるがあまり、音を「抜く」という作業によってサウンドを「解体」、その過程で『暴動』や『Fresh』を創り出したように、「ファンク」とは内部に収斂してゆく類の音楽なのだろう。全盛期のPrinceだって、一時は取り憑かれたようにスタジオ・ワークに凝りまくり、膨大な未発表曲を量産していたし。

 大沢がもっと肉体性と精神性とをコミットさせ、ダンス・ビートへの傾倒を強めていたら、必然的にラップ/ヒップホップのエッセンスを吸収し、それこそメジャー・シーンにおけるジャパニーズ・ファンクのパイオニアになっていたかもしれない。
 ただ、大沢の基本スペックはロックが主だったものであって、ブラック・ミュージック的な要素は一部でしかなかった。
 前述の『Serious Barbarian』は、そんなロックやファンクやエスニック・ビートやポップスやらをシャッフルしたものを、大沢の執念によって再構築した力作である。そのクオリティはバカ高いものだけど、あまりに凝りまくったスタジオワークは作り込みが過ぎて、何度も聴き返すには濃密過ぎて肩が凝ってしまう。大沢自身のパーソナリティが色濃く出すぎた分、半自伝的な色彩が強く、ポピュラリティは薄いのだ。
 そういった意味で、聴きやすさと芸術性とがうまく拮抗しているのが『in・Fin・ity』、といった次第。


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1. 彼女はfuture-rhythm
 先行シングルとしてリリース。アルバム全編がホッピー神山によるアレンジとなっている。なので、当時ホッピーが所属していたバンドPINKの人脈がフル活用されており、ポップとファンクとのハイブリッドがうまく表現されている。
 サウンドの性格上、英語が多くなってしまうのは致し方ないことで、口語体の日本語を使用したファンクは岡村ちゃんまで待たなければならない。この時点での日本産ファンクとして、またメジャーで流通できるクオリティとしては最高峰に位置している。



2. Lady Vanish
 シンセの使い方がちょっとTMっぽいけど、地を這う重厚なベースと複合リズム・エフェクトを組み合わせることによって、安易なシンセポップになってしまうところをうまく回避している。ファンクとロックのいいとこ取り的なハイブリッド・サウンドは、大沢のハスキー・ヴォイスにもうまくフィットしている。
 ヴォーカル・スタイルはパンキッシュなロックとなっており、それに呼応するように間奏のギターはノイジーに悶える。

3. Infinity
 シンプルなバラードゆえ、ここは大沢のヴォーカルの切なさを強調するためか、ホッピーにしてはシンプルなアレンジ。OMDあたりをモチーフとしたシンセポップは案外心地よい。間奏の硬い響きの拙いピアノがアクセントとなっている。
 松本隆ほど思わせぶりでなく、平易な言葉で地に足の着いたストーリーを紡ぐ銀色夏生の世界観は、どこまでも涼しげな香りがある。狂騒的なリズムの洪水の中で、流されることなくイメージを焼き付ける彼の言葉は、大沢との相性が絶妙だった。

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4. 盗まれた週末
 PINKが主導権を握ったかのような、ファンクとロックのミクスチャー加減が絶妙なナンバー。ただこの曲、Aメロは抑え気味ですごくクールなのだけど、サビに入ると一気に歌謡曲臭くなってしまうのが惜しいところ。無理にキャッチーにしない方がカッコよかったのに。

5. Love Study
 このアルバムの中では比較的オーソドックスに聴こえてしまう、それほどギミックのないハードブギ・ファンク。シンプルな構成なので、ライブでは盛り上がりそうだけど、音源単体ではあまり面白くない。なので、ホッピーがぶち込んだエフェクトやサウンドの妙を楽しむ楽曲。でも大沢のヴォーカルは

6. レプリカ・モデル
 Herbie Hancock 「Rockit」へのリスペクト、いや日本側からの回答と言っても良い、当時の現在進行形ハイパー・ファンク。ねじれた音色と独特のフレーズ間隔を持つ矢口博康のサックス・ソロも、短めではあるけれど、楽曲のコンセプトにフィットしたインパクトを残している。
 DX7やフェアライトの使い方という観点で見ると、初期のTMはプログレ~パワー・ポップをベースとしているので、メロディ主体、70年代的なモッサリ感を引きずっている印象が強い。大沢のようにファンク~ロックをベースにすると、シンセ・ベースなどリズムを骨格として構成されているので、ドライな感触が強くなる。多分、俺がこういった音を好むのは、そういった使用法に由来するのだろう。



7. 最初の涙、最後の口吻
 なので、こうしたオーソドックスなバラードでも、リズミックなフレーズを多用することによって、無駄なウェット感は払底されている。大沢にしては比較的甘めのメロディで、タイトルや曲調からして歌謡曲っぽさが強い。これって、吉川あたりに書いた提供曲のボツ曲なのかも?そんな妄想さえしてしまうくらい、フックの効いたメロディが引き立っている。

8. 熱にうかされて
 アブストラクトなリズムがUKっぽいけど、誰だったかな?忘れた。ほぼリズムで構成されたような曲で、メロディは添え物。しっかしこの頃のPINK、芸達者だよね。こんな癖の強いバンドとアクの強いアーティストとの奇跡的な出逢いによって、このアルバムは生まれた。ヴォーカル抜きでも聴いていたいナンバー。

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9. 恋にjust can’t wait
 「ラ・ヴィアンローズ」を我流に引き寄せた感が強い、シングル・カットされたポップ・ナンバー。ファンク臭は薄く、PINKのアーティスト・エゴもかなりマイルド。バラードで売れちゃったから、次はアップ・テンポでのシングル・ヒットにトライしてみたのか。まぁそれほど評判は呼ばなかったけどね。

 
 たよりなく流れる雲より これっきりになるかもしれない
 心変わりは果てしなく それぞれの傷つきやすさで

 平易なフレーズで詩情を紡ぐ銀色夏生の言葉は、80年代に青春時代を過ごした数多くのティーンエイジャーのDNAに深く刻まれた。GLAYの歌詞世界とリンクする部分が多い、と俺は勝手に思っているのだけど、いかがだろうか?
 


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80年代ソニー・アーティスト列伝 その8 - ラッツ & スター 『Back to the Basic』

folder 1996年にリリースされた、全キャリアを総括するベスト・アルバム。この時期はほぼ各自ソロ活動をメインとしており、グループとしては開店休業状態が長く続いていたのだけど、ネズミ年というお題目で活動再開、かつての音楽的師匠大滝詠一作「夢で逢えたら」のカバーをシングルとしてリリース。並行して、久々の全国ツアーも敢行、共に好評を得た。アニバーサリーの締めくくりとして、初の紅白出場を果たしたのは、俺的に記憶に新しい。曲前のマーチンのコメントは、全国のナイアガラ・ファンを感涙に導いた。
 「80年代ソニー」というくくり上、ほんとは80年代にリリースされたアルバムを取り上げたかったのだけど、シングル中心のグループだったし、正直オリジナル・アルバムはほとんど聴いてない。「夢で逢えたら」以外は80年代にリリースされたものばかりなので、今回は特例で。

 今でこそアーバンな大人の歌手的な雰囲気を醸し出したマーチンのキャラクターが浸透しているけど、デビュー当初のシャネルズは正直、イロモノ感が拭えなかった。黒人ドゥーワップ・グループへのリスペクトを表した靴墨メイク(ほんとはただのドーランらしいけど)などは、小難しく眉間に皺を寄せて音楽を語る層から敬遠されていたものだった。当時のロック/ポップス業界というのは血気盛んな輩が多く、パロディ的な表現を鷹揚に受け入れる土壌はまだなかった。
 その反面、彼らが出てきた80年代前後の日本の音楽シーンはまだ黎明期、業界全体のシェアも小さかった分、結構アバウトな雰囲気が蔓延していた。この時代の音楽業界とは、誤解を恐れずに言えば、一般社会からドロップアウトしてきた者たちの吹き溜まりであり、管理されることを嫌う者の集まりだった。まだマーケティングという概念が浸透していなかった時代である。なので、目立つことを優先して好き勝手にやってるアーティストも多かった。
 頭にミニアンプを括りつけて超絶ギター・プレイをキメる、うじきつよし率いる子供ばんど、日本では珍しくホーン・セクションをメインとした、新田一郎率いる大所帯ブラス・ロック歌謡バンドのスペクトラムなど、唯一無二のキャラクターと強いインパクトを持つバンドがテレビに出ていたのが、80年代初頭という時代である。まだJポップ・サウンドが確立されていなかった当時、どのバンドも共通して海外アーティストへの憧れを強く持ち、そのリスペクトをストレートに形に表していた。
 そういえばサザンだって、昔はサザン・ロックをベースにしたコミック・バンドみたいな売られ方だったよな、焼きソバUFOのCMに出てたりしたし。

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 シャネルズのコミック・バンド的な扱いが、果たして本人たちの意に沿うものだったのかははっきりしないけど、その後のマーシーと桑マンのバラエティ方面での才能の開花を見ると、その場その場の状況を楽しんでいたと思われる。シャネルズというホームグラウンドがあったからこそ、彼らも外部活動で思い切りハジけることができたのだろう。
 もともとライブ・シーンから這い上がってきた人たちなので、ステージ回しはお手の物だし、そんなステージ・トークの軽妙洒脱さを大滝詠一は見初めたのだろうし。マーシーと桑マンの2人がおチャラけて、強面のマーチンが突っ込みながら、ボソッとオチをつける。完成されたコントの鉄板の方程式である。笑われるのではなく、笑わせる姿勢という点においては徹底している。

 アルバム・アーティストの多かったエピックの中では珍しく、シングル中心の活動だったラッツ。モッズや佐野元春など、アクが強く恒常的なシングル・ヒットとは縁遠かった初期エピックのメンツの中で、キャッチーなシングル・ヒットを量産できる彼らは、日銭を稼ぐことのできる貴重な存在だった。彼らの小まめな営業やドサ回りによって得た運営資金を、アルバム・リリース中心のアーティストに投資することによって、後の80年代ソニーの黄金時代の下地を築いたと言える。
 ビジュアル面では無頓着の極みだったはっぴいえんどがパイオニアとして位置付けられているせいもあってか、日本のロック/ニューミュージック史において、積極的なテレビ出演も厭わなかったシャネルズのような存在は、どうしても軽視されがちである。実質的な稼ぎ頭として、営業成績的には多大な貢献をしているのだけど、軽妙過ぎる楽曲とキャラクターによって、現役活動中は正当な評価をされなかった。ラッツに改名後、大滝詠一プロデュースによる『Soul Vacation』が話題となり、これが正統派アーティストとしての転換点になるはずだったのだけど、あいにくセールス的には微妙だったため、次第に活動はフェードアウト、マーチンのソロがメインとなってゆく。
 ちなみにそのマーチン、シャネルズ・デビューから現在まで、一貫してエピック所属であり、これはレーベル内でも最長記録を誇っている。マーチン自身の義理堅さもあるけど、エピック的にもそれまでの貢献に報いている部分もあるのだろう。今だって確実なラインまでセールスを上げることができるし、そのラインは同世代のアーティストの中でもかなりの高水準である。

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 日本のポピュラー・シーンのメンバー構成はソロかバンドが中心であり、少数派としてデュオがそれらに続く。そして複数編成のコーラス・グループとなると、さらに少数派となる。60年代にそのピークを迎えた歌謡ムード・コーラスの全盛期を過ぎてからは、プロとしてのコーラス・グループは数えるほどしかいない。
 今世紀に入ってから、ティーンエイジャーとフジテレビ主導による「ハモネプ・ブーム」が瞬間的に盛り上がったけど、次の世代へ繋げることができず、結局一過性のものとして終わってしまった。日本でコーラス・グループを定着させることは、メディアの力をもっても難しいようである。
 ラッツもそうだけど、実質的に直系とも言えるゴスペラーズもまた、ポジション的には微妙である。往年のソウルショウをベースとしたライブは盛り上がるし、夏フェスの映像などを見ると、彼らのステージは大盛況を博している。いるのだけれど、何となく上がっちゃった感、セールスのピークは過ぎちゃった感が強い。
 ラッツにも彼らにも言えることだけど、いざとなれば身ひとつでステージに立ってアカペラで乗り切れるスタイルのため、通常のバンド・スタイルと比べてコスト・パフォーマンスは良い。無理に時流に乗ることもなく、「マイペースでやってってくれればそれでいいんじゃね?」的な想いがファン側にも強いと思われる。それはそれでいいんだろうけど、でもね。

 海外のコーラス・グループといって俺が思い浮かんだのが、モータウンの2大巨頭、Four TopsとTemptations。例はちょっと古いけど、わかりやすいケース・スタディとして。
 どちらもレーベル創成期から活躍する長いキャリアを誇っており、実際ヒット曲も多い。ソウルの歴史の中ではどちらも最重要アーティストとして位置づけられており、最悪名前は知らなくても、曲を聴いたことがある人は多い。
 ただ、これは日本だけじゃないと思うのだけど、世間的に知名度が高いのは圧倒的にTempsの方である。曲名までは知らなくても、日本人なら誰でも「My Girl」の有名なイントロは口ずさめるはずだし、ちょっとレトロ洋楽に詳しいライト・ユーザーなら、ファンク路線に大きく路線変更した「Papa was a Rolling Stone」を聴いたことがある人は多い。Norman Whitfieldが絡んだこの時期の作品は、うるさ型のソウル/ファンク・フリークからの覚えも良い。
 対してTopsだけど、俺が知ってるのは「Reach Out, I'll be There」くらいで、これも全部歌えるかといったら、正直自信がない。多分他にも有名曲はあるのだろうけど、日本での彼らの扱いはTempsのそれと比べると段違い感が強い。

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 なにゆえTopsの扱いがイマイチ地味なのか―。そこを真剣に考えてみた。
 60年代モータウンのお抱えスタジオ・ミュージシャンによるバック・トラックは、リリース・スケジュールに関係なく、日々大量生産されていた。ヴォーカルが誰かはあまり関係ない。とにかく録りまくってからヴォーカルを当てはめるといった体なので、楽曲のクオリティは統一されている。多少の適性による振り分けはあれど、あからさまにTempsに有利になっているとは考えにくい。
 もう少し真剣に考えてみたところ、メイン・ヴォーカリストの違いなんじゃないか、という結論に行き着いた。
 Topsの場合、リーダーのLevi Stubbsがほとんどの曲でメインを務めている。男性的なバリトン・ヴォイスは力強く、並み居るヴォーカリストの中でも個性の強さは圧倒的である。基本はメイン1人に3人のバック・コーラスを擁し、Leviの特性を活かしたダイナミックで力強いビートを強調した楽曲が多い。
 60年代のモータウンといえば、Marvin GayeやSupremesに代表されるように、軽快なリズムとフックの効いたサビメロが合わさったポップ・ソウルが中心だった。そんな中で、従来のソウル・コーラス・グループの流れを汲んだオーソドックスなスタイルを貫くTopsは、日本で言えば汗臭く男性的な、いわゆる長渕メソッド的な楽曲でヒットを生み続けた。
 ただ、そのオーソドックスすぎる感性や出で立ちは、他のショーアップされたアーティストらと比べると見劣りしてしまうのも事実。世の中が次第にサイケデリックな基調となり、モータウンもまたその流れに乗ろうと模索していた60年代末、ピシッと隙なく決めた3ピース・スーツの4人組は古くさく映ってしまう。当時のポートレートを見ても、ただのおっさんにしか見えない。
 楽曲もまた、モータウンの中では保守的なものが多く、クオリティは高いけど、新機軸はほとんど見られない。極端な話、どの曲も「Reach Out」のバリエーション、「Reach Out」さえ抑えときゃそれでいいや、という風になってしまう。
 1人のリード・ヴォーカルだけでは、どの曲も同じように聴こえてしまうのは、避けがたい事態である。Four Topsのファンの人、ごめんなさい。あくまで表層的な印象なので。

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 対してTemps、実質的なリーダーはEddie Kendricksであり、彼がメインの楽曲も数多いのだけど、単純な一枚岩ではなかったことが、このグループを生き長らえさせたカギとなっている。彼1人がメインだったらTopsと同じ轍を踏んだのだろうけど、このグループには必ず、Eddieと対比するファルセットの持ち主がいた。前期はDavid Ruffin、後期はDennis Edwards。スタートこそオーソドックスなコーラス・グループだったけど、彼らの存在があったからこそ、幅広い楽曲に対応できるフットワークの軽さを有することができた。朗らかな笑顔で「My Girl」を歌いながらステップを踏んでいたのが、ちょっと目を離してた隙に「Ball of Confusion」になっちゃうのだから、何じゃそれという感じである。

 この構図をそのまま当てはめて、「ラッツはTopsの流れを汲んでいる」と断言するのは無理があるけど、要はメイン・ヴォーカルが1人だと、グループとしての幅が広がらないということを言いたいのだ。
 キャリアを重ねるに連れてその辺に危機感を感じていたのか、後期のシングルやアルバム収録曲によっては、マーシーがメインとなるケースもあったのだけど、正直マーチンを脅かすほどのレベルではなかった。もう少し彼の方向性が音楽寄りだったら、何年か後には双頭体制で行けたのかもしれないけど、まぁ無理だったろうな。マーチンのカリスマ性はアマチュア時代からのリーダー気質で強いものだったし、マーシーのキャラクターからいって、メインというよりは二番手的な役回りだったし。
 ひとつの転機が、あることにはあった。シングル「もしかして I LOVE YOU.」でのマーチン姉の鈴木聖美とのコラボは、オリコン最高28位と不発だったけど、彼女とマーチンとを大きくフィーチャーした「ロンリーチャップリン」は大ヒット、それどころかカラオケ・デュエット曲のスタンダードとして定着した。あれだけ濃いキャラクターの2人でありながら、互いを潰し合わず、抜群のコンビネーションを引き出せたのは、やはり血の繋がった姉弟であったことが大きい。
 これが単発企画でなく、キャリアのもっと初期にレギュラー・メンバーとして迎え入れていれば、ソウル版バービーボーイズ的に、また違った方向性が生まれてたのかもしれないけど、まぁ普通の話、身内と同じ職場ってイヤだよね。それは一般の職場でもそうだし、ましてやこういった世界だとなおさら。フィンガー5も狩人も、関係は微妙なそうだし。
 古いか、例えが。


BACK TO THE BASIC
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1. Introduction ~BACK TO THE BASIC~

2. サマーナイト・トレイン
 1984年リリースのアルバム『See Through』収録曲。3.ではなく最初にこれをトップに持ってきたことからわかるように、彼らにとっても思い入れの深いミディアム・バラード。あまりソウル色は強くなく、AORっぽいアレンジは、この当時の後藤次利の手腕によるもの。
 確かに従来のラッツのイメージとは微妙にずれてるけど、この後のマーチンの方向性を内包していると考えれば、重要なナンバー。

3. ランナウェイ
 1980年リリース、言わずと知れたシャネルズとしてのデビュー・シングル。デビューからいきなり1位、年間チャートでも4位と、彼らにとって最大の売り上げとなった。もともとはパイオニアのラジカセ「ランナウェイ」のCMソングとして世に出たのが好評を得、急遽シングル化の企画が進んだという逸話を持つ。
 当時のCMをyoutubeで再見したところ、俺の微かな記憶では夕暮れの列車に乗り込むシーンだと思ってたのだけど、全然違って白昼だった。記憶とは曖昧なものだ。
 ちなみに昔から指摘されているけれど、スタイルとしてはR&Bだけど、曲調はむしろカントリー調のロックンロールに近い。テンポを落としたオールディーズ調のポップスは、彼らとしては当初不満もあっただろうけど、結果的に彼らの代名詞的なナンバーとなった。お茶の間にドゥーワップというジャンルを伝える足掛かりとなった功績はデカい。

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4. トゥナイト
 3.リリースからわずか4か月後にリリースされた、こちらもオリコン3位まで上昇した2枚目のシングル。オールディーズ路線があたったことで二番煎じを狙った曲調だけど、前回よりコーラス部分が強調されており、グループ本来の持ち味が引き出されている。
 1.ほどのインパクトはなかったけど、チャート的にはなかなか健闘し、このまま畳みかけるようなリリース攻勢の計画があったのだけど、一部メンバーによる未成年への淫行が発覚し、一時グループは謹慎することになる。

5. 街角トワイライト
 で、その謹慎が解けて半年ぶりとなった3枚目のシングル。オリコン最高1位を再び獲得し、年間でも7位となり、どうにか汚名を挽回することができた。
 せっかくの上り調子に水を差すような謹慎騒動は、逆にメンバーの間に堅い結束力が芽生え、これまでより一体感が伝わってくるのが特徴。彼らの代表作として、これを推すファンも多い。
 マーチン発案によるアカペラでのオープニング、哀愁を誘う井上忠夫の一世一代のメロディ、そしてこれが重要なのだけど、Nini' Rossoをイメージさせる桑マンのトランペット・ソロ。すべてのパーツがうまく噛み合い、大きな相乗効果を生み出している。
 しつこいようだけど桑マンのプレイが光っている。単なるコメディアンではないことを教えてくれるナンバー。

6. 涙のスウィート・チェリー
 ここでリリース順が逆となって、5枚目のシングル。オリコン最高12位はちょっと足踏みしてしまった印象だけど、初期シャネルズのバラード・ナンバーとして、これも人気は高い。

 凍り付く窓に イニシャルを
 重ねて書いて
 バラ色の夜明けを迎えた
 あの夜は Anymore

 今では湯川れい子といえば、プレスリー好きのTVコメンテイターという印象が強いけど、もともとは雑誌「ミュージック・ライフ」の編集長として、音楽業界においては重鎮である。いや違うな、むしろこの人は敬意を込めて、「大いなるミーハーのハシリ」と称した方が合っている。膨大な音楽的知識がありながら、ミーハー精神を忘れず、オールディーズ・ナンバーへのリスペクトを込めた歌詞を書いてしまうのだから。
 ある意味、マーチンにとってもその後のバラード路線の取っ掛かりとなったナンバー。だって、歌っててすごく気持ち良さそうだもの。

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7. ハリケーン
 で、リリース順でいえば、こちらが先になる。オリコン最高2位をマークした、2.をテンポ・アップしてドゥーワップ成分を強めたオールディーズ調ナンバー。聴いてるだけでテンションが上がるのは誰もが同じなようで、パフィーやマーチン+ゴスペラーズによるユニット「ゴスペラッツ」によるカバーも記憶に新しい。

8. 憧れのスレンダー・ガール
 オリコン最高13位となった6枚目のシングル。初めてマーシー作詞によるA面シングルとしても、ちょっとだけ話題になった。桑マンによるオープニング・ソロや間奏のギャロッピング・ギターなど演奏陣の聴きどころも多いのだけど、案外チャート的には低めだったんだな、いい曲なのに。
 ある意味、盛りだくさんの内容なので、オールディーズ路線としてはここで完成してしまったのかもしれない。
  
 ゆれる 心見透し
 ホホエム、 プリティ・デビルさ (My Slender)
  夕日に スリムなシルエット
 とろける 蜜の香り

 イメージ優先で何のメッセージもない、それでいてオールディーズ・マナーに則ったビジュアライズな歌詞。今もシリアス路線を貫くマーチンに足りなかった「軽み」を担っていたのがマーシーだった。こういったチャラさとの二面性を強く押し出していれば、息の長いグループになったかもしれないのに。
 ほんと、バカだ。

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9. 胸騒ぎのクリスマス
 1981年にリリースされた、シャネルズ初のベスト・アルバムで唯一の新録だったクリスマス・ナンバー。これが初のCD化となった。相変わらず内容のない歌詞はマーシーによるものだけど、まぁクリスマスだからそれでいい。クリスマスにメッセージを語るのはヤボだしね。
 でもいいなぁ、このチャラさ。マーチンも楽しそうだし。

10. Miss You
 ラッツとしてリリースされた『Soul Vacation』ラストに収録された、ギミックのないストレートな正統派バラード。この時期になるとマーシー作詞マーチン作曲のナンバーが多くなり、オールディーズ風味は次第に薄くなっている。シャネルズ時代が好きな人にとっては馴染みが薄くなるけど、マーチンのソロと地続きとして考えれば、自然な流れではある。
 そういったコンセプトなのだけど、マーシーのチャラさが少なくなったのが、ちょっと寂しい。

11. レディ・エキセントリック
 活動休止前の最後のシングルとしてリリース。チャートインは記録なし。メリー・ポピンズを思わせるワルツは、どこか悲壮感さえ感じさせる。正直、リアルタイムでも知らなかった曲。初CD化らしいけど、無理もないか。

12. め組のひと
 シャネルズから改名、心機一転ラッツ&スターとして再デビューを果たし、見事1位に輝いたラッツの代表曲。それまで手を離れていた井上大輔が再登板、オープニングとして、これ以上はないというくらい景気の良いナンバーとなった。当初は師匠大滝詠一に要請したらしいのだけど、ちょうど『Each Time』の制作中ということもあってスケジュールが合わなかった、というエピソードがある。結果的には良かったのだけど。



13. Tシャツに口紅
 で、12.がめでたく大ヒットし、スケジュール調整もうまく行った末、奇跡の楽曲ができあがった。奇跡と言っちゃうと失礼かもしれないけど、ある意味、マーチンの全キャリアを通して転換点となった楽曲。リズム・アレンジからしてDriftersの「渚のボードウォーク」をうまく流用してるけど、まぁそれは大滝だからいつものこと。
 この時期の大滝は自他曲ともに松本隆とのコラボが多く、一世一代とも言える名曲を量産している。

 夜明けだね 青から赤へ
 色うつろう空 お前を抱きしめて
 別れるの?って 真剣に聞くなよ
 でも 波の音がやけに 静か過ぎるね

 あぁ、ほんとは全部書き写したいのに。この世界観は明らかに松本隆。でも、ラッツがそこに入り込んでも無理のないところは、やはり大滝のメロディとサウンド・プロデュースの賜物。誰か一人欠けても成立しない、完璧な80年代のマスターピース。俺のカラオケの定番でもある。



14. LOVERS NEVER SAY GOOD-BYE
 5枚目のオリジナル・アルバム『DANCE! DANCE! DANCE!』収録、主に50年代に活躍していたドゥーワップ・グループFlamingosのカバー。ここではマーシーが多くメインを取っており、その甘いヴォーカライズは新たな方向性を暗示させている。ただ、暗示させるだけで終わっちゃったのが惜しい。女性受けするチャラさを強調してほしかった。
 
15. 夢で逢えたら
 このアルバム唯一の新曲で、大滝詠一一世一代の名曲のカバー。一世一代の多い人だけど、ほんとにそうなのだから仕方がない。節目ごとに名曲を作ってしまうのが、この人の魅力だった。
 オリコン最高8位は、これまでの彼らにとっては普通のチャート・アクションだけど、考えてみれば、これがリリースされた1996年というのはJポップ全盛期、ミリオン・ヒットが連発していた頃である。20年近く前にリリースされたカバー・ヴァージョンとしては、なかなかの成績。ていうか、数多くある「夢で逢えたら」カバー史上、断トツの売り上げを誇るのが、このラッツのヴァージョンである。
 あまりにもハマり過ぎたのか、今ではすっかりマーチンの持ち歌状態となっており、テレビ出演と言えば大体この曲を歌うことが多い。
 いやいい曲だけどさ、もっと他の曲も歌ってほしいよね。関係ないけど、美里だって「My Revolution」ばっかじゃなくってさ。






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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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