好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

みゆき vs. ユーミンは、もう昔。 - 中島みゆき 『歌でしか言えない』

268x0w 1991年リリース、19枚目のオリジナル・アルバム。オリコン・チャートでは辛うじて1位を獲得してはいるけど、実売数は197,000枚と、なんとも微妙な成績。この時代は、80年代末から確変状態に突入したユーミンが圧倒的に強かったため、アルバム・セールスも社会的な影響においても、圧倒的に見劣りしてしまう。
 このアルバムと同時期にリリースされた『DAWN PURPLE』は、初回出荷時ですでにミリオン突破、ユーミンの新譜がどこまで記録を伸ばすかがニュースで取り上げられる、そんな時代である。日経のヒット商品番付でも顔を出していたくらいだから、こうなっちゃうともう、業界全体を巻き込んだ一大プロジェクト、ヘタなことはできない。
 そんな按配だったため、80年代初頭から喧々囂々されていた「みゆきvs. ユーミン」といった対立構造は、成り立たなくなっていた。そりゃそうだよな、戦うフィールド自体が違っちゃってるんだから。

 当時のユーミンは、単なるアーティストの枠を超えて、トレンドリーダーの一翼を担った存在になっていた。ちょうど日本の経済バブルと並走するように、ユーミンのセールスも飛躍的な右肩上がりの曲線を描いていた。
 作家の山田詠美に「電通音楽」と揶揄されていたように、この時期のユーミンのアルバムは、「作品」というより「商品」といったニュアンスで語られることが多い。膨大なフィールドワークやリサーチによって、F1層のニーズを分析・把握、クリスマス商戦を狙った各メディアへの大量出稿、「すべての男と女は恋愛してなきゃダメなのよ」的なキャッチコピーやキーワードが後押しする。
 アーティストとしての純粋な表現というよりは、「ひとり広告代理店」と化したユーミン主宰・恋愛教の布教活動といった感じ。クリスマスイブは、都心の高級ホテル最上階のディナー、カルチェの三連リングをプレゼントしなければ、人間扱いさえされない―。周到なプランニングに沿った巨大プロジェクトは、バブル景気に沸く一般庶民へ向けて、そんな刷り込みを行なったのだ。大げさに言っちゃえば、当時の日本経済を回す一翼を担っていたというか。
 ただこの頃になると、バブルも弾けて、景気もちょっと下降線に差しかかる。そんな景況とシンクロするかのように、ユーミンの作風も微妙に変化している。
 もともとユーミン、恋愛教祖としてミリオン連発する前は、『リ・インカネーション』(輪廻転生)をテーマとしたコンセプト・アルバムを作ったり、あのヒプノシスにアートワークを依頼したりなど、大衆性からかけ離れた作風の人である。大衆路線のアルバムが続いてマンネリになっちゃったのか、『DAWN PURPLE』はスピリチュアル寄り、パーソナルなテーマでまとめられている。
 この辺からユーミン、トレンドリーダーとしての気負いはなくなり、恋愛教を振りかざすことはなくなった。一介のアーティストとして長い目で見れば、それが得策だったことは、時代が証明している。あのまま行っちゃえば、時代に消費されて終わりだものね。

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 対してみゆき。
 従来のアルバム制作〜プロモーション・ツアーのローテーションに加え、夜会プロジェクトが大きな割合を占めるようになる。長年務めたオールナイトニッポンのパーソナリティを降板し、そのエネルギーを夜会制作へ振り向けた、とのことだけど、すぐにNHK-FMのミュージック・スクエアでラジオ復帰を果たし、その後も今に至るまで、マイクの前でおちゃらけ振りを披露している。過去のしがらみを捨て、心機一転の覚悟で夜会に挑んだのだろうけど、「やっぱラジオってライフワークだったんだ」と、現場を離れてから気づいたんだろうな。
 同じポジションだったはずのユーミンとは、セールス的にも大きく引き離され、贅を尽くしたライブ・パフォーマンスを横目に、みゆきはコンサートでも演劇でもない、夜会のコンセプト確立に腐心していた。近年こそ、しっかり構築されたオリジナル・ストーリーをベースに、多彩な共演者や、ユーミン顔負けのド派手な舞台演出が繰り広げられているけど、当時はまだ、コンサートとも演劇とも、どっちつかずのステージ構成だった。
 当初から茫漠としたビジョンはあったはずなのだけど、それがどうにも、思ってるような形にならない、または、何が足りなくて何が余計なのか、それを掴めずにいた、というのが正しいのかもしれない。
 もともとみゆき、そこまで器用なタイプではない。ご乱心期のサウンド面で見られた試行錯誤ぶりにも、それは顕著にあらわれている。
 机上の理論だけでは、物事は進まない。実際に体を動かし、これまでのフィールドとは違う分野の人間とディスカッションし、共に手を動かす。手間はかかるけど、そうしないと得られないものは、この世の中にはたくさんあるのだ。
 なので、迷走する期間もまた、彼女にとっては必要なプロセスだったわけで。

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 ライブ・パフォーマンス的な一過性のショウと位置づけていたのか、はたまたコンセプト自体が未完成ゆえ、みゆき自身が求めるクオリティに達していなかったのか、1989年に開催された初の夜会は、画質の悪い資料映像しか残されていない。
 当初掲げられていた「言葉の実験劇場」というコンセプトが、どこまで具現化できたかはみゆき次第だけど、その後も詳細に触れられることがないのは、きっとそういうことなのだろう。クオリティ云々より、まずは「始めた」ということが重要だった。
 そこで得た教訓、または改善点を検証し、ストーリーの肉付けに厚みを加えたのが、「夜会1990」になる。ここから映像作品として商品化されたため、見ている人も多くなる。俺自身、最初の夜会映像を見たのがこれだし。

 「夜会1990」では、みゆきの独白を主軸とした、現在と回想とが交差する散文的なストーリーが展開されている。物語と連動した楽曲があるかと思えば、場面転換として使われる場合もある。連続したストーリーに沿って進むのではなく、既存の楽曲をテーマとして着想が生まれ、それらをシームレスで繋いでいるといった構成なので、みゆき主演の短編映画をまとめて見ている感、と言えば伝わるだろうか。
 「既存の楽曲を、レコーディング時以外のアレンジで試してみたかった」という構想もあったため、不意を突く演出も盛り込まれている。カワイイ着ぐるみダンスをバックに歌われる「キツネ狩りの歌」や、自己批評とセルフ・パロディとが表裏一体化した「わかれうた」なんかは、「してやったり」と裏でほくそ笑むみゆきの表情が見えてくる。

 手探り状態でスタートした夜会は当初、通常コンサートのフォーマットをベースとして、緩やかな構成のストーリーに沿って楽曲をはめ込んで行くスタイルで製作された。なので、ステージ上には生バンドが配置され、舞台装置も極力シンプルなものに限定されている。
 このスタイルを掘り下げてゆくこともアリだったと思うし、回を重ねるごとに書き下ろしの新曲が多くなることも、自然の流れとしては十分あり得たはず。
 でもみゆき、「なんか違う」という気持ちが拭えなかったのだろう。
 コンサートでもミュージカルでも戯曲でもない、まったく別のスタイルの表現方法。
 夜会に足りないもの、それは、盤石として揺るぎない「ストーリー」、全編を貫く強い意志を持った「ものがたり」の不在だった。
 新しい形ではある。でも、充分ではない。
 それに気づいてしまったみゆき、ここまでで築き上げた夜会のコンセプトを一旦洗い直し、まったく違うメソッドを模索することになる。

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 多くのエネルギーが夜会へ注がれるため、自然、サウンド・メイキングは瀬尾一三に委ねられることになる。彼の存在なくしては、夜会もアルバム制作も、どちらも中途半端なものになったことだろう。
 『歌でしか言えない』は、みゆきにとって、初の本格的な海外レコーディングとなっている。これまでもミックスやマスタリングを海外で行なうことはあったけど、現地へ出向いてのセッションは、これが初となる。
 「みゆき自身によるサウンドへの希求が、海外のミュージシャンやスタッフのスキルを求めた」のかと思っていたのだけど、内実はもっと単純で、瀬尾がロスで他のアーティストのレコーディングにかかりきりのため、帰国のスケジュールが取れず、「じゃあ」ということでみゆきが出向いた、とのこと。案外、実務的な理由だったのね。
瀬尾の気分が乗ってたのか、はたまたみゆきのバイブレーションがあずかり知らぬ方向へ飛んじゃったのか、新機軸として、ゴスペル・コーラスを導入した楽曲が登場している。みゆきの曲で、ここまで強くソウル・テイストが打ち出されたサウンドは、後にも先にも存在しない。このスタイルのアプローチはこれ限りだったため、本人的にも瀬尾的にも、「なんか違う」と思い直したのだろう。リリースしてから気づくんだよな、いつも。
 そこまで極端な例は抜きにして、西海岸特有のボトムの太いサウンドやリズムのクリアさに出逢えたことは、みゆきにとって大きな収穫だった。そこまで音質にこだわりはなかったと思われるみゆきだけど、やはり実際のサウンドを目の当たりにしたことによって、要求レベルが格段に上がってしまう。なので、以降はロス録音が多くなる。

 このアルバム制作と並行して、新たな夜会の準備も進行する。新規巻き直しにあたり、みゆきは従来の短編集スタイルを捨て、太い幹の如く揺るがないコンセプトで貫かれた、強靭なストーリーを夜会の柱とした。
 中国の故事「邯鄲の夢」をモチーフとした「夜会VOL.3 KAN(邯鄲)TAN」。アルバム・リリース後のツアーより先に、みゆきは新たな夜会を選んだ。アルバム→ツアーのルーティンはここで崩れ、以降、90年代は夜会を中心とした活動にシフトしてゆくことになる。





1. C.Q.
 遠く、か細い声でふり絞られる、かすかな救援信号。
 一体、誰に向けられているのか。
 いや、相手は問わない。ただ、聞いてくれる者がいれば。
 そしてまた、ここに僕が、私がいるということを、世界中の誰かが気づいてさえくれれば。
 誰かを救う、または救われること、そんな大それたことはできないけど、気づいてあげること、手を挙げることくらいなら、まだできる。その意欲さえ失くしてしまうと、人はもはや人ではなくなる。
 長くラジオに携わってきたみゆきには、それが見える。リアルタイムで反応が返ってくるネット環境と違い、ラジオの場合、リアクションはすぐには返ってこない。でも、感じることはできる。
 1人のパーソナリティと、不特定多数のリスナーとの関係は、直接的ではないけれど、距離感は近く、そして深い。
 深夜のスタジオから、みゆきは言外に、こう語りかける。
 「誰かいますか?」。

2. おだやかな時代
 本文でも触れたように、大仰なゴスペル・コーラスが導入された異色ナンバー。サビだけ聴くと和田アキ子みたいだけど、正直、あそこまでのグルーブ感やパワフルさを求めるのは、さすがにお門違い。
 たまたま瀬尾がロスにいたし、ちょうどRita Coolidgeもブッキングできたし、せっかくならゴージャスにやってみる?てなノリでアレンジされたのかね。

 おだやかな時代 鳴かない獣が 好まれる時代
 標識に埋もれて 僕は愛にさえ 辿り着けない
 目をこらしても 霧の中 レールの先は見えないけど
 止まり方しか習わなかった 町の溜息を 僕は聞いている

 喧騒の70年代を過ごしてきたみゆきから見た、マニュアル世代の無気力ぶりを、多少の励ましを込めて描かれている。メイキング仕立ての大掛かりなセット使用のPVのイメージから、強い激励の歌と受け取られがちだけど、あくまでみゆきは傍観者、女神の視点で彼らを見守る。
 ちなみに初出は1986年のニュース・ステーション内の1コーナー、その主題歌として一部だけが公開され、ここで初めて完全版として音源化された、という経緯。
 当時の俺は高校2年、リアルタイムではあったけど、聴いた記憶はまったくない。報道番組や新聞をチェックする高校生が嫌いだったし、またそうはなりたくなかったのだ。いま思えば、ちょっと意固地だったよな。
 あぁ若かりし青き春の日々よ。

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3. トーキョー迷子
 シングルとして先行リリースされた、ちょっと懐かしいムード漂う、80年代初頭の歌謡曲テイストのナンバー。「あの娘」など、シングル・チャート常連だった頃のテーマと曲調は、郷愁さえ漂う。
 「男が帰ってくるの待っていたら、いつに間に5年も経っちゃった」という内容を、淡々と歌い上げている。さめざめと憐憫調に嘆くのでもなければ、開き直って笑い飛ばすのでもない。
 「そんな時代もあったよね」と言いたげな冷めた視点は、もう瑣末な愛だの恋だのに振り回されることのない、表現者としての重心の盤石さがにじみ出ている。

4. Maybe
 表現者であるみゆきの視点は、基本傍観者であり、詳細な観察者でもあるのだけれど、ここではそのスタンスとは違ったところ、がんばっている女性の背中を直接押す応援歌として描かれている。
 強くなりたい、また強くあろうとする女性を主人公に、旧態依然とした社会への孤軍奮闘ぶりを、時にミュージカル調の力強いタッチで歌い上げている。
 これまでのレパートリーの中では、大きな意味での応援歌として「ファイト!」が挙げられるけど、比喩表現を多用しないストレートな形は、これが初めて。表現者としての成長=女神の視点を獲得することによって、単なる傍観者ではいられなくなった、ということなのだろう。
 働く女性への具象的な応援歌となったため、ユーミンの守備範囲と大きくかぶってはいる。ただみゆき、その後はここだけには収まらず、あらゆる層へ抜けて包括的な慈愛を注ぐことになる。

5. 渚へ
 海外セッションによるレコーディングのため、ガラリと音色が違っている。ご乱心期にもこういったブルース・テイストのロック・ナンバーはあったけど、プロダクションが変わると、土台から音が変わってくる好例。
 アメリカ録音のメリットとしてよく語られるのが、乾燥した空気による楽器の音の響きの良さ、日本よりパワーのある120ボルトの電圧から生み出される音の太さが挙げられる。みゆきのように、生身のミュージシャン主体のレコーディングならまだ通用する話だけど、DTM主体の今となっては、主流のスタイルではなくなっているのが実情。海外はまだ需要があるけど、日本では次第にロスト・テクノロジー化しつつあるしね。
 「騙された」と頭ではわかりつつ、周囲には自嘲的に強がりを言いつつ、心のどこかではつい信じてしまう、というみゆき得意のフォーマットだけど、このパターンが使われるのも、次第に少なくなっている。
 まるでかつての自分をなぞっているような、妙な完成度の高さ。ある意味、みゆきとしてはステレオタイプの歌詞になっているため、サウンドのボトムの太さに気圧されている印象。

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6. 永久欠番
 リリースされた当時からいち早く、ファンの間でも名曲認定され、中学国語の教科書にも採用されるくらい話題になった、みゆきの死生観がストレートに描かれた曲。

 どんな記念碑 メモリアルも 雨風にけずられて崩れ
 人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
 だれか思い出すだろうか ここに生きてた私を

 「永久欠番」の10年前、みゆきは老いというテーマで「傾斜」を書いた。

 歳を取るのは素敵なことです そうじゃないですか
 忘れっぽいのは 素敵なことです そうじゃないですか
 悲しい記憶の数ばかり 飽和の量より増えたなら 
 忘れるより ほか ないじゃありませんか

 この時、みゆき30歳。傍観者として描いた老後から10年、人生折り返しを経て、死というものがより身近になった。
 第三者としてでなく、当事者としてのリアルな目線、そして死生観。
 その後も折を見て、みゆきは思い出すかのように、このテーマに挑むことになる。

7. 笑ってよエンジェル
 オリエンタルなメロディが郷愁を誘う、懐かしさと親しみを感じさせる小品。前作『夜を往け』からのシングル・カット「with」のB面に収録されたのが初出で、このアルバムの中では最も先に世に出た楽曲でもある。
 ここではアルバム用に新たなアレンジで収録されており、ややハード目なサウンドだった前作のテイストはうまく払底されている。
 他愛ない言葉遊びを1曲分に仕立てた感じなので、深読みすることもない。同じ言葉遊びでも、「世迷い言」よりもっと軽くてポップ。ひと息つける曲としての役割を果たしている。

8. た・わ・わ
 直裁的なサビの歌詞が衝撃的だった、同性への強いジェラシーを活写したレゲエ調ポップ。「熱病」同様、ビート優先の曲なので、名詞の羅列が多く、みゆきとしてはラフなタッチになっている。
 どこまで作為的だったのか不明だけど、ここで描かれている女性、いわゆるイイ女っていうのが、すごいステレオタイプ。絵に描いたようなボディコン女性をイメージしてしまい、なんかリアリティに欠ける。もっと深読みすると、行間に何か浮き出てくるかもしれないけど、そんな感じもなさそう。
 ドラマや映画に出てくる紋切り型の美人より、ほんとに怖いのは清楚の仮面をかぶったメス。そっちの方がもっとゲスいのだけど。

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9. サッポロSNOWY
 『臨月』あたりに入ってても違和感なさそうな、とても切ない直球バラード。辛いこと・悲しいことを覆い隠すメタファーとして、みゆきは雪をテーマとして取り上げることが多いけど、ここでは珍しくロマンチックな、優しげな降り方。
 家や林を容赦なくなぎ倒す吹雪は、人命にもかかわってくるけど、ここで降る雪は感傷的。「暖かな雪」とは反語表現だけど、一周回って温もりを感じさせる。

10. 南三条
 Bruce Springsteen みたいなサウンドだよな、と思ってクレジットを見たら、ロス・セッションの楽曲だった。どうりで大味なアメリカン・ロック・テイストだと思った。ディストーション・ギターとキラキラしたシンセ、ソウルフルなコーラスとテンション高いサックスのブロウ。そんなバッキングに煽られてか、みゆきのヴォーカルも床に根を生やしたような安定感、太さが強調されている。
 当初からこういったアレンジを想定していたのか、比較的明快なストーリー仕立てとなっており、映像を想起させる言葉遣いが多用されている。当然フィクションなんだろうけど、普段多用されるレトリックや比喩が少なく、行間も詰まっているので、これ以上、解釈のしようがない。
 ファンやユーザーの思い入れの余地が少ないぶん、聴き流してしまう内容なのだ。重厚なサウンドとバランスを取って、敢えて言葉は軽く明快にしたのでは、とは深く考えすぎかな。

11. 炎と水
 で、ここまで比較的、ビギナーにも広く門戸を開いた「親しみやすい中島みゆき」を象徴した楽曲が続いたのだけど、ラストは、それらをすべてちゃぶ台返ししてしまう、長年のファンさえ置いてきぼりにしてしまう、そんな難解曲。ここまで観念的な歌詞は、「世情」以来なんじゃないだろうかというくらい、ヘビィな味わいに満ちている。
 単純に受け取ると、「炎の男と水の女、真逆でありながら惹かれ合わずにはいられない」。そんなジレンマや業を描いているのだけど、まるでギリシア神話のごとくドラマティックな筆致が、安易な解釈や理解を拒んでいる。
 みゆき自身、この曲についてはなかなか手こずるのか、ステージでは一度も披露したことがない。「うらみ・ます」同様、なかなか稀有なケースである。この曲だけで、夜会のシノプシス1本くらいの重量なので、今後、再演されることは難しいと想われる。






「まだ終わりじゃない」。そう伝えたかった最終作 - 尾崎豊 『放熱への証』

47AD156F-C910-41CC-8CD0-2C82ACB8A2C3 1992年にリリースされた6枚目、最後のオリジナル・アルバム。4月25日に訃報のニュースが流れ、店頭に並んだのが5月10日だから、製作現場ではかなりの突貫作業だったことが窺える。タイミング的に、追悼に乗じて未発表テイクをかき集めたかのようにも思えるけど、生前にマスタリングも終了しており、後は発売を待つばかりの状態だった。なので、不慮のタイミングによる、作業の大幅な前倒しといった方が正しい。
  彼が亡くなったという知らせを聞いたのは、仕事の昼休み中のことだった。ラジオの速報を聞いた上司が、それを教えてくれた。
「おい、尾崎豊が死んだらしいぞ」
 昼食中だった俺は、ちょっとだけ言葉に詰まった。何と返していいかわからず、へぇ、とうなずき、また食事に戻った。
  そうか、尾崎が死んだのか。
  ただそれだけだった。
 
  すでに『誕生』のあたりから、俺は尾崎を追うことをやめていた。当時の尾崎のポジションは、いわばティーンエイジャーの通過儀礼のようなもので、現在のような普遍的な評価はされていなかった。十代の代弁者の役割を終え、新機軸が見出せずに迷走していた、というのがリアルタイムでの俺の見解。
尾崎シンドロームの終焉とシンクロするように、俺の十代も終わり、二十代に突入していた。ここからしばらく、仕事に遊びに忙しくなり、音楽とは距離を置くようになる。
それほど熱心なユーザーではなくなっていたので、訃報を聞いた際も、特別感慨もなく、ショックもなかった。テレビで中継された、葬儀で泣き崩れるファン達や、後追い自殺のニュースを聞いても、どこか他人ごとだった。
  追悼にかこつけて、カラオケで「I Love You」や「十七歳の地図」を歌ったりもした。でも、ただそれだけだった。モヤッとした感傷も長くは続かず、ルーティンの生活は何ごともなく過ぎていった。
なので俺、このアルバムをリアルタイムでは聴いていない。買ったのは数年経ってから、しかも、ちゃんと聴いた記憶がない。他のアルバムと違い、じっくり対峙して向き合っていないのだ。
その後、折をみてCDで聴いたりiTunes で聴いたりもした。でも、深く入り込めない。今回も改めてじっくり対峙して聴いてみたけど、どうも素通りしてしまう。
なぜなのか。
  取っかかりが薄い?特徴がない?
いや多分、そういったことじゃない。
 
 『誕生』リリース後、尾崎は浜田省吾のマネジメント事務所ロード&スカイを辞め、個人事務所アイソトープを設立、唯一の所属アーティストとして、そこへ移籍する。
晩年の尾崎は、方向性の迷いや人間関係に煮詰まり、何かと疑心暗鬼になっていたらしい。
「誰も彼もが俺を利用している」「金儲けの道具としか見てない」。
そんな猜疑心に取り憑かれていた。
  最大の理解者であり、デビュー前からの恩師である須藤晃とも距離を置いたくらいだから、よほど人間不信に陥るアクシデントがあったんじゃないかと思われる。まぁ色恋沙汰のゴシップもあったし。
ロード&スカイの待遇が悪かったのかといえば、そうとは思えない。ハマショーを始めとして、のちに所属することになるスピッツや斉藤和義ら、彼らのキャリア形成・育成方針を見てわかるように、どちらかといえばかなり良心的、アーティスト・サイドに立ったスタイルの運営方針である。
そりゃ売れるに越したことはないけど、それよりもアーティストのスタイル確立や長期展望を重視する、そんなコンセプトなので、尾崎のキャラクターに適していたはずだったのに。

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  若者の代弁者として祭り上げられ、多くのファンや支援者に持てはやされた尾崎も、10代3部作以降は、活動休止やスキャンダルが尾を引き、人気は凋落する。下降線をたどるにつれ、周囲の対応も手のひら返し、次第に距離を置かれるようになった。
  さんざん持ち上げてそこから落とされるわけだから、本人からすればたまったものではない。清廉潔白な生活ではないから、そりゃ自分が蒔いた種もいくつかはあるだろうけど、身に覚えのないところで名前を使われていたり、利権を漁る赤の他人が擦り寄ってきたりで、そりゃ疑心暗鬼にもなる。
ヤマアラシのジレンマよろしく、傷つけることでしか信頼関係を築けない、また、他人との距離を推し量ることができない。
  かつては「傷つけた人々へ」と歌っていたナイーブな男を、ほんの数年で変貌させてしまう、怖ろしきエンタメの世界。それだけ濃縮された時間を駆け抜けた代償だったのか。
殺伐としたムードが日常となるため、有能なブレーンは我先にと匙を投げる。沈没寸前の船からケツをまくって逃げ出し、残るのは要領の良くない人間ばかり。業務は怠り、プロジェクトも前に進まない。苛立ちと焦燥感が募り、辛く当たってしまう。
ふと気づくと、残ったのは身内ばかり。
 
  音楽とは直接関係のないバイアスがかかりまくっているため、内容について書くのはちょっと難しい。そう思ってるのは俺だけじゃないらしく、純粋に音楽について述べたレビューは、あまり見当たらない。
デビューから長く、尾崎を全面プロデュースしてきた須藤晃とも袂を分かち、ここではほぼ完全セルフ・プロデュース、原点回帰とも言えるエッジの効いたロック・サウンドと、私小説的な柔和なバラードとがバランス良く配置されている。テクニカルなアンサンブルは多分、キーボード西本明の助力が大きかったんじゃないかと思われるけど、過去と未来の共存を目指した基本ビジョンは、尾崎オリジナルのものだ。
  B’zや槇原敬之が頭角を表していた当時の音楽状況と照らし合わせると、決してアップトゥデイトなサウンドではない。ノリの良いビートや癒し系といったトレンドからは距離を置き、泥臭いアメリカン・ロックと、静謐なタッチのピアノ・バラードを主軸としている。

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  初めてのセルフ・プロデュースとしては、丁寧に破綻なく作られているし、変に流行を追わなかった分、今もあまり古びて聴こえない。従来のファンにも新規ファンにも受け入れられる、世間のニーズに合わせた作りになっているのだけれど。
  なのに、何だこの引っかかりのなさは。どうしてここまで響かないのか。
  『誕生』よりもテーマや言葉は整理されているし、アレンジもワンパターンをうまく回避しているというのに。
  これは非常にめんどくさい私見だけど、そのどっちつかなさ、全方位にいい顔しちゃってるそのスタイルが、俺世代としてはなんかもどかしく、「二十歳過ぎたから背伸びして日和っちゃったのかよ」という置き去り感が芽生えてしまうのだ。
  そう考えると、尾崎作品の純粋な音楽的評価に水を指しているのは、俺たち45歳以上のリアルタイム世代なのだ、ということに気づかされる。メッセージシンガー、アジテーターとしての尾崎像が刻み込まれているため、主張やイデオロギー以外の面を重要視しない、または思考停止になってしまう。人気もキャリアもピークの時代のインパクトが強いおかげで、20代以降の活動は、長い長いフェードアウトに思えてしまうのだ。
  後追いで尾崎を知った層にとっては、代表作以外はほぼ並列で見ることができる。なので、30代以前には後期の楽曲もそれなりに人気があったりもする。
  純粋に楽曲の良さで判断できるのは、ある面では羨ましいと思う。俺にはもう、そういった聴き方はできないから。

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  で、『放熱への証』。
  俺的世代観を抜きにして捉えると、過渡期的な作品だと思う。若いうちは社会や体制への不満やら、また淡い恋心を感傷的に歌ったりもしたけれど、20代に入って家族もできれば、実感は損なわれてしまう。よほどのディープなファンならともかく、ライト・ユーザーや後の世代から見れば、市場への迎合具合が先立ってしまう。
  若者の代弁者として祭り上げられたりもしたけど、実際のところ、尾崎の作品の中で、大人や社会へのアンチをメインテーマに据えた楽曲は、それほど多くはない。デビュー前のオーディションで歌ったのがさだまさしだったことから察せられるように、もともとは叙情的でウェットな感性の持ち主である。
反体制のヒーロー的なイメージは、多面性を持つ尾崎の一面だけをクローズアップして、ソニーや須藤晃がコーディネートしたものだ。それもまた本質ではあるけれど、「でも、それだけじゃないんだよ」という彼の主張を具現化しようとしたのが、3部作以降の迷走なり試行錯誤であって。
  ただ、その過去を全否定しても、前へは進めない。それもまた自分を創り上げてきた一部であるということを飲み込んで、尾崎はこのアルバムを世に問うた。基本、その時に思ったことをそのまま出す姿勢、それは昔から変わらない。
  静と動、2つの方向性というのは、迷走しているというより、車の両輪のように同等のもの、どちらかを完全に捨ててしまうのではなく、ヴァージョン・アップさせて共存していこうというあらわれだったんじゃないのか。最近になって、そう思う。ただ初めてのセルフ・プロデュースゆえ、細かな仕上げまでは手が回らなかったため、中途半端になっちゃったわけで。
  そう考えると、まだ伸びしろは十分あったわけで、中途半端さにも納得がゆく。





 1.  汚れた絆
  アルバム発売と同時にシングルカットされた、王道アメリカン・ロック・サウンド。とても急ごしらえとは思えない、グルーヴ感あふれるアンサンブルを形作ったのは、ベテラン西本明。E.Street Bandをモチーフとした、自由奔放なアルト・サックスをリードとしたアレンジは、いい意味で野放図な尾崎のヴォーカルと相性が良い。
  歌詞については、それぞれいろいろな解釈があるけど、まぁどう深読みしても斉藤由貴以外ありえない。芸能ニュース的なエピソードはひとまず置いといて、ここで語りたいのは尾崎の変化。
  かつての彼なら、道ならぬ恋を貫くか、地位も何も捨てて守り抜く、といったニュアンスで唄っていたはずのだけど、ここでの尾崎は家族を取り、運命の同士であったはずの相手とは、別れを決意する。歌で嘘は書けない。常に自分の中のリアルを突き詰めて、彼は歌ってきたのだ。
  と、ここまで書いてみてから冷静に考えてみると、不倫の清算を高らかに歌い上げ、しかもリード・トラックにしてしまうとは、並みの神経ではない。芸能ニュースへの話題性としてはアリだろうけど、本人としてはそこを狙っていたとは思えない。サウンドのノリとしてはベストな配置だけれど、テーマとしてはネガティヴだよな。セルフ・プロデュースゆえ、誰も選曲に意見できなかったのか。

2.  自由への扉
  これまでの作品とはどれも似ていない、メロディ・アレンジともに甘さを強調したポップ・チューン。せっかく自分ですべてを仕切るのだから、こうした新機軸も試してみたかったのかな、とも思ったけど、聴き直してみると、他のシンガーを想定して書いた楽曲なのかね、と思ったりもする。
  ファニーで邪気のない、若い2人の恋の行く末を描いてると思われているけど、「~あるはず」という語尾の不安定さは、楽観的と言い切れない。

  闇夜の国に 浮かぶ月明かりに照らされて
  星が揺らめきながら 明日を信じてる
  永遠に思えるような 悲しみと暮らしは続く

  無条件に幸せを享受できない、そんな彼の心境が少しだけ反映されている。

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3.  Get it down
  1.   と同様、ダルでルーズでちょっぴり大ざっぱなロック・ナンバー。初期のファンからも人気が高く、当然、俺的にも食いつきが良くなじみ易い楽曲。小難しい批評性や理屈を抜きにして、純粋に楽しめるアップテンポは、お手のものといった感じ。成長云々とは関係ない、熟成された疾走感が、ここに刻まれている。まぁこれをベースとして、彼はさらに違う表現を探していたのだろうけど。

4.  優しい陽射し
 「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう」。
  尾崎がこのアルバムのために添えたキャッチフレーズであり、実際、発売時のキャッチコピーとしても使用された。意味深なアートワークとセットで、強く印象にに残っている。
何気ない言葉をつなぎ、日常のふとした瞬間や心の揺らぎを、ここでは丹念に拾い上げ、そして丁寧に歌う尾崎。
  デビュー当時から情景描写は卓越していたけど、こういった心理描写、対人関係の妙を細やかに描くには、もう少し時間が必要だったんじゃないか、とこの曲を聴くと思う。ひとつひとつの言葉のセンスは秀逸だけれど、どこかフォーカスが絞りきれていない印象。その未整理さもまた魅力なのだけど、さらにその先、成熟した表現をする尾崎が見てみたかった、と思わせる楽曲。

5.     贖罪 
  で、ネガティヴな尾崎の告白という位置付けになるのが、これ。アーバン・ムードの落ち着いたサウンドで語られるのは、タイトルから想起させるような、無為の日々の告白。何もそこまで自己犠牲へ思い詰めることはないのに、と余計な心配をしてしまうくらいである。まぁこれまでのいきさつを思えば、それもわからなくはないけど。
  多少の自己陶酔は否めないけど、まだ20代の男が告白せざるを得なかった事情があったのだ。

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6.   ふたつの心
  ピアノを主体とした、適度にドラマティックなバラード・ナンバー。ここでは尾崎、情感を込めつつ、緩急使い分けたヴォーカルを披露。同世代のアーティストの中でも、歌唱力は突出していたけれど、キャリアを重ねること、また人生経験の深みも合わさって、表現力がずば抜けている。
  何となくだけど、「I Love You」で描かれていたカップルのその後を歌っているんじゃないかな、とは俺の私見。

7.  原色の孤独
 『街路樹』以降から、アルバムに1曲くらい収録されるようになった、具体的な言葉で抽象的な暗示めいた警句を発する、まぁ言っちゃえば中二病的楽曲。いくらでも深読みできるし、なんとなくアーティストっぽい感じには見える。
  色々な解釈ができる内容なので、逆にサウンドは明快なロック・バンド仕様。ハマショーっぽさ全開な気もするけど、深く考えないのなら、ノリのよい音楽。

8.  太陽の瞳
  アルバム制作にあたり、最初に書き上げられた楽曲。副題Last Christmas となっているため、舞台はクリスマスシーズン、みんなが幸せでホッコリしてしまう聖夜とはまるで正反対の、徒労感と絶望に苛まれた連綿と続く日常を、これでもかとネガティブに切り取っている。 ダウナーな時期だったことは察せられるけど、この曲がある意味通底音としてアルバム全体のムードを支配しているため、死の臭いがつきまとってしまった。
  ただ暗い曲だと一蹴してしまうのではなく、尾崎のリアルな情感がむき出しで吐露されているため、その後の方向性を思えば、重要なポイントを示す楽曲だったと言える。後期に頻出した、二重三重にもかけた警告的暗喩の羅列よりは、ずっと入り込みやすいし、他者に伝える表現としても、きちんとまとめられている。
  単に悲観的展望を描いた作品として片付けるのではなく、絶望や無力感を自身の中で整理し体系化というプロセスを経て具現化することによって、表現者は救われる。ここから先へ行けるはずだったのだ。

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9.  Monday morning
  肩の力を抜いてラフなタッチの、カントリーロック風ナンバー。スタジオセッション風のラフなアンサンブルをベースに、尾崎のヴォーカルも軽快で、ピッチもそんなに気にしてなさそう。アコギメインのバンドアンサンブルになると、ほんと楽しそうなのが伝わってくる。
  一聴すると歌詞も聴き流してしまいがちだけど、サウンドとは相反して、あまり前向きな内容ではない。コンクリートジャングルに飲み込まれ、決められた人生のレールに乗せられて暗い顔をした旧友たちを横目に、主人公は道をはずれ、ただ独り夢見がちな時を過ごす。
  でもね、夢見るだけで動かないと、明日ってないんだよ。

10. 闇の告白
  不平不満があっても、声に出せず言葉も知らない、また話を聞いてくれる理解者もいない、そんな大多数の弱者の心の痛みを、尾崎は歌にした。背中を押しても前へ踏み出せない、鼓舞しても立ち上がることさえできない、そこまで打ちひしがれてしまった、弱き民たちの、無為な日々を綴る。
  引きがねは、いつでも引くことはできる。でも、すぐに引くことはない。いざとなれば引くことができる、という諦念が、ある種の妥協点を見いだすことができるのだ。社会との折り合いとは、そんな風に形作られてゆく。

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11. Mama, say good-bye
  アルバムのラストであり、また尾崎が最期に作った歌は、亡くなったばかりの母に捧げられている
  「お母さん疲れさせてごめんね。お母さん、世界中の全ての疲れた心が癒されるように、歌い続けていくからね。」
  曲の完成後、ファンクラブの会報にコメントを残している。
  レトリックも比喩もない、ストレートな愛慕を素直に綴った、追悼の唄。これまでの作風から比べると異色だけど、これもまたアーティスト尾崎豊の幅である。
  尾崎自身、これを最期にするつもりはなかったはずだと思いたい。まだ先はあったはずなのに。







ポップ馬鹿としての達郎は、ここから。 - 山下達郎『Melodies』

folder 1983年リリース、7枚目のオリジナル・アルバム。前作『For You』に続きチャート1位を獲得、年間チャートでも7位にランクインしている。
 この年の年間トップは、映画『フラッシュダンス』のサウンドトラック、3位は松本隆主導によるプロジェクト戦略がピークに達していた、松田聖子『ユートピア』、次に明菜・サザンと、順当なラインナップになっている。
 ちょっと不意を突かれたのが、2位のフリオ・イグレシアス。外タレというよりディナー・ショー歌手の印象が強いので、カタカナで書いちゃったけど、アラフォー世代以下はもう知らないんだろうな。「バイラモス」をヒットさせたエンリケの親父ってことだったらわかるかな?とも思ったけど、あれだって、もう20年前なんだよな。本題と関係ないから、まぁいいか。
 続いて6位がMichael Jackson 『Thriller』。マイコーより売れてたのか、フリオ。で、この次に達郎が続く。
 単独トップこそ『フラッシュダンス』に譲ったけど、本当の意味でのこの年のトップは、断然明菜。しかも、年間トップ10圏内に3枚も送り込んでいるブッチギリ状態。さらに、ベスト・アルバムじゃなくて、全部オリジナル。出来不出来はあったとしても、尋常じゃないペースである。
 当時のアイドル歌謡曲のリリース・スパンが、シングル3ヶ月・アルバム半年が平均だったため、実現できた記録である。アニメ関連以外じゃ、こういうのってなくなっちゃったよな。

 ちょっと言いづらいけど、こんなキラ星が並んだラインナップの中では、何ていうかこう、地味で場違いな感が否めないのが、達郎の存在である。テレビでの露出が必須だった歌謡界や、いい意味でPV的な構成の『フラッシュダンス』や『Thriller』と違って、映像によるアプローチは、まったくと言っていいほどない。竹内まりやとの結婚式での取材ラッシュに辟易して、それ以降は頑なに映像での露出を拒んでおり、いまだ頑固にそのポリシーを貫いている。
 とはいえ、当時のニュー・ミュージック勢の戦略として、メディア露出を絞ってユーザーの情報飢餓感を煽ることがセオリー化していたので、達郎だけが特別だったわけじゃない。ないのだけれど、当時のTV出演拒否を謳っていたアーティストの多くが、今では普通に出演している中、彼だけは頑なに初心を貫いている。そこまでの頑固一徹さは、もはや賞賛に値する。ここまで行っちゃったら、もう引退するまで貫いてほしい。
 ビジュアル面でのインパクトの薄さは、アルバム・アートワークでも顕著にあらわれている。「FMステーション」でお馴染み、鈴木英人デザインによる、ポップでアメリカンナイズされたアートワークでパッケージされた『For You』から一転、『Melodies』のジャケットは、インパクトもなく地味である。オールディーズ・ナンバーのオムニバスのような、素っ気ないデザインとなっている。歴代のアルバム・ジャケットの中では、『Spacy』と肩を並べるくらい、掴みどころがない。
 逆に考えれば、小洒落たデザインや話題性などを抜きにして、音楽のクオリティだけで勝負する-、そんな強い決意の表れ、そして自信だったと言える。

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 JALのCMソングとなった「高気圧ガール」以外、マスコミにとって形容しやすいセールス・ポイントがないアルバムがここまで売れちゃったのも、そんな強い自信のあらわれ、真摯な決意の賜物だったんじゃないか、というのはちょっと持ち上げすぎかな。でも、当時置かれた立場的には、普通に『For You』の二番煎じでも、誰も批判はしなかったと思われるし、周辺スタッフだって、内心は気が気でなかったんじゃないかと思われる。大滝詠一だって、『Each Time』は自嘲的に「ロンバケⅡ」って語っていたくらいだし。
 達郎がデビューした頃、日本のロック/ニュー・ミュージックの市場はまだ未成熟で、単体で採算が取れるほどのレベルではなかった。吉田拓郎や井上陽水など、ごく一部のアーティストらは安定したセールスを積み上げていたけど、その他大多数は商業的にいわばお荷物、絶大なセールスを誇っていた歌謡曲の売上で活動させていただいているようなものだった。一部の看板歌手によって得た利益を再分配して次世代へ投資する、この図式は今もそんなに変わらない。まぁ市場規模が小さくなっちゃったので、原資自体が減っちゃって配分も何もなくなっちゃったけど。
 で、80年代に入ったあたりから、歌謡曲以外のシェアが増大する。さらなる売り上げ拡大を目指すアーティストもいるにはいたけれど、純粋な動機で音楽を始めた者が多かったこの時代、セールスの裏付けによる発言力を得たことによって、強いアーティスト・エゴを反映させた作品もまた多い。
 9位のユーミン『リ・インカーネーション』は、後の恋愛至上主義からは想像もつかないSFチックなスピリチュアル路線だし、11位の中島みゆき『予感』だって、ご乱心路線にギアが入り始めた頃の作品である。事実上の独立第1弾となる『Melodies』も、シングル曲以外は内省的で派手さのない、アーティスト・エゴを優先させたサウンド・コンセプトで統一されている。
 「Ride on Time」や「Loveland, Island」の拡大再生産的な「高気圧ガール」一色で埋め尽くしたって、誰もケチはつけないだろうし、市場のニーズとはマッチしている。でも、そうはしたくない、時代に寄り添い過ぎたくはない、という嗅覚が働いたのだろう。それが得策だったことは、時代が証明しているわけだし。

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 「Ride on Time」のスマッシュ・ヒットで注目され、そこから『For You』~『Melodies』と続く第一次達郎全盛期は、同時にニュー・ミュージック時代の終焉に位置づけられる。80年代後半のバンド・ブーム以前、非歌謡曲系のアーティストの主軸がソニー系ロック/ポップ系へ移行する、そのちょっと前の時代。
 70年代にデビューした、叙情派フォーク勢が中心となったニュー・ミュージック系の歌手らは、時代の趨勢に従うように、ソフィスティケイトされた洋楽テイストのサウンドを志向するようになる。赤裸々なメッセージとイデオロギーをコアとした60年代組と違って、白樺派的雰囲気フォークの後発勢らは、ポップで耳ざわりの良い英米のシンガー・ソングライターのメソッドをパクって吸収していった。男だったらPaul Simon、女ならCarole King、「第2の~」「日本の~」というキャッチフレーズが多かったのも、この頃である。
 そんな小ブームも一過性に終わり、次の元ネタを探しに次に向かったのが、アーバンで落ち着いた「大人の音楽」、Christopher CrossやBobby CaldwellらによるAORサウンドだった。一歩間違えれば演歌にも通ずる情緒的なメロディ・ラインは、日本人のメンタリティにも心地よくフィットしたため、流用するにはうってつけだった。
 達郎の場合、そんな並行輸入のAORもどきとは一線を画し、ウェットな感性を排したサウンドとメロディを持ち味としていた。ただ、「洗練された大人のシャレオツなサウンド」といったくくりで行くと、あながち間違ってはいないし、プロモーション展開としてはやりやすい。

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 「夏だ海だ達郎だ」といったリゾート・ミュージック的な捉えられ方は、自分の音楽的ポリシーや意向が完全に反映されたものではない」と後年、達郎は語っている。当時の音楽シーンを鑑みると、刹那的な流行だったと思っても仕方がない。
 ただ、100パーセント自身の嗜好が反映されたモノを作っているアーティストがどれだけいるのかといえば、実際のところ、そんなに多くはない。ていうか、むしろごく少数。
 かつてはMarvin Gayeがジャズ・スタンダードのアルバムをリリースしたり、近年でもPaul McCartneyが単発的にクラシックのプロジェクトを興したりしているけど、ほとんどは採算度外視の道楽みたいなもので、どれもヒットを前提として作られたものではない。商業ベースに乗せるためには、大なり小なり妥協がついて回るのだ。
 インタビューなどの発言やラジオの選曲傾向から、オールディーズやドゥーワップをベースとした音楽が好みであることは、よく知られている。嗜好としては間違ってはいないのだけど、本来の志向とは微妙にズレがあることは、ライト・ユーザーにはあまり知られていない。
 実際の達郎は、古くはAC/DC、近年ではEastern YouthやThe Birthdayらをこよなく愛する、意外に意外なハードロック壮年である。ただ、「自分の声質にはフィットしないことを自覚し、消去法的選択で今のような作風に向かった」と、これも自身でコメントを残している。
 達郎がインタビューで頻発して用いるのが、「商業音楽」という言葉。
 彼曰く、「不特定多数のユーザーに届かせるためには、嗜好よりも適性が優先される。商業音楽の世界では、売れないのは無と同然であり、売れる事によって初めて優劣の評価が成される」と。詳細までは覚えてないけど、このニュアンスの発言は何度か目にしたことがある。こういう事語らせたら止まらないのが、この人の持ち味でもある。
 「商業音楽」の世界で生きて行こうと決めた時点で、達郎の音楽性は狭まったのか、それとも逆にフォーカスが絞られたのか。多分、後者だろう。言っちゃえば結果論くさいのだけど、それをまた後付けで理論武装してしまうのも、この人のしたたかさである。

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 前年に立ち上げたアルファ・ムーン・レーベルへの移籍を機に、達郎は自ら作詞を手がけるケースが多くなる。それまでは、多くの作詞を吉田美奈子に委ねていたのだけど、自ら選んだ言葉とテーマを歌う行為は、今後のアーティスト活動の継続において必然と判断したのだろう。
 もともとサウンド・メイキングの方の評価が高くて、歌詞なんて添え物程度にしか考えてなかったんだから、どうせなら長所を伸ばす方向、サウンドやヴォーカルのディティールに力入れた方がいいんじゃないの?と余計な勘ぐりをしてしまいたくなる。当時の内情を知らない俺だってそう思うんだから、身近な関係者や事情通の中には、そんな風に思ってた人もいたんじゃないかと思われる。
 いざ「自分で書く」と決めたはいいけど、プロフェッショナルな職業作家ではないので、高度なレトリックやダブル・ミーニングを多用できるわけではない。気取った言い回しができるタイプじゃないし、特に30過ぎだったら、内面をさらけ出すことに対する気恥ずかしさが先立ってしまう。
 ある意味、見切り発車的な(ほぼ)全曲作詞だったため、類型的な情景描写が多く、赤裸々な心理描写を表現した作品はない。メロディ・ラインとヴォーカルの発語感のマッチングが齟齬を来たし、拙いものもあるにはある。
 「商業音楽」としてのクオリティを追求するなら、外部委託もまたひとつの手段である。製品レベルの維持安定を図るのなら、むしろ信頼できる第三者に委ねた方が合理的だ。
 でも彼は、人に書いてもらうことより、自分で言葉を選び、歌うことを選んだ。「商業音楽」の世界に生きていながら、やはりそこはアーティストだ。なぜ自分が、多くの人に作品を聴いてもらいたいのか。単なる利潤の追求なら、もっと効率的なやり方はある。
 効率的なロジックとは対極の、抑えきれぬアーティスト・エゴの発露。湧き上がる表現欲求に駆り立てられるように、その後の達郎は言葉の表現にも注力するようになる。

 後にリリースしたアルバム・タイトル『Artisan(アルチザン)』。職人をあらわす英語である。その後の彼の足取りを想えば、アーティストというより、この言葉の方がふさわしい。





1. 悲しみのJODY (She Was Cring)
 大滝詠一だったか誰だったか、「日本で最初にファルセットでメジャーになった曲」と称された、なのに8ビートのストレートなロック・チューン。ファンクやディスコと言えば16ビートだけど、敢えてそこをはずしたところに、新境地への意気込みが窺える。
 多重コーラスはもちろん、やたら重たいベースや終盤のドラム・ソロも、ぜんぶ達郎独りでこなしている。井上大輔にサックスを頼んだ以外は、ほぼ全部自分。こういうスタイルって、もっとこじんまりとまとまっちゃうものだけど、ちゃんと広がりのあるヴァーチャル・バンド・サウンドに仕上げている。この時期はあんまりライブに積極的ではなかったけど、後のバンド・アンサンブルも想定していたんだろうか。

2. 高気圧ガール
 オリコン最高17位まで上昇した、先行シングル・カット。当時のJALのキャンペーン・ソングということで、やたら大量に出稿されていたのは、中途半端な田舎の中学生だった俺の記憶にも強く残っている。ていうか、一般的な認知が定着したのは、多分この頃だったんじゃないかと思われる。
 享楽的な夏の宴を思わせるサンバのビートは、裏表もあまり感じさせず、その辺はやはりオファーに則った職人芸。「夏の男」というベタなニーズにそのまんま応えた、コマーシャルな達郎像が具現化されている。アカペラとパーカッションで構成されたイントロは、一歩間違えればエスニックな泥臭いものになりがちだけど、そういった危惧をすべて回避して、コンテンポラリーなポップ・スタンダードとして仕上げている。
 ちなみに甘い吐息の主は、しばらく明かされていなかったのだけど、正体は竹内まりや。やっぱりな。

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3. 夜翔 (Night-Fly)
 ゆったりした正統フィリー・ソウルなバラード。ベタでムーディでスウィートなホーン・セクションと優雅なストリングス。なので、決して技巧的ではないベタな歌詞がフィットする。小難しい言葉を連ねるタイプのサウンドじゃないしね。
 リリース当時は1.2.のようなアッパーなサウンドのインパクトに心惹かれていたけど、年を取るにつれ、こういったシンプルなソウル・バラードの方がしっくり馴染むようになる。
 大人になればわかるよ、そういうのって。

4. GUESS I'M DUMB
 Bryan Wilson作のカバーというのを、だいぶ後になってから知ったのだった。ちなみにYouTubeでオリジナルのGlen Campbellヴァージョンを聴いてみたのだけど、歌い方は完コピだな。達郎ヴァージョンを先に聴いてるので、俺的にはこっちがオリジナルみたいなものだけど、結構やるよな、Glen。ヴォーカルの力だけで引き込まれてしまう。
 アカペラ多重コーラスで彩ることによって、サウンドの深みがグッと引き立ったのはアイディア勝ち。ていうか、このコーラスが入ってこそ、この曲は完成したんじゃないか、とさえ思ってしまう。
 ちなみにこの曲も1.同様、達郎独りによる多重録音。この時、30歳。それでこの完成度だから、どれだけ老成してるんだよ。やっぱ若年寄だな。

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5. ひととき
 レコードではA面ラスト、本人いわく、60年代フォークっぽくやりたかった、とのことで、サウンドはポップなフォーク、ヴォーカルはちょっと抑えめのソウル・タッチ。要所を多重コーラスで締め、コンパクトにまとめている。夏っぽさどころか季節感も薄い、もう少しウェットに寄れば抒情フォークになってしまうところ。でもこの雰囲気は悪くない。3.同様、年を重ねてから聴くと、じんわり来る。

6. メリー・ゴー・ラウンド
 このアルバムのメイン・トラックのはずだったのだけど、一般的な認知度で言えば10.に取られてしまい、不遇を囲っているどファンク・チューン。ただファン歴が長くなればなるほど、この曲の人気は高くなる。
 最強のリズム・セクションだった伊藤広規(B)と青山純(Dr)によって構築された盤石のビートは、誰も太刀打ちできない。この2人の勇姿を見ることは叶わなかったけど、昨年、初めて参加したライブで、俺が最も楽しみにしていたのが、この曲。いやもう、心も体も持ってかれてしまう。



7. BLUE MIDNIGHT
 『For You』のアウトテイクということで、この曲のみ作詞が吉田美奈子。フィリーなソウル・バラードは3.と似たタッチで、いつも印象がかぶってしまう。まぁノリノリの6.の後だから、その後のクール・ダウンといったポジショニング。
 逆に言えば、このアルバムのサウンドには非常にフィットしており、よって『For You』だと入れどころに困ってしまう。すでにこういったライト & メロウ路線が芽生えていたのだろう。

8. あしおと
 こちらも『For You』時に制作された楽曲。軽いタッチのシカゴ・ソウルは、やっぱシックなこのアルバムとの方が相性が良い。肩の力を抜いたポップ・ソングだけど、コマーシャルな路線とも違う、それでいて優しく寄り添ってくる。不思議な魅力のあるナンバー。これまでも、そしてこれ以降もないタイプなので、なかなか貴重。多分、もう書けないんだろうな、こういう方向性って。



9. 黙想
 ラス前のインタールード的な小品バラード。歌詞は至ってシンプルだし、アレンジもピアノ1本。しかし、ポップのアルバムで、こんなタイトルの曲を入れるだなんて、なかなかの冒険。一過性のヒットを狙うのなら悪手だけど、長期的な展望で見れば…、ややっぱないな、普通。

10. クリスマス・イブ
 あまりに語られ過ぎてるし、誰もが知ってる曲なので、大して書くことはないけど、本格的なアカペラ・コーラスを大々的にフィーチャーされた、初めてのヒット曲。若書きとも取れる歌詞も、過度なセンチメンタリズムを避け、それでいて情熱的。考えてみれば、ソウルにどっぷり浸かっている人なので、ストレートな表現を多用するのは当たり前なのだ。
 初回の12インチ・ピクチャー・レコードを速攻で買ったのは俺の自慢のひとつだけど、金に困って売っぱらっちゃったのもまた、俺の数少ない後悔のひとつ。こういうのは手元に残しておくものだよね。みんなも大事なアイテムは、簡単に手放さないようにね。

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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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