好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

ステゴロ勝負のような音楽 - Joni Mitchell 『Hejira』

folder 1976年リリース、8枚目のオリジナル・アルバム。US13位UK9位を記録、アメリカではゴールド・ディスクを獲得している。決してポップともキャッチーとも言えない、こんな愛想のない音楽がトップ10近くまで売れてしまう、そんな時代だったのだパンク襲来以前のアメリカって。
 60年代の狂騒の残り香がひと息ついて、まだサタデー・ナイト・フィーバーもない空白の時期、小難しい理屈をこねた音楽に取って代わって、あんまり深く考えないメロディアスなロックが主流になっていた。EaglesとFleetwood Macがトップ争いを繰り広げていた、そんな時代である。
 ただ、時代の趨勢とは一面的なものではない。もう少し繊細に作られた、Steely Danのようなジャズ・フュージョン/クロスオーバー系のサウンドに人気が集まっていたのも事実。
 そんな流れもあって、Joni の音楽もまた、そこそこ受け入れられる土壌があった。シングル・ヒットを狙ったアーティスト以外にも、ちゃんと居場所があった時代の話である。

 フォーク路線でデビューしたはずのJoni の音楽性が、次第にジャズに傾倒していったのは、伝説的なベーシストJaco Pastoriusとのロマンスが契機になった、とされている。
 出るべくして世に出た、若く才能あふれるミュージシャンとの熱愛。出逢うべくして出逢った2人は、仕事でもプライベートでもかけがえのないパートナーとなる。
 主にリズム楽器だったベースというポジションを、フロントでも通用するリード楽器の地位に押し上げたのは、才気煥発なJacoの功績が大きい。ジャズ・ベーシストの第一人者としてはCharles Mingusが有名だけど、彼の場合、プレイヤーとしてよりはむしろコンポーザー的な評価の方が高い。純粋なベース・プレイのテクニカル面だけで見れば、Jaco に軍配があがる。
 Joniもまた天才肌のミュージシャンであり、同時にアーティストである。なので、仲睦まじく和気あいあいといったムードは、望むべくもない。
 共鳴する部分と反発し合う部分、その絶妙なバランスが、セッションでは化学反応をもたらす。例えて言えば、真剣を用いた居合い切りの試合の如く、ギリギリの緊張感の中で行なわれるつば迫り合い。
 そんな真剣勝負、時にイチャイチャもしながら、2人のコラボレーションは数々の傑作を生み出した。

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 いまも世界中のアーティストからリスペクトされ、才女の名を欲しいままにするJoni。音楽だけにとどまらない才能への賞賛、それは確かに間違ってはいないのだけど、反面、誤解されている面も多い。
 若いうちから創作面で頭角をあらわし、David Crosby に見出されてデビューの運びとなったのは知られるところだけれど、クリエイティヴな活動を長く続けるには、また別のスキルが必要となる。単なるひらめきや工夫だけでは、早晩ネタ切れに陥り、先細りになってしまう。
 「天才」の定義として、よく言われるように、「努力する才能」を持つこともまた、条件のひとつである。外部の刺激を貪欲に吸収し、咀嚼して定着させる。インプットした情報を整理する、または整理するためにアウトプットする。その無限ループ。
 それが修練なのか快楽なのか。多分、両方だろう。決して生まれ持った才覚だけで続けてきたのではない。アーティストであり続けることは、何かしらのプラクティスが常について回る。
 そんなJoniの飽くなき探究心が強くあらわれているのが、唯一無二のギター・プレイである。ギターおたくのハシリとも言える彼女は、試行錯誤を繰り返しながら、これまで50を超える変則チューニングを創り出している。特にこの『Hejira』では、曲ごとに調律を変えており、通常のチューニングでは困難なメロディ、ストロークひとつでも奇妙な響きを奏でている。
 現時点で最後の来日公演となっている、1994年奈良東大寺で行なわれたイベント「あおによし」でも、彼女のコードワークは注目を集め、共演した布袋寅泰が手元をガン見していた、というエピソードも残っている。プロ目線で見ると、とんでもないセオリー外しの組み合わせなんだろうな。

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 そんなJoni の書いた楽曲だけど、基本構造はシンプルで、特別技巧を凝らしたものではない。余計な音はそぎ落とされ、一片のムダもない。なので、音符だけ追ってゆくと、ひどく簡素なものになってしまう。
 Joni 自身、楽曲の完成度には重きを置いていないらしい。歌い演奏する者によって、解釈は様々だ。どれが完成したものだなんて、本人にだってわかりはしない。
 ただ、他者とのセッションによって解釈が混じり合い、思いもよらぬ展開に気づかされることがある。頭の中だけで考えたって、想像の範疇というのは限界がある。脊髄反射でなければ気づかないことは、いくらだってあるのだ。
 Joniが求めるリアクションゆえ、当然、パートナーにも相応のレベルが求められる。天才のイマジネーションを喚起させるためには、同レベルの天才を引っ張ってくるしかないのだ。
 ただ、これまでのロック/フォークの人脈では、ある程度、展開が読めてしまう。いくらフリーに演奏してくれと言っても、結局はポピュラーの範疇でまとまってしまう。循環コードや黄金進行ではない、不定形な旋律やアンサンブルを、彼女は求めていた。
 なので、異ジャンルのジャズ/フュージョンへ活路を求めたのは、なかば必然だった。しかも、息も絶え絶えだった旧世代のモダン・ジャズではなく、ロックやファンクをも吸収した、若い世代の音を。

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 それまでのJoniの音楽的文脈にはなかった、Jacoという異物。彼の繰り出す音は、彼女が求めるビジョンと重なり合う部分が多かった。意思疎通に齟齬をきたすこともなく、ただ感覚にまかせて音を出し合うだけ。音楽を媒介とした、理想的な対話の瞬間だ。
 なので、『Hejira』のサウンドの中心はJoniとJaco、ていうかほとんど2人の音しか入っていない。他の音はほんの味つけ程度、まるで精進料理みたいなサウンドである。アサイラムもよく許可したよな、こんな無愛想な音。
 まるで薄氷を踏むような、一歩間違えれば破綻してしまいそうなセッション。コンポーザーでもあるJoniのバランス感覚もあって、どうにかギリギリの位置で、ポピュラー商品として成立している。

 その後、『Don Juan's Reckless Daughter 』、『Mingus』『Shadows and Light 』と2人のコラボは続くのだけど、長くは続かない。天才同士の確執というかエゴというか、それとも愛情のもつれというか。同じ天才とはいえ、スタンスがまったく違っていたことも、2人の行き先を分かつ要因となった。
 Joni とJacoとの決定的な違い。
 彼女はアーティストであり、彼はミュージシャンだった。
 創り上げる過程に携わったり、また壊すことはできるけど、ゼロから立ち上げるのは不得手だったのが、Jacoの天性 だった。数々のリーダー・アルバムやプロジェクトを残してはいるけど、そのどれもがテクニック優先、トリッキーなプレイが大きくフィーチャーされるばかりで、バンドやユニットとしての必然性が見えてこない。
 これは好みもあるだろうけど、俺的にはJoniとの共演を始め、自らイニシアチブを取ることのないWeather Report など、サイドマンとしての彼を聴くことの方が多い。
 持ち前の直感や嗅覚が鋭すぎるがゆえ、努力や研鑽する必要があまりなかったことも、その後の行く末を思えば、不幸だったと言える。テクニカル面での修練はあっただろうけど、その方向性がクリエイティビティ、また協調性へ向くことは、ついぞなかった。
 Weather Reportを脱退し、そしてJoni と別れてからのJacoは迷走し、錯乱の末、遂には浮浪者同然の生活にまで落ちぶれる。その末路は、とても悲惨なものだった。
 顔見知りのアーティストのライブ観覧中、飛び入り出演しようとしたところ、警備員に取り押さえられ、退場させられる。失意の中、泥酔状態でナイトクラブに入ったところ、ここでもガードマンに取り押さえられ、乱闘騒ぎを起こす。その際、コンクリートに頭部を強打、脳挫傷による意識不明の重体に陥った。昏睡状態のまま意識が戻ることはなく、家族同意のもと生命維持装置がはずされ、亡くなった。
 享年35歳。あまりにも早すぎる、天才の死。それはとてもあっけないものだった。
 -なんでこんなことになっちゃったんだろう?
 本人が一番、そう聞きたかっただろうな。

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 壊すためには、構築しなくてはならない。Joniにとっては、どっちも同等であり、そして突き詰めて考えれば、どっちも同じ行為なのだ。
 彼女は感性の赴くまま、曲を書き言葉を書き、そしてギターをつま弾いた。自身と作品に深みを持たせるため、そして欲望に忠実であらんがため、数々の男性と恋に落ちた。インプットとアウトプット。どちらも同じものだ。
 アーティストJoniは、Jacoの天性を取り込むことによって、クリエイティブ面の幅を広げ、そして深化させた。
 対してJacoは、彼女から何を受け取ったのか。その後の不遇を想うと、結局は搾取されるだけの男だったのか。
 解釈は人それぞれだ。
 受け取った荷物は、手に負えぬほどの怪物だったのか、それとも気づかずに通り過ぎてしまったのか。
 いなくなってしまった今、それは誰にもわからない。





1. Coyote
 カナダでは79位にチャートインしたシングル・カット・チューン。トーキング・スタイルで矢継ぎ早に繰り出される言葉と対照的に、メロディアスな一面も見せるキャッチーさを備えている。彩りを添える程度のパーカッション以外は、2人の真剣勝負。The Bandの『Last Waltz』でこの曲がプレイされており、うら若きSteven Tylerを彷彿させる彼女の姿を認めることができる。聴くとわかってもらえるはずだけど、音数は少ない方が、この曲は映える。



(Last Waltz)



2. Amelia
 Jacoに匹敵するもうひとりの天才が、Larry Carlton。このセットも少人数で構成されており、Victor Feldmanのビブラフォン以外は、ほぼ2人のセッション。ステゴロのような1.の緊張感とは対照的に、ここではゆったり親和的なムードが漂う演奏になっている。ツーといえばカー、そんな感じで息の合った対話。
 ちなみにタイトルのAmeliaとは、赤道上世界一周旅行中、消息を絶った女性飛行士Amelia Earhartを指し、彼女に捧げられている。女性の地位向上に尽力したことと、ミステリアスな死によって、アメリカでは偉人的な扱いになっているらしい。マーケティング分析分野において、「ナンバー1でなくても切り口を変えればナンバー1になりうる」ことを「アメリア・イアハート効果」と形容する。それくらいメジャーな存在。

3. Furry Sings the Blues
 3曲目ではじめて、ギター・ベース・ドラムという普通のスタイルでのプレイ。凡庸ではないけれど、着実に安定したリズムの中で歌いつま弾くJoni。ここでの異物は、あのNeil Young。ハーモニカでの参加だけど、アクの強いプレイ。1.同様、言葉数の多いトーキング・スタイルのヴォーカルだけど、アクの強さに引っ張られてブルース・シンガーが憑依する。まぁそれがテーマの曲だけど。
 天才を凌駕するためには、破天荒なキャラクターじゃないと太刀打ちできないことを証明した演奏。

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4. A Strange Boy
 「Amelia」と同じセッションでレコーディングされた、こちらはもう少し2人の拮抗ぶりが窺えるナンバー。Carltonのオカズプレイが堪能できる。

5. Hejira
 再び、Jacoとのセッション。今度はクラリネットが少し入るくらいで、ほぼ2人の世界。フレットレス・ベース特有のハーモニクスの音色は、太くどこまでも深い。基本のメロディはシンプルなので、やはり演奏が際立って聴こえる。この時点での到達点となる、コンビネーションの理想形。

6. Song for Sharon
 フォーク時代の痕跡を残す、メロディ中心に構成されたナンバー。3.のメンバーでレコーディングされ、加えてJoniにしては珍しく女性コーラスまで入っている。他のセッションと比べると大幅にリラックスしているので、上質なAORとしても堪能できる。

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7. Black Crow
 Joni、Jaco、Carltonが揃った、アルバム一番の山場。三人三様、持てる技のすべてを出しての真剣勝負。みんなテンションが高い。激しさのあまり、ロックっぽいフレーズを連発するCarlton、「Whole Lotta Love」みたいになっちゃってるJoniのストローク・プレイ、ハーモニクス・プレイ連発のJaco。みんな好き放題にやりながら、奇跡的にまとまっている。よく4分台に収めたよな。



8. Blue Motel Room
 ステゴロのような掴み合いの後は、ちょっとまったりジャジーなバラード。Carltonもここではあんまり本気出していない。曲調からして、フル・スロットルでのプレイは似合わない。普通のオーソドックスなチューンゆえ、あんまりJoniっぽさはないけど、レアグルーヴ好きなら反応するんじゃないかと思う。

9. Refuge of the Roads
 少人数による緊迫したセッションは一旦終了、メロディ主体のアンサンブルにJacoを放り込んだことによって、オーソドックスな楽曲に適度なアクセントがついた成功事例。これ以上のしつこさだと、歌を食ってしまう。ここでのJoniは歌を聴かせたいのだ。
 最後は存在感をアピールするかのように、Jacoのソロで幕。





世界のジャズ・ファンク・バンド巡り - ワールドワイド編

aaa 気がつくと、ここしばらくジャズ・ファンク系のレビューを書いていないのだった。調べてみると、約1年半。まったく聴いていなかったわけではない。最近はロックに回帰、しかもブートレグ・サイトで昔のライブ音源を漁ることが多くなっているけど、不定期に各バンドのフェイスブックやツイッターをチェックしていた。新譜が出れば購入したり試聴したり、おおよその動向はつかんではいたのだ。
 言ってしまえば、ネタ切れ感が強い。いや単なる新譜紹介ならできるのだけど、このブログの通常サイズでレビューするには、あまりに情報が少なすぎる。
 だいたいジャズ・ファンク系のバンドというのは、「ミュージシャン」が多くて「アーティスト」というのは極めて少ない。強いカリスマ性を持つリーダーや、アクの強いキャラクターというのはほとんどいない。そのほとんどは、真摯でまじめでちょっぴりダラけた、演奏するのが好きで好きで仕方ない連中なのだ。強いエゴを押し通すより、ライブでプレイするだけで満足、という向上心のかけらもない、愛すべき連中でもある。
 そんな人たちなので、華やかなニュースというのはあんまりない。新譜リリースや大物コラボでもない限り、特筆すべきことなんてない。ないない尽くしなので、つい書かずじまいだったのだ。
 とはいえ、紹介したいアルバムはいくらでもある。特にここ1年半で、以前レビューしたバンドのニュー・リリースが続いたし、このサイズなら書けそうなので、まとめてここで書いてみる。

Electro Deluxe 『Circle Live』

electro deluxe 今年3月にリリースされた、2枚目のライブ・アルバム。アメリカ、日本を含め、全世界200公演に及ぶ『Circle』ツアーから厳選されたトラックが収録されている。EUを中心に大きなセールスを上げた『Circle』、またはその前の『Home』を中心とした選曲となっており、エレクトロ色が残っていた1、2枚目の曲は少ない。初期のライブ定番曲だった「Stayin' Alive」のカバーも、ボーナス・トラック的な扱いでラストに収録されているくらい。
 バンドが大きく飛躍する起爆剤となった、ヴォーカルJames Copleyがメインとなってからの曲で構成されているため、正直、初期とはまったく別のバンドである。生のホーン・セクションが使えないがゆえのエレクトロニカであって、それ自体が目的だったわけではない。「これがいまの俺たちなんだ」と自信を持って言える、そんな姿勢が選曲にもサウンドにもあらわれている。



 中心メンバーは5人だけど、ホーン・セクションやコーラスも含めると、20人前後の大所帯、ここにスタッフやローディが加わるので、とんでもない数の民族大移動となる。つい数年前までは、副業も抱えた各メンバーのスケジュール調整や、人数×移動経費の問題もあって、フル仕様「Electro Deluxe Big Band」でのステージは、ほぼフランス国内のみ、月に1、2回程度のペースだった。おととしの来日公演も、中心メンバーのみの構成で、あの迫力あるホーン隊までは叶わなかった。まぁ日本ではほぼ無名だったので、その辺は仕方ない。日本のことを想っててくれただけで充分だ、と割り切るしかない。
 それに引き替え、フランスだけにとどまらず、EU圏内ではライブのオファーが引きも切らず、現時点で11月いっぱいまで予定が埋まっている。ライブ動員の好調もあって、会場もホール・クラスからアリーナにグレードアップ、そのスケールに合わせてサウンドもゴージャス化、ホーン・セクションも常駐できるようになった。
 映像を見ると、国を問わずどの会場でも大盛況で迎えられている。派手な舞台装置もなければ、ビジュアル映えするメンバーもいない。あるのはただ、熱狂を呼び起こす音楽だけ。奇をてらった演出もエロさもないのに、アリーナいっぱいの観衆は彼らの音楽に狂喜し、そして涙を流す。なんだこのパワーは。
 ポップスでもなければジャズでもない、ロック的な要素はまるでなし。ダンス・チューンといえば言えるけど、いま現在のトレンドとはまるでかけ離れている。じゃあ何で?
 「それが俺たち、エレクトリック・デラックスさ」。
 James Copleyなら、きっとそう言うことだろう。




Speedometer 『Downtown Funk '74』

speedometer 昨年、何のインフォメーションもなく、サプライズ的にリリースされたインスト作。しかもダウンロードのみ。オリジナルとして制作されたのではなく、ライブラリー・ミュージック制作会社の大手、KPM Musicからの依頼によるもの。要するに、企業向けの音源請負。ある一定の料金を払えば、CMソングや店内BGMに使える素材を作ったらしい。こんなこともやってるんだな。
 妙にコンセプチュアルなタイトルやアートワークの雰囲気からして、映画のサウンドトラック、例えばブラックスプロイテーションの現代版、といったイメージでオファーしたんじゃないかと思われる。でも、かなりニッチなにーずだよな。
 数年前、彼らが手掛けたことによって、小さなジャズ・ファンク界の中ではちょっとだけ話題になった、三井住友VISAカードのCMソング。すごくざっくりと例えて言うなら、全編あんな感じ。ていうか1曲目の「Tomahawk」、あんまりちゃんと覚えてないけど、ほとんどそのまんま。竹ノ内豊の渋いスーツ姿を連想してしまう。
 上品でありながら、はみ出さない程度にワイルドネス、メンバーそれぞれまんべんなくソロ・パートが割り振られ、見せ場も公平にある。決して誰かが割り込んだり食っちゃったりすることはない。そこはさすが英国紳士の集まり、様式美を壊すようなことは恥、という教育が為されているのだ。



 破綻はないけど、その分、失望もない。トータル・バランスが取れているので、安心して聴くことができる。こうやって書いちゃうと、「進歩とか前身する気ねぇのかよ」と思ってしまいがちだけど、ジャズ・ファンクにそれを求めるのはお門違いである。深化することはあっても、進化はない。すでに大方完成されたフォーマットなので、前向きな姿勢を求めるのなら、他のジャンルを聴いた方がいい。中途半端に他のジャンルに色目を使ったりすると、「何か違う」感が強くなり、軌道修正が難しくなってしまうのも、このジャンルの特徴である。誰とは言わないけど。
 で、Speedometer。オフィシャル・サイトを見てみると、前回コラボしたJames Juniorとのコラボが復活、新曲のPVが流れてくる。ライブも行なってるようなので、やっぱり『Downtown Funk '74』自体がサイド・プロジェクト的な扱いで、いまの本流はこっち側らしい。





Bamboos 『Night Time People』

The_Bamboos_Night_Time_People_digital_album_cover これを書いている時点ではまだ未発売だけど、シングルがめちゃめちゃカッコいいので、フライングで紹介。実はBamboos、俺的には終わったバンドだと思っていたのだけど、いやいや全然だいじょうぶ、ゴメンちょっと舐めてたわ。
 ベスト・アルバムのリリース後、オーストラリアでは人気のロック・バンドのヴォーカルTim Rogersとコラボしたり、Robbie Williamsのオーストラリア・ツアーでジョイントしたりなど、コンテンポラリー色が強くなっていたBamboos。もともとメンバーそれぞれがサイド・プロジェクトでアク抜きをして、本体ではポップ・テイストが強くなりつつあった彼らだけど、いやいやそれもジャズ・ファンクっていうベースがあっての話でしょ。ここ最近の活動なんて、ほとんどバック・バンド扱いだし。
 前述のSpeedometerもそうだけど、メジャーで生き残ってゆくためには、あんまりカラーに合わない請負仕事もやんなくちゃならないんだろうな、と思っていたのだけど、ここに来てジャズ・ファンク・バンドとしての彼らが復活、ポップさもありながら、ソウル・テイストの濃いシングル「Lit Up」がリリースされた。



 ヴォーカルはもちろん、歌姫Kylie Auldist。近年は課外活動が多くなっていたけど、お互い収まりのいい場所は、やっぱりここだった。いいんだよ、これで。
 レーベル移籍のゴタゴタや多人数バンドの運営方針もあって、あんまり「らしくない」仕事も敢えて受け、ここ数年は基盤の確立に邁進していた彼らだったけど、ここにきて準備が整ったのだろう。やればできる人たちなのだ。様々な事情やしがらみが絡み合って、敢えてやらなかっただけであって。
 数えてみれば5年振りとなる、満を持してのオリジナル・アルバム『Night Time People』。まだ聴いてないけど、俺的に期待値は相当高い。来月だぞ、心して待て。
 と思っていたら、新たな音源がリリース、いわゆるシングル・カット第2弾がオフィシャル・サイトでもアップされていた。新曲「Broken」は、なんとBamboos初のラッパーとのコラボ。地元オーストラリアのUrthboyがフィーチャリングで参加している。Kylieが歌うパートは文句なしだけど、まぁ久しぶりだしこういったのもアリか。




Kylie Auldist 『Family Tree』

Kylie Auldist 前回のCookin' On 3 Burnersでもレビューした通り、DJ Kungsリミックスによる「This Girl」の世界的大ヒットにより、ソウル・ディーヴァのポジションを確立したKylieの2016年作。言っちゃ悪いけど、ほとんど棚ボタみたいなシンデレラ・ストーリーだったよな。
 とはいえ、まったくの偶然で転がり込んできたヒットではなく、オリジナルのトラックが良くできていたからこその結果である。リミックスする方だって、センスを問われるわけだから、下手な曲は選べないし。
 そんな流れがあったからなのかどうかは不明だけど、長年在籍していたTru ToughtsからFreestyleへ移籍、環境の変化と共にサウンドも一変した。これまでバッキングを務めていたBamboosとは一線を画し、80年代ユーロビートを思わせる、世界的なトレンドのエレクトロ・ファンク~ブギ路線に大きく方向転換している。これまではむしろオーガニックな生音主体のサウンドだったけど、ここにきて打ち込みサウンドの大幅導入と来た。



 多くのダンス・チューンの実例にあるように、「ソウルフルな女性シンガー」と「高速BPMビート」との相性は良いため、あながちミスマッチな組み合わせではない。むしろKylie自身もKungsのトラックを聴いて、今まで気づかなかった方向性に活路を見出したんじゃないかと思われる。チープ過ぎると目も当てられないけど、もともとファンク方面には強いFreestyle、ちゃんとしたプロの仕事で組み立てられたトラックに隙はない。不特定多数のユーザーを想定して作られた、手間ヒマと金のかかったサウンドに仕上がっている。
 ジャズ・ファンク原理主義の人には多分敬遠されるだろうけど、先入観を一旦よけて、素直にダンス・チューンとして聴けば、安易なユーロビートじゃないことは瞭然だ。「こ難しいこと言ってるけど、ほんとはこういうのが好きなんだろ?」と突きつけられているようなサウンドである。どれを聴いても貧祖に感じられないのだ。
 シングル・ヒットで有頂天になることもなく、いまも地道に国内ツアーを回り、またBamboosの活動も怠りなく続けるKylie。身の丈に合った活動はさすが苦労人だけれど、せっかくだから本体でもう一度、ひと花咲かせて欲しいよな。




Hubert Lenoir 『Darlene』

folder 最後はちょっと番外編。ジャズ・ファンクではないけど、最近見つけたのでここで紹介。
 家でSpotifyでElectro Deluxeを聴いてて、フランス語圏のおすすめアーティストを辿ってるうち、彼がヒットした。取り敢えず、一番人気の「Fille de personne II」を聴いてみた。あらいいじゃん、じゃあ次も…、って具合で、結局全曲聴いてしまった。
 ググってみても、日本語の記事がない。フランス語ばっかり。英語圏でもどうやら無名に近いらしい。どうにか翻訳してみると、カナダ出身の23歳。これがデビュー・アルバムらしい。アートワークや声から女性だと思ってたけど、実は男だった。こんな基本情報も知らないで聴いていたのだ。



 記事を読むと、DonovanとElton JohnとPink Floydに大きな影響を受けた、とのこと。うん、何となくわかる。それに加えて、QueenとELOとT. Rexだな、この感じ。どちらにしろ70年代までの音に強くインスパイアされているっぽい。ジジくさい趣味だけど、若い世代が聴いたら、こんな風に素直に表現できちゃうんだよな。
 小さなバジェットで作ったらしく、レコーディングも少人数で行なっているのだけど、音はすごく良い。この辺はやっぱり金のかけ方が違うというかセンスが違うというか、はたまた空気が乾燥している風土なのか電圧が違うからなのか、比べればキリがない。
 どの曲にも深いこだわりが反映され、メロディ主体の楽曲もまた、きちんと練り上げた末の成果が窺える。文科系のパワー・ポップといったイメージなので、日本人のメンタリティにも共感しやすいサウンドである。まだデビューしたてなので、行く末は未知数だけど、案外アニメ系なんかと親和性が高そうなので、そっち方面で誰かオファーしてくれないものか。




もう1回言う。「俺は俺」。 - Van Morrison 『No Guru, No Method, No Teacher』

folder 1986年リリース、16枚目のオリジナル・アルバム。とにかくマイペースで律儀、年1で必ず何かしら1枚はリリースしている。ここまでリリース・スケジュールがきっちりしているのは、世界中でも彼か中島みゆきくらい。次作をリリースできるだけの売り上げがコンスタントにあるのは、それだけ固定ファンが多いという証である。
 オリジナルだけに絞ってもこんななので、ここにライブ・アルバムやThem時代を含めると、さらにアイテム数は膨らむ。なので、生半可な気持ちで彼に近づいてはならない。キャリアが長いアーティストによく見られるように、選択肢が多すぎるため、どこから手をつけていいのやら。DylanやPaul McCartney同様、迷宮に入り込んでしまう確率の高いアーティストの一人である。
 それから30年経った現在、最新アルバム『You're Driving Me Crazy』は、何と39枚目。近年は他アーティストとのコラボも多くなっており、もうやりたい放題。さらに初期アルバムのデラックス・エディションでは未発表曲が追加されていたり、もうどこが入り口なのかわからない。『Moondance』40周年なんて、4枚組だよ?もう一見さんなんて相手にしないのか、わざと敷居を高くしているとしか思えない。
 そんな俺様状態に拍車がかかりっ放しになってるのが、ここ数年のVanである。

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 俺が買った初めてのVanのCDは『Moondance』、ワーナーのフォーエバー・ヤング・シリーズの廉価盤だった。それまで3000円くらいしていた旧譜が、ワーナーの英断によって、1800円くらいにまで値下げされたのだ。
 輸入盤で手に入れることもできなくはなかったけど、ネット普及以前、対訳やライナーノーツは貴重な洋楽情報源だった。特にVanのように、極端にインフォメーションが少ないアーティストでは、わずかな活字情報でも、そうやってかき集めるしかなかった。
 80~90年代にかけては、古いロックやポップスのディスク・ガイドが、一定数出版されていた。学習する姿勢で、60年代や70年代の音楽を聴いていた俺がVanの存在を知ったのも、そんな流れだった。
 何の知識もなくレコード店へ行って、片っぱしから当てずっぽうで買い漁るほどの財力も時間もないため、最初はこういったガイド本を頼りにしていた。新譜以外のリイッシューものって、大抵試聴機には入っていないので、手書きPOPから湧き上がってくる熱量、それと直感に頼らざるを得ない。できるだけハズレを引かないよう、結構吟味して選んでいたはずだけど、まぁ見込み違いの多かったこと。
 安全パイ狙いで、各方面で絶賛された歴史的名盤とか、安定したベテランの作品なら間違いないだろうと思って聴いてみても、必ずしも自分の好みと一致するわけではない。前回のU2でも書いたけど、『Pet Sounds』もVan Dyke Parksも、恐れずに言っちゃえばジミヘンだってピンと来なかった俺である。80年代サウンドを通過した耳でそれ以前の音を聴いても、ショボいサウンドに聴こえても仕方がない。
 Vanの場合、当時のディスク・ガイドやレビューでは、ほとんどが『Moondance』一強状態だった。もう少し掘り下げても、「取り敢えず『Tupelo Honey』聴いとけ」といった程度。ていうか、タワーにも玉光堂にも、それくらいしか置いていないのが実情だった。
 一応、レビューの評判を受けて聴いてはみたけど、どうしても聴きたくて購入したアルバムではないし、前述通り、なんかピンと来ない。なので、一回聴いたら二度目はない。すぐに売っぱらってしまう。その繰り返しだ。
 その後、ネット時代の到来によって、雑誌メディアでは紹介されない情報が、世界レベルで入手できるようになった。YouTube で気軽に試聴できるようにもなり、好みの音楽が探しやすくなった。
 そんな回り道を経てたどり着いたのが、80年代のVanの音だった。初期のぶっきらぼうなホワイト・ソウルではなく、近年の野放図なノン・ジャンルThe Van Morrison でもない、ソフトAORをベースとした荘厳なサウンド。本流とは違うんだろうけど、俺にとってのVanの音楽とは、その時代を指す。

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 『No Guru、No Method、No Teacher』がリリースされた1986年前後とは、ベテランのブルーアイド・ソウルのアーティストが注目を集めた時代である。その先鞭をつけたのが、MTVの潮流にうまく乗ったHall & Oates。美形キャラと男臭いヒゲのデコボココンビは、ビジュアル的にもインパクトが強く、シングル・チャートの常連として、日本でも人気を集めていた。
 サザンを休止した桑田佳祐がソロ・プロジェクトで渡米し、彼らとデュエットしたのが話題になったけど、当時の格付け的には、Hall & Oates > 桑田といった按配だったため、相当ジャパン・マネーを積んだんじゃないか、と揶揄された。まだ海外進出が頭にあった頃だったよね、桑っちょ。
 大器晩成型で注目されたのがRobert Palmer。Duran Duran のサイド・プロジェクトPower Stationで脚光を浴び、そのサウンドを取り入れたソロ・アルバム『Riptide』も、続けて大ヒットした。
 力強いソウルフルなヴォーカルが魅力的だったことがヒットの要因のひとつだけれど、加えて決定打となったのが、「Addicted To Love」(邦題「恋におぼれて」)のPV。スタイリッシュでエロい女性たちが、エアギター抱えてやる気なさそうにサイド・ステップする中、ビシッとダンディなスーツでキメて歌うPalmer。文章にしてみると支離滅裂な世界観だけど、だって実際そうなんだもん。その異様なコントラストが強いインパクトを与え、MTVではヘビロテだった。
 さらにベテラン枠、60年代から通好みな路線で活動していたけど、ここに来て一気に花開いたのがSteve Winwood 。Spencer Davis Groupからスタートして、Blind Faith、Trafficと、ロック史に名を残すグループを渡り歩きながら、なかなかシングル・ヒットに恵まれなかったのだけど、パワー・ステーション・サウンドでビルドアップされた『Back in the High Life』が大ヒットした。ちょっとハスキーで細い声質が弱点と言えば弱点だけれど、あの「Gimme Some Lovin'」の作者というだけで、それもすべて覆されてしまう。楽曲レベルの高さは折り紙つき、バラードも含めて硬軟取り混ぜた曲調が好評を博した。
 ここまで挙げてきた人、みんなパワステ・サウンドだな、そういえば。

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 そんなわけで、ファンク・テイストの強いパワステ・サウンドとブルーアイド・ソウルとは相性が良く、地道にキャリアを積んできたアーティストにとっては、願ったり叶ったりの必殺アイテムだった。同じベテラン・ブルーアイド・ソウル枠であるはずのVanだって、一枚噛んでてもおかしくなかったはずなのに…。
 とはいえ、そこはさすがアイルランド版ガンコ親父、1ミリたりとも微動だにせず、自身のサウンド・ポリシーを貫いた。さすが御大。意地でも動かない。
 一応、粗削りだった初期サウンドより少しマイルドになり、この頃は悠然たるAOR路線がサウンドの要となっている。いるのだけれど、それだって時流に合わせたわけではなく、当時傾倒していたスピリチュアル路線にフィットするからであって、トレンドがどうしたといった問題ではない。ゲート・エコー?オーケストラ・ヒット?何それ?って世界である。
 前述の3組がヒット・シングルを連発していた頃、Vanが何をしていたかといえば、アイルランドのトラディショナル・バンドChieftainsとの共演。世間の流れと思いっきり逆行している。むさ苦しくて古くさい、ビジュアル映えも何もない世界。少なくとも、当時のMTVで流せるような音楽ではない。
 バシッとアルマーニのフォーマル・スーツでキメて、陳腐でも何でもいいから、ラブ・ストーリー仕立てのPVでも作っておけば、また違った展開もあったんだろうけど、まぁやらねぇよな絶対。前者3組と比べ、ルックスはだいぶ落ちるし、第一そういったウリじゃないし。

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 とはいえ、そんな隆盛を極めたパワステ・サウンドも、永遠に無双状態が続くはずもない。ダイナミズムには申し分ないけど、細かなニュアンスが表現しづらく、誰がやっても似たような音になってしまうパワステ・サウンドは、使いようによっては、諸刃の剣となってしまう。音のインパクトが強い分だけ、飽きられるのもまた早かった。画一化を危惧したのか、ヒット・メイカーのポジションを確立した前者3組は、ゆるやかな原点回帰を選択する。
 テンプスのメンバーと夢の共演を果たした、アポロ・シアターでのライブ盤をピークとして、Hall & Oatesのセールスは緩やかに下降線をたどってゆく。その後は活動休止を経て、ソロ活動と並行しながら、マイペースに稼働している。ただ、かつてのヒットメイカーの面影を探すのは難しい。
 夭折したPalmerも、徐々に落ち着いたアンサンブルに回帰する。敬愛するMarvin Gayeのカバーなど、往年のソウル・クラシックへのリスペクトを強く表明していた。ディスコグラフィーを見ると、彼もアポロ・シアターでのライブ・アルバム出してたんだな。
 Winwoodもまた、ヒットの実績を引っさげて、飛ぶ鳥を落とす勢いだったヴァージンに移籍したはいいけど、相性がイマイチだったためか、あんまりパッとしなかった。近年は、出発点のR&B路線に回帰して、ジャム・バンド・スタイルでのツアーを中心に活動している。

 Vanだって厳密に見れば、音楽性が一貫していたわけではない。アイリッシュ民謡に行ったりジャズに行ったり、最近ではカントリーにも足を突っ込んだりして、考えてみれば傍若無人やりたい放題のありさまである。
 今となっては、「何をやっても俺は俺」、ジャンルやサウンドが変わっても、「俺が歌えばVan Morrison だろ、文句あるか?」と言いたげなふてぶてしさが漂ってくる。あ、それって昔からか。
 愚直に真面目に、ただ自分のやれる範囲で手を抜かず、身の丈にあった仕事をする。
 言葉にすると簡単だけど、貫くことはやっぱ大変だったろうと思われる。周囲からの誘惑もあったろうし、レコード会社からのプレッシャーもあっただろうし。
 まぁ、鼻で笑って相手にしないんだろうけど。






1. Got to Go Back
 Ray Charlesが歌いそうな、大陸的なスケール感のあるバラード。柔らかなサックスの響きは、同時期のStingのソロ作よりもメロディアス。メロウな感触は、日本人にも受け入れやすいかもしれない。

2. Oh the Warm Feeling
 同じく、ソプラノ・サックスのイントロがStingっぽいけど、フィリー・ソウル風の女性コーラスをフィーチャーしているため、コンテンポラリー色はこちらの方が強い。この頃はこの楽器の音色に凝っていたのか、ほぼデュエット状態でサックスがカウンターで入ってくる。気に入り過ぎて、次作『Poetic Champions Compose』では自分でプレイしちゃうくらいだし。

3. Foreign Window
 ここらで本気を出したのか、力の入ったソウルフル・ヴォーカル。今回、コーラスを務める女性シンガー2名(Bianca Thornton、Jeanie Tracy)に気合負けしないよう、野太い声での応酬。

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4. A Town Called Paradise
 アイリッシュ・フォークとソフト・ゴスペルが共存している、考えてみれば味わい深く変な曲。普通にやっちゃうと違和感ありまくり、ブロウしまくるアルト・サックスもミスマッチだけど、この世界観ではなぜか絶妙に混じりあってしまう不思議。俺様状態がバラバラのパーツをも強引にまとめ上げてしまう。

5. In the Garden
 ライブのクライマックスで演奏されることが多かった、エモーショナルあふれるバラード。本人いわく、80年代の重要曲のひとつとされ、いつもより情感がかなり込められている。淡々としたヴォーカリゼーションが多い80年代のVanの楽曲の中では、確かに異質。70年代からのファンには喜ばれたんじゃないかと思われる。いや確かにすごいわ、特に終盤。



6. Tir Na Nog
 「ティル・ナ・ノーグ」と読む、ケルト神話からインスパイアされたナンバー。悠然たるストリングスをバックに朗々と歌い上げている。全身全霊じゃなく、ちょっと余力を残したくらいの方が、この人はニュアンスが伝わりやすいんじゃないか、とこの曲を聴いて思う。だから初期作品にいまいち入り込めないのかね。

7. Here Comes the Knight
 Them時代に「Here Comes the Night」というスタンダードをヒットさせており、そこからインスパイアされたのかと思ったけど、まったく別の曲だった。よく見たら「K」ってついてるし。むしろ同郷の詩人W. B. Yeatsからの影響が強いらしい。WaterboysのMike Scottもアルバム1枚丸ごと使ってリスペクトしているくらいなので、アイルランドのアーティストにとっては神的存在なのだろう。

8. Thanks for the Information
 Vanにしては珍しく、リズムのエコーが深いことで特筆される楽曲。ドラムのリヴァーヴが効いているため、ここだけちょっぴり時代性を感じさせる。でもやっぱミスマッチだな。全編このサウンドにしなくて正解。

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9. One Irish Rover
 ブラコンみたいなイントロがちょっとどうかと思うのと、控えめなゲートエコーがやっぱり違和感ありまくり。御大、やっぱ一回くらいは試してみたかったんだろうか。でも大っぴらには言いづらいから、こんな地味な場所に入れちゃったりして。

10. Ivory Tower
 ラストは軽快なR&B。やっぱり、こういったのがこの人の本流なんだな。ブレイクの瞬間なんて、ちょっとカッコよくさえ思えてしまう。女性コーラスとも張り合うことなく、息はピッタリで楽しそう。一応、シングルとしてもリリースされたらしい。まぁシングル・チャートなんて興味なかったんだろうけど。







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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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