好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

スザンヌさんの大胆なイメチェン作 - Suzanne Vega 『99.9F』

Front 1987年の「ルカ」の大ヒットによって、Suzanne Vega が世に知られるようになったのは、「偶然」と「必然」、それらのジャストなタイミングの巡り合わせだった。
 HeartやWhitney Houston、懐かしいところではStarship など、大味なアメリカン・ロックやソフトR&Bが上位を占める中、ヒットチャートの良心とも言うべき、良質のフォーキー・ポップが一定の支持を得たというのは、エレ・ポップに食傷気味になっていた大衆のニーズから来る「必然」、それと、80年代アメリカ音楽業界内におけるメイン・カルチャーとサブ・カルチャーとの微妙なパワー・バランスから生じた「偶然」の産物である。
 時々あるんだよな、アメリカのチャートって。不特定多数をターゲットに制作された全方位型ポピュラー・ソングに対する、カウンター・カルチャーとしてのカレッジ・ラジオの存在が、バカにできない。
 大衆的なヒットとは一線を画した、ちょっと斜め上の非商業的なアーティストが多勢を占めるラインナップが、大学生を中心とした20代の音楽ファンの支持を得ていた。ただ、年を追うに連れて、R.E.M.らを筆頭とした、カレッジ・チャート出身のアーティストがビルボード・チャートの方にも進出するようになり、世代交代の後押しを進めることになる。
 第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの勢いに押されて、新陳代謝が遅れていたアメリカ勢のカンフル剤として、ニューヨークやLAだけじゃない、地方出身のインディー・アーティストが取って替わるようになったのも、これまた歴史的な「必然」。
 そこのチャートが時々、大きくバズったりして、BanglesやTimbuk 3なんかがメジャー展開するきっかけになったりして。SmithereensやSonic Youthなんかも、スタートはここからだったんだよな。

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 デビュー間もない頃のSuzanneは、老舗A&Mによる良質なディレクションによって、純然なフォークというより、薄くかぶせられたシンセとアコースティック・サウンドとの程よいミックス、フォーキー風のポップ・バラードという印象だった。フェミニズムやエロチシズムからは遠く離れた、引っ込み思案な文学少女を思わせる出で立ちは、過剰にデコレーションされた女性アーティストと比較すると、一種の清涼剤的佇まいを漂わせていた。訥々と精々しく言葉を紡ぐ、女の子とも女性、どちらとも取れる26歳の歌声は、ひっそりとした登場の仕方だった。
 チャートで多勢を占めていた、MIDIダンス・ポップとは、感触が大きく違っている。歌をメインとするため、バックのサウンドは控えめにしてある。できるだけ意味をはっきり伝えるためか、「歌う」というよりは「呟く」といった印象のヴォーカル・スタイル。声量は大きいものではないけれど、きちんと対峙して聴けば、発せられる言葉はきちんと聴き取れる。キレイな発音なので、リスニングもしやすい。逆に言えば、ついでで聴き流す音楽ではない、ということだ。聴く方にも、それなりの姿勢が必要だ。

 多くの人が、第一印象として「地味」と思ったに違いない。まぁ弾き語りスタイル自体、派手さを競うジャンルでもないし。最初こそハードルはちょっと高めだけど、聴き込んでいくと、ニューヨークを生き抜く都市生活者の孤独、その何気ない生活シーンを素直に切り取った心象風景は細やかだ。陳腐な表現だけど、ちょっと触ればたちまちヒビが入るかもしれない、そんな繊細なガラス細工のような作品は、静かに、そして聴き手の心に呼応するように、わずかに熱を帯びる。
 決して強い自己主張があるわけではない。むしろもっと引いた視点、自ら張り巡らせた薄い膜を通して、クレバーかつ慈愛に満ちたアングルによって、作品の主人公は息吹を吹き込まれる。

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 なのでSuzanne 、基本的には、拳を握りしめて声高々にメッセージを発する人ではない。社会派を気取った発言をする人でもないし、児童虐待を含めた社会問題をあからさまに批判するわけでもない。ただ、そんな現状が身近にある。それを歌にしただけのことだ。
 ルカはSuzanne の分身ではない。ルカはあくまで歌の題材、たまたま新聞かテレビで児童虐待のニュースを見て、インスピレーションを感じ取って作品に仕上げただけの話である。彼女の歌の中では、ルカはむしろ異質なテーマであり、その多くは半径5メートル以内の身近な心象風景を切り取ったものだ。
 なので、第2第3のルカを求められても困ってしまう。市場、そしてファンのニーズはルカ的なモノにあるかもしれないけど、すでに彼女の視点は別のところへ行ってしまっているのだ。
 逆に、ここまでイメージが固定されてしまったのなら、別のアプローチを試しくたくなるのも、アーティストとしての矜持である。第一、そこまで弾き語り主体にこだわってるわけじゃないし。

 そんな事情もあって、Suzanne が『99.9F』を作るにあたり、漠然と描いていたのが、従来のフォーク・ポップ路線からの脱却だった。商業政策的には、このままソフトなBilly Bragg的路線という選択もあっただろうけど、その辺はアーティストに寛容なA&M、口出しはして来ない。
 ただSuzanne、「じゃあどんな感じで?」という具体策が独りでは思いつかなかったため、各方面へデモ・テープを送りまくる。いわゆるプロデューサー・コンペである。
 ほとんどのコンポーザーは、従来路線を基軸とした、前述Billy Bragg的アプローチだったのに対し、唯一、「俺が違う路線でやってみる、ていうか歌はいいけど、これまでのサウンドはあんまり良くないし」と手を挙げたのが、当時はまだ新進気鋭だったプロデューサーMitchell Froomだった。
 俺が彼の名前を知ったのは、Elvis Costello 『King of America』でのアーシーなハモンド・プレイに耳を引かれたからだった。それからしばらくは、キーボード・プレイヤーとしての活躍が多かったFroomだけど、エンジニアTchad Blakeとチームを組んだあたりから、方向性が一変、プロデューサー/サウンド・メイカーとして、個性と記名性の強いアルバムを次々と制作するようになる。
 彼らの初期プロデュース・ワークで最も有名なのが、Los Lobosの『Colossal Head』。誰もが「ラ・バンバ」で終わった一発屋と思っていた彼らに、当時のトレンドだった音響派要素を含んだヴァーチャル・ラテン・テイスト+インダストリアル・タッチのエフェクトをデコレーションし、そのミクスチュア感覚が、レトロ・フューチャー感を演出して、まったく新たなキャリアを築き上げたのだった。
 なんかここだけ、CDショップのPOPみたいだな。

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 『Colossal Head』でドーンと名が売れるちょっと前、どんなジャンルでもインダストリアル・エフェクトを突っ込めば、全然違うサウンドにビルドアップできる、というサウンド・コンセプトだけはあったFroomの元に、Suzanneのデモが届く。
 言葉とメロディは揃っている。ヴォーカル・スタイルだって、きちんと独自のモノを持っている。あとは飾りつけだ。足すべき音と、いらない音。
 フォーク/シンガー・ソングライターのテーゼに基づいて書かれたメロディは、破綻も少なく流麗ではあるけれど、それが仇となって、時に平坦に聴き流されてしまう。調和の取れた作品はアートではあるけれど、完全ではない。アンチテーゼとしての破壊と混乱が内包されていなければならないのだ。
 静謐なメロディとヴォーカルと対比して、通底音のように鳴り響くメタル・パーカッションの破裂音と、不似合いなノイズ・エフェクト。そのアンバランスさは、初期のガラス細工のような儚さとは種類が違う。その不安定さは、秩序の破壊を孕んだ激しい熱だ。そして、その熱はSuzanneのヴォーカルをも浸食し、体温を引き上げる。

 初期3作までは、そのクレバーさゆえ、平熱より低めのテンションでいることが多かったSuzanne だったけど、ここではタイトル通り、華氏99.9度、摂氏で言うと37.8度と、軽い「微熱」状態でいることが多い。楽曲の骨格は従来と大きく変わらないので、シンプルなアレンジの楽曲では平熱で歌っている。アルバム構成として、これは正解だ。
 全部がインダストリアル・フォークだと一本調子になって、聴く方だって疲れてしまうし飽きてしまう。今みたいに、シャッフルして好きな曲だけピックアップ、っていうんだったら何でもいいけど、まだみんな、アルバムは最初から最後まで聴き通す時代の作品である。ペース配分を考慮して選曲というのは、とても重要なファクターなのだ。

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 イメージ・チェンジというのが事前にインフォメーションされていて、市場の期待値もそれなりに大きかったのだけど、セールス的には、USで辛うじてゴールド獲得、前作までと比べ、そこそこの売り上げに終わった。「ルカ」的なイメージを求めていたにわかファンを中心に、Froomが槍玉に上がったことは、まぁとばっちり。
 ただ、彼女がここで得たスキル、そして新たな方向性への道筋がついたことは、大きな収穫だった。単なるフォーキー・ポップ以外の言語を獲得したことで、その後のSuzanneの創作意欲は旺盛になってゆく。
 その後、数作に渡って2人の共同作業は続き、それに伴ってプライベートでの距離も縮まってゆく。『99.9F』リリースからちょっとして、2人は私生活上においてもパートナーとなり、1子を授かってしまう。ほんとよく聴く話だよな、プロデューサーとアーティストの色恋沙汰。今ちょうど、テレビで小室哲哉の不倫疑惑のニュースを見ていたので、特にそう思う。
 ただ、2人のパートナーシップはそんなに長くは続かず、Suzanneの音楽性の変化、アコースティック路線への回帰を機として、わずか3年で解消に至る。ゲスい見方だけど、創作スタイルの切れ目が、縁の切れ目だったのかね。



99.9 F
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Suzanne Vega
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1. Rock in This Pocket (Song of David) 
 いきなり銅鑼を打つようなメタル・パーカッションが響いてくるので、最初はちょっと驚きだけど、歌に入るといつものSuzanneのスタイル。ギターを中心とした構成に変化はない。トーキング・スタイル思いきや、ちゃんとサビは印象的にメロディアスになってるし。テルミンみたいなエフェクトを始めたのは、多分Froomからかな。



2. Blood Makes Noise
 ベース・ラインがめちゃカッコいいと思ったら、AttractionsのBruce Thomasだった。こういった手数が多くリード楽器みたいな音は、やっぱりCostelloと場数を踏んでただけのことはある。あの人、ギター・ソロはめったに弾かないから、Steve Nieveが手が空いてない時は、メロディ担当しなくちゃなんないし。そういえばドラムはJerry Marotta。プロデューサー人脈からいって、ワーナー時代のCostelloのラインナップだ。
 ビルボードのモダン・ロック・チャートでは、なんと1位を獲得。



3. In Liverpool
 リバプールというタイトルなので、Beatlesについて歌ってるのかと思って歌詞を見ると、どうもあんまり関係ないらしい。どっちにしろ、俺の語学力じゃ深い考察は無理だ。誰か教えて。
 ここでいったんクールダウンして、オルタナ系は引っ込めて平熱の状態。しっとり落ち着いたフォーク・バラードは心に沁みる。シングル・カットされ、UK52位。従来イメージの楽曲は、固定客の心をつかんでいると言える。

4. 99.9F°
 ここでドラム・ループが出てくる。終始クールなスタンスで、後期のEverything But the Girlを思わせるシーケンス中心のサウンドは、微熱状態をイメージさせない。それとも、相手(男)に熱を持つよう促しているのか。
 ビルボードのモダン・ロック・チャートでは13位、UKでも46位をマーク。インダストリアル・ハウスといった曲調に合わせたコンセプチュアルなPVも、ちょっと話題になった。

5. Blood Sings
 なので、サウンドの新機軸ばかりが注目されがちだけど、こういった平熱で歌われる楽曲の良さが引き立ってくることも、Froomの計算のうちだったと思われる。やや官能的と思われる歌詞に対して、シンプルなアコギの響きが、案外いいバランス。女性を出した言葉をあまり多用しなかったSuzanneにとって、これもまた新たな試み。

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6. Fat Man and Dancing Girl 
 またまたCostelloさん人脈から引っ張ってきたJerry Scheff (b)が参加。基本、シンプルなベース・ラインの人なので、シンプルなドラム・ループとの相性は良い。寓話性さえ感じさせるトピカル風な弾き語りは、初期のスタイルを彷彿とさせる。

7. (If You Were) In My Movie
 ある男を映画の登場人物に見立て、様々なストーリーの上で動かす、といった妄想的な短編小説を思わせる。言葉が主体の楽曲にこそ、こういったリズム・ボックス的にシンプルなビートの方が、変にサウンドに注目しなくてもい。肝心なのはストーリー、そしてそれを淡々と紡ぐヴォーカルの説得力なのだ。

8. As a Child
 バグパイプとループを効果的にミックス、ベースがリードするバッキングに合わせ、軽快に歌うSuzanne。グーグルの直訳しか見てないので、確かなことは言えないけど、結構皮肉めいた警鐘めいた言葉遣いが多く感じられる。こういったのも、トピカル・フォークの伝統なんだろうな。

9. Bad Wisdom
 再び平熱タイプのアコースティック・スタイル。ニューヨークの街角に立ち、バスキング・スタイルでギターをつま弾くSuzanneの凛とした姿が想像できる。かっちりした短編小説を思わせる歌詞は、母との確執を描いている。「悪知恵」なんてタイトルをつけるくらいだから、こちらも一筋縄では行かない、毒を利かせたテイストになっている。それを淡々と歌うSuzanneの潔さといったら。

Vega-1991

10. When Heroes Go Down
 このアルバムの中で最もロック寄り、エフェクトを利かせたギターを前面に出したナンバー。英雄の失墜を皮肉と警句を交えた軽い内容なので、2分弱とコンパクトにまとめている。

11. As Girls Go
 シーケンス再び。根っこは変わらないのだけど、やはりリズムが立つとここまで印象って違っちゃうんだな。見境なく女と付き合う男への痛烈な皮肉は、中島みゆきの世界とリンクする。なぜかここだけ参加しているRichard Thompsonが、珍しく情感こもったエモーショナルなギター・ソロをちょっとだけ披露。

12. Song of Sand
 珍しくストレートに戦争を取り上げた、彼女なりのプロテスト・ソング。弱者へのいたわりや権力への怒りをあらわにしており、どこまでも熱い。その対比として、整然とした弦楽四重奏が、その熱を鎮める。

13. Private Goes Public
 当初は日本・EU向けのボーナス・トラック扱いだったけど、今ではこれも正規曲としてクレジットされている。シンプルな弾き語りスタイルによる、2分弱の小品。多分、何かを暗示しているのだろう、抽象的な言葉の羅列は語感を優先しているように思える。






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80年代日本のロックのマスターピース - 泉谷しげる 『吠えるバラッド』

_SL500_ 1988年リリース、ビクター移籍第1弾となった12枚目のオリジナル・アルバム。副業だったはずのバラエティ出演や俳優業が忙しくなり、本業であるはずの音楽に集中できていなかった泉谷が一念発起、本腰を入れて「ちゃんとした『ロック』をやるんだ!」という強い意志を持って作り上げた。
 それまで模索してきたニューウェイヴ的なサウンドをチャラにして、言い訳無用の重厚さを追求するため、泉谷自ら足を使い、「これは!」と目をつけた様々なバンドのライブを物色、時には脅し、はたまた時にはおだてたりしながら、理想のメンバーを集めていった。
 そんな経緯で結成された最強のロック・バンド「ルーザー」を率い、泉谷はその後、3枚のオリジナル・アルバムを製作、「春夏秋冬」以上の成功と評価を得ることになる。
 破天荒な言動とは裏腹に、アルバムごとにサウンド・コンセプトが定まらず、紆余曲折と七転八倒、トライ&エラーの繰り返しだった作風は、生半かな若手バンドなど鼻息で蹴散らしてしまう、ヘビー級チャンプが寄ってたかって好き放題に暴れ回るサウンドとなった。
 ドラムは、数々の伝説的セッションをくぐり抜けてきた、天衣無縫の村上“ポンタ”秀一。ルーザーのバンマスとして、泉谷が深く信頼を寄せていた、こちらも有名セッションで存在感を見せていた、ベース吉田健。若手ギタリストとして、そしてアレンジャーとしても頭角をあらわしつつあった、ルースターズ解散後、動向が注目されていた、ギター下山淳。そして、もう1人のギタリスト、説明も何もいらねぇな、仲井戸麗一・通称チャボ。
 みんなフロントを張れる連中ばかりなので、単なる金やコネだけでまとまるものではない。スケジュール調整だって大変だし、みんな好き勝手言うだろうし。よくやろうとしたよな、こんなアクの強いメンツで。

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 「春夏秋冬」のヒットによって、フォーク歌手としての印象が強い泉谷だけど、実際のところ、フォークというジャンルにこだわっていたわけではない。時代的にフォークが流行していたこと、また、吉田拓郎が移籍してしまい、稼ぎ頭がいなくなってしまったエレックの思惑によって、フォークの成長株として売り出されてしまった、という事情もある。
 「ギター1本で抒情的な心象風景を切々と歌う」、四畳半フォークの定番フォーマットが彼に馴染むはずもなく、当初から、観客とケンカ寸前の、喧々囂々丁々発止のライブを展開していたらしい。この辺は、当時、よく対バンしていたRCや古井戸からの影響も強かったんじゃないかと思われる。
 そんな破天荒スタイルだったので、当然、フォークの連中、フォークを愛する観衆からはウケが悪い。対バンや共演だって、フォーク系からのオファーは少ないので、さらに意固地になって、抒情性とはかけ離れてゆく。
 フォーライフ設立を機に、拓郎・陽水がニューミュージック路線へ転換したように、泉谷もまた、ロック・サウンドへの傾倒を強めていった。ただ、ロックに強いブレーンやスタッフに恵まれなかったのか、ロックっぽいけどロックじゃない、消化不良な過渡期的な作品が多かったのも事実である。
 例えば、Neil Youngに対するCrazy Horseというのが、理想的なモデルケースだと思うのだけど、何故だか泉谷、ルーザー以前のバック・バンドは微妙にベクトルがズレている連中ばかりである。

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 初期のプロデューサー加藤和彦のツテで組んだミカバンド、またはイエローやバナナ。決して悪いバンドではない。ただ、破天荒な作風と背中合わせの繊細さをも表現できたかといえば、それはちょっとタイプが違ってたんじゃないかと思われる。
 楽曲によっては、うまくハマってるものもあったけど、トータルで見ればマッチングの度合いがバラバラで、永続的な関係に至ることはなかった。例えばミカバンドなんて、演奏テクニックも音楽センスにおいても、とんでもなく優れた逸材が揃ってはいたけど、泉谷との相性が良かったかといえば、それはまた別の話で。
 バンド・サウンドが欲しくなったので、たまたま空いているバンドに声をかけてみた。レコーディングしてみると、演奏はきっちりまとまってる。でも、アンサンブルは流麗だけど、前述の泉谷の個性が活かされているとは言えない。単に8ビートでガシャガシャやってもダメなのだ。
 なので、今度は違うバンドを紹介してもらう。同じく、演奏はまとまってる。まぁまぁロックっぽくなってきている。でも、どこかまとまりがない。ヴォーカル&インストゥルメンタル。カッコつけて言っちゃってるけど、歌と演奏がバラバラだ。
 泉谷と組む以前から、そこそこの経験を積んできているバンドなので、ある程度の約束事、バンド内でしか通じない共通言語ができあがってしまっている。後になって、そこに張り込んで言語を覚える、または新たな言語を作るのは、至難の業だ。なので、泉谷:バンドという構図ができあがる。イコールには決してなりえない。
 アーティストによっては、そんな緊張関係を逆手に取り、思わぬ化学反応によって傑作をモノにすることもあるけど、あいにく泉谷そこまで器用なタイプではない。
 思い通りに行かず、ジレンマばかりが溜まる。
 そして、それが作品にも如実に現れる。

_SY355_

 まともなバンド経験がないまま、ソロ歌手としてスタートしたため、泉谷の歌は、基本、ギター1本で演奏できるものが多い。早くからバンド・セットでのレコーディングを経験してはいたけど、セッションやリハーサルを重ねて楽曲を作る人ではない。書くのはいつも独りだ。
 泉谷の個性である、記名性の高いヴォーカル・スタイルと、時に「哲学的」と曲解されてしまう言葉の礫。その重みは、強いキャラクターとして作用する。その剥き出しの個性は、単体で充分なパワーを発するため、それだけで成立してしまう。
 泉谷ががなり立てギターを叩き、そして時に朗々と語りかける。そこに余計な音は必要ない。中途半端なアレンジは、むしろジャマになる。
 なので、変にオリジナリティを出してジャマ者扱いされるくらいなら、むしろ開き直り、シンプルな伴奏に徹した方が良い。歌をジャマせず前に出過ぎず。カタルシスやグルーヴ感、そんな余計なことは考えずに。
 でもそれって、「ロックっぽい」サウンドではあるけれど、「ロック」じゃない。アイドルのバック・バンドと、なんら大差ない。
 何やってるの?俺。

 これまで「出来合い」のバンドとのコラボで「ロックっぽさ」を演出していた泉谷、一旦、活動をリセットし、新たなメソッドを模索することになる。目指すは、ゼロから作り上げる新バンドの結成だ。
 前線復帰へのリハビリ的な実験作やライブを敢行して、少しずつ現場感覚を取り戻してゆく。ちょうど世はバンド・ブーム前夜、ティーンエイジャーがこぞって楽器を抱えて好き勝手に歌い始めた頃だった。
 キャリアからすれば、当然、相手にするほどではない。でも、世代交代は確実に行なわれている。「ロックで勝負する」ということは、彼らと肩を並べて走らなければならない。ブルーハーツやプリプリと、同じ土俵で戦わなければならないのだ。
 無様な姿は見せられない。だからといって、若者に媚びたり、売れ線に走るつもりもない。ひたすら直球ストレートの豪速球を、プレイボールからゲームセットまで、100%の力で投げ込むだけだ。
 ジジイの集まりだから、時々息切れして笑われることもあるけど、「うるせぇ若造っ」と一喝すればそれで済む。それがベテランの特権だ。

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 今じゃすっかり性格俳優として重用され、またバラエティでは「じぃじ」といじられる泉谷である。台本通りに「乱入」や「暴言」なんかを繰り出しているけど、まぁそんなポジションも必要なんだし、それはそれで良しとしよう。
 どんなに「孫好き」な側面を見せようとも、またコメンテーター気取りで時事問題をしたり顔で語ろうとも、ルーザー時代をリアルタイムで見てきた俺世代にとって、泉谷はロックの人である。この時代があったからこそ、俺世代は泉谷を信用できる。
 再び、ルーザーをやってくれ、とは言わない。あれはあの時代、あのタイミングであのメンツがそろったからできたことであって、再現は不可能だ。
 メンバーはまだみんな現役だけど、また集まってたとしても、あの時代のあの熱までは再現できないのだ。

 下山淳が在籍していたルースターズ、ヴォーカルの花田裕之は、最後のアルバム『Four Pieces』でこう歌った。
 「再現できないジグソウ・パズル」。
 壊れたピースは戻らないのだ。



吠えるバラッド
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泉谷しげる
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1. 長い友との始まりに
 泉谷がこのプロジェクトを始めるにあたり、モチーフとしていたのがU2であり、そしてそのビジョンを具現化するためには、これまでの文脈になかった若い才能が必要だった。繊細なディレイを利かせた下山と、闇夜を切り裂くようなチャボのディストーションとのコラボレーションは、贅沢そのもの。そして、そんなアンサンブルを土台からどっしり支える、もはや主役と言ってもいいほどの存在感を醸し出す、ポンタの重厚なリズム。なんでスネアで、こんなデカい音出せるんだよ。

 長い友との始まりに 男が怒りのキズ口 舐めてる
 長い長い友との終わりに 女が泣くように 切ない 



2. のけものじみて
 やたらと攻撃的なスカ・ビートで塗り潰された、野生まる出しのトラック。泉谷のヴォーカルも絶好調だけど、ここで一番スゴいのは、ポンタのプレイ。多分、彼の中でもベスト・バウトと思われる怒涛の迫力で、ドラムヘッドが破れるほどの轟音マシンガン・ビート。泉谷・ポンタ、双方の限界が引き出された名プレイ。



3. TATTOO
 地を這うような、漆黒のレゲエ・ビート。Steely Danもそうだったけど、熟練のプレイヤーがレゲエをやると、どうしてこんなにネガティヴな音像になってしまうのか。もともとプロテスト・ソング的な側面が出自であるレゲエに対する敬意なのだろうか。
 享楽さとは真逆の、官能ささえ漂わせるサウンドと言葉。吉田健のベース・プレイが、バンドを支配する。

4. あいまいな夜
 再びレゲエ。この辺はちょっと小休止、ブルース色が強くヴォーカル自体も脱力気味。とはいえ、歌ってる内容は物騒である。

 あいまいな こんな日々には 俺とお前だけの
 肉のかけら 切り刻んで食べてやれ

 ルーザー・プロジェクトと同時進行で制作していた自主製作映画(?)『デスパウダー』の影響なのか、ゴシックホラー要素が盛り込まれた歌詞は、ちょっと厨二病チック。

5. 果てしなき欲望
 ここまでルーザーに焦点を当てたバンド・サウンドが多かったけど、ここでは泉谷節とも言える真骨頂が発揮されている。

 今からでも 遅くはないかい
 今からでも 間に合うのなら 走るぜ
 チャンスをくれた分の絶望が
 体をさするように まとわりつく

 バンド・グルーヴに振り回されっぱなし感もあった泉谷だったけど、ここでは完全にルーザーを抑え込んでいる。チャボのスライドとヴォーカルも、イイ感じの枯れっぷり。効果的に挿入されるリズミカルなストリングスも、豪快なアンサンブルとうまく対比を成している。
 クレジットでは、桑田佳祐がギターを弾いてるらしいけど、正直、わからん。

20060727224226


6. 美人は頭脳から生まれる
 リリース当時はCDのみ収録だった、いわばボーナス・トラック。小鳥の鳴き声のエフェクトと、ピアノを弾くのは忌野清志郎。「黒いカバン」タイプの風刺ソングで、泉谷のヴォーカルも肩の力が抜けた感じ。まぁ小休止、幕間の曲といったところ。

7. 野性のバラッド
 聞けば、ルーザーにバッキングを拒否されたため、新宿アルタ前でゲリラ・ライブ、叫び語りバージョンとして収録されている。新宿のリアルな雑踏をバックに、演奏はギターのみ。アカペラというには粗野すぎるので、「叫び」。ちなみにシングルでのバッキングは、元アナーキーだったTHE ROCK BANDが担当。
 そこまで頑なに拒否ったにもかかわらず、ライブでは普通にルーザーと演ってるので、何が何だか。スマッシュ・ヒットしてから泉谷の発言力が強まったせいなのか、それともゴネるとめんどくさいから、大人の対応でイヤイヤ演奏していただけなのか。でもね、そこまで拒否するほど悪い曲じゃないと思うんだよ、むしろ名曲だと思うし。

 Oh なんてお前に伝えよう ひとりの鏡の中で
 誰かを傷つけてきた日々の その時の顔つきで 吠える

 恐らく泉谷の歌ってきた中で、最もストレートなラブ・ソング。きちんと整理されたバンド・ヴァージョンも悪くないけど、泉谷の意図する「剥き出しの愛」として捉えるのなら、やはり混じり気なしの無骨なアルバム・ヴァージョンにこそ、本質が込められている。

izumiya&kyosuke

8. LOSER
 前のめりなビートが多い楽曲の中では、比較的ゆったりしたテンポのブルース・ナンバー。チャボのギターが前面に発揮されている、ある意味タイトル・チューン的なポジション。
 「探さないで 近づかないで」と朗々と語る泉谷を、骨太なリズムで支えるルーザー。しかしポンタ、音デカいよな。録音エンジニアの苦心惨憺が窺える。

9. 終点
 アメリカン・ロックの大味な部分をうまく消化しながら、そこにギター・ロックの繊細さを添加、さらに、リズムに乗せるには引っかかりの強い日本語のアクで束ねると、こんなカッコいい日本のロックができあがる。RCの活動が停滞し、ルースターズ解散後、若手バンドが目指すべき方向性を示したのが、ルーザーによって練り上げられたグルーヴだった。
 鉄壁のリズムと変幻自在のギター・アンサンブル、そして強烈な個性を放つヴォーカル。瞬発力だけでもテクニックだけでもたどり着けない、底なしの爆発力を内包したプロジェクトだったのだ。

10. あらゆる場面で
 ラストは泉谷が主役、散文的かつ暗示的な言葉の羅列は、言霊として強いオーラを放つ。意味なんて深く突っ込まない方がいい。原初、部族のシャーマンは、偉大なる詐欺師として御託を並べ、多くの信者と陶酔者とを生み出した。そんなカタルシスを効果的に演出する、強いビートとリズム。そして盟友清志郎のコーラス。
 素敵な夢と素敵な時間を見せてくれるのなら、他は何もいらない。
 ただ、騙すのなら、うまくずっと騙し続けてくれ。
 ハッタリでも嘘でもいいから、素敵な歌と音、そして言葉を。
 少なくともルーザーでの数年間、泉谷はうまく騙して続けてくれた。
 でも、上手い嘘って難しい。そんなに長くは続かないんだよな。






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モリとマー。 - The Smiths 『Meat is Murder』

folder 1985年リリース、 2枚目のオリジナルアルバム。初のUK1位獲得とともに、EU各国でも新進気鋭のバンドとして頭角を現したけど、アメリカでは最高110位といまひとつ。 Paul Weller同様、英国を中心としたドメスティックなスタンスはその後も変わらず、解散するまで頑としてジョンブルな姿勢を崩さなかった。
 でもMorrissey、ソロになってからはアメリカでバカ売れするんだよな。やっと時代が彼に追いついたというところか。

 とはいえイギリスとアメリカ、単純な人口比で言えば4~ 5倍の差があるため、売り上げ枚数だけ見れば、アメリカの方が倍以上も上回っている。大味なアメリカン・ロックやヘビメタに馴染めない、引っ込み思案な大学生がカレッジ・チャートに流れ込み、R.E.M. やReplacementsの延長線上でUK インディーズを求めた層が、それだけいたということである。構成比としてはごくわずかだけど、裾野が広い分だけ、本国の売り上げを軽く凌駕している。
 当時の日本でだって、セールス自体は決して大きいものではなかったけれど、ロキノン界隈に収束された熱気は、局地的な盛り上がりを見せていた。なので、今でも80年代 UKロックを語る際、避けては通れないアーティストのひとつとなっている。

 このバンドにおけるMorrissey(ていうかスペルがややこしいので、これ以降は「モリ」)、の立ち位置は、これまでさんざん語られているので置いといて、取り上げたいのはもう 1人のフロントマンJohnny Marr、略して「マー」
 バンドのポリシーやアルバム・コンセプトはモリの独壇場だけど、実務面での作業はほぼこの人が担っていたと言っていい。特に末期なんかは、サウンド・プロデュースだけじゃなく、マネジメント業務も並行して行なっており、そんな雑務を押し付けられることに嫌気が指したことも、解散の要因として囁かれているくらい。
 普通、彼らクラスのバンドだったら、バンド運営の付帯作業を自分らで行なうことなど、そうはないはず。ライブ後のCD手売りレベルのバンドならともかく、12インチ・シングルまでマメに日本発売しているバンドだ。普通ならやってられんわ。
 とはいえ、何しろ相手がモリである。何かと手間ヒマかけて拵えた段取りを、冷笑と嘲笑を交えてちゃぶ台返ししちゃう人だ。英国人以上に英国的、性格の悪さがMAX全開だった当時、誰もなり手がいなかったのだろう。そうなると、割を食っちゃう人が必ずいるわけで。

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 ド派手なギター・ソロやビッグマウスな発言とは無縁のマーは、基本、裏方気質の人である。自分がフロントに立つことにはあんまり興味がなく、モリという強烈なキャラクターを引き立てることに快感を覚える、縁の下の力持ち的存在である。ほぼ外部ミュージシャンを起用せず、あんな緻密なバンド・アンサンブルを独りで作っちゃうのも、偏執狂とも称されるサウンド職人ならではの偉業である。
 それでいて、ひけらかすこともない。こう書いちゃうと、まるで聖人だよな。あ、でもモリの隣りにいたから、そう見えるだけかも。とにかく、有象無象のエゴが渦巻く音楽業界において、長く活動し続けられているのが不思議なくらい、自己顕示欲の薄い人ではある。
 1985年のUK音楽シーンは、Tears for Fearsや Depeche Modeらがアメリカ市場をブイブイ言わせていたように、シンセを主体としたシーケンス・サウンドが、トレンドの主流だった。その対極として、いわゆるゴシック/オルタナ系、Jesus and Mary Chain やSisters of Mercyら、陰鬱とした風貌とディストーションとが、インディ・チャートを席巻していた。
 大ざっぱに分けるとこんな感じだけど、Smithsの場合、当時のメジャー/インディーどちらの潮流にも属しない。過剰にマスに寄り添ったエンタメ路線でもなければ、セオリー無視の破綻したアバンギャルドでもない。むしろ、ベースのサウンドはオーソドックスなギター・ロックである。
 良識派の神経を逆なでする言動やメッセージを発信する、モリ独自の世界観ゆえ、いまだSmithsといえば「オルタナ」のイメージが強いけど、決して内輪のマニアの間でだけ流通していたわけではない。シングル・チャートでは無敵の強さを誇った彼ら、セールス的には十分メジャーと肩を並べていた。
 多くのインディー・バンドがシングル2、3枚程度で息切れして解散してしまう中、コンスタントにヒット・シングルを量産していたSmiths。コンセプトの揺るがなさと、引き出しの多いサウンドは、同年代アーティストの群を抜いていた。

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 そんなブランド・イメージの主軸となっているのが、モリの強烈なパーソナリティなのだけど、彼の放つ毒は、一般大衆にはちょっと刺激が強すぎる。毒を希釈するわけではないけど、もう少し拒否反応を和らげるため、そこでマーが必要になってくる。
 英国ポスト・パンク以後のアーティストは大ざっぱに、「現状に対する不満」「自分は他人と違う(誰も理解してくれない)」に分類される。John Lyndon だって Mark E. Smithだって、音楽を通してそれを始終訴えてきた。でも2人とも、Smithsほどポピュラリティを得られていないのは、そのメッセージをスムーズに伝達するためのサウンド・プロダクションの弱さ、これに尽きる。PILだって、結局のところは息切れしちゃったし。
 ゲートエコーやらシンクラヴィアやらシモンズやらが幅を利かせていた80年代ポピュラー・シーンにおいて、マーはテクノロジー機材をほぼ使わず、むしろ時代と逆行して、ロックの原点であるギター・オリエンテッドのバンド・アンサンブルを構築した。決して卓越したヴォーカリストではないモリをフロントとしながら、歌詞の世界観を巧みに表現した、焦燥感あふれるギター・ロックは、初期衝動の具現化とも言える。
 「ギター・ロックの理想形」とも称される、緻密に構築されたサウンドは、バンドを組む友達もいない孤独な若者だけじゃなく、最初の一歩を踏み出すことのできない10代 20代にも広くアピールした。

 で、そんなマーの尽力によって、Smithsはその短命さも手伝って伝説として昇華した。モリとマーそれぞれ、その後のキャリアを築くにあたって、確実な踏み台となったわけだけど、今のところ、その着地点はまるで違っている。
 過剰なエゴイズムの権化として、モリはその後、着実にソロ・キャリアを積み上げていった。どのムーヴメントともシンクロしない、強烈な「俺」路線は、世界中に多くの信奉者を産み出し、Smiths時代以上の成功を収めた。アメリカでライブ動員上位に入ったり、南米でも根強い人気を保っていることは、日本ではあまり伝えられていないけど、その唯我独尊傍若無人ぶりは、確実にニーズを捉えているわけで。もう何が何だか。
 対するマーだけど、今も地道な活動を続けてはいるけれど、なんだか消化不良気味、どうもイマイチ盛り上がらない。なぜなのか。

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 音楽は好きで、バンドも好きだ。ギターを弾くのは、もっと好き。
 だからといって、超絶ギター・ソロでアッと言わせたいわけではない。あくまで自分はバンドの一部サウンドの一部、モリが歌いやすくて、彼の世界観を余すところなく表現できていればそれでOK、と思う男である。
 だけどしかし。
 モリ向けに作ることはできるけど、果たして自分を中心に置いたとしたら。
 オファー通りのモノは作れる。商品として芸術作品として、きちんとまとまっている。でも、何かモワッとしている。引っかかりがない。右から左へ聴きながしてしまいそうなサウンドになってしまう。
 そりゃそうだよな、これまでコンセプトはモリが全部考えてくれてたから。
 で、いざ独りで作るとなると、つかみどころがない仕上がりになってしまう。
 言いたいことや訴えたいこと、メッセージなんて別にないんだもの。込み上げてくるもの・誰かに伝えたくてたまらない衝動というのが、まるでないのだ。
 なので、マーは思う。
 -強烈な磁場を持つ、エゴの塊が欲しい。

 音楽でメシを食っていく、と決めて、その初っぱなからモリという怪物に出逢ってしまったのは、彼にとって幸か不幸、どっちだったのか。ゲームのスタートからラスボス登場というイベントにぶち当たってしまったため、その後に出逢うパートナーに対し、どれも物足りなさを感じてしまうのは、当たり前である。
 そんな中、TheTheのMatt Johnsonはモリに匹敵する、なかなかの強者だった。だったのだけれど、モリの怒りの対象が女王や食肉主義者、ディスコDJなど具体的だったのに対し、Mattの世界憎悪はちょっと観念的すぎる部分が拭えなかった。あんまり熟考しないマーにとって、それは容易に理解できる代物ではなかった。多分、Matt以外はあんまり理解してなかったんだろうな。
 沈思黙考すると長くなってしまうMattゆえ、TheTheの活動は断続的だった。ヒマを持て余したマーはその後、ギターを抱いた渡り鳥的に、様々なバンドやユニットを転々とすることになる。
 Bernard Sumnerと組んだエレクトロポップ・ユニットElectronicは、これまで歩んできたキャリアから一転してアッパーなダンス・サウンドを指向、セールス的にも大きな成功を収めた。ただ、これもNew Orderの合い間に手掛けた泡沫的なユニットであって、永続的なものではなかった。
 その後はさらに迷走、若手バンドModest Mouseに無理やり加入したりもしたけど、世代が違うせいもあって、こちらもごく短期で脱退してしまう。そりゃそうだよな、変に気も使うし扱いづらそうだし。

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 まぁ何やかや、それなりに苦労もしてきて、50歳になってやっとアイデンティティが確立されたのか、自分名義のソロ作を出したのが、つい最近のこと。ずっと前向きにひた走ってきて、立ち止まって振り返る余裕、何かしら痕跡を残しておきたい、と感じたのだろう。いずれにせよ、自分の言葉で語ろうと思い始めたのだから、これはこれでひとつの成長である。
 デビュー作とはいえ、すでに芸歴30年のベテランだけあって、きちんとした大人のロックになっている。
 でも、なんか足りない。ロックっぽさはあるけど、ロックと呼ぶにはアクが足りない。
 まぁ、やっと自分の言葉を見つけたんだ。これまで30年待ったんだから、もうちょっとは長い目で見てあげたい。

 そんなマーのサウンド・メイキングが初めて成果を結んだのが、お待たせしました『Meat is Murder』。トータル・コンセプトも曖昧な、ほんとむき出しの初期衝動を吐き出しただけのデビュー・アルバムに対し、ここではスタジオ・レコーディングのメソッドにも慣れたマーの実験性や工夫が発揮されている。
 今だと直截的すぎて前面に出しにくい、「食肉は殺人だ」というタイトル・ナンバーを主軸として、ギター・ポップだけに収まらない多彩なサウンドを展開している。つかみはOK的に過激なインパクトでありながら、それをハードコア・タッチに仕上げるのではなく、ちゃんと真っ当なギター・ポップに仕上げることに成功している。一歩間違えれば、くどくてめんどくさいモリの主張を、コンテンポラリーなスタイルに加工して、広く世に知らしめたのは、マーの功績が大きい。この辺は、もっと評価されてもいいはずなんだけど。



Meat Is Murder
Meat Is Murder
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Smiths
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1. The Headmaster Ritual
 アコギをアクセント効果に使った、ネオアコ寄りのギターだけど、リズムが走り気味なので、そこがうまく疾走感を演出している。相変わらず朗々と歌い継ぐモリ。
 我が物顔でのさばるスクール・カーストのトップ連中と規律規律とうるさい教師らに抑圧されて、毎日学校へ行くのが憂鬱だったモリの原体験が綴られている。こんなネガティヴなテーマをトップに持ってきちゃうところに、Smithsの特異性があらわれている。
 Radioheadによるカバーが、ファン心理まる出しの完コピで微笑ましい。こっちもなかなか。



2. Rusholme Ruffians
 ちょっとカントリーっぽさを交えた、古き良きロカビリーの香りを彷彿とさせるナンバー。直情的なロック/パンクに収まらない、多彩なバリエーションのサウンドは、他のバンドとは群を抜いていた。

3. I Want the One I Can't Have
 ザックリ言っちゃえば「ないものねだり」。散文的ではあるけれど、ピカレスク・ロマンの香りが漂う寓話的な歌詞は、モリの真骨頂。アッパーミドルへの痛烈な怒りと並行して、ディケンズなど前世紀の小説をこよなく愛する男の独白を、軽やかなリズムでコーティングしている。

4. What She Said
 ロック・バンドとしてのSmithsの側面がうまく表現されたナンバー。ヨーデルとも演歌とも取れるモリの独唱と、やたらテンションの高いリズム・セクションとのコントラスト。この熱気が後日、『Queen is Dead』の一連のアップテンポ・ナンバーへと結実する。

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5. That Joke Isn't Funny Anymore
 だいぶ遅くになってからシングル・カットされたため、UK最高49位、彼らのシングルの中では最も低い実績となった。ドラムに深いエフェクトが入れられ、高いキーのアコギなど、Smithsのルーティンからはちょっとはずれた実験的なサウンドになっている。LPの最後を締めるにはいいんだろうけど、シングルって感じじゃないよな。

6. How Soon Is Now? 
 『Meat is Murder』リリース寸前にシングルとして世に出たのに、当初、アルバムには収録されなかった、初期Smithsの代名詞的ナンバー。その後、再発・リマスターを経ていつの間にか組み込まれるようになった、という経緯がある。
 フィードバックを効果的に使うのは、この時代のインディー・バンドの「あるある」だけど、他のバンドが「空虚であること」「無為であること」ばかりを語るだけだったのに対し、モリは精神的弱者のトラウマや社会不適合性から誘発される心理爆発を言葉の礫にすることによって、第一線に躍り出た。



7. Nowhere Fast
 「そしてベッドに横たわり、ぼくは生について考える。ぼくは死について考える。どちらも、特におもしろくない」。
 これに尽きる。「女王に尻を向けたい」など、直接的な行動を思いあぐねるうちは、まだい。ベッドから出られず、何も考えられなくなってしまった瞬間、人は生きる意欲を失ってしまう。それをロックの歌詞として、サウンドに乗せてしまったのが、モリの大きな功績である。

8. Well I Wonder
 シングル・カットされるわけでもなく、曲順としても地味な位置にありながら、隠れ名曲として評価の高いバラード・チューン。シンプルなバンド・セット、弱々しいモリのヴォーカル、そして雨音と12弦ギターで切なさを表現するマーのサウンド・プロダクション。

 「思うんだけどさ
 ぼくの声は聴こえているのかな きみの眠りのなか
 しわがれた声で、ぼくは泣いている
 思うんだけどさ
 きみにはぼくが視えるのかな ぼくらともに逝くときに
 ぼくの半分は死にかけているけど」。

9. Barbarism Begins at Home
 「野蛮さは家庭から始まる」。タイトル・トラックと韻を踏むような、これまた扇動的な主張である。いわゆる幼児虐待を嘆く曲なのだけど、俺的にはこの曲、モリは添え物、主役はむしろ、終始縁の下的存在のリズム・セクション、Andy Rourke (b)とMike Joyce (D)の2人。この曲は7分にも及ぶ長尺なのだけど、モリの出番は前半4分弱くらいまで、その後は延々とインスト・トラックが続く。方々で絶賛されているけど、特にAndyのファンキー・ベースはかなり高レベル。この時代の若手バンドで、しかもギター・ポップ/ネオアコ界隈でここまで弾ける者はいなかった。この路線をもっとクローズアップさせていれば、バンドの方向性ももうちょっと変わっていたかもしれない。
 でも、それじゃSmithsじゃなくなっちゃうか。やっぱり主役はモリ、時々マーなのだ。



10. Meat Is Murder
 ラストはちょっと気合い入れ過ぎたのか、仰々しいオープニング。Led Zeppelinが80年代まで生き抜いていたら、多分こんな感じになったんじゃないか、と思うのは俺だけかな。
 「これといった理由もなしに,命を奪われるとしたら,それって虐殺だろ?」
 まぁ、確かにその通り。だからといってモリ、特別動物愛護がどうした、とか言ってるわけではない。彼が憎むのは、美味そうに七面鳥や仔牛を食べる者たち、パーティや会合で寄り集まって、楽しく舌鼓を打つ連中のことだ。
 そんな内輪に決して呼ばれることのない、若き日のモリ。
 彼は憎む。食肉主義者を、パリピな生活を享受するカースト上位者を、そしてうなだれたままベッドから出ようとしない、過去の自分を。






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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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