好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

ナイアガラー寄りじゃない新旧ヴァージョン比較 - 大滝詠一 『ナイアガラ・カレンダー』

c0074067_19361490 1977年リリース、大滝詠一4枚目のソロ・アルバム。この年のナイアガラ・レーベルは3月に『CMスペシャル』、6月にシリア・ポールの『夢で逢えたら』、11月に多羅尾伴内楽団の1枚目、そして年末も押し迫った12月25日に『カレンダー』リリース、といったラインナップ。1枚はアーカイブ、もう1枚もインスト・セッションをまとめたものとはいえ、ほぼ独りで4枚のアルバムを製作しているのだから、そりゃあもう、いっぱいいっぱいだったことは想像できる。

 第1期ナイアガラの大滝詠一は、アーティストというより、レーベル・オーナー/プロデューサーとしての意識が強かった。単に自分名義のアルバムだけを取り扱うプライベート・レーベルではなく、プロデュース業務を主体とした、関連アーティストのバックアップと流通を取り仕切る、強い志を持っていたのだった。ただ、そういった思い違いが、レーベル運営の早すぎる破綻を招くことになる。
 正直、そんな裏方意識でいたのは、大滝だけだった。はっぴいえんど時代からの数少ないファンからすれば、「まぁ、そんなマニアックな発想も悪かないけどね、でもソロ活動もきちんとやってくんでしょ?」って感じだったし、ディストリビューターであるコロンビアもまた、メイン・アーティストは大滝と位置付けていた。
 「プロデューサー主体っていうけど、今のところ所属アーティストいないんだし、『年4枚のアルバム制作』って契約条件クリアするためには、自分のアルバムも作っていかないと、とても回らんでしょ?」。

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 レーベル設立時の大滝は、ちょうどCMソングを量産していた頃であり、創作ペースとしては順調そのものだった。なので、「その気になればフル・アルバムの1枚や2枚、チャチャっとできるでしょ」と、過信していた部分もある。
 生前のインタビュー・発言からにじみ出てくる理屈っぽいキャラから、ロジックで動く理路整然とした人だと受け取られがちだけど、考えてみれば、これまで散々、発売延期だ企画倒れだを繰り返してきたわけで、その辺が何かと誤解されている。基本は行き当たりばったり、怒涛のつじつま合わせを強引に行なう人、というのが大滝の本質である。
 そんな彼の裏も表も含めて、最も深く理解していたのが、山下達郎だった。
 年に一度の新春放談で催される、「アーカイブはともかく、新譜はまだか」の丁々発止のつば迫り合い。オチがわかっていながらつい聴き入ってしまう、ダチョウ倶楽部顔負けのお約束合戦は、まだ続いていれば、伝統芸能の域に入っていたんじゃないかと思われる。

 『カレンダー』に限らず、先人への強いリスペクトが顕著な良質の楽曲に加え、演奏の主軸になっているのは、はっぴいえんど〜キャラメル・ママ・コネクションのミュージシャンなので、素材自体のクオリティはとても高い。なのに、第1期ナイアガラの作品クオリティにムラがあるのは、録音やミックスダウン、音像処理の問題が大きい。
 設立時の配給先だったエレック倒産を経て、新たなディストリビューターになるコロンビアとの交渉によって、大滝は最新タイプの16チャンネル・マルチレコーダーを手に入れる。災い転じて福となり、スタジオ設備は増強されたのだけど、所詮は米軍払い下げ住宅を改造したプライベート・スタジオ、どれだけ高い志と熱意を持ってしても、オーディオ的なクオリティには限界がある。
 所属アーティストになるはずだった山下達郎も伊藤銀次もいなくなったため、大滝自身がフル稼働して制作ノルマをこなさなければならなかった。作品のアイディアだって使い切っちゃってるので、ストックもほとんどない。締め切りギリギリまで粘りに粘り、どうにか搾り出したモノを録って出し、といった無限ループ。クオリティより納期が最優先となるため、納得ゆくまで作り込むことができず、言ってしまえば雑な仕上がりの作品も多い。
 ソニーに移籍してからは、潤沢な時間と予算、有能な外部スタッフの起用によって、初期構想に準じた作品を作る環境が整った。ただ、そうなったらそうなったで、「あれもできる」「ここをもう少しこだわりたい」と時間がかかり、結局、コスパ的には昔と大差なくなっちゃうのは、どんなもんだか。

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 で、長くなったけど、ここからが本題。
 ソニー移籍を機に、第1期ナイアガラのアーカイブは、大なり小なり、どれもリミックスを施されて再リリースされている。Fussa 45スタジオのマシン・スペックでは叶わなかったサウンド・エフェクト、バランスやピーク・レベル、フェード・イン/アウトの長短に至るまで、あらゆるポイントで改変が行なわれている。
 で、そんなマニアックな編集作業が最も大胆に行なわれたのが、この『カレンダー』である。
 結果的に、第1期ナイアガラにおいては最後のソロとなったこのアルバム、底の見えないセールス下落を阻止するため、またレーベルの存続を賭けて制作された。これまでプロデュース業務の多かった大滝が、アーティストとしては久しぶりに重い腰を上げ、持てる力のすべてを注ぎ込んだ自信作である。
 はっぴいえんど時代のアンチテーゼとして、第1期ナイアガラの主題となっていたリズムものやノベルティソングに加え、敢えて封印していたメロディ・タイプの楽曲も復活しており、バラエティに富んだ作品になっている。いわばとっ散らかった印象もないわけではないけど、それにも増して伝わってくるのは、アーティストとしての覚悟、強い意志表明である。
 俺的にも、第1期ナイアガラのアルバムの中では、最もターン・テーブルに載せたことの多い、何かと想い出深い作品だ。

 『ロンバケ』以降にファンになった俺にとって、『カレンダー』といえば、黄色いラベルのソニー盤であり、吉野金次リミックスによる81年版である。ほぼ同時期に単行本『All About Niagara』を購入して、隅々まで嘗めるように読みまくった中学生の俺は、そこでコロンビア盤の存在を知った。ただ、当時はすでに廃盤となっており、中途半端な田舎の中学生が安易に入手できる代物ではなかった。
 それからしばらく経って、札幌の中古レコード屋で一度だけ、コロンビア盤が飾られているのを見たことがあった。レア物コーナーに陳列されていたそれは、社会人になっていた俺でさえ、二の足を踏んでしまうほどの高値をつけられており、気軽に手が出せるものではなかった。
 次にそのレコード屋に行くと、誰かが買ってしまったのだろう、もう『カレンダー』はコーナーから消えていた。せっかく、手が届くところにあったのに。

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 20周年プロジェクトが一巡して30周年プロジェクトが始まり、ファンの間で、最もその発売が待たれていたのが、『カレンダー』だった。
 20周年プロジェクトでは、『ムーン』や『CMスペシャル』を始め、他プロジェクトのアルバムでも未発表テイクが追加され、多くのファンが狂喜乱舞した。しかし、『カレンダー』だけは、目立ったリミックスやボーナス・トラック収録はなかった。
 「オリジナル〜リミックスの時点で作品としては完結しており、これ以上足すものはない」というのが、大滝の見解だった。それだけ『カレンダー』に格別の思い入れがあった、ということなのだ。
 それならそれで、コロンビア盤のレジェンド感は、さらに高まってゆく。他のアルバムの20周年エディションのライナーノーツは、どれも時系列に沿って事象を丹念に記しており、ここで明らかになった新事実も多い。しかし、『カレンダー』だけはペラ1枚、やけにアッサリした文章になっている。
 やはりここで完結しているのか、それとも付け足すことがあんまりないのか。

 「新旧ヴァージョン完全収録」という、『カレンダー』の30周年エディションの詳細が明らかになって、全世界のナイアガラーは、再び狂喜乱舞した。これまで存在だけは知られながらも、ほとんどの人が聴いたことのない、まるでUMA的に伝説となっていたコロンビア盤を聴くことができる!
 正直、アーカイブものが続いて興味が薄れていた俺も、このインフォメーションを聞いた時は、大勢のナイアガラー同様、狂喜乱舞したのだった。

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 で、耳にしたのだけど。
 …なんか微妙だった。
 黎明期を見てきた初期ナイアガラーが、こぞって「傑作だ」「コレを聴いとかなくちゃ」など期待感をあおるものだから、さぞ革新的なクオリティなのだろう、とドキドキしながら聴いてみると。
 …案外ショボかった。
 「初期構想の忠実な再現」というコンセプトでもってリミックスされたソニー盤は、スタジオ機材やインターフェイスの問題で叶わなかった、リヴァーブやコンプレッサーをふんだんに使用している。アカデミックなレコーディングを習得していない大滝のビジョンを具現化するため、『カレンダー』のサウンド・コンセプトを反映するには、吉野金次という熟練のプロフェッショナルが必要だった。時間的な余裕と適切な投資によって、『カレンダー』はソニー盤で完成を見たと言える。
 ソニー盤を聴いてからコロンビア盤を聴くと、やってる事はほぼ変わらないのだけど、コロンビア盤の音像処理はスッキリしすぎて、これってデモ・テープなんじゃね?とさえ思ってしまう。今ならDTM機材の発達によって、高音質のホーム・レコーディングも珍しくなくなったけど、当時の宅録レベルのスタジオ機材では、ピーク・レベルを抑えることが精いっぱい、想いはあってもやれる事は相当限られる。ましてや素人ミキサーである大滝が、吉野金次と同等レベルのスタジオ・テクニックがあるかといえば、それを求めるのはちょっと酷。
 実際、第1期ナイアガラを支えたミキサー笛吹銅次(大滝の別名)は、その後、引退しちゃうし。

 前述したように、俺的にはソニー盤を長らく聴き込んでいたため、愛着はあるのはそっちの方である。なので、「ミックスダウン前のお蔵出しトラック」と言われたら信じちゃいそうなコロンビア盤に、格別な思い入れはない。
 リリースされた1977年のサウンドとしては、充分イケてたのだろうけど、やたらと神格化するのも、ちょっと無理矢理すぎるんじゃないかと思うのは、俺だけじゃないはず。原理主義が嵩じて後発を否定するには、クオリティ的にちょっと弱すぎるのだ。
 ごく少数だけ流通したコロンビア盤をリアルタイムで手に入れた初期ファンの思い出補正によって、妙に神格化されたことも誤解を生んだ。このアルバムに限らないけど、レア物は、本来の価値以上に高評価を受けてしまう。
 幻の音源を入手する希少な機会を得た者は、選ばれし初期ナイアガラーとして、知ったか顔で第1期ナイアガラを神格化していった。
 でもあいつら、「多羅尾伴内楽団」さえ絶賛しちゃうんだぜ。信用できねぇよ。



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1. Rock'n'Roll お年玉
 レーベル存続を賭けた悲壮感を思わせない、ていうか突き抜けて躁状態で歌われる、日本人のためのロックンロール。プレスリーからはっぴいえんどまで、古今東西の文化遺産を一緒くたに詰め込んでシェイクして撹拌して煮詰めて蒸留した、ナイアガラ・ワールドの完成形。新春放談でも一発目でよくかかっていたし、正月が近づくと思い出したように聴いてしまう、俺的にはすっかり季節の風物詩的ソング。
 コロンビア盤冒頭の「おめでとうございます」のリヴァーブの薄さが、俺のガッカリ感を助長させた。全体的にエコー感が薄いため、スタジオの密室感が強調される。当時としてはがんばったんだろうけどね。

2. Blue Valentine's Day
 80年代を通過してきた者にとって、バレンタイン・ソングといえば圧倒的に国生さゆりだけど、楽曲的には断然こちらの方がクオリティは上。「どうせもらえるわけねぇや」といったネガティヴな歌詞の世界観は、後にコンビ復活する松本隆のそれと大きくかぶっており、キャリア通して1,2を争うウェットなヴォーカルと見事にシンクロしている。
 1.同様、コロンビア盤はエコー成分が少なく、ていうかほぼデッドな響き。近年、『Best Always』で発掘されたシングル・ヴァージョンではほどほどのリヴァーブがかけられているため、アルバムでは敢えて他の曲とのバランスを考慮して抑え気味にしたんじゃないかと思われる。
 第1期ナイアガラの中では異質の甘さと大衆性があったにもかかわらず、リリース当時はほぼ世に知られることもなかった。もしこれが売れてたら、流れもまた変わっていたかもしれない、非常に惜しい名曲。

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3. お花見メレンゲ
 メレンゲというリズムが何なのか調べてみると、サルサやサンバに近似したジャンルであるらしい。ラテン方面はあんまり詳しくないので、知ったかぶりはやめておこう。
 リズム・トラックは基本楽天的なのだけど、ヴォーカルは全然ノリノリといった感じじゃなく、この辺が和のテイストなのかな、と無理やり思ったりもする。
 つくづく思うけど、この時代のミュージシャンって、引き出しめちゃめちゃ多いよな。大滝のムチャ振りに対応するためには、あらゆるジャンルを網羅しとかないといけなかったのか。

4. Baseball-Crazy
 続くリズムものシリーズ。私設草野球チームまで持っていたベースボール・マニア大滝として、野球愛にあふれる自身を自虐的なパロディとして描いている。
 正直、漫才ブーム以降を生きてきた俺世代にとって、戦前戦後のギャグやパロディをベースとした彼のノベルティ作品は、あんまりピンと来ない。まぁ絶賛されてるから面白いんだろうな、といった感じ。身内の間で披露してる分にはいいんだろうけど、誰か止めなくちゃダメでしょ。あ、プロデューサーだから、その辺のジャッジも全部自分か。

5. 五月雨
 ご存じオリジナルはソロ・デビュー作『大瀧詠一』より。当時のソリッドでコンパクトなファンクから一転、ここではドラマティックなストリングスと女性コーラス、重く響くバスドラに彩られ、荘厳としたムードに包まれている。語呂と語感のみで構成されている歌詞には、まったく意味性はない。ないのだけれど、これだけ深淵なサウンドにのせて歌われると、妙な重みが醸し出されているという不思議。
 コロンビア盤で終始流れる雨のSEは、陰鬱とした長雨の気だるさを活写しているけど、ソニー盤の深い深いエコーを聴くと、あっさり感じてしまう。この粘っこさがサウンドの肝なんだろうか。

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6. 青空のように
 長らく彼が研究対象としてきたスペクター・サウンドの、この時点での完成形。ヴォーカルもパーツの一部として同等に扱われ、バッキングと同じレベル、フラットな配置にされている。多分、モノ・ミックスで聴くのが理想なのだけど、他の曲とのバランスを考えてステレオにしたんじゃないかと思われる。でも、シングル盤でもステレオなんだよな。
 ただ、ソニー盤ではヴォーカルを少し前面に出したダイナミックなバランスになっており、アルバムの中の一曲としては調和が取れている。あ、それとイントロはコンパクトなソニー盤の方がメリハリあるよな。

7. 泳げカナヅチ君
 昔のサーフ・ロック、多分Beach Boys周辺をモチーフにしたのと、ベンチャーズっぽいギターを入れて、テーマとして「およげ!たいやきくん」のアンサー・ソングという体裁を取ったパロディ・ソング。コロンビア盤では全編波音のSEが流されており、それが災いしたのか、演奏パートの出力レベルを抑えてしまってるのが、ちょっと残念。あとで聴いてみて、「やっぱいらねぇや」と思ったのか、ソニー盤ではSEは削除されている。

8. 真夏の昼の夢
 のちの『ロンバケ』サウンドのプロトタイプとして、もっともわかりやすいポップ・バラード。サウンドの構想は、もうずっと昔から大滝の頭の中にあったことが窺える、貴重な一曲。ただ、ここに盟友松本隆はおらず、あくまで大滝自身が松本隆っぽい言葉を選んで順列組合せしているだけであり、ストーリー性は弱い。
 松本と大滝の書く言葉の違い。それは、「恥」の温度差の違いでもある。

9. 名月赤坂マンション
 エンジニア笛吹銅次のベスト・ワークとして、もっと語られてもいいトラック。あのプライベート・スタジオと彼のスペックで、ここまで臨場感あふれる形で尺八や三味線の音を録音できたのは、単純に「すごい」の一言。それだけ和楽器のレコーディングは難しいはずなのだ。ソニー盤ではリヴァーブがもう少し盛られているけど、哀切漂う泣き笑いの感情を表現するためには、ややデッド気味のコロンビア盤の方が感情に訴えてくるという不思議。
 唯一、俺がソニー盤より気に入っているトラックである。

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10. 座読書
 ソウル系が好きな人なら、誰でもすぐに思い浮かべるBo Diddleyのリズム。考えてみれば、取るに足らないことをテーマに歌うのはソウル/ファンクの伝統なわけで、内容をどうこう言うより、無内容なテーマに合わせてリズムを楽しむのが、本来のマナーなわけで。「読書」という語感からジャングル・ビートに思いを馳せてしまう、大滝の自由な発想はとんでもないところにある。

11. 想い出は霧の中
 「11月と言えばなんだ、冬だ、寒い、北国だ、じゃあ北欧ギター・インストだ!」ってな感じで作られたナンバー(嘘)。「さらばシベリア鉄道」の前哨戦といえばわかりやすい。

12. クリスマス音頭〜お正月
 1.同様、クリスマスになると無性に聴きたくなる曲。俺にとってクリスマス・ソングと言えば、山下達郎でもワム!でもなければマライア・キャリーでもない。そんなかしこまったソフト・フォーマルのクリスマスじゃなく、やけっぱちなカオス空間の和洋折衷クリスマスの方に、シンパシーを感じたのだった。ひねくれてたんだよな、30年くらい前は。






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ロディ・フレーム殿、至急連絡乞う。 - Roddy Frame 『Seven Dials』

folder Aztec Camera 『Dreamland』からの続き。ほんとはこっちを先に書いていたのだけど、だんだん方向性がずれた上、ズルズル長くなってしまったので、えぇいっ!と半分にぶった切った。
 前回レビューとの関連性は薄いので、続きも何もない。まぁいつも通り、通常運転で。

 前作『Western Skies』から8年ぶり、Roddy Frameは2014年に待望のソロ・アルバム『Seven Dials』をリリースした。その間にも、単発的なライブや盟友Edwyn Collinsとのコラボで名前が出たりしていたけど、ついぞ本格的なソロ活動に入る様子は見られなかった。
 一時は音楽業界への不信感が募って、音楽活動そのものに距離を置いていた期間もあったらしい。Aztec Cameraとしては、最後のアルバムになった『Frestonia』を最後にワーナーと契約終了、ソロに転じてからはインディーに活動の場を移したRoddy。前回レビューの『Dreamland』が予想していたほどは売れなかったこと、また、それに伴うはずのプロモーション体制が貧弱だったことから、メジャーへの不信感というしこりが残ったのだろう。
 これまでの実績から鑑みて、優雅な印税生活ができるほどのポジションではないため、どうやって食ってんだろう、と余計な心配までしてしまう。副業があるのか奥さんが稼いでいるのか、はたまた金持ちのボンボンなのか、などなど。
 そこまで悠々自適でなかったことは、急速に老け込んだ風貌から察せられる。かつてはゆで卵の殻をツルンと剥いたような、苦労知らずのルックスだったというのに。ここに来て、やっと外見が年齢に追いついたといった感じ。

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 Edwyn Collins人脈のプロデューサーSebastian Lewsleyを迎え、ほぼ2人だけで作ったと思われるサウンド・プロダクションは、お世辞にも華やかなものではなく、どうひいき目に見たって、バカ売れする要素は見当たらない。
 実際、セールスも地味だったのだけど、まぁ生きてくれてるだけで十分、まだ歌ってくれてる分だけいいじゃないの、という事で、おおむね往年のファンからは歓迎された。
 『Surf』、『Western Skies』と、今世紀に入ってからの作品がどれもシンプルっていうか、簡素なアコースティック・スタイルが主体だったため、今回もまた地味〜なアルバムなんだろうな、と誰もが思っていたところ、案外、ちゃんとしたバンド・スタイルだったことも、好評の要因だった。あら、まだやれるじゃないの。
 さすがのRoddyも50を過ぎているため、高らかに伸びのあった往年のアルト・ヴォイスは失われているけど、老いを自覚した上での、無理のないキー設定やシンプルなリズム・アレンジは、今の身の丈にちょうど合っていると思う。

 ただ、今のRoddy、ツアーだテレビ主演だレコーディングだ、話題に何かと事欠かなかった80年代のプチ全盛期に比べ、今世紀に入ってからは、サウンドも活動ペースもすっかり地味になっちゃったことは否定できない。地元を中心に地道なソロ・ツアーでもやっててくれてるんならまだしも、まったく音沙汰すらない始末。
 たまに音信不通になっちゃうアーティストとして、俺的に思い浮かぶのが、Roddyとほぼ同世代のPaddy McAloon。奴も同じ臭いがする。ただPaddyと違ってRoddy、アルバム・リリース後にはきちんと人前に出て、ライブをやってる分だけ、まだマシである。
 おいPaddy 、YouTube に新曲「America」アップしてからしばらく経つけど、あれから何も音沙汰ねぇじゃねぇか何やってんだ。まぁ待っちゃうんだけどさ。
 で、そんなPaddyとは絡むこともなく、Roddy はアルバム・リリース後、2014年から2年越しで、イギリス国内とEUを中心に、小さな会場を回った。以前よりちょっとくたびれた風貌にはなっちゃったけど、まぁ取りあえず生きている。アルバムもパフォーマンスも、ささやかではあったけれど好評を得た。

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 -で、あれから2年。
 また音沙汰がなくなってしまったRoddyであった。Paddy とやってること変わんねぇの。
 日本では、すっかりマイナーな存在になので、待っていても情報は入ってこない。なので、Twitterとフェイスブックのアカウントが残っていたので、久し振りに覗いてみた。
 ツアーが終わったら、すっかりやる気なくなっちゃったのか、2年前を最後にツイートは止まっていた。ただ、しょっちゅうスマホは使っているのか、今年の8月、名古屋のインターFMの番組セットリストにAztec Cameraがリストアップされていたらしく、その記事に「イイね」をつけている。
 そんな極東のローカルFMまでチェックしているのかよ。やっぱヒマなんだろうな。

 ちなみに、フェイスブックには関心が薄いらしく、アカウントはあるけど、記事なんてひとっつもない。プロフィール・フォトなんて、『Western Skies』のジャケ写をそのまま使ってるくらいだから、もう10年くらい放置したまんまである。もうちょっとやる気出してもいいんじゃないかと、余計な心配までしてしまう。
 先日レビューしたBetty Wright や、あのKeith Richardsでさえ、いまは独自のアカウントを持っており、「あそこへ行った」「あいつに会った」など、他愛のない日常をつぶやいたりしている。生み出す音楽と直接関係はないけど、「あぁ、こんなことやってるんだなぁ」という近況が伝わってくるのは、俺的には素直にうれしい。
 ネット普及以前と比べて、ファンとの距離感が格段に近くなったおかげで、「謎の存在感」や「カリスマ性」を演出しづらくなった弊害は、確かにある。ここまで情報があふれまくる現代社会になっちゃうと、昔のような情報統制は不可能に近い。
 カリスマティックなスターは生まれづらくなったけど、まぁRoddy には関係のない話である。もともとカリスマ性とは縁遠いキャラだしね。

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 そんな活動状況ではあるけれど、良く言えば、周囲に振り回されない、マイペースな仕事ぶりである。『Dreamland』のレビューでも書いたけど、何も無理に定期的なリリース・ペースを守らなくてもいいのだ。良い曲を少しずつ、良質の珈琲を落とすように、曲ができるのをじっくり待てばよい。無理やり絞り出したって、いいモノはできないし、それはRoddy本人が一番よくわかっているはずだ。
 アルバムごとに違うサウンドを指向していたバンド時代を経て、今のRoddyに迷いはない。もう、包装やデコレーションで飾り立てる時期は過ぎてしまったのだ。
 変化すること、留まらないことが、Aztec Cameraのアイデンティティのひとつだった時代は、確かにあった。ブラコン風だギター・ポップだAORだ、様々なスタイルを試しては捨てて来たけれど、結局、最後まで変わらなかったのは、アコギを中心に静かに奏でられるシンプルな歌だった。
 どれだけ意匠を変えたとしても、その根幹は失われず、最初からそのまんまだったのだ。

 『Seven Dials』には、初期のネオアコ期を連想させるタイトルの楽曲も収録されている。こういったセンチメンタルに流されがちな曲も、ここでは程よい情感で歌っている。
 50を過ぎて、そろそろ人生的には最終コーナー、ちょっと振り返るにはいい頃合いだ。決して数は多くないけれど、長く応援してくれる熱心なファンを生み出したキャリアは、恥ずかしいものではない。だから、ちょっと歩みを止めたって、誰も何も言えるはずがない。
 4年前、デビュー作『High Land, Hard Rain』リリースから30周年を迎え、Roddy はファンのために、3回の全曲再現ライブを行なった。アニバーサリー的なイベントとは縁がない人だと思っていたけど、それだけ待っててくれる人がいた。そういうことだ。

 だからRoddy、あともう一回くらい、日本に来てくれないかな?
 みんな、優しく迎えてくれるよ、きっと。



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1. White Pony
 大人しいオープング。またアコギだけかよ、と思ってたら、すぐバンド・セットが入ってきて、印象が変わった。直球勝負のメロディックなバラードに、控えめながら力強いバッキングとの相性は抜群。現在のRoddyの作風にフィットした、程よく抑制されたサウンド・プロダクション。

2. Postcard
 タイトル通り、イントロから往年のネオアコっぽいアレンジに、ファンは狂喜したのだった。キャリアのスタートとなったシングル「Just Like Gold」をリリースしたポストカード・レーベルのことを直接歌っているわけではないけど、当時のキラキラした躍動感が伝わってくる。懐メロとしてではなく、今の等身大の言葉と声で、Roddyは歌う。そう、まだ老いるには若すぎるのだ、体も心も。



3. Into The Sun
 『Stray』期を彷彿とさせる、大人のギター・ポップ・チューン。しかし、声が衰えてないよな。ギターだって、ちゃんとラウドなプレイだってできるはずなのに、自分の楽曲に合わないとなれば、きちんと抑えたプレイでまとめちゃうし。あくまで歌とメロディが優先なのだ。そこに至るまで、ここまでかかっちゃったけど。

4. Rear View Mirror
 ちょっとジャジーなギターから始まるシックなバラード。いろんなサウンドに手をつけてきただけあって、レパートリーの幅が広いのも、この人の強みである。二流のシンガー・ソングライターなら、こういった抑揚の少ないバラードだったら退屈で最後まで聴き通せないのだけど、飽きさせないところは熟練の技なのか。リズム・セクションによる中盤の静かなインタープレイに、ちょっとオッとなってしまう。

5. In Orbit
 Elton Johnみたいなオープニングから、徐々に熱を帯びてくる、壮大なスケール感を持つポップ・バラード。Aztec時代なら、もっとコッテリしたアレンジにしていたんだろうけど、シンプルなバンドセットが逆に、Roddyのヴォーカルの存在感を引き立たせている。
やっぱりこの人は、メロディと声で成立しちゃうんだよな。重厚なサウンドだと、それらが全部埋もれちゃう。

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6. Forty Days Of Rain
 ここでいきなりハーモニカが来るとは思わなかった。軽快なネオアコ・サウンドをバックに、ちょっとスカしたクール・ガイといった体で歌うRoddy。いや全然衰えてないわ、この人。人生折り返しちゃったんで、急に覚醒しちゃったのかな。このスタイルなら年齢的にも無理がないんだから、もっと外に出て、世に広めちゃえばいいのに。まぁ、静かな生活を望んでいるのかな。

7. English Garden
 ちょっとクール・ダウンするバラード。最初に聴いた印象が、「あれ、歌うまくなってね?」。もともとヴォーカルに関しては一定の評価はあったけど、ここに来て熟成された深みを増してきている。ソロになってからのRoddyは、ダウナーな楽曲が多く、そんな心境が声の質感にも反映されていた。そして、『Seven Dials』で聴かれるヴォーカルは、どの曲調においても前向きな姿勢が顕著となっている。これは、以前のソロ・セット主体のアンサンブルから、バンド・セットに移行した影響が大きいんじゃないかと思われる。
 
8. On The Waves
 無理を感じさせない若さ、ネオアコの枠ではなく、新たなRoddy オリジナルを作るんだ、という気概を感じさせるパワー・ポップ。80年代サウンドをこよなく愛する者なら、ほとんどの人が気にいるはず。重苦しくなく、程よく軽くて口ずさみやすく、丁寧に作られたメロディ・ライン。そんな曲。



9. The Other Side
 アコギを主体とした、前向きな視線のポップ・バラード。久々にロック・スタイルのギター・ソロが聴けるのがポイント。楽曲の芯の強さが、繊細なサスティンよりも、荒ぶるラウドな音を求めた、ということなのだろう。
 こういった楽曲を再び書けるようになるまで、大きく回り道をした。
 でも、まだ遅くはない。

10. From A Train
 ラストは繊細に、流麗なアルペジオを使った弾き語り。『Surf』はこんな曲調ばっかりだったため、さすがに食傷気味だったけど、最後のシメとしてはちょうどいい塩梅。
 どの曲も共通して、3分台でまとめているので、しつこいイントロ・アウトロは極力排除されている。混じり気のない、Roddyの「今」が過不足なく真空パックされている。






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忖度の加減ってむずかしい。 - Aztec Camera 『Dreamland』

folder 1993年にリリースされた5枚目のオリジナル・アルバム。UK最高21位という、何とも微妙なセールスで終わってしまった作品である。まぁ最大の売りが「世界のサカモトがプロデュース!」っていうくらいだもの。多分、どっちのファンにもアピールしなさそうなセールス・ポイントである。地味な作品なので、これくらいしかなかったんだろうな。
 もともと教授のファンだったRoddyからのオファーにより、ちょうどタイミングが合ったことで、コラボレーションが実現した。したのだけれど、2人でデュエットしてるわけでもなく、迫真のインタープレイが火花を散らしたって感じではもちろんない。2人とも、そんなアグレッシブな作風じゃないし。

 この時期の教授は、今となっては伝説のレーベルになってしまった「ヴァージン・ジャパン」に所属していた頃である。わかりやすく言っちゃえば、最もワールドワイドに活動しており、現在の大御所ピアノ・コンチェルト中心のサウンドではなく、グローバルなポップのフィールドに接近していた時期である。
 文科系が無理してクラブデビューするかのごとく、ロジカルに予習したリズム感とノウハウでもって、ハウス・ビートをねじ伏せようと奮起した意欲作「Heartbeat」は、頭でっかちな場違い感が漂ってきて、ユーザーにとっても教授にとっても、ちょっとこそばゆくなってくる作品だった。
 そういった実験作とは対照的に、同時進行でバルセロナ五輪の開会式テーマの作曲と指揮、ある意味黒歴史だったYMO再生という巨大プロジェクトを成し遂げている。さらにさらに、単発的なコラボとして、Arto LindsayやBill LaswellといったNYアンダーグラウンド勢との親交も深めているのだから、支離滅裂な活躍ぶりである。
 「戦メリ」以降、国内での活動が多く、ちょっと鳴りを潜めていた教授のグローバル展開は、「ラスト・エンペラー」でのアカデミー賞受賞によって注目を集めた。世界中の有名無名アーティストからのオファーが殺到し、いわゆる「世界のサカモト」というブランディングが確立された時期である。

Ryuichi&Roddy

 そんな教授が、事前にどれだけRoddyの存在を知っていたかは疑問だし、当時のポジションから見て、もっと大物からのオファーも入っていたと思われる。なのに、それがどうしてUKローカルのポップアーティスト(悪意はないよ、教授と比べると、事実そんなポジションだし)とのコラボを選んだのか。
 思えば過去にも、YMO人気がピークだった頃、なぜか当時インディーズのフリクションやphewのプロデュースに手を出しているくらいなので、そう考えると不思議ではない。恐らく、「メジャーとマイナーとの間を自由に行き来する、カッコいいオレ」が好きなのだろう。多分、『No New York』をプロデュースしたBryan Enoが頭にあったんじゃないかと思われる。
 Enoか。途端に胡散臭く見えてきちゃったな。

 レコーディング作業における、教授からの具体的なアドバイスがどれだけあったのかは不明だけど、Roddyからすれば、憧れのサカモトがブースにいるだけで充分満足しちゃっていただろうし、リスペクト感の方が勝ってしまい、かしこまった感じになってしまうのは致し方ない。
 そんな「ちゃんとしなくちゃ」感が強く出て、『Dreamland』は大人の90年代AORサウンドで統一されている。「バラエティに富んだ」というより、「とっ散らかった」印象の強い前作『Stray』から一転して、アルバムとしてのトータリティは強固となった。
 センチメンタルな淡い色彩を思わせるRoddyのメロディとヴォーカルを、最も素直な形で表現するメソッドとして、ここに収められた楽曲はマイルドに、仕事帰りのビジネスマンがカーステレオで流しても違和感のないサウンド・プロダクションで統一された。結果、ピークレベルを超えるディストーションや、偶発性を含んだニューウェイヴ要素は一掃された。
 きちんと整えられたサウンドは、隙がない。アラが見えない分、引っかかりもない。右から左へ流れてしまっても気づかないので、言葉も残らない。
 サウンドは落ち着いたトーンで統一され、しっかりまとまっている。
 でも、この時Roddy29歳。老成するには、まだ早すぎる。

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 経歴の浅い新人アーティストでもないので、教授自身があれこれ手を焼く必要もなく、『Dreamland』はほぼRoddy主導でレコーディングされている。UKバークシャーにある、18世紀に建てられた赤レンガ造りのスタジオで、Roddyはデモテープを作製、その後、ニューヨークのスタジオで教授と合流した。
 本レコーディングは4週間かけられたけど、下準備に充分時間をかけられた分、骨格は練り上げられており、教授が手を貸す余地はあまり残されてなかった。なので、教授のパーソナリティが強く出ているわけではない。
 「教授とコラボしたら、こんな感じになるんだろうな」というRoddyのシミュレーションのもと、できあがったのは大人びた、ていうか不必要に背伸びしすぎたサウンドだった。
 破綻はない。でも、教授ならではのプラスアルファがあるかと言えば、そんなんでもない。
 「お手を煩わせないように」といった忖度のもと、きちんと整えた楽曲を書いてデモを作り、万全の態勢でスタジオに来ていただく。多忙だった教授もまた、ザッとデモテイクを聴いてみる。
 「うん、まぁこれでイイんじゃない?好きにやるのが一番だよ」とか言いながら。
 時々、思いもよらぬ突拍子もないアイディアを、思いつきでつぶやく。「ここでスパニッシュっぽいギター入れたら?きみ弾ける?」てな感じで。
 金言をいただいて、さらに張り切るRoddy 。アーティストを奮起させたのだから、プロデューサーとしての責務は果たしている。アーティストにとって、一番の理解者でなkればならない。
 でも、極端なダメ出しやリテイクを命じることはない。だって、そこまで彼の音楽に関心がないんだもの。

Aztec+Camera+Spanish+Horses+-+Part+1-49106

 教授とRoddyとでは、ジャンルがまったく違うので、音楽的センスの優劣は計れないけど、少なくともこれまでの実績を比較すれば、その差は歴然としている。このポジションの差異が、良い方向へ向けば有機的な化学反応として結実するのだけど、ここでRoddyが教授に忖度し過ぎたことによって、目に見えた結果は残せなかった。できあがったのは、「肩ひじ張った自然体」のAORサウンドだった。
 そこに教授のオリジナリティが表れているかといえば、全然そんなこともない。「あぁRoddyも大人になって、落ち着いたサウンドを指向するようになったんだねぇ」といった程度の印象だ。
 有能なアーティスト同士がコラボしても、そこに腹を割った意思の疎通と衝突がなければ、どっちつかずの無難な結果に落ち着いてしまう。1+1が必ずしも2にはなるとは限らないのだ。変に譲りあって、2にも及ばない場合の方がずっと多い。

 別の見方をすれば、もし教授じゃなかったとしても、Aztec Cameraのコンテンポラリー・サウンド化への傾倒は、避けられなかったんじゃないかと思われる。『Dreamland』には、いわゆるロック・アレンジの楽曲は収められておらず、その後も激しいディストーションや、強いバスドラの響きを聴くことはなくなった。
 これ以降の彼が書く楽曲から、青年期の迷いは見られなくなる。あるのは中年に差し掛かった、「かつて熱き想いを秘めた青年だった」一人の男の日常である。
 そんな日常に、非日常な歪みは必要ない。もっと身の丈に合った落ち着いた音、耳に馴染みやすく、しっとり手頃なアコースティックの響きを、メロディは希求した。
 そんな経緯をたどって、Roddyの迷走期は終わる。ここにたどり着くまで、いろいろ寄り道はしたけれど、教授という触媒を契機として、どうにか自分のスタイルを手に入れることはできた。
 キャリアを通して、一生自分のスタイルを手に入れられずに終わるアーティストも多い中、彼はまだ幸せだ。

 いまだ「ネオアコ」という括りでしか語られることのないAztec Cameraという制約を捨てて、Roddy Frameというただの一個人として、時々自分の身の丈に合った歌を、ごく親しい友人たちへ語りかけるかのように歌う。
 それはひどくこじんまりとした空間ではあるけれど、でもそれが彼の選択だったのだ。そんな彼を、誰もとやかく言うことはできない。
 焦らずじっくり、マイペースに。美味いコーヒーを落とすかのように。



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1. Birds
 3枚目のシングルとしてリリースされ、チャートインはせず。1年以上経ってからのシングル・カットだから、それもまぁ当たり前か。
 教授からインスピレーションを得て作られた打ち込みのバッキングは、ずっと聴いてても気持ちいい。案外複雑に練られたリズムをベースに、効果的に絡むRoddyのソフトなギターソロ。ここでのRoddyの声に迷いは見られない。シンセ主体ではあるけれど、どんな可能性をも受け止めるサウンドに支えられ、しっかり足を据えたヴォーカルを聴かせている。

2. Safe in Sorrow
 これまでだったら、もっとテンポを速くしたパワー・ポップ的なアレンジでまとめたのだろうけど、ここでは立ち上がらずに腰を落ち着け、ゆったりしたポップ・バラードに仕上げている。でも足ではせわしなくリズムを刻んでいる。そんな感じの若さが垣間見える歌。後半の女性コーラスは『Love』っぽい。そっちに入ってても違和感ないな。

3. Black Lucia
 ライブで取り上げられることも多い、日本のファンの間でも人気の高いロッカバラード。でもシングルにはなってなんだよな。今回調べてみて、初めて知った事実。
 Roddyのギター・プレイは定評のあるところだけど、その魅力のひとつに「弾きすぎない」点が大きなウェイトを占めている。これ以上長いとしつこ過ぎるところまで行かず、ちょっと長めのオブリガード程度のサイズに効果的に収めてしまうところが、センスの良さを思わせる。ここでもそのセンスは発揮されている。



4. Let Your Love Decide
 眠くなるほど心地よいバラード。ほんとに眠っちゃうわけじゃないけど、ゆったりした16ビートをベースとして、アダルティなホーンと軽くサスティンのかかったギターで彩られると、そこにあるのは微睡みの世界。終盤のストリングスがとどめを刺す
 
5. Spanish Horses
 第1弾シングルというより、ここから教授とのコラボが始まった記念すべき楽曲。まだ『Dreamland』のコンセプトが固まる前にレコーディングされているので、まったり感は少ない。4.でかなり微睡んでしまうので、アタック音の強いスパニッシュ・ギターは効果的である。こういったプレイもできるんだ、ということでリリース当時、ちょっと話題になった。UK最高52位。



6. Dream Sweet Dreams
 あまり教授の影響を感じさせないパワー・ポップ・チューン。アルバム・リリースとほぼ同時にシングル・カットされ、UK最高67位。あれ、「Spanish Horses」よりランク低かったんだな。リード・トラックとしてはパンチが弱かったのか。間奏では、ロック寄りのギターソロが聴けるけど、こういったのはこれが最後になる。

7. Pianos and Clocks
 タイトル通り、ピアノと時計の秒針の響き、それにアコギ。このアレンジは教授へのリスペクトが窺える。多分、教授ならここまでベタなアレンジを提案しないだろう。マイナーで統一されたメロディは、過剰にならない程度のセンチメンタルを喚起させる。もうちょっと楽器を増やせば彩りが華やかになるけど、そうするとメロディの良さが薄まってしまう。さじ加減の微妙なところだな。

8. Sister Ann
 そのさじ加減がうまく行ってるのが、この曲。単調なAメロによって、サビの「Sister Ann」が引き立っている。ピアノのユニゾンと女性コーラスがサウンドを引き締めており、きちんとまとまったポップ・ソングになっている。こっちをシングルにしてもよかったのに。

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9. Vertigo
 多くの洋楽リスナーがこのタイトルで真っ先に思い浮かべるのがU2だと思うけど、俺もそう。まぁタイプはまったく違うけど。
リズム・エフェクトに教授の影がちらほら。後半に進むにつれての盛り上がりは、迷走期を思わせる。でもヴォーカルはそこまで浮かれていない。あくまで枠の中に収めようとしている。

10. Valium Summer
 「バリウムの夏」というタイトルが何を暗示しているのか、いろいろ調べてみたけど結局わからなかった。ただ単に「V・A・L・I・U・M」って語呂が良くて歌いたかっただけなのか。教えて英語に詳しい人。
 アレンジは相当に凝っており、特に中盤のピアノ・ソロは、ポップのフィールドにいるだけでは思いつかないフレーズが頻発している。ちょっとネオアコ期を彷彿させるギターの音色も効果的。

11. The Belle of the Ball
 恐らく35歳以上には、最も知名度の高いAztec Cameraナンバー。TBSで放送していた「ガチンコ」内コーナー「ガチンコ・ファイトクラブ」で使用されていたことによって、曲名は知らないけど聴いたことがある人は多い。
 ストレート直球勝負のアレンジと、徐々に熱を帯びるRoddyのヴォーカル、ほどよく抑制されたバンド・アンサンブルは、悩み苦しみ葛藤する若者の背中越しを経て、効果的にシーンを「演出」した。楽曲自体に罪はないけど、いい意味でも悪い意味でも、「感動」を盛り立て過ぎちゃったことは事実である。





 
 ほんとはここで終わるはずだったのだけど、Roddyの近況についても書いたので、次回へ続く。




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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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