好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

「まだ終わりじゃない」。そう伝えたかった最終作 - 尾崎豊 『放熱への証』

47AD156F-C910-41CC-8CD0-2C82ACB8A2C3 1992年にリリースされた6枚目、最後のオリジナル・アルバム。4月25日に訃報のニュースが流れ、店頭に並んだのが5月10日だから、製作現場ではかなりの突貫作業だったことが窺える。タイミング的に、追悼に乗じて未発表テイクをかき集めたかのようにも思えるけど、生前にマスタリングも終了しており、後は発売を待つばかりの状態だった。なので、不慮のタイミングによる、作業の大幅な前倒しといった方が正しい。
  彼が亡くなったという知らせを聞いたのは、仕事の昼休み中のことだった。ラジオの速報を聞いた上司が、それを教えてくれた。
「おい、尾崎豊が死んだらしいぞ」
 昼食中だった俺は、ちょっとだけ言葉に詰まった。何と返していいかわからず、へぇ、とうなずき、また食事に戻った。
  そうか、尾崎が死んだのか。
  ただそれだけだった。
 
  すでに『誕生』のあたりから、俺は尾崎を追うことをやめていた。当時の尾崎のポジションは、いわばティーンエイジャーの通過儀礼のようなもので、現在のような普遍的な評価はされていなかった。十代の代弁者の役割を終え、新機軸が見出せずに迷走していた、というのがリアルタイムでの俺の見解。
尾崎シンドロームの終焉とシンクロするように、俺の十代も終わり、二十代に突入していた。ここからしばらく、仕事に遊びに忙しくなり、音楽とは距離を置くようになる。
それほど熱心なユーザーではなくなっていたので、訃報を聞いた際も、特別感慨もなく、ショックもなかった。テレビで中継された、葬儀で泣き崩れるファン達や、後追い自殺のニュースを聞いても、どこか他人ごとだった。
  追悼にかこつけて、カラオケで「I Love You」や「十七歳の地図」を歌ったりもした。でも、ただそれだけだった。モヤッとした感傷も長くは続かず、ルーティンの生活は何ごともなく過ぎていった。
なので俺、このアルバムをリアルタイムでは聴いていない。買ったのは数年経ってから、しかも、ちゃんと聴いた記憶がない。他のアルバムと違い、じっくり対峙して向き合っていないのだ。
その後、折をみてCDで聴いたりiTunes で聴いたりもした。でも、深く入り込めない。今回も改めてじっくり対峙して聴いてみたけど、どうも素通りしてしまう。
なぜなのか。
  取っかかりが薄い?特徴がない?
いや多分、そういったことじゃない。
 
 『誕生』リリース後、尾崎は浜田省吾のマネジメント事務所ロード&スカイを辞め、個人事務所アイソトープを設立、唯一の所属アーティストとして、そこへ移籍する。
晩年の尾崎は、方向性の迷いや人間関係に煮詰まり、何かと疑心暗鬼になっていたらしい。
「誰も彼もが俺を利用している」「金儲けの道具としか見てない」。
そんな猜疑心に取り憑かれていた。
  最大の理解者であり、デビュー前からの恩師である須藤晃とも距離を置いたくらいだから、よほど人間不信に陥るアクシデントがあったんじゃないかと思われる。まぁ色恋沙汰のゴシップもあったし。
ロード&スカイの待遇が悪かったのかといえば、そうとは思えない。ハマショーを始めとして、のちに所属することになるスピッツや斉藤和義ら、彼らのキャリア形成・育成方針を見てわかるように、どちらかといえばかなり良心的、アーティスト・サイドに立ったスタイルの運営方針である。
そりゃ売れるに越したことはないけど、それよりもアーティストのスタイル確立や長期展望を重視する、そんなコンセプトなので、尾崎のキャラクターに適していたはずだったのに。

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  若者の代弁者として祭り上げられ、多くのファンや支援者に持てはやされた尾崎も、10代3部作以降は、活動休止やスキャンダルが尾を引き、人気は凋落する。下降線をたどるにつれ、周囲の対応も手のひら返し、次第に距離を置かれるようになった。
  さんざん持ち上げてそこから落とされるわけだから、本人からすればたまったものではない。清廉潔白な生活ではないから、そりゃ自分が蒔いた種もいくつかはあるだろうけど、身に覚えのないところで名前を使われていたり、利権を漁る赤の他人が擦り寄ってきたりで、そりゃ疑心暗鬼にもなる。
ヤマアラシのジレンマよろしく、傷つけることでしか信頼関係を築けない、また、他人との距離を推し量ることができない。
  かつては「傷つけた人々へ」と歌っていたナイーブな男を、ほんの数年で変貌させてしまう、怖ろしきエンタメの世界。それだけ濃縮された時間を駆け抜けた代償だったのか。
殺伐としたムードが日常となるため、有能なブレーンは我先にと匙を投げる。沈没寸前の船からケツをまくって逃げ出し、残るのは要領の良くない人間ばかり。業務は怠り、プロジェクトも前に進まない。苛立ちと焦燥感が募り、辛く当たってしまう。
ふと気づくと、残ったのは身内ばかり。
 
  音楽とは直接関係のないバイアスがかかりまくっているため、内容について書くのはちょっと難しい。そう思ってるのは俺だけじゃないらしく、純粋に音楽について述べたレビューは、あまり見当たらない。
デビューから長く、尾崎を全面プロデュースしてきた須藤晃とも袂を分かち、ここではほぼ完全セルフ・プロデュース、原点回帰とも言えるエッジの効いたロック・サウンドと、私小説的な柔和なバラードとがバランス良く配置されている。テクニカルなアンサンブルは多分、キーボード西本明の助力が大きかったんじゃないかと思われるけど、過去と未来の共存を目指した基本ビジョンは、尾崎オリジナルのものだ。
  B’zや槇原敬之が頭角を表していた当時の音楽状況と照らし合わせると、決してアップトゥデイトなサウンドではない。ノリの良いビートや癒し系といったトレンドからは距離を置き、泥臭いアメリカン・ロックと、静謐なタッチのピアノ・バラードを主軸としている。

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  初めてのセルフ・プロデュースとしては、丁寧に破綻なく作られているし、変に流行を追わなかった分、今もあまり古びて聴こえない。従来のファンにも新規ファンにも受け入れられる、世間のニーズに合わせた作りになっているのだけれど。
  なのに、何だこの引っかかりのなさは。どうしてここまで響かないのか。
  『誕生』よりもテーマや言葉は整理されているし、アレンジもワンパターンをうまく回避しているというのに。
  これは非常にめんどくさい私見だけど、そのどっちつかなさ、全方位にいい顔しちゃってるそのスタイルが、俺世代としてはなんかもどかしく、「二十歳過ぎたから背伸びして日和っちゃったのかよ」という置き去り感が芽生えてしまうのだ。
  そう考えると、尾崎作品の純粋な音楽的評価に水を指しているのは、俺たち45歳以上のリアルタイム世代なのだ、ということに気づかされる。メッセージシンガー、アジテーターとしての尾崎像が刻み込まれているため、主張やイデオロギー以外の面を重要視しない、または思考停止になってしまう。人気もキャリアもピークの時代のインパクトが強いおかげで、20代以降の活動は、長い長いフェードアウトに思えてしまうのだ。
  後追いで尾崎を知った層にとっては、代表作以外はほぼ並列で見ることができる。なので、30代以前には後期の楽曲もそれなりに人気があったりもする。
  純粋に楽曲の良さで判断できるのは、ある面では羨ましいと思う。俺にはもう、そういった聴き方はできないから。

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  で、『放熱への証』。
  俺的世代観を抜きにして捉えると、過渡期的な作品だと思う。若いうちは社会や体制への不満やら、また淡い恋心を感傷的に歌ったりもしたけれど、20代に入って家族もできれば、実感は損なわれてしまう。よほどのディープなファンならともかく、ライト・ユーザーや後の世代から見れば、市場への迎合具合が先立ってしまう。
  若者の代弁者として祭り上げられたりもしたけど、実際のところ、尾崎の作品の中で、大人や社会へのアンチをメインテーマに据えた楽曲は、それほど多くはない。デビュー前のオーディションで歌ったのがさだまさしだったことから察せられるように、もともとは叙情的でウェットな感性の持ち主である。
反体制のヒーロー的なイメージは、多面性を持つ尾崎の一面だけをクローズアップして、ソニーや須藤晃がコーディネートしたものだ。それもまた本質ではあるけれど、「でも、それだけじゃないんだよ」という彼の主張を具現化しようとしたのが、3部作以降の迷走なり試行錯誤であって。
  ただ、その過去を全否定しても、前へは進めない。それもまた自分を創り上げてきた一部であるということを飲み込んで、尾崎はこのアルバムを世に問うた。基本、その時に思ったことをそのまま出す姿勢、それは昔から変わらない。
  静と動、2つの方向性というのは、迷走しているというより、車の両輪のように同等のもの、どちらかを完全に捨ててしまうのではなく、ヴァージョン・アップさせて共存していこうというあらわれだったんじゃないのか。最近になって、そう思う。ただ初めてのセルフ・プロデュースゆえ、細かな仕上げまでは手が回らなかったため、中途半端になっちゃったわけで。
  そう考えると、まだ伸びしろは十分あったわけで、中途半端さにも納得がゆく。





 1.  汚れた絆
  アルバム発売と同時にシングルカットされた、王道アメリカン・ロック・サウンド。とても急ごしらえとは思えない、グルーヴ感あふれるアンサンブルを形作ったのは、ベテラン西本明。E.Street Bandをモチーフとした、自由奔放なアルト・サックスをリードとしたアレンジは、いい意味で野放図な尾崎のヴォーカルと相性が良い。
  歌詞については、それぞれいろいろな解釈があるけど、まぁどう深読みしても斉藤由貴以外ありえない。芸能ニュース的なエピソードはひとまず置いといて、ここで語りたいのは尾崎の変化。
  かつての彼なら、道ならぬ恋を貫くか、地位も何も捨てて守り抜く、といったニュアンスで唄っていたはずのだけど、ここでの尾崎は家族を取り、運命の同士であったはずの相手とは、別れを決意する。歌で嘘は書けない。常に自分の中のリアルを突き詰めて、彼は歌ってきたのだ。
  と、ここまで書いてみてから冷静に考えてみると、不倫の清算を高らかに歌い上げ、しかもリード・トラックにしてしまうとは、並みの神経ではない。芸能ニュースへの話題性としてはアリだろうけど、本人としてはそこを狙っていたとは思えない。サウンドのノリとしてはベストな配置だけれど、テーマとしてはネガティヴだよな。セルフ・プロデュースゆえ、誰も選曲に意見できなかったのか。

2.  自由への扉
  これまでの作品とはどれも似ていない、メロディ・アレンジともに甘さを強調したポップ・チューン。せっかく自分ですべてを仕切るのだから、こうした新機軸も試してみたかったのかな、とも思ったけど、聴き直してみると、他のシンガーを想定して書いた楽曲なのかね、と思ったりもする。
  ファニーで邪気のない、若い2人の恋の行く末を描いてると思われているけど、「~あるはず」という語尾の不安定さは、楽観的と言い切れない。

  闇夜の国に 浮かぶ月明かりに照らされて
  星が揺らめきながら 明日を信じてる
  永遠に思えるような 悲しみと暮らしは続く

  無条件に幸せを享受できない、そんな彼の心境が少しだけ反映されている。

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3.  Get it down
  1.   と同様、ダルでルーズでちょっぴり大ざっぱなロック・ナンバー。初期のファンからも人気が高く、当然、俺的にも食いつきが良くなじみ易い楽曲。小難しい批評性や理屈を抜きにして、純粋に楽しめるアップテンポは、お手のものといった感じ。成長云々とは関係ない、熟成された疾走感が、ここに刻まれている。まぁこれをベースとして、彼はさらに違う表現を探していたのだろうけど。

4.  優しい陽射し
 「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう」。
  尾崎がこのアルバムのために添えたキャッチフレーズであり、実際、発売時のキャッチコピーとしても使用された。意味深なアートワークとセットで、強く印象にに残っている。
何気ない言葉をつなぎ、日常のふとした瞬間や心の揺らぎを、ここでは丹念に拾い上げ、そして丁寧に歌う尾崎。
  デビュー当時から情景描写は卓越していたけど、こういった心理描写、対人関係の妙を細やかに描くには、もう少し時間が必要だったんじゃないか、とこの曲を聴くと思う。ひとつひとつの言葉のセンスは秀逸だけれど、どこかフォーカスが絞りきれていない印象。その未整理さもまた魅力なのだけど、さらにその先、成熟した表現をする尾崎が見てみたかった、と思わせる楽曲。

5.     贖罪 
  で、ネガティヴな尾崎の告白という位置付けになるのが、これ。アーバン・ムードの落ち着いたサウンドで語られるのは、タイトルから想起させるような、無為の日々の告白。何もそこまで自己犠牲へ思い詰めることはないのに、と余計な心配をしてしまうくらいである。まぁこれまでのいきさつを思えば、それもわからなくはないけど。
  多少の自己陶酔は否めないけど、まだ20代の男が告白せざるを得なかった事情があったのだ。

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6.   ふたつの心
  ピアノを主体とした、適度にドラマティックなバラード・ナンバー。ここでは尾崎、情感を込めつつ、緩急使い分けたヴォーカルを披露。同世代のアーティストの中でも、歌唱力は突出していたけれど、キャリアを重ねること、また人生経験の深みも合わさって、表現力がずば抜けている。
  何となくだけど、「I Love You」で描かれていたカップルのその後を歌っているんじゃないかな、とは俺の私見。

7.  原色の孤独
 『街路樹』以降から、アルバムに1曲くらい収録されるようになった、具体的な言葉で抽象的な暗示めいた警句を発する、まぁ言っちゃえば中二病的楽曲。いくらでも深読みできるし、なんとなくアーティストっぽい感じには見える。
  色々な解釈ができる内容なので、逆にサウンドは明快なロック・バンド仕様。ハマショーっぽさ全開な気もするけど、深く考えないのなら、ノリのよい音楽。

8.  太陽の瞳
  アルバム制作にあたり、最初に書き上げられた楽曲。副題Last Christmas となっているため、舞台はクリスマスシーズン、みんなが幸せでホッコリしてしまう聖夜とはまるで正反対の、徒労感と絶望に苛まれた連綿と続く日常を、これでもかとネガティブに切り取っている。 ダウナーな時期だったことは察せられるけど、この曲がある意味通底音としてアルバム全体のムードを支配しているため、死の臭いがつきまとってしまった。
  ただ暗い曲だと一蹴してしまうのではなく、尾崎のリアルな情感がむき出しで吐露されているため、その後の方向性を思えば、重要なポイントを示す楽曲だったと言える。後期に頻出した、二重三重にもかけた警告的暗喩の羅列よりは、ずっと入り込みやすいし、他者に伝える表現としても、きちんとまとめられている。
  単に悲観的展望を描いた作品として片付けるのではなく、絶望や無力感を自身の中で整理し体系化というプロセスを経て具現化することによって、表現者は救われる。ここから先へ行けるはずだったのだ。

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9.  Monday morning
  肩の力を抜いてラフなタッチの、カントリーロック風ナンバー。スタジオセッション風のラフなアンサンブルをベースに、尾崎のヴォーカルも軽快で、ピッチもそんなに気にしてなさそう。アコギメインのバンドアンサンブルになると、ほんと楽しそうなのが伝わってくる。
  一聴すると歌詞も聴き流してしまいがちだけど、サウンドとは相反して、あまり前向きな内容ではない。コンクリートジャングルに飲み込まれ、決められた人生のレールに乗せられて暗い顔をした旧友たちを横目に、主人公は道をはずれ、ただ独り夢見がちな時を過ごす。
  でもね、夢見るだけで動かないと、明日ってないんだよ。

10. 闇の告白
  不平不満があっても、声に出せず言葉も知らない、また話を聞いてくれる理解者もいない、そんな大多数の弱者の心の痛みを、尾崎は歌にした。背中を押しても前へ踏み出せない、鼓舞しても立ち上がることさえできない、そこまで打ちひしがれてしまった、弱き民たちの、無為な日々を綴る。
  引きがねは、いつでも引くことはできる。でも、すぐに引くことはない。いざとなれば引くことができる、という諦念が、ある種の妥協点を見いだすことができるのだ。社会との折り合いとは、そんな風に形作られてゆく。

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11. Mama, say good-bye
  アルバムのラストであり、また尾崎が最期に作った歌は、亡くなったばかりの母に捧げられている
  「お母さん疲れさせてごめんね。お母さん、世界中の全ての疲れた心が癒されるように、歌い続けていくからね。」
  曲の完成後、ファンクラブの会報にコメントを残している。
  レトリックも比喩もない、ストレートな愛慕を素直に綴った、追悼の唄。これまでの作風から比べると異色だけど、これもまたアーティスト尾崎豊の幅である。
  尾崎自身、これを最期にするつもりはなかったはずだと思いたい。まだ先はあったはずなのに。







ポップ馬鹿としての達郎は、ここから。 - 山下達郎『Melodies』

folder 1983年リリース、7枚目のオリジナル・アルバム。前作『For You』に続きチャート1位を獲得、年間チャートでも7位にランクインしている。
 この年の年間トップは、映画『フラッシュダンス』のサウンドトラック、3位は松本隆主導によるプロジェクト戦略がピークに達していた、松田聖子『ユートピア』、次に明菜・サザンと、順当なラインナップになっている。
 ちょっと不意を突かれたのが、2位のフリオ・イグレシアス。外タレというよりディナー・ショー歌手の印象が強いので、カタカナで書いちゃったけど、アラフォー世代以下はもう知らないんだろうな。「バイラモス」をヒットさせたエンリケの親父ってことだったらわかるかな?とも思ったけど、あれだって、もう20年前なんだよな。本題と関係ないから、まぁいいか。
 続いて6位がMichael Jackson 『Thriller』。マイコーより売れてたのか、フリオ。で、この次に達郎が続く。
 単独トップこそ『フラッシュダンス』に譲ったけど、本当の意味でのこの年のトップは、断然明菜。しかも、年間トップ10圏内に3枚も送り込んでいるブッチギリ状態。さらに、ベスト・アルバムじゃなくて、全部オリジナル。出来不出来はあったとしても、尋常じゃないペースである。
 当時のアイドル歌謡曲のリリース・スパンが、シングル3ヶ月・アルバム半年が平均だったため、実現できた記録である。アニメ関連以外じゃ、こういうのってなくなっちゃったよな。

 ちょっと言いづらいけど、こんなキラ星が並んだラインナップの中では、何ていうかこう、地味で場違いな感が否めないのが、達郎の存在である。テレビでの露出が必須だった歌謡界や、いい意味でPV的な構成の『フラッシュダンス』や『Thriller』と違って、映像によるアプローチは、まったくと言っていいほどない。竹内まりやとの結婚式での取材ラッシュに辟易して、それ以降は頑なに映像での露出を拒んでおり、いまだ頑固にそのポリシーを貫いている。
 とはいえ、当時のニュー・ミュージック勢の戦略として、メディア露出を絞ってユーザーの情報飢餓感を煽ることがセオリー化していたので、達郎だけが特別だったわけじゃない。ないのだけれど、当時のTV出演拒否を謳っていたアーティストの多くが、今では普通に出演している中、彼だけは頑なに初心を貫いている。そこまでの頑固一徹さは、もはや賞賛に値する。ここまで行っちゃったら、もう引退するまで貫いてほしい。
 ビジュアル面でのインパクトの薄さは、アルバム・アートワークでも顕著にあらわれている。「FMステーション」でお馴染み、鈴木英人デザインによる、ポップでアメリカンナイズされたアートワークでパッケージされた『For You』から一転、『Melodies』のジャケットは、インパクトもなく地味である。オールディーズ・ナンバーのオムニバスのような、素っ気ないデザインとなっている。歴代のアルバム・ジャケットの中では、『Spacy』と肩を並べるくらい、掴みどころがない。
 逆に考えれば、小洒落たデザインや話題性などを抜きにして、音楽のクオリティだけで勝負する-、そんな強い決意の表れ、そして自信だったと言える。

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 JALのCMソングとなった「高気圧ガール」以外、マスコミにとって形容しやすいセールス・ポイントがないアルバムがここまで売れちゃったのも、そんな強い自信のあらわれ、真摯な決意の賜物だったんじゃないか、というのはちょっと持ち上げすぎかな。でも、当時置かれた立場的には、普通に『For You』の二番煎じでも、誰も批判はしなかったと思われるし、周辺スタッフだって、内心は気が気でなかったんじゃないかと思われる。大滝詠一だって、『Each Time』は自嘲的に「ロンバケⅡ」って語っていたくらいだし。
 達郎がデビューした頃、日本のロック/ニュー・ミュージックの市場はまだ未成熟で、単体で採算が取れるほどのレベルではなかった。吉田拓郎や井上陽水など、ごく一部のアーティストらは安定したセールスを積み上げていたけど、その他大多数は商業的にいわばお荷物、絶大なセールスを誇っていた歌謡曲の売上で活動させていただいているようなものだった。一部の看板歌手によって得た利益を再分配して次世代へ投資する、この図式は今もそんなに変わらない。まぁ市場規模が小さくなっちゃったので、原資自体が減っちゃって配分も何もなくなっちゃったけど。
 で、80年代に入ったあたりから、歌謡曲以外のシェアが増大する。さらなる売り上げ拡大を目指すアーティストもいるにはいたけれど、純粋な動機で音楽を始めた者が多かったこの時代、セールスの裏付けによる発言力を得たことによって、強いアーティスト・エゴを反映させた作品もまた多い。
 9位のユーミン『リ・インカーネーション』は、後の恋愛至上主義からは想像もつかないSFチックなスピリチュアル路線だし、11位の中島みゆき『予感』だって、ご乱心路線にギアが入り始めた頃の作品である。事実上の独立第1弾となる『Melodies』も、シングル曲以外は内省的で派手さのない、アーティスト・エゴを優先させたサウンド・コンセプトで統一されている。
 「Ride on Time」や「Loveland, Island」の拡大再生産的な「高気圧ガール」一色で埋め尽くしたって、誰もケチはつけないだろうし、市場のニーズとはマッチしている。でも、そうはしたくない、時代に寄り添い過ぎたくはない、という嗅覚が働いたのだろう。それが得策だったことは、時代が証明しているわけだし。

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 「Ride on Time」のスマッシュ・ヒットで注目され、そこから『For You』~『Melodies』と続く第一次達郎全盛期は、同時にニュー・ミュージック時代の終焉に位置づけられる。80年代後半のバンド・ブーム以前、非歌謡曲系のアーティストの主軸がソニー系ロック/ポップ系へ移行する、そのちょっと前の時代。
 70年代にデビューした、叙情派フォーク勢が中心となったニュー・ミュージック系の歌手らは、時代の趨勢に従うように、ソフィスティケイトされた洋楽テイストのサウンドを志向するようになる。赤裸々なメッセージとイデオロギーをコアとした60年代組と違って、白樺派的雰囲気フォークの後発勢らは、ポップで耳ざわりの良い英米のシンガー・ソングライターのメソッドをパクって吸収していった。男だったらPaul Simon、女ならCarole King、「第2の~」「日本の~」というキャッチフレーズが多かったのも、この頃である。
 そんな小ブームも一過性に終わり、次の元ネタを探しに次に向かったのが、アーバンで落ち着いた「大人の音楽」、Christopher CrossやBobby CaldwellらによるAORサウンドだった。一歩間違えれば演歌にも通ずる情緒的なメロディ・ラインは、日本人のメンタリティにも心地よくフィットしたため、流用するにはうってつけだった。
 達郎の場合、そんな並行輸入のAORもどきとは一線を画し、ウェットな感性を排したサウンドとメロディを持ち味としていた。ただ、「洗練された大人のシャレオツなサウンド」といったくくりで行くと、あながち間違ってはいないし、プロモーション展開としてはやりやすい。

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 「夏だ海だ達郎だ」といったリゾート・ミュージック的な捉えられ方は、自分の音楽的ポリシーや意向が完全に反映されたものではない」と後年、達郎は語っている。当時の音楽シーンを鑑みると、刹那的な流行だったと思っても仕方がない。
 ただ、100パーセント自身の嗜好が反映されたモノを作っているアーティストがどれだけいるのかといえば、実際のところ、そんなに多くはない。ていうか、むしろごく少数。
 かつてはMarvin Gayeがジャズ・スタンダードのアルバムをリリースしたり、近年でもPaul McCartneyが単発的にクラシックのプロジェクトを興したりしているけど、ほとんどは採算度外視の道楽みたいなもので、どれもヒットを前提として作られたものではない。商業ベースに乗せるためには、大なり小なり妥協がついて回るのだ。
 インタビューなどの発言やラジオの選曲傾向から、オールディーズやドゥーワップをベースとした音楽が好みであることは、よく知られている。嗜好としては間違ってはいないのだけど、本来の志向とは微妙にズレがあることは、ライト・ユーザーにはあまり知られていない。
 実際の達郎は、古くはAC/DC、近年ではEastern YouthやThe Birthdayらをこよなく愛する、意外に意外なハードロック壮年である。ただ、「自分の声質にはフィットしないことを自覚し、消去法的選択で今のような作風に向かった」と、これも自身でコメントを残している。
 達郎がインタビューで頻発して用いるのが、「商業音楽」という言葉。
 彼曰く、「不特定多数のユーザーに届かせるためには、嗜好よりも適性が優先される。商業音楽の世界では、売れないのは無と同然であり、売れる事によって初めて優劣の評価が成される」と。詳細までは覚えてないけど、このニュアンスの発言は何度か目にしたことがある。こういう事語らせたら止まらないのが、この人の持ち味でもある。
 「商業音楽」の世界で生きて行こうと決めた時点で、達郎の音楽性は狭まったのか、それとも逆にフォーカスが絞られたのか。多分、後者だろう。言っちゃえば結果論くさいのだけど、それをまた後付けで理論武装してしまうのも、この人のしたたかさである。

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 前年に立ち上げたアルファ・ムーン・レーベルへの移籍を機に、達郎は自ら作詞を手がけるケースが多くなる。それまでは、多くの作詞を吉田美奈子に委ねていたのだけど、自ら選んだ言葉とテーマを歌う行為は、今後のアーティスト活動の継続において必然と判断したのだろう。
 もともとサウンド・メイキングの方の評価が高くて、歌詞なんて添え物程度にしか考えてなかったんだから、どうせなら長所を伸ばす方向、サウンドやヴォーカルのディティールに力入れた方がいいんじゃないの?と余計な勘ぐりをしてしまいたくなる。当時の内情を知らない俺だってそう思うんだから、身近な関係者や事情通の中には、そんな風に思ってた人もいたんじゃないかと思われる。
 いざ「自分で書く」と決めたはいいけど、プロフェッショナルな職業作家ではないので、高度なレトリックやダブル・ミーニングを多用できるわけではない。気取った言い回しができるタイプじゃないし、特に30過ぎだったら、内面をさらけ出すことに対する気恥ずかしさが先立ってしまう。
 ある意味、見切り発車的な(ほぼ)全曲作詞だったため、類型的な情景描写が多く、赤裸々な心理描写を表現した作品はない。メロディ・ラインとヴォーカルの発語感のマッチングが齟齬を来たし、拙いものもあるにはある。
 「商業音楽」としてのクオリティを追求するなら、外部委託もまたひとつの手段である。製品レベルの維持安定を図るのなら、むしろ信頼できる第三者に委ねた方が合理的だ。
 でも彼は、人に書いてもらうことより、自分で言葉を選び、歌うことを選んだ。「商業音楽」の世界に生きていながら、やはりそこはアーティストだ。なぜ自分が、多くの人に作品を聴いてもらいたいのか。単なる利潤の追求なら、もっと効率的なやり方はある。
 効率的なロジックとは対極の、抑えきれぬアーティスト・エゴの発露。湧き上がる表現欲求に駆り立てられるように、その後の達郎は言葉の表現にも注力するようになる。

 後にリリースしたアルバム・タイトル『Artisan(アルチザン)』。職人をあらわす英語である。その後の彼の足取りを想えば、アーティストというより、この言葉の方がふさわしい。





1. 悲しみのJODY (She Was Cring)
 大滝詠一だったか誰だったか、「日本で最初にファルセットでメジャーになった曲」と称された、なのに8ビートのストレートなロック・チューン。ファンクやディスコと言えば16ビートだけど、敢えてそこをはずしたところに、新境地への意気込みが窺える。
 多重コーラスはもちろん、やたら重たいベースや終盤のドラム・ソロも、ぜんぶ達郎独りでこなしている。井上大輔にサックスを頼んだ以外は、ほぼ全部自分。こういうスタイルって、もっとこじんまりとまとまっちゃうものだけど、ちゃんと広がりのあるヴァーチャル・バンド・サウンドに仕上げている。この時期はあんまりライブに積極的ではなかったけど、後のバンド・アンサンブルも想定していたんだろうか。

2. 高気圧ガール
 オリコン最高17位まで上昇した、先行シングル・カット。当時のJALのキャンペーン・ソングということで、やたら大量に出稿されていたのは、中途半端な田舎の中学生だった俺の記憶にも強く残っている。ていうか、一般的な認知が定着したのは、多分この頃だったんじゃないかと思われる。
 享楽的な夏の宴を思わせるサンバのビートは、裏表もあまり感じさせず、その辺はやはりオファーに則った職人芸。「夏の男」というベタなニーズにそのまんま応えた、コマーシャルな達郎像が具現化されている。アカペラとパーカッションで構成されたイントロは、一歩間違えればエスニックな泥臭いものになりがちだけど、そういった危惧をすべて回避して、コンテンポラリーなポップ・スタンダードとして仕上げている。
 ちなみに甘い吐息の主は、しばらく明かされていなかったのだけど、正体は竹内まりや。やっぱりな。

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3. 夜翔 (Night-Fly)
 ゆったりした正統フィリー・ソウルなバラード。ベタでムーディでスウィートなホーン・セクションと優雅なストリングス。なので、決して技巧的ではないベタな歌詞がフィットする。小難しい言葉を連ねるタイプのサウンドじゃないしね。
 リリース当時は1.2.のようなアッパーなサウンドのインパクトに心惹かれていたけど、年を取るにつれ、こういったシンプルなソウル・バラードの方がしっくり馴染むようになる。
 大人になればわかるよ、そういうのって。

4. GUESS I'M DUMB
 Bryan Wilson作のカバーというのを、だいぶ後になってから知ったのだった。ちなみにYouTubeでオリジナルのGlen Campbellヴァージョンを聴いてみたのだけど、歌い方は完コピだな。達郎ヴァージョンを先に聴いてるので、俺的にはこっちがオリジナルみたいなものだけど、結構やるよな、Glen。ヴォーカルの力だけで引き込まれてしまう。
 アカペラ多重コーラスで彩ることによって、サウンドの深みがグッと引き立ったのはアイディア勝ち。ていうか、このコーラスが入ってこそ、この曲は完成したんじゃないか、とさえ思ってしまう。
 ちなみにこの曲も1.同様、達郎独りによる多重録音。この時、30歳。それでこの完成度だから、どれだけ老成してるんだよ。やっぱ若年寄だな。

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5. ひととき
 レコードではA面ラスト、本人いわく、60年代フォークっぽくやりたかった、とのことで、サウンドはポップなフォーク、ヴォーカルはちょっと抑えめのソウル・タッチ。要所を多重コーラスで締め、コンパクトにまとめている。夏っぽさどころか季節感も薄い、もう少しウェットに寄れば抒情フォークになってしまうところ。でもこの雰囲気は悪くない。3.同様、年を重ねてから聴くと、じんわり来る。

6. メリー・ゴー・ラウンド
 このアルバムのメイン・トラックのはずだったのだけど、一般的な認知度で言えば10.に取られてしまい、不遇を囲っているどファンク・チューン。ただファン歴が長くなればなるほど、この曲の人気は高くなる。
 最強のリズム・セクションだった伊藤広規(B)と青山純(Dr)によって構築された盤石のビートは、誰も太刀打ちできない。この2人の勇姿を見ることは叶わなかったけど、昨年、初めて参加したライブで、俺が最も楽しみにしていたのが、この曲。いやもう、心も体も持ってかれてしまう。



7. BLUE MIDNIGHT
 『For You』のアウトテイクということで、この曲のみ作詞が吉田美奈子。フィリーなソウル・バラードは3.と似たタッチで、いつも印象がかぶってしまう。まぁノリノリの6.の後だから、その後のクール・ダウンといったポジショニング。
 逆に言えば、このアルバムのサウンドには非常にフィットしており、よって『For You』だと入れどころに困ってしまう。すでにこういったライト & メロウ路線が芽生えていたのだろう。

8. あしおと
 こちらも『For You』時に制作された楽曲。軽いタッチのシカゴ・ソウルは、やっぱシックなこのアルバムとの方が相性が良い。肩の力を抜いたポップ・ソングだけど、コマーシャルな路線とも違う、それでいて優しく寄り添ってくる。不思議な魅力のあるナンバー。これまでも、そしてこれ以降もないタイプなので、なかなか貴重。多分、もう書けないんだろうな、こういう方向性って。



9. 黙想
 ラス前のインタールード的な小品バラード。歌詞は至ってシンプルだし、アレンジもピアノ1本。しかし、ポップのアルバムで、こんなタイトルの曲を入れるだなんて、なかなかの冒険。一過性のヒットを狙うのなら悪手だけど、長期的な展望で見れば…、ややっぱないな、普通。

10. クリスマス・イブ
 あまりに語られ過ぎてるし、誰もが知ってる曲なので、大して書くことはないけど、本格的なアカペラ・コーラスを大々的にフィーチャーされた、初めてのヒット曲。若書きとも取れる歌詞も、過度なセンチメンタリズムを避け、それでいて情熱的。考えてみれば、ソウルにどっぷり浸かっている人なので、ストレートな表現を多用するのは当たり前なのだ。
 初回の12インチ・ピクチャー・レコードを速攻で買ったのは俺の自慢のひとつだけど、金に困って売っぱらっちゃったのもまた、俺の数少ない後悔のひとつ。こういうのは手元に残しておくものだよね。みんなも大事なアイテムは、簡単に手放さないようにね。

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「ゴチャゴチャ言わんと聴かんかい」という音楽 - Miles Davis 『Get Up With It』

folder 1974年リリース、引退前最後のMilesバンド、1970年から74年にかけてレコーディングされた未発表曲のコンピレーション。後年になって評価が高まった電化マイルス期のスタジオ録音というのは、1972年の『On the Corner』までであり、それ以降の作品はすべてライブ録音である。そういえばそうだよな、改めて気づいた。
 多分、この時期のMilesはアルコールとドラッグによる慢性的な体調不良を抱えていたため、支払いが遅く時間の取られるスタジオ作業より、チャチャっと短時間で日銭の入るライブに重点を置いていたんじゃないかと思われる。野放図な当時の生活を維持するため、コロンビアのバンスもバカにならない金額になっていただろうし。
 とはいえ、まったくスタジオに入らなかったわけではない。この時期のセッションを収録したコンピレーションは、以前レビューした『Big Fun』もあるし、裏も表も含めて発掘された音源は、そこそこある。
 この時期のMilesセッションは、「長時間テープを回しっぱなしにして、後でスタジオ編集」というスタイルが確立していたため、マテリアルだけは膨大にあるのだ。それがまとまった形にならなかっただけであって。

 実際、収録されているのは、そのとっ散らかった72年から74年のセッションが中心となっており、70年のものは1曲だけ。その1曲が「Honky Tonk」なのだけど、メンツがまぁ豪華。John McLaughlin、Keith Jarrett、Herbie Hancockと、当時でも十分重量級だった面々が名を連ねており、これだけ聴きたくて買った人も相当いたんじゃないかと思われる。
 リリース当時は、酷評か黙殺かご乱心扱いだった『On the Corner』の布陣では、プロモーション的にちょっと引きが弱いので、無理やり突っ込んだんだろうな。Miles もコロンビアも、そのくらいは考えていそうだもの。

Miles Davis LA 1973 - Urve Kuusik

 前述したように、この時期のMilesのレコーディングは、1曲通しで演奏したテイクが完パケとなることが、ほぼなかった。『On the Corner』も『Jack Johnson』も『Bitches Brew』も、プロデューサーTeo Macero による神編集が施されて、どうにか商品として出荷できる形に仕上げられている。
 「テーマとアドリブ・パートの順繰りをざっくり決めて、チャチャっと何テイクかセッション、デキの良いモノを本テイクとする」、そんなジャズ・レコーディングのセオリーとは明らかに違う手法を確立したのがMilesであり、彼が生み出した功罪のひとつである。プレスティッジ時代に敢行した、超スパルタのマラソン・セッションを経て、既存の手法ではジャズの枠を超えられないことを悟ったMilesがたどり着いたのが、レコーディング設備をも楽器のひとつとして捉えるメソッドだった。当時のポピュラー・シーン全般においてもあまり見られなかった、偏執狂的なテープ編集やカットアップは、電化に移行しつつあったMilesとの相性が格別良かったと言える。

 メロディやテーマもコードも埋もれてしまう『On the Corner』で確立されたリズムの洪水は、セッションを重ねるごとにインフレ化し、次第にポリリズミカルなビートが主旋律となる。メインだったはずのトランペットの音色も、電化によって変調し増幅され、音の洪水に埋没してゆく。制御不能となったリズムに身を委ね、自ら構成パーツのひとつとなることを望むかのように。
 『On the Corner』までは、バンマスとしての役割を辛うじて果たしてはいたけど、これ以降のMilesは、自ら生み出したリズムの怪物に振り回され、侵食されてゆく過程を赤裸々に描いたと言ってもよい。
 「混沌をコントロールする」というのも妙な話だけれど、『On the Corner』期のセッションでは、そのヒントが得られたはずだった。JBやSlyによって発明されたリズムからインスパイアされ、メンバーにもファンクのレコードを繰り返し聴かせた、というエピソードが残っているように、新たな方向性を見出して邁進するMilesの昂揚感が刻まれている。

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 「じゃあ、さらにリズムのインフレを人為的に起こしたら、一体どうなるのか?」というフィールド・ワークが、いわばこの時期のライブであり、スタジオ・セッションである。エンドレスに続くリズム・アンサンブルから誘発されるグルーヴ感に対し、無調のメロディをカウンターとしてぶつける、というのが、当時のMilesのビジョンだったんじゃないかと思われる。
 大勢による複合リズムに対抗するわけだから、単純に音がデカい、またはインパクトの強い音色でなければならない。なので、Milesがエフェクターを多用するようになったのも腑に落ちる。もはや「'Round About Midnight」のような繊細なプレイでは、太刀打ちできないのだ。
 「俺のソロの時だけ、一旦ブレイクしろ」と命令も無意味で、それをやっちゃうと、サウンドのコンセプトがブレる。リーダーの一声で制御できるリズムなんて、Milesは求めていないのだ。
 強いアタック音を追求した結果、ギターのウェイトが大きくなるのも、これまた自然の流れである。ただ、Milesが求めるギター・サウンドは、一般的なプレイ・スタイルではなかった。かつてはあれだけお気に入りだったMcLaughlinの音でさえ、リズムの洪水の中では大人しすぎた。
 カッティングなんて、気の利いたものではない。弦を引っ掻き叩く、まるで古代の祝祭のごとく、暴力的な音の塊、そして礫。流麗さや優雅さとはまるで対極の、感情のうねりと咆哮-。

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 そんな流れの中では、どうしても分が悪くなるのが、ピアノを筆頭とした鍵盤系。アンプやエフェクトをかませてブーストできるドラムやギターの前では、エレピやオルガンは立場が薄くなりがちである。
 もう少しパワーのあるシンセだって、当時はモノフォニック中心で、スペック的には今とは段違い、ガラケーの着メロ程度のものだったため、あまりに分が悪すぎる。メロディ・パートの表現力において、ピアノは圧倒的な優位性を有してはいるけど、でも当時のMilesが求めていたのは、そういうものじゃなかったわけで。
 リズム志向とは別枠で、電化マイルスが並行して模索していたのが、Stockhausenにインスパイアされた現代音楽の方向性。メロディ楽器というより、一種の音源モジュールとしてオルガンを使用、自ら演奏しているのが、収録曲「Rated X」。ゾロアスターの教会音楽や二流ホラー映画のサントラとも形容できる、既存ジャズの範疇ではくくれない実験的な作品である。
 ただこういった使い方だと、いわゆるちゃんとしたピアニスト、KeithやHerbie、またChick Coreaだって使いづらい。言っちゃえば、単なるロング・トーンのコード弾きだし、いくらMilesの指示とはいえ、やりたがらないわな。

 「ジャズに名曲なし、名演あるのみ」という言葉があるように、ジャズの歴史は主に、プレイヤビリティ主導で形作られていった。すごく乱暴に言っちゃえば、オリジナル曲もスタンダード・ナンバーも、あくまでセッション進行の目安に過ぎず、プレイヤーのオリジナルな解釈やテクニック、またはアンサンブルが重視される、そんなジャンルである。
 スウィングの時代なら、口ずさみやすいメロディや、ダンスに適したノリ重視のサウンドで充分だったけど、モード・ジャズ辺りから芸術性が求められるようになる。「ミュージシャン」が「アーティスト」と呼ばれるようになり、単純なビートや旋律は、アップ・トゥ・デイトな音楽と見なされなくなっていった。
 時代を追うに従って、ジャズの芸術性は次第に高まっていった。そんな中でも先陣を切っていたのがMilesである。若手の積極的な起用によって、バッサバッサと道なき道を開拓していった。

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 ただ、ジャズという枠組みの中だけでは、新規開拓も限界がある。60年代に入ったあたりから、モダン・ジャズの伸びしろは頭打ちを迎えることとなる。
 プレイヤーの表現力や独創的な解釈に多くを頼っていたモダン・ジャズは、次第にテクニック重視と様式美に支配されるようになる。ロックやポップスが台頭する中、冗長なインタープレイと腕自慢がメインとなってしまったジャズは、すでに伝統芸能の領域に片足を突っ込んでいた。
 ヒップな存在であったはずのMilesが、そんなジャズの窮状に明確な危機感を感じたのが、ファンクの誕生だった。「-今までやってきた音楽では太刀打ちできない」、そう悟ったのだろう。
 いわば電化マイルスとは、既存ジャズへの自己否定とも言える。好き嫌いは別として、モード以降のジャズを作ったのがMilesであることは明確だし。

 これまでのジャズの人脈とはちょっと外れたミュージシャンを集め、冗長なアドリブ・パートを廃し、ひたすら反復リズムを刻むプレイに専念させる。そこにスター・プレイヤーや名演は必要ない。集団演奏によって誘発される、邪悪でデモーニッシュなグルーヴ。それが電化マイルスの基本ビジョンだったと言える。
 これまでジャズのフィールドにはなかった現代音楽やファンク、エスニックの要素を取り入れた、複合的なごった煮のリズムとビートの無限ループ。その音の洪水と同化しつつ、クールな頭脳を保ちながら最適なソロを挿し込む作業。その成果のひとつ、電化マイルスの第一の到達点が『On the Corner』だった。

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 じゃあ、その次は?
 Milesが隙間なく組み上げたサウンドとリズムの壁は、盤石なものだった。なので、あとはもう壊してゆくしかない。
 ただ、完璧に壊すためには、完璧に創り上げなければならない。もっとリズムを・もっと激しく。リズムのインフレの始まりである。
 こうなっちゃうと、もう何が何だか。どこが到達点なのかわからなくなる。
 -完璧なサウンドなんて、一体誰が決める?
 そりゃもちろんMilesだけど、そのジャッジはとても曖昧だ。ただでさえ、酒やドラッグで精神も脳もやられているため、朝令暮改が日常茶飯事になる。昨日言ったこと?ありゃナシだ。もう一回。
 未編集のまま放り出された録音テープが溜まりに溜まり、いつものTeoに丸投げするけど、もはや彼の手にも追えない。だって、あまりに脈絡が無さすぎるんだもの。どう繋いだり引き伸ばしたりしても、ひとつにまとめるのは無理ゲー過ぎ。

 なので、『On the Corner』以降の作品が、このようなコンピレーションかライブ編集モノばかりなのは、致し方ない面もある。逆に言えば『Get Up With It』、無理にコンセプチュアルにまとめることを放棄し、多彩な実験を無造作に詰め合わせたことによって、当時のMilesの苦悩ぶりが生々しく表現されている、といった見方もできる。
 誰もMilesに「ハイ、それまでよ」とは言えなかった。自ら崩壊の過程を線引きし、その線をなぞるように坂道を転げ落ち、最期のアガ・パンにおいて、志半ばで前のめりにぶっ倒れた。
 後ろ向きには倒れなかった。これが重要なところだ。試験に出るよ。





1. He Loved Him Madly
 1974年、ニューヨークで行われたセッション。レコーディング中、Duke Ellingtonの訃報の知らせを聞き、追悼の意を込めてプレイされた。そんな事情なので、ミステリアスな沼の底のような、地を這うようなサウンド。呪術的なMtumeのパーカッションと交差するように、ジャズと呼ぶにはオルタナティヴ過ぎなPete Coseyら3本のギター。ジャズとして受け止めるのではなく、かなりイっちゃったプログレとして捉えことも可能。あんまり抑揚のないプレイだけど、Pink Floydがジャズをやったらこんな感じ、と思えば、案外スッと入ってこれるんじゃないかと思われる。
 ちなみにMiles、前半はほぼオルガンに専念、後半になって浮遊感に満ちたワウワウ・ソロを披露している。

2. Maiysha
 一昨年話題となった、Robert Glasper & Erykah Baduコラボ曲の元ネタ。1.とほぼ同時期に行われた、カリプソ風味のセッション。またオルガンを弾いてるMiles。この頃、マイブームだったんだろうな。
 カバーだオリジナルだと区別する気はないけど、この曲においては、Glasperのアイディア勝ち。Erykah Baduもこういったコラボにお呼びがかかることが多いけど、シンガーに徹したことによって、変なエゴが抑えられて程よい感触。
 Milesが土台を作ってGlasperがコーディネート、彼女によって完成された、と言ってもいいくらい、渾身のクオリティ。漆黒の重さを求めるならオリジナルだけど、ポップな歌モノを求めるなら断然こっち。多分Miles、Betty Davisにこんな風に歌って欲しかったんじゃないか、と勝手に妄想。



3. Honky Tonk
 ジャズ・ミュージシャンがロックをやってみたら、こうなっちゃました的な、McLaughlinのためのトラック。一瞬だけスタメンだったAirto Moreiraのパーカッションが泥臭い風味で、単調になりがちなサウンドにアクセントをつけている。まだ電化の発展途上だった70年のレコーディングなので、Milesもオーソドックスなプレイ。彼が思うところの「ロック」はブルースに大きく寄っており、ジミヘンの出すサウンドに傾倒していたことが窺える。
 そんな感じなので、KeithとHerbieの影はとてつもなく薄い。どこにいる?

4. Rated X
 「人力ドラムン・ベース」と俺が勝手に評している、キャリアきっての問題作。要はそういうことなんだよな。ジャズというジャンルからとことん離れようとすると、ここまで行き着いちゃうってことで。テクノと教会音楽が正面衝突して癒着してしまったような、唯一無二の音楽。無限リズムの中を徘徊し、気の赴くままオルガンをプレイするMiles。本職なら選びそうもないコードやフレーズを放り込みまくっている。



5. Calypso Frelimo
 カリプソとネーミングされてるため、享楽的なトラックと思ってしまうけど、実際に出てくる音は重量級のファンク。『On the Corner』リリース後間もなくのセッションのため、余韻がハンパない。なので、ワウワウを効かせまくったMilesのプレイも至極真っ当。このタッチを深く掘り下げる途もあったはずなのだけど、サウンドの追及の末、ペットの音色さえ余計に思うようになってしまう。

6. Red China Blues
 1972年録音、珍しい名前でCornell Dupree (G)が参加、ドロドロのブルース・ナンバー。ハーモニカはうなってるし、ホーン・セクションもR&B風。「へぇ、よくできまんなぁ」と絶賛したいところだけど、誰もMilesにオーソドックスなブルースは求めていないのだった。ギターで弾くフレーズをトランペットで鳴らしているあたり、こういった方向性も模索していたんだろうけど、まぁそんなに面白くはない。自分でもそう思って、ボツにしちゃったんだろうな。

7. Mtume
 レコードで言うD面は人名シリーズ。タイトル通り、パーカッションをフィーチャーしたアフロチックなナンバー。もはやまともなソロ・パートはなく、引っかかるリフを刻むギター、そしてパーカッションの連打連打連打。
で、Milesは?存在感は薄いけど、最後の3分間、ビートを切り裂くようなオルガンの悲鳴。さすがフレーズの入れどころがわかってらっしゃる。

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8. Billy Preston
 あのBilly Preston。Beatles 『Let it Be』で一躍脚光を浴びた、あのBilly Prestonである。ソウル好きの人なら、「Syreetaとコラボした人」と思ってるかもしれない。でもこのセッションBlly Prestonは参加してないという不思議。どこいった?Bille Preston。
 曲自体はミドル・テンポの軽めのファンク。このアルバムの中では比較的リズムも安定しており、Milesも真っ当なプレイ。あ、こんな言い方じゃダメだな、電化が真っ当じゃないみたいだし。





 

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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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